■かれんだー■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
<<前月 2024年11月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

台湾湯治旅(後編)
9月23日 月曜日

朝の目覚めは悪くなかった。
温泉効果で体調も回復してきているように感じる。
腹下しはまだ治っていないし、食欲もあまりないので、完全ではないのだろうけど、今日は外を歩き回ることができそうに思える。

宿の前庭
[いい感じの朝、ネットはここならつながる]

7時過ぎに朝食をいただく。
朝食は宿泊客が少ないせいか、饅頭は蒸し器の中に入れられておらず、オーブンで焼いたようなのが2つ朝食用のプレートに置かれて運ばれてきた。
白粥は自由にお代わりできるようただ。
簡単な朝食だけれど、いつもなら何杯もお粥をお腹に詰め込むところだけど、消化不良だからだろうかあんまり食べたくない。

朝食
[朝食はプレート式に戻っていた、、、給食みたい]

9時半過ぎ、多少の体力的不安はあるものの、山歩きを始める。
警光山荘裏からの道はいきなり急な坂道となり、登るのが苦しいが、一歩の歩幅を縮めて、ゆっくりと登る。
そのうちに、息も慣れてきて、苦しくなくなってきた。

サクラが咲いている枝がある。
サルもいた。
サルは枝の上から、その下を通る私を威嚇していた。

サクラ
[この緋桜は少し早咲き過ぎるようだ]

マヘボ露営地を過ぎて、農道のような道を上り下り。
民宿と書かれたペンションやキャンプ場もあるが、みんな寂れていて活気が感じられない。
マヘボ渓渡り、対岸の山を登っていく。
こちらは急斜面に農地を開いた場所が多い。
キャベツやズッキーニ、果実などが栽培されている。
Googleマップの地図を見ながら、歩いていく。
急な上り坂が続くけれど、ゆっくりとした歩みなので息苦しさはあまり感じない。

マヘボ渓
[マヘボ渓の上流へ向かって登っていく]

台湾に来る前に確認した天気予報では、滞在中の予報は毎日雨マークであったけれど、今日は青空が広がっている。
下界は雨が降っているのかもしれないが、標高千メートルを超える山の上は、とても良い天気で気持ちが良い。

標高1500メートルほどのところにある山の尾根で、反対側の斜面の方へ下るつもりにしていたが、その道の入り口がなかなか見つけられなかった。
Googleマップの表示とは少し場所が違うようだ。
やっと見つけた道は、草に覆われて、あまり人の行き来がなされていないような道のようだ。

ボアルン側の眺め
[だんぶ高いところまで登ってきました]

下り坂はやはり楽である。
バイクさえやってこないような森の中の道。
クネクネと続く道を下っていくと、茶畑が現れた。
茶畑の中に踏み込んでみたら、無人と思っていたのに、畑作業をしている人がいた。
向こうも驚いただろう。
しかし、私が日本人だとわかると、自分の父親は日本語が少しわかるという。
父親が小学校一年生まで日本だったという。
まだ健在だそうだ。
この畑仕事をしていた男性も、60歳くらいに見えるが、昔はこのくらいの年齢の人はみんな普通に日本語を話していた。
それから30年以上の時間が過ぎて、世代交代もそろそろ2周目に入ろうとしているようで、日本語が通じたというのも、昔話になってきたようだ。

タロワンの滝
[森を抜けて農地へ出ると視界が開ける]

タロワン稜線を右に、左には山の上に遠く大きな滝を眺めながら、坂道を下っていく。
ふたたびキャンプ場などが出てくる。
この辺りは温泉も湧くようで、温泉施設のあるキャンプ場かいくつかある。
ネコと過ごせることを売りにしたペンションもあり、道には「ネコに注意」との看板もあった。

ネコの飛び出し注意
[ネコの飛び出し注意]

時刻はすでに午後1時をすぎている。
お昼にでも食べようかとアンパンをカバンに入れてきたが、やっばり食欲が沸かず、空腹も覚えない。
このアンパンは一昨日、夜中にお腹がすいたら食べようとバンコクの空港で買ったものだったけれど、いまだに食べる機会がない。

この辺りはかつてタロワン部落があったあたりと思われるが、現在は春陽温泉と呼ばれているらしい。
戦前は桜温泉と呼ばれたのもこの辺りだったろうと思うが、当時の桜温泉を偲ばせるものは全くなかった。

濁水渓を大きな赤い橋で渡り、対岸の斜面を登る。
蘆山温泉へ戻るバス通りは、この斜面のずっと上の方にある。
宿を出るときに、ペットボトルを水筒代わりに水を入れてきたのだけれど、ほとんど飲んでしまって、残りがわずかになってしまっている。
どこかに商店でもあれば、飲み物でも買いたいところだけれど、民家さえほとんどないので、期待できない。

