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台風19号と一時帰国
10月11日 金曜日

大型の台風が関東地方に接近しているらしい。
今日からの一時帰国、台風上陸より一日早く成田に着陸できそうなのだけど、すでに電車などは台風接近に伴って計画運休なども発表されている。

ピサヌロークからバンコクまでは夜行列車に乗り、早朝のドンムアン駅に到着。
ドンムアン空港からスワナプーム空港までは午前5時のシャトルバス。
何度も利用しているけど、このシャトルバス受付係員の態度が気に入らない。
毎度非常に不愉快な印象を受ける。
まるで動物に指図するかのような言葉での説明なしの対応。

不愉快を我慢してバスに乗り込むと、バスはほぼ満席。
今朝の始発バスだから、このバスを待っていた人もたくさんいたのだろう。
なんとか空いてる席を見つけて座ることができた。
スワナプーム空港まで45分ほど。
バスの中はエアコンの効き過ぎで寒かった。

バンコク空港でタイバーツから日本円に両替を行う。
こんな早朝からすでに両替所がオープンしてて、首尾よく良いレートで日本円を入手。

バンコクから台北までの飛行機は意外なことに満席であった。
いつもはガラガラで、そのうち便が廃止になるのではないかと心配してきたけれど、今朝は私の隣も空席になっていない。
ふだん中華航空のエアバスでは8Dというスクリーン前の座席を指定してきたが、今回は非常口横の座席にしてみた。
足元は広いが、正面に客室乗務員が座られるのは、あんまり居心地が良くない。

ラウンジでしっかり朝食を食べてきたが、機内食も出されると食べてしまう。
メニューはタイ風で前菜にソムタム風サラダ、メインが豚肉の赤カレー(ゲーンペット)、デザートはカオニャオ・マムアン風にもち米のプディングの上にマンゴージャムを載せたもの。
味はそれほど辛くはないので、ちょっと物足りない。

タイ風機内食
[左側には切り干し大根の煮付け]

今回の一時帰国では、ラビットスクーター用のバッテリーをタイから持ち帰ることにしている。
バンコクで飛行機にチェックインをする際に荷物に鉛バッテリーが入っていることを申告したら、預け荷物ではなく、手荷物にするように指示される。
その手荷物に入れたバッテリーだけれど、バンコクの手荷物検査では特に問題はなかったが、台北空港の乗継での手荷物検査で引っかかった。
手荷物にバッテリーの持ち込みは禁止されているという。
こちらはバンコクの空港で中華航空の係員に確認し、バンコクの手荷物検査でもパスしていることを訴えたが、
「ここは台湾だから、台湾のルールで認められない」と頑として聞き入れない態度。
こうした態度は、きちんと規律を守っているので好意が持てるのだけれど、しかし、私としてはバッテリーを持ち帰りたい。
「このバッテリーにはまだ希硫酸を入れていないので、危険物ではなく、ただの鉛の塊に過ぎない。
手荷物検査を実施する目的は危険物の持ち込みを排除することのはず、なのに危険物ではない鉛の塊を持ち込ませないのはどういうことだ」と食い下がる。

「希硫酸が入っていないことがどうしてわかる?」と係官も一歩も引かない。
私はバッテリーのキャップをすべて外して、バッテリーを逆さまにして見せる。
「ほら、なにも出てこないでしょ」と言ったが、それでも納得しない。
「中を開いて確認できなければダメだ」とまで言う。
こちらも、ここまで来たら意地なっているので、
「ナイフを貸してくれ!」と言って小型ナイフを受け取り、バッテリーの上部に切れ目を入れていく。
なかなか、小型ナイフでは大変なのだが、少しずつ、切れ目が入って、内部が覗けるようになってきた。
が、そのうちナイフの方が真っ二つに折れてしまった。
借りたナイフを折ってしまったことに詫びを言ったら、
「どうせ没収して廃棄するものだから大丈夫」と言う。

しかし、新しいナイフはもう貸してくれず、「もうこのバッテリーは使い物にならないだろう」と言う。
でも、こちらも意地なので、「使えなくても日本へ持ち帰る」と主張する。
そろそろ係官もウンザリしている様子が見えるが、こちらはゲーム感覚で楽しみ始めている。
「ダメだというのなら、そのことが記載されている書類を提示すべきだ」と主張。
このあたりが係官に好感が持てる部分なのだが、まじめに書類をさがし始めたりする。
こちらは係官が書類をさがしたり、あちこち問い合わせているのを見物する。

「機内に持ち込むならこの書面に署名してください」
どうやら、私はゲームに勝ったらしい。
すでに乗継便はファイナルコールになっている。
係官と握手を交わしてゲートへ急ぐ。

バッテリー
[ナイフで切り裂いてまでして持ち込んだバッテリー]

成田までの飛行機もほぼ満席であった。
座席はいつもの8Dで、こちらはちゃんと隣の席が空席になっていた。
機内では「長いお別れ」という映画を見る。
山崎努が主演する痴呆老人のストーリー。
私もこの手の映画に興味を覚える年になったようだ。

