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バンコクで退職後の毎日
イサーンへのドライブ旅行を終えて、無事に定年退職を迎える。
1月になって、年休消化などを理由にあんまり出社していなかっし、出社しても引き継ぎ業務以外にあんまりやることもない。
退職と同時にタイでの滞在資格がなくなり、即日国外退去しないと不法滞在扱いされるのでバンコクのアパートにお母ちゃんを残したまま10日間ほど日本へ戻る。

2月1日、成田に到着。
この1週間のうちでやっておかなくてはならないことは日本の運転免許の取得。
タイで国際免許を取ってきているので、当座はなんとかなるとしても、いずれ日本の免許が必要になって来る。
で、日本の免許を取るにしても今さら教習所へ通う気などない。
20年前にタイの暮らしから日本へ戻った時も免許が失効したままだったけれど、あの時は適当にタイの免許書の翻訳して免許センターへ持ち込んだら、テストもなしで簡単に新しい免許を作ってくれた。
今回も同じように新しい免許を作ってもらおうと簡単に考えていたら、どうやらルールが変わりまた失効期間も長すぎるということで、やたらと面倒な手続きがいるらしい。
それを知ったのはその前の一時帰国時で、何が必要かを指示されていた。
・タイの免許書
・タイの免許書を発行したという当局の証明書
・JAFによるタイ免許書の翻訳文
・日本にいなかったという証明(過去から現在までのパスポート)
・住民票
・以前発行されていた日本の失効済免許書
タイの運転免許はバイクと車の2種類があり、タイ関連の書類は各二部が必要となり、タイの陸運局で免許発行証明を取りつけて準備しておいた。
JAFの翻訳文は息子に頼んで用意してもらっている。
住民票はずっと海外転出済みだったので、2月1日の日本帰国と同時に市役所へ飛んで行って転入手続きを取る。
そして迎えた2月2日、書類を整えて早朝の小金井運転免許試験場に並ぶ。
受け付けは先着順で、早く来てならばないと受付が締め切られると脅されていたので、開門前に凍えながら扉の前で待つ。
既に何人もの外国人が同じように震えながら受付開始を待っている。
そのおかげもあり、受け付けられて番号札を渡される。
待つこと3時間。
順番が呼ばれて審査に入る。
タイの免許、発行証明、翻訳、住民票、失効済み日本の免許書は問題ないが、「日本にいなかったという証明」でケチが付いた。
ルールとしては日本の免許失効後、一度も日本へ戻ってきていないことが前提で、もし戻っていたらその時に免許手続きをするのが本来だといわれる。
しかし、そうは言っても一時帰国では住民票もないし、不合理な話。
たぶん海外渡航が現在のように活発でないころのルールがいまだに生きているのかもしれない。
それでも、この18年間の大半をタイで暮らしてきていたことが確認できれば、免許を発行するからと、係官は3冊あるパスポートの出入国スタンプをひとつひとつ解析し始めた。
それから待つことさらに4時間。
そろそろ閉館時刻が近付いたところでまた呼び出し。
ずっとパスポートのスタンプと格闘してきたが、とてもじゃないが全部は調べきれないから入管へ行って出入国記録書を作ってきてほしいと言われる。
しかし、日本の入管では日本にいなかった記録は抽出できても、日本不在中どこに行っているかは掌握できないはずと反論したら、「うーん、じゃ以前の免許もあることだし」ということで、急いで収入印紙を貼って発行申請書を用意するように指示される。
そして、無事に目の検査や安全ビデオまで終えて、運転免許の交付を受けることができた。
初めて免許を取ったのは16歳で原付だったけれど、新しくもらった免許は「普通」「普自二」令和06年02月02日と記載され、裏面に「初心者標識免除」のスタンプが押されていた。

東京は梅の花の香りが漂っていた。
とくに小平霊園は梅が満開で青空に紅白の梅が良く映えている。
気温はまだまだ寒いけれど、春らしさを感じさせてくれる。

梅の花
[まだ寒い2月なのに咲いてくれる梅は偉いと思う]

今後の足として期待されているラビットスクーターもすでにエンジンなどはだいたい整備を終えて、あとは外装を残すのみ。
長いこと屋外に置いておいたので、あちこち錆が出ているので、ワイヤーブラシで錆を削り落とし、キズをパテで埋める作業をする。
本来なら、古い塗装を剥がして、錆止め塗料を塗ってからペイントすべきなのだけれど、とても素人の手におえる作業でないし、業者に頼んだら何十万とお金がかかる。
それに私としては乗れれば満足なので、最低限の補修で済ませてしまうことにしている。

補修作業中のラビット
[日も短く寒い中での作業はあんまりはかどらない]

2月5日、天気は雪。
それも大雪と言えるほどの雪で、あたり一面が真っ白となる。
そのためラビットスクーターの補修作業も中断して、部屋の中で布団被って震えている。
翌6日は、雪も止んだので、朝から道の雪かきをする。
近所のほとんどが高齢者所帯。
もともと足元が危うい人たちばかりで、とても雪かきなどできそうな人がいない。
それでまた雪で転んだらケガをしかねない人だらけなので、近所では60歳の私が若い方と自負して、スコップで雪をかく。そして、寒いけどたっぷりと汗もかく。
およそ2時間半ほどの作業で100メートルほどが長靴なしでも歩けるようにした。
こんな中でも宅配便のトラックはチェーンを巻いて走っていたし、訪問介護の車も来た。

雪
[大粒の雪、水分が多い重たい雪]

2月9日、バンコクへ。
成田を夕方に出る中華航空で台北乗り継ぎ、バンコクには日付が変わって午前2時過ぎに到着するというもの。
成田からの便はエコノミークラスが満席だったのかビジネスクラスにアップグレードされていた。
それは嬉しいのだけれど、ラウンジでもたくさん食べてきているので機内食を食べるのが少し苦痛に感じるほどだった。
夜明け前にアパートにたどり着いた時には当然お母ちゃんは良く寝ており、荷物もそのままで部屋の明かりもつけずに私もそのままベッドに横になった。

機内食
[食べきれない]

2月11日、今回が最後の機会になるだろうということで、東京から息子の優泰がやって来る。
夜の到着なので、お母ちゃんと二人して空港へ迎えに出る。
夜遅い便での到着で、空港からアパート近くのホテルへ直行。
二人はそのままホテルに一泊し、私は一人でアパートへ戻る。

このホテル何年か前まではソープランドだった建物で、それがホテルに改装されてKinn Bangkokという名のホテルになった。
私が住み始めたばかりの頃はラマ九世通り周辺には風俗店がたくさん並んでいた。
このラマ九世通り、南側のペッブリ―通りと西側のラチャダピセク通りはその手の巨大看板が乱立していたけれど、多くがすでに廃業している。
需要がなくなってきたのかもしれないし、従業員確保ができなくなっているのかもしれない。
さらにニュースでは警察の手入れも行われるようになってきたようだ。

2月12日、優泰にバンコクで何が食べたいのか聞いたら、以前時々家族で食事に行っていたベトナムレストランへいてみたいという。
日本人学校の裏側、ラムイントラハイウェイの脇に入ったところにそのベトナム料理屋はある。
東北タイ、ウドンタニに本店があるVTというチェーン店。
店内は小奇麗で、フランス風の置物とかあり、なんとなく成金趣味的な印象も受けるのだけれど、味は良い。
ネームムアンという料理を3人で食べる。
優泰は以前よくラオス風ステーキを喜んで食べていた記憶があるのだけれど、現在はメニューから消えている。

その後、ラチャダのショッピングセンターで買い物をする。
ばらまき土産用の菓子などを優泰は買っていた。
ラチャダは中国からの旅行者が集まるエリアになっているので、スーパーの店内にも中国人観光客向けの土産物コーナーが大きな場所をしめて作られていた。

夕食には中華街へ出向く。
ここのテキサスというタイスキ屋にも以前は頻繁に来ていた。
狭いけれど駐車場があるので家族で出かけるには便利だし、安くて旨かった。
店内にも子供向けの遊び場があるなど、優泰がほんの子供で、私たちがチェンマイに住んでいた時もバンコクへ出てくると良くここで食事をとっていた。
ヤワラートと呼ばれる中華街は大渋滞で、店まで行きつくのにかなりの時間がかかった。
お母ちゃんはここの讃岐うどん状にした魚の練り物(細長い蒲鉾かな)とエビ入りワンタンが大好きで、それぞれ一人で2皿くらい食べてしまう。
また、食後に残りのスープで作るおじやは、家族3人とも大好きなのだけれど、私も以前と比べて食が細くなり、おじやを作るころには満腹となってしまっていた。

