8月14日 (月)
イギリス滞在も最終日。
目を覚ましたら外は朝から雨が降っています。
雨具も持参しているから雨でも歩き回ることは可能なんだけれど、今日は月曜日でボランティア運営のネイネイ渓谷鉄道はお休み。
このピーターバラでほかに見ておくべきところというのが地図を見たところで検討がつかない。
[窓の外は雨]
8時になって階下へ降りてゆっくりと朝食にする。
メニューは昨日とおんなじ。
あのボリュームを2日続けて食べるのは食べすぎかとも思ったけども、根が卑しいので結局巨大なアイリッシュ・ブレックファストのプレートが運ばれてきた。
食べ終わってから、ソーセージやベーコンは抜いてもらったほうが良かったかななんて反省したりする。
また、私用のオレンジジュースとコーヒーは飲みきれなかった。
雨の日に水物をとり過ぎるとトイレが近くなってしまう。
しかし、イギリスの田舎町には公衆トイレというものがほとんどないことを昨日までに確認している。
自然公園にはキャンプ場があるのでトイレもあったし、ネイネイ渓谷鉄道の駅にも無料で使えるトイレがあって便利だったけれど、街中の公園とかにはトイレが見当たらなかった。
[二日続けてボリューム満点の朝食]
朝食を食べ終えて、アイルランド関連のものばかり張り出された壁を見ていたら、リビングへのドアにはアイルランド以外にも犬に関する文言がかかっていた。
"GUESTS MUST BE APPROVED by the dog"
宿泊者は必ず犬の許可を得よ
"Dogs Welcome CHILDREN MUST BE ON A LEAD"
子供はリードにつなぐこと、そうすれば犬は歓迎する
[私は犬の許可を得て宿泊できた]
この宿にはでれんとクッションで寝てばかりいる犬がいる。
老犬であまり愛想がいいとは言えないけれど、ここのオーナーの大切なパートナーのようだ。
これでも一応は毎日散歩をさせているという。
歳は14歳とのことだったけれど年寄りも老けて見える。
[私は滞在中この犬が寝そべっている以外の姿勢を見たことがない]
宿のチェックアウト時間は11時ということなので、それまで近所を一回りしてみる。
小雨が降ったりやんだりしているけど、肌寒いというとはない。
[小雨は降っているけど、しっとりした感じは悪くない]
宿を出て少し歩いた路地奥でネコを発見。
ゴミ捨て場の近くにいて、ちょっと警戒心が強い。
近づくとすぐに逃げてしまう。
タイから持参したキャットフードを食べさせてやろうと取り出すが、食べ物につられて寄ってくるようなことはなかった。
このネコはひょっとしてイギリスの野良猫なんだろうか?
[ちょっと警戒心の強いネコだった]
このあたり通りによって、お屋敷が並ぶところと、中流の棟割住宅の並ぶところ、そして低所得者が住んでいそうなところと別れている。
一戸建ての家は前庭があり、生け垣があり、そして家の前の通りの歩道も広い。
家の1階には前庭に面して大きなガラス窓があるので、ネコがいないものかと横目で眺めながら歩く。
あんまりキョロキョロとしていたら挙動不審で通報されてしまうかもしれない。
[中の上あたりだろうか、前庭もある戸建て住宅]
次の通りは中流家庭の住んでいそうな棟続きになった住宅が並ぶ。
住居兼事務所のようになっている家もある。
この棟割住宅では煙突を眺めて歩く。
[棟割住宅と言ってもタイのタウンハウスと異なり、各戸ごとに個性がある]
各家と家との境の屋根の上には煙突があり、チムニーポットがのっかっている。
チムニーポットとは筒状の煙突の吹き出し口で、このチムニーポットの数だけその家には暖炉があることになっているそうだ。
いろんな形のチムニーポットがあるし、その数を数えて、どの部屋に暖炉があるのだろうかと想像してみるのも楽しかった。
[これがチムニーポット]
しかし、そうしてチムニーポットを見ながら歩いていたら、小学一年生だったかの時に見た映画、メリーポピンズを思い出した。
ストーリーとかは忘れたけれど、チムチムニー、チムチムニー、チムチムニーと歌いながら顔を煤で真っ黒にしながらブラシで煙突掃除をしているシーンが印象に残っている。
タイは当然としても、日本でも暖炉のある生活とは縁がなかったので、煙突なんてあんまり気にすることはなかったけれど、子供の頃の印象として煙突といったらサンタクロースがやってくる入り口だった。
煙突のない家でもサンタさんは来てくれるのかと考えたりしたものだけれど、チムニーポットを眺めながら今更もう一度考えてみると、こんな直径20センチくらいしかなさそうなチムニーからあの厚着をしたサンタクロースは入れるのだろうか?