春陽温泉の赤い橋
[以前は細い吊橋だけだったと記憶しているが、新しい橋になって随分と経つようだ]

バスの走る道は急な坂などなくて歩くのには快適。
一時間少々見ておけば温泉まで帰り着けるだろう。
雲龍橋を渡る。
現在のアーチ型の橋は1985年に開通したとなっているが、以前の吊り橋だった時に何度かこの橋を渡った記憶がある。
安全のため橋の手前で降ろされて、歩いて渡ったのだが、そのころにはすでに新しい橋の建設が始まっていただろうけれど、橋の工事を行っていた記憶がない。
なお、橋の手前に橋の名前の由来が書かれていたが、もともとは「龍雲橋」であったのが、龍雲は雲南省で抗日戦争の英雄的将軍だったが、のちに中国共産党側へ寝返ったということで、名前の前後を入れ替えて「雲龍橋」としたと説明されている。

雲龍橋
[この橋も架け替えられてからもう30年以上になる]

午後3時、温泉の吊り橋に到着。
吊り橋たもとで粟餅を売っている店は健在。
以前の主人から代替わりしているが、その代替わりした主人もすでにだいぶ老け込んでいる。
「蒋院長説・・好吃!好吃!」と書かれた看板はそのままだけれど、蒋(経国)院長と言うのも、時代から相当に取り残された感じがする。
1970年代のノスタルジーなのだろうか。

蘆山吊橋
[立ち入り禁止と書かれているようだけど、ここを渡るしかない]

宿に戻って早速大浴場へ。
しかし、浴槽の湯がやたらとぬるい。
温水プール並みの温度しかない。
しばらくそのまま入っていたが、これではだめだと思い、フロントへ源泉のバルブを開いてもらうよう言いに行く。
しばらくして、ゴボゴボとパイプから音がして、熱い源泉が溢れ出てきた。
2時間くらい大浴場で過ごす。
やっぱり、ここの温泉が一番。

大浴場
[松を見ながらのんびり入浴]

風呂上がりに缶ビールを一本飲み干す。
ビールがうまく感じるということは、健康を取り戻してきている証拠なんだろう。

缶ビール
[この犬は温泉宿のペット]

夕食は再び仕切りのある四角いプレートになってしまった。
食事の内容も昨日より一格下がった感じ。
メインは豚の角煮のようなもので、他にキャベツ炒め、アヒル肉、タケノコ、玉子、あとはスープと果物。
質素な料理だけど、隣のテーブルで食事をしている作業員風の二人の惣菜はもっと質素であった。
そして、どうも今夜の宿泊客は私とこの作業員風二人だけのようであった。
これでは手の込んだ料理を期待する方が間違っているだろう。
紹興酒があれば、これらも素敵なおかずに感じられる。

夕食
[二日目の内容は少しグレードダウン]

作業員風の一人は三口であった。
年のころは40歳代に見えるが、顔が土色をしていた。
山地原住民かと思ったが、父親は山東省出身の退役軍人だったという。
もう一人は、台湾人だと言った。
彼らはさっさと食べて引き上げていった。

夕食後に、ふたたび大浴場で温泉。
湯加減もよく、のんびりとしていたら、先ほど作業員風の台湾人が入ってきた。
退役軍人の倅の方は一緒ではない。
外省人は大浴場に入らないのだろうか?

桶
[木製の手桶]

部屋に戻って、また暴れん坊将軍を見る。
そのあとも、日本のテレビ番組が続いてプロレスをやっている。
日本ではもうプロレス人気は下火になっていると思うのだけれと、台湾ではまだまだ人気らしい。
プロレスラーも私の全然知らない面々ばかりであったが、ただひとりちょっと道化役的な立ち回りのレスラーは見覚えがあった。
天龍、まだ現役とは驚いた。
いったい何歳なんだろう。
しかし、このプロレス番組も、大岡越前と同じで、かなり昔の試合を再放送している感じもする。

部屋の風呂に入って就寝。

<hr>

9月24日 火曜日

今朝も寝ざめは悪くない。
もともと、寝つきも悪ければ、寝起きも悪いタチなんだけれど、温泉の効果だろうか、とても快適である。
このままあと何日か、湯治生活をしたいところだけれど、今日はもう帰らなくてはならない。
朝食前に、渓谷沿いの奥にある源泉まで散歩する。
渓谷沿いの歩道も、あちこち崩れて、どうやら本当は立ち入り禁止になっているようだ。
源泉のある場所の茶店も廃業してしまったようだし、この蘆山温泉自体の斜陽がどんどん進んでいるのを感じる。

廃墟化した温泉頭
[廃墟化した温泉頭]