2月13日、バンコクからキリチュアップキリカンへ向かう。
バンコクにいるとお金がかかる。
キリチュアップキリカンなら海があって、海はタダだ。
朝バンコクを車で出発するが、途中で2時間ほど優泰は仕事でリモート会議があるという。
その時間はキリチュアップキリカンへ向かう途中のペッチャブリにいたので、市内のアマゾン・カフェで優泰を降ろし、私とお母ちゃんは小山の上にあるお寺の駐車場で待機する。
ペッチャブリ市内には小山の上に西洋のお城のような宮殿やお寺など見どころが多いところだけれど、お母ちゃんは車から降りたくないというので、駐車場の木陰を選んで時間を過ごす。
この駐車場にはたくさんの野生猿が住み着いていた。
そして、イヌもたくさんうろついている。
犬猿の中と言うけれど、ここのサルとイヌも中が良くないらしい。
サルはイヌを挑発する、
怒ったイヌは吠えながらサルに向かっていく。
サルは木に登ってまた挑発する。
その繰り返しを車の中からずっと飽きもせずに眺めていた。

優泰の仕事も終わったようなのでピックアップして、ついでにペッチャブリ市内の市場でお菓子や果物を仕入れる。
にぎやかな市場だと思っていたら、まだ中国正月のお祭りをしているらしく中国の獅子舞が市場内を回って門付けをもらっていた。
銅鑼や爆竹の音が響いていて、春節の雰囲気を盛り上げている。
そのな市場の中を歩いていたら、タイで最近流行のストリートアートがある小径に出た。
棟続きの建物の壁に絵が描かれているのだけれど、モチーフにネコを使ったものが多く、とても可愛らしいし、ウイットにとんでいるものもあって気に入った。

ペッチャブリのストリートアート
[漫画チックだけでなく写実的な絵も多い]

昼食はホアヒンを迂回するバイパス近くで食べることになった。
優泰がネットで調べて良さそうだという店を探し出した。
バイパスからちょっと逸れたところにあったその食堂は、人気店なのかたくさんの車が来ている。
店の中も混雑している。
おおきな店だけれど、エアコンの効いた部屋などはない。
店員は暑いし忙しいからか、あんまり愛想が良くない。
メニューから何品か注文した。
フライドチキン、野菜炒め、豚ひき肉のガパオ炒めなど。
あんまり辛くしないでほしいとも注文を付けた。
しかし、出てきたガパオ炒めらしいものは、私が知っているガパオではなかった。
豚ひき肉と言ったはずだけれど、肉は内臓物のブツ切り、そして大量の唐辛子。
こりゃダメだ、注文が違うと抗議したが、「これが豚ひきのガパオだ」と店員は面倒くさそうに言う。
再度強硬に抗議して、こちらが考えているガパオの何たるかとを説いて、再注文する。
こちらも暑いしイライラしているので面白くない。
更におもろくないのは、こんなエアコンもない大衆食堂でこの値段かよと思うような請求を受けた。

キリチュアップキリカンへ入る手前のマンゴー市場で何キロものマンゴーを仕入れる。
今年はマンゴーの生育が少し遅いみたいだけれど、この市場はどこから仕入れてくるのか、様々な種類の熟したマンゴーがずらりと並んでいる
優泰もお母ちゃんもマンゴーが大好き。

プラチュアップキリカンの宿、ハードトーンホテルには午後比較的早い時間に到着できた。
私はここでまたオンライン中継を担当することになっており、中継場所のカオロムムアク山の麓に向かう。
ここは昭和16年12月8日のマレー上陸作戦で最北端の上陸地点とされており、当時タイ側の通信故障により誤解が生じて日本とタイとの間で数時間の戦闘が発生した場所。
現在はタイ空軍の基地になっているけれど、基地の一部は公園のように整備されて市民に開放されている。
このカオロムムアク山には逆さパンダみいな愛嬌のある顔をしたサルがたくさん住み着いており、訪問者にエサをねだったりする。
タイでよく見かけるカニクイザルとかブタオザルと違ってここのオナガザルは性格がおっとりしていて、その奇抜な顔と併せて人気者になっている。
中継ではそんなサルや戦闘記念碑などを紹介した。

夕食はホテルから海岸通りを少し南へ歩いたところにある路上の海鮮料理屋。
ここの料理はボリュームがあるので、食べるのに気合が必要。
バンコクあたりのシーフードと比べると倍以上のサイズ。
それでいて値段は半額くらい。
なのでいつ行っても混んでいる。
オースワンという牡蠣の卵とじやエビのすり身フライ、鶏の包み揚げ、そしてヤムウンセン。
ここのヤムウンセンは美味しいのだけれど、やたらと辛い。
注文に際して、「唐辛子は三本だけ」と言ったのだけれど、どうも厨房まで伝わっていなかったようで、唐辛子がどっさり入っていて、ビールだけでは消火ができない。
優泰が土産に持ってきてくれたオールドパーで口の中をすすぐようにしたら、辛さが少し中和された。

2月14日、プラチュアップキリカンでハードトーンホテルに泊まる目的は、部屋のテラスから朝日を眺めたいから。
このホテルは感動的なオーシャンフロント。
ホテル前の海岸線は静かで、きれいな弧を描いている。
夜には沖に漁火が揺れている。
そして夜明けになると、漁を終えた船が浜へ戻って来る。
空の色がどんどん変わっていく。

日の出
[優泰とお母ちゃんもテラスで朝日を見ている]

朝食は依然と比べると料理の品数が随分と少なくなっている。
宿泊客はタイ人も西洋人もいて、稼働率も悪くなさそうだけど、コストを下げているのかもしれない。
料理自体の味付けはグッド。
パンなど洋風のモノはいまいちだけど、タイ飯は美味しい。
お母ちゃんに練乳入りコーヒーにパートンコーを浸して食べたら旨いことを教える。
ふだん練乳入りコーヒーなど気持ち悪がって飲まないけど、カリカリに上がったパートンコーを練乳入りコーヒーに浸すと、苦みと甘みと油で焦げた香ばしさが絶妙になる。

朝食会場
[これは翌日に撮った朝食会場での写真]

日中は果物を持ってマナオ湾のビーチに遊ぶ。
ここも空軍基地内なのだけど、一般開放されている。
優泰はATVという四輪バギーを体験する。
バギーと言ってもバイクのような車体で、優泰がバイクの運転ができるのか知らないけど、四輪だから転倒することはなさそう。
お母ちゃんを後ろに乗せた二人乗りで、森の中のオフロードへ消えていき、しばらくしたら上気した顔で戻ってきた。
どうやら二人とも楽しんだようだ。

ビーチでも泳いだのだけれど、海の水の透明度は今一つ。
それでも優泰と二人でビーチのはずれにある岩場まで泳いで往復してみた。
最近は泳ぐ機会がなくて、長い距離を泳ぐには途中でなんども休憩を入れないと体力が続かない。
以前は岩場周辺まで行くと水中で泳ぐ魚がよく見られたものだったけれど、透明度が低いためか、それとも魚が寄り付かなくなったのかわからないけど、魚の姿は見られなかった。
それと怖いのは、岩場周辺には真っ黒で巨大なウニがいることで、またがってウニの棘に刺さったらとんでもないことになってしまう。

怪魚
[浜に打ち上げられた怪魚]

このプラチュアップキリカンは先にも書いたけれど日本軍の上陸ポイント。
上陸時にはタイ側と交戦状態になり多数の死傷者を出している。
どうも死傷者の大半は日本軍側だったようなのだけど、そのためかプラチュアップキリカンでは日本軍の上陸に関してさほど悪い記憶となっていないようだ。
記念碑にも誤解が解けて、双方が握手をしているレリーフが彫られているし、海岸通りの一本裏側には、日本歓迎みたいな飾り付けがされている。

ウエルカム
[これもインスタポイントなんだろう]

お母ちゃんはホテルのレストランが気に入ったようで、夕食もホテル内で食べる。
私はオールドパーをチビチビやりながら料理を摘まむ。
ホテルのレストランだけど、値段は手ごろのようで、地元の人たちで賑わっていた。
レストランのテラスからは夜の海が見えた。

