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バンコクへ異動
9月末で3年間暮らしてきたピサヌロークの下宿を退去する。
この下宿、バーンミースコーと言って観光客を受け入れるゲストハウスのようなものであり、当初ここに住み着くようになった理由は、ネコと一緒に住むことができたからであった。
ピサヌロークに3年も住み続けることになるとは考えていなかったが、ネコと暮らしたのは結局1年半。
そして、コロナもあってここも宿泊者がいなくなって、ゲストハウスから月貸しのアパートのようになった。
ネコと一緒と言う条件がなければ、ここよりも住環境が良いところはほかにもあったのだけれど、ネコとの思い出もあるし、窓から眺めるワットチャンタワントクの金色の伽藍も気に入ってて、暑いとか、掃除がされてないとか不満を漏らしながらも、居続けたわけだけれど、とうとうバンコクへ呼び戻されることになり、下宿を引き上げることになった。

マル
[下宿を去るに当たって一番寂しかったのは下宿の猫たちとの別れ、このネコの名前はマルワイで、私はマルと呼んでいた]

しかし、ピサヌロークの仕事はまだ少しだけ残っていたので、9日間ほどインペリアル・ピサヌロークホテルへ仮住まいとなった。
ここは6月にも泊まったことがあり、プールが気に入っていた。
そして1週間のウイークリー料金が2,500バーツからとお得な金額であったことも、選んだ理由。
しかし、前回はスイートルームだったけれど、今回は一番下のグレードにあたるスーペリアルーム。
昼間は仕事に出かけて、夜寝るだけがから、部屋のグレードなど気にしなくても良いかとの判断が働いた。

プール
[ここのプールはピサヌロークでもトップクラス]

9月末に下宿の荷物をまとめてホテルへ移る。
スーペリアの部屋は、広さは申し分ないけれど、アメニティーが劣っていた。
石鹸がない。
シャワージェルはあるけれど、固形の石鹸が用意されてない。
コーヒーと紅茶のセットもない。
冷蔵庫の中は空っぽ。
後で気が付いたことだけれど、部屋の掃除も毎日は入ってくれないようだ。

部屋からの眺め
[この部屋からの眺め]

ホテルからオフィスまでは自転車。
ちょっと距離があって20分以上かかる。
ホテルの部屋でも自炊をさせてもらっていたので、朝食も部屋の中で食べていくのだけれど、いちどだけ自転車で通う道でパートンコーを買ってオフィスで食べたことがある。
ピサヌロークでもときどきパートンコーと豆乳を買って朝食にすることがあったが、ピサヌロークの市場で売っているパートンコーはひとつ2バーツであるのに対して、ここのパートンコーはひとつが1バーツと半額。
しかし、一個当たりのサイズが小さい。

ホテルでも朝食は食べられる。
レストランでのバイキングはやっていないけれど、別棟のコーヒーショップのようなところで提供しているらしいが、一度も利用しなかった。
値段が高いということもあるけど、バイキングと違って好きなものを好きなだけ食べれないというのが不満。
また、以前はホテルの入り口に出店を出して、朝と夕方にテイクアウトのサービスをしていたけれど、それもなくなっていた。
あんまり売れてそうになかったから、諦めてしまったのかもしれない。

滞在中は毎朝ホテル隣にある公園へジョギングに出かけていた。
池の周りに整備されたサーキットを走るのだけれど、ここへ走りに来ている人の顔ぶれはだいたい同じようだ。
ジョギングやサイクリングする人だけではなく、ただ散歩している人も犬を連れている人もいる。
一人で走っている人は少数派であるけれど、そういう人は走るペースも早い。
私はマイペースで、池の周りを二周して、ホテルへ戻ってくると40分くらいかかる。
出社前にプールでひと泳ぎもしたいところだけれど、ここのプールの開始時間は10時からなので、朝泳ぐことはできない。
夕方も7時までなので仕事から帰ってきてから泳ぐにはあわただしい。

たそがれ時の駅前
[たそがれ時のピサヌローク駅前、電線にはハッカ鳥というムクドリの仲間が群れをなしている]

10月3日は仕事が休みだったので、近郊まで遊びに出かけた。
行先は見ていながら、目的ははっきりしていて、キムネコウヨウジャクという鳥の巣を見つけること。
この鳥の巣は、独特の形をしており、時々見かけるのだけれど、しっかりと確認したことがない。
ピサヌロークにいるうちによく見ておこうと考えたわけだけれど、いざとなるとどこで見かけたのか思い出せない。
なんとなくチェンマイへ向かう列車の窓から外を見ていたら、田んぼの中の木にこの鳥の巣がぶら下がっていたような印象がある。
そこで適当に切符を買って、どんこに乗り込み、車窓から外を眺めて鳥の巣を探した。

