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バンコク生活2ヶ月目
バンコクへ移ってきて、はじめは仕事らしいこともほとんどしていなかったけれど、そのうちに社内ミーティングに駆り出されることが多くなってきた。
また、本業とも呼べる部分も稼働し始める。
もともと自分の性格は、みんなで協力し合って何かを進めて行くというタイプではないと思っている。
誰かといるより、一人でいることの方を好む。
だからたぶん企業の中で働くというのはもともと向いていないような気もする。

車両点検
[たまにはバス会社へ行って車両の整備状況もチェックしてます]

バンコクで毎日職場とを往復するだけ。
ランチはだいたいはす向かいのショッピングセンターにあるフードコートと安いブッカケ飯を食べるくらい。
100バーツのプリペイドカードで3回は食べられるからピサヌロークよりも食費にお金がかかっていないかもしれない。

朝起きれば、ベッドの中でストレッチ風の体操をしばらくやり、そのままジョギングに出かける。
ジョギング中にネコに出会えば、うちのネコの仏前から下げたキャットフードを分け与える。
ネコに出会うときもあれば、ネコとの接触がない時もある。
ネコと戯れることができると、朝から気分が安らぐ。
しかし、捨てネコに出会って、キャットフードを与えた後も、「連れてってくれ」とネコにすり寄られると、そのままネコをおいて走りだすのに後ろ髪を引かれる思いもして、心が痛む。
次の日の朝になって、また会えるだろうかと、ネコはどうしているだろうかと、走る道すがら探してみたりするけれど、また出会うことはまずない、
また誰かに拾われていればいいし、一匹でどこかへ行ってしまったのかもしれない。

もともと子供のころから運動が苦手で、大嫌いだったけど、健康維持のためと言い聞かせて続けてきたけれども、ネコに遭えるという楽しみで朝のジョギングは嫌いではなくなってきている。

ジョギングコースのネコ
[このネコは以前から倉庫の管理人に可愛がられている幸せ者]

ジョギングの後はアパートの屋上でラジオ体操。
小学校の頃にラジオ体操をしていたが、あの時は前屈して、開いた足の間から空まで見ることができたし、反り返っても後ろの生徒も同じ格好で反り返っているのが見えた。
しかし、今は身体か固くなったのか、開いた足の間からは地面しか見えず、反り返れば空しか見えない。

ラジオ体操後は、水連の鉢にいる小さな魚たちにエサを与える。
はじめのころは私が近付くと水草や藻の中に隠れていた小魚たちが、毎朝エサがもらえるとあって、水面で待ち構えているようになった。

11月6日から11日にかけてピサヌローク経由でチェンライまで車を運転して出張に出かけた。
ヒーサヌロークまでは通いなれた道。

巨大雷魚
[ハイウェイ沿いシンブリ県にて、巨大雷魚はメタルに復活]

ピサヌロークでは一晩も夜店に立って衣料品販売を担当する。
衣料品の販売、しかも夜店での売り子と言うか、呼び込みなど生まれて初めての経験。
数時間、声をからして呼び込みをしたけれど、売り上げは1500バーツにもならなかった。
私にはこの手の商売も向いていないのではと思ったが、これでも私がバンコクへ移ってから始めたピサヌローク支店として出店している夜店での売り上げ新記録らしい。
まったく収支に合わない仕事をしているものだと思う。
人件費どころか、出店料や搬入搬出費用にもならないのではないだろうか。

夜店で衣料品販売
[商売は難しい]

夜店に夜遅くまで立っていて、翌朝は午前中ピサヌローク支店で事務処理をする。
1か月分溜まっていた経理的な書類を作り上げ、金庫の中の金銭チェックをしたらチェンライへ向けて出発。

リタイホテルの食堂
[このところピサヌロークの定宿リタイ・ゲストハウスの食堂でサービスの朝食を食べる]