日本に近づくにつれて台風の影響か飛行機が揺れ始め、機内サービスも中断されがちとなる。
そして、成田までのフライトも少し迂回でもしたのか時間がかかった。
すでに台風の影響で雨が降る中、無事に着陸。

<hr>

10月12日 土曜日

今晩あたり台風が直撃するらしいが、午前中はまだ風も弱く、普通の雨模様地変わらない。
ちょっと距離があるけれど、傘をさして墓参りに行ってくる。
行きに比べて、帰りは少し風も雨も強まったようで、靴やズボン、シャツまで濡れてしまう。

今回はラビットスクーター2号機の整備をしたいと思っていたが、雨天延期。
テレビは通常番組を変更して、延々と台風関連の情報を流している。
どうやらとてつもない台風ということらしい。
午後からは都内の電車もみんな止まっているらしい。

雨
[時間の経過でだんだんと雨脚が強くなってきている]

今月は妻の誕生日だったので、もう日は過ぎてしまったが、ささやかな誕生日祝いをしたいと思っていた。
祝ってあげたいという気持ちより、なんとなく日頃のストレスや疲れがたまっているので、ハッピーバースデーなんて言いながらケーキでも食べたら気分的に晴れそうな気がしただけのことである。

午前中に墓参りする際に通りかかった商店街ではスーパーだけがかろうじて店をあけていたのを思い出し、スーパーまでケーキを買いに出る。
しかし、スーパーも営業は正午で打ち切ったとかで、商店街の店はすべて閉まってしまっていた。
しかたなく、唯一営業していた近所のコンビニへ入ったが、食料品の陳列棚は空っぽ。
もちろんケーキなんてありゃしない。
かろうじて残っていたのはバームクーヘンとバナナケーキ。
こんなものでもローソク立てればハッピーバースデーになるかと買って帰る。

夜になって、風雨は強まっているようだけれど、鉄筋コンクリートの集合住宅の中にいると、なんだか台風の実感がわかない。

<hr>

10月13日 日曜日

台風一過、青空が広がり、朝の光がまぶしい。
風はまだ少し吹いているけれど、周辺の木立も、葉っぱが少し落ちたくらいで、枝が折れたり、木が倒れたりしているところはないようだ。
しかし、テレビのニュースを見ると、東京以外ではずいぶんと被害が出ているらしい。
特にあちこちの川で堤防が決壊して、洪水が発生していたらしい。

台風一過
[宇宙空間を思わせるような快晴]

朝からラビットスクーター2号機の整備に取り掛かる。
もう何年もエンジンをかけていない。
錆びてしまったのか、潤滑油が固まっているのか、あちこち動かなくなっいる個所も多い。
二号機はだいぶ前に廃車届を出しているので、公道を走られるわけにはいかないけれど、せめてエンジンくらいは回る状態に保ちたいと思っている。
さっそく新しいバッテリーを載せて、スタートボタンを押す。
エンジンは始動しない。
そのうちにバッテリーも上がってしまった。

仕方なしに1号機を動かしてみようとするが、こちらもエンジンがかからない。
おかしいなと思って確認するとガソリンがタンクに全く入っていない。
前回の一時帰国でガソリンを満タンにしていたはずなのに、どうやらガソリンがどこかで漏れてしまっていたようだ。
まったくのすっからかん。
キャブレターの目詰まりなら、タンクに少しは残っていそうだし、燃料コックも閉じたまま。
が、その燃料コックの締め付けが悪かったのか、コックの取り付け部分が油でヌルヌルしている。
燃料コックを締め付けなおし、ガソリンスタンドまで1号機を押していく。
ガソリンを少量入れて、スターターを押すと、しばらくしてエンジンがかかり、戻りは久しぶりにラビットに乗って帰ることができた。

昼から弟が来て、妻も一緒に母親の墓参りに行く。
小平霊園の木々も台風の被害はなかったようだ。
2歳違いの弟とも、健康状態の話題が多くなっている。
弟は睡眠時の無呼吸症候群があるようで、睡眠時は呼吸器を付けて寝ているとのこと。
孤独死した母親の死亡原因は特定されていないが、たぶん睡眠時無呼吸症候群によるものと思われるので、弟にも遺伝してしまっているらしい。
弟も独り暮らしをしているので気にかかる。

夕食にビールを飲む。
日本のビールは味がしっかりしていて美味しい。

ビール
[キリンラガービールの秋味だそうな]

<hr>

10月14日 月曜日

昨日は快晴だったのに、また小雨模様の天気。

弟と父親のところへ顔を出しに行く。
妻も一緒で、息子も現地合流する。
歳は84で、去年ケガをしてからすっかり歩けなくなってしまったらしい。
片方の耳もほとんど聴力がないらしいが、頭の方はしっかりしているようなので、痴呆の心配はまだなさそうだ。
ファミレス風のしゃぶしゃぶ屋で昼食を食べたが、店は若い家族連れでいっぱいであった。
しゃぶしゃぶと言っても、豚しゃぶで、タレや野菜類はセルフサービスになっているので、店内は常に人が行き来してせわしない。
お肉はいくつかのコースに分かれていて、それぞれが食べ放題となっている。
どれにしてよいのかわからないので、一番高いコースにしておく。
私はあんまり肉を食べたいとは思わないので、ご飯ばかりを食べていた。
別料金のドリンクバーでも、炭酸飲料ばかりで、飲みたいと思うものがなかった。
それでも、お会計は2万円近くになっていた。
こうした店は、若い人向けなのだろう。