鳥の巣探し
[チェンマイ行きの鈍行に乗る]

ビサヌロークから走ること30分ほど、ポンピラームという駅を出た先でそれらしき鳥の巣を発見して、次の駅で下車。
靴を泥だらけにしながら、田んぼのあぜ道を線路に並行して歩き、キムネコウヨウジャクの巣にたどり着いたけれど、いまは繁殖シーズンではないからか、巣の中は空であった。
一応鳥の巣は見つけたので、目的達成したということになるのだけれど、もと来た駅まで戻るより、そのまま線路沿いに歩いてポンピラーム駅まで行くことにしたのだけれど、それが大失敗だった。
日差しが強くて暑い、田んぼのあぜ道はぬかるむので、線路を歩くとバラストに足を取られて歩きにくいし、足裏も痛い。

キムネコウヨウジャクの巣
[線路沿いに見えるキムネコウヨウジャクの巣]

車が走る道は線路と並行しているわけではなく、遠回り。
2時間もかかってポンピラームの街にたどり着いたのだけれど、ピサヌロークへ戻る列車は夕方までないといわれる。
駅前の通りをピサヌロークまでのバスが通るはずと言うので、木陰でバスを待ったけれども、これもまた2時間ほど待たされた。

ポンピラームからのバス
[ピサヌロークへ戻るオンボロバス、まるで運転手はバスの中に住んでいるかのような生活感が感じられる]

ほとんど一日がかりでキムネコウヨウジャクの巣を探しに行ったことになった。
ホテルへ戻ったところで、部屋を移るように言われる。
今まで泊まっていた部屋のある棟はコロナの隔離用に閉鎖するというのが理由らしい。
部屋のことは前日から何やら言われていた。
最初は満室だから、出て行ってほしいといわれ、
次はエアコンの故障だから部屋が変わるといわれたけれど、どうやらコロナ隔離が真相だったらしい。
ピサヌロークで一番大きな工場でクラスターが発生し、その隔離らしいのだけれど、私は引っ越し途中の滞在なので荷物が多く、部屋を移るだけで大仕事となる。
移された部屋はツインベッドの部屋であったけれど、ベッド一台を部屋から運び出してもらって、部屋を広く使うことにした。
もっとも、部屋が広くなっても一人なんで持て余し気味。

ホタル
[ホテルの庭にはホタルが飛び交ってた、一匹捕まえ部屋に放した]

タイの華僑たちが肉食を断って、菜食主義になるギンジェー期間に入る。
私はもともと菜食中心の生活をしているが、ピサヌロークでランチは頻繁にギンジェー(ベジタリアン)食堂で食べていた。
特別美味しいというわけでもなかったけれど、オフィスからも比較的使いし、手頃だったこともある。
ピサヌロークを去る前日にもギンジェー食堂で食べる事にした。

ランチ
[注文したのはミースアという細麺の炒め物と野菜炒めを載せたご飯]

ここのランチ、3年前に初めて食べた時は30バーツだった。
それが35バーツに値上がりし、そして今回これが食べおさめだったかなと思いながら会計したら40バーツに値上がりしていた。

10月8日金曜日、仕事を午後に切り上げて車でバンコクへ向かう。
ピサヌロークとバンコクの間をそん三年間でいったい何往復したことだろうか。
車の故障は何度かあったけれど、事故に遭うことがなかったことは幸い。
バンコクのアパートに夜到着し、荷物を運びあげると、部屋の中は足の踏み場もなくなってしまった。
整理するのは、また明日にして、ネコの写真だけを飾りなおして、部屋は散らかったままの状態で寝てしまう。

翌日はコロナのワクチン接種二回目。
バンスーのサイアムセメントまでバイクで向かう。
途中にわか雨に降られたりする。
前回同様にたくさんの人が来ていて、大混雑。
今回は外国人だけでなくタイ人も一緒に接種ということになっているようで、待たされる時間がやたらと長く、なんだかんだで3時間くらい時間がかかってしまった。
それですっかり疲れてしまい、帰り道に市場で買い物をしてからアパートへ戻って荷物整理するはずが、そのままベッドに直行となった。

さらにその翌日の日曜日も、ワクチンの副反応なのか、身体がだるくて、何もする気力が起きない。
ベッドに転がって文庫本を読む。
日が暮れてもビールを飲むことなくそのまま寝てしまう。

