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カメラを修理
5月11日から15日にかけて、バンコクのアパートに退避していた。
3日前にインペリアル・ホテルの階段から落ちて、背中と後頭部を痛めており、身体の自由があまり効かない。
ピサヌロークの下宿部屋は、とても暑いし、ベッドに横になっているだけでも、暑さのために苦痛である。
会社からは経費節減のため、一週間の無給休暇を要請されているので、仕事に出かける必要もない。
ということで、バンコクまで行ってしまえば、バンコクのアパートは風通しが良いので、ベッドで安静にしていても苦しくない。

無給扱いなので、バンコクへ行くにしても旅費を節約しなくてはならず、超格安の移動手段である鈍行列車に乗っていく。
朝6時過ぎの各駅停車で8時間の長旅である。
硬いシートとエアコンがなく、開け放った窓からは埃を浴び続けながらの汽車旅は快適とは言えないけれど、片道69バーツと言う運賃は魅力である。

ピサヌロークを出発する前に、駅近くの朝市でパートンコーと豆乳を買って列車に乗り込もうと考えていた。
この朝市のパートンコーはカリッとしていて、旨い。
旨いので、人気もあるようだ。
並ばなくては買えない。
でも、並んだけれど、なかなか順番が回ってこない。
15分経過。
そうこうしているうちに、そろそろ列車の出発時間が迫ってきてしまったので、パートンコーを断念。
パートンコーの代わりに、出来合いのカイチアオ弁当を20バーツで買って駅に走る。

カイチアオ弁当とは、玉子焼き乗せご飯のことで、玉子焼きには、カニカマもどきの切れ端やワケギが少し入っていて、ちょっとナンプラーで味付けしているだけの寂しい弁当である。
この玉子焼き以外に、なんの副菜も付いていない。
20バーツなら高くないけど、寂しい内容であった。

列車に飛び乗ってすぐに出発。
乗車率は20%程度だろうか、コロナの影響でピサヌロークとバンコクを結ぶ列車も、普段なら10往復位あったものが、3往復だけまでに減っている。
それでも、乗客は少ないまま。

カイチアオ弁当以外に、大福もちを持ってきている。
この大福もちは、本日インペリアルホテルに宿泊していた際に、茹でた小豆を餡子にして、作ったもの。
カイチアオ弁当は朝食として、そして大福もちは昼食用ということにした。
もともと食べ物など持参しなくても、いつもなら車内の通路を何人もの売り子が食べ物や飲み物を売りに行き交っているのだけれど、このコロナで売り子たちも販売自粛しているのではないかと懸念していた。
タイの長距離を走る急行列車などには、食堂車も付いていたのだけれど、去年のコロナ集団発生以来、食堂車は営業していないらしい。
それにバンコクなどでは、飲食店などの店内での食事も禁止されているそうだから、列車の中での飲食が可能かどうかも心配のタネだった。
しかし、列車の中の車内販売は健在であった。
ガパオライスやカオニャオ・ムーピンなど、ちゃんと売りに来ている。
つまり朝市で慌てて買わなくても良かったわけだ。

製造から半世紀以上が過ぎている古い客車で、窓枠がゆがんで、窓の開閉がスムースにできなかったりして、窓が開きっぱなしになっていたり、アルミ製の鎧戸が閉まったまま開かないものもあるけれど、窓からは風と共に、ディーゼル機関車の煤煙、車輪からの鉄粉、巻きあがる土埃なとで、コロナの対策でなくても、マスクが必須の状態になっている。
マスクをしていても、目に入る埃とかで、目が痛む。
ハンドタオルを車両の隅にある洗面台で、濡らして顔を拭くと少しは楽になる。

ナコンサワンを過ぎると、線路の複線化工事が行われていて、ますます埃っぽくなってくる。
少しでも顔に浴びる埃を避けるために、ボックスシートで進行方向逆向きに座る。
複線化工事が完了したら、列車の運行本数ももっと増えるのだろうか?
ピサヌロークとバンコクの間に、通常なら10往復も列車が設定されているけれど、半分がピサヌロークを深夜に発着する夜行列車で、あまり便利とは言えない。
日中のもっと利用しやすい時間帯に、列車を増やしてもらいたいものだ。

今回のバンコク行きの目的は、バンコクで静養することにあるし、ピサヌロークの病院では、あまりしっかり診断してもらえなかったので、もしトラブルが出てきた場合、バンコクのしっかりした病院へ駈け込めるだろうという目論見もあった。
さらに、カメラの修理もできたらばやってみたいと思っていた。
カメラと言うのは、妻が結婚するずっと前、使っていたというキャノンの一眼レフカメラのことで、もちろんフィルム式カメラ。
3年前に電池を交換したらば、まだシャッターが切れたので、台湾の馬租島旅行や北海道旅行に持って行ったことがある。
しかし、写真の出来はピンボケで、全体に靄がかかったようになっていて、満足できるものではなく、それ以来使っていなかった。
しかし、冷蔵庫の中にまだ未使用のフィルムが2本あったので、なにか撮影しておかないともったいないかと思って、2か月ほど前にまたこのカメラを出してきたのである。
それなのに、こんどはシャッターが切れなくなっている。
故障らしい。
昔の一眼レフは精密機械なので、変にいじくったら致命傷になりかねず、修理屋に持ち込むことにした。
調べてみたらば、ピサヌロークにも古いカメラの修理屋が一軒あり、そこへ1週間ほど入院させてみた。
しかし、結論としては壊れた箇所の交換部品がないので修理ができないとのことだった。

ピサヌロークのカメラ修理屋
[ピサヌロークの修理屋店内]

