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バンコク-ピサヌロークで寄り道
9月7日 土曜日

昨日までにバンコクでの仕事を終えたので、バンコクからピサヌロークへ戻る。
しかし、昨晩溜まっていた洗濯物を洗濯しておいたので、朝はまずアイロンがけを行う。
アイロンがけは得意ではない。
洗濯屋さんなどは、どうやってたくさんの洗濯物にアイロンをかけることができるのだろうか?
5枚ほどのワイシャツとたった一本のズボンへアイロンをかけるだけで1時間以上の時間をつぶしてしまった。

アイロンがけも終わって、ピサヌロークへ向けて出発しようと思ったら、ネコに狂犬病の予防接種を受けさせるのを忘れていた。
毎年8月に予防接種を受けに行っていたのに、もう9月である。
またの機会にしようかとも迷ったのだけれど、やっぱり次も忘れてしまうだろうから、思い出したときにやっておかなくてはと動物病院へ向かう。

ネコは動物病院が大嫌い。
フーフーとトラのように毛を逆立てて怒っている。
ちょっとでも触れようものなら、攻撃してきそうだ。
目の光り方が野生の肉食野獣そのものになっている。

それでも、タオルに包んで、身動きできないようにしたところで腰のあたりにブスリと注射。
あっという間にお終いである。

予防接種を終えたらば、もう11時になっている。
いまからまっすぐピサヌロークへ向かえば、夕方には到着できるだろうけど、このところやたらと疲れているので、ちょっとのんびりしたい。
さっさとピサヌロークへ帰って、明日ゆっくりすればよいもののだけれど、ピサヌロークへ着いてしまえば、またピサヌロークでのことが気になってのんびりできない。

今回は、明日も休ませてもらうこととして、ピサヌロークへ直行しないで寄り道していくことにする。
疲れているときには、温泉が一番。
私がタイで一番気に入っている温泉はサモートーン温泉。
ウタイタニ県の山の中にあり、湖の中に突き出た岬のようなところに湧く温泉で、とにかく景色がいいし、お湯の質もイイ。

しかし、残念なことに、昨年から温泉施設内のバンガローが修繕か何か知らないけれど、宿泊できなくなっている。
あれから1年以上過ぎてるし、もう営業再開しているかもしれないと思い、今日はサモートーン温泉に行ってみることにした。

スパンブリへの街道へ向かう道路は、渋滞をしていた。
バーンブアトーンあたりでもうお昼になっていたけれど、この辺りではあんまり食事をしたくない。
もう少し落ち着いたところがいいなと思いながらハンドルを握っているうちにスパンブリを過ぎて、時刻も1時を回った。

田舎道へはいってすぐに、大きな合歓の木の下にテーブルを並べて店開きしている食堂があった。
村人たちがテーブルを囲み、世間話なんかしている牧歌的な店。
こんな感じの食堂、旨いか不味いかは別問題として、嫌いではない。
こんな田舎でどんなものを食べさせるのかわからないけれど、
「バジル炒め」ならまず当たりはずれがないはずなので、鶏肉のバジル炒めご飯を注文。
「辛いの食べられるのかい?」と店の女主人が聞いてくる。
「食べられさ」と答えたが、出てきたバジル炒めはこれでもかってほどに唐辛子が入っていた。

午後3時、サモートーン温泉に到着。
さっそくバンガローに泊まれるかと確認したところ、「泊まれない」とつれない返事。
ここのお湯もいいし、景色も良いのだけれど、入浴施設としての個室の浴室は今ひとつである。
浴槽が直径1メートルくらいしかない。
そしても周囲の景色が良いのに浴室には窓がない。
つまり小屋の中でただお湯の張られた浴槽にはまり込むだけ。
料金は30バーツと安いし、泉質も良いのだけれど、入浴時間は一回30分と制限までつく。
「30分なんかじゃ短すぎるよ」と抗議したが、
「30分で十分だよ」と言い返される。

しかし、どうせここには宿泊できないのだから、さっさと入浴して、どこか景色の良さそうなところに今晩の宿を確保しなくては。

私が入浴している間、ネコは車の中で留守番。
ネコもシャンプーしてやりたいけど、30分の制限時間じゃ時間が足りない。

さっさと入浴を済ませて、温泉の係員に「もう少しのんびり入りたかったよ」と不満を言ったら、
「どうせガラガラだから、もっとゆっくり入っててよかったのに」と言われる。
そんなの、先に行ってほしいよな。
でも、ものは考えようで、
この温泉手前にオンボロのリゾート(タイ式簡易宿泊所)があったから、今晩はそこに泊まることにすれば、もう一度ゆっくり入浴できるだろうし、それも悪くなさそう。

しかし、残念なことにそのオンボロリゾートも営業していなかった。
ほとんど廃業したかと思えるように朽ち果てていた。

こうなったら、どこか探さなくては、、、。
地図を見ると、この北20キロほどのところに、タップセーラーという大きな湖(ダム湖)があるらしい。
地形から見て、山に囲まれて景色も良さそうに思われる。
まっすぐ向かう道はなさそうなので、ラーンサックという村を経由していく。