2月15日、お母ちゃんと優泰にもかわいいサル、オナガザルを見せようとロムムアク山の麓へ行く。
手ぶらで行ってしまったが、サルたちにプレゼントをするフルーツを持ってくればよかったと反省。

オナガザル
[すっとぼけた顔がユーモラス]

昼は優泰がカオマンガイを食べたたいというので、ホテル周辺を歩いてみたけれどやっと見つけた店は、優泰が好きな鶏を揚げたカオマンガイが売り切れになっていた。
食堂には長期滞在をしているような西洋の年配者がいた。
以前からアジアの旅行者よりも西洋人旅行者が目立つ町だったけれど、ここにきて西洋人旅行者の数がずいぶん増えたようだ。
レンタサイクルに乗っている西洋人も多いし、家族連れも多い。
町中の食堂も英語のメニューを用意してたりする。

海岸通り
[海岸通りでは魚を干物にしていた]

午後もビーチで少し泳いだのだけれど、問題発生。
波は穏やかで遠浅なんだけれど、ちょっと油断していたら波に眼鏡を持ってかれてしまった。
深くないので、そこを探してみるけれど見つからない。
ビーチのデッキチェアにいるはずの優泰を呼ぼうとするが、声が届かないのか、なかなか気が付いてもらえない。
こちらもこの場所を動くと、眼鏡を落とした場所がわからなくなってしまうので、身動きもできない。

ようやく優泰が来てくれて探してみたけれど、すでに砂の中に埋もれてしまったのか、どこかへ流されたのか道蹴ることができなかった。

メガネがないと車の運転に支障が出る。
海から上がり、ホテルへ戻ってすぐに街の眼鏡店を回ってみるけれど、田舎町だからか、検眼はすぐにできるけれど、眼鏡はバンコクに発注するので届くのに数日かかるという。
パソコンなどを使う時にかける予備のメガネはあるけれど、これは遠くがぼやけて良く見えない。
翌日にはバンコクへ戻るけれど、車の運転は目が良く見えないので、スローで走らないといけなさそうだ。

2日続けてホテルのレストランで夕食を食べる。
海岸通り沿いにはタイ料理以外にギリシャ料理だとか、ちょっと変わった料理屋もあって、そんなところに入ってみたい気もするが、お母ちゃんが「ホテルの中でいいじゃん」と言い出したら、それに従うしかない。
こちらの意見を述べれば、せっかくの家族旅行中ずっと不快な思いをするだけ。

2月16日、3泊したキリチュアップキリカンを出発してバンコクへ向かう。
夜暗くなるとますます目が見えなくなるので、なるべく早くバンコクに着きたいと思っている。
帰りもペッチャブリに立ち寄り、ここの市場ではカオチェーと呼ばれるタイの冷やし茶漬けが名物らしいまで、チオチェーの店に入ってみる。

カオチェー
[カオチェー]

ジャスミンライスの冷や飯に氷水をかけただけのもので、冷蔵庫などなかった時代にタイの王族がシンガポールから取り寄せた氷を使って食べたという宮廷料理。
付け合わせのおかずは甘辛い佃煮のような小皿。
以前からお母ちゃんは冷やし茶漬けを「カオチェー」「カオチェー」と言って良く食べていたので、本物のカオチェーを食べさせてやりたいと思ったのだけど、席に着いたら「食べない」という。
「市場から魚の臭いがするので吐き気がする」のだそうだ。

ネコのイラスト
[ペッチャブリのストリートアート]

バンコクに近づいたところで優泰がバンコクでのホテルを変えたいという。
バンコクのホテルは優泰が「自分が予約しますからどこがイイか」と以前聞いてきたので、金銭的に負担にならないようコスパの高い王宮広場前のロイヤル・ラタナコシンが良いと希望を上げておいた。
既に予約済みなのだけれど、優泰がネットのクチコミを見ていたら評価が悪すぎるという。
せっかくなんだからバニヤンツリーで予約しなおすという。
バニヤンツリーとロイヤル・ラタナコシンでは値段が何倍も違う。
こちらは豪華なホテルに泊まりたいという希望などないし、ロイヤル・ラタナコシンは戦前からある老舗ホテル。
建物や設備が古くても、それだれ重厚感もあって私は気に入っている。
「いまさら変更なんてしないでほしい」と言って、そのまま王宮広場前のロイヤル・ラタナコシンへ車を回す。
そして、なにも案じることはなく、部屋は古いけど趣のある良い部屋だった。

まだ午後早い時間なので、私はバスに乗って戦勝記念塔近くのセンターワン・ショッピングセンターへ向かう。
このショッピングセンターにはたくさんの眼鏡店が入っていて、値段もバーゲンプライスらしい。
私が眼鏡屋に行っている間、お母ちゃんと優泰はセントラルワールドへ行ってくるという。

メガネは30分ほどですぐに作ってもらえた。
しかも、ひとつ1,000バーツもしない破格値なので、予備に二個目も作らせた。
以前スクンビット通り沿い、ナナ駅近くのメガネ・チェーンでレンズ交換だけしてもらったことがあるが、交換だけで5,000バーツも取られた。
それでもディスカウントのセールス価格だと説明された。

夕食はチャオプラヤ川沿いのクルア・クングンで食べることにしており、そこで優泰たちと待ち合わせることにした。
優泰たちはセントラルワールドから来るのに渋滞するからとトゥクトゥクに乗ってきたそうだけれど、行くときのタクシーは100バーツくらいだったのに、トゥクトゥクは500バーツも取られたと言っていた。

バンコクでの夕陽
[バンコクでの夕陽]

夕食後、カオサン通りを散策した。
私はケバケバしくてなんかノリノリになっている西洋人がウジャウジャしている場所が好きではないのだけれど、お母ちゃんはそうした場所に興味津々らしく、あっちこっちにカメラ(スマホ)を向けて写真を撮っていた。

2月17日、優泰が日本へ戻る日。
飛行機は夜なのでそれまで時間がある。
朝、お母ちゃんが牛乳を飲みたいというので、外へ買いにでかけたらば途中で雨が降りだしてきた。
2月と言うのに雨が降るなんて珍しい。
ホテルの裏は、王宮が近いというのになぜか貧民街のようになっていた。
そんな中のコンビニで牛乳を買う。

昼食は優泰が子供の頃に連れて行ったキングパワー免税店のバイキングが思い出に残っているので、そこへ行こうと思って予約してあるという。
しかし、私の記憶ではコロナ以降キングパワー免税店のバイキングは再開していないはず。
その代わり、空港近くに中国人向けの大きな免税店を作って、そちらで団体観光客用のバイキングをやっているはず。
そして、優泰が取ったという予約をよくよく確認してみると、キングパワー免税店ではなく、その隣にあるプルマン・キングパワーホテルのバイキングであった。
車をプルマンの地下駐車場に回して、地階のバイキング・レストランに入る。
高級感があるのだけれど、料理の方は大したことがない。
子供の頃の優泰がキングパワーで驚喜したチョコレートフォンジュもない。
お寿司コーナーもあるけど、日本人向けではない。
ここで私が美味しいと感じたのは残念ながらパンとチーズだけだった。
お会計は優泰が払ってくれたけれど、免税店のバイキングと比較して倍以上の値段だったようだ。

優泰が日本へ帰ってまたアパートでお母ちゃんと二人になる。
そろそろ私も日本へ引き上げる準備をしなくては。
お母ちゃんは2月末の飛行機で釜山へ帰り、私は3月1日の飛行機を予約してある。
その戻るにあたり、18年前にバンコクで暮らすことになった時に日本から持ち込んだ家具類を日本へ送り返す作業があった。
大物はテーブルとイス、そして自転車。
自転車はまだしばらくバンコクに置いておくとして、テーブルとイスは新婚当時から使ってきたもので、気に入っているし愛着もある。
費用を最小限に抑えてどのようにして運ぶかを研究したところ、テーブルは天板と脚部に分解して船便で送ることにした。

バラバラにしたテーブルと椅子を郵便局へ持ち込んで、局内の業者に梱包してもらう。
テーブルと椅子をひとまとめにして送りたかったのだけれど、サイズがオーバーとのことで天板など大きなものだけ送り、残りは次回帰国するときに飛行機の預け荷物として持ち帰ることにする。
梱包と送料で結構いい値段になってしまった。

