前回の日記が10月の初めの部分で、それ以降ずっと更新していなかった。
怠慢もあるけど、日記を書いている余裕もなかった。
仕事も忙しかったし、仕事以外でもバタバタしていた。
前回書いたのが日本への一時帰国のことだったけれど、その後10月末から11月にかけてと、12月にも一時帰国をしており、一時帰国のことを日記に書くとしても、毎回同じようなことを書き連ねるマンネリの反復になるのは火を見るより明らか。
日本へ2往復しただけでなく、タイ国内も飛び回っていた。
広いタイ国内を「飛び回った」と言っても飛行機で移動していたわけではなく、車を運転したり夜行バスに揺られたりの、地上を這いまわっていたわけで、本当に疲れてヘトヘトになるような2か月間を過ごしていた。
そんなヘトヘトの日常の中から、私の衰えた記憶力ではもう思い出せなくなってしまった部分をスマホに残る写真から抜粋してみようと思う。
10月07日
バンコクからピサヌロークへ行く途中、チャイナート県とウタイタニ県に立ち寄る。
立ち寄った目的は、月内に予定しているオンライン・ツアーのリハーサルのため。
コロナ禍で日本からのツアーが止まってしまい、この穴埋めと言うか、旅行の延命みたいな形でオンラインツアーを担当してきたけれど、コロナが終わってもまだオンラインツアーは続いており、私もタイの宣伝みたいな感じで引き受けている。
10月はオンライン番組を2本担当しており、初めての中継場所のため下見を兼ねて訪れたのがチャイナート県のソムオー(ポメロ)農家とウタイタニ県のワットタースン。
[巨大なソムオー]
この巨大な柑橘がソムオーで、最近は日本にも輸出されてポメロと呼ばれているらしい。
ここの農家で栽培されている品種期はカーウテンクワーという種類で、日本語に訳すと"白いキュウリ"。
なんだか変な名前だし、なんでキュウリなのかわからない。
味は酸味がないのだけれど、全体的に味が薄い。
私の好みは酸っぱくても濃い方が好き。
[100メートル礼拝堂]
ソムオー農家から続けて訪れたのがウタイタニ―県のワットタースン。
ここは"ガラスのお寺"などとも在タイの日本人に呼ばれているお寺で、礼拝堂内部はガラスと言うより鏡のお部屋。
そしてクリスタルだらけの空間が広がっている。
そんな煌びやかな礼拝堂だけど、巨大で建物の長さは100メートルもあるそうで、タイ語での名前も100メートル礼拝堂を意味する"ウィハーンローイメート"。
バンコクから日帰りのツアーを募集している旅行会社もあるようだ。
[黄金仏]
このお寺は先代国王であるラマ9世とも因縁の深い寺院らしく、黄金の仏像の前にはラマ9世が出家して僧籍にあった時の像が置かれている。
こちらもキンキラ金の像になっている。
また、黄金仏の反対側には先代の住職の像があり、さらにそのミイラも安置されている。
タイではミイラを礼拝堂に安置しているところが多いけれど、こんな暑い土地でどのような腐敗対策をしているのだろうか。
10月09日はカオコーへツアーで行っている。
[ワットパーソーンゲーオの五連仏]
そろそろ雨期明けも近いけれど、まだ雲も厚い。
この雨雲も、見た感じそんなに悪くない。
でも雨期は雨が降ることが多く、ワットパーソーンゲーオ境内は靴を脱がなくてはならず、うっかり靴下をはいたままで歩くと水溜まりで靴下を濡らしてしまう。
もっとも私の靴は底に穴が空いているので、靴を履いていても靴下は濡れる。
[ピノラテカフェ]
ワットパーソーンゲーオの次はツアールートお定まりのピノラテカフェ。
ここの食べ物飲物の値段が私の懐感情から見ると破廉恥に高い。
それでもいつも満員の盛況。
何も食べなくても写真だけ撮りにやってくる人たちも少なからずいるようだ。
そんなピノラテには看板ネコがいる。
[チャータイ]
このネコの名前はチャータイ。
Thai Milk Teaの意味で、タイのミルクティーはオレンジ色をしている。
ここはカフェということもあり、カフェのメニューでネコの名前を付けているようだ。
ラテというネコは薄い茶色のネコ。
