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毎週のウドンタニ通い
今年になって初めてブログを書き始めている。
今日はもう2月13日で、1月はとうとうブログに穴を開けてしまった。

初日の出
[元旦からツアーで、カオコーにて初日の出を拝む]

昨年からずっと忙しくしており、書いている時間もほとんどなかっただけではなく、
書くということに対する気力がなくなっていた。
忙しかったのは確かで、仕事は休みも取らずに飛び回っていた。
週末はずっとツアーが入っていたし、年末年始や大きな団体も抱えていた。
1月になってからも、週末は毎週ウドニタニへ行っていた。
金曜の夜の夜行列車で出かけて、月曜の朝に戻ってくる。

プーロムローのサクラ
[昨年末から気を揉んでいたサクラ、素晴らしい花見になった]

ブログで書こうと思えば、いろんなことがたくさんあったので、いくらでも書けたはずだった。
昨日は、2月12日土曜日、連続していた週末のツアーも途切れて、何か月ぶりかで休みが取れた。
この日は部屋の掃除をした。
もう長いこと掃除をしてきておらず、床にはビニール袋が散乱し、ほこりも溜まっている。
去年10月にピサヌロークから撤退してきたときの荷物も段ボール箱に入ったまま、床に置かれている。
掃除をしようと腰を上げるまでに、何から手を付けていいのかわからず、しばし呆然としてしまう。

まずは散らかっているビニール袋の回収から初めて、床のほうき掛け。
アパートの近くにセメント工場があるからか、埃だけではなく、砂埃のようなものも多い。
ほんとうは床を雑巾がけでもしたいところだけれど、それはまた次回としてしまう。
クリスマスツリーも飾りっぱなしだったものを仕舞い込む。
ツリーの飾りで雪に見立てた綿はすっかり黒ずんで、東京の道端に残った雪のようになっている。

下駄箱の中にはたくさんの靴が入っている。
また履く機会もあるのではないかと思って、履き古した革靴などを放り込んであったのだけれど、
これらも処分してしまうことにする。
私は捨てるということが苦手で、ついつい貯め込んでしまう。
いつかまた使う機会があるのではないかなどと考えているだけではなく、
捨てるという行為に、心がとても痛んでしまう。
生き物でも、モノでもおんなじ。

今回処分したものに、タオルケットもある。
タオルケットをシーツ代わりにして、寝ているのだけれど、もうビリビリに破れてしまっている。
洗濯機で洗うと、さらに破れてきてしまうので、もう長いこと洗濯もしていない。
埃の原因にもなっているけれど、やっぱり捨てられずに敷き続けていた。
これにはネコとの思い出もあるということも原因している。
そのタオルケットもきれいに折りたたんで処分することにした。

毎週末、ウドンタニへ行っていたけれど、ウドンタニでの定宿はV1ルームと言うところで、
ここのオーナーはネコ好きで、黒いメス猫を飼っている。
この黒いネコが、私のネコによく似ている。
私のネコよりも一回り小さいのだけれど、
背中の毛の一部に白いものが混ざっているのもおんなじ。
もともとは白い毛などなかったのだけれど、薬疹により白くなったのだそうだ。
そんな経緯も私のネコと同じ。
このネコ、昨年は車とぶつかって、獣医通いをしていたそうで、そのときの薬が白い毛の原因となったそうだ。
ネコはその事故以来、少し性格的に警戒心が強くなってしまったそうで、
私が近付くと、スーッと逃げるようになってしまった。
しかし、毎週通っているうちに、膝の上でもじっとしていてくれるようになってきた。

V1ルームのネコ
[このネコにあえるだけで、この宿に泊まる価値がある]

ウドンタニ以外にもチェンライへ出張した。
チェンライもウドンタニも食堂の値段が高いようだ。
50バーツ以下で食べられるものがほとんどない。
タームサンと呼ばれる簡易食堂でも、汁かけ飯でも、クイティアオの屋台までも、みんな最低で50バーツ。
バンコクでの食堂の水準がどんなものなのか、わかっていないので一概には言えないけれど、
少なくてもピサヌロークで同種のものを食べるのと比べると5割以上高く感じる。
これはピサヌロークの食べ物の価格水準が安いだけということなのかもしれない。
ピサヌロークはそれでいて、価格だけではなく、味の面でも上を行っている。