船便用梱包
[日本まで通常1か月くらいとのこと、ちょうどよい]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=27 |
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最後のイサーン 後編
1月17日(水)、お母ちゃんはまたパートンコーがー食べたいというので、町中へパートンコーを探しに出かける。
前回買ったパートンコーは高かったので、もっと安いのはないかと探したのだけれど、なかなか見つけられず、随分と歩き回ることとなった。
やっと市場のはずれで数個のパートンコーが売れ残っているのを発見し、買い求めて宿へ戻る。

この日の行程はメコン川沿いにルーイ県のチェンカーンまで。
最初に立ち寄ったのはシーチェンマイ。
メコン川を隔てて対岸にビエンチャンをのぞむ田舎町。
川沿いのビューポイント近くにお寺があり、お堂は白く塗られていながら、壁面には青い陶器や陶片が埋め込まれており、なかなか瀟洒な印象。
このお寺も最近のインスタ人気を狙っているのだろうか?
残念ながら私は気に入ったけど、まだインスタには火がついていないようで、ひっそりとして境内では犬たちが昼寝をしていた。

シーチェンマイの白い寺
[インスタ狙いの寺院が増殖中]

昼食はシーチェンマイの国道沿いにあるベトナム料理屋でネームムアンをいただく。
日本風に言えば生春巻きなのだけれど、生春巻きの皮の大きさはシュウマイの皮くらいしかない。
なので、ネームと言う竹輪のような練り物や菜っ葉などを詰め込んで巻くにはちょっと小さすぎる。
むしろサニーレタスでネームを包み、それに添えて食べる方が食べやすい。
ウドンタニにはVTレストランという大きなベトナム料理チェーンの本店があり、そこでの看板メニューもネームムアンとなっている。
タイでベトナム料理と言ったらこのネームムアンなんだろう。
日本では米粉ヌードルのフォーがベトナム料理として有名だけれど、タイにあるベトナム料理屋ではフォーを見かけることはあまりない。

シーチェンマイのベトナム料理屋はとてもローカルな店で、値段も安い。
そして美味しい。
特にピーナッツ風味のソースやチリソースがとても美味しいので気に入っている。
難点はエアコンのなくて大通りに面して開放されているということ。

昼食のあともメコン川沿いにドライブ。
メコン川も川幅広くゆったりと流れているだけではなく、浅くて岩場だらけのところもあったりする。
どこかに本流となって、深さのある場所もあるのかもしれないが、岸から見ているとまるで岩場に堰き止められ、干上がりかかっているかのような印象を受ける。
こんな状態でも水運として利用されているのだろうか?
中国が上流にダムを作ったのでメコンの水量が減っているとも聞いている。

メコン川の岩場
[日本なら鬼の洗濯板とでも名付けそうないわば]

チェンカーンでの宿は中心部近くのバーントーファンという民泊のような宿。
以前にも何度か泊まったことがあり、ここの女性オーナーの気遣いがいいので気に入っている。
宿と言うより、民家で、部屋の中の家具なども普段使いのモノに見える。
でも、掃除は良くされており、チークの床などは磨き上げられすぎて、くつ下で歩くと滑って転びそうだ。

日没をメコン河畔の寺院から眺める。
チェンカーンは夜のウォーキングストリートが観光の目玉になっていて、人気が高いのだけれど、お母ちゃんと歩くと、三分の一も歩かないうちに足が痛くて歩けないということになってしまった。
夕食は宿近くの食堂で食べる。
外国人旅行者に人気のある食堂のようで、値段は安めだし、料理の味も悪くない。
主人がひとりで切り盛りしているためセルフサービスで、出来上がった料理は自分でテーブルへ運ばなくてはならない。
店内には日本人男性が一人いて、隣のテーブルで食事をしているタイ人女性二人組に盛んに話しかけていた。

メコンの夕陽
[ちょっと遅れて落日は見えなかった]

1月18日(木)、チェンカーンでのおすすめ観光場所のひとつがプートーク山からのご来光。
とくにこの季節だと下界に雲海が広がって荘厳な景色が楽しめるのだけれど、お母ちゃんは「別に見なくてもイイ」と言って行きたがらない。
私は飽きるほど見てきており、それでもお母ちゃんに見せてあげたいと思っていたけど、行きたがらないものを連れ出しすと碌なことにならないことは経験上百も承知なので、プートークのご来光はパスすることにした。
そのかわり一人でメコン川沿いの夜明けを見に出かけた。

朝の遊歩道にて
[川沿いの遊歩道でネコを発見]

チェンカーンでは、プートークのご来光の人気が高いけれど、街中での行われる早朝の托鉢風景も観光客に人気が高い。
しかし、観光客に人気が高いということは、観光化されているということで、托鉢喜捨体験としては面白いかもしれないけれど、むかしから続いてきた托鉢風景を期待しているとがっかりさせられてしまう。
実際、托鉢などタイなら毎朝いたるところで見られる光景だと思っている。
市場でパパイヤを買って朝食とする。

托鉢
[フィルムカメラCANON AE-1で撮影]

チェンカーンからピサヌロークまでならその日のうちに行きつける距離だけれど、各駅停車並みにのんびり行程とする。
本日はチェンカーンと同じルーイ県のプールア泊まり。
車で走れば半日行程。
チェンカーンを出てしばらくはメコン川に沿って走るが、タイとラオスの国境はチェンカーン・スカイウォークがあるあたりまではメコン川が仕切っているが、その先はナムフアンという小さな川が国境になっている。
その川沿いに走っていたら右に曲がったらノーンプーと書かれた標識が出ていた。
ノーンプーがどんな所かわからないけれど、時間もあるので立ち寄ってみることにした。

ノーンプーはタイのどこにでもあるような眠ったような田舎集落。
やはりナムフアン川のほとりにあるのだけれど、その川の対岸にラオスの村が見える。
見た感じではノーンプーよりも大きそうだし、小さい川だからそのまま歩いて渡れそう。
川岸からしばらくラオス側の村を眺めていた。

ノーンプー村からラオスを見る

再び国道に戻りそのまま先へ進んでみたらラオス側へ渡る橋への案内標識が出てきた。
その橋の方へとハンドルを切る。
お昼時で日差しが強い。
国境の橋は川の小ささとは対象的に大規模な出入国税関施設があった。
車を止めてイミグレーションでここからラオスへ遊びに行ってくることができるかと聞いたらできるという。
橋は歩いては渡れないので、駐車場で待機しているトゥクトゥクを雇うようにとのこと。
ラオスへ行けるとなれば行ってみたいのだけれど、行った先に何があるのか何も情報を持ち合わせていない。
でも、とにかくトゥクトゥクに乗って対岸へ渡ってみる。
この程度の川には不釣り合いなほど立派な橋を渡ったラオス側は埃っぽくてなんにもない。
あるのは貧弱な国境市場くらいで、歩き回って面白そうなところはなんにもない。
どうやらこの国境は街からだいぶ離れたところにあるらしいことはわかった。

国境にて
[国境の橋は徒歩では渡れずトゥクトゥクを雇う]

また小型トラックを交渉して借り上げ、街までの往復を依頼した。
街に何があるかを聞いたところ、ここより大きな市場があり、食堂もあり、お寺もあるということだった。
舗装はされているけれど埃っぽい道路で丘陵地帯をしばらく走ると、なるほど少しは大きな市場に到着した。
トラックにはここでしばらく待ってもらい市場周辺で食事ができそうなところを探す。
国境の町の市場と言っても、売っているものは雑貨と生鮮食品、衣類や農機具など。
食事ができるような施設はなかなか見つけられない。
地元の人たちは薄暗い市場の中の簡易食堂で何やら食べているけど、いっしょになって食べようと言う気にならない。
一人ならまだしも、お母ちゃんと一緒なので拒絶されることは火を見るより明らか。
市場を抜けてたところにゲストハウス風のコテージがならんだ宿泊施設があったので、食事の提供をしているのではないかと入ってみたけれど、食事どころか営業をしているのかさえ疑わしく、施設内にはだけもおらず、食堂らしいところは埃だらけであった。

ラオス側の市場
[ほこりっぽい市場]

しばらく歩いた先はロータリー式の交差点があり、そのわきに食堂があった。
できますものはラオスの料理。
カオピヤクというラオス風うどんもあれば、ガパオライスもある。
私はカオピヤクと蒸かしたもち米を注文。
お母ちゃんはガパオライス。
カオピヤクの味は、いまひとつだったけれど、もち米のボリュームはすごかった。
タイでもち米を注文しても量はほんの少ししかくれないが、ここでは500グラムくらいあるんじゃないかと思うくらいの大盛りで出してくれた。

昼食後は村のお寺へ連れて行ってもらった。
お堂の屋根の上にはドークソーファーというラオスの寺院独特の飾りが乗っかっている。
なかなか立派なお寺であったのだけれど、お寺の裏へ回ったら川かが流れている。
そしてどこかで見覚えのある景色が広がっている。
何のことはないさっき立ち寄ったノーンプー村ではないか。
お金と時間をかけてさっきの場所から数十メートル先へ来たことになる。

ラオス側からノーンプー村を見る
[お寺の裏からノーンプー村が見える]

お寺周辺は住宅街になっており、小さな商店なども何軒かある。
そんな店でラオスのビールを数本仕入れて土産とする。
しかし、この村の人たちはいったい何を仕事として働いているのだろうか?

