8月29日 日曜日
早いものでもう8月もあと数日で終わってしまう。
小学生のころだと、ほったらかしにしていた夏休みの宿題をどうするか、特に自由研究が問題だった。
限られた時間で、一生懸命するというタイプではなかったので、さっさと諦めていたような気もする。
この8月、1日にバンコクに入って、3週間ほどバンコクで暮らしていた。
特別バンコクへ行って行わなくてはならない仕事などなかったのだけれど、ピサヌロークでも仕事がないのはおんなじで、たまたまバンコクから声がかかったので、バンコクに滞在していたに過ぎない。
それと、ピサヌロークでの業務停滞状況も4か月目に突入し、自分自身、給料泥棒みたいになっていて、少し気が重い。
ほとんど仕事もしていないのに、給料を受けているのは私だけじゃないのだけれど、会社から解雇されたスタッフも多いし、自主退職していったスタッフも多い。
本来なら私こそ真っ先に人員整理の対象となるべきなのに、いまだに在籍したままで、しかもピサヌロークという遠隔地で、のんびりと生活している。
その間にもバンコクでは、スタッフはどんどんと消えてしまい、部門には日本人が誰もいなくなってしまいそうで、会社から「日本人ゼロはまずい」ということで、呼び戻しの声がかかったのが7月の終わり。
ということで、バンコクの状況確認の意味を含めて、3週間のバンコク滞在となった。
つい先月に「終活」と称して、冷蔵庫や洗濯機を処分して、バンコク撤収の準備を始めたところだったのに、事態は急展開で、バンコクからの撤収ではなく、バンコクへの撤収となりそうである。
ピサヌロークはこの8月で3年暮らしたことになる。
いまのバーンミースコーという下宿は、もともとペンションのような経営で、オンライン予約サイトからの宿泊客が大半、西洋人もよく見かけた。
ここに暮らし始めた理由は単純で、オンライン予約サイトを検索したところネコと一緒に宿泊できる施設がピサヌロークにはここしかなかったから。
それして、ネコとのピサヌロークの生活は1年半で終わってしまった。
あれからまた1年半が過ぎて、ついに撤収時期が近付いてきた。
8月1日にバンコクへ車で入り、翌日からバンコクでの勤務となる。
バンコクへ行っても、特別やるべき仕事もなく、ピサヌロークにいるときと同じようにパソコンのキーを叩くくらい。
一つ違うとしたら、会議がオンラインではなく、テーブルを囲んでの対面式になったくらい。
ほとんどのスタッフが在宅勤務のため事務所内はがらんとしている。
人は少ないのだけれど、ピサヌロークなら自分の城のようなもので、周囲に気づかいなども必要ないけど、ここでは外様。
それと、ランチが不便。
バンコクはコロナの規制で飲食店へランチに出かけることができなくなっている。
いつもならバンコクでなら斜め向かいにあるターミナル21のフードコートへ食べに行っていたのだけれど、それもできないので毎朝弁当をこしらえて持参。
弁当を持っていくことなど、何ともないけれど、ピサヌロークでならその日の気分で、ランチをどこで食べるか選べてたし、食後に市場へ立ち寄って、市場を根城にしているネコたちを探したりも楽しめたけど、ここではそれもできない。
[バンコクからピサヌロークへ戻ってナーン河の上でクイティアオをすする幸せ]
また、面倒なのは夜間外出禁止。
むかしバンコクで勤務していた時は、夜中までみんなでワイワイやりながら仕事をしたものだけれど、それが夜7時になるとみんな帰ってしまって、誰もいなくなってしまう。
仕事が少ないのだから、遅くまで残っている必要性がないのは当然としても、自分にしみついてしまっている行動パターンとアンマッチになっている。
バンコクのアパートは、ピサヌロークと比べて快適。
部屋は広くて、風通しも良い。
家具もある。
洗濯機は先日処分してしまったのが惜しまれる。
ワイシャツはゴシゴシと手洗い。
滞在中の3週間、アパートの管理をしていた女性を見かけなかった。
7月の家賃を払うときはいたのだけれど、どうしたのだろうか?
