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最後のイサーン 前編
年が明け、1月9日の晩にお母ちゃん(妻のこと)がバンコクにやって来た。
これから約2か月ほどバンコクに滞在する予定で、その間にタイ国内を旅行て回ることにしている。
その国内旅行の第一弾
1月12日(金)、車でブリラムを目指す。
日本へ帰る前に、もう一度パノムルン遺跡をしっかり見ておきたかった。
タイにある遺跡の中で一番気に入っており、またネコとも訪れたことがあり、思い出深い場所。

朝、バンコクを出発してピンクのガネーシャとして有名なワットサマーンワタナラームへ立ち寄る。
ピンクのガネーシャなど私の趣味ではなかったが、お母ちゃんの趣味の趣味でもなかったようだ。
それでも日本人旅行者には人気スポットらしく、日本人のグループを見かけた。
しかもそのグループを引率しているのがピサヌロークへ応援に来てもらっていた女性ガイドのノックさんであった。
コロナが明けて、バンコクで仕事にあり付いてからずっと疎遠になっていたので1年ぶりくらいの再会となった。
このワットサマーンワタナラームではケバケバしいガネーシャや観音像などはほとんど素通りして、門前市のような成果物売り場へ立ち寄って、旅行中に食べる果物などを仕入れた。
この寺のあるチャチュンサオ周辺は果物栽培が盛んで、ここの果物などは品質の良いものが多く、しかもバンコクなどより値段も安い。

ピンクガネーシャ
[フィルムカメラ CANON AE-1で撮影]

ブリラムへのルートは南回り、サケオ経由を取る。
途中タピオカ畑くらいしかなく、ほとんど人家がない原野の一本道をひたすらまっすぐに走る。
昼食の時間になり、お母ちゃんに何を食べたいかと聞いたら美味しいクイティアオだという。
彼女が好むクイティアオはナムサイと呼ばれるクリアスープに入ったセンヤイと言う幅広麺。
そして具はルークチンプラーというはんぺんやツミレのような魚介の練り物。
もともと集落さえないような場所で、食堂などなかなかない。
あってもガパオライスのようなブッカケ飯かラープなどのイサーン飯ばかり。
屋台のクイティアオがたまに交差点近くのコンビニに出ていたりするけど、具は肉しかない。
とうとうサケオまで行ってやっとお目当ての魚介練り物のクイティアオを発見。
お昼時間をだいぶ回ってしまった。

カンボジア国境のポイペト近くを素通りして、国境沿いに北上。
ブリラム県へと登る峠道でパッションフルーツとソムオーを買い求める。
この峠道では近所で採れるのか知らないけれどパッションフルーツをたくさん売っている。
パッションフルーツも日本へ帰ったらまず食べられないだろう。
タイにいてもめったに食べたりしない果物だったけれど、嫌いという訳ではなく、あんまり売っているのを見かけず買う機会がなかっただけ。
それに食べられる部分が少なくて、食べ応えがないので、ついほかの果物に走ってしまいがちだった。

ブリラムでの宿は、気に入っているプラコーンチャイにあるホテルデラムール。
ブリラム市内ではなく、ずっと離れたプラコーンチャイの国道沿いにあるホテルで、こんな田舎町にどうしてこんなリゾートホテルを作ってしまったのだろうかと思うようなちょっと豪華なホテル。
その「どうして」が現実にほとんど宿泊客のないホテルとなって、その晩は私たち以外に二組しか宿泊客がなかったようだ。

夕食にはホテル敷地内にあって、別経営のタイ式しゃぶしゃぶブッフェで食べた。
こちらの方は地元の若い人たちを中心に繁盛している。
しかし、閉店時間が早くて、夜8時すぎにはブッフェラインを下げ始められてしまった。
田舎は夜が早い。

ホテルにはプールもあり、誰もいないプールで少し泳いだのだけれど、その後着替えをしたときにどうも更衣室に塗れた海水パンツを置き忘れてきてしまったらしい。
もう長いこと履いてきた海パンで、何年も前にバンコクで毎土曜日に水泳をしていた時にも使い、相当酷使して布が薄くなって、尻のあたりには小さな穴まで開いてしままっていたので、どうやら清掃係にそのまま処分されてしまったようで、探しに戻った時にはもあなくなっていた。
レセプションにも忘れ物として届いていないとのことだった。

