2020,03,15, Sunday
「ネコと暮らせば」-下町獣医の育猫手帳
野澤延行 集英社新書2004年 [この本の著者は獣医さんです] 本は何度も繰り返して読むようにしている。 新しい本を次々に買わないので、本にかけるコストを節約できる。 それと、もともと読解力のある方ではないので、一度読んだだけではよく理解できないことが多い。 また、初めて読んだ時と、二回目、三回目で読んだ時では、読むたびに本から得られるものや、心に残るものが違う。 この「ネコと暮らせば」という本を初めて読んだのはもう何年も前のことで、一度読んだ切り本棚へ置いたままにしていた。 このようなことは珍しいのだけれど、初めて読んだ時に感じたのが、「なんとなく人間中心で、ネコに冷たい」という印象があり、そのためなかなかまた読もうという気にならずにいた。 しかし、今回、ネコを失い、そのネコの死因に関して、気になったりするものだから、この本の後ろにネコの病気に関する解説が書かれていたことを思い出して手に取ってみた。 第八章・・・猫の家庭医学 この章で最初に紹介されているのが、感染症に関することで、しかもネコが媒介して、ヒトに感染する病気について書かれていた。 読んでいて、気分が良くない。 動物由来感染症と言うらしいのだけれど、まるでネコを悪者に仕立てているように感じてしまう。 そう、初めて読んだ時も、この本から嫌な印象が伝わってきていたことを思い出して、そのままページを閉じようかとも思ったけれども、まだ先にネコの病気に関して、ちゃんと書かれている部分もあるだろうと思いなおして読み進めた。 このネコから感染する病気の説明以降は、ネコの病気と治療に関して書かれていた。 治療によって治せる病気もあるけれど、死亡率の高い病気がたくさんある。 そしてネコの病気に関して、まだまだ治療法のわからないものも多いようだ。 ヒトの医学なら、さまざまな専門分野があり、そして専門医がいるけれど、獣医は小鳥から犬、ネコまで取り扱う範囲が広すぎる。 研究費だってヒトとは比べものにならないだろう。 さらに私のネコもそうだったけれど、獣医さんのところで治療を受けることを嫌がり、治療を拒否するネコも多いはず。 ネコは症状を訴えることもできないので、ネコの病気を治療するというのは大変困難なことらしい。 そんな症状を訴えることができないネコに代わって、飼い主はしっかりとネコの様子を観察して、なにか異常がないかを見極めてやらなければならない。 私には、それがしっかりできていなかったと反省する。 しかし、ネコといつも一緒に過ごしているから、異常に気が付かないということもあるのだろう。 でも、私の場合は、異常に気が付いていた。 明らかにネコは体調が悪く、重い病気であることを認識していながら、ネコを残して二日も留守にしてしまった。 ノミに関しても、寄生虫として説明がされていました。 そのノミの説明の中で井原西鶴の「猫のノミ取り屋」の話が書かれていました。 これは江戸時代中期に町でネコのノミ取りをする商売の話ですが、この本の中で「猫のノミ取り屋」のことが書かれていたことなど忘れてしまってました。 二年前に飛行機の中で「のみとり侍」という映画を見ているのですが、それがこの「猫のノミ取り屋」のことで、その映画を見たときも、この本に書かれていたことを思い出すことがなかったから、私は最初にこの本を読んだ時に、いかにちゃんと読んでいなかったかがわかりました。 映画のことは、2018年12月のブログの中にも書いているのですが、、、 この章を読み終えても、ネコの死因が何だったのかはわからなかった。 ヒトにたくさんの病気があるように、当然ネコにだってたくさんの病気があるわけで、この本の中では代表的な病気をいくつか紹介しているに過ぎない。 しかし、医学書として書かれているわけではなく、町の獣医として、接してきたネコたちのエピソードを添えながら説明されている。 もし、この本を他の本と同じように、なんども繰り返して読んでいたならば、ネコを死なせずにすんだのではないかと思えてくる。 この最後の章を読んでから、あらためて最初からページをめくり始めた。 この著者である獣医さんは、東京の下町、谷中墓地の近くで開業されていて、動物の診断だけではなく、地域の野良猫に関してもかかわっている。 谷中周辺には、地域ネコとも言われる野良がたくさんいるらしい。 そうした野良にエサを与える人、野良猫で苦情を訴える人がいる。 最初に読んだ時に、違和感を感じたのは、この野良猫とのことだったような気がする。 「猫害」「迷惑行為」と言った単語に反応して本全体のイメージを固めてしまっていたらしい。 私は野良猫にエサを与えてしまう側に立っているけれど、その野良猫によって迷惑を感じている人はいるわけで、ネコをめぐって対立が発生してしまっているのは事実である。 