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退院しました
1月22日 月曜日
夜8時過ぎに主治医の検診を受けて、明日の退院許可が下りる。
ただし、首を回さないよう、厳重に注意を受ける。
動かすと再手術とのことらしい。
木曜日の午後4時に診察を受けに来るように指示され、業務復帰は2か月後くらいにしようかと言われるが、2週間で何とかとお願いしてみる。
そのあたりは、木曜日の診察時に決まるのだろう。

仕事はしたくないけど、職場のことはいろいろと報告が入ってくるたびに気になってストレスがたまる。
ストレスがたまるとまた再発しそうなので、メールなどなければいいのにと思う。
それでも