ピサヌロークでダメでも、バンコクならカメラの修理屋もたくさんあるだろうから、バンコクへ行ったときに修理を依頼してみようと考えていたわけだ。
ネットから得た情報だと、バンコクではMBKにカメラを扱っている店が集中しているらしい。

ピサヌロークからの列車は、バンコクに近づいてくると遅れ始めた。
停車駅ではなさそうなところで、止まったりしている。
チトラダ宮殿を通り過ぎ、次が終点バンコク駅と言ったところで、ヨマラート交差点にある大きな踏切手前で、また停車した。
MBKならバンコク駅よりもこの辺の方が近そうだと思い、踏切手前で停車している列車から、線路脇に飛び降りる。

MBKへ近そうだとは思ったものの、実際に歩いてみたら30分以上も時間がかかった。
それにやっぱりバンコクは車の排気ガスやゴミの悪臭で、空気が悪いようだ。
マスクは必須だけど、マスクを付けて歩くと、暑く、蒸すし、息苦しい、バンコクは歩くのにあまり適していないみたいだ。

MBKに入るのは何年ぶりだろうか、10年くらいになるかもしれない。
以前の記憶だと、通路にも出店があったりして、人も多く、ゴチャゴチャと混みあっていた印象があるけれど、これもやっぱりコロナの影響なのか、通路にもほとんど人がいない。
両脇の店も、ヒマそうにしている。
依然と変わらないのは、いまだに堂々と偽ブランド品を販売していること。

カメラ店は建物の上の階にあり、携帯電話などと一緒にカメラの店が何軒も並んでいる。
しかし、フィルム式のカメラは、どうも取り扱っていないらしい。
何軒か聞いて回ったところである店から、「メガプラザなら修理できるかも」と教えてもらった。
最初、そのメガプラザはMBKの中にある店の名前かと思ったのだけれど、メガプラザとはヤワラートの先、インド人街近くにあるショッピングセンターであるらしい。

地図で調べて、73番のバスに乗ってメガプラザを目指す。
途中、バンコクのチャイナタウンを通り抜ける。
一方通行の大通には、いつもの通り車が多かったけれど、道の両脇の中華レストランは、店内営業が禁止されており、店頭でテイクアウトを細々と売っているだけで、歩道を行き交う人の数は随分と少なくなっていた。

メガプラザ
[日本人はほとんど来なさそうなショッピングセンター]

メガプラザは、オタク向けデパートのような大きな建物であった。
建物内には、アニメのフィギュアを並べた店がやたらと目立つ。
なんか場違いなところへ来た感じもするのだけれど、カメラの店は5階に集まっており、狭い通路にびっしりと古いカメラを並べた店がある。
「修理できる」と言う店を発見。
年配の職人は、カメラを少し触っただけで、どこの部品がダメなのか、すぐに分かったらしく、シャッターボタンの動きを伝えるクランクの部分が折れていると断言した。
このカメラのパーツはもともとプラスチック製なので、ここが良く壊れるらしい。
「金属製のパーツに交換するから、1週間後に1,500バーツ持ってきな」という。
直らなかったら、金はいらないし、なんならこのカメラを1,500バーツで下取りするよともいう。
しかし、週末にはピサヌロークへ戻っているので、金曜日までにできないかと聞いたら、あっさりと「金曜の5時半に来な」と言う。

アモン・カメラ
[メガプラザ5階のアモンカメラ]
 
さて、これでこのカメラの修理は上手くいくのであろうか?
まぁ、仮に修理できなければ、1,500バーツで引き取ってくれるという。
カメラマニアでもない私に、こんな古いフィルム式一眼レフなど、お荷物なのだけれど、捨ててしまうのが可哀そうに感じて、修理する気になったまで。
もし、下取りしてもらって、どんな形であろうと、このカメラが何らかの形で再利用されるなら、それはそれでいいやと思った。

カメラの修理を待つ数日間、徹底的にバンコクのアパートのベッドに寝ころんでいた。
バンコクもピサヌロークと同じくらい気温が高いけれど、ここの部屋は風通しも良く、しかも西日に焼かれることもないので快適。
冷蔵庫の中には、冷凍しておいた食材もまだ残っている。

金曜、夕方にバイクでメガプラザへ出向く。
カメラの修理は終わっていた。
シャッターを押せば、カシャっと音がする。
シャッターは治ったらしい。
しかし、修理職人は「レンズが白濁している」という。
レンズを除くと、レンズの内側の部分が、曇りガラスのように白っぽくなっている。
長い間使わずに放置していたので、レンズの中の空気がむ淀み、微少な埃などがレンズ上に沈殿したものらしい。

シャッターが下りるようになったカメラ
[古いカメラがたくさん並んでる]

この白濁を掃除するとなると、レンズを分解して、薬品に長期間漬けるなど大変な作業になるらしい。
これも代金は1,500バーツだそうだけれど、店主は「中古のレンズを買った方がイイ」という。
ここでは同じ型の中古レンズが1,500バーツだけど、日本でなら500バーツくらいで手に入るという。

なるほど、日本でなら500バーツの中古レンズが、バンコクへ来ると1,500バーツになるのか。
それにしても、この修理屋のおやじは何でもかんでも、1,500バーツと値付けするみたいだ。

でも、日本でなら500バーツで買えるとしても、まだ当面は日本へ帰れそうもない。
当面は白濁したままのレンズで我慢することに決めた。

5月15日、ピサヌロークへ戻る列車はバンコクの出発時間が、朝7時と早い。
帰りはエアコン付きの快速列車。
切符代は300バーツ以上と、ちょっと高いけれど、窓からの埃攻めにあわないで済む。
この7時の快速列車はチェンマイ行きで、もともとはエアコン付きの車両など連結されていなかった。
しかし、他の列車の運行本数が減って、余剰の車両がたくさんあるので、他の列車からエアコン付きの車両を借りてきて連結しているのだろう。
2等車ではあるけど、もともとは寝台車の車両。
寝台を座席の組みなおしてあるので、シートの幅はゆったりしているけれど、シートは向かい合わせで、リクライニングもしない。
もし、向かい側に誰かほかの人が座ったりすると、気詰まりになりそうな構造。