ピサヌロークからチェンライまでは遠い。
400キロ以上の道のりで、途中に山越えがいくつかあるし、バンコクへのハイウェイと違って道幅も狭く、また市街地近くでは信号も多い。
おまけにチェンライが近付くと道路工事区間も多くなった。
日が暮れてからチェンライに到着したときには、もうヘトヘトであった。
チェンライでの宿は、格安で予約したチェンライホテルと言う名の安宿。
この宿屋、20年以上前にも泊まったことがある。
時計塔近くにある宿屋で、改装して以前よりきれいになっているが、やっぱり安宿。
以前は中庭が駐車場になっていた記憶があるが、現在は駐車場のない宿屋となっている。
車は宿屋前に路上駐車。
ところが、チェンライの時計塔周辺はどういうわけか夜になると無数のツバメたちが集まって電線で夜を明かす。
その電線の下に止めた車は一夜にしてツバメの糞を多数浴びることになっていた。

鶏のフンだらけ
[一晩でツバメたちのフンだらけになった]

チェンライでは10日まで3泊。
ここでの業務は新しく採用したスタッフへの業務指示と小切手へのサインそして7月に搬入されて、商品確認や棚卸ができていない衣料品のチェック。
新しく採用したといっても、以前はもともとバンコクで私の下で働いてくれていたスタッフで、私がピサヌロークにいる間にコロナ理由に整理解雇されて、実家のあるチェンライへ戻ってきていたところを再度スカウトしたので、私としてはとても使いやすい。
二児の母でもあり、なかなかパワフル。
数か月も放置されていた埃をかぶった段ボール箱の衣類に果敢に立ち向かい、一点ずつ商品番号の読み取りをしてくれた。
おかげで、翌週には8000点ほどあった在庫品のリストが私のところへエクセルにまとめられて届けられてきた。
こうした有能なスタッフを整理解雇してしまうんだから、会社の人事担当者はいったい何を見ているのだろうかと思ってしまう。

ビフォー
[こんな状態だった]

アフター
[こんなになった]

チェンライでは職場以外は、あんまり気持ちの良い思いはしなかった。
もともとチェンマイという街とは相性が悪く、あんまり好きではないというのもある。
特に今回は食べ物とお金に関することで気分が良くなかった。
ピサヌロークと比べて、チェンライは長らく外国人観光客の多く訪れる土地であったこともあり、食べ物の値段が一概に高いように感じていた。
物価が高いので、少しでも安く上げようと、宿屋から近い市場へ行って、夕食を買おうとした。
グロテスクな肉の煮物や炒め物ばかりが並んで、私にはあんまり食指の動くものがない。
そこでソムタムでもと思って40バーツと書かれた屋台のソムタム屋でソムタムを注文する。
エビとかシーフードとかの追加料金のかかるソムタムではなく、ベーシックなタムタイというソムタムを注文。
胃腸がニンニクに弱いので「ニンニク少なめに」と注文して、できあがったビニール袋入りソムタムを受け取り、40バーツを払おうとしたら「50バーツだ」と言われる。
私の前に注文した人も、同じものを買って40バーツを払っていたのに、どうして50バーツか腑に落ちない。
「40バーツでしょ」と言うと、
「これはピセート(特別)だから50バーツだ」と言い張る。
なにも特別なものを頼んだつもりはないし、せいぜいニンニク少な目と言っただけ。
まったく取り付く島もなく、次の客の注文を取り始めている。

また朝食を食べようとブッカケ飯屋に入った。
「おかず二点盛り40バーツ」と壁のメニューに書かれた食堂に入った。
グリーンカレー風と野菜炒め風のオカズを指さしてライスに盛ってもう。
ピサヌロークの食堂と比べるとまったく量が少ない。
ちょうしょくだから、この程度でもいいかと思ったが、食べ終わって店員に100バーツを渡すと、奥から店の主人風が出てきて「うまかったか?」と聞く。
特別うまくもないが、まずくもないけど、無難に「うまかった」と答えておいた。
そして渡された釣銭は50バーツ。
壁のメニューを指さして「40バーツじゃないの」と聞いたが、
「このメニューは関係なく、50バーツの料理を食べた」と言い張る。