11日からバンコクでの勤務。
前夜は早く寝たこともあり、夜明け前に目を覚まして、ジョギングに出る。
まだ体は本調子ではないけれど、グズグズばかりもしていられない。
ジョギングを含めて運動は子供の頃から苦手であった。
特に球技は運動神経が鈍くてキャッチボールなど全くできない。
それでも何か身体を動かさなくてはと思い、ジョギングなら運動音痴でも何とかなるだろうと続けているが、決して好きで入っているわけではない。
好きではないが、楽しみがないわけでもない。
楽しみはジョギングで走る途中でネコたちに出会えること。
飼い猫もいれば野良もいる。
ポケットにはキャットフードを仕込んで、おなかを空かせていそうなネコにあったら食べさせてやっている。
最近は廃屋のようなところにネコの集団が住み着いていて、彼らに会うことが楽しみになっている。

ジョギングルートのネコ
[ジョギングルートのネコたちにキャットフードを食べさせる]

バンコクでの仕事は、ピサヌロークでと比べると、気が重い。
自分の判断だけでは進められないことが多い。
それとランチタイムが面白くない。
ピサヌロークでは昼ごはんはテクテクと歩いたり、自転車に乗ったりして、何か所かのお気に入り食堂へ通っていたのだけれど、バンコクではいつもターミナル21にあるフードコート。
しかも、そこのベジタリアン食堂と決まっている。
ここのベジタリアン食堂は、こぎれいだし、味も悪くないのだけれど、大勢の人がいる広い空間で、一人で皿に盛られたライスとオカズを無言で食べるのは面白くない。
誰かと一緒に食べたいとは思わないが、エアコンが効いた室内で、なんだかオフィスの延長みたいで味気ない。
太陽の日差しを浴びるということがないのも良くないのかもしれない。

朝焼け
[アパートの部屋は風通しが良くエアコン要らず、朝焼けもきれい]

通勤にはバイクを使っている。
もともと15年近く前に中古で買ったホンダのツーサイクル。
スポーツタイプで以前は少し目立つバイクだったけれど、10年位前からタイでも大型のバイクが目立ち始め、スクーターなんかも大型になってきて、私の150ccバイクがだんだん小さく感じられるようになってきた。
それでも、まだ動いてくれているので乗り続けているが、昼間はよいけど、夜間走行だとエンジンの調子があまりよくない。
ヘッドライトも暗い。
暗いだけでなく、ビームにしかならない。
下向きだとランプが点灯しない。
そんなこともあって、とりあえず点火プラグを長いこと交換しいていなかったので、交換してみる。
なんとなくエンジンの調子が良くなった感じもすると、加速も良くなった。
ヘッドライトの問題もスイッチを修理して、上向きも下向きも点灯するようにした。
これでもう大丈夫かと思ったが、やっぱり夜暗くなるとエンジンの調子が良く無いようだ。
バッテリーがダメなのか、ダイナモの発電量が落ちているのかと考えているうちに、朝の通勤途中で突然エンジンが止まって、動かなくなってしまった。
バンコクはピサヌロークと違って、町中にバイクの修理屋がほとんどない。
延々と2キロ以上もバイクを押してバイク屋探す。
150ccのバイクとはいえ、押して歩くには重たい。
全身が汗だらけとなり、教えられたバイク修理屋にたどり着いたら、そこの職工から門前払いを食わされた。
「ウチじゃ、そんな古いバイクの修理なんかできないよ」という。
なんという言い草、頭にきたが、低調に「じゃこのあたりにどこか修理できるとこないかな」と聞いたが、
「知らないね、年寄りがやってるような修理屋探しな」という。
こいつ喧嘩売ってんのかなと思った。
以前だったらその辺の道具箱の一つ蹴とばしていただろうけど、私も人間に丸みが出たようだ。
修理待ちをしている料理の宅配ライダーが、そっともう少し先に行ったら修理屋があるよとそっと教えてくれた。

宅配ライダーに教えられた修理屋はテキパキと故障の原因を調べてくれた。
原因はメインスイッチらしい。
キーを回しても電気が流れていないそうで、要交換だそうだ。
しかし、スイッチの在庫がないという。
応急処置として、メインスイッチにつながるケーブルを直結してもらい、強制的に電気を流すようにしてもらったらば、エンジンがかかった。
エンジンを止めるときはつなげたケーブルを離せばよいという原始的なもの。
キーも不要。