朝食前にも部屋の風呂に入り、朝食会場へ。
既に作業員風の二人は朝食を終えて引き上げた後のようで、テーブルには食べ終わった後の食器が散らかっていた。
今朝の朝食はまた一段と質素なものとなった。
饅頭はおろか、お粥もなく、あるのはピーナッツバターを塗っちトースト、キャベツ炒め、目玉焼を載せたチャーハン。
仕切りのある四角いプレートではなく、ちゃんとそれぞれ器に盛ってもらっているのは、うれしい。

朝食
[とりあえず朝食に仕立てたって感じかな]

山を下りるバスは08:40発ということになっているけれど、バスの運転手たちは気の早い人が多いらしく、時間前に出発してしまうことも多いから、早めに温泉入り口地のバス停に向かう。
運転手の気が早いだけでなく、バスの利用者も少ないので、時間まで待っても誰も乗りこまないなんてこともあるからなのだろう。
この日の朝のバスは私以外に中年の夫婦連れが一組バスに乗り込んだ。

温泉のバス停
[今日も良く晴れています]

埔里でもすぐに台中行きのバスに乗り継ぐことができた。
こちらは少し乗客の数も多い。

台中ではあらかじめ予約しておいた11:30発のバスから11:00発のバスに予約を変更して、そのまままっすぐに桃園空港へ向かう。
乗継よく、まったく快調。
バスの中にはWiFiも飛んでいる。
シートもゆったりしていて、これで空港まで300元なのだから安いものだ。

空港行の高速バス
[緑色のバスはよく目立つ]

午後1時過ぎには桃園空港に到着し、タイガー航空のチェックインカウンターへ。
ネットでチェックインは完了しているが、紙の搭乗券を受け取らなくてはならないらしい。
が、予想外の展開がは発生。
「機材繰りの関係」で出発が夕方6時過ぎになるという。
しかも、バンコクの到着予定時刻は夜9時。
私は夜9時にドンムアンを出る汽車の切符を持っているが、これではピサヌロークへ帰れなくなってしまうではないか。
カウンターの係員と相談するが、LCCなので何の補償もできないという。
どうしても早くいかなくてはならないなら、他の航空会社の切符を買った方が良いとアドバイスしてくれるが、この時間にバンコク行きの飛行機の出発はない。
「こんどからはLCCでない方がイイですよ」とのアドバイスをしてくれるが、一応少しでも早く飛行機から降りられるようにと前方3列目の通路側の席に変更してくれた。

バンコクでは飛行機の遅れに対して飲食券をくれたけれど、台北の空港では何も提供はなかった。
早めに搭乗ゲートに入って、出発を待つ。

飛行機は18:10にゲートを離れた。
機内アナウンスで、バンコクまでの所要時間は離陸後3時間30分を予定していると言っている。
うまくいけば、夜9時少し前にドンムアン空港へ到着できるかもしれない。
でも、入国審査がどうなっていることやら、スワナプーム空港なら優先入国のカードが使えそうだけど、ドンムアンにそんなものがあっただろうか。

前方席は青いカバー
[虎快客、前方優先席と言う意味なんだろう、黒猫がうれしい]

既に夕日が沈んで真っ暗となった台北空港を飛び立つ。
LCCで機内食などのサービスがないのは一向にかまわないが、シートにモニターがないので、いっったいいまどこを飛んでいるのか、あとどのくらい飛べばバンコクなのかが解らないのはストレスになった。
やっぱりモニターくらいは、個別でなくても良いので付けておいてほしいものだ。

タイ時間の20:15に「ドンムアン空港へ向けて下降を開始します」とアナウンスがあり、これは予定より早くもうすぐ到着かと喜んだが、それからが長かった。
右へ旋回したり、左に旋回したり、なかなか地上の明かりが見えてこない。
ジリジリしながら時計をにらむ。

20:40に「最終の着陸態勢に入ります」とアナウンスがあってしばらくして、着陸。
どうか沖止めになんかなりませんようにと祈り、ソワソワ。
ブリッジが伸びてきて、ドアが開く。
LCCの一つだけ良いことは、ビジネスクラスのお客さんが降りるのを待たなくてよいことだろう。
ゲートからコンコースを全力で走り抜ける。
コンコースを歩いている人の姿が少ないので、この時間に到着する便は多くないのかもしれない。
これだと入国審査も空いているかもしれないと期待が沸いてくる。

期待通り、入国審査はほとんど並ぶことなく、すぐにパスポートに入国スタンプが押された。
時刻は20:53。
もう、ここまで来てしまえば大丈夫。

20:53
[夜9時前に無事入国審査完了]

「こんどからはLCCでない方がイイですよ」とのアドバイスしてくれた係員が、前方のシートに変更しててくれたおかげで、なんとか汽車に間に合うことができた。
彼には感謝である。

ドンムアンの鉄道駅に余裕で向かったが、なんと列車は20分ほど遅れているとのことであった。

ピサヌローク到着
[ピサヌロークには午前3時過ぎに無事到着]

[完]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=145 |
| | 12:19 PM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