イギリスの子供たちは、サンタさんが来てくれるかと心配にならないのだろうか?
イギリスではチムニーポットの印象が強いけれど、ヨーロッパの家の煙突はチムニーポットではないのだろうか?
今年は2回もヨーロッパへ行っているのに、記憶がない。
[これはただの装飾なんだろうか]
ぐるりと宿周辺を歩いてから、部屋で荷造り。
ピーターバラ発3時過ぎの特急でロンドンへ向かうので、まだ4時間くらい時間がある。
小雨が降ったり止んだりなので傘は手放せない。
キャリーバッグを引いて歩き回るのは面倒なので、バッグはそれまで宿に預かってもらうことにして、チェックアウトする。
宿を出て、北西側に歩く。
別に目的地があるわけでもない。
時間があって、どこかでお茶して時間をつぶすなんてことができない貧乏性で、歩いていないと落ち着かない。
町の中にはバスやタクシーも走っているれど"Private Hire"と書かれた車が走っていたり、路肩に止まっているのをよく見かけた。
ハイヤーとはもともと貸し切りの車で、プライベートとわざわざ付けなくてもよさそうに思う。
この場合のプライベートというのは、会社所有とかではなく、個人がやってるハイヤーという意味なのだろうか?
なんとなく、その解釈があっていそうで、日本でイメージかるハイヤー=高級車とは違って、小型のしかも中古車のような車も混じっている。
町の北西側は移民の多いエリアのようで、トルコ系や中近東系、北アフリカ系の雑貨店が目立つ。
たぶん出身地から検討つけてモスリムが多いエリアなんだろうけど、ハラルフードと書かれた食堂もあるにはあるが、モスクは見かけなかった。
そして、雑貨店の前にはビールなどのアルコール飲料の宣伝看板が大きく掲げられている。
水たばこの器具を並べた店はなんとなくアラブっぽいし、アラブ風の料理を食べさせる店もあるが、ハンバーガーやピザなどのファーストフードの店のほうが幅を利かせているようだ。
もつとも、ピザ専門店ではなくトルコ風にケバブもメニューに並んでいる。
[このあたりには移民たちの店が多く並ぶ]
続いて駅へ向かって歩く。
駅への道の両側には、広いお屋敷や教会がゆったりと並んでいる。
並木も樹齢何百年といった感じの大木ぞろい。
道幅も広い。
ピーターバラの駅の横にもスーパーマーケットがあった。
このスーパーはピーターバラで何カ所か見てきたスーパーの中でいちばん高級感が感じられる。
売ってるものの値段とかは詳しく調べたわけではないが、私の関心があるビールなどの値段は、他とおんなじか、むしろ少し安いくらい。
そして、嬉しいことに無料のトイレがあったので使わせてもらう。
トイレの中も清潔だった。
この期に及んでスーパーに入るのはトイレのためだけではなく、今回のイギリス旅行の土産にビールでも買って帰ろうかと考えたからで、どうせ買うのなら少しでも安く手に入れたいと思ったから。
しかし、結果的にはビールは買わずじまいだった。
この後3時過ぎの特急に乗れば、4時にはロンドンに着いてしまう。
帰りの飛行機に乗るために空港へは7時くらいに到着出来ていればいいので、ロンドンの街中で2時間くらい時間が余っている。
その時間を利用してロンドンの街をまた歩き回ってみたいと思ったから。
歩き回るのに重たい荷物は持ち歩きたくない。
ビールは重いから、買うのをやめたわけ。
駅前からまた歩き始め、街の南側へ進む。
ピーターバラの道は歩きやすいのだけれど、道路の横断は面倒。
横断歩道のないところも多いし、歩行者優先ではないようだ。
車の運転もオヤッと思うほど荒い。
特に厄介なのは交差点がロータリーになっているもので、車の流れが途切れない。
渡ろうとしても、止まってくれる車はほとんどない。