買い物はもっぱらバーンカビの市場へ休みの日に出かけている。
ここがスーパーなどよりずっと安い。
ちょっと遠いけど、比較的気に入っている。
昔はクロントイ市場をもっぱら利用していたが、クロントイはバイクの駐車違反の取り締まりが厳しくなって、あんまり行きたくなくなっていた。
バーンカビはその点まだのんびりしている。
市場へ行って気づいたのだけれど、キャベツが高くなっている。
以前は1キロ30バーツほどだったのが、倍の60バーツもする。
白菜も高い。
葉物野菜が全体に値上がりしている。
朝は果物を食べるようにしているので、市場では果物も買うが、失敗することも多い。
ナシを買ったときは、相当に古いものだったのか、半分に割ったら中が真っ黒になっていた。
マンゴーも買ったが、これは季節外れだろうか、ちっとも甘さが乗ってなくて、マンゴーの味がしなかった。
ドラゴンフルーツは味は薄かったけれど、もともとそんな味なので及第点。
バナナはいままでめったに買ったことがなかったけれど、完熟もので美味しかった。
しかし、完熟ものなので早く食べないと真っ黒になってしまうのが問題。
一度にたくさんは買ったりできない。

10月24日~25日でピサヌロークへ。
2週間ぶり。
今回はツアーの仕事。
ツアーに出るのは半年ぶり。
ピサヌロークへは鉄道を利用するのだけれど、このところタイの国内旅行が解禁され始めて、切符が取りにくくなってきた。
ホテルもいままでのような投げ売り料金は見られなくなり、少しずつ高くなってきている。
このまま旅行需要が回復してくれるのはよい兆しだけれど、供給側がリストラをしてきて、以前のような体力がなくなっている。
あれもこれもと手を出した新規事業も中途半端のままだし、身動きがとりにくい。

おやゆび姫の池
[再開したおやゆび姫の池にもキムネコウヨウジャクの巣があることに気付いた]

ピサヌロークの朝市で、朝食用にパートンコーを買う。
つい先日までひとつ2バーツだったのが、3バーツに値上がりしている。
豆乳も5バーツから6バーツになっている。
ガソリンも随分と高くなって、コロナ以前より高い感じだ。
いろいろな物価が高くなっているけど、コロナの不景気で収入が減っている人も多いはず。
暮らしにくい世の中になっていくのだろうか。

パートンコー3バーツ
[パートンコー3バーツ、たべものを中心に値上げが多い]

カオコーにあるピノラテというカフェに寄る。
ここには二匹のネコがいて、そのネコたちに会いたかった。
しかし、そのうちの一匹、アメーと呼ばれているネコは昨年交通事故で歩けなくなって、今はカフェにおらず従業員の家で保護されていると聞いていた。
黒い猫で、おっとりとした性格。
昨年まで、このネコにあうのが楽しみだった。
しかし、今回カフェに行って聞かされた話は悲しいものだった。
アメーは死んでしまったそうだ。
病気だったのか理由は聞けなかったけれど、もうこの世にいないと思うと悲しい。
もう一匹の、ネコの名前はラテー。
こちらはカフェで会うことができた。
しばらく見ないうちにずいぶんと老け込んでしまったように見える。
タイのネコの一生は、日本のネコと比べると一概に短いように感じる。

アメー

[ありし日(2020年1月)のアメー]

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8月の悶々
8月29日 日曜日

早いものでもう8月もあと数日で終わってしまう。
小学生のころだと、ほったらかしにしていた夏休みの宿題をどうするか、特に自由研究が問題だった。
限られた時間で、一生懸命するというタイプではなかったので、さっさと諦めていたような気もする。

この8月、1日にバンコクに入って、3週間ほどバンコクで暮らしていた。
特別バンコクへ行って行わなくてはならない仕事などなかったのだけれど、ピサヌロークでも仕事がないのはおんなじで、たまたまバンコクから声がかかったので、バンコクに滞在していたに過ぎない。

それと、ピサヌロークでの業務停滞状況も4か月目に突入し、自分自身、給料泥棒みたいになっていて、少し気が重い。
ほとんど仕事もしていないのに、給料を受けているのは私だけじゃないのだけれど、会社から解雇されたスタッフも多いし、自主退職していったスタッフも多い。
本来なら私こそ真っ先に人員整理の対象となるべきなのに、いまだに在籍したままで、しかもピサヌロークという遠隔地で、のんびりと生活している。
その間にもバンコクでは、スタッフはどんどんと消えてしまい、部門には日本人が誰もいなくなってしまいそうで、会社から「日本人ゼロはまずい」ということで、呼び戻しの声がかかったのが7月の終わり。

ということで、バンコクの状況確認の意味を含めて、3週間のバンコク滞在となった。

つい先月に「終活」と称して、冷蔵庫や洗濯機を処分して、バンコク撤収の準備を始めたところだったのに、事態は急展開で、バンコクからの撤収ではなく、バンコクへの撤収となりそうである。