夕刻から雨も上がったので、再び2号機の整備を再開する。
点火プラグからは火花も飛んでいるようだし、ラビットスクーターは単純構造なので、エンジンがかからない原因は、燃料が来ていないことによるものと考えられる。
キャブレターが目詰まりを起こしている可能性が高そうなので、吸気バルブを手のひらで塞いでスターターを押すと、数年ぶりでエンジンが回り始め、白煙をモクモクと吹き上がってきた。
燃料のガソリンも、廃車前に給油したものだから、たぶん5年以上は経過して、相当腐っているはずだけれど、エンジンは回っている。
キャブレターの調整がされていないため、アイドリングの回転数が高すぎて、トルコンの2号機は無人のまま走り出そうとしてしまい、慌ててエンジンを止める。
まだ2号機に乗って走るには、相当な整備を要するだろうけど、エンジンだけでも回り始めたことは、感激に値する。

ラビットスクーター2号機
[白煙を吐きながらエンジン始動]

夕食は西友ストアまで行き、弁当で済ます。
ここも食材がほとんど陳列棚に並んでいない。
東京はこんなにも台風に弱かったのだろうかと思う。

<hr>

10月15日 火曜日

タイへ戻る日。
そして、本当は今日が母親の命日。
空港へ向かう前に自転車に乗って墓参りに行く。
死んで10年になる。
10年間、墓参りには来ているが、何も法事をやったことがない。

午前10時に家を出る。
東京駅日本橋口から成田空港へは、予約をしておいたバスより一本早いバスに乗ることができた。
しかも、このバスは銀座を経由していた。
何年振りかで銀座通りを眺めることができた。
昔見てきた銀座通りと比べると、道幅がずいぶん狭いような気がした。
日頃見慣れたバンコクあたりの大通と比べると、東京の銀座通りも狭く感じるのかもしれない。

中華航空のチェックインカウンターは大混雑していた。
優先カウンターも長い行列になっている。
台風の後だから、欠航便から振替客が溢れているのかもしれないけど、チェックインまで20分もかかってしまった。
そして乗り込んだ機内も超満員であった。
プレミアムクラスのシートをもらったが、ここも満席。

中華航空カウンター
[台風の後の混乱はこんなところにも]

台北の乗継時間を利用して南崁の街まで行く。
空港でバスを待つが、係員から切符売り場で乗車整理券をもらうように指示される。
さらにバスの運賃は交通系カードで払うと50元だけど、現金なら20元だと教えてくれる。
これで以前から疑問に思っていたことがひとつはっきりした。
毎度南崁へのバス代が高かったりも安かったりしていたのでバス会社によって料金が違うのだろうかと考えていたが、一般的に割引があったりする交通系カードより現金払いがお得なこともあるとは知らなかった。

南崁では市場で台湾うどんを買う。
カールフールで冷凍餃子を買う。
わざわざ台湾に入国して、バス賃払うまでのことでもないけれど、こうして夕刻の台湾の街を歩くのは面白い。
何が面白いかは説明しにくいけど、なんとなくノスタルジックだったりして、いい感じなのである。

空港に戻り、飛行機を待つまでの間中華航空のラウンジで夕食をいただく。
ヌードルコーナーでは牛肉麺を食べる。
ブッフェラインのラインナップが少し変わっていた。
以前は台湾風イタリアンが中心で、茹で過ぎパスタや肉団子なんかがあったけれど、今日はタイ風のメニューが並んでいる。
豚ひき肉のバジルと唐辛子炒めとか、タイ風チキンのココナツカレーなんてものもある。
しかし、味はタイ料理のキレはあまりなく、バジル炒めはガパオと言うより、バジル入り魯肉飯と言った感じであった。
タイ風以外に麻婆豆腐なんかもあったが、こちらも四川風のピリ辛ではなく、山椒こそ効いているが、味付けはやはり台湾料理っぽい。

台湾風ガパオ炒め
[これが台湾の空港にあったタイ風豚肉のバジルと唐辛子炒め]

バンコクまでフライトもまた満席であった。
またまた客室乗務員と向き合う非常口横席。
隣には華僑の中年女性。
午前1時にバンコク到着。
バンコクのアパートまでのタクシーはなかなかメーター通りで行ってくれる車がなくて、みんな300バーツなどと言う。
何台のもタクシーをやり過ごして、やっとメーターで行くという運転手の車に乗る。

終わり

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台湾湯治旅(後編)
9月23日 月曜日

朝の目覚めは悪くなかった。
温泉効果で体調も回復してきているように感じる。
腹下しはまだ治っていないし、食欲もあまりないので、完全ではないのだろうけど、今日は外を歩き回ることができそうに思える。

宿の前庭
[いい感じの朝、ネットはここならつながる]