1月13日(土)、ブリラムからコンケーンへ
ホテルでの朝食は宿泊客が少ないのでブッフェではなく、セットメニュー。
ホテルのポリシーでは宿泊客が10組以上あればブッフェ対応とのことらしい。
以前宿泊したときはグループツアーたったのでブッフェラインがあり、この中にスパゲティ・クンジョムという一品があって、とても旨かった。
クンジョムは土地の名物で、小エビのペースト。
ちょっと辛くて、けっこうナマ臭いけど、クセになりそうな味。
ガピのようにドロドロのペーストではなく、小エビの姿がはっきり残っている和え物みたいな感じ。
それをスパゲティーに絡ませている。
今回はブッフェではなくセットメニューで、何種類かのセットから選べるようになっている。
アメリカンブレックファストもあるが、タイ料理のセットだけで4種類くらいある。
その中にはグンジョムがアレンジされているメニューもあった。
味もいいし、料理の盛り付けやサービスも良い。

朝食セット
[ホテルの朝食セットメニュー]

ブリラムにあるパノムルン遺跡は、丘の上に建つクメール時代の神殿遺跡で、ほぼ完全な形に復元され、見ごたえがある。
このパノムルン遺跡からオンライン・ライブツアーをすることになっており、その間お母ちゃんは足が痛くて私について歩くことが困難と予想されたのでビジターセンターで待っててもらう。
リハーサルから始まって約2時間の待ち時間の間ずっと英語の勉強をしていたそうだ。
こんなに熱心に勉強してても、上達しないのは、勉強の仕方に問題があるのか、または素質がないんではないかと思うけど、本人はそうは思っていないようで、いつも勉強道具を持ち歩いている。

パノムルン神殿
[東の参道からが最高]

パノムルンを出て、田舎道をコンケーンへ向かう。
田舎道では何度も牛たちに出会った。
牛たちは集団でのんびりと車道を占拠しながら歩いている。
車が来ても無関心。
バイクに乗った牛追いが声をかけるけど、なかなかどいてくれない。
肩に大きなコブのあるタイの牛たちは肝が据わっている。

牛
[牛たちは大胆だ]

コンケーンに着いたらすっかり暗くなっていた。
繁華街近くにあるローマホテルという古い建物の宿。
コンケーンではついものように市内最安値の宿を物色したらこの宿にたどり着いたわけで、部屋の中の調度や備品も相当にくたびれており、WiFiの電波もほとんど使い物にならないの焚けれど、宿泊者には韓国人が多かった。
彼らはグループで来ているようで、聞いてみるとキリスト教関連のミッションでの訪問らしい。
夕食に外へ出たら、宿の並びに屋台が並んでおり、その中で中華鍋を強い火力の中で振っている屋台があった。
なんとなくピサヌロークま空飛ぶ空芯菜食堂の調理法に似ていて、ここなら旨いものを食わせてくれそうな気がした。
事実注文したチャーハンはやたらと旨かった。
チャーハンはやっぱりこのくらいの火力で、中華鍋から放り投げるようにして一気に炒めたものが旨いようだ。
パラっとして、カラッと軽いチャーハンはタイでもなかなか出会えない。
その屋台は歩道にテーブルを並べ、かなり繁盛していた。
隣のテーブルは白人男性が家族で座っており、その嫁さんらしき女性はタイ人であった。
イサーンではよく見かける光景で、男性の方はほとんどタイ語を話せないようで、女性の方が料理を説明し、注文を入れている。
こちらは歩道に置かれたテーブルに着いているので、すぐ横を通行人が通る。
ここでも韓国人の男性グループを見かけた。
さっきのミッションで来ている若い人たちとは雰囲気が違って、アルコールがだいぶ入っている感じだ。
周りを見回したところ、この屋台は韓国料理店の前に店開きをしていた。
たぶん韓国人男性たちはこの韓国料理屋へ食事に来ていたのだろう。