ラオスの村
[眠ったように静かな村]

トラックの運転手さんによると毎朝早くこの市場からルアンプラバーン行きのバスが出ているとのこと。
そういう話を聞くと冒険心がそそられて、乗ってみたくなるけど、今回はお母ちゃんが一緒なので無理。
次の機会に挑戦してみたい。

ラオスからタイへ戻り、ナムフアン川からも離れて山の中へ入る。
山の中の景色は良く、坂が急だったリハするけど快適なドライブでプールアに到着。
今夜の宿はプーパーモクバレーリゾートという宿。
谷に面していて景色は良いけれど、どうもほかに宿泊者はいないみたい。

夕暮れ
[宿のテラスでラオス土産のビールを飲む]


1月19日(金)、谷に面している宿なので、下界に雲海が出ていないかと期待したけれど、雲海は見当たらなかった。
宿泊費には朝食が含まれているとのことだったのでにしていたけれど、宿泊客が私たちだけだったからか、タイ式のお粥とインスタントコーヒーだけだった。
そのお粥を周囲が見渡せるテラスで食べた。
日中は真夏並みに暑いけれど、朝のうちは涼しくて気持ちがイイ。
今日の行程も実走行時間は二時間半程度しかないのでのんびり。
お昼ギリギリになってチェックアウトする。

宿の庭
[宿の庭もリゾート風にきれいなんだけど]

ダンサイ村のピーターコン寺へ立ち寄る。
お母ちゃんとは15年くらい前にピーターコン祭りを見に来たことがある。
今回は祭りのタイミングではないので、ワットポーンチャイ寺の境内に置かれたピーターコンのお面をつけて記念撮影などだけを楽しんだ。

ピーターコンの仮面
[毎年お祭りに来てたピーターコン]

昼食はダンサイ村で比較的気に入っているソムタム屋に入る。
ここも色々と紹介されたのか村での人気店となって、観光客が増えてきている。
私たちが入った時も狭い店内はお客さんが何組も入っていた。
ソムタムなどの料理は確かに美味しいし、庭も綺麗なんだけれど、家族経営でやっていて、増えてきたお客に手が回らなくなってきているようだ。
以前と比べて愛想もなくなってきている。

ルーイ県からピサヌローク県に入り、山中にある塩井戸の集落に立ち寄る。
例年塩井戸で製塩は乾期から暑期にかけて行われるのだけれど、今年はまだ塩づくりが始まっていなかった。
2月になったら始めると村の女性は言っていた。
ここも以前と比べて整備が進み、観光客用の展示物なども配置するようになっているけど、まだまだメジャーになるためには改善の余地がたくさんある。
展示して見せるだけではなく、体験させるとかが欲しいところだ。

塩井戸
[塩井戸、珍しいし、もっとメジャーになってもいいはずなんだけどね]

この日の泊りはナコンタイにあるモーテル。
夕方前に到着したため、宿の管理人はどこかへ外出しており、電話で呼び出さなくてはならなかった。
タイではこの手の宿泊施設のことをリゾートなどと呼んでいるけれど、保養施設とは無縁の商人宿。
宿泊客の多くがピックアップトラックの荷台に商品を乗せた行商人たちである。

夕食は宿近くのタイ風のパブレストランで食べる。
名前はリムナー・レストラン。
リムナーとは田んぼ脇と言った意味。
確かに周囲は田んぼに囲まれている。
田舎でも少し金回りのいい人が食べに来ているせいか、お値段はちょっと高め。
この店の名物の「海鮮入り玉子鍋」みたいなものを注文。
これは二人で食べるには量が多すぎた。
エビやイカなどが入った巨大茶碗蒸しみたいなもので、茶碗ではなく「鍋」だから、食べても食べてもなかなか減らない。
タイの茶碗蒸しも日本の茶碗蒸しも味は似たようなもので、酒のつまみにはならないし、そんなに量を食べられるものでもない。

この食堂には何匹ものネコたちがいて、時々テーブルの下を駆け回ったりする。
不本意ながら半分以上食べ残してしまい、店を出た。
夜空には星がたくさん輝いていた。

火鍋風茶碗蒸し
[この量を二人で食べるのは不可能だ]

1月20日(土)、本日もオンライン・ライブを担当する。
しかも朝早くからのスタートのため、夜明け前に出発する。
チェックアウト時刻は昼なので、それまでにまた戻って来るつもりだから荷物は置いたまま。
中継場所はプーヒンロンクラー。
この周辺は人工的に植えられたヒマラヤザクラが数万本もあり、ちょうど花を咲かせているタイミング。
朝5時半に宿を出て、約1時間ほどでロンクラー村に到着。
村の中には日本のサクラよりも色が濃い、ピンクのヒマラヤザクラがあちこちで花を咲かせており大変に美しい。
この景色を村の中を歩きながら中継した。
村の中でホームステイしている人やキャンプをしていた人、そして早朝からやって来た人で山の中の村はお祭り騒ぎになっている。

桜咲く村
[フィルムカメラCANON AE-1で撮影]

観光客相手の露店も稼ぎ時。
海苔巻きサンドウィッチのフライみたいなものを売っていた。
これはどんなものかと言うと、海苔巻きの酢飯の代わりにサンドウィッチ用の薄切り食パンを使ってレタスやツナなどサラダ巻のような具材を巻く。
パンの外側は海苔。
直径5センチ以上になるパンを使った太巻き油で揚げている。
これにトマトケチャップを付けて食べさせるという。
味の方は、悪くはなかったけれど、タイ人は変なものを考え出すなと思った。

ライブ中継をしながら車を走らせ、ドーククラダートの花が咲くキャンプ場へ向かうが、途中で電波が切れてしまったりした。
ドーククラダートを日本語に訳すと「紙の花」で、まるで紙でできた造花の花のようにカサカサした花びらを持つ可愛らしい花で、ピンクや黄色など色とりどりに咲き乱れている。
また急な斜面に飛び出した巨大な岩も迫力がある。
とくに今の時期だとドーククラダートが巨石の周りに花畑のように咲いて取り囲んでするので見ごたえがある。
ドーククラダートだけでなく、奥の方ではツツジも赤紫の花を咲かせていた。
サクラやツツジなど、日本とは違った季節に花が咲く。

ドーククラダート
[絵本の中の世界みたい]

プーヒンロンクラーから宿へ戻ってチェックアウトし、次はヌーンマプラーンへ向かう。
ここでは日没時のコウモリの飛翔をお母ちゃんに見せてやりたいと思っている。
しかし、まっすぐドライブすれば2時間ほどの距離なので、途中で寄り道をしたりノロノロ運転をしたりする。

コウモリを見る前にはバーンムンの洞窟寺院にも立ち寄る。
このあたりはタイの桂林と自称していて、石灰石の山がタケノコのようにニョキニョキと生えている。
それも隙間なく密集して生えている。
そんな石灰質の山なので鍾乳洞も多い。
このバーンムンの寺の奥にも鍾乳洞があり、内部に仏像を祀っている。
日本の鍾乳洞だと色付きの光を当てて演出したりしているけれど、この寺院の鍾乳洞にはそのような演出はない。

バーンムン寺の鍾乳洞
[こういう鍾乳洞こそ色を当てればインスタを狙えるのに]