ピサヌロークはこの8月で3年暮らしたことになる。
いまのバーンミースコーという下宿は、もともとペンションのような経営で、オンライン予約サイトからの宿泊客が大半、西洋人もよく見かけた。
ここに暮らし始めた理由は単純で、オンライン予約サイトを検索したところネコと一緒に宿泊できる施設がピサヌロークにはここしかなかったから。
それして、ネコとのピサヌロークの生活は1年半で終わってしまった。
あれからまた1年半が過ぎて、ついに撤収時期が近付いてきた。

8月1日にバンコクへ車で入り、翌日からバンコクでの勤務となる。
バンコクへ行っても、特別やるべき仕事もなく、ピサヌロークにいるときと同じようにパソコンのキーを叩くくらい。
一つ違うとしたら、会議がオンラインではなく、テーブルを囲んでの対面式になったくらい。

ほとんどのスタッフが在宅勤務のため事務所内はがらんとしている。
人は少ないのだけれど、ピサヌロークなら自分の城のようなもので、周囲に気づかいなども必要ないけど、ここでは外様。
それと、ランチが不便。
バンコクはコロナの規制で飲食店へランチに出かけることができなくなっている。
いつもならバンコクでなら斜め向かいにあるターミナル21のフードコートへ食べに行っていたのだけれど、それもできないので毎朝弁当をこしらえて持参。
弁当を持っていくことなど、何ともないけれど、ピサヌロークでならその日の気分で、ランチをどこで食べるか選べてたし、食後に市場へ立ち寄って、市場を根城にしているネコたちを探したりも楽しめたけど、ここではそれもできない。


筏のソバ屋
[バンコクからピサヌロークへ戻ってナーン河の上でクイティアオをすする幸せ]

また、面倒なのは夜間外出禁止。
むかしバンコクで勤務していた時は、夜中までみんなでワイワイやりながら仕事をしたものだけれど、それが夜7時になるとみんな帰ってしまって、誰もいなくなってしまう。
仕事が少ないのだから、遅くまで残っている必要性がないのは当然としても、自分にしみついてしまっている行動パターンとアンマッチになっている。

バンコクのアパートは、ピサヌロークと比べて快適。
部屋は広くて、風通しも良い。
家具もある。
洗濯機は先日処分してしまったのが惜しまれる。
ワイシャツはゴシゴシと手洗い。

滞在中の3週間、アパートの管理をしていた女性を見かけなかった。
7月の家賃を払うときはいたのだけれど、どうしたのだろうか?
管理の女性に代わって、初老のオーナー夫婦が事務所に入っているのをよく見かけた。
オーナーの奥さんは以前体調を悪くされていたのか、随分と長いこと見かけなかった。
いまはだいぶ老け込んだけれど、特別体調が悪いようにも見えなかった。
その奥さんは、私がアパート内でウロウロとしてるのを見つけてとても喜んでくれた。
そして、私を見つけるたびに声をかけて、私にいろいろなものをくれる。
クロワッサン、インスタントコーヒー、タルト、バナナ、とんかつ弁当など。
みんなたぶん自分で食べようと思って買っておいたもので、私を見かけたときたまたまアパートの事務所内にあったので、慌ててそれを引っ掴んで出てきて手渡してくれたものと思われる。
4つ入りのクロワッサンやタルトのパックに2つや3つしか入っていなかったのは、ちょうど食べかけだったのかもしれない。

とんかつ弁当は日系のフジスーパーで買ってきたものの様なんだけど、ご飯の上にドーンととんかつが乗っかているという色気も何もない弁当。
せっかくもらったけど、もともと肉はあんまり食べないようにしているし、キャベツの千切りも、レモンのスライスもないので、見ただけで胸やけを起こしそう。
でも、せっかくいただいたものなので、箸をつけないのももったいない。
ちょっと考えて、味噌カツにしてみようと思った。
味噌カツは今まで食べたこともないし、もちろん作ったこともないけど、向田邦子のエッセイで岐阜へ行ったときに、やたらと味噌カツの看板を見て、旅の終わりに食べたら、味噌が油を抑えててみたいなことが書かれてあったことを思い出した。
そこで、胸やけを防止する意味で、味噌カツにしてみることにした。
ネットで作り方を調べて、作ったのだけど、規定量通りに作ったつもりがどうも味噌ダレが多すぎたようで、しかもやたらと甘い。
油での胸やけはなかったけど、味噌ダレがちょっとしつこかったようだ。

とんかつ弁当
[お米はどうやらタイ米みたい]

買い物はスーパーでと思っていたけど、野菜とかがやたらと高く感じる。
ふだんはピサヌロークの市場やマクロで買っているので、バンコクのスーパーで売られている野菜の値段が高くて、おいそれと変えなかった。
そこで、滞在中はちょっと遠いけど、クロントーイとバンカピの市場へ野菜を買い出しに出かけた。
市場はピサヌロークと変わらない値段のようだ。
それに規模も大きいから、何でもある。
ちょっと臭いと足元のベチョベチョが気になったりするけど、やっぱり野菜は市場がイイみたい。

