5月11日から15日にかけて、バンコクのアパートに退避していた。
3日前にインペリアル・ホテルの階段から落ちて、背中と後頭部を痛めており、身体の自由があまり効かない。
ピサヌロークの下宿部屋は、とても暑いし、ベッドに横になっているだけでも、暑さのために苦痛である。
会社からは経費節減のため、一週間の無給休暇を要請されているので、仕事に出かける必要もない。
ということで、バンコクまで行ってしまえば、バンコクのアパートは風通しが良いので、ベッドで安静にしていても苦しくない。
無給扱いなので、バンコクへ行くにしても旅費を節約しなくてはならず、超格安の移動手段である鈍行列車に乗っていく。
朝6時過ぎの各駅停車で8時間の長旅である。
硬いシートとエアコンがなく、開け放った窓からは埃を浴び続けながらの汽車旅は快適とは言えないけれど、片道69バーツと言う運賃は魅力である。
ピサヌロークを出発する前に、駅近くの朝市でパートンコーと豆乳を買って列車に乗り込もうと考えていた。
この朝市のパートンコーはカリッとしていて、旨い。
旨いので、人気もあるようだ。
並ばなくては買えない。
でも、並んだけれど、なかなか順番が回ってこない。
15分経過。
そうこうしているうちに、そろそろ列車の出発時間が迫ってきてしまったので、パートンコーを断念。
パートンコーの代わりに、出来合いのカイチアオ弁当を20バーツで買って駅に走る。
カイチアオ弁当とは、玉子焼き乗せご飯のことで、玉子焼きには、カニカマもどきの切れ端やワケギが少し入っていて、ちょっとナンプラーで味付けしているだけの寂しい弁当である。
この玉子焼き以外に、なんの副菜も付いていない。
20バーツなら高くないけど、寂しい内容であった。
列車に飛び乗ってすぐに出発。
乗車率は20%程度だろうか、コロナの影響でピサヌロークとバンコクを結ぶ列車も、普段なら10往復位あったものが、3往復だけまでに減っている。
それでも、乗客は少ないまま。
カイチアオ弁当以外に、大福もちを持ってきている。
この大福もちは、本日インペリアルホテルに宿泊していた際に、茹でた小豆を餡子にして、作ったもの。
カイチアオ弁当は朝食として、そして大福もちは昼食用ということにした。
もともと食べ物など持参しなくても、いつもなら車内の通路を何人もの売り子が食べ物や飲み物を売りに行き交っているのだけれど、このコロナで売り子たちも販売自粛しているのではないかと懸念していた。
タイの長距離を走る急行列車などには、食堂車も付いていたのだけれど、去年のコロナ集団発生以来、食堂車は営業していないらしい。
それにバンコクなどでは、飲食店などの店内での食事も禁止されているそうだから、列車の中での飲食が可能かどうかも心配のタネだった。
しかし、列車の中の車内販売は健在であった。
ガパオライスやカオニャオ・ムーピンなど、ちゃんと売りに来ている。
つまり朝市で慌てて買わなくても良かったわけだ。
製造から半世紀以上が過ぎている古い客車で、窓枠がゆがんで、窓の開閉がスムースにできなかったりして、窓が開きっぱなしになっていたり、アルミ製の鎧戸が閉まったまま開かないものもあるけれど、窓からは風と共に、ディーゼル機関車の煤煙、車輪からの鉄粉、巻きあがる土埃なとで、コロナの対策でなくても、マスクが必須の状態になっている。
マスクをしていても、目に入る埃とかで、目が痛む。
ハンドタオルを車両の隅にある洗面台で、濡らして顔を拭くと少しは楽になる。
ナコンサワンを過ぎると、線路の複線化工事が行われていて、ますます埃っぽくなってくる。
少しでも顔に浴びる埃を避けるために、ボックスシートで進行方向逆向きに座る。
複線化工事が完了したら、列車の運行本数ももっと増えるのだろうか?