エアコン付き二等車
[寝台車を昼の列車に流用]

暑い季節でもあり、切符代は高くてもエアコン付きの車両は人気があるのだろう。
乗車率は50%を超えている。
でも、運のよいことに、私の向かい側はピサヌロークに到着するまで、だれも来なかった。

エアコン付きは、埃が吹き付けることもなく良かったのだけれど、タイの常としてエアコンが強烈すぎる。
半そでシャツしか着ていなかったので、車内が寒くて、風邪を引きそうになる。
他の乗客たちは、ヤッケやジャンパーなどを着込んでいる。
しかし、足元はサンダル。

日本製の車両
[30年以上前に日立で作られた客車でした]

ピサヌロークに戻ってから、中古レンズをネットで検索してみる。
店の親父は500バーツくらいであると言っていたけれど、ネットに出展されているレンズはどれも数千円以上する。
ヘタしたら店の親父の言い値である1,500バーツの方が安いくらいだ。
たぶん、オヤジなど業者間で取引するレートと言うのは、我々外部にはわからないように存在するのかもしれない。

また、レンズの曇りを除去する簡単な方法はないかとネットで検索するが、特殊な用具が必要だったりして、どうも素人の手におえるものではなさそうだ。
それに、レンズを洗浄する特殊な液体もどうやって入手したらよいか分からない。

そこで、再びピサヌローク市内の修理屋にレンズを持ち込んでみた。
今回はパーツの交換も必要ないはずだから、ピサヌロークでもできそうな気がしていた。
そして、修理屋の兄さんは「600バーツ、明日取りに来て」と簡単にいう。
なんだ、すぐできるのか。
それに500バーツとは、バンコクよりずっと安い。

ピサヌロークの修理屋
[J. Camera Service]

翌日、修理屋に行くと、「白濁は半分しか落ちなかった、だから半額の300バーツでいいよ」という。
半分しか綺麗になっていないというのは、おもしろくない。
なんか他に方法はないかと聞いたら、「同じタイプのレンズがあるから、内部のレンズを交換してみるか」という。

内部レンズの交換ということで、また翌日来るように言われたが、翌日になって、まだ交換できていないから、もう1日待つように言われる。

そして、3日目。
内部のレンズは交換されて、レンズを覗いても白濁はほとんど感じられなくなった。
さて、これで実際にフィルムを装填して、写真を撮ってみたらば、どんな感じになるのだろうか。
ファインダー越しに覗いた感じも以前とはだいぶ違って、くっきりしている。

さて、ではいったいどんな被写体にカメラを向けてみようか。
もし、まだネコが生きていてくれたら、絶対に被写体第一号はネコになっていたはず。

ファインダー越し
[ファインダー越しに覗いてみる]


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インペリアルホテル体験宿泊
5月8日から9日にかけて、ピサヌローク市内のインペリアルホテルに宿泊してきた。
以前はアマリン・ラグーン・ホテルと呼ばれていたホテルで、ピサヌロークのような内陸にあるのに、ラグーンとは変な名前を付けたものだと感じていた。
もともと知名度の高いホテルだったようだけど、私が初めてこのホテルのことを知ったのは、20年近く前、ラビットスクーターつながりで八王子に住むアチャオ氏がタイ旅行をしたときに、わざわざこのホテルに泊まるためにピサヌロークへ立ち寄られたと聞いた時だったと思う。
たしか秋篠宮殿下がご滞在になられたホテルであったらしい。
しかし、その時は町の中心部からも少し離れているし、特別豪華でもなさそうなので、大して気にも留めていなかった。
それからだいぶ時間も流れて、私がピサヌロークで仕事を始めてから、ピサヌロークで推薦できるホテルを調べていた時に、ホテルの内部を含めて見学させてもらった。
結論から言うと、ホテルのプールはリゾート感があってよかったけれど、ホテルの客室は古く、暗く、メンテナンスが今一つで、市内では同レベルとされるトップランドホテルと比べると、立地の面で大きく水をあけられている感じがした。
ここは大きなコンベンションホールなどがあり、客層は外国時観光客よりもタイ人のセミナー向けとの印象が強かった。

そんなインペリアルホテルだけれど、長引く新型コロナウイルスの影響で、大苦戦中らしく、大胆な値引き価格を提示し始めた。
一泊当たり700バーツを切る金額でネット販売している。
せっかくの機会なので、モノは試しとこの機会に体験宿泊してみることにした。
調べてみたら500バーツ台から予約できるようであったけれど、せっかく宿泊するのならシャワーだけの部屋ではなく、バスタブのある部屋に泊まって、ゆっくり熱いお風呂に入ってみたいと、プレミア・デラックスというタイプの部屋を抑えた。
料金は様々な特典や割引を組み合わせて650バーツ。
朝食は付けていない。

宿泊当日、車に水着や自炊用の電気鍋、パンなどを積み込んで出発。
ここの滞在中のお目当ては、暑い風呂への入浴以外に、リゾート風のプールで泳ぐこと、そして小豆を煮ること。
ホテルと小豆を煮るのと、何ら関係がなさそうだけれど、下宿の部屋でコトコトと長時間煮ると、部屋に湿気と熱が充満してしまうので、換気もできて、エアコンも効くホテルで小豆を煮たいと思っていた。

天気は青空で、太陽光線がやたらと強い。
気温も35度を越えていそうな、真夏全開。

ホテル入口
[ホテルの入り口前]