7時過ぎに朝食をいただく。
朝食は宿泊客が少ないせいか、饅頭は蒸し器の中に入れられておらず、オーブンで焼いたようなのが2つ朝食用のプレートに置かれて運ばれてきた。
白粥は自由にお代わりできるようただ。
簡単な朝食だけれど、いつもなら何杯もお粥をお腹に詰め込むところだけど、消化不良だからだろうかあんまり食べたくない。

朝食
[朝食はプレート式に戻っていた、、、給食みたい]

9時半過ぎ、多少の体力的不安はあるものの、山歩きを始める。
警光山荘裏からの道はいきなり急な坂道となり、登るのが苦しいが、一歩の歩幅を縮めて、ゆっくりと登る。
そのうちに、息も慣れてきて、苦しくなくなってきた。

サクラが咲いている枝がある。
サルもいた。
サルは枝の上から、その下を通る私を威嚇していた。

サクラ
[この緋桜は少し早咲き過ぎるようだ]

マヘボ露営地を過ぎて、農道のような道を上り下り。
民宿と書かれたペンションやキャンプ場もあるが、みんな寂れていて活気が感じられない。
マヘボ渓渡り、対岸の山を登っていく。
こちらは急斜面に農地を開いた場所が多い。
キャベツやズッキーニ、果実などが栽培されている。
Googleマップの地図を見ながら、歩いていく。
急な上り坂が続くけれど、ゆっくりとした歩みなので息苦しさはあまり感じない。

マヘボ渓
[マヘボ渓の上流へ向かって登っていく]

台湾に来る前に確認した天気予報では、滞在中の予報は毎日雨マークであったけれど、今日は青空が広がっている。
下界は雨が降っているのかもしれないが、標高千メートルを超える山の上は、とても良い天気で気持ちが良い。

標高1500メートルほどのところにある山の尾根で、反対側の斜面の方へ下るつもりにしていたが、その道の入り口がなかなか見つけられなかった。
Googleマップの表示とは少し場所が違うようだ。
やっと見つけた道は、草に覆われて、あまり人の行き来がなされていないような道のようだ。

ボアルン側の眺め
[だんぶ高いところまで登ってきました]

下り坂はやはり楽である。
バイクさえやってこないような森の中の道。
クネクネと続く道を下っていくと、茶畑が現れた。
茶畑の中に踏み込んでみたら、無人と思っていたのに、畑作業をしている人がいた。
向こうも驚いただろう。
しかし、私が日本人だとわかると、自分の父親は日本語が少しわかるという。
父親が小学校一年生まで日本だったという。
まだ健在だそうだ。
この畑仕事をしていた男性も、60歳くらいに見えるが、昔はこのくらいの年齢の人はみんな普通に日本語を話していた。
それから30年以上の時間が過ぎて、世代交代もそろそろ2周目に入ろうとしているようで、日本語が通じたというのも、昔話になってきたようだ。

タロワンの滝
[森を抜けて農地へ出ると視界が開ける]

タロワン稜線を右に、左には山の上に遠く大きな滝を眺めながら、坂道を下っていく。
ふたたびキャンプ場などが出てくる。
この辺りは温泉も湧くようで、温泉施設のあるキャンプ場かいくつかある。
ネコと過ごせることを売りにしたペンションもあり、道には「ネコに注意」との看板もあった。

ネコの飛び出し注意
[ネコの飛び出し注意]

時刻はすでに午後1時をすぎている。
お昼にでも食べようかとアンパンをカバンに入れてきたが、やっばり食欲が沸かず、空腹も覚えない。
このアンパンは一昨日、夜中にお腹がすいたら食べようとバンコクの空港で買ったものだったけれど、いまだに食べる機会がない。

この辺りはかつてタロワン部落があったあたりと思われるが、現在は春陽温泉と呼ばれているらしい。
戦前は桜温泉と呼ばれたのもこの辺りだったろうと思うが、当時の桜温泉を偲ばせるものは全くなかった。

濁水渓を大きな赤い橋で渡り、対岸の斜面を登る。
蘆山温泉へ戻るバス通りは、この斜面のずっと上の方にある。
宿を出るときに、ペットボトルを水筒代わりに水を入れてきたのだけれど、ほとんど飲んでしまって、残りがわずかになってしまっている。
どこかに商店でもあれば、飲み物でも買いたいところだけれど、民家さえほとんどないので、期待できない。

春陽温泉の赤い橋
[以前は細い吊橋だけだったと記憶しているが、新しい橋になって随分と経つようだ]

バスの走る道は急な坂などなくて歩くのには快適。
一時間少々見ておけば温泉まで帰り着けるだろう。
雲龍橋を渡る。
現在のアーチ型の橋は1985年に開通したとなっているが、以前の吊り橋だった時に何度かこの橋を渡った記憶がある。
安全のため橋の手前で降ろされて、歩いて渡ったのだが、そのころにはすでに新しい橋の建設が始まっていただろうけれど、橋の工事を行っていた記憶がない。
なお、橋の手前に橋の名前の由来が書かれていたが、もともとは「龍雲橋」であったのが、龍雲は雲南省で抗日戦争の英雄的将軍だったが、のちに中国共産党側へ寝返ったということで、名前の前後を入れ替えて「雲龍橋」としたと説明されている。