ふつうなら街道沿いにモーテル風のリゾートと呼ばれる簡易宿泊所があるものだけれど、この辺りは車の通行量も少ないし、人口密度も希薄なようで、宿泊施設そのものが見当たらない。
それでも、タップセーラー湖あたりへ行けば、風光明媚そうなので、宿泊施設くらいあるだろうと希望を持つ。

が、なかった。
湖周辺は、ほとんど民家もなく、何となく開拓村のような集落が点在する程度。
未舗装の道をピックアップトラックが砂埃を巻き上げて走ってくる。

湖畔に出た。
やっぱり何もない。
西日をバックにして、遠くに水牛の群れが見える。
湖の中から、まるで水陸両用車のように岸に上がってきて、そのまま草原の中を歩いている。
なかなか絵になる景色だけど、そんな景色だけを眺めても仕方がない。
湖の対岸に朱色の屋根のような連なりが見える。
あれは湖岸のリゾートではないだろうか、ちょっと行ってみるかとまた車で未舗装道を進む。

タップセーラー湖
[西日で逆光の中、水牛の群れが湖から出てきた]

と、いきなり空へ向かって、白い線が伸びていくのが目にとまった。
少し遅れて、ヒュルルルと音が聞こえてくる。
なんだろう、花火にしては白い煙が長く尾を引きすぎている。

バンファイという竹筒ロケットらしい。
どうぞよろしくお願いいたします。
道端にも「バンファイはこちら」と道しるべが出ている。

バンファイはもともと東北タイの雨乞い祭りのようなものだけれど、こんなところでもやっているらしい。
道しるべに従って走ってみたが、バンファイ会場はすでに取り片付けの最中であった。
時刻も5時を回っている。

タップセーラー湖
[大きなダム湖だけれど、深い山の谷にあるわけではないので、大きな用水池のようにも見える]


朱色の屋根のような連なりはやはり宿泊施設であった。
公的機関の経営する貸別荘のような施設であったが、宿泊料は1000バーツ、しかも本日は満室とのことであった。
どうやら湖畔ではオフロードバイクの大会が開催されているようで、その会場になっているらしい。
これでは仮に泊まれたとしても、静かな湖畔は望めず、騒がしくうるさい一夜になりそうだ。

こうなったら、カンペンペットの温泉に向かって走ってみるかと考える。
2時間も走れば到着できるのではないかと甘く考えていたけれど、あっという間に日没。
真っ暗な田舎道をひたすら走っていると、眠気が襲ってくる。
それに空腹も覚えるが、ときどき通り過ぎる集落には食堂のような店は見当たらない。

メーウォンという村で、やっと食堂らしい店を見かけた。
もうカンペンペットの温泉なんかに今から行こうなんて気は薄れてしまっている。
さっさとどこかに宿を確保して、ビールでも飲みながら夕食にしたいという気持ちが勝っている。
だから食堂を見つけても、ビールを安心して飲めるように宿探しが優先されなくてはならない。

メーウォンの村を抜けて、少し走ったところで、貸別荘を見つけた。
貸別荘と言ってもモーテルとほとんど変わらない。
真っ暗な中に車を乗り入れて、誰もいないのかと思い、引き返そうとしたら中年女性が出てきた。
「ここには泊まれるのか」と聞いたら、
「500バーツ」という。
そして「なんだこれは?」とぞんざいな口の利き方で、後部座席の窓から私と女性とのやり取りを見ていたネコを指さす。
「ネコさ」と答えたところ、
「ダメダメ、動物なんかお断りだよ」と言ってまた奥へ引っ込んでしまった。
その感じが良くないので、仮にネコのことがなくても泊まりたくないなと思った。

さて、どうしたもんかとそのまま進んだら、ドークラック・リゾートという小さなモーテルを発見。
入口の犬は吠えてたが、中に入ると何匹ものネコたちが歓迎してくれた。
一泊350バーツで、エアコンもWiFiも冷蔵庫もあるとのことで、即決。
モーテルの仔猫たちは、中庭の木によじ登ったり、追っかけっこをしたりと大はしゃぎしている。
ここならうちのネコと一緒に泊まっても不快な思いをしなくても良さそうだ。

時刻は夜8時を回っている。
宿にはカップ麺はあるが、食事施設はないそうで、この先を5分くらい行ったら何か食べるところがあるかもしれないと宿の女主人に教えられて、向かってみる。

2キロほど進んだところに交差点があり、その周辺に店がちらほら並んでいるらしい。
すでにみんなシャッターを下ろして真っ暗なので、どんな店なのかわからないが、食事ができそうな店は見当たらなかった。
ならば、もう少し先へ進んでみるかと、また2キロほど進むと、また別の交差点があったけれど、やはり食堂などはなさそう。
だったら、さっきの交差点で交差する道へ入ってみたらなんかあるかもしれないと、元来た道へ戻ってみる。