大聖堂ももう一度眺めに行く。
この大聖堂、昨日は閉まっていたが、今日は内部を開放しているようで、人が出入りしている。
入場料は徴収していないけれど、ドネーション箱が置かれている。
いくら入れればいいのかわからないし、ここでもお金を払ってまで内部見学したいという気分でもない。
大聖堂の外から眺めているだけで満足してしまっている。
[この大聖堂は何度見ても迫力がある]
大聖堂の敷地の周りにはアジサイが咲いていた。
アジサイの色は日本のアジサイと比べると少し地味な色合いだった。
地味なのはもう8月で花の盛りの時期が過ぎたからかもしれない。
[小雨降る日はアジサイが似合う]
午後2時になり、宿屋へ戻って荷物を回収し、空腹を感じないけど、食べ残していたフランスパンを広場のベンチに腰掛けて食べる。
パンは食べずに持ち歩いていてもしょうがない。
だいぶ硬くなってしまったパンを噛みちぎっていたら、ガシャンと後ろから音がした。
振り返ってみたら、電動キックボードが歩いている女性にぶつかったようだ。
女性も転んで、周囲の人に抱え起こされているところだった。
電動キックボードの男性は何やら言い訳めいたことを言っている。
この電動キックボード、ロンドンでもそうだったけれど、歩道を我が物顔で走り抜けていて、なんども危ないなと感じた。
スピードも結構出ているし、まともにぶつかれば重量もあるからケガをする。
[月曜日、小雨、だからか人影は昨日よりずっと少ない]
15:10発のロンドン行きは新型の特急で日本の日立製。
AZUMAという日本風の愛称もある。
この特急は昨年の9月にリーズでも見かけた。
特急ではあるけれど、事前に割引切符で買っていたのでロンドンまで15ポンドで入手できた。
距離にして100キロもない区間だから、タイの物価感覚では高いけれど、日本のJRと比べたらお得な金額。
座席指定で、1号車となっているが、これは電車の最後尾だった。
[日立製の特急AZUMA]
新しい車両なので、車内も快適ではあるけれど、座席の方向は回転しないし、リクライニングもしない。
背もたれもほぼ垂直で、シートはちょっと硬め。
これで長時間だとちょっと辛いかもしれない。
[スタイリッシュで機能的なシートだけど、長時間乗っているには辛いかも]
スピードはぐんぐんと上がり、先行していた電車を次々に追い抜く。
周りの景色もどんどん飛んでってしまうので、景色を眺めながらの旅情にはちょっと欠けている。
それでも外を眺め続けていたが、あと10分で終点のロンドン・キングスクロス駅に到着と言うのにまだまだ田園風景の中を走り続けている。
これはちょっと遅延しているのかなと思ったが、そのうち少しスピードが落ちてきて、市街地になって建物が増え始め、そしてピタリと正確にロンドンに到着した。
ロンドンの街と言うのは、あんまり広くない町なのかもしれない。
[ひろびろとした田園風景の中を快走]
バンコクのフアランポーン駅にも似たドーム式の屋根がかかるキングスクロス駅では日本人観光客を含めて、カメラを持った観光客がたくさんいた。
私はまだ見たことがないのだけれど、ハリーポターという映画で、このキングスクロス駅が出てくるのだそうだ。
私の長男も20年以上前、小学校低学年の時にハリーポターの真似を従っていた気がする。
主人公は少年のはずだから、今ではもうイイおじさんになっているのではないだろうか。
[クラシカルな駅だけど洒落てて古臭さは感じない]
このキングスクロス駅のすぐ真横にやたら壮大な建物があった。
なにかのお役所関係の建物だろうかと思ったのだけれど、これも駅だそうで、セントパンクラス駅。
駅の建物としては、キングスクロスの何倍も豪壮な建造物。