1月14日(日)、コンケーンからウドンタニを経由してノンカーイへ
まだ朝暗いうちの午前6時にコンケーンの宿を出発。
国道を北上してタレーブアデーンへ向かう。
途中で太陽が顔を出し始めてきた。
初めてタイへ来た19歳の時も、このあたりから日の出を見た記憶がある。
あれはバンコクを前夜に出た列車の車窓だったはずだ。

日の出
[イサーンの大地に朝が来る]

まっすぐ北に延びるハイウェイの周りはところどころに木が生えているくらいで、土地の利用はあまりされていない印象。
牛の放牧くらいしか行っていないのか、畑はあんまりないし、田んぼなどは乾期ということもあり全く見当たらない。
畑はキャッサバとサトウキビ。
19の時に見た景色と、40年経ってもあんまり変わっていないように感じる。

タレーブアデーンには8時には到着。
まだ朝食も食べていないので、船着き場前の屋台でカオチーと呼ばれる棒に刺した焼きおにぎり風のものを食べる。
おにぎり風だけど、原料はもち米で、薄い円盤状に整形して串にさし、ナンプラーを少し垂らした溶き玉子汁に浸したものを炭火で焼いたもの。
これも私の好物で、初めて食べたときは薄味過ぎて、もう少し塩っ気があっても良さそうだと感じたけれど、いまはこの味になれてきて、もち米の甘さと卵が焦げた香ばしさが美味しいと感じられるようになった。
これもタイ東北部、イサーンの名物ではあるけど、メコン川を渡ったラオスでカオチーと言うのはフランスパンのこと。
もとは同じ民俗で文化圏でカオチーが別々のモノになってしまっている。

カオチー
[私の味覚としてはもう少ししょっぱい方がイイかな]

この時期のタレーブアデーンは赤く咲く睡蓮で有名。
たしかに感動的に美しく、何度来ても写真に撮りたくなってしまう。
小舟で大きな沼の睡蓮群生地へ。
タイ人にも人気のスポットになっていて、インスタやフェースブックが大好きなタイ人らしく、あちこちでモデル張りのポーズを決めている。
中にはボートを2艘雇って、カメラマンをボートに乗せて、写真を撮ってもらっている女性もいる。
お母ちゃんもここの景色は気に入ったようで、携帯電話のカメラで何枚も写真を撮っていた。

タレーブアデーン
[モデルになり切っている人が多い]

昼食にはウドンタニでお気に入りの飲茶屋へ行く。
町外れの住宅地にある普通のちょっとイイ感じの建売住宅の軒先を食堂にした飲茶屋で、美味しくて、しかも安い。
わかりにくい場所だし、本当に隠れ家的な食堂。
ウドンタニは中国系とベトナム系の住人が多く、街中でも彼らの食堂が多いけれど、こうした民家で食べられるような店を私は他に知らない。

飲茶
[これ全部食べきった]

朝も早かったので早めにノンカーイの宿にチェックインして少し休憩。
まだ1月、タイの冬に当たる季節のはずだけれど、ここノンカーイの午後は真夏のように暑かった。
宿の名前はホワイトインホテル。
まだ比較的新しい建物で、広い駐車場がある。
宿の向かい側には洋食を食べさせる食堂が2軒ある。
それだけでなく、宿のある路地は西洋人相手の飲食店がいくつもあり、年配の西洋人男性が店先のテーブルやカウンターでビールを飲んでいたりする。
ノンカーイはラオスとの国境の街と言うだけで、これといった観光名所があるわけではないけれど、西洋人が多くいる。
なんでもアメリカの退役者に住みたい世界の街の中でトップクラスに選ばれたこともあったようだ。
なにが魅力なのかはよくわからないけど、悪い街ではないし、チェンマイの外国人相手の店のようなケバケバしさもなく、静かで落ち着いてて、それでいて外国人にもなじみやすそうな街だと私も感じる。
でも、私だったらここで暮らすにはちょっと退屈に感じるだろう。