ホテルのゲート前は、ちょっと凹凸のある白い壁で、なんとなく南ヨーロッパの雰囲気がある。
この手の演出はリゾート系のインペリアルホテルに共通しているのかもしれない。
滞在への期待が膨らんでくる。

チェックインに際して、電気の節約のためか、ロビーの照明を落としていて、とても暗く、営業していないのではないかと思ったほどだ。
特に外があまりに眩かったので、目が慣れずに余計に暗く感じたのかもしれない。
レセプションには女性スタッフが1名いて、簡単にチェックインの手続きを済ませてくれた。
割り振られた部屋番号は215号室。
やっぱり節電のために、午後4時まで館内ではエアコンを停めているそうだが、室内の照明やエレベーターは動いているとのこと。
まだ時刻は2時半で、4時までしばらく時間があるけれど、その間はプールで泳いでいればいいだけのこと。

しかし、時間節約のため小豆の下茹でをしておこうと思ったら、電気鍋の電源ケーブルを持ってくるのを忘れてしまった。

また、ノートパソコンのアダプタープラグを電源に差し込もうとしたら、コンセントがアース対応の3P仕様になっていない。
つまり古いタイプのコンセントしかない。
このホテルは一昨年、インペリアルホテルになる際に、リノベーションをしたということで、床なども簡易フローリングになったりしていたけれど、コンセントや洗面台回り、風呂などはそのまま手つかずだったようなのがちょっと残念。

旧式のコンセント
[旧式の電源コンセントしかない]

しかし、電気鍋の電源ケーブルがないと小豆を茹でられないので、急遽下宿に取りに戻ることにする。
また、3Pプラグからの変換プラグをレセプションで借りようとしたが、レセプションには変換プラグの予備が無いようであった。
やっぱり外国からのお客が少ない証拠なのだろうか。

ホテルの入り口から続く長いアプローチには両脇にいろいろな種類の木が植えられている。
椰子の木もあれば、ホウガンノキもある。
しかし、見慣れない緑色の実を付けた木もある。
実の大きさは野球のボールくらい。
地面に落ちた身にはアリがたかっているので、果肉は甘いのかもしれない。
拾い上げて、レセプションの女性に、この実の名前を尋ねるが知らないとのこと。
でも食べられない実なのだそうだ。
食べられるような実だったら、彼女も実の名前を知っていたかもしれない。

緑の実
[名前のわからない緑色の実]

電源ケーブルを取りに帰ったりしているうちに、さっきまであんなに晴れていたのに、ちょっと雲行きが怪しくなってきた。
雨でも降ってきそうな感じ。
急いで小豆の下茹でを済ませてしまう。

プール
[リゾート風の大きなプール]

さて、簡単に小豆を下茹でして、灰汁を抜いたので、プールでひと泳ぎしてくることにする。
海を含めてプールでも、泳ぐなんてことはこの一年間全くしていなかったような気がする。
新型コロナウイルスで海に何か行ってられなかったし、ネコが死んでしまって、一人でどこかへ出枯れようと言う気にもならなくなってしまっていた。
ネコと一緒にバンコクに住んでいた時は、しばしばプラチュアップキリカンやサッタヒープへ海水浴に出かけたものだった。
それと頸椎の手術をするまでは、毎週土曜日の午前中は泰日スタジアムの50メートルプールで2キロ近く泳いでいたものだ。

プールサイドのデッキチェアに着替えや文庫本を置こうとするより早くプールの係員がデッキチェアのマットを仕舞い、パラソルをたたみ始めてしまった。
「デッキチェアを使いたいんだけど」と係員に声をかけたが、雨が降りだすからダメだと断られる。
着替えとかは、プール併設のバーカウンターにでも置くようにと指示される。

バーカウンターはプールサイドと同じ高さに設置されており、プールに入ったままバーで飲み物が飲めるという昔流行したスタイル。
バーの内側はもちろん水は入ってこないが、水面より1メートル以上低くなって、バーテンダーが立ってサーブできるような仕組みになっている。
もっとも、全然お客がいないのでバーは空っぽ。

プール
[バーカウンターの内側からプールを眺める]

プールで泳ぎ始めてしばらくするとポツリ、ポツリと雨が降りだしてきた。
それでも、たいした降りではない。
平泳ぎにクロールでしばらくプール内を行ったり来たりしていたが、しばらく泳いでいなかったので、呼吸が上手く着いてこない。
端から端までたいした距離でもないのに、泳ぐと息が弾んでしまう。
また、右肩が痺れる。
しばらく泳いで、プールサイドで休憩しようかとも思ったが、デッキチェアのマットはないし、小雨も降っているので、そのまま水面に仰向けになって浮かんでみたりする。

電源ケーブルを忘れて下宿に取りに戻るようにロスタイムがなければ、青空の下でもっとリゾートを楽しめたのにと残念に思う。

プールで1時間ほど過ごしていたら、若い男性がプールに泳ぎに来た。
引き締まった体で、筋肉も逞しそうに見える。
そして力強く抜き手を掻きながらプールを泳ぐ。
狭いプールではないけれど、競技用のプールではないので、こちらが水面に仰向けになって浮かんでいたり、適当にフラフラと泳いでいると邪魔になりそうな気がしたので、そろそろプールから上がって、次のお楽しみ、入浴タイムに移ろうかと考え始める。

プールサイドのシャワーからは水がチョロチョロとしか出ない。
水圧が低いようだ。
適当に水を浴びて、着替えを取りにバーカウンターへの階段を降りようとしたとき、「えっ、なんで」って感じで、足を滑らせてしまった。
そして、階段に背中と後頭部を打ち付けながら、バーカウンターの床まで落ちてしまった。
意識はしっかりしているけれど、なかなか立ち上がることができない、
しばらく床に臥せっていたけれど、こうしていても仕方ないので、痛みを堪えながら起き上がり、シャツと短パンを履いて、部屋へ引き上げることにした。