ブンカーンの夜明け
[このところブーンカーンが異常な人気]

ウドンタニの場合、食堂の絶対数も少ない気がする。
食堂もイサーン料理の店の比率が高いのは当然としても、
肉をあまり食べたくない私にはあんまり食べ物の選択肢がないのもちょっと困った。
道端の屋台も肉の串焼き、炙り焼きが多く、クイティアオのスープも豚の血が入って黒いものが主流のようだ。
もち米のカオニャオやソムタムは嫌いではないけれど、そればかりが続けて食べるわけにもいかない。
そんななか、ウドンタニの朝食で見つけたものに、ベトナム風のサンドウィッチがある。
コッペパンに似た形のフランスパンにベトナムソーセージなどが挟んである。
フランスパンと言っても、皮がパリパリに固いわけではなく、パリパリ感は少しはあるけれど、
タイ人好みにちょっとフニャリともしている。
ラオスあたりだと、ハーブ類をはじめとした野菜類もふんだんに挟み込んでくれるが、
ここのは野菜類は入っていない。
現代のタイ人は野菜嫌いが多いと思う。
一膳飯屋でも野菜を残す人が多い。
子供に野菜を食べる習慣をつけさせようとしている家庭もあんまりないのではないだろうか。
子供たちに野菜嫌いは顕著なようで、
レストランでツアー客の子供さんに何を食べさせるかで店の人に質問したことがある。
子供向けにはどんなメニューがあるかと、
そうしたら答えとして、フライドチキン(ガイトート)やコームーヤーンと呼ばれる豚の炙り肉を提示された。
タイの子供は肥満体が日本の子供より比率が高いようだ。

チムチュム鍋
[チムチュム]

ウドンタニで買ったものに、チムチュムのタレがある。
昨年ブリラムへ行ったときに食べたチムチュムがやたらに美味しかったので、同じイサーンだからとウドンタニでもチムチュムを食べたのだけれど、チムチュムとは名ばかりで、タレがタイスキ用だったり、タイの人たちがシーフードソースと呼んでいる唐辛子とニンニクのタレしか用意していなかったりする。
チムチュムのタレを用意している店もあったけれど、ブリラムで食べたものとは、まったく味が違う。
そこで市場へ行って、チムチュムのタレを買ってみた。
ペットボトル入りで90バーツと安くなかった。
このタレを使って先週初めて鍋を作った。
バンコク、クロントイ市場で野菜やハーブ類を買いそろえた。
野菜だけではなく、ルークチンプラーというツミレやトーフープラーというはんぺんのようなもの、冷凍庫に入っていたプラードーリーという大型のナマズの切り身なども鍋に入れて食べた。
旨かった。
ブリラムで食べた味には及ばなかったけれど、カーオクアと呼ばれる砕いた米を乾煎りしたものなどをタレに混ぜて食べると、いくらでも食べれてしまいそうだ。
本当は素焼きの鍋を七輪にかけて食べたいところだけど、アパートの部屋でそれは無理なので、電磁鍋だったが、あんまりに旨いので、ついつい食べ過ぎて、苦しくなってしまった。
なお、野菜嫌いの続きになるが、ウドンタニのあるチムチュム屋に入ったとき、隣のテーブルで同じく鍋を突いていた女性二人組、セットに含まれる野菜やハーブ類はすっかり残して、肉類だけを食べていた。
タイ女性も美容とかには異常なほど関心が高いようだけど、野菜嫌いそのままのようだ。

ウドンタニとの往復には夜行列車ばかりを使っていたわけではなく、昼の時間帯のバスも二度ほど利用した。

二等寝台
[週に二晩はこの寝台車を利用]

これはウドンタニでの仕事が早めに終わって、夜の汽車まで待つ時間がもったいなかったから。
飛行機なら快適なのはわかっているけれど、これはお金がもったいないのではなから選択肢に入っていない。
以前なら昼間の時間帯でもウドンタニからバンコクへ向かうツアーバスが頻繁に走っていたはずなのだけれど、
コロナの影響でそうなったのか、いまはバンコク行きのバスは夜行便しかないようだ。
唯一2等の急行バスが昼の時間もバンコク行きを走らせていたので、それを利用した。
運賃も385バーツと安かった。
しかし、ツアーバスなら7時間ほどの所要が、この2等急行バスは13時間もかかった。
お昼に乗ったバスが、バンコクに着いたら日付が変わっていた。
急行バスは、国道沿いのバスターミナルに立ち寄り、お客を拾いながら走ることも関係している。
ウドンタニを出発するときは半分くらいの乗車率だったものが、コンケーンあたりでは、ほぼ満席になってしまう。
ナコンラチャシマでたくさんの人が下車したけれど、しかしまた同じだけの人が乗り込んできて満席となる。
快適ではないけれど、不愉快でもない。
なんとなくバス旅らしい情緒があった。