カメリカーノは黒猫だったけれど、車にはねられ半身不随となり、手厚い介護を受けていたけれど先年死んでしまった。
そして、このチャータイ。
まだ若い雄ネコ。
10月19日にはピサヌロークからチェンマイへ向かう。
途中、11月のツアーで利用する予定の食堂を下見する予定にしていた。
[キノコ村の食堂]
しかるに、スタッフがアポイントを取っておいたという食堂へ来たらば門が閉まっており、「本日休業」の札が出ている。
食堂のオーナーへ電話を入れてみたが、「アポイントなんて知らない」という。
本当にスタッフがアポをとっていたかどうかも怪しいので、スタッフへ「どうなっているのか」と確認させた。
その答えが、「今日は病院へ行くから店を閉めた、それにもともと小さな店で団体客はお断り」と言われたという。
まったくもって、どうなっているんだか。
それでもツアーでの昼食場所を探さなくてはならないので、あれこれ調べて10キロほど先に適当な店を見つけて、そのままそこを予約してしまう。
10月20日、チェンマイへは1泊して翌日にはランパーン経由でチェンラーイへ向かう。
バスの便でもランパーン経由でチェンマイとチェンラーイを結ぶ路線があるが(今はないかもしれないが、かつてはあった)、これが物凄い遠回り。
倍以上の距離となってしまう。
しかし、ランパーンで下見をしておかなくてはならない場所がいくつかあった。
その中のひとつがランパーン・タイ象保護センター
[ゾウ乗り料金表]
ここはタイの国が運営している施設で、ゾウのショーやゾウ乗りなど観光客目当てのアトラクションがある。
しかし、入場料もそうだけど、ゾウ乗りでも外国人料金が設定されている。
タイ人ならゾウ乗り200バーツなのに、外国人は400バーツと倍額。
タイではよくあることで、タイ人料金は外国人にはわからないようにタイ語で、ご丁寧に数字までタイ数字で掲載している。
タイの外国人料金、国立公園とか歴史公園とかは数倍の差が設定されているから、倍額なんて可愛いものかもしれないが、この手の外国人料金と言うのはタイ政府が率先して導入しているようだ。
[ゾウのショー]
かつてはここでの象のショーは毎日3回くらい上演されていたけれど、現在はお客が少なくなって1日1回だけ。
この日の上演では外国人の姿は皆無だった。
ショーの内容も数百バーツ払って見るほどの内容ではなく、とても間延びした30分だった。
最近は動物保護団体からの圧力もあり、ショーの演目も限られているからなんだろうけど、演目が減っても値下げはしないようだ。
[ランパーンでカオソーイ]
クンターン峠を越えたところにカラという名前の洒落たカオソーイ屋がある。
ここもツアーで使おうとアポを入れてあった。
こちらはアポはちゃんと伝わっていたが、店が人手不足のためか急がし過ぎて、アポイントは入っていても対応できないから勝手に見てくれよってことになった。
そして、しっかり試食もしてみた。
盛り付けや味の方は問題なし。
ただし、人手不足で注文から配膳までに時間がかかりすぎる。
とくに店でお勧めとなっているカフェ系のドリンクは一杯一杯にすごく時間がかかっている。
改善の余地たくさんだけど、ツアーでは事前にオーターして準備してもらっておくより仕方ない。
麺類だから、あんまり早く用意されて麺が伸びきったり、スープが覚めてしまう心配もある。
この食堂、勝手に見て回ったら、ここでも二重価格を発見。
メニューが2種類あり、観光客向けの写真入りメニューは、地元の人向けのメニュー価格より5割くらい高い設定になっている。
これは別に外国人料金と言うわけではなく、いかにもチェンマイからの帰り道に立ち寄った感じのタイ人観光客にも観光客用メニューが配られていた。
私が試食したカオソーイも119バーツの請求だった。
ちなみに地元の人向け価格は79バーツ。
10月21日はゴールデントライアングルでコムローイのイベント。
会社で毎年実施してきているイベントだけど、まずまず好評で、今年は3月に続いての2回目の催行。
毎度だいたいおんなじ手順なので慣れたものです。
[ゴールデントライアングルの夜空へ飛んでいくコムローイ]
10月29日、オンラインツアーの本番。