歩くと、一歩一歩の振動が響いて、背中から内臓にかけて痛む。
打っていないはずの胸も息をするたびに肋骨が痛む感じだ。
後頭部には巨大なたん瘤ができているのがわかる。

部屋に戻って、バスルームの大きな鏡に背中を写してみたら、背骨に沿って背中の皮が剥けている。

背中の打撲と擦過傷
[短パンのゴムのあたりでメタボを感じさせる]

悪運強く、痛みはあるけれど、大事には至っていないようで、ホテル滞在の目的を遂行を優先させる。

下茹でをした小豆を本茹でする。
小豆1パック500グラムに対して、水を1.5リットル。
さらにココナッツ・シュガーを小豆の半量、250グラムぐらい入れて煮込み始める。
塩もほんのひとつまみほど放り込む。

全開小豆を茹でたのは1年以上前だった気がする。
あれは確かカンペーンペットとウタイタニ県の県境にあるドーク・ラック・リゾートだった気がする。
ここもネコとの思い出の残っている宿泊先だった。

小豆を茹でる
[バスルームで小豆を茹でる]

小豆を茹でるのはちょっと時間のかかる作業なので、その間に入浴をしてしまうことにする。
宿泊客が少なそうなので、お湯の栓をひねってもなかなか熱い湯が出てこないだろうとは覚悟していた。
もったいないようだけど、お湯の栓を全開にして5分ぐらい放置する。
蛇口から出てくるお湯の温度は40℃くらいだろうか、熱くはないが、もう少しすればもっと熱い湯が出て、浴槽を満たしてくれるだろうと期待をして、バスタブに湯を貯め始める。

赤いお湯
[赤っぽい色の湯]

しかし、湯が少しずつ貯まり始めて、残念だったのは、湯の色が赤っぽいこと。
サビだろうか、それとももともとこのあたりの水道水は赤い水なのだろうか、途中まで貯めたけれど、ちょっと気になるので、栓を抜いて流してしまい、改めてもう一度湯を貯めることにした。

2度目もまだ赤い色をしていたけれど、前回よりかは色が薄くなっている。
でも、湯の温度は上がっていない。
蛇口からの温度は40℃くらいで、バスタブに張った湯の温度は、温水プール並み。
タイの人たちは、お風呂に入る習慣がないし、熱いシャワーを浴びることがないから、タイ人向けの宿屋では、シャワーは小型の電気温水器によるものが一般的で、お湯は熱くない。
下宿の部屋のシャワーもおんなじだけど、下宿で西向きの我が部屋は、午後になると太陽光線に焼かれて壁が高熱となり、その熱が水道にも伝わって、水シャワーのはずがお湯になってしまうほどである。
しかし、ここでは水シャワーはちゃんと水であり、お湯シャワーはぬるま湯である。
待っていても仕方ないので、ぬるいお湯に浸かって入浴を済ませる。

背中や肘などは転倒した際に擦れて血がにじんでいる。
消毒でもしておきたいところだけれど、ホテルのレセプションに言うと、ちょっと大事になってしまいそうで気が引ける。
頭も打っているし、内臓とかも心配なので、明日あたり病院に行ってみようかとも思うが、今はホテルでの滞在を楽しむことが優先されるので、痛みは我慢することにしておく。
消毒に関しては、部屋の横がエレベーターとなっており、そのエレベーターの横に消毒用のアルコールが置かれていたことを思い出し、手のひらにアルコールジェルを受けて部屋に戻って患部に塗布する。
塗るときには、ピリリと痺れるけど、この痺れ方が消毒に効果ありそうだとも思う。

肘の擦過傷
[肘の擦過傷]

入浴中に茹であがった小豆をプラスチックのパックに詰める。
茹で加減も甘さの具合も丁度よい。
ほんのりとココナツの香もする。
そして、夕食には先ほどまで小豆を茹でていた電気鍋でスパゲティーを茹でて食べる。
皿などを持参しなかったので、茹であがったスパゲティーは電気鍋を器代わりにして、豪快に食べる。
持参して冷蔵庫で冷やしておいたビールも飲む。

ビールと夕食
[夕食のスパゲティ]

熱い湯には浸かれなかったけれど、ぬるくても一応は久々の入浴をすることができ、ビールがうまい。
部屋の中は冷房が効いているのだけれど、ゆっぱりビールを飲むときは、たっぷり汗をかき、それをさっばに流したところで飲みたいものだけれど、汗もかかず、冷房だけ効いた状態なのが雰囲気的に残念。

食後、やっぱり熱い風呂に入りたいので、お湯を熱くしてもらうようレセプションへ回ってみたけれど、誰もいなかった。

レセプション前のレストランも電気が消えたまま。
ロビーのわきの棚にはカップ麺なども並べているが、スタッフはいない。

ラウンジ
[人気のないロビーラウンジ]

しばらくすると退勤しようとしているメイドさんが通りかかったので、声をかけてお湯のことを依頼する。
メイドさんはエンジニアを行かせるから部屋で待つようにと言って、またもと来た奥の方へ消えていった。

言われた通り、部屋で少し待っていたら、ドアがノックされてエンジニアがやって来た。
もっと熱い湯を出してほしいと伝えたところ、ボイラーのガスを調節するので、1時間ほど時間がかかるという。

その間、部屋でこれも持ち込んだウイスキーをチビチビやる。
マカランというスコッチで、何年か前に飛行機の中の免税販売で買っておいたもの。
いつか飲もうと思って置いておいたが、なかなかいつかにふさわしそうな日が巡ってくることなく、このまま飲まずじまいになってしまいそうなので、封を切ることにした。