言われなければわからないような、薄暗い食堂があった。
粥屋のようである。
ヤムに空芯菜炒め、そして白粥にビール。
この程度のものはできるらしい。
ヤムはヤムママーという即席麺のヤム。
空芯菜炒めはピサヌロークで食べ慣れているのが絶品なので、ちょっと味が劣るけど、
ビールは同じ味で、疲れた体に染みわたってくる。
いや、こんな超田舎の集落で、日没後にこうして夕食と冷えたビールにありつけただけでも幸せである。

田舎食堂
[こんな店で、こんな料理でも、ビールといただくと旨いんですよ]



9月8日 日曜日

朝を目を覚ます。
こんなモーテルにも宿泊客が結構あるようで、ほとんどの部屋の前には車が止まっている。
中にはバイクが止まっている部屋もある。
あんな夜道をバイクで走るなんで、ずいぶんと怖かっただろう。

このモーテルの中庭には、壁がなくて吹きさらしの小屋がある。
テーブルがしつらえてあって、ここにモーニングコーヒーが用意されている。
モーニングコーヒーといってもスティック入りのインスタントで、湯沸しポットも置かれている。
コーヒーカップは小さいけれどスティックは大きい。
タイの人が大好きな3in1というタイプで、コーヒーもミルクも砂糖もみんな一緒に入っている。
この一袋を小さめのカップに入れてお湯を注ぐ。
これが本当にコーヒーなのだろうか、ココアの間違いではないかと思うくらいに甘ったるかった。

モーニングコーヒー
[朝の景色も悪くない]

せっかくここまで来たのだし、このあとピサヌロークへ直行しないで、カンペーンペットのプラルアン温泉で朝風呂をしてから帰ろうかと考える。
しかし、準備が悪く、ネコの餌を持ってくるのを忘れていた。
ネコの餌皿はすっかり空っぽになっている。
どうりで昨晩はネコが何か言いたげに私の眠りを何度も妨害してたが、餌がほしかったのかと納得する。
当座どこかのコンビニでネコの餌でも仕入れるとして、今何か食べさせてやりたい。

ちょっと悪いとは思ったけれど、このモーテルで飼われているネコたちの餌皿から餌を一つまみ失敬する。

泥棒ネコ
[ネコの餌をかすめ取るなんて、泥棒ネコにも劣る行為をしてしまった]

左手に山並みが続く田舎道を北上する。
灌木林と荒地と畑と開拓村。
そんな集落の中で、目立つのは携帯電話屋。
派手な広告看板だけはバンコクの本部から送られてくるものを掲げているのか、色の乏しい村の中でやたらと目立つ存在になっている。

メーピン川を渡ってカンペーンペットに入り、旧道をさらに北上。
少しお腹が空いてきたので、何か食べたいと思う。
道端でトウモロコシを売っている露店がいくつか見えた。
トウモロコシでもかじりながらというのも悪くないなと思い、次に見かけたら買おうと思ったのに、もうトウモロコシの露店は現れなくなってしまった。

旧道沿いなので時々集落がある。
集落にはお寺がある。
開拓村だと、ほとんどお寺を見かけることがないから、お寺があるのは古くからある村の証拠なのだろう。
そうした集落の雑貨屋ではクオッティオを食べさせるところも多い。
でも、この手の副業クオッティオはあんまり美味しくないとの先入観がある。
やっぱり専門店で食べたいけど、田舎の集落では望み薄かなと思っていたら、意外にもありました。
ちょっと行き過ぎてしまったので、Uターンして戻る。
スープの大鍋からは湯気が上がっているのだけれど、店は無人である。
すぐ裏が農家のような民家なので、覗いてみるが人の気配がない。
困ったもんだ、と思って待っていたら、トイレで用足しでもしてたのか、ようやく女主人の登場。

クオッティオ・トムヤムを注文する。
やはりこのあたりはスコタイ・ヌードルの本場だから、正調のクオッティオ・トムヤムが食べられるかと期待する。
ここも吹きさらしというか、風通しがよすぎるというか、屋根はあるけど壁で囲まれていない建物になっている。
それでも小奇麗にしてあり、雰囲気は悪くない。
メニューには「辛いのや、ピーナッツが食べられない人は事前に申し出てほしい」と書かれている。
最近はタイ人でも唐辛子が苦手な人がふえているらしいし、ピーナッツアレルギーなんてのもあるのだろう。
そんなことを書いているくらいだから、集落の常連相手の店ではなく、私のような一見客相手の店なんだろう。
となると、ちょっと味が心配になったけれど、やっぱり専門店だけあって、美味しかった。
トムヤムにちょっと砂糖が入りすぎている感じもしたけれど、あくどさまでは感じなかった。
これで30バーツだったから、一見客相手でも、まっとうな食堂だったようだ。

クオッティオ専門店

[奥に張り出されているのがメニュー]