6時になってコウモリ展望台に人が集まって来た。
タイ人だけでなく西洋人のグルーブもいる。
日没を迎え、西の空が夕焼けとなって間もなくコウモリたちの飛翔が始まった。
石灰の山から噴き出してくる煙のようなコウモリのたちは、次々に流れの向きを変える川のように夕焼け空を西の方角に向かって流れ飛んでいく。
展望台にいる人たちも歓声を上げたりしながらスマホでコウモリの飛翔を追うのに夢中になっている。
たぶんこの情景は誰でも感動してしまうのだろう。
コウモリと言うと薄気味悪がる人も多いけれど、ここで見上げるコウモリはとても幻想的。
コウモリの飛翔は延々と続いていたけれど、太陽が完全に沈み、空が暗くなってしまったら肉眼ではコウモリが飛んでいるのが見えなくなってしまった。

コウモリ
[今夕もコウモリが飛んでくれました]

泊りはピサヌロークのリタイホテル。
私の定宿。
ホテルの中で簡単に夕食を済ませてから、タプティムクローブを食べに行く。
ピサヌロークのオフィスの裏路地に夕方からオープンする氷菓子屋はタブティムクローブが美味しいことで有名。
お値段は少し高めだけれど、いつもお客さんがいっぱい入っている。

タブティムクローブ

[ここのは確かに美味しい]

翌1月21日にはバンコクへ戻る。

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最後のイサーン 前編
年が明け、1月9日の晩にお母ちゃん(妻のこと)がバンコクにやって来た。
これから約2か月ほどバンコクに滞在する予定で、その間にタイ国内を旅行て回ることにしている。
その国内旅行の第一弾
1月12日(金)、車でブリラムを目指す。
日本へ帰る前に、もう一度パノムルン遺跡をしっかり見ておきたかった。
タイにある遺跡の中で一番気に入っており、またネコとも訪れたことがあり、思い出深い場所。

朝、バンコクを出発してピンクのガネーシャとして有名なワットサマーンワタナラームへ立ち寄る。
ピンクのガネーシャなど私の趣味ではなかったが、お母ちゃんの趣味の趣味でもなかったようだ。
それでも日本人旅行者には人気スポットらしく、日本人のグループを見かけた。
しかもそのグループを引率しているのがピサヌロークへ応援に来てもらっていた女性ガイドのノックさんであった。
コロナが明けて、バンコクで仕事にあり付いてからずっと疎遠になっていたので1年ぶりくらいの再会となった。
このワットサマーンワタナラームではケバケバしいガネーシャや観音像などはほとんど素通りして、門前市のような成果物売り場へ立ち寄って、旅行中に食べる果物などを仕入れた。
この寺のあるチャチュンサオ周辺は果物栽培が盛んで、ここの果物などは品質の良いものが多く、しかもバンコクなどより値段も安い。

ピンクガネーシャ
[フィルムカメラ CANON AE-1で撮影]

ブリラムへのルートは南回り、サケオ経由を取る。
途中タピオカ畑くらいしかなく、ほとんど人家がない原野の一本道をひたすらまっすぐに走る。
昼食の時間になり、お母ちゃんに何を食べたいかと聞いたら美味しいクイティアオだという。
彼女が好むクイティアオはナムサイと呼ばれるクリアスープに入ったセンヤイと言う幅広麺。
そして具はルークチンプラーというはんぺんやツミレのような魚介の練り物。
もともと集落さえないような場所で、食堂などなかなかない。
あってもガパオライスのようなブッカケ飯かラープなどのイサーン飯ばかり。
屋台のクイティアオがたまに交差点近くのコンビニに出ていたりするけど、具は肉しかない。
とうとうサケオまで行ってやっとお目当ての魚介練り物のクイティアオを発見。
お昼時間をだいぶ回ってしまった。

カンボジア国境のポイペト近くを素通りして、国境沿いに北上。
ブリラム県へと登る峠道でパッションフルーツとソムオーを買い求める。
この峠道では近所で採れるのか知らないけれどパッションフルーツをたくさん売っている。
パッションフルーツも日本へ帰ったらまず食べられないだろう。
タイにいてもめったに食べたりしない果物だったけれど、嫌いという訳ではなく、あんまり売っているのを見かけず買う機会がなかっただけ。
それに食べられる部分が少なくて、食べ応えがないので、ついほかの果物に走ってしまいがちだった。

ブリラムでの宿は、気に入っているプラコーンチャイにあるホテルデラムール。
ブリラム市内ではなく、ずっと離れたプラコーンチャイの国道沿いにあるホテルで、こんな田舎町にどうしてこんなリゾートホテルを作ってしまったのだろうかと思うようなちょっと豪華なホテル。
その「どうして」が現実にほとんど宿泊客のないホテルとなって、その晩は私たち以外に二組しか宿泊客がなかったようだ。

夕食にはホテル敷地内にあって、別経営のタイ式しゃぶしゃぶブッフェで食べた。
こちらの方は地元の若い人たちを中心に繁盛している。
しかし、閉店時間が早くて、夜8時すぎにはブッフェラインを下げ始められてしまった。
田舎は夜が早い。

ホテルにはプールもあり、誰もいないプールで少し泳いだのだけれど、その後着替えをしたときにどうも更衣室に塗れた海水パンツを置き忘れてきてしまったらしい。
もう長いこと履いてきた海パンで、何年も前にバンコクで毎土曜日に水泳をしていた時にも使い、相当酷使して布が薄くなって、尻のあたりには小さな穴まで開いてしままっていたので、どうやら清掃係にそのまま処分されてしまったようで、探しに戻った時にはもあなくなっていた。
レセプションにも忘れ物として届いていないとのことだった。

1月13日(土)、ブリラムからコンケーンへ
ホテルでの朝食は宿泊客が少ないのでブッフェではなく、セットメニュー。
ホテルのポリシーでは宿泊客が10組以上あればブッフェ対応とのことらしい。
以前宿泊したときはグループツアーたったのでブッフェラインがあり、この中にスパゲティ・クンジョムという一品があって、とても旨かった。
クンジョムは土地の名物で、小エビのペースト。
ちょっと辛くて、けっこうナマ臭いけど、クセになりそうな味。
ガピのようにドロドロのペーストではなく、小エビの姿がはっきり残っている和え物みたいな感じ。
それをスパゲティーに絡ませている。
今回はブッフェではなくセットメニューで、何種類かのセットから選べるようになっている。
アメリカンブレックファストもあるが、タイ料理のセットだけで4種類くらいある。
その中にはグンジョムがアレンジされているメニューもあった。
味もいいし、料理の盛り付けやサービスも良い。

朝食セット
[ホテルの朝食セットメニュー]

ブリラムにあるパノムルン遺跡は、丘の上に建つクメール時代の神殿遺跡で、ほぼ完全な形に復元され、見ごたえがある。
このパノムルン遺跡からオンライン・ライブツアーをすることになっており、その間お母ちゃんは足が痛くて私について歩くことが困難と予想されたのでビジターセンターで待っててもらう。
リハーサルから始まって約2時間の待ち時間の間ずっと英語の勉強をしていたそうだ。
こんなに熱心に勉強してても、上達しないのは、勉強の仕方に問題があるのか、または素質がないんではないかと思うけど、本人はそうは思っていないようで、いつも勉強道具を持ち歩いている。

パノムルン神殿
[東の参道からが最高]

パノムルンを出て、田舎道をコンケーンへ向かう。
田舎道では何度も牛たちに出会った。
牛たちは集団でのんびりと車道を占拠しながら歩いている。
車が来ても無関心。
バイクに乗った牛追いが声をかけるけど、なかなかどいてくれない。
肩に大きなコブのあるタイの牛たちは肝が据わっている。

牛
[牛たちは大胆だ]

コンケーンに着いたらすっかり暗くなっていた。
繁華街近くにあるローマホテルという古い建物の宿。
コンケーンではついものように市内最安値の宿を物色したらこの宿にたどり着いたわけで、部屋の中の調度や備品も相当にくたびれており、WiFiの電波もほとんど使い物にならないの焚けれど、宿泊者には韓国人が多かった。
彼らはグループで来ているようで、聞いてみるとキリスト教関連のミッションでの訪問らしい。
夕食に外へ出たら、宿の並びに屋台が並んでおり、その中で中華鍋を強い火力の中で振っている屋台があった。
なんとなくピサヌロークま空飛ぶ空芯菜食堂の調理法に似ていて、ここなら旨いものを食わせてくれそうな気がした。
事実注文したチャーハンはやたらと旨かった。
チャーハンはやっぱりこのくらいの火力で、中華鍋から放り投げるようにして一気に炒めたものが旨いようだ。
パラっとして、カラッと軽いチャーハンはタイでもなかなか出会えない。
その屋台は歩道にテーブルを並べ、かなり繁盛していた。
隣のテーブルは白人男性が家族で座っており、その嫁さんらしき女性はタイ人であった。
イサーンではよく見かける光景で、男性の方はほとんどタイ語を話せないようで、女性の方が料理を説明し、注文を入れている。
こちらは歩道に置かれたテーブルに着いているので、すぐ横を通行人が通る。
ここでも韓国人の男性グループを見かけた。
さっきのミッションで来ている若い人たちとは雰囲気が違って、アルコールがだいぶ入っている感じだ。
周りを見回したところ、この屋台は韓国料理店の前に店開きをしていた。
たぶん韓国人男性たちはこの韓国料理屋へ食事に来ていたのだろう。