マカランウイスキー
[マカランウイスキー、熟成が進んで、とてもまろやかで深みのある味]

始めは椅子に座ってチビチビやっていたのだけれど、座った姿勢だと背中の痛みが絶えられにくなってきて、ベッドにひっくり返って、チビチビを続ける。
先日借りた「キャパになりたかったカメラマン」という文庫を読む。
平易な文章で読みやすいけれど、ベトナム戦争中の従軍中の思い出が中心なのだけれど、深みのないストーリーなので、読み進んでいくと少し退屈してくる。
取材クルーの仲間内の話ばかりで、戦場となったベトナムについてや、被写体としてとらえる兵士や難民が被写体以上の対象としては描かれていないのが深みを感じさせない原因と思われる。

さて、時間も1時間以上が経過したので、お湯の状態を確認してみる。
お湯の蛇口を全開にして、しばらく待つと、さっきよりもだいぶ熱いお湯が出てくる感じだ。
さっそくバスタブにお湯を張ってみる。
もともと、風呂は熱いのが好きなので、合格点とは言えないけれど、ちょっとぬるめで、のんびり入っているにはちょうどよさそうな湯加減にはなっている、

こうして、風呂に入ったり、風呂から出で、エアコンの効いた部屋のベッドで伸びたりするのがしたかったのだ。
もっと、熱くなってほしいけれど、650バーツとゲストハウスの宿泊料なみの料金で、あんまり贅沢を言うべきではないだろう。

本当は、湯上りにもう一本ビールを飲みたいところだったけれど、ビールは一本しか持ち込んでいないので、こちらも我慢。

<hr>

窓辺
[夜中にだいぶ雨が降ったようで、窓からの景色がしっとりしている]

翌朝、ホテルの隣には大きな市立公園がある。
普段から朝のジョギングを心がけているので、今朝は隣の市立公園内を走ってみることにする。
背中の痛みは一晩でだいぶ収まり、曲げたり、力を入れたりしなければ、どうってことないほどまでに回復している。
のんびりとジョギングするくらいなら、大丈夫そうだ。

この市立公園の名前を知らない。
調べれば、地図にもしっかり出ているし、名前など簡単に探せるのだけれど、どうもいくつもの名前があるようで、どれが本当の名前なのかよくわからない。
正面の国道沿いの入り口には国王在位60周年記念なんとか公園と書いてあるし、GoogleMapでさえ、同じ公園内でクリックする場所によって違い名前を表示したりする。
なので、面倒ただから市立公園とだけ記憶しておくことにする。

奥行きのある大きな公園で、手前と奥に2つの大きな池があり、その池を取り囲むようにジョギングコースやサイクリングコースが作られ、コース沿いには何か所ものトイレがある。
日曜日の朝ということもあるのか、たくさんの人たちがジョギングをしている。
広場で運動をしている人もいるけれど、若い人の姿はほとんど見かけない。
ほとんどが中年以上。
このあたりでは、若い人たちはあんまり健康に関心がないのだろうか。
バンコクとピサヌロークを比べると、若い人たちの容姿がまるで違うことにすぐ気が付く
バンコクの人たちは、着ているものが洗練されているだけではなく、スタイルのいい人が多い。
一方、ピサヌロークは、これがおんなじタイ人かと疑ってしまうほどだ。
田舎なので、着ているものが野暮ったいのは、当然としても、スタイルが違う。
ちょっと病的な肥満タイプが多い。
バンコクの人たちは日本人と変わらないか、むしろ日本人よりスタイルの良い人が多いくらいなのに、ピサヌロークは、まるでミクロネシアやポリネシアの島民かと思えるような、肥満形。
ここで運動している人には、そんな体形の人は見られないから、きっとピサヌロークでは若い人たちの食生活と運動不足が、体形に影響を与えているのではないかと思われる。
下宿の姉妹たちも、その典型。
そういえば、ピサヌロークの洋服屋にはオーバーサイズ専門の店がたくさんあるが、こんな店などバンコクでは見たことがない。

市立公園
[公園の池のある島には大きな遊行仏が立っているのが見える]

公園を2周ほどしてホテルへ戻る。
ホテルのレストランではどんな朝食が提供されているのだろうか、朝食代は150バーツのセットメニューと言っていたから、料金的にもそんなに高くなく、内容が良ければホテルの朝食を食べようかと思っていたのだけれど、朝食時間帯と言うのに、レストランは昨晩同様に真っ暗のままで、朝食のメニューなども掲示されていなかった。

レストラン
[朝のレストラン]

運動をしてたっぷり汗をかいたので、朝風呂を楽しもうと思ったのだけれど、昨晩熱くしてもらったお湯は再びゆるくなってしまっていた。
簡単にシャワーを浴びて、持ち込んだ食パンに昨日作った小豆を煮詰めて餡子にしたものを載せて食べる。
甘さ控えめのアンパンみたいで美味しい。
ピサヌロークでもアンパンはコンビニなどで普通に売っていて、手軽に食べられるのだけれど、アンパンに限らず、どのパンもパン生地に砂糖が大量に入っていて、やたらと甘い。
私はパン生地の甘いパンはあんまり好きではない。

プールは午前10時から使えるということなので、チェックアウトをする前にもうひと泳ぎだけしておく。

昼前にチェックアウトを済ませて、行きつけのピサヌウェート病院に立ち寄って診察を受ける。
この病院、保険も効くし、オフィスにも近いので気軽に利用できるのが良いのだけれど、バンコクの病院と比べると、やっぱり田舎の病院と言うか、いま一つな感じは否めない。
診察に当たる医師も、面倒くさそうに問診だけで、皮が剥けて血がにじんでいる患部の治療をするわけでもなく、「痛いよう
だから痛み止めを出しておきましょう」と言った程度で、こちらが後頭部を打ったと言っても、関心を示さない。
会計の窓口ではスタッフの子供がマスクも付けずに遊んでいる。
しかし、診療費はバンコクの病院と変わらないくらい高額の請求となっている。
「痛みは数日間続くでしょうね」と言っていたけれど、薬は2週間分も処方されていた。