急行バス
[ウドンタニからバンコクへの二等バス]

しかし、ウドンタニからバンコクへの国道そのものは、大型貨物車が多く、信号も多いし、自分で車を運転してこようと言う気にはならない。

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| 日常 | 12:46 PM | comments (0) | trackback (0) |
年末ツアーの仕込み
11月の後半から、ツアーの仕事か忙しくなり始める。
平日はツアーの手配や打ち合わせ、そして週末にはツアーに出るということを繰り返しているので、休みが全く取れなくなってしまった。
さらに悪いことに会社は、年末年始の休暇を含めて12月は13日間の休日を設定しただけではなく、有給休暇を年内に消化しなければ、そのまま消えてしまうというので、12月のスタッフたちは出勤日がとても少なくなっている。
そのため滞ってしまった業務のつけはこちらに回ってくると次第で、まったく忙しいといったらありゃしない。
そんな中、日中はやたらと会議が設定されている。
悪循環で、よくぞミスを犯さずにいられるものだと、我ながらあきれてしまう。

12月に入ると、;連休が2週続けてあったこともあり、週末を絡めた前後の日にもツアーが入り始めてる。
コロナ以前よりも取り扱いツアーの件数は確実に増えていると思う。
この点で言えば絶好調なのだけど、対応する身としては、とてもしんどい。

ピサヌロークへの往復に、以前は車を運転していくことが多かったのだけれど、夜間のドライブでは居眠り運転をしてしまう可能性もあり、また日中のドライブだと、ひっきりなしにUrgentと記されたメールやメッセージが入ってきて、落ち着いて運転していられない。
そこで夜行バスを使うことになるのだけれど、バスの中で仮眠をとるのも楽ではない。
一度はピサヌロークからバンコクへ戻るのに、適当な時間にバスがなくて、ロットゥーと呼ばれる乗り合いバンを使うことになった。
しかし、狭いし、乗り心地は悪いして、バンコクに到着したらぐったり疲れてしまった。
以前はバスも鉄道ももっと便数があって、時間のことをあまり気にせず利用できたのだけれど、コロナが少し落ち着き、運航再開し始めたといっても、まだ半分くらいの便数しかない。
飛行機に至っては、1日1便くらいしか飛んでない。
お客が少ないわけではなく、バスも飛行機も満席。
予約も取りにくくなってい
ついこの間までソーシャルディスタンスとかいって、シートも隣り合わせに並ばないように間隔を空けさせられていたけれど、そんな規制もなくなって、ぴっちり詰め込まれる。
ほんとボヤキがとまらない。

ピサヌロークからの乗り合いバン
[ピサヌロークからの乗り合いバン]

それでもこのまま順調にツアーが活況を呈してくれていたら、ふたたびピサヌローク専任に戻してもらえるのではないかと淡い期待もしている。
可能性は高くはないけれど、こんな希望でも持っていないと、張り合いがでない。
日本からの観光客はほとんどゼロのような状況だけれど、日本以外の国からの観光客は入り始めているようだ。
先日はスコータイ遺跡で大型の観光バスから西洋人観光客がぞろぞろ降りてくるのを見かけた。
聞けばスペインからの観光団とのこと。
バンコク-アユタヤ-スコータイ-チェンマイの西洋人団体客に人気のゴールデンルートも復活したのだろうか?
しかし、ピサヌロークの受け入れ態勢を見てみると、お寒い限りである。
約2年近くのコロナ禍にあって、受け入れ態勢はボロボロになっている。
もともとピサヌローク自体は外国人観光客をひきつける要素が豊富と言うわけではなかった。
先のゴールデンルートでスコータイ見学の前後に宿泊するための街に過ぎない扱いで、その宿泊ついでに西洋人観光客に「サムローに乗っての空飛ぶ空芯菜体験」が人気であったけれど、空飛ぶ空芯菜食堂は半年前に廃業してしまった。
サムローもまだ少しは町の中で細々と走ってい入るけれど、西洋人団体客が来なくなったこともあり、黄昏時に隊列組んで市内を走り抜ける姿は全く見られにくなった。
年末年始のツアーのためにサムローを手配しようとしたら、たった台数が揃わないと言われてしまった。
台数といってもたかが20台ほど。
しかし、長いこと走らせてこなかったために、壊れてまともに走れなくなっているのだそうだ。
もちろん修理をすれば良いだけだけど、年末年始のツアーなど一過性のもので、そのあとが続かないようでは、修理損ということにもなりかねないのだろう。
事情も分かるが、こちらもツアーを手配しなくてはならない手前、はいそうですかとは引き下がれない。
年末まであと1週間を切ってしまったけれど、なんとか対策をしなくてはと四苦八苦している。