管理の女性に代わって、初老のオーナー夫婦が事務所に入っているのをよく見かけた。
オーナーの奥さんは以前体調を悪くされていたのか、随分と長いこと見かけなかった。
いまはだいぶ老け込んだけれど、特別体調が悪いようにも見えなかった。
その奥さんは、私がアパート内でウロウロとしてるのを見つけてとても喜んでくれた。
そして、私を見つけるたびに声をかけて、私にいろいろなものをくれる。
クロワッサン、インスタントコーヒー、タルト、バナナ、とんかつ弁当など。
みんなたぶん自分で食べようと思って買っておいたもので、私を見かけたときたまたまアパートの事務所内にあったので、慌ててそれを引っ掴んで出てきて手渡してくれたものと思われる。
4つ入りのクロワッサンやタルトのパックに2つや3つしか入っていなかったのは、ちょうど食べかけだったのかもしれない。
とんかつ弁当は日系のフジスーパーで買ってきたものの様なんだけど、ご飯の上にドーンととんかつが乗っかているという色気も何もない弁当。
せっかくもらったけど、もともと肉はあんまり食べないようにしているし、キャベツの千切りも、レモンのスライスもないので、見ただけで胸やけを起こしそう。
でも、せっかくいただいたものなので、箸をつけないのももったいない。
ちょっと考えて、味噌カツにしてみようと思った。
味噌カツは今まで食べたこともないし、もちろん作ったこともないけど、向田邦子のエッセイで岐阜へ行ったときに、やたらと味噌カツの看板を見て、旅の終わりに食べたら、味噌が油を抑えててみたいなことが書かれてあったことを思い出した。
そこで、胸やけを防止する意味で、味噌カツにしてみることにした。
ネットで作り方を調べて、作ったのだけど、規定量通りに作ったつもりがどうも味噌ダレが多すぎたようで、しかもやたらと甘い。
油での胸やけはなかったけど、味噌ダレがちょっとしつこかったようだ。
[お米はどうやらタイ米みたい]
買い物はスーパーでと思っていたけど、野菜とかがやたらと高く感じる。
ふだんはピサヌロークの市場やマクロで買っているので、バンコクのスーパーで売られている野菜の値段が高くて、おいそれと変えなかった。
そこで、滞在中はちょっと遠いけど、クロントーイとバンカピの市場へ野菜を買い出しに出かけた。
市場はピサヌロークと変わらない値段のようだ。
それに規模も大きいから、何でもある。
ちょっと臭いと足元のベチョベチョが気になったりするけど、やっぱり野菜は市場がイイみたい。
市場ではンゴと呼ばれる赤くて毛むくじゃらの果物、ランブータンを買った。
もともと、あんまりンゴは好きではなかったが、今回食べてみて、結構気に入ってしまった。
もともとンゴがあんまり好きでなかった理由は、その味ではなく、ンゴの毛むくじゃらの皮を割って、みずみずしく白くて半透明な果肉は美味しいと思っていたのだけれど、果肉の中心にアーモンドそっくりな種があって、それが曲者だった。
種の周りには薄い渋皮があるのだけれど、果肉を食べると、果肉にこの渋皮がくっ付いてきて、食感が良くない。
かといって、この渋皮を外すのは容易ではない。
なので、いままで敢えて買ってまで食べたいと思わなかったのだけれど、市場では山のようにンゴがあっちでも、こっちでも売られていて、どうやらシーズンのようなので、買ってみる気になった。
で、自分でお金を出して、ンゴを買って食べてみた感想としては、渋皮自体は、食べたときにちょっと違和感があるが、特別味があるわけでもないので、慣れれば無視できるということがわかった。
果物と言えば、マンゴスチンもシーズンのようで、やはり破格値で売られていた。
マンゴスチンは美味しいけど、当たりハズレが難しく、実の割りに果肉部分が少ないので、これも買ってまで食べたい果物ではなかった。
今年はタイ南部でマンゴスチンが大豊作らしく、バンコクでも例年よりずっと安く売られている。
でも、やっぱりまだ買う気にならなかったら、バイクにガソリンを入れようと立ち寄ったガソリンスタンドでマンゴスチンを一袋もらってしまった。
どうも南部の農家救済のために石油会社がマンゴスチンを一括買取してスタンド利用者に配っているらしい。
マンゴスチンとしては、粒の小さいモノであったけれど、中の実にハズレはほとんどなく、とてもおいしく食べることができた。