治療費請求
[治療費3,756バーツ也]

次からはちょっと遠いけどピサヌローク市内のバンコク病院に行ってみるかな。

インペリアルホテル、長期滞在の破格料金もあるようなので、日取りの調整付けて1週間くらいホテル生活してみるのも悪くなさそうに思えるな。
大量に茹でた小豆の一部は、その後餡子にして、大福もちを作り下宿の婆さんに進呈した。
食感や味覚的にも大福もちならタイ人でも食べやすそうな気がした。
でも、田舎のタイ人にはもっと甘ったるい味の方が良かったかも。

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| 日常 | 12:26 PM | comments (0) | trackback (0) |
サラダ巻きに挑戦
4月29日 木曜日
ソンクラーンが過ぎてから、ツアーもキャンセル続きで、やるべき仕事がほとんどなくなってしまった。
オフィスにいても仕方ないので、休みを取っているけれど、どこにも出かけられないのはつまらない。
今日は午後からでもカンペーンペットにあるプラルアン温泉に行って、久しぶりに入浴しようと思っていた。
一昨日の火曜日に温泉へ電話したら、大風呂以外は営業中とのことだったけれど、さっき電話したら、「たったいま閉園になった」という。
新型コロナの第3波が広がったので、その予防措置なのだろう。
世界遺産に指定されているスコータイなどの歴史公園も、閉鎖になっている。
前回も書いたけれど、頸椎のトラブルが再発したようで、右腕の調子が悪い。
温泉にでも浸かって、湯治しようと思っていたのに、できなくなってしまった。
温泉では、一昨年の暮れにネコと入浴して以来、ずっと入浴していない。
行こうと思えば、行ける距離だし、時間もあったけれど、ネコとの思い出がとても深くて、なかなか一人で行く気になれなかったけれど、こう右腕の具合が悪いと、早めに治しておきたいとの気持ちから、一人でも行く気になったのに残念だ。

下宿先の女主人が以前から「スシを作って食べさせてほしい」と言っていた。
女主人の想像しているスシがどんなものか分からないが、ピサヌロークで一般的にスシと呼ばれているものは、日本人的な感覚の寿司とはだいぶ異なっている。
だいたい酢飯を受け付けるかもわからないし、ピサヌロークではネタにする刺身も入手困難。
そもそも生の魚は食べられないと女主人も言っていた。
そこで、思案の末、サラダ巻きを作ってみることにした。

昨日から材料集め。
まず、昼休みにトップランド・プラザ地下に入っているスーパーを物色したけれど、海苔巻きを作るためのノリからして売っていない。
帰りがけに、通勤途中にあるeconというスーパーに立ち寄ったらノリはタイ人がスナック代わりに食べる味付け海苔しかない。
ワサビもない。
帰宅後、車を引っ張り出して、郊外のセントラルプラザへ行ってみる。
ここにはトップスも入っているので、期待したが、ノリもあるし、ワサビもあるが、値段も高い。
トップスでは粉のワサビとツナ缶詰だけを買う。
翌朝、最近見つけたセルフ式ガソリンスタンドに併設された業務用冷凍食品店へ行ってみた。
まだ朝8時と言う早い時間からオープンしているのは、業務用の店だからだろうか。
ここでは、ピサヌロークにあるニッポン食の食堂相手と思われる冷凍食材を販売している。
スシの材料も各種あるが、刺身はサーモンのみ。
他にサバ、イカ、タコなどと玉子焼き。
餃子やたこ焼きなども冷凍で売られている。
ここで、ノリとカニかまぼこを買う。
タイの人はカニかまぼこ好きが多く、よくブッフェのメニューにも入っているが、ブッフェのメニューは材料費を切り詰めているからか、安物で、マズイ。
そこで、カニかまぼこは、何種類かあるうちでも、比較的値段の高いものを選んだ。
最後にサニーレタスを少しばかり近所で買って、材料集め完了。
本当は「巻き簾」もほしかったけど、ピサヌロークでは入手できそうになかったし、ネットで検索したら、巻き簾なしでも海苔巻きを作ることは可能らしいので省略とした。

ノリとワサビ
[ビニール袋に入った海苔はメーカー名も賞味期限も書かれてなかった]

ご飯を2合半炊く。
ご飯は日本米ではなく、ジャスミンライス2に対してもち米1の割合で炊いてある。
出来合いの寿司酢を混ぜ合わせる。

すし飯
[団扇で扇がず卓上扇風機を利用]

玉子焼きを作る。
電気鍋ながらなんとなく厚焼き玉子らしく仕上げることに成功。
玉子は大玉2個使う。
キュウリを二本細切りにする。
タイのキュウリなので、ちょっと水っぽい感じ。
カニかまぼこは9本。
日本のカニカマに似た食感があり、満足できる水準。
ツナ缶のツナ・フレークはノンシュガー・マヨネーズ(キューピー)で和える。
タイのマヨネーズは大量の砂糖入りが一般的。
サニーレタスは適当に刻む。

具
[このほかにサニーレタスとツナフレークが別にあります]

ノリを広げ、ご飯を薄く載せていく。

手前に細切りキュウリ、続いて玉子焼きとカニかまぼこ。
上から刻んだサニーレタスを散らして、最後にマヨネーズで和えたツナフレークを伸ばす。
そして、ハイライトともいえる巻きに移る。