プラルアン温泉では大浴場へ直行する。
大浴場内には先客のタイ人が一人あり、お湯の温度は40度とかなりぬるめ。
温水プール並といった感じ。
タイのタイ人と混浴するのは初めてのような気もするが、彼は黙ってお湯に浸かっているだけ。
前回北海道の温泉で体験した韓国人との混浴のように、風呂で泳ぐなんてこともない。
ここの大浴場には、浴場内に洗い場もなければ、手桶もないし、洗面器だったない。
入浴前には露天のシャワーを浴びることになっているが、浴びせ湯もなしにプール同様に浴槽にドボンしてしまうスタイル。
タイ人の彼が露天シャワーへ行ったので、私は大浴場の管理人に「お湯がぬるい」と訴えた。
「そんなことないよ、タイ人には熱い」と言い返してきたが、ごり押しして湯の栓を開いてもらった。

ゴボコボとお湯が出てきて、少しずつお湯の温度が上がってくる。
放っておくと、風呂の表面部分だけ熱くなってしまうので、お湯を手でかき混ぜ続ける。
まだまだ適温には程遠かったけれど、これ以上になるとタイ人には無理かもしれないと思ったころ、
「もういいだろう」と管理人が声をかけてくる。

シャワーからタイ人の彼が戻ってきて、浴槽に足を入れたとたん「ウォッ」と声を上げた。
やっぱりタイ人には熱いらしい。
それでも42度にもなっていないと思うのだけれど、
「熱くないのか」と彼が聞いてくる。
「表面だけさ、下はぬるいから、かき混ぜれば大丈夫」と答えたが、彼は3分も入っていたら、出て行ってしまった。

大浴場
[壁の絵はコ・ローイと言う場所だそうで、さっき走ってきた道沿いにあった場所のようだ]

続いてやってきたのはスペイン人かイタリア人か、言葉がラテン風発音の西洋人の親子。
男湯なので当然、父親と息子というペア。
息子ははしゃいでいる。
女湯の方にはタイ人の彼女でもいるらしく、"I miss you"などと英語で呼びかけたりしている。
彼らには、このお湯も当然熱くないようで、たぶん私と同様に少しぬるいくらいに感じているようだ。
「写真に撮ってくれ」とスマートフォンを渡される。

小一時間ほど入浴して、ピサヌロークへ帰ることにする。
バンコクからピサヌロークへたまには寄り道も悪くないと思った。

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| 日常 | 11:51 AM | comments (0) | trackback (0) |
ビルマカロー三一会
6月の後半から、今月はじめにかけて、何度もミャンマーのミャワディへ行ってきた。
タイとミャンマーの間の物流事情の垣間見ることが目的であった。
数年前にも、ミャワディーからミャンマーに入り、モーラミャインを経由して、ヤンゴンまで走破したことがある。
正式開業前のミャワディー-コーカレイ区間のハイウェイも試走した。
当時と比べ、物流事情は大幅に改善されて、大型トラックやトレーラーが列を成して行きかっていた。
メーソットとミャワディを結ぶ友好橋だけでは、膨大な物流をこなせず、国境のモエ川沿いにいくつもの渡船場が活況を呈していた。
それに、立派な施設の第二友好橋も正式開業を待つばかりになっている。

今月はじめには、物流取材に同行して、やはりミャワディーより入り、モーラミャインを経由して、ヤンゴンまで抜けてみた。
雨季の最中ということもあり、貧弱な道路整備事情で、大型トラックでの物流は、凄惨と呼びたくなるほど、酷いことになっていたけれど、それでもきっと何年か後には、改善されてインドシナ半島を横断する大動脈になりそうな手ごたえを感じた。

このルートを今から70年以上前に、たくさんの日本兵たちが進攻していった。
インパール作戦に投入された弓部隊も、このミャワディからのルートで進軍して行ったことになっている。

今月は、「思い出の記」という自費出版本を読んだ。
今から30年ほど前に「ビルマカロー三一会」により発行されたもので、
ビルマカロー三一会というのは、戦時中ビルマ中部、シャン高原に展開した第三航空通信連隊第一中隊戦友会のことである。
縁あって、30年前にお付き合いをさせてもらい、一緒にタイ国内でかつて駐屯されていた町などを回ってきたことがある。
本の内容は、航空通信連隊発足までの経緯から始まり、その後、大半を戦友会メンバーによる当時の思い出話によって構成されている。

思い出の記
[自費出版本、思い出の記]

この第三航空通信連隊は昭和17年9月に当時のラングーンで結成された連隊で、航空通信強化の必要性から第一航空通信連隊などからの移籍者を中心に構成されていた。
この兵隊たちがラングーンへ入る道のりはさまざまで、まだ泰緬鉄道が完成していなかったこともあり、シンガポールからマラッカ海峡を通って海路入って来るもの、仏印からタイを陸路で横断し、ピサヌローク、メーソット、モールメインと入って来るものさまざまであったようだ。

航空通信連隊という性質上、最前線で敵と戦うというより、後方で通信の中継に当たるのが中心任務。
そのため、ビルマに展開していた部隊としては戦死者の数はそれほど多くなく、戦死の原因は、事故や爆撃、または病気によるものが中心のようであった。
ビルマからの撤収命令も、他の部隊よりも早く昭和20年3月には出ている。
それでも、ビルマ中部各地に展開していた関係上、撤収では相当苦労をしているようである。
主力は、カローよりタウンジーを経て、シャン高原を抜けてタイへ入っている。
サルウィン川の渡河では、ゲリラの襲撃にも遭ったりしている。
ほとんどが徒歩行軍で、食料はなく、野草を岩塩で茹でて食べるだけという記載が目立った。