しかも、ダブルヘッダーまで組まれている。
最初はガラス寺の異名を持つワットタースン。
寺院の礼拝堂内からの中継で、「神聖な場所だから静粛に」とつまみ出されるのではないかと心配もしたけれど、私以外のタイ人たちもみんなキャーキャー言いながら礼拝堂内で写真を撮り合っており、私の中継など問題にもされなかったようだ。
そしてそのまま同じくワットタースンにあるゴールデンキャッスルと呼ばれる建物へ向かった。
[ゴールデンキャッスル]
このゴールデンキャッスル、バンコクのロハプラサートによく似ている。
とくに以前のロハプラサートは真っ黒で、アイアン・キャッスルなどと呼ばれていたけれど、何年か前に金色に塗り替えられたので、ますますよく似ている。
このゴールデンキャッスルの2階へ登れるようになっているのだけれど、今回初めて足を踏み入れてみた。
内部はとても豪華な展示ホールだったけれど、その裏側がまた鏡の部屋になっており、そこへ黄金の仏像が並んでいるものだから、向かい合った鏡に映った黄金仏が、何重にも重なりとても神秘的な景観になっていた。
[タイ人と言うのは、こんなことをよくも考え付くものだ]
10月31日
忙しい合間に5日ほど休みをとって日本へ一時帰国。
飛行機の乗り継ぎの関係で、台北にストップオーバー。
時間があったのでバスに乗って桃園の駅前まで行ってみる。
[オレンジ色の自転車はレンタサイクル]
桃園の街まで行ったものの、何も食べず、ただ街の雑踏を少し歩いただけ。
台湾の田舎町もどんどんと変わっている。
[ラウンジでいただく朝食]
台北で乗り継ぐ便は翌朝なので、空港内で夜明かしし、朝になってラウンジで朝食をいただく。
エメラルドメンバーになってからラウンジでの対応も変わって、いままでの朝食が芋粥だったのに対して、ここでは海鮮粥にアップグレードされている。
しかもバイキングのセルフサービスではなく、テーブルまでお膳で運んできてくれる。
11月04日
日本での滞在は実質中2日間だけだったけれど、ラビットスクーターの調子も良く、天気にもまずまず恵まれていた。
そして、帰りの飛行機の窓からは富士山も眺めることができた。
[頂上付近に少し雪をかぶっているのが見える]
11月11日にもカオコーへ行く。
これは仕事ではなく、コロナ中に退職して日本へ帰ってしまった同僚が、タイへ遊びに来てワットパーソーンゲーオへ行ってみたいとのことだったので、同行する。
その元同僚から、タイでも15年働いていたら年金もらえるよとの情報をもらう。
いまの職場での勤務は12年だけど、前の職場で3年は働いたので、合計すれば15年になりそう。
月々の年金額は微々たるものだけれど、1年分まとまれば日本からタイまでの航空券代くらいにはなりそう。
さっそく私が何年間年金をかけてきたのか調べてみることにする。
[ピノラテカフェではまたチャータイに出会う]
11月16日
またまたバンコクから車を運転してピサヌロークへやってきた。
そのピサヌロークで京都市カフェなるものを発見。
日本の街角をイメージした小さなテーマパーク風のカフェで、一昨年くらいにチェンライにオープンして盛況だという話は聞いていた。
それが繁盛して、現在ではタイ全土で10店舗くらい展開するほどになっているそうだ。
もっとも、バンコクにはまだ店がなく、地方都市ばかり。
[京都市カフェのラーメン屋]
このピサヌロークの京都市カフェ、ラーメン店もやっている。
この建物がラーメン店なのだけれど、ラーメンはこの建物ではなく、カフェの方で食べてもらう仕組みらしく、ここでは調理だけが行われていた。
ただ、その調理の段取りが悪くて、茹であがった麺をドンブリに入れてから、トッピングまで終わらせて配膳係に送るまで5分近くかかっている。
麺も伸びきって、スープも冷めてしまいそうだけれど、タイのラーメンしか知らない田舎の人には、伸びたラーメンやぬるいスープはクレームの対象にならないのだろう。
[クリスマスと雪も演出]
11月18日、スコータイのロイクラトンフェスティバルの初日。
ツアーの方も大入り満員。