上手く巻いていけない。
やっぱり巻き簾がほしいところ。
ネットではサランラップやアルミホイルでも代用できるとあったけれど、どちらも持ち合わせがない。
なんかないかと見回したところ、厚手のビニール袋(お米のパック)を発見して代用とする。

よしよし、こんどは巻けるぞ。
しかし、全部ぐるりと巻いたのはイイのだけれど、お終いの部分のノリが上手くくっ付いてくれない。
ノリの糊代が狭すぎたのと、具を詰め過ぎたのが原因らしい。

二本目は、反省に基づいて糊代十分、ご飯はもっと薄く広げたので、だいぶいい感じに仕上がった。
その調子で、三本目、四本目と次々に完成していき、最後は残ったお米と具で、小さい海苔巻きを作った。
小さい海苔巻きのノリは半分のサイズで足りたので、残り半分は、最初の糊代が足りなかった失敗作の補修用に使ったら、一本目も型崩れしない海苔巻きができた。

太巻き
[太さにバラツキが出た]

続きて包丁を入れていく。
向田邦子のエッセイで、子供の頃から海苔巻きの端っこが好きだったとあったので、端っこはどんな味だろうと、切って試食してみた。
確かにシャリ少な目で、具の比率が高くなるから、美味いのだろうけど、しかしシャリが足りないので、スカスカで切った後、すぐ型崩れしてしまう。

海苔巻きを一本切ると、包丁にご飯のネバネバがこびりついてしまうので、そのたびに包丁を水洗いする。
おかげで、まずまずサラダ巻きらしいものが出来上がった。
ワサビに関してだけれど、すべてサビ抜きで作った。
下宿の女主人がワサビを食べることができるかどうかわからなかったからである。
あとで、女主人に確認したところ、ワサビそのものが何なのか知らなかった。

切り口
[海苔巻きを切る前には包丁をよく研ぐべきと学んだ]

一応これで完成したけど、かなりのボリュームとなった。
タイのツナ缶は日本のツナ缶よりも大きめで、サラダ巻きだけでは使い切れず、ツナサンドウィッチも作ってみた。

味の方だけれど、なんとなく懐かしい味になった。
私はワサビをたっぷり付けて食べたのだけれど、昔むかし、大泉に住んでいたころ、近所のスーパー、マルエツでよくサラダ巻きを買って食べたものだった。
それを思い出して懐かしくなった。

完成品
[さらに盛りつけたけど、ちょっと不ぞろいですね]

女主人の感想は、「全部食べたよ」しか聞こえてこないので、口にあったのかどうかもよくわからないけど、とりあえず以前から言われ続けていた義理は果たせたことになった。

なお、ずっと長い間掃除が入らず、汚れ放題だった廊下と階段を、私が海苔巻きと格闘中に、オーナーの娘が、すごく適当で、いい加減にモップをかけていった。
本当は、女主人にサラダ巻きを贈呈する際に、廊下の不衛生さについて苦言を申し立てようと思っていたけど、苦言を言わずに済んだ。

贈呈用サラダ巻き
[こちらは女主人に贈呈したサラダ巻き]

夕刻、なにか果物がほしいと思って、外へ自転車で出かけた。
今週に入って、屋外ではマスクの着用が義務化され、違反者には最大2万バーツの罰金を科すとなっている。
私はいままでほとんどマスクなしでやってきたけれど、罰金の額が大きいので、マスクを付けて自転車に乗った。
エカトサロット橋を渡る際、歩道でジョギングをしている人たちを何人も追い越した。
そして、そのジョギングの人たちはマスクを着用していない。
実は、私も朝のジョギングの時は、マスクは持っていてもきちんと着用していなかった。
マスクをしてジョギングをすると酸欠になって、とても苦しく走れたものではないと思っていたので、こうして日中堂々とマスクなしで走っている人を見て少し安心した。

駅近くの市場で果物を物色したけれど、今はマンゴーのシーズンなのでマンゴーは安くたくさん売られている。
マンゴーがあまりに安いので、他の果物が割高に感じてしまう程だ。
ドラゴンフルーツかソムオーでもと思っていたけれど、結局買わずに終わってしまった。
マンゴーは、先日から毎日のように食べ続けていて、部屋にもまだマンゴーが残っている。
これは火曜日に、近所を散歩していて、庭でマンゴーの収穫している光景をじっと眺めていたら、どっさりと採りたてのマンゴーをおすそ分けにあずかってしまったものである。

マンゴー収穫
[どこの家にもマンゴーの木の1本や2本ある]

マンゴーは採りたてではまだ熟しておらず、固くて、酸っぱいだけである。
数日置けば、黄色く、甘く、軟らかくなると聞いた。
たぶん、食べごろは日曜日くらいでしょうと言われて、食べごろになるのを待っているところである。
でも、その際に一つだけ、すでに「もう熟してるよ」という実を一ついただいた。
それを食べてみたところ、びっくりするくらい甘かった。
もう少し酸味がある方が好みではあるけれど、これはこれでとても美味しかった。
ふつう、市場やスーパーで売っているのはガスで強制的に熟させたものだけれど、事前に時間かけて熟したものの方が、やっぱり美味しい。

頂き物のマンゴー
[いただき物のマンゴー、食べごろになるまでまだ数日かかかるらしい]

自転車でワットチャンタワントクの前を通り過ぎた時、小型トラックの荷台にマンゴーを山積みして、売りに来ていた。
「もうマンゴーはいいや」と思っていたけれど、このマンゴーは天然成熟のように見えたので、売り子に確認するとそうだという。
キロで20バーツというから、妥当な値段。
適当に2つ選んでもらったら、18バーツになった。
帰宅して、食べてみたところ合格点をあげられる味だった。

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