市場ではンゴと呼ばれる赤くて毛むくじゃらの果物、ランブータンを買った。
もともと、あんまりンゴは好きではなかったが、今回食べてみて、結構気に入ってしまった。
もともとンゴがあんまり好きでなかった理由は、その味ではなく、ンゴの毛むくじゃらの皮を割って、みずみずしく白くて半透明な果肉は美味しいと思っていたのだけれど、果肉の中心にアーモンドそっくりな種があって、それが曲者だった。
種の周りには薄い渋皮があるのだけれど、果肉を食べると、果肉にこの渋皮がくっ付いてきて、食感が良くない。
かといって、この渋皮を外すのは容易ではない。
なので、いままで敢えて買ってまで食べたいと思わなかったのだけれど、市場では山のようにンゴがあっちでも、こっちでも売られていて、どうやらシーズンのようなので、買ってみる気になった。
で、自分でお金を出して、ンゴを買って食べてみた感想としては、渋皮自体は、食べたときにちょっと違和感があるが、特別味があるわけでもないので、慣れれば無視できるということがわかった。

果物と言えば、マンゴスチンもシーズンのようで、やはり破格値で売られていた。
マンゴスチンは美味しいけど、当たりハズレが難しく、実の割りに果肉部分が少ないので、これも買ってまで食べたい果物ではなかった。
今年はタイ南部でマンゴスチンが大豊作らしく、バンコクでも例年よりずっと安く売られている。
でも、やっぱりまだ買う気にならなかったら、バイクにガソリンを入れようと立ち寄ったガソリンスタンドでマンゴスチンを一袋もらってしまった。
どうも南部の農家救済のために石油会社がマンゴスチンを一括買取してスタンド利用者に配っているらしい。
マンゴスチンとしては、粒の小さいモノであったけれど、中の実にハズレはほとんどなく、とてもおいしく食べることができた。

バンコクでの朝は、ジョギングからスタート。
むかしと変わらず、ソイの入り口から奥に向かい、コミュニティと呼ばれる貯水池周辺のモスリム居住地を回ってくる約5キロのコース。
以前は30分で走ったものだけど、歳の関係か40分近く時間がかかるようになってしまっている。
もっとも、年取って脚力が落ちただけではなく、途中でネコに遭うたび立ち止まってしまうことも影響している。
ラマ9寺の入り口周辺に、以前に何度か黄色いネコを見かけたことがあった。
今回も見かけるたびに、少しドライフードを分けてやっていたらば、なんとなくそれが習慣になってしまったのか、寺の前で私が来るのを待っているようになってしまった。
また、貯水池の周りでは野良、飼い猫、地域ネコなどがモスリム色が強くなればなるほど多く見かけるようになってくる。
ピサヌロークでも朝のジョギングで何匹ものネコを見かけることがあるけれど、立ち止まるようなことはない。


貯水池のネコ
[早朝の水辺でネコたちがミーティングをしているのに出会った]

さて、ピサヌロークを撤収してバンコクへ拠点を戻す時期は9月中となりそうなのだけれど、ピサヌロークの下宿の退去通知をしなくてはならない。
下宿の婆さんには、バンコクへ向かう前にそれとなく伝えておいたが、9月で具体的な日付は決まっていない。
私の腹の中では、下宿は8月に出てしまい、9月中は6月に滞在したインペリアルホテルへ移って、快適なホテル生活をしようと言うつもりもあった。
狭くて、暑くて、快適とはあんまり言えない下宿から、ピサヌローク生活の最後に、ちょっと思い出作りを兼ねたリゾートホテル暮らしをしてみたい気持ちもあった。
費用的にも、できない相談ではないし、前回1週間滞在したスイートルームなら部屋も広く、下宿にある生活道具一式の置き場にも困らない。
心は7割くらい下宿を出ることで決まっていた。

しかし、バンコクからピサヌロークへ戻って、判断を揺るがせたのは、ネコだった。
私のネコとの最後の時間を過ごした場所が、ここであり、ネコが命を引き取り、冷たく、そして固くなって倒れていたのは、窓に近いベッドわきの壁際。
あのとき、私は仕事を理由にして、バンコクへ行ってしまった。
ネコの体調が悪くてぐったりしていることを知りながら、ネコをおいて行ってしまった。
そのことをとても悔やんだし、今でも後悔して、ネコに申し訳ないことをしてしまったと思っている。
そういう気持ちがあるにもかかわらず、ネコを火葬したお寺の見える、この部屋から、一人で快適なリゾートホテルへ移ることは、またネコを置き去りにしてしまうように思えてきた。
最後の日まで、ネコと暮らした部屋にいるべきかなと思えてきて、下宿の婆さんに撤収時期は9月になると伝えた。