1月14日(日)、コンケーンからウドンタニを経由してノンカーイへ
まだ朝暗いうちの午前6時にコンケーンの宿を出発。
国道を北上してタレーブアデーンへ向かう。
途中で太陽が顔を出し始めてきた。
初めてタイへ来た19歳の時も、このあたりから日の出を見た記憶がある。
あれはバンコクを前夜に出た列車の車窓だったはずだ。

日の出
[イサーンの大地に朝が来る]

まっすぐ北に延びるハイウェイの周りはところどころに木が生えているくらいで、土地の利用はあまりされていない印象。
牛の放牧くらいしか行っていないのか、畑はあんまりないし、田んぼなどは乾期ということもあり全く見当たらない。
畑はキャッサバとサトウキビ。
19の時に見た景色と、40年経ってもあんまり変わっていないように感じる。

タレーブアデーンには8時には到着。
まだ朝食も食べていないので、船着き場前の屋台でカオチーと呼ばれる棒に刺した焼きおにぎり風のものを食べる。
おにぎり風だけど、原料はもち米で、薄い円盤状に整形して串にさし、ナンプラーを少し垂らした溶き玉子汁に浸したものを炭火で焼いたもの。
これも私の好物で、初めて食べたときは薄味過ぎて、もう少し塩っ気があっても良さそうだと感じたけれど、いまはこの味になれてきて、もち米の甘さと卵が焦げた香ばしさが美味しいと感じられるようになった。
これもタイ東北部、イサーンの名物ではあるけど、メコン川を渡ったラオスでカオチーと言うのはフランスパンのこと。
もとは同じ民俗で文化圏でカオチーが別々のモノになってしまっている。

カオチー
[私の味覚としてはもう少ししょっぱい方がイイかな]

この時期のタレーブアデーンは赤く咲く睡蓮で有名。
たしかに感動的に美しく、何度来ても写真に撮りたくなってしまう。
小舟で大きな沼の睡蓮群生地へ。
タイ人にも人気のスポットになっていて、インスタやフェースブックが大好きなタイ人らしく、あちこちでモデル張りのポーズを決めている。
中にはボートを2艘雇って、カメラマンをボートに乗せて、写真を撮ってもらっている女性もいる。
お母ちゃんもここの景色は気に入ったようで、携帯電話のカメラで何枚も写真を撮っていた。

タレーブアデーン
[モデルになり切っている人が多い]

昼食にはウドンタニでお気に入りの飲茶屋へ行く。
町外れの住宅地にある普通のちょっとイイ感じの建売住宅の軒先を食堂にした飲茶屋で、美味しくて、しかも安い。
わかりにくい場所だし、本当に隠れ家的な食堂。
ウドンタニは中国系とベトナム系の住人が多く、街中でも彼らの食堂が多いけれど、こうした民家で食べられるような店を私は他に知らない。

飲茶
[これ全部食べきった]

朝も早かったので早めにノンカーイの宿にチェックインして少し休憩。
まだ1月、タイの冬に当たる季節のはずだけれど、ここノンカーイの午後は真夏のように暑かった。
宿の名前はホワイトインホテル。
まだ比較的新しい建物で、広い駐車場がある。
宿の向かい側には洋食を食べさせる食堂が2軒ある。
それだけでなく、宿のある路地は西洋人相手の飲食店がいくつもあり、年配の西洋人男性が店先のテーブルやカウンターでビールを飲んでいたりする。
ノンカーイはラオスとの国境の街と言うだけで、これといった観光名所があるわけではないけれど、西洋人が多くいる。
なんでもアメリカの退役者に住みたい世界の街の中でトップクラスに選ばれたこともあったようだ。
なにが魅力なのかはよくわからないけど、悪い街ではないし、チェンマイの外国人相手の店のようなケバケバしさもなく、静かで落ち着いてて、それでいて外国人にもなじみやすそうな街だと私も感じる。
でも、私だったらここで暮らすにはちょっと退屈に感じるだろう。

夕刻、暑さも峠を越して、少ししのぎやすくなったのでメコン川沿いの遊歩道を散策する。
遊歩道沿いにはペンションやベトナム料理屋、そして西洋人相手のバーが並んでいる。
インドシナマーケットと呼ばれる国境市場でお母ちゃんはタイの琺瑯びき弁当箱を買った。
小物入れにするのだそうだ。
展望台から夕陽を眺め、宿への帰り道の途中にある粥屋で夕食にする。

ノンカーイの夕陽
[メコンの川べりにて]

1月15日(月)、国境を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ
お母ちゃんは朝食にパートンコーが食べたいという。
パートンコーは中国風揚げパンというか、中国で油条と呼ばれているもののタイ版で、油条は30cmくらいの中さがあって大きくて長いが、タイのパートンコーはずっと小さくて大福もちくらいのサイズ。
よく市場なんかで豆乳と一緒に売られていて、値段も安くて最下級の朝食みたいに考えられていたけれど、最近はどうも違ってきているらしい。
ピサヌロークにいたときから、パートンコーは他の物価と比べて値上がり幅が大きいなと感じていた。
最初は5個で10バーツくらいだったのが、3個で10バーツになっていた。
ここでもパートンコーは最低20バーツで、一袋6個入り。
もう安いとはあんまり感じない。

ノンカーイ発朝10時のバスでビエンチャンへ向かう。
車は宿の駐車場に留め置き。
最初は車を運転してそのままラオスへ入ろうか、そしてルアンプラバーンまで行ってみようかくらいに軽く考えていたのだけれど、調べてみるとラオスの道路事情はとても悪くなているらしい。
とても小型車でルアンプラバーンまでの悪路を進むのは無理らしいということがわかった。
ビエンチャンだけなら問題なさそうだけど、街中は駐車場を探したりするのも面倒だし、それにラオスまで陸続きと言っても別の国で、車の通関手続きや保険などで費用がかかる。
だったらバスで行った方が世話がないという結論に達していた。

ノンカーイからビエンチャンへのバスはたったの55バーツ。
国境の橋もそのまま渡ってくれて、ビエンチャン市内中心部まで運んでくれる。
途中はバスから降りて国境での出入国手続きをタイ側とラオス側でしなくてはならないけど、乗り換えの必要もない。
国境での出入国手続きも簡単に済み、すいすいとビエンチャン市内へ到着。
ホテルは市内バスターミナルから歩いて15分ほどのところにあるビエンチャンプラザホテル。
ビエンチャンでは比較的大きなホテルということになっていて三星クラス。
似たような名前でラオプラザホテルというがあるが、そっちはビエンチャンでも屈指の高級ホテルでランクが違う。
それでも三星クラスのホテルなど私にとっては破格の贅沢で、なんでそんなホテルにしたかと言うと、ここでは無料のレンタサイクルがあると書かれていたから。
しかし、いざホテルに到着してみると、レンタサイクルのサービスは現在やっていないという。
まだ、チェックインして部屋に入るには早すぎるので、私一人市内へレンタサイクル探しにでかける。

国境越え
[後ろのバスがノンカーイからビエンチャンへの国際バス]

ビエンチャンにはレンタサイクル屋などいくらでもありそうに考えていたけれど、探してみるとなかなか見つからない。
ずいぶんと歩き回ってやっと見つけた自転車屋は本業は自転車の販売で、副業に中古自転車のレンタルをしていると言った店だった。
夫婦二人でやっているような店なのだけれど、旦那の方は愛想がいいけど、奥さんの方は不愛想で、自転車の貸し出しなんて面倒くさいと言った感じでの対応をされる。
翌日までのレンタルで120,000キップだという。
だいたい180バーツくらいで、自転車の程度はあまりよくない。
さらに二人乗りをすると言ったら、割増料金だとも言う。
他にも選択肢があったら、パスしたいところだけれど、お母ちゃん一人をホテルのロビーに待たせたまま随分と時間がたち、そろそろお腹を空かせているころだろうから、5割増しと言うところを170,000キップにまけさせて自転車を借り出す。