雲龍橋
[この橋も架け替えられてからもう30年以上になる]

午後3時、温泉の吊り橋に到着。
吊り橋たもとで粟餅を売っている店は健在。
以前の主人から代替わりしているが、その代替わりした主人もすでにだいぶ老け込んでいる。
「蒋院長説・・好吃!好吃!」と書かれた看板はそのままだけれど、蒋(経国)院長と言うのも、時代から相当に取り残された感じがする。
1970年代のノスタルジーなのだろうか。

蘆山吊橋
[立ち入り禁止と書かれているようだけど、ここを渡るしかない]

宿に戻って早速大浴場へ。
しかし、浴槽の湯がやたらとぬるい。
温水プール並みの温度しかない。
しばらくそのまま入っていたが、これではだめだと思い、フロントへ源泉のバルブを開いてもらうよう言いに行く。
しばらくして、ゴボゴボとパイプから音がして、熱い源泉が溢れ出てきた。
2時間くらい大浴場で過ごす。
やっぱり、ここの温泉が一番。

大浴場
[松を見ながらのんびり入浴]

風呂上がりに缶ビールを一本飲み干す。
ビールがうまく感じるということは、健康を取り戻してきている証拠なんだろう。

缶ビール
[この犬は温泉宿のペット]

夕食は再び仕切りのある四角いプレートになってしまった。
食事の内容も昨日より一格下がった感じ。
メインは豚の角煮のようなもので、他にキャベツ炒め、アヒル肉、タケノコ、玉子、あとはスープと果物。
質素な料理だけど、隣のテーブルで食事をしている作業員風の二人の惣菜はもっと質素であった。
そして、どうも今夜の宿泊客は私とこの作業員風二人だけのようであった。
これでは手の込んだ料理を期待する方が間違っているだろう。
紹興酒があれば、これらも素敵なおかずに感じられる。

夕食
[二日目の内容は少しグレードダウン]

作業員風の一人は三口であった。
年のころは40歳代に見えるが、顔が土色をしていた。
山地原住民かと思ったが、父親は山東省出身の退役軍人だったという。
もう一人は、台湾人だと言った。
彼らはさっさと食べて引き上げていった。

夕食後に、ふたたび大浴場で温泉。
湯加減もよく、のんびりとしていたら、先ほど作業員風の台湾人が入ってきた。
退役軍人の倅の方は一緒ではない。
外省人は大浴場に入らないのだろうか?

桶
[木製の手桶]

部屋に戻って、また暴れん坊将軍を見る。
そのあとも、日本のテレビ番組が続いてプロレスをやっている。
日本ではもうプロレス人気は下火になっていると思うのだけれと、台湾ではまだまだ人気らしい。
プロレスラーも私の全然知らない面々ばかりであったが、ただひとりちょっと道化役的な立ち回りのレスラーは見覚えがあった。
天龍、まだ現役とは驚いた。
いったい何歳なんだろう。
しかし、このプロレス番組も、大岡越前と同じで、かなり昔の試合を再放送している感じもする。

部屋の風呂に入って就寝。

<hr>

9月24日 火曜日

今朝も寝ざめは悪くない。
もともと、寝つきも悪ければ、寝起きも悪いタチなんだけれど、温泉の効果だろうか、とても快適である。
このままあと何日か、湯治生活をしたいところだけれど、今日はもう帰らなくてはならない。
朝食前に、渓谷沿いの奥にある源泉まで散歩する。
渓谷沿いの歩道も、あちこち崩れて、どうやら本当は立ち入り禁止になっているようだ。
源泉のある場所の茶店も廃業してしまったようだし、この蘆山温泉自体の斜陽がどんどん進んでいるのを感じる。

廃墟化した温泉頭
[廃墟化した温泉頭]

朝食前にも部屋の風呂に入り、朝食会場へ。
既に作業員風の二人は朝食を終えて引き上げた後のようで、テーブルには食べ終わった後の食器が散らかっていた。
今朝の朝食はまた一段と質素なものとなった。
饅頭はおろか、お粥もなく、あるのはピーナッツバターを塗っちトースト、キャベツ炒め、目玉焼を載せたチャーハン。
仕切りのある四角いプレートではなく、ちゃんとそれぞれ器に盛ってもらっているのは、うれしい。

朝食
[とりあえず朝食に仕立てたって感じかな]

山を下りるバスは08:40発ということになっているけれど、バスの運転手たちは気の早い人が多いらしく、時間前に出発してしまうことも多いから、早めに温泉入り口地のバス停に向かう。
運転手の気が早いだけでなく、バスの利用者も少ないので、時間まで待っても誰も乗りこまないなんてこともあるからなのだろう。
この日の朝のバスは私以外に中年の夫婦連れが一組バスに乗り込んだ。

温泉のバス停
[今日も良く晴れています]

埔里でもすぐに台中行きのバスに乗り継ぐことができた。
こちらは少し乗客の数も多い。

台中ではあらかじめ予約しておいた11:30発のバスから11:00発のバスに予約を変更して、そのまままっすぐに桃園空港へ向かう。
乗継よく、まったく快調。
バスの中にはWiFiも飛んでいる。
シートもゆったりしていて、これで空港まで300元なのだから安いものだ。