黄昏の中を走るサムロー
[黄昏の中を走るサムロー]

年末のツアーでの懸念は、ほかにもある。
「暖冬」と言う言葉がタイで当てはまるのかわからないけれど、乾期に入ってもなかなか冷え込んでくれない。
年末年始のツアーの目玉の一つにプーロムローでのサクラ見物を入れているのだけれど、こちらのサクラは気温が10℃を下回る日が続かないと開花してくれない。
日本のように春が近づき暖かくなって来てサクラが咲き始めるのとは反対である。
去年、一昨年と12月には満開となった当地のサクラ、今年はちょっとも咲く気配を見せていないというのだ。
こんな自然相手だと、こっちがジタバタしてもどうなるわけでもないのだけれど、気がかりでしょうがない。
そこで、実際に今どんな状態なのかを確かめようと、ルーイ県まで車で行った帰り道に、プーロムローのダンサイ側の登山口へ立ち寄ってみた。
本来ならサクラ見物の観光客を輸送するピックアップトラックの発着する広場にはトラックや観光客どころか誰一人いない無人の状態で、ますます焦り始めてしまう。
村役場へ回って情報を仕入れようとしたところ、役場にも情報はほとんどないようで、今年のサクラは1月中旬ごろではないかと言われる。
しかし、役場の人は親切で、役場の前庭に植えられているサクラの木へ案内してくれた。
そしてその木をよく見ると、枝の先に小さなピンク色の花がほんの少し咲いているのが確認できた。
花は小さく、台湾の霧社や蘆山温泉周辺でときどき季節外れに咲いているサクラと同じくらいのレベルであるが、溺れる者は藁をも掴むで、私に淡い期待を抱かせてくれた。

早咲きのサクラ
[早咲きのサクラ]

「ルーイ県まで車で行った帰り道」と書いたけれど、ルーイへ行く途中でも、懸念していることの確認で立ち寄ったところがある。
新年の初日の出をカオコーの山から眺めさせたいと考えている。
この季節、カオコーは雲海が出現することが多くて、とても人気がある。
そんな雲海から昇ってくる初日の出を拝みたい。
しかし、通常カオコーの雲海を見るビューポイントとされているところは、雲海が現れるカオコーの盆地に対して東側に位置している。
つまり日の出の方角とは反対側。
これでは雲海から昇る初日の出にならない。
そこで考えたのは、盆地の西側、峰の上にそびえる風力発電所があるあたりから眺められるのではないかと考えた。
でも、実際にどんな感じになるのか確認していないので、実際に見ておきたいと考えてルーイへ向かう途中に早朝のカオコー風力発電所へ立ち寄った。
日の出は、何の心配もなく、自然現象とはいえ、予定通りの時刻に昇ってきた。
しかし、雲海は全く見られない。
展望台近くで土産物を売っている人に「ここからは雲海は見られないのか」と聞いてみたら「風が吹いているから雲海は出ないけど、風がなくて雲海が出ればとてもきれいだ」とのことであって。
風が吹くかどうかはその時次第だろうけど、ここに風力発電所があるということは、ここでは一年中風が吹いていることが多いからかもしれない。
なお、別の人に聞いたら「雲海を見るなら、雨季に来た方が良い」とも言われる。
雲海は雲だから、乾期よりも雨季に出るものだと。

風力発電所で日の出
[風力発電所で日の出]