夕刻、暑さも峠を越して、少ししのぎやすくなったのでメコン川沿いの遊歩道を散策する。
遊歩道沿いにはペンションやベトナム料理屋、そして西洋人相手のバーが並んでいる。
インドシナマーケットと呼ばれる国境市場でお母ちゃんはタイの琺瑯びき弁当箱を買った。
小物入れにするのだそうだ。
展望台から夕陽を眺め、宿への帰り道の途中にある粥屋で夕食にする。

ノンカーイの夕陽
[メコンの川べりにて]

1月15日(月)、国境を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ
お母ちゃんは朝食にパートンコーが食べたいという。
パートンコーは中国風揚げパンというか、中国で油条と呼ばれているもののタイ版で、油条は30cmくらいの中さがあって大きくて長いが、タイのパートンコーはずっと小さくて大福もちくらいのサイズ。
よく市場なんかで豆乳と一緒に売られていて、値段も安くて最下級の朝食みたいに考えられていたけれど、最近はどうも違ってきているらしい。
ピサヌロークにいたときから、パートンコーは他の物価と比べて値上がり幅が大きいなと感じていた。
最初は5個で10バーツくらいだったのが、3個で10バーツになっていた。
ここでもパートンコーは最低20バーツで、一袋6個入り。
もう安いとはあんまり感じない。

ノンカーイ発朝10時のバスでビエンチャンへ向かう。
車は宿の駐車場に留め置き。
最初は車を運転してそのままラオスへ入ろうか、そしてルアンプラバーンまで行ってみようかくらいに軽く考えていたのだけれど、調べてみるとラオスの道路事情はとても悪くなているらしい。
とても小型車でルアンプラバーンまでの悪路を進むのは無理らしいということがわかった。
ビエンチャンだけなら問題なさそうだけど、街中は駐車場を探したりするのも面倒だし、それにラオスまで陸続きと言っても別の国で、車の通関手続きや保険などで費用がかかる。
だったらバスで行った方が世話がないという結論に達していた。

ノンカーイからビエンチャンへのバスはたったの55バーツ。
国境の橋もそのまま渡ってくれて、ビエンチャン市内中心部まで運んでくれる。
途中はバスから降りて国境での出入国手続きをタイ側とラオス側でしなくてはならないけど、乗り換えの必要もない。
国境での出入国手続きも簡単に済み、すいすいとビエンチャン市内へ到着。
ホテルは市内バスターミナルから歩いて15分ほどのところにあるビエンチャンプラザホテル。
ビエンチャンでは比較的大きなホテルということになっていて三星クラス。
似たような名前でラオプラザホテルというがあるが、そっちはビエンチャンでも屈指の高級ホテルでランクが違う。
それでも三星クラスのホテルなど私にとっては破格の贅沢で、なんでそんなホテルにしたかと言うと、ここでは無料のレンタサイクルがあると書かれていたから。
しかし、いざホテルに到着してみると、レンタサイクルのサービスは現在やっていないという。
まだ、チェックインして部屋に入るには早すぎるので、私一人市内へレンタサイクル探しにでかける。

国境越え
[後ろのバスがノンカーイからビエンチャンへの国際バス]

ビエンチャンにはレンタサイクル屋などいくらでもありそうに考えていたけれど、探してみるとなかなか見つからない。
ずいぶんと歩き回ってやっと見つけた自転車屋は本業は自転車の販売で、副業に中古自転車のレンタルをしていると言った店だった。
夫婦二人でやっているような店なのだけれど、旦那の方は愛想がいいけど、奥さんの方は不愛想で、自転車の貸し出しなんて面倒くさいと言った感じでの対応をされる。
翌日までのレンタルで120,000キップだという。
だいたい180バーツくらいで、自転車の程度はあまりよくない。
さらに二人乗りをすると言ったら、割増料金だとも言う。
他にも選択肢があったら、パスしたいところだけれど、お母ちゃん一人をホテルのロビーに待たせたまま随分と時間がたち、そろそろお腹を空かせているころだろうから、5割増しと言うところを170,000キップにまけさせて自転車を借り出す。