この駅からはユーロトンネルを通るヨーロッパ行きの国際列車も発着しているらしい。
[この駅が作られた時は、鉄道がもっとも繁栄していたのだろう]
ロンドンには、このような大きなターミナル駅がいくつもあるけれど、それらのターミナル駅を結ぶ山手線のような電車はない。
それぞれが放射線状に勝手にロンドンから各地へ伸びているだけのようだ。
イギリスの鉄道は200年からの歴史があるから、合理性とかではかえって遅れてしまっているのかもしれない。
さて、ロンドンをキングスクロスから歩き始めて、めぼしい観光地を眺めながら2時間くらいかけてハイドパークあたりまで行くことにする。
ガラガラとキャリーバッグを引っ張り、片手でスマホのマップを確認しながら歩く。
最初に向かったのはラッセル・スクエア。
この公園に用があるのではなく、30年前に母をロンドンへ連れてきたときに泊った宿がラッセル・スクエア前にあったラッセルホテルというホテルだった。
[1991年に撮影した8ミリビデオはもう色も褪せてしまっている]
マップで見ると今はキンプトンという名前に変わっている。
このホテルはものすごく重厚感のあるホテルだった記憶がある。
そこをもう一度眺めて、母を忍んでみたいと思った。
[ホテルの名前は変わったけれど、いまも重厚感のある存在]
再訪してみて感じたのは、現在こうしてホステルや安宿ばかりを泊まり歩いているけれど、30年前の自分は随分と身分不相応なところに泊まっていたものだ。
前回のパリでも同じことを感じていた。
ラッセルの次は大英博物館へ向かう。
ここも内部見学するつもりはないけど、ただ正面から建物を眺めてみたいと思った。
博物館へ近づくと人混みが多くなってきて、キャリーバックを引きずるのが申し訳なく感じてきた。
博物館の建物そのものは先ほどのラッセルホテルやセントパンクラス駅などのようなコテコテで重量級の建造物と比べるとコリント風の柱が正面に並び、随分とすっきりした建物に思えてしまう。
[またいつか来ることがあれば、じっくり時間をかけて見学してみたい]
人混みは大英博物館を過ぎても続き、ミュージカルや劇場の看板に中華料理屋が目立つ通りをまっすぐ進みピカデリーサーカスに入った。
別に何があるというわけでもないけれど、観光客風の人たちであふれている。
[ここに集まっている人たちの目的はなんだろう? 私と同じに有名な場所だから来ただけなのかな]
ちょっと遠回りになるけど、ピカデリーからトラファルガー広場へ向かう。
トラファルガーではライオンの像だけ見たいと思っていた。
ネコ科の動物が好きだということもある。
黒光りするライオンは口を半開きにして伏せをしている。
塔の周りにオスばかり4頭のライオンを確認してからビッグベン方向へ下っていく。
[日本橋三越百貨店のライオンはこのライオンを真似たというのは本当だろうか]
旗を持ったガイドに引率されたツアー客も目にする。
オープントップの観光2階建てバスも次々に走ってくる。
ロンドンの赤い2階建てバスはどれも昔と比べるとスマートになっている。
以前の2階建てバスは旧型で、ボンネット型でそのボンネットのエンジン脇に半室の運転席が飛び出しているようなバスばかりだった。
それを見て、ロンドンの2階建てバスは当時イギリス植民地だった香港のバスよりも旧式だなと感じていた。
ところが、そんな昔の旧型2階建てバスが通りを走っているのを目にした。
これは観光用の復刻バスなのか、それとも一般の営業車なのか判然としないが、ずいぶんと懐かしいものを見た。
[そういえば、東インド、カルカッタの二階建てバスはもっと旧式だった記憶がある]