バンコクでの朝は、ジョギングからスタート。
むかしと変わらず、ソイの入り口から奥に向かい、コミュニティと呼ばれる貯水池周辺のモスリム居住地を回ってくる約5キロのコース。
以前は30分で走ったものだけど、歳の関係か40分近く時間がかかるようになってしまっている。
もっとも、年取って脚力が落ちただけではなく、途中でネコに遭うたび立ち止まってしまうことも影響している。
ラマ9寺の入り口周辺に、以前に何度か黄色いネコを見かけたことがあった。
今回も見かけるたびに、少しドライフードを分けてやっていたらば、なんとなくそれが習慣になってしまったのか、寺の前で私が来るのを待っているようになってしまった。
また、貯水池の周りでは野良、飼い猫、地域ネコなどがモスリム色が強くなればなるほど多く見かけるようになってくる。
ピサヌロークでも朝のジョギングで何匹ものネコを見かけることがあるけれど、立ち止まるようなことはない。
[早朝の水辺でネコたちがミーティングをしているのに出会った]
さて、ピサヌロークを撤収してバンコクへ拠点を戻す時期は9月中となりそうなのだけれど、ピサヌロークの下宿の退去通知をしなくてはならない。
下宿の婆さんには、バンコクへ向かう前にそれとなく伝えておいたが、9月で具体的な日付は決まっていない。
私の腹の中では、下宿は8月に出てしまい、9月中は6月に滞在したインペリアルホテルへ移って、快適なホテル生活をしようと言うつもりもあった。
狭くて、暑くて、快適とはあんまり言えない下宿から、ピサヌローク生活の最後に、ちょっと思い出作りを兼ねたリゾートホテル暮らしをしてみたい気持ちもあった。
費用的にも、できない相談ではないし、前回1週間滞在したスイートルームなら部屋も広く、下宿にある生活道具一式の置き場にも困らない。
心は7割くらい下宿を出ることで決まっていた。
しかし、バンコクからピサヌロークへ戻って、判断を揺るがせたのは、ネコだった。
私のネコとの最後の時間を過ごした場所が、ここであり、ネコが命を引き取り、冷たく、そして固くなって倒れていたのは、窓に近いベッドわきの壁際。
あのとき、私は仕事を理由にして、バンコクへ行ってしまった。
ネコの体調が悪くてぐったりしていることを知りながら、ネコをおいて行ってしまった。
そのことをとても悔やんだし、今でも後悔して、ネコに申し訳ないことをしてしまったと思っている。
そういう気持ちがあるにもかかわらず、ネコを火葬したお寺の見える、この部屋から、一人で快適なリゾートホテルへ移ることは、またネコを置き去りにしてしまうように思えてきた。
最後の日まで、ネコと暮らした部屋にいるべきかなと思えてきて、下宿の婆さんに撤収時期は9月になると伝えた。
ピサヌロークに戻って、1週間。
オンラインツアーと称するものを3回ほど担当し、スコータイへも2度ほど足を運んだ。
風通しの良かったバンコクのアパートから、西日に焼かれ、空気の淀んだ下宿の部屋に戻り、快適さで劣ることを痛感する。
少しでも快適にしようと思いエアコンのスイッチを入れたりするが、エアコンの風が体質に合わないのか、これもやはり快適とは言えない。
ここで暮らし始めたばかりのころは、べつに下宿で快適性などに関して、同行思うことなどなかったように思う。
少なくても、部屋の中が辛いなどと思った記憶は残っていない。
あの頃はネコがいてくれたからなのだろうか、それとも毎日ペンションとして宿泊客があり、廊下や階段の掃除がされていたりしたからだろうか、いまではもうよく解らなくなってしまったけど。
たぶん、あの頃は部屋の中にいる時間が今よりずっと少なかっただけなのかもしれない。
いま、下宿には何か月か前にブラウニーと言うメスネコから生まれた子猫たちが飛び回って遊んだりしている。
父親は、毎朝私の部屋にエサをねだりに来るウォッカで、子猫の中にはウォッカそっくりのも何匹か混ざっている。
ピサヌロークを撤収したら、ここのネコたちのことを思い出すんだろうなと思う。
[スコータイ遺跡は依然として見学者がほとんどいない]
ピサヌロークのスタッフに教えてもらったのだけれど8月17日は黒ネコの日だそうだ。
タイでと言うより、アメリカから始まったらしい。
[黒ネコはシャイで警戒心が強いけど、浮気をしない誠実なネコが多いと思う]