昼食には借り出した自転車に二人乗りをしてPVOというビエンチャンで有名なベトナム風サンドウィッチの店に行く。
ベトナム風サンドウィッチと言うのはバゲットサンドウィッチなのだけれど、具材がベトナム風でハーブ類がたくさん入っている。
人気店で外国人がたくさん来ていたが、中でも韓国人客は何組も来ており、大声でおしゃべりをしているので目立つ。
ここのサンドウィッチはお母ちゃんも気に入ったようだ。

午後にはビエンチャンの街を自転車で走り回り、凱旋門やタートルアンなども回ってきた。
昔と比べて、車も増えたし、新しい車も多い。
緑色をしたマイクロバスも市内バスとして走っている。
以前はジャンボと呼ばれたバイク改造の3輪車はほとんど見かけなくなった。
その代わり電動の3輪車がチョロチョロと走り回っている。
車は韓国製、日本製が多いけれど、商用車は中国製の車が目立つ。
観光バスは韓国の中古バスを持ってきて走らせているようで、乗っている乗客も韓国からの観光客ばかり。
日本人は全く見かけない。
韓国ではラオス旅行が人気があるのだろうか。
そういえば、ビエンチャンプラザホテルにはJOICAという日本のJICAのような事務所が入っていた。

ラオスの凱旋門
[シルエットになったプラトゥーサイ]

ホテル周辺では夕食を食べさせるようなレストランはほとんどなく、少し歩いたところにある食堂に入った。
ラオビールとタイで言うところのヤムウンセンのようなモノや空芯菜炒めなどを注文したけれど、ラオス料理的なものはメニューにないようだった。
値段は高くもないけど、庶民的な店なのにあんまり安くもない。
そして、出てきた料理でヤムウンセン風のものは、牛の胃袋を刻んだものがふんだんに入っている。
私は自称俄か菜食主義で、特に4つ足は極力食べないようにしているし、内臓系はまったくNG。
こりゃ食えないと出てきた皿を下げるように言ったが、店の人は不満そうで、なぜだという。
私は内臓物は食べられないし、見ているだけで食欲がなくなると伝えたのだけれど、まだ納得してもらえない。
「そんなことは、注文するときに言ってくれなきゃわからない」というが、
タイで内臓系が入っているヤムウンセンなど食べたことがないから、まさか入っているとは思わなかった。
「食べなくても料金は払ってもらうよ」と言われて了承したが、皿をなかなか下げてくれない。
それ以外は感じの悪い店じゃなかったし、私がラオスの食堂での注文の仕方がよく解らなかっただけで、責任は自分にあると納得した。
そういえば、ラオスの料理には内臓物や動物の血を使った料理が多いらしい。
ひとつ勉強になった。

1月16日(火)、ノンカーイへ戻る
ホテルの予約は朝食付き。
朝一番に朝食会場へ下りて行く。
ここの朝食はブッフェスタイル。
洋風、ラオス風、ベトナム風とバラエティがある。
パンはバゲットで焼きたてらしく、皮がパリパリで香ばしい。
タイではなかなか美味しいパンに出会えない(安いパンしか買わないから)けれど、ラオスはパンが常に美味しいみたいだ。
ベトナム風にはフォーというかカオピアクというか、米粉のヌードルスープが美味しい。
おかゆも味付けがしっかりしていて、お代わりしたくなる。
オムレツはまあまあで、サラダの野菜は新鮮。
ハムやソーセージは食べない。
次々にいろんな種類のものをもらってきて食べていたら、ぞろぞろと韓国人観光団も入ってきた。
綺麗に並んでいた料理はあっという間に取り分けられて、見栄えが悪くなってしまった。