また、シャン高原を抜けるルートではなく、ビルマ南部入り口のモールメンから泰緬鉄道の起点タンビザヤを回ってタイへ戻ったというものもある。
このルートは、カローよりシャン高原を下ってすぐの交通の要衝タジ(サジ)に隣接するメイクテーラが英軍機甲部隊に蹂躙され、日本軍の抵抗むなしく壊滅したばかり、波に乗る英軍はラングーンへ向けて進撃中。まるで英軍に終われるようにして、南へ転進していくのだけれど、各地でビルマ反乱軍の放棄に遭ったりしている。

書き手側の元兵士たちは、戦後も40年以上過ぎてから書いているので、記憶が曖昧になっているところもあるだろうし、場合によっては思い違いもあるかもしれない。
しかし、ほとんどが召集されたり志願してビルマへ入った当時は、意気軒昂であったものが、戦争が終わってみると、「あの戦争は間違っていた」との立場に立っている。
そして、ほとんどの文章は「戦争によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りします」で結ばれている。
「戦争は二度としてはいけない」といったことを書いている人も多かった。

当時の写真
[連隊発足当時の写真]

私はもう長いこと、このカロー三一会の方々と連絡を取っていない。
たぶん、存命の方はとても少なくなってきているはずだ。
そうした戦争体験者が「戦争は二度としてはいけない」と後世に伝えようとしたことも、風化し始めているかもしれない。
そして、この本の中にあるのは、戦時下の兵士たちの日常が中心となっている。
戦争に絡んださまざまな記録が残されているだろうけれど、兵士たちの日常を記録したものは、残りにくいのではないだろうか。
そして、それが一番先に風化して消えていってしまうのだろう。

戦争という異常事態の中にあっても、人として生きている限りは、生きるか死ぬかの狭間にも、喜怒哀楽があったことが書き記されている。
南方へ向かう船の中で、初めて食べたマンゴーの味。
市場での買い物。
ビルマ娘に寄せる淡い恋情。
兵士たちも、若い青年たちであったことが行間に散見できる。

首長族
[シャン高原では首長族にも出会っているようであった]

終戦の迎えた日のことも、ほとんどの方が書かれている。
通信を扱っているので、早くから何が起こるか知っていたものもいた。
戦争に負けて、男泣きに泣いたものもいた。
酒保の酒を開放して、残念会をした人たちもいた。
ラジオ放送がよく聞き取れず、慰安婦から終戦を教えてもらったという者までいた。
ほとんどがタイへ撤退した後に、終戦を迎えられた関係上、終戦の半年後には復員を果たせている。

縁あって、私は現在タイ中北部のピサヌロークにいることが多いのだけれど、
この三一会のメンバーはビルマからタイへ撤収後、ナコンサワンからランパーンまでの間で、通信線敷設や保線の任務についている。
そのことを書いている人も多く、当時の交通事情の悪さを書いているものが目立つ。
ビルマでは舗装道路であったのが、タイでは牛車道ばかりで、車での移動が大変であったらしい。

当時のピサヌロークの様子を書いている文章もあり、
ピサヌロークはピサンロークと書かれているが、「川には筏を組んだ住宅があり」と記されている。
現在でも、ピサヌローク中心部を流れるナーン川には筏の住宅が並んでいる箇所があるが、当時はその数ももっと多かったことであろう。
そして、「大小便も垂れ流し」で不潔そのものだけど、炊事はその川の水を使わなくてはならなかった話が書かれている。
その後、ビルマへの進駐に際して、ラーヘン(ターク)、メソード(メーソット)、コーカレーを通ってモールメンへ移動していくが、
ピサヌロークからタークへの中間地点で、道沿いにあるはずのスコタイ遺跡のことに触れている文章は、この本の中には一つも出てこなかった。
ビルマのペグー(バゴー)にある寝釈迦仏の話や、アンコールワット、インレー湖などは登場するけれど、スコタイ遺跡などは、当時は関心が薄く、日本兵たちの記憶にも残らなかったのかもしれない。

ピサヌローク
[1989年にピサヌローク再訪時の写真]

カローは学生時代、鉄道駅の終点ニュアンシエからタジへ向かう途中で通過しているはずだけれども、当時は何も知識がなかったので、カローがどんなところだったかの記憶がまったくない。
この本の中には、松林があり、ビルマの軽井沢のようなところだと書かれている。
そして、当時の兵士たちが口ずさんだという「シャン高原ブルース」の歌詞が転載されている。
1 .野行き山行き 南の果てに
 来たぞ高原 シャンの町
 お花畑に 松風吹けば
 桜吹雪の 春の宵
2. 牛車に揺られて 鈴の音かなし
 行くはカローか お湯の里
 灯りちらほら 狭霧に揺れて
 夢を見るよな インレイ湖
3. 野焼き山焼き ヘイホウ辺り
 風に燃えます 夜もすがら
 咽び泣くよな 汽笛の音は
 あれはシュワイニャン終車駅
4. 月も朧な ヤンフェイ過ぎて
 逢うたあのこの 片えくぼ
 誰にやるのか 花束抱いて
 赤いロンジーが気にかかる
5. 旅のたそがれ パゴダの丘に
 鐘が鳴ります 虹の森
 煙るタウンジー道しろじろと
 遠いロイコーの夜の雨