空港行の高速バス
[緑色のバスはよく目立つ]

午後1時過ぎには桃園空港に到着し、タイガー航空のチェックインカウンターへ。
ネットでチェックインは完了しているが、紙の搭乗券を受け取らなくてはならないらしい。
が、予想外の展開がは発生。
「機材繰りの関係」で出発が夕方6時過ぎになるという。
しかも、バンコクの到着予定時刻は夜9時。
私は夜9時にドンムアンを出る汽車の切符を持っているが、これではピサヌロークへ帰れなくなってしまうではないか。
カウンターの係員と相談するが、LCCなので何の補償もできないという。
どうしても早くいかなくてはならないなら、他の航空会社の切符を買った方が良いとアドバイスしてくれるが、この時間にバンコク行きの飛行機の出発はない。
「こんどからはLCCでない方がイイですよ」とのアドバイスをしてくれるが、一応少しでも早く飛行機から降りられるようにと前方3列目の通路側の席に変更してくれた。

バンコクでは飛行機の遅れに対して飲食券をくれたけれど、台北の空港では何も提供はなかった。
早めに搭乗ゲートに入って、出発を待つ。

飛行機は18:10にゲートを離れた。
機内アナウンスで、バンコクまでの所要時間は離陸後3時間30分を予定していると言っている。
うまくいけば、夜9時少し前にドンムアン空港へ到着できるかもしれない。
でも、入国審査がどうなっていることやら、スワナプーム空港なら優先入国のカードが使えそうだけど、ドンムアンにそんなものがあっただろうか。

前方席は青いカバー
[虎快客、前方優先席と言う意味なんだろう、黒猫がうれしい]

既に夕日が沈んで真っ暗となった台北空港を飛び立つ。
LCCで機内食などのサービスがないのは一向にかまわないが、シートにモニターがないので、いっったいいまどこを飛んでいるのか、あとどのくらい飛べばバンコクなのかが解らないのはストレスになった。
やっぱりモニターくらいは、個別でなくても良いので付けておいてほしいものだ。

タイ時間の20:15に「ドンムアン空港へ向けて下降を開始します」とアナウンスがあり、これは予定より早くもうすぐ到着かと喜んだが、それからが長かった。
右へ旋回したり、左に旋回したり、なかなか地上の明かりが見えてこない。
ジリジリしながら時計をにらむ。

20:40に「最終の着陸態勢に入ります」とアナウンスがあってしばらくして、着陸。
どうか沖止めになんかなりませんようにと祈り、ソワソワ。
ブリッジが伸びてきて、ドアが開く。
LCCの一つだけ良いことは、ビジネスクラスのお客さんが降りるのを待たなくてよいことだろう。
ゲートからコンコースを全力で走り抜ける。
コンコースを歩いている人の姿が少ないので、この時間に到着する便は多くないのかもしれない。
これだと入国審査も空いているかもしれないと期待が沸いてくる。

期待通り、入国審査はほとんど並ぶことなく、すぐにパスポートに入国スタンプが押された。
時刻は20:53。
もう、ここまで来てしまえば大丈夫。

20:53
[夜9時前に無事入国審査完了]

「こんどからはLCCでない方がイイですよ」とのアドバイスしてくれた係員が、前方のシートに変更しててくれたおかげで、なんとか汽車に間に合うことができた。
彼には感謝である。

ドンムアンの鉄道駅に余裕で向かったが、なんと列車は20分ほど遅れているとのことであった。

ピサヌローク到着
[ピサヌロークには午前3時過ぎに無事到着]

[完]

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台湾湯治旅(前編)
9月21日 土曜日

突然の悪寒が走ったのは、ピサヌロークから7時間乗ってきた快速列車を降りたときだった。
ドンムアン駅は小雨が降っていた。

雨のドンムアン駅
[ほぼ定刻に雨のドンムアンへ到着]

朝、ピサヌロークを出発するときは、体調で気になるところは何もなかった。
10時の快速列車、時間がかかるけれど、これだとドンムアン駅到着が台北行きのタイガー航空のチェックイン時間にちょうどよいので選んだのだけれど、前日にメールが届いて1時間出発が遅れるという。
まぁそのぐらいならどうということもない。
もともと、台北に到着するのも深夜で、朝までどう時間を潰すかで考えていたところなので、飛行機が多少遅延しても、むしろ歓迎したいくらいだ。

快速列車の二等席、エアコンもない老朽客車。

バンコク行快速列車
[快速と言っても、停車駅が少ないだけで鈍行とあまり変わらない]

しかも、二等席は車両の半分だけで、後ろ半分は三等車になっている。
乗車効率は悪くなく、ほぼ満席。
通路には車内販売が行き交っている。

田園風景の中、窓から風が吹き込んでくる。
ちょっと風で目が乾燥するのか、右目が痒いように痛い。
途中の駅でソムオーを買う。
食べやすいように既に皮が剥かれてあり、タイ人が使う唐辛子入り砂糖の小袋も付いている。