寝坊もせず朝一番に朝食にしたのは、この日の朝は凱旋門(プラトゥーサイ)からオンラインツアーの中継が入っていたから。
プラトゥーサイは戦勝門という意味だけれども、別に外国と戦争して勝った記念という訳ではないようだ。
外見はパリの凱旋門によく似ており、門からまっすぐにの大通りはシャンゼリゼがエリーゼ宮へ伸びているように、ビエンチャンでは大統領官邸へと繋がっている。
外観はパリの凱旋門に似ているけれど、細部はラオス風で、ヒンズーの神々が描かれた天井があったり、飾りつけの彫刻も仏教やヒンズー様式で、屋上にはやはり仏塔のような屋根を持つ建物が乗っている。
オンライン中継での解説のため下勉強をしたのだけれど、天井に描かれた4つの絵が、ヒンズーのなんという神様のモノか良くわからなかっつた。
そこで入場券売り場のスタッフに質問したけれど、スタッフはまるで関心がないのか、わからないとのことだった。
また、韓国人や中国人団体観光客を引率してきたガイドに訊ねたけれど、「ヒンズー教の神様だ」としか答えられなかったり、「お釈迦様の化身だ」と変な答えが返ってきた。

インドの神々
[プラトゥーサイの天井画]

仕方なく、自分で絵の特徴を確認しながら考察したところ、多頭の大蛇の上に座っている緑色の神様は手にほら貝とさすまた(三又鉾)を持ているので破壊の神であるシヴァ神と推測した。
片足を下げながら台の上に座っているのは、正面以外にも両脇に顔があり、腕は8本もあるところから、全能の神であるブラフマー神らしい。
3つの頭を持つ白いゾウに乗っているのは、日本で帝釈天と呼ばれるインドラ神だろう。
しかし、ヒンズー教の三大神のひとつビシュヌ神が見当たらない。
最後に残ったもう一面はタイでもよく見かけるラーフであろう。
食いしん坊で、太陽や月を食べてしまい、日食や月食を発生させると考えられている。

この天上絵画を調べるのに苦労したけれど、オンライン中継で取り上げたのはほんの一瞬。
大半をプラトゥーサイの塔の上へ登って、ビエンチャンの街並みの紹介に費やしてしまった。

プラトゥーサイ
[正面から]

昼食にはタートルアン裏へ移転したフランス料理店ナダオへ行く。
ここは昨日のうちに直接出向いて予約を入れておいた。
ビエンチャンでも人気の高いレストランで、オーナーシェフはロブションで修行を積んでいるということになっている。
ランチのメニューは、ビフテキや鴨などの肉料理やサーモンなどから選べるコース料理。
私は以前にビーガンのメニューを注文したことがあるけれど、残念ながら他のメニューと比べると内容的にちょっと劣っていた。
味付けが劣っていたというよりも、メインがパスタと言うのが残念な理由。
ということで、今回はサーモンにしてみた。

ナダオ店内
[ナダオとは星の田んぼという意味]

サーモンの味の方は印象に残るほど美味しいと感じさせてくれるものではなかった。
もちろん不味くはないけど、メインが出てくる前にテーブルに置かれたパンがやたらと美味しくて、パンばかりいくつも食べてしまっていたことも影響していたかもしれない。

以前、市内中心部にあった時と比べると店は大きく立派になっている。
スタッフの数も倍増しているけれど、研修生なのか新人なのか若いスタッフが多くなっており、彼女らはまだまだ修業が足りず、気配りができていない。
突っ立っておしゃべりをして、お客のテーブルの様子などに気を使っていない。
以前の店の方が、良かったかな。

サーモン
[サラダやスープそしてデザートにカラメルも付く]

ランチを食べて、自転車を戻してバスターミナルへ向かう。
ノンカーイ行きのバスまではまだ間があり、早く着きすぎてしまった。
バスターミナルは工事が中断したままのビル建設現場のようなところで、埃っぽくて暑い。
市内を走るバスやタイへの国際バスが発着するが、市内バスは緑色に塗られたものばかり。
日本から送られたマイクロバスもたくさん見かけるが、韓国からのバスも多い。
しかし、韓国からのバスはいずれも新車ながら使われている形跡がない。
バスターミナルの中に留め置きされたままになっている。

ビエンチャンの市バス
[今は日本の援助バスだらけだけど、そのうち韓国になるのだろうか]

ノンカーイでは一昨日と同じホワイトインホテルに宿泊。
夕食は屋台で簡単に済ませる。

屋台飯
[路上で晩御飯]

つづく

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