ピサヌロークに戻って、1週間。
オンラインツアーと称するものを3回ほど担当し、スコータイへも2度ほど足を運んだ。
風通しの良かったバンコクのアパートから、西日に焼かれ、空気の淀んだ下宿の部屋に戻り、快適さで劣ることを痛感する。
少しでも快適にしようと思いエアコンのスイッチを入れたりするが、エアコンの風が体質に合わないのか、これもやはり快適とは言えない。
ここで暮らし始めたばかりのころは、べつに下宿で快適性などに関して、同行思うことなどなかったように思う。
少なくても、部屋の中が辛いなどと思った記憶は残っていない。
あの頃はネコがいてくれたからなのだろうか、それとも毎日ペンションとして宿泊客があり、廊下や階段の掃除がされていたりしたからだろうか、いまではもうよく解らなくなってしまったけど。
たぶん、あの頃は部屋の中にいる時間が今よりずっと少なかっただけなのかもしれない。
いま、下宿には何か月か前にブラウニーと言うメスネコから生まれた子猫たちが飛び回って遊んだりしている。
父親は、毎朝私の部屋にエサをねだりに来るウォッカで、子猫の中にはウォッカそっくりのも何匹か混ざっている。
ピサヌロークを撤収したら、ここのネコたちのことを思い出すんだろうなと思う。

スコータイ遺跡
[スコータイ遺跡は依然として見学者がほとんどいない]

ピサヌロークのスタッフに教えてもらったのだけれど8月17日は黒ネコの日だそうだ。
タイでと言うより、アメリカから始まったらしい。

黒ネコの日
[黒ネコはシャイで警戒心が強いけど、浮気をしない誠実なネコが多いと思う]


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終活
7月18日、バンコクにて
現在生活の拠点はピサヌロークが中心となっている。
バンコクのアパートは借りっぱなしにして、モノも置きっぱなしにしているけれど、コロナの関係もありバンコクへの往復もだんだんと不自由になってきて、バンコクのアパートに戻ることがほとんどなくなってしまった。
それでも、家賃を払い続け、冷蔵庫などにより発生する電気料金や駐車場代なども払っているので、これらバンコクの家賃と光熱費関連はピサヌロークで発生するものよりも金額的に大きくなっている。
今後もバンコクのアパートを借り続けていくべきなのか、判断に迷う。
一か月のうち数日しか利用しないバンコクのアパートにかける費用から考えたら、ホテルに泊まっている方がずっと安上がりで快適なはず。
しかし、バンコクに置いてある家電製品や家具など生活道具を狭いピサヌロークのアパートに持ってくることは物理的に不可能。
どうすべきが、ずっと悩んでいた。

ピサヌロークでの仕事も4月から止まったままで、ピサヌロークから撤退しなくてはならないことだって考えられるし、少なくとも数年後には定年を迎え、晴れて本帰国となるはず。
でも、いまのところは一寸先も闇といった状況で、今後の生活拠点に関する計画が立てられないでいる。

ひとつだけはっきりしていることは、数年以内の本帰国。
そうなると家電製品を処分する必要がある。
バンコクのアパートに置いてある家電製品、いずれも購入して10年以上が経過しており、もう中古屋に持ち込んでも値段が付かないんじゃないかと思われる。
しかし、まだまだ現役で使える連中なので、粗大ごみとして処分してしまいたくない。
それぞれに愛着もある。

冷蔵庫
[大型冷蔵庫が2台も並んでいる]

たとえば、冷蔵庫。
大型のが2台もある。
そのうちの1台は、2001年にチェンマイで暮らし始めた時に購入したものだから、もう20年選手である。
数年前にセンサーなど交換して、まだまだ現役で活躍できるが、最近は電気代節約のためにコンセントを抜いた状態にしている。
20年前にこの冷蔵庫を買ったときのことは今でも覚えている。
カドスアンケオのショッピングセンターに入っているセントラルデパートで買ったものだけれど、
配達されてきた冷蔵庫は、購入した冷蔵庫と違うものであった。
配達してきたスタッフに言っても埒が明かず、デパートに苦情を言ったら、私たちが購入したことになっている冷蔵庫は在庫切れになっていて、納品まで時間がかかる。
この冷蔵庫も良い製品だから、こっちにするようにと言われてしまい、あぜんとしたことがある。
結局は違う製品などではなく、納品まで待つから、ちゃんと注文したものを届けるように念を押した。