対立している人間同士がコミュニケーションをしっかりとって、対立を解消すべきと提言してますが、現実的には行政を含めて、なかなか改善されていないようです。 法律でも動物愛護法を改定し、虐待防止や飼い主の責任明確化が図られていますが、基本的に保護の対象となるのはペットとして飼われている動物たちであり、野良猫については生態系に被害を及ぼす害獣扱いされていることを著者は指摘しています。 野良猫によって生態系に被害を与えているのは事実でしょうけれども、野良猫を発生させている原因が人間にあるのだから、捨て猫を防止する対策として、ネコと暮らしやすくする環境づくりも必要でしょうし、野良猫の繁殖を抑えるための去勢なども徹底していけば、野良猫は確実に減少するはずでしょう。 野良猫が悪いのではなく、課題はやはり人間側にあるということを著者は指摘していました。 しかし、現在の日本の環境に於いて、ネコにも「室内飼い」に協力てしもらわざるを得ないとも言っています。 本来、ネコは半野生で、ネコにとっては室内飼いなどはうれしくないはずですが、この社会で人間と共生していくためには、ネコにも我慢してもらわなくてはならないことのようです。 そして、飼い主はネコが室内と言う環境の中でも、極力ネコが快適に生活できるような配慮をしてあげることが大切で、 ネコの幸せのためには「苦労は、飼うことにした人間がいくらでもすればいい」と断言しています。 ネコにとって、狭い室内に閉じ込められて暮らすのは不本意だろうし、屋外で本能のままに走り回りたいだろうけれど、屋外にあるのは、本来の自然ではなく、人間が作り上げた環境で、交通事故の危険もあるし、感染症の確立も高くなっていて、そうした意味では、室内飼いが決して、ネコにとってふさわしくない環境とは言えないことが理解できた。 本の中では、ネコの生態についても書かれていて、ネコによって心がなごんだり、癒されたりするとも具体例を挙げながら書かれています。 私のネコはバンコクにいるとき、よく屋上で小鳥を捕まえたり、ヤモリを捕まえたりして、ベッドで寝ている私の枕元に持って来ていました。 私はそれをネコが私に自慢したくて持ってくるのだろうと思っていましたが、この本を読んだところ、その行為は「猫は自分が飼い主の世話をしていると認識している」からだそうで、親猫が子猫に狩りの仕方を教えたり、子猫に獲物を持って来てあげようとしての行為らしいのです。 そういえば、思い当たるふしはいくつかあります。 例えば、私が体調を崩して、臥せっていると、ネコは盛んに私の体をなめてくれました。 ネコは私のことを病気の子猫のように介護してくれていたのでしょう。 また、暑い中車でバンコクとピサヌロークの間を走っていると、ネコも暑くて熱中症になるのか、舌を出してハアハアと喘ぎだすことがよくありました。 そして、しばらく喘いだ後、ネコはハンドルを握る私の腕を盛んになめ始めるのです。 私は、その行為の理由がよくわからなかったのですが、それはきっと私も暑いだろうから、親猫が子猫をなめて、身体を冷やしてやろうとする行為だったと今頃になってわかりました。 あの時、私は車を止めて、暑さに喘いでいるネコを濡れタオルで拭いてあげるくらいの気配りが必要だったのにと悲しくなってしまいました。 [熱中症になりかかりバテバテのネコ] 「猫は、歳をとるほど飼い主との意思疎通がスムースになる」と書かれています。 確かに、ここ何年かネコが何を訴えたいのかよくわかるようになって、心が通じてきたように感じてました。 それはネコ一般に言えることらしく、それが高齢猫の魅力にもなっているとのことです。 その高齢と言うのは、十二歳プラスマイナス二歳ということなので、うちのネコも高齢の部類に足を突っ込んでいたかもしれません。 高齢となって気になるのは、死ということもあるけれども、その前にネコの介護ということも気になっていた。 病気もあれば、ネコにも痴呆があり、どうやって介護をしていくべきか悩んだりもした。 しかし、私の場合、ネコを介護するということなく、ネコを死なせてしまった。 この本の中でも「ペットとの別れ」として、ペットロスについて書いている。 そして、紹介されているのが臨床心理学士の「ペットを失う悲しみの大きさは、子と友と母という三人の重要な愛する対象を一度に失うのと同じかそれ以上」という言葉で、まさに今の私の心理と一致する。 この本、他の本と同じように、なんども読み返していれば、もっとネコの事を理解してやれたはずで、またまた遅きに失してしまいました。 野良猫問題や感染症問題など、ちゃんとよく読めば、問題はネコではなく、人間の問題であることがしっかり書かれていました。そんなことも見落としてしまってました。 人間の問題で、迷惑しているのはネコ。 だから人間が問題を解決しなくてはならない、どのように取り組むべきかと、ちゃんと書かれていました。 |