30年前、タイを三一会のメンバーと回っているバスの中で、ずっとこの歌を歌っていたのは、森山金蔵さんだった。
バナナでナマズが釣れた話なんかをしてくれた。

署名
[本として出版されても、いずれは風化してしまい、大局的な歴史の中にうずもれてしまうのだろう]

今でもまだミャンマーの中で、タウンジーからロイコー、タカオを経てケンタン(チャイントン)へのルートは外国人に解放されていない。
カローからシャン高原を越えて転進してきたメンバーの思い出が最も濃い部分を私はまだこの目で見ることができていない。
いや、カローなど行く気になれば、いつでもいける世の中になったのに、まだ訪問していない。
本の中にある手書きされたカローの地図とGoogleマップを見比べて、今のうちに行っておかなくてはと思うばかりである。

カロー地図
[大戦中のカロー手書き地図]


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一時帰国 ラビットスクーター燃料タンク錆び落とし
7月10日(水)~14日(日)

またまた中華航空での一時帰国です。
帰国目的と言えるものは大してないのですが、今回は帰国中にラビットスクーターの燃料タンクに溜まったサビを落としてしまいたいと考えています。
そのため、前回一時帰国した時に「花咲かG」なる燃料タンクのサビ取り剤も購入してある。

花咲かG
[バイクショップで購入しておいた錆び落とし剤]

で、今回もいつもと同じ便をマンネリで予約してあったのだけれど、5月の終わりに中華航空からメールが届いて、予約していた便の欠航が決まったので、次の便になったと知らせてきた。
結構になったのはバンコクから台北まで。
そして、振り返られたという便と新しい予約のスケジュールが届いたのだけれど、台北から成田への便の変更はされておらず、変更された便で台北に到着した時には、既に乗継便は飛び去った後のスケジュールとなっている。
そのことに気づいて、先月札幌へ行くときに、中華航空のカウンターで「大丈夫か」と確認したら「マイペンライ、ノープロブレム」と言われて、余計に心配になってしまった。
結局、札幌滞在中に日本の予約センターへ電話をして、乗継便も後ろにずらしてもらったが、本来の規定からすると乗り継ぎ時間が足りないのだとか、、。
さて、実際に中華航空がどんな対応をして見せるのか楽しみでもあり、不安でもあった。

出発便が11時発と遅くなったことで、アパートを出るのにも余裕ができた。
バンコクの空港までの行き方を変えて遊んでみる。
タクシーに乗れば、簡単で早いのは当然。
いつものようにエアポートリンクのラムカムヘーン駅までバイタクという手も悪くないのだが、今回は余裕があるので、アパートから30分ほど歩いたところにある国鉄クロンタン駅まで出て、そこからバーンタプチャーン駅まで汽車に乗り、バーンタプチャーンでエアポートリンクに乗り換えることとした。
金額的にはとても安いが、乗り換えの不便と、徒歩30分というオマケまでついてくる。
しかし、これが私には面白い。

通勤時間帯ということもあり、クロンタン駅までの狭い路地には車がぎっしり詰まっている。
歩道なんて確保されてないから、路肩ギリギリまで車が渋滞で止まっている。
そのためキャリーバックを引っ張って歩くのに苦労した。

駅では15分ほど汽車を待つ。
クロンタンからバーンタプチャーンまでたったの2バーツである。
遅れてきた汽車は4両編成のディーゼルカー。
平日の下りということで、座って乗ることができた。
もう、このへんから旅しているムードになれるのがうれしい。

2バーツの切符
[たった2バーツの切符]

ディーゼルカーの車内
[朝の下り線なのでノンビリムード]

バーンタプチャーンは小さな駅で、少し離れたところにエアポートリンクの駅がある。
タイはこうした電車の乗り換えとか、構造的にほとんど考慮されていない。
地下鉄とBTSの乗り換えなども、どうしてこんなに不便なのかと思う。
しかし、旅している気分なので、ちょっとくらいの不便も楽しく感じられる余裕がある。

バンコクから台北までのエコノミークラスは8割くらいの搭乗率。
いつもの指定席である8Dが確保されてて、また私以外一列丸々空席のままとなっているのも、くつろげてうれしい。
機内食はタイ風のカレーと切り干し大根。
タイでも切り干し大根はよく食べられていて、お粥のオカズに添えられていることも多い。

タイ料理風の機内食
[プリック・ナムプラーがほしいところです]

さて、問題の台北での飛行機の乗り継ぎ。
規定時間を満たしていないと言っても、乗り継ぎ時間は40分ほどある。
ターミナル間の移動もあるけど、ギリギリという感じはしない。