他にも昼食で入った飲茶屋でも同様のことが続き、嫌な街の印象は深まるばかり。
でも、安宿のチェンライホテルはまずまず気に入った。
宿屋の1階が酒屋と言うのも良かったし、狭いけど部屋の作りが良かった。
エアコンの風が寝ているときに直接当たらない構造になっている。
スタッフも感じが良かった。

ネコの置物
[棚にこんなネコの置物があるだけで嬉しくなる]

チェンライからの帰りにもピサヌロークへ立ち寄り、11日の昼にはバンコクに戻って勤務。
翌12日は午前5時に出発をしてシラチャへ向かい、昼は再びバンコクで、夕方はカンチャナブリ。
その晩はそのままカンチャナブリ奥地に宿泊。
クワイ川の上流、モン族の居留地近くにある水上筏のコテージに宿泊した。
ボートでしかアクセスできない場所であり、しかも電気も通じていない。
携帯電話の電波もほとんど届かないといった場所。
生まれてこの方、自家発電で電気供給に時間制限のある所はなんども経験してきたけれど、まったく電気のないところは初めての経験。
トレイも筏の下に流れる川へ落下させる天然強制水洗式。
食べ物は美味しかったし、特別に少しだけモン族の踊りも見せてもらった。
モン族の踊りはテンポが速く、動きもタイの舞踊と比べると激しい。
男性の踊り子も口紅をぬったり化粧をしていた。

夜中、こんなに電気がなくて、闇の中ならさぞ星が見えるだろうと期待したけれど、あいにく夜空には星の代わりに雲が広がり、星を眺めることができなかった。
同行の学校の先生には、いまひとつ人気がなかったのか、翌朝は朝食を食べるとすぐにチェックアウトすることになってしまった。

水上コテージ
[私個人としては、良い体験だったと思っている]

泰緬鉄道にも乗ったりしたが、週末ということもあり、観光客がだいぶ戻ってきていた。
バンコク在住だと思うけれど外国人の姿もたくさん見受けられ、日本人の家族連れの姿もあった。
タムカセーからクワイ川橋まで、運賃は外国人料金ということで100バーツ。
同じ区間、タイ人は20バーツ程度らしい。

クワイ川橋を渡る
[泰緬鉄道でクワイ川橋を渡る]

シラチャへもどり、シラチャの支店前に止めておいた車で再びバンコクのアパートに戻ったらもう夜中の12時になってしまっていた。
さすがに疲れ果てて、翌日はほとんど何もする気力もなく、バンカピの市場へ行っただけ。
野菜の値段が高止まりしていて、キャベツなど主に葉物野菜が倍くらいになっている。
果物もちょうど端境期なのか、手ごろで美味しそうなものが見当たらない。
まだ甘さが乗っていないだろうと思いながらもマンゴーを買う。
当たりはずれのないバナナとかにしておくべきだったかなと思うのは毎度のこと。

18日と20日はそれぞれチャーム海岸のホテルまで下見に行ってくる。
チェームまで片道200キロ。
往復で400キロだから、朝早く出発して、現地で夕方まで活動してバンコクに戻ってくるともう夜もいい時間になってしまう。
運転中にもメールやメッセージの着信音はひっきりなしにスマホに入ってくるので、ときどき車を止めて急ぎのものには返信を返すからますます時間がかかってしまう。
メッセージとかオフィスにいるときは、便利だと思うけど、ハンドルを握っているときは電話の方が便利だと感じる。

チャームの海岸
[チャームビーチはちょっと波が高かった]

といった具合に、とにかく忙しい日が続いている。
外を飛び回るのは好きなのだけど、その合間合間の社内ミーティングではウンザリすることが多く、また事務仕事もどんどん溜まってしまい、どこから手を付けたらいいのかわからなくなってきてしまう。
やっぱりピサヌロークでマイペースな毎日を送っていたころが懐かしい。

ジョーク
[ピサヌロークで食べたジョーク]

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| 日常 | 06:13 PM | comments (0) | trackback (0) |

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