昼食には借り出した自転車に二人乗りをしてPVOというビエンチャンで有名なベトナム風サンドウィッチの店に行く。
ベトナム風サンドウィッチと言うのはバゲットサンドウィッチなのだけれど、具材がベトナム風でハーブ類がたくさん入っている。
人気店で外国人がたくさん来ていたが、中でも韓国人客は何組も来ており、大声でおしゃべりをしているので目立つ。
ここのサンドウィッチはお母ちゃんも気に入ったようだ。

午後にはビエンチャンの街を自転車で走り回り、凱旋門やタートルアンなども回ってきた。
昔と比べて、車も増えたし、新しい車も多い。
緑色をしたマイクロバスも市内バスとして走っている。
以前はジャンボと呼ばれたバイク改造の3輪車はほとんど見かけなくなった。
その代わり電動の3輪車がチョロチョロと走り回っている。
車は韓国製、日本製が多いけれど、商用車は中国製の車が目立つ。
観光バスは韓国の中古バスを持ってきて走らせているようで、乗っている乗客も韓国からの観光客ばかり。
日本人は全く見かけない。
韓国ではラオス旅行が人気があるのだろうか。
そういえば、ビエンチャンプラザホテルにはJOICAという日本のJICAのような事務所が入っていた。

ラオスの凱旋門
[シルエットになったプラトゥーサイ]

ホテル周辺では夕食を食べさせるようなレストランはほとんどなく、少し歩いたところにある食堂に入った。
ラオビールとタイで言うところのヤムウンセンのようなモノや空芯菜炒めなどを注文したけれど、ラオス料理的なものはメニューにないようだった。
値段は高くもないけど、庶民的な店なのにあんまり安くもない。
そして、出てきた料理でヤムウンセン風のものは、牛の胃袋を刻んだものがふんだんに入っている。
私は自称俄か菜食主義で、特に4つ足は極力食べないようにしているし、内臓系はまったくNG。
こりゃ食えないと出てきた皿を下げるように言ったが、店の人は不満そうで、なぜだという。
私は内臓物は食べられないし、見ているだけで食欲がなくなると伝えたのだけれど、まだ納得してもらえない。
「そんなことは、注文するときに言ってくれなきゃわからない」というが、
タイで内臓系が入っているヤムウンセンなど食べたことがないから、まさか入っているとは思わなかった。
「食べなくても料金は払ってもらうよ」と言われて了承したが、皿をなかなか下げてくれない。
それ以外は感じの悪い店じゃなかったし、私がラオスの食堂での注文の仕方がよく解らなかっただけで、責任は自分にあると納得した。
そういえば、ラオスの料理には内臓物や動物の血を使った料理が多いらしい。
ひとつ勉強になった。

1月16日(火)、ノンカーイへ戻る
ホテルの予約は朝食付き。
朝一番に朝食会場へ下りて行く。
ここの朝食はブッフェスタイル。
洋風、ラオス風、ベトナム風とバラエティがある。
パンはバゲットで焼きたてらしく、皮がパリパリで香ばしい。
タイではなかなか美味しいパンに出会えない(安いパンしか買わないから)けれど、ラオスはパンが常に美味しいみたいだ。
ベトナム風にはフォーというかカオピアクというか、米粉のヌードルスープが美味しい。
おかゆも味付けがしっかりしていて、お代わりしたくなる。
オムレツはまあまあで、サラダの野菜は新鮮。
ハムやソーセージは食べない。
次々にいろんな種類のものをもらってきて食べていたら、ぞろぞろと韓国人観光団も入ってきた。
綺麗に並んでいた料理はあっという間に取り分けられて、見栄えが悪くなってしまった。

寝坊もせず朝一番に朝食にしたのは、この日の朝は凱旋門(プラトゥーサイ)からオンラインツアーの中継が入っていたから。
プラトゥーサイは戦勝門という意味だけれども、別に外国と戦争して勝った記念という訳ではないようだ。
外見はパリの凱旋門によく似ており、門からまっすぐにの大通りはシャンゼリゼがエリーゼ宮へ伸びているように、ビエンチャンでは大統領官邸へと繋がっている。
外観はパリの凱旋門に似ているけれど、細部はラオス風で、ヒンズーの神々が描かれた天井があったり、飾りつけの彫刻も仏教やヒンズー様式で、屋上にはやはり仏塔のような屋根を持つ建物が乗っている。
オンライン中継での解説のため下勉強をしたのだけれど、天井に描かれた4つの絵が、ヒンズーのなんという神様のモノか良くわからなかっつた。
そこで入場券売り場のスタッフに質問したけれど、スタッフはまるで関心がないのか、わからないとのことだった。
また、韓国人や中国人団体観光客を引率してきたガイドに訊ねたけれど、「ヒンズー教の神様だ」としか答えられなかったり、「お釈迦様の化身だ」と変な答えが返ってきた。

インドの神々
[プラトゥーサイの天井画]

仕方なく、自分で絵の特徴を確認しながら考察したところ、多頭の大蛇の上に座っている緑色の神様は手にほら貝とさすまた(三又鉾)を持ているので破壊の神であるシヴァ神と推測した。
片足を下げながら台の上に座っているのは、正面以外にも両脇に顔があり、腕は8本もあるところから、全能の神であるブラフマー神らしい。
3つの頭を持つ白いゾウに乗っているのは、日本で帝釈天と呼ばれるインドラ神だろう。
しかし、ヒンズー教の三大神のひとつビシュヌ神が見当たらない。
最後に残ったもう一面はタイでもよく見かけるラーフであろう。
食いしん坊で、太陽や月を食べてしまい、日食や月食を発生させると考えられている。

この天上絵画を調べるのに苦労したけれど、オンライン中継で取り上げたのはほんの一瞬。
大半をプラトゥーサイの塔の上へ登って、ビエンチャンの街並みの紹介に費やしてしまった。

プラトゥーサイ
[正面から]

昼食にはタートルアン裏へ移転したフランス料理店ナダオへ行く。
ここは昨日のうちに直接出向いて予約を入れておいた。
ビエンチャンでも人気の高いレストランで、オーナーシェフはロブションで修行を積んでいるということになっている。
ランチのメニューは、ビフテキや鴨などの肉料理やサーモンなどから選べるコース料理。
私は以前にビーガンのメニューを注文したことがあるけれど、残念ながら他のメニューと比べると内容的にちょっと劣っていた。
味付けが劣っていたというよりも、メインがパスタと言うのが残念な理由。
ということで、今回はサーモンにしてみた。

ナダオ店内
[ナダオとは星の田んぼという意味]

サーモンの味の方は印象に残るほど美味しいと感じさせてくれるものではなかった。
もちろん不味くはないけど、メインが出てくる前にテーブルに置かれたパンがやたらと美味しくて、パンばかりいくつも食べてしまっていたことも影響していたかもしれない。

以前、市内中心部にあった時と比べると店は大きく立派になっている。
スタッフの数も倍増しているけれど、研修生なのか新人なのか若いスタッフが多くなっており、彼女らはまだまだ修業が足りず、気配りができていない。
突っ立っておしゃべりをして、お客のテーブルの様子などに気を使っていない。
以前の店の方が、良かったかな。

サーモン
[サラダやスープそしてデザートにカラメルも付く]

ランチを食べて、自転車を戻してバスターミナルへ向かう。
ノンカーイ行きのバスまではまだ間があり、早く着きすぎてしまった。
バスターミナルは工事が中断したままのビル建設現場のようなところで、埃っぽくて暑い。
市内を走るバスやタイへの国際バスが発着するが、市内バスは緑色に塗られたものばかり。
日本から送られたマイクロバスもたくさん見かけるが、韓国からのバスも多い。
しかし、韓国からのバスはいずれも新車ながら使われている形跡がない。
バスターミナルの中に留め置きされたままになっている。

ビエンチャンの市バス
[今は日本の援助バスだらけだけど、そのうち韓国になるのだろうか]

ノンカーイでは一昨日と同じホワイトインホテルに宿泊。
夕食は屋台で簡単に済ませる。

屋台飯
[路上で晩御飯]

つづく

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