ソムオー
[車内販売から買ったソムオー、20バーツは市場とほぼ同じ値段]

窓からの風に吹かれながら居眠りをし、目が覚めるとなんだか喉が少しいがらっぽい
どこか埃っぽ所でも走ってきたのだろうか。

ナコンサワンを過ぎて、ガパオライスも車内販売から一バック購入する。
お粗末な内容だけど、値段も20バーツなので文句は言えない。

ガパオライス
[濃いめの味付け、コメは安物なのかポロポロどあまりおいしくない]

ロッブリーも過ぎて、トウモロコシも買って食べる。
黄色いトウモロコシと、白黒マダラのカオニャオ・トウモロコシの二本がセットになったもの。
ピサヌロークを出たばかりのころにもトウモロコシは売っていたけれど、その時は三本で20バーツだった。
で、バンコクが近づいて物価も上がってきたのか、ここでは二本で20バーツとなった。
カオニャオはなんとなくモチモチした食感があるような感じもするが、もち米のネバネバは感じなかった。

トウモロコシ
[カオニャオ・トウモロコシ、素朴な味がする]

アユタヤからは観光客がたくさん乗り込んでくる。
団体客ではなく、バックパックなどを背負った個人旅行者たち。
この二等席はすでに満席なので、通路を後ろの三等席へ向かって進んでいく。

バンコクが近づき、外は小雨模様となってくる。
バンコクでの待ち時間に、夕食とビールでも空港とは反対側の市場周辺で食べておこうかと思っていたけれど、雨だと外を歩くのも面倒くさい。
空港内のコンビニで何か買って食べようか。

ドンムアン駅にほぼ定刻に到着。
さて、7時間も座り続けてきた席を立とうとした瞬間、身体の異常に気付いた。
悪寒が走り、身体に力が入らない。
嫌だな、風邪をひいたようだ。

ビールも飲みたい気分にならなくなってて、そのままフラフラと空港ターミナルへ入る。
LCCのカウンターは混雑しているイメージだったので、この身体のだるさで長いこと並ぶのはつらそうだと思っていたのが、タイガー航空のチェックインカウンターはガラガラであった。
「本日の台北行きは22:05に遅れます」との張り紙。
1時間遅れとの連絡は入っていたけど、結局5時間も遅れるらしい。
チェックインの際に「飲食券」として200バーツのクーポンをもらった。
使える飲食店は限られているようだ。

出国手続きをせずに、そのままターミナルでメールのチェックや返信をしたりして時間を潰していた。
それにしても寒い。
エアコンの効かせ過ぎではないだろうか。
この土地の人は、エアコンの温度調節ということを知らないので困る。
カンカン照りの日中なら知らず、こんな雨模様の夕刻は、外気温も涼しいのに、エアコンは冷蔵庫のように冷やしてくれる。
寒くて震えが止まらない。
パソコンの熱が唯一身体を温めてくれる。
マッチ売りの少女みたいになってしまった。

あまりの寒さに耐えきれず、再び鉄道駅へ戻る。
駅はエアコンもないので、ホームのベンチの方がここよりも快適だろうと考えた。

たしかに、たとえ古枕木を重ねたベンチであれ、エアコンの冷風に当たらないだけでも身体は楽であった。
蚊が寄ってくるのは気になるが、蚊より暖を取りたい。
屋根はあっても、小雨が降っている屋外なので、温かいとまでは言えない。
座っているのが辛くなってきて、そのままベンチに横にならせてもらって目を閉じる。
薄目を開けると、ときどき列車が入ってきて、また出て行く。
空港の利用者なのだろう、外国人観光客も前を行き過ぎる。
日本語が聞こえてくる方向を見ると若い人の二人連れだった。

このままここで眠り込んでしまいそうなので、ターミナルビルへ戻って出国審査を受ける。
出発待合室の中で、チェックイン時にもらった飲食券で何か温かい食べ物でも食べようかと思ったが、使える飲食店で売られている食べ物は、あたたかいものが見当たらない。
まともに食べ物らしいものも少ない。
スシなどもあったが、あたたかくないし、値段も高くて飲食券では大幅なオーバーとなる。
他にはサンドウィッチ程度。
結局、唯一温かそうなカップラーメン一つを200バーツ分の飲食券で買う。
売店の店員の態度があんまりよくない。

台北へ向かう飛行機の中もやっぱり寒い。
それでも、LCCだからか、機内には若い人が多く、Tシャツに短パン、サンダルと言った軽装の人もいる。
寒くないのだろうか。
狭いシートでは、身動きもできず、じっと固まったまま。
2時間くらいは眠れただろうか、便意で目を覚ます。
通路席でトイレに立ちやすいのは助かった。
腹も壊してしまったらしい。
水のような便。
この身体のだるさは、脱水症に似ている気がするので、ペットボトルの水を口に含むと、またすぐに便意を覚える。

<hr>

9月22日 日曜日

午前3時に台北到着。
深夜なのでガランとしたコンコースを進み、照明のほとんどが消えて薄暗い入国審査場を抜ける。
で、またトイレに入る。
そのまま台中行きの高速バスに乗り込む。
こちらはゆったりした座席で、足元も広いけれど、シートとシートの間に大きなひじ掛けがあって、シートにゴロ寝をしたくてもできない。
そして、やっぱりエアコンなのだろうか、車内が寒い。