しかし、イベントのスタッフもウチのスタッフの動きが悪くて、イライラすることが多くて、精神的にきつかった。
フェスティバルで上演されたショーは久々の有料でのショーとなった。
コロナ中は自粛されたり、急遽開催が決まって無料ショーにしたりといろいろあったけれど、これでまた今まで通りの運営になるかと期待した。
そのショーだけれど、大筋では以前とおんなじ展開なんだけれど、なんか見ていて間延びしている感じがする。
私が何度も見てきているから、ちょっと飽きていることもあるのだろうけど、以前のショーのシーンを思い返してみると、3割近くシーンが削られているように思える。
[ゾウの戦闘シーンももっと派手にアクションが続いたはずなんだけど]
[クライマックスとも言える場面でも、花火が小さく数も少なく感じた]
シーンを削ったからか、場面展開が遅いので、それだけ間延びした感じを受けたんだと思う。
ショーのチケット代は以前とおんなじ1,200バーツ。
この数年間の物価上昇でも値上げしなかったから、コンテンツを減量したのかもしれない。
[ショーの終わりにはコムローイ体験も]
ショーのあとにはコムローイをあげられることができる日もあった。
今回は11月18日から26日までの間に4回もショーを見る機会があったけれど、コムローイを上げることができてたのはそのうちの2回だけだった。
どういう基準で上げさせたることを決めていたのだろう。
それと、コムローイは1つ200バーツ徴収していた。
以前は無料だったように記憶している。
[ショーのなかでは毎回夜空にコムローイが放たれていた]
11月27日、この日はチェンマイのイーペン祭でコムローイ。
[イーペンのコムローイ]
チェンマイでは数千人が集まってコムローイをあげるから迫力がある。
でもこのイベントの参加料金はとても高いので、外国人しかいない。
私がツアーで行った会場はイベント参加者の大半が日本人だった。
コムローイは良かったけれど、イベントの運営はイマイチだったようで、事前に懸念して主催者に伝えておいたことが、一つも反映されていなかった。
11月28日チェンマイからの帰り道、ランパーンの陶器博物館へ立ち寄る。
外国人は100バーツの入場料がかかるけれど、それなりに面白い博物館で、タイ語ながら案内も付く。
ランパーンはニワトリが描かれた陶器で有名だけれど、このニワトリの絵柄、ランパーンがオリジナルではなく、もともとは100年ほど前に中国から移民してきた華僑が持ち込んだものであることを学んだ。
[巨大なドンブリを前にアホなポーズ]
11月30日、ピサヌロークのラチャパット大学で講義を依頼されており、大学へ向かう途中、お堀沿いを走っていたらピンク色の睡蓮がとても綺麗に咲いていた。
これだけ綺麗なら観光名所になっても良さそうな気がする。
12月03日、やっとバンコクのアパートへ戻る。
この1か月近く、ほとんど夜もろくろく横になって寝ることもできないような毎日で、体力を使い果たしてしまっていた。
でも、もうこれでほとんどお終い。
部屋の中にクリスマスツリーを今年も飾る。
[ツリーの電飾、半分は点灯せず、残り半分は点滅せず]
12月06日からまた日本へ一時帰国。
今回は日本からタイへ戻る途中で台湾に1週間ほど旅行した。
そのことはまた別に書くとして、
バンコクから台北への飛行機の時刻が大幅に変わって、朝8時過ぎの便が、午前3時過ぎになってしまった。
そのぶん早く成田に着くのは良いけど、時間がけたたましい。
前夜最終のエアポートリンクで空港へ向かおうとアパートからラムカムヘーン駅まで30分かけて歩いていったものの、駅では終電を待たずにエレベーターが止まっており、重たい荷物を担いで登ろうかと迷っているうちに終電に乗り遅れてしまった。
せっかく歩いてきたのに、タクシーで空港へ行かなくてはならなくなった。
[夕焼け空と一緒に富士山が機装から見えた]
5時間も早くバンコクを出発したけれど、成田に到着したのは日没後になっていた。
そして、東京での数日は晩秋を感じさせる天気が続いていた。
[小平霊園脇のイチョウはたくさんの黄色い葉を散らしていた]