雲海は見られなかったけれど、日の出は綺麗だった。
一瞬閃光のように光って、太陽の端が見えたかと思うと、ぐんぐんと昇ってくるのが見て取れる。
日の出をじっくりと眺めるのは久しぶり。
日の出と言うのは、なんとなく霊的な印象も受けるので、寝不足気味でも元旦にはやっぱり眺めてほしい。

雲海そのものは、やはりルーイ県チェンカーンのプートク山で見れた。
ここはこの季節、雲海が見られる確率が高いようだ。
いままでほとんど雲海を見損なったことがないような気がする。
そのせいか、ここに登ってくる人の数は多くて、毎朝大変な人ごみになっている。

プートクの雲海
[これはプートクの雲海]

さて、そんなこんなで今朝はもう12月31日。
早くアップしないと、今月はなにもアップしてないことになってしまうので、中途半端だけど、このあたりで今年最後のブログとします。

チェンカーンの夕焼け
[チェンカーンは夕焼けがきれいだ]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=206 |
| 日常 | 06:26 AM | comments (0) | trackback (0) |
バンコク生活2ヶ月目
バンコクへ移ってきて、はじめは仕事らしいこともほとんどしていなかったけれど、そのうちに社内ミーティングに駆り出されることが多くなってきた。
また、本業とも呼べる部分も稼働し始める。
もともと自分の性格は、みんなで協力し合って何かを進めて行くというタイプではないと思っている。
誰かといるより、一人でいることの方を好む。
だからたぶん企業の中で働くというのはもともと向いていないような気もする。

車両点検
[たまにはバス会社へ行って車両の整備状況もチェックしてます]

バンコクで毎日職場とを往復するだけ。
ランチはだいたいはす向かいのショッピングセンターにあるフードコートと安いブッカケ飯を食べるくらい。
100バーツのプリペイドカードで3回は食べられるからピサヌロークよりも食費にお金がかかっていないかもしれない。

朝起きれば、ベッドの中でストレッチ風の体操をしばらくやり、そのままジョギングに出かける。
ジョギング中にネコに出会えば、うちのネコの仏前から下げたキャットフードを分け与える。
ネコに出会うときもあれば、ネコとの接触がない時もある。
ネコと戯れることができると、朝から気分が安らぐ。
しかし、捨てネコに出会って、キャットフードを与えた後も、「連れてってくれ」とネコにすり寄られると、そのままネコをおいて走りだすのに後ろ髪を引かれる思いもして、心が痛む。
次の日の朝になって、また会えるだろうかと、ネコはどうしているだろうかと、走る道すがら探してみたりするけれど、また出会うことはまずない、
また誰かに拾われていればいいし、一匹でどこかへ行ってしまったのかもしれない。

もともと子供のころから運動が苦手で、大嫌いだったけど、健康維持のためと言い聞かせて続けてきたけれども、ネコに遭えるという楽しみで朝のジョギングは嫌いではなくなってきている。

ジョギングコースのネコ
[このネコは以前から倉庫の管理人に可愛がられている幸せ者]

ジョギングの後はアパートの屋上でラジオ体操。
小学校の頃にラジオ体操をしていたが、あの時は前屈して、開いた足の間から空まで見ることができたし、反り返っても後ろの生徒も同じ格好で反り返っているのが見えた。
しかし、今は身体か固くなったのか、開いた足の間からは地面しか見えず、反り返れば空しか見えない。

ラジオ体操後は、水連の鉢にいる小さな魚たちにエサを与える。
はじめのころは私が近付くと水草や藻の中に隠れていた小魚たちが、毎朝エサがもらえるとあって、水面で待ち構えているようになった。

11月6日から11日にかけてピサヌローク経由でチェンライまで車を運転して出張に出かけた。
ヒーサヌロークまでは通いなれた道。

巨大雷魚
[ハイウェイ沿いシンブリ県にて、巨大雷魚はメタルに復活]

ピサヌロークでは一晩も夜店に立って衣料品販売を担当する。
衣料品の販売、しかも夜店での売り子と言うか、呼び込みなど生まれて初めての経験。
数時間、声をからして呼び込みをしたけれど、売り上げは1500バーツにもならなかった。
私にはこの手の商売も向いていないのではと思ったが、これでも私がバンコクへ移ってから始めたピサヌローク支店として出店している夜店での売り上げ新記録らしい。
まったく収支に合わない仕事をしているものだと思う。
人件費どころか、出店料や搬入搬出費用にもならないのではないだろうか。