ピサヌロークとバンコクの間に、通常なら10往復も列車が設定されているけれど、半分がピサヌロークを深夜に発着する夜行列車で、あまり便利とは言えない。
日中のもっと利用しやすい時間帯に、列車を増やしてもらいたいものだ。
今回のバンコク行きの目的は、バンコクで静養することにあるし、ピサヌロークの病院では、あまりしっかり診断してもらえなかったので、もしトラブルが出てきた場合、バンコクのしっかりした病院へ駈け込めるだろうという目論見もあった。
さらに、カメラの修理もできたらばやってみたいと思っていた。
カメラと言うのは、妻が結婚するずっと前、使っていたというキャノンの一眼レフカメラのことで、もちろんフィルム式カメラ。
3年前に電池を交換したらば、まだシャッターが切れたので、台湾の馬租島旅行や北海道旅行に持って行ったことがある。
しかし、写真の出来はピンボケで、全体に靄がかかったようになっていて、満足できるものではなく、それ以来使っていなかった。
しかし、冷蔵庫の中にまだ未使用のフィルムが2本あったので、なにか撮影しておかないともったいないかと思って、2か月ほど前にまたこのカメラを出してきたのである。
それなのに、こんどはシャッターが切れなくなっている。
故障らしい。
昔の一眼レフは精密機械なので、変にいじくったら致命傷になりかねず、修理屋に持ち込むことにした。
調べてみたらば、ピサヌロークにも古いカメラの修理屋が一軒あり、そこへ1週間ほど入院させてみた。
しかし、結論としては壊れた箇所の交換部品がないので修理ができないとのことだった。
[ピサヌロークの修理屋店内]
ピサヌロークでダメでも、バンコクならカメラの修理屋もたくさんあるだろうから、バンコクへ行ったときに修理を依頼してみようと考えていたわけだ。
ネットから得た情報だと、バンコクではMBKにカメラを扱っている店が集中しているらしい。
ピサヌロークからの列車は、バンコクに近づいてくると遅れ始めた。
停車駅ではなさそうなところで、止まったりしている。
チトラダ宮殿を通り過ぎ、次が終点バンコク駅と言ったところで、ヨマラート交差点にある大きな踏切手前で、また停車した。
MBKならバンコク駅よりもこの辺の方が近そうだと思い、踏切手前で停車している列車から、線路脇に飛び降りる。
MBKへ近そうだとは思ったものの、実際に歩いてみたら30分以上も時間がかかった。
それにやっぱりバンコクは車の排気ガスやゴミの悪臭で、空気が悪いようだ。
マスクは必須だけど、マスクを付けて歩くと、暑く、蒸すし、息苦しい、バンコクは歩くのにあまり適していないみたいだ。
MBKに入るのは何年ぶりだろうか、10年くらいになるかもしれない。
以前の記憶だと、通路にも出店があったりして、人も多く、ゴチャゴチャと混みあっていた印象があるけれど、これもやっぱりコロナの影響なのか、通路にもほとんど人がいない。
両脇の店も、ヒマそうにしている。
依然と変わらないのは、いまだに堂々と偽ブランド品を販売していること。
カメラ店は建物の上の階にあり、携帯電話などと一緒にカメラの店が何軒も並んでいる。
しかし、フィルム式のカメラは、どうも取り扱っていないらしい。
何軒か聞いて回ったところである店から、「メガプラザなら修理できるかも」と教えてもらった。
最初、そのメガプラザはMBKの中にある店の名前かと思ったのだけれど、メガプラザとはヤワラートの先、インド人街近くにあるショッピングセンターであるらしい。
地図で調べて、73番のバスに乗ってメガプラザを目指す。
途中、バンコクのチャイナタウンを通り抜ける。
一方通行の大通には、いつもの通り車が多かったけれど、道の両脇の中華レストランは、店内営業が禁止されており、店頭でテイクアウトを細々と売っているだけで、歩道を行き交う人の数は随分と少なくなっていた。
[日本人はほとんど来なさそうなショッピングセンター]
メガプラザは、オタク向けデパートのような大きな建物であった。
建物内には、アニメのフィギュアを並べた店がやたらと目立つ。
なんか場違いなところへ来た感じもするのだけれど、カメラの店は5階に集まっており、狭い通路にびっしりと古いカメラを並べた店がある。
「修理できる」と言う店を発見。
年配の職人は、カメラを少し触っただけで、どこの部品がダメなのか、すぐに分かったらしく、シャッターボタンの動きを伝えるクランクの部分が折れていると断言した。
このカメラのパーツはもともとプラスチック製なので、ここが良く壊れるらしい。
「金属製のパーツに交換するから、1週間後に1,500バーツ持ってきな」という。
直らなかったら、金はいらないし、なんならこのカメラを1,500バーツで下取りするよともいう。
しかし、週末にはピサヌロークへ戻っているので、金曜日までにできないかと聞いたら、あっさりと「金曜の5時半に来な」と言う。
[メガプラザ5階のアモンカメラ]
さて、これでこのカメラの修理は上手くいくのであろうか?