ビッグベンとウエストミンスターまで来た時には、カバンの中に入れて連れ歩いているハロウィンの黒猫の片方のメガ取れかかっていて、なんだかしょんぼりしている表情になってしまった。
時刻は5時30分。
順調に歩いてくることができた。
[なんとなくしょんぼりした表情]
公園の中の道を歩いてバッキンガム宮殿の前を通り過ぎる。
衛兵の交代式を見たいような気もしたが、立ち止まらずにそのままどんどん先に進むことにする。
だいたい、正面の門から衛兵の立っているボックスまでの距離がありすぎて、衛兵はおもちゃの兵隊よりもずっと小さくしか見えない。
それでも、たくさんの観光客たちが門の柵に張り付いていた。
[バッキンガム宮殿もたくさんの観光客が取り囲んでいた]
ちょうど6時、予定通りにハイドパーク角まで到達。
ここからは地下鉄に乗ってヒースロー空港へ向かうだけ。
時間的に退勤のラッシュ時間と重なっているのではないかと気にしていたけれど、地下鉄はほぼ満員ではあったけれどギュウギュウ詰めと言うようなことはなかった。
それに空港が近づくにつれて降りる人ばかりで、車内はだいぶ空いてきた。
[もうあとは空港へ地下鉄で向かうだけ]
空席が目立ってきたので、そろそろパスポートとかの準備をしようかとカバンを膝の上に置いてみたら、カバンのチャックが開いている。
なにか出し入れしたときに閉め忘れていたのかもしれないなと思ったのだが、カバンの中の内ポケットのチャックも開いている。
これは変だと内ポケットをまさぐったが、あるべきはずの財布がない。
パスポートは別のポケットでこちらはちゃんとあるし、クレジットカードやイギリスの小銭類はズボンのポケットで、これらもちゃんとある。
でも、ポンドの高額紙幣やタイバーツだけでなく日本円、ユーロ、米ドル、台湾ドルや台湾の交通系カードなど、大きなお金はごっそりとなくなっている。
どうやらスリにあったようだ。
観光客などの人ごみの中をキャリーバック引きながら、スマホを手に持ち歩いていたので、目を付けられたのだろう。
おまけに財布類が入った肩掛けかばんは絶えず腰の方へ回っていて、目が行き届かなかった。
私の未熟さを露呈してしまった結果だ。
すこし言い訳をすれば、スリよりもひったくりを警戒していた。
キャリーバッグを持っているので、ひったくられても走って追いかけられない。
だからカバンをたすき掛けにしていたのだけど、まったく意味がなかった。
悔しいけど、あきらめるしかない。
警察に届けるにも時間切れ。
まぁ、パスポートがやられなかっただけ運が良かったと考えることにする。
本当は帰りの便で台北での乗継時間が4時間以上あるので、地下鉄で街のスーパーへ行って冷凍の餃子でも仕入れて帰ろうと考えていたけれど、台湾ドルも交通系カードも失ってしまったし、所持金はもう数ポンドしかない。
これではどこにも行けないので、台湾での買い物はあきらめざる負えない。
チェックインは簡単に済み、手荷物検査だけで出国検査らしいものもなかった。
お金はもうないけれど、ラウンジで無料の食事をすることはできる。
ヒースローに中華航空のラウンジはないが、指定されたラウンジはキャセイ航空のラウンジだった。
ラウンジは広くて豪華そうに見えるのだけれど、飲食物のバラエティーには欠けている気がした。
香港の飛行機なんだから、もっと本場の広東料理とかのバイキングを期待していたけれど、香港らしさはセットの飲茶と雲吞麺だけ。
飲茶も海老蒸餃子、翡翠餃子とシュウマイの三点セット。
雲吞麺のヌードルは、ちょっと茹で過ぎで柔らかかった。
このラウンジでイギリス滞在の最後に、初ギネスを飲むことができた。
これまでも何度も飲む機会があったけれど、ギネスは他のビールよりほんの少し高かったので、選ばずにいたけれど、ここでは金額のことを考える必要なくギネスを注文で来た。