夜店で衣料品販売
[商売は難しい]

夜店に夜遅くまで立っていて、翌朝は午前中ピサヌローク支店で事務処理をする。
1か月分溜まっていた経理的な書類を作り上げ、金庫の中の金銭チェックをしたらチェンライへ向けて出発。

リタイホテルの食堂
[このところピサヌロークの定宿リタイ・ゲストハウスの食堂でサービスの朝食を食べる]

ピサヌロークからチェンライまでは遠い。
400キロ以上の道のりで、途中に山越えがいくつかあるし、バンコクへのハイウェイと違って道幅も狭く、また市街地近くでは信号も多い。
おまけにチェンライが近付くと道路工事区間も多くなった。
日が暮れてからチェンライに到着したときには、もうヘトヘトであった。
チェンライでの宿は、格安で予約したチェンライホテルと言う名の安宿。
この宿屋、20年以上前にも泊まったことがある。
時計塔近くにある宿屋で、改装して以前よりきれいになっているが、やっぱり安宿。
以前は中庭が駐車場になっていた記憶があるが、現在は駐車場のない宿屋となっている。
車は宿屋前に路上駐車。
ところが、チェンライの時計塔周辺はどういうわけか夜になると無数のツバメたちが集まって電線で夜を明かす。
その電線の下に止めた車は一夜にしてツバメの糞を多数浴びることになっていた。

鶏のフンだらけ
[一晩でツバメたちのフンだらけになった]

チェンライでは10日まで3泊。
ここでの業務は新しく採用したスタッフへの業務指示と小切手へのサインそして7月に搬入されて、商品確認や棚卸ができていない衣料品のチェック。
新しく採用したといっても、以前はもともとバンコクで私の下で働いてくれていたスタッフで、私がピサヌロークにいる間にコロナ理由に整理解雇されて、実家のあるチェンライへ戻ってきていたところを再度スカウトしたので、私としてはとても使いやすい。
二児の母でもあり、なかなかパワフル。
数か月も放置されていた埃をかぶった段ボール箱の衣類に果敢に立ち向かい、一点ずつ商品番号の読み取りをしてくれた。
おかげで、翌週には8000点ほどあった在庫品のリストが私のところへエクセルにまとめられて届けられてきた。
こうした有能なスタッフを整理解雇してしまうんだから、会社の人事担当者はいったい何を見ているのだろうかと思ってしまう。

ビフォー
[こんな状態だった]

アフター
[こんなになった]

チェンライでは職場以外は、あんまり気持ちの良い思いはしなかった。
もともとチェンマイという街とは相性が悪く、あんまり好きではないというのもある。
特に今回は食べ物とお金に関することで気分が良くなかった。
ピサヌロークと比べて、チェンライは長らく外国人観光客の多く訪れる土地であったこともあり、食べ物の値段が一概に高いように感じていた。
物価が高いので、少しでも安く上げようと、宿屋から近い市場へ行って、夕食を買おうとした。
グロテスクな肉の煮物や炒め物ばかりが並んで、私にはあんまり食指の動くものがない。
そこでソムタムでもと思って40バーツと書かれた屋台のソムタム屋でソムタムを注文する。
エビとかシーフードとかの追加料金のかかるソムタムではなく、ベーシックなタムタイというソムタムを注文。
胃腸がニンニクに弱いので「ニンニク少なめに」と注文して、できあがったビニール袋入りソムタムを受け取り、40バーツを払おうとしたら「50バーツだ」と言われる。
私の前に注文した人も、同じものを買って40バーツを払っていたのに、どうして50バーツか腑に落ちない。
「40バーツでしょ」と言うと、
「これはピセート(特別)だから50バーツだ」と言い張る。
なにも特別なものを頼んだつもりはないし、せいぜいニンニク少な目と言っただけ。
まったく取り付く島もなく、次の客の注文を取り始めている。