午前5時半過ぎに台中到着。
もともと、今回の目的地は蘆山温泉。
そこまで、今回は台湾のローカル線、集集線に乗り、日月潭にも立ち寄ってなどと考えていたのだけれど、体調の悪さから考えて、とても無理そう。
温泉に直行して、早く温泉で暖まり、ベッドで横になりたい。

埔里までいつもは南投バスか台中バスに乗っていたのだけれど、今回乗り込んだのは全航バスと言うバス。
乗ってしまえばどこのバスでも一緒で、シートに腰かけ、しばらくしたら眠り込んでしまった。
飛行機の中ではあんまり眠れなかったのに、今頃になってやたらと眠れてしまう。

埔里でバスを乗り継いで蘆山温泉には朝8時半に到着。
ちょっと朝早すぎたかもしれない。
この時間だと部屋には入れてもらえないだろうか、いや、そもそも予約もなしに行って、部屋はあるだろうか。

定宿の蘆山園に到着。
朝食も済ませ、宿から出て行くグループは何組かいたが、宿の主人が見当たらない。
受付には「すぐ戻ります、お急ぎならお電話を」と書かれた札が置かれている。
お急ぎでもないし、電話しようにも電話も持っていない。
そのうち戻られるだろうと待つこととする。

30分待って、宿の使用人らしい小太りの女性が部屋の清掃のためか通りかかった。
「宿のご主人は?」と聞くと、
「まだ寝てる」とだけ答えて、そっけない。
こっちが何で待っているのかということまで気が回らないらしい。

さらに1時間待って10時すぎにやっと主人がやって来た。
部屋はあるという。
値段も最初に来た時から変わらず1泊2食付きで1200バーツとのこと。

あちこちにかわいい絵がある
[老朽化に対するメンテナンスは今一つだけど、かわいい演出はされている]

さっそく部屋へ入れてもらい、部屋の風呂に湯をはって、温泉に浸かる。
氷が解けるように、身体が表面からだんだん奥の方に向かって、溶け出していくような開放感がある。
やっと、やっと、寒地獄から解放された。

身体が暖まったところでベッドにもぐりこんで寝る。
2時間くらい眠ったところで目覚めると、また部屋の温泉に入る。
そしてまた寝る。
なんと、素晴らしい。
これを極楽と言わずして、何んか言わん。

部屋の壁の絵
[部屋の壁にかかっている絵は東京の家のトイレの絵とよく似ている]

午後4時ごろには大浴場へ行って、また温泉。
ここの大浴場、浴槽の大きさは2m x 4mほどと大きくはないけれど、お湯は源泉100%。
ほとんど入浴客がいないので、静か。
奥が小さな庭になっており、松の木があり、その手前に安楽椅子。
飲料水も用意されている。

大浴場
[蘆山園大飯店の大浴場]

私はジャグジーとかより、落ち着いてお湯に浸れる方が好きだ。
しかし、5分も入っていると茹であがってしまうので、湯から上がって休憩したい。
そんなとき、浴槽のそばに安楽椅子があるというのは、実に都合が良い。
ここにダラリと寝ていても、他に入浴客もないので、気持ちない。
ときどきヒグラシの鳴き声など聞こえてきたら、これはもう最高である。
つまり、ここのお風呂が私にとって、理想とするお風呂なのである。

しかし、昨晩からカップラーメンしか食べていないのに、空腹を覚えない。
下痢はまだ止まらず、頻繁にトイレに行かなくてはならないが、腹の痛みはなくなった。

6時から夕食。
メインは巨大な肉団子のようで、紹興酒も少し飲む。
この旅館の料理で、気に入っているものに川海老の素揚げがあるのだけれど、今夜の夕食には含まれていなかった。
もっとも、消化には良くないかもしれないので、食べなくて正解だったかもしれない。
肉団子以外には、サラダ、青菜炒め、蒸し鶏、揚げ物、目玉焼き、スープ。
従来、仕切りのある四角いプレートに一緒くたに盛られていたが、今回は一品ずつの器盛りになっている。
内容は同じかもしれないけど、こうして出されると、よりおいしく感じる。

夕食
[ちゃんと器に盛ってもらっただけで、よりおいしそうに見える]

まだ腹の具合が本調子でないので、半分くらい食べたところで、食欲が急激に減退したけど、貧乏性で全部食べ切る。
紹興酒は半分だけにしておく。

夕食後も温泉に入り、部屋に戻るとテレビで「暴れん坊将軍」をやっていた。
以前もここで見た記憶があるから、何年も再放送を繰り返しているのかもしれない。
水戸黄門、大岡越前などとおんなじのワンパターンだけと見てしまう。
この手のワンパターン時代劇は今でも日本では製作されているのだろうか?

テレビを消してからは、部屋の風呂に入ってから眠る。
昼間あんなに寝たのに、すんなりと眠りについた。
そして、午前二時半ころに目が覚めたので、また温泉に入る。

[つづく]

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