もう一台は2007年にバンコクのセントラルデパートで買ったもので、クレジットカードのキャッシュバックキャンペーンを利用した。
当時は妻も長男もバンコクにいたので、冷蔵庫は2台あってもまだ足りないくらいであった。
私が一人暮らしになってからも、日本から買い込んできた食料品を冷蔵庫で長期保管するので、2台の冷蔵庫は重宝していたけれど、
一年半前から日本へは一時帰国できなくなっていて、貯蔵していた食品類もほとんど食べ尽してしまって、現在は冷蔵庫一台でも持て余し気味。

洗濯機
[狭いベランダにおいた洗濯機]

洗濯機はバンコクのアパートに住み始めたばかりの頃、知り合いから中古で買ったもの。
韓国メーカー製の全自動洗濯機で、やはり家族がいたころには、汗をかく土地でもあり、毎日大活躍をしていた。
その後、一人暮らしになってから、洗濯機を回すのは週に一回くらいとなり、ピサヌロークへ移ってからはほとんど使うことがなくなってしまった。
この洗濯機の上にエアコンの室外機が置いてあったのだけれど、去年ネコが死んでしまってから、室外機のところにハトが巣を作って、そこから落ちてくるフンで洗濯機の表面がハトのフンだらけになってなっていた時期がある。
ピサヌロークへ生活の拠点を移した当初は、ときどきネコを連れてバンコクへ戻って来ていたので、ハトも寄り付かなかったのだが、いまでは洗濯機を回す頻度より、洗濯機に付着したフンを掃除する頻度の方が高くなってしまっていた。

テレビ
[ブラウン管式テレビ]

テレビは貰い物である。
帰任するので不要となったテレビとDVDプレーヤーを譲り受けたもので、やはり家族がいた時はテレビをつける機会も多かったけれど、現在では電源コンセントも抜いたままの状態。
それにブラウン管式のテレビは時代遅れとなっている。

それらの中古家電は、不要不急であり、できれば捨ててしまうのではなく、使ってくれる人がいたら嬉しいくらいに思っていたのだけれど、アパートの事務所で家賃を払っているときに居合わせた住み込みのメーバーン一家のご主人(アパート専属のエンジニア)が、喜んでもらい受けるという。
シーナカリンにいる娘が入用なんだとか。
この娘さん、うちの長男とだいたい同じくらいの年齢のはずだけれど、結婚でもして所帯でも持ったのだろうか。
しかも、冷蔵庫、洗濯機、テレビの3点セットを2,000バーツで引き取ってくれるという。
これからも使い続けてくれるなら無料進呈してもいいところだけれど、お金を払って買ったものの方が大事にしてもらえそうな気もするので、2,000バーツで手を打った。

搬出
[洗濯機の運び出し]

そうと決まると、すぐに搬出に取り掛かり、冷蔵庫や洗濯機などが運び出されていった。
洗濯機などは大きすぎてベランダの窓を外さなくては運べなかったけれど、本職がエンジニアなので簡単に窓が外されてしまった。
テレビのリモコンなどは電池を入れっぱなしなしてあったため、液漏れを起こしていた。
冷蔵庫二台のうち、バンコクで追加購入した1台は、そのまま私が使い続けることにした。
まだ食料品が少し残っているし、当面はバンコクのアパートの解約をするまでは、ここにあった方が何かと便利である。

アパートの解約に関しては、いつかすることになるのだろうけれど、もう少し様子見をすることとして、駐車場の契約に関しては、解約も検討課題。
アパートの部屋にめったに帰ってこない以上に、駐車場に車を止める機会はとても少ない。
バンコクへ来るときも、ガソリン代が気になるので鉄道やバスを利用することが多くなっている。
なので、たとえ月々600バーツとは言え、実質的には随分と高い駐車料金を払い続けていることになっている。
さて、さっそく解約を事務所へ申し出ようかと考えたのだけれど、駐車場にはバイクも止めており、もう少し様子を見ることとした。

冷蔵庫跡地
[歯が抜けたようになってしまった冷蔵庫あと]

大型家電が部屋から消えて、すっぽりと空間ができてしまうと、やっぱり寂しさを感じる。
家具などの移動をして、配置換えをすれば部屋をもっと広く使えたり、見栄えも良くなりそうだけれど、いまはまだ家具の移動とかをしたくない。
冷蔵庫の前でネコがじゃれて遊んでいた姿や、洗濯機に登っていたネコなど、ネコの思い出もいっぱいあり、もう少し思い出のままに放置しておきたい。

部屋の中には、本棚や家具など、バンコクを撤収することになったら処分しなくてはならないものがまだまだ残っている。
これらもボチボチ行き先を探してあげたいものだ。

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| 日常 | 11:16 AM | comments (0) | trackback (0) |
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