以前飲んだ時はもっと苦みがあったような気がするのだけれど、記憶違いだったようで、とてもスムースな飲み口であった。
[小瓶なので一気に飲み干し、もう一本もらった]
このラウンジのスタッフはほぼ全員がインド系の顔立ちをしている。
なんだかエアインディアのラウンジに迷い込んでしまったような違和感を感じる。
しかし、遠い記憶を手繰り寄せてみると、香港でも高級中華レストランの入り口にはインド人のドアボーイが立っていねことが多かった。
バンコクでも今はもうなくなってしまったかもしれないが、サイアムスクエアの中華料理屋でも恰幅のいいインド人が立っていた。
そんなインド系のバーテンからピンク色のシャンパンを注いでもらう。
ピンクのシャンパンなど久しぶりと大いに期待して口に含んだのだけれど、瓶の栓は開封して時間がたっていたのか、炭酸ガスがだいぶ抜けてしまっていて、弾けるようなキレがあまりなかった。
[ロンドンの街歩きなどせず、さっさとこのラウンジへ直行すべきだったかも]
登場時刻が近づいてきたので、まだまだラウンジで飲みたいものもあったけれど、ゲートまで遠いので、腰を上げてゲートに向かって歩き出す。
搭乗ゲートにたどり着いてもまだ搭乗は始まっておらず、待合室は座るところがないくらいの混雑。
日本の大学生風グループも同じ便に乗るらしく、やたらとはしゃいで大声をあげている。
待合室は混雑しているけど、ほとんどの人は静かにしている。
そんな中でふざけて騒いでいる学生たちは目立ってしまう。
いまの日本人は自分たちは他の国の人よりマナーが良いと勝手に自惚れていたりするように散見するけど、この彼らを見ていると40年前の農協観光ご一行様の海外ツアーの再来をイメージしてしまう。
[搭乗待合室では日本語が響いていた]
機内はやはり満席。
私の隣にもまた若い女性が座った。
彼女は友人たち数人との旅行のようだけれど、みんなバラバラの席になっているようだ。
前のシートに付いているスクリーンで友人たちと盛んにチャットをしている。
帰りの便も日本人が2割くらい乗っているようだ。
私の席から通路を挟んだ隣りの三人掛け座席列の真ん中に座っているのも日本人男性だった。
彼は飛行機がゲートを離れ滑走路へ向かって動き出してから、突然隣りの通路側に座っている女性を跨いで通路へ立ち上がった。
私から「走行中は席についてないといけませんよ」と注意したが、彼にジロリに睨みつけられて、さっさとトイレへ向かっていった。
ここでもなんかルール違反で恥ずかしい思いをしてしまった。
帰りの飛行機は夜11時に飛び立って、翌日の夕方6時過ぎに台北へ到着したが、機内食は2回。
飛び立ってすぐの夕食と、到着前の朝食。
しかし、機内食の朝食を食べたらもう夕方と言うのも変な感じ。
この日、8月15日の日中はどこへ消えてしまったんだろう。
飛行機の窓はずっとブラインドが閉じたままで、そろそろ着陸と言う時になってブラインドが開いたら、夕焼けの光が機内に入ってきた。
バンコクには8月16日、つまりロンドンを出て3日目の深夜2時に到着。
入国審査もスムースに済み、荷物は"First Priority"の赤い札まで付けてもらっているので、さっさと受け取って帰宅できると思っていたのだけれど、いつまでたっても私のキャリーバッグは出てこない。
とうとう最後まで出てこなかった。
前回に続いて二度目のロストバゲージ。
一体どうなっているんだという気持ちになる。
手続きを終えたら、もう3時過ぎになってしまった。
[台北からバンコクへの機内食は特注のフルーツプレート、台湾も果物が豊富なのにリンゴとカンタロープとグアバとパイナップルばかり]