飛行機から降りたところに係員が待っていて、乗継便のゲートまで誘導してくれた。
カートではなく徒歩での移動であったが、スムースに動けたので、余裕で乗継便の機内へ入ることができた。
これもまた指定席の8D。
ただし、こんどは搭乗率が3割程度しかなくガラガラ。

乗継シール
[こんなシールを貼られて空港内を移動]

11日は朝からラビットスクーターの燃料タンクを取り外す作業を行う。
すでに何とか取り外してきているので、手順は簡単。
タンクに残っているガソリンを抜き取り、ボテイィーを固定しているボルトを外し、タンクを下ろす。

タンク内のサビもひどいが、車体のサビも半端ではない。
これも早めに対策を講じないと、、、。

ラビットスクーター分解
[製造後50年以上経過してます]

花咲かGの説明に従って、中性洗剤でタンク内を洗浄。
その後、お湯を入れて10%に薄めたサビ取り剤をタンクに注入。
密閉したつもりのタンクかサビ取り剤が漏れ出す可能性があるので、作業は台所の流しで行う。

錆び落とし作業
[シンク台にすっぽり]

しかし、サビ取り剤を注入し終わってしまうと、後はもうひたすら待つだけ。
24時間以上かかるそうだし、酷いサビには、もっと時間をかける必要があるらしい。
最大2週間とあるけれど、一時帰国の時間は限られている。

午後からは雨となって、ラビット関連の他の補修作業もできなくなってしまう。

夜は長男の優泰が来て、商店街の中の寿司屋で夕食を共にする。
いい気分で飲み過ぎてしまった。
カード払いと言うのは、金銭感覚を鈍らせてしまうようだ。

留守番ネコ
[ネコはちゃんと留守番しているようだ]

12日は父親と会う。
小雨が降る中、約束の志木駅までバスに乗って出かける。
昼食を一緒に食べるだけのことであるが、志木あたり昔は川魚が良く取れたそうで、明治時代から続くという川魚料理専門店でごちそうになってしまった。
食べたものは土用丑の日も近いので、あちこちに「うなぎ」の幟やポスターが貼ってあるからか、うな重となる。
他に鯉の洗いもいただく。

残念ながら、うなぎは100年以上続く老舗料理屋とは思えないくらい脂の乗りの悪い、かわいそうなウナギであった。
資源としてのウナギが減っているというから、贅沢も言えないが、こんな「土用丑の日」みたいな習慣などやめてしまえば、ウナギもまた増えてくるのではないだろうか。
それに、まだ梅雨も明けていないので、ウナギのパワーで夏を乗り切ろうという感じにもなれない。
鯉の洗いは、川魚専門店だけあってとても美味しかった。

自分がどこにいるのかもよくわからないが、雨も上がったので、バスに乗らず歩いて帰ることにする。
南に向かって歩けば清瀬に行きつくだろうし、清瀬までくれば、後は道がわかる。

ヒバリがなく畑の中の土の道を歩くのは、何十年ぶりだろう。
川沿いの道や、雑木林、なかなかいい感じである。
川越街道だけはトラックが多くて、今一つだったけれど、それ以外は何十年も昔、子供の頃に見た光景の中に戻ったような感じがした。

16キロも歩いてた
[ずいぶんと歩いたもんだ]

13日
ついにサビ取り48時間が経過した。
サビ取り剤を抜いてみる。

タンク内部を乾燥される
[掃除機を使ってタンク内部を乾燥させる]

この花咲かGでのサビ取り体験をした人のブログを読んだことがあるが、タンクから出てくるサビ取り剤は、ドロドロに汚れてたけど、タンクの内部はピカピカになっていたというものばかりであった。
それを期待していたけれど、タンクから出てくるサビ取り剤は半透明のまま。
キレイでサラサラ。
あれれ、話が違うじゃん。
サビ取り剤を抜き取った後のタンクの中をのぞいたら、まだまだサビが浮いている。
でも、もうやり直している時間はない。

タンクの底にはまだ錆びが
[タンクの底のサビはまだ取り切れていないみたいだ]

お昼に「こばやし」のカツ丼を食べる。
慣れ親しんだ味だから美味しく感じるのか、それとも先日タイの田舎で食べたカツ丼があんまりおいしくなかったからか、ここのかつ丼がやたらと美味しい。
でも、ひとつだけ残念なのは、私が昔食べたのは、いつも出前で、店で食べたことはなかった。
その出前のカツ丼など丼物は、丼に蓋が付いていて、この蓋を開けたときにプワーンと、甘辛いタレの香りがたまらなく食欲をそそったものである。
しかし、お店で食べるときには丼に蓋が付いてこない。
このプワーンがないのがちょっと寂しい。

カツ丼
[天下一品、こばやしのカツ丼]

午後には燃料タンクをラビットスクーターに装着して試験走行に出かける。
少しエンジンのスタートに手間取ったけれど、あとはちゃんとガソリンが流れているようでエンジンの回転も安定している。
しばらく走っても、燃料詰まりなどによる不調は感じない。