また朝食を食べようとブッカケ飯屋に入った。
「おかず二点盛り40バーツ」と壁のメニューに書かれた食堂に入った。
グリーンカレー風と野菜炒め風のオカズを指さしてライスに盛ってもう。
ピサヌロークの食堂と比べるとまったく量が少ない。
ちょうしょくだから、この程度でもいいかと思ったが、食べ終わって店員に100バーツを渡すと、奥から店の主人風が出てきて「うまかったか?」と聞く。
特別うまくもないが、まずくもないけど、無難に「うまかった」と答えておいた。
そして渡された釣銭は50バーツ。
壁のメニューを指さして「40バーツじゃないの」と聞いたが、
「このメニューは関係なく、50バーツの料理を食べた」と言い張る。

他にも昼食で入った飲茶屋でも同様のことが続き、嫌な街の印象は深まるばかり。
でも、安宿のチェンライホテルはまずまず気に入った。
宿屋の1階が酒屋と言うのも良かったし、狭いけど部屋の作りが良かった。
エアコンの風が寝ているときに直接当たらない構造になっている。
スタッフも感じが良かった。

ネコの置物
[棚にこんなネコの置物があるだけで嬉しくなる]

チェンライからの帰りにもピサヌロークへ立ち寄り、11日の昼にはバンコクに戻って勤務。
翌12日は午前5時に出発をしてシラチャへ向かい、昼は再びバンコクで、夕方はカンチャナブリ。
その晩はそのままカンチャナブリ奥地に宿泊。
クワイ川の上流、モン族の居留地近くにある水上筏のコテージに宿泊した。
ボートでしかアクセスできない場所であり、しかも電気も通じていない。
携帯電話の電波もほとんど届かないといった場所。
生まれてこの方、自家発電で電気供給に時間制限のある所はなんども経験してきたけれど、まったく電気のないところは初めての経験。
トレイも筏の下に流れる川へ落下させる天然強制水洗式。
食べ物は美味しかったし、特別に少しだけモン族の踊りも見せてもらった。
モン族の踊りはテンポが速く、動きもタイの舞踊と比べると激しい。
男性の踊り子も口紅をぬったり化粧をしていた。

夜中、こんなに電気がなくて、闇の中ならさぞ星が見えるだろうと期待したけれど、あいにく夜空には星の代わりに雲が広がり、星を眺めることができなかった。
同行の学校の先生には、いまひとつ人気がなかったのか、翌朝は朝食を食べるとすぐにチェックアウトすることになってしまった。

水上コテージ
[私個人としては、良い体験だったと思っている]

泰緬鉄道にも乗ったりしたが、週末ということもあり、観光客がだいぶ戻ってきていた。
バンコク在住だと思うけれど外国人の姿もたくさん見受けられ、日本人の家族連れの姿もあった。
タムカセーからクワイ川橋まで、運賃は外国人料金ということで100バーツ。
同じ区間、タイ人は20バーツ程度らしい。

クワイ川橋を渡る
[泰緬鉄道でクワイ川橋を渡る]

シラチャへもどり、シラチャの支店前に止めておいた車で再びバンコクのアパートに戻ったらもう夜中の12時になってしまっていた。
さすがに疲れ果てて、翌日はほとんど何もする気力もなく、バンカピの市場へ行っただけ。
野菜の値段が高止まりしていて、キャベツなど主に葉物野菜が倍くらいになっている。
果物もちょうど端境期なのか、手ごろで美味しそうなものが見当たらない。
まだ甘さが乗っていないだろうと思いながらもマンゴーを買う。
当たりはずれのないバナナとかにしておくべきだったかなと思うのは毎度のこと。

18日と20日はそれぞれチャーム海岸のホテルまで下見に行ってくる。
チェームまで片道200キロ。
往復で400キロだから、朝早く出発して、現地で夕方まで活動してバンコクに戻ってくるともう夜もいい時間になってしまう。
運転中にもメールやメッセージの着信音はひっきりなしにスマホに入ってくるので、ときどき車を止めて急ぎのものには返信を返すからますます時間がかかってしまう。
メッセージとかオフィスにいるときは、便利だと思うけど、ハンドルを握っているときは電話の方が便利だと感じる。

チャームの海岸
[チャームビーチはちょっと波が高かった]

といった具合に、とにかく忙しい日が続いている。
外を飛び回るのは好きなのだけど、その合間合間の社内ミーティングではウンザリすることが多く、また事務仕事もどんどん溜まってしまい、どこから手を付けたらいいのかわからなくなってきてしまう。
やっぱりピサヌロークでマイペースな毎日を送っていたころが懐かしい。

ジョーク
[ピサヌロークで食べたジョーク]

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