まぁ、仮に修理できなければ、1,500バーツで引き取ってくれるという。
カメラマニアでもない私に、こんな古いフィルム式一眼レフなど、お荷物なのだけれど、捨ててしまうのが可哀そうに感じて、修理する気になったまで。
もし、下取りしてもらって、どんな形であろうと、このカメラが何らかの形で再利用されるなら、それはそれでいいやと思った。
カメラの修理を待つ数日間、徹底的にバンコクのアパートのベッドに寝ころんでいた。
バンコクもピサヌロークと同じくらい気温が高いけれど、ここの部屋は風通しも良く、しかも西日に焼かれることもないので快適。
冷蔵庫の中には、冷凍しておいた食材もまだ残っている。
金曜、夕方にバイクでメガプラザへ出向く。
カメラの修理は終わっていた。
シャッターを押せば、カシャっと音がする。
シャッターは治ったらしい。
しかし、修理職人は「レンズが白濁している」という。
レンズを除くと、レンズの内側の部分が、曇りガラスのように白っぽくなっている。
長い間使わずに放置していたので、レンズの中の空気がむ淀み、微少な埃などがレンズ上に沈殿したものらしい。
[古いカメラがたくさん並んでる]
この白濁を掃除するとなると、レンズを分解して、薬品に長期間漬けるなど大変な作業になるらしい。
これも代金は1,500バーツだそうだけれど、店主は「中古のレンズを買った方がイイ」という。
ここでは同じ型の中古レンズが1,500バーツだけど、日本でなら500バーツくらいで手に入るという。
なるほど、日本でなら500バーツの中古レンズが、バンコクへ来ると1,500バーツになるのか。
それにしても、この修理屋のおやじは何でもかんでも、1,500バーツと値付けするみたいだ。
でも、日本でなら500バーツで買えるとしても、まだ当面は日本へ帰れそうもない。
当面は白濁したままのレンズで我慢することに決めた。
5月15日、ピサヌロークへ戻る列車はバンコクの出発時間が、朝7時と早い。
帰りはエアコン付きの快速列車。
切符代は300バーツ以上と、ちょっと高いけれど、窓からの埃攻めにあわないで済む。
この7時の快速列車はチェンマイ行きで、もともとはエアコン付きの車両など連結されていなかった。
しかし、他の列車の運行本数が減って、余剰の車両がたくさんあるので、他の列車からエアコン付きの車両を借りてきて連結しているのだろう。
2等車ではあるけど、もともとは寝台車の車両。
寝台を座席の組みなおしてあるので、シートの幅はゆったりしているけれど、シートは向かい合わせで、リクライニングもしない。
もし、向かい側に誰かほかの人が座ったりすると、気詰まりになりそうな構造。
[寝台車を昼の列車に流用]
暑い季節でもあり、切符代は高くてもエアコン付きの車両は人気があるのだろう。
乗車率は50%を超えている。
でも、運のよいことに、私の向かい側はピサヌロークに到着するまで、だれも来なかった。
エアコン付きは、埃が吹き付けることもなく良かったのだけれど、タイの常としてエアコンが強烈すぎる。
半そでシャツしか着ていなかったので、車内が寒くて、風邪を引きそうになる。
他の乗客たちは、ヤッケやジャンパーなどを着込んでいる。
しかし、足元はサンダル。
[30年以上前に日立で作られた客車でした]
ピサヌロークに戻ってから、中古レンズをネットで検索してみる。
店の親父は500バーツくらいであると言っていたけれど、ネットに出展されているレンズはどれも数千円以上する。
ヘタしたら店の親父の言い値である1,500バーツの方が安いくらいだ。
たぶん、オヤジなど業者間で取引するレートと言うのは、我々外部にはわからないように存在するのかもしれない。
また、レンズの曇りを除去する簡単な方法はないかとネットで検索するが、特殊な用具が必要だったりして、どうも素人の手におえるものではなさそうだ。
それに、レンズを洗浄する特殊な液体もどうやって入手したらよいか分からない。
そこで、再びピサヌローク市内の修理屋にレンズを持ち込んでみた。
今回はパーツの交換も必要ないはずだから、ピサヌロークでもできそうな気がしていた。
そして、修理屋の兄さんは「600バーツ、明日取りに来て」と簡単にいう。
なんだ、すぐできるのか。
それに500バーツとは、バンコクよりずっと安い。
[J. Camera Service]
翌日、修理屋に行くと、「白濁は半分しか落ちなかった、だから半額の300バーツでいいよ」という。
半分しか綺麗になっていないというのは、おもしろくない。
なんか他に方法はないかと聞いたら、「同じタイプのレンズがあるから、内部のレンズを交換してみるか」という。
内部レンズの交換ということで、また翌日来るように言われたが、翌日になって、まだ交換できていないから、もう1日待つように言われる。
そして、3日目。
内部のレンズは交換されて、レンズを覗いても白濁はほとんど感じられなくなった。
さて、これで実際にフィルムを装填して、写真を撮ってみたらば、どんな感じになるのだろうか。
ファインダー越しに覗いた感じも以前とはだいぶ違って、くっきりしている。
さて、ではいったいどんな被写体にカメラを向けてみようか。
もし、まだネコが生きていてくれたら、絶対に被写体第一号はネコになっていたはず。
[ファインダー越しに覗いてみる]