ラビットスクーター
[とりあえず、燃料詰まりもなくなった感じ]

そのまま東村山方向へ走り、多摩湖のあたりを走ろうとしたが、昔おとぎ電車と言ってた山口線の線路沿いの道は二輪車通行禁止になっていた。
しかたなく裏山の住宅地を迂回して、新青梅街道で田無、保谷へと走ってみる。
燃料は問題なくなったようだけど、エンジンの点火が良くないようで、信号待ちで停車するとエンジンが止まったりする。
きっと点火プラグがダメになっているのだろう。
それにケーブルからの漏電も考えられる。
次の一時帰国の時にはプラグを交換してみることにしよう。

カナブン
[多摩は自然が残っている クヌギの樹液にあつまるカナブン]

14日
タイへ戻る日。
今日も朝から雨が降り続いている。
ドンキホーテで食料品を買い込んで、キャリーバックが二つになってしまった。
ふたつもあると、かさばるし、やっぱり重たい。

買い込んだ食料品のうち、かさばっているのはピサヌロークのスタッフ向けの土産。
いつもはチョコレートとかでごまかしていたけど、今回は美味しいパスタを食べさせてやろうとレトルトのソースや輸入物のパスタを仕入れている。

日本橋からの東京シャトルの成田空港行バスは満席であった。
事前に予約をしてあったので、乗車には問題なかったけど、バスの車内はぎっしりとなった。
座席も狭いのでちょっと窮屈。
雨のためか京葉道が少し渋滞して、予定より遅れて成田空港到着。

成田空港
[台北までの機材はエアバス350]

成田から台北までの飛行機も満席であった。
プレミアムエコノミーの最前列なので、満席でも狭苦しいということはなかったけれど、やっぱり満席だと若干の圧迫感は感じる。
機内では音楽プログラムの「ニッポン・ゴールド」を聴いていたが、今回もキャンディーズはエントリーしていなかった。
私が知っている曲は本田美奈子の86年のマリリンだけであった。

台北では台湾に入国して南崁へ行く。
雨が降っていたら、そのまま空港で寝ていようと思ったのだけれど、雨は降っていなかった。
日が長い季節なので、ターミナルの外へ出てもまだ明るかった。
いつもと同じルートで南崁の街を歩く。

黄昏時
[黄昏時の南崁]

鍋の店が以前より増えているようだけれど、台湾の鍋は独特だと思う。
看板は日本の鍋や韓国の石鍋がイメージされているのだけれど、どこの店も、鍋は個人鍋である。
テーブルで一つの鍋を囲んで食べるのではなく、各自が勝手に小さな鍋で食べるタイプである。
タイでもタイスキやムーガタはあるけど、個人鍋と言うのはあまり聞いたことがない。
しかし、タイでも個人鍋なんかはやりそうな気がする。

台湾の鍋料理食堂
[以前のツアーでも石頭火鍋は人気だったが、あれは個人鍋ではなかった 今はどうなんだろう]

市場で台湾うどんを買い、スーパーで冷凍餃子を仕入れる。
冷凍食品をたくさん買い込みたいけど、ピサヌロークの冷蔵庫は性能悪くて、冷凍食品が解けたりするし、それに冷凍室自体がすごく狭いのて、ほとんど入らない。
即席麺とかお米なんかは、タイより高いのは当然としても、日本よりも高めな感じがする。

台北からバンコクへのフライトは空いていて空席も目立った。
飛行機に乗り込んだ時は、私の8Dの席の列や、すぐ後ろの席などすべて空いていたのだけれど、飛行機の扉がしまったとたんに、後ろの団体席からタイ人が大挙して私の席周辺に移動してきた。
LCCではないから、席の移動は自由なんだろうけど、あんまり喜ばしくない。

牛肉湯麵
[台北の空港ラウンジで牛肉を抜いた牛肉湯麵をいただく]

未明のバンコクに着陸し、入国審査場に急ぐ。
しかし、入国審査場は長蛇の列で、並ぶことさえ拒否されて、その先にある別の入国審査場へ回れと指示される。
でも、当然ながらそちらも長蛇の列。
むしろ最初の審査場より混雑しているくらいだ。
こんなのに付き合っていたら1時間かかっても通過できそうにないので、前回の北海道旅行の時にもらって使わずにとっておいた優先レーンのカードを使ってみることにした。
こちらはガラガラで、前に一人並んでいるだけであった。

で、どうした具合かわからないが、入国スタンプと一緒に優先入国カードを返却してくれた。
これでまた次の機会に使えそうだ。
なお、空港からアパートまで乗ったタクシーはアパート近くの交差点でエンコしてしまいエンジンがなかなかスタートできなくなってしまった。
そのまま降りて歩こうかとも思ったが、荷物が重いので、ボンネットを開けて修理している間もエアコンの止まった車内で待つこととした。

タクシー故障
[ボンネットを開けて修理するタクシー 待ち時間でもメーターは回る]



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| 日常 | 08:07 PM | comments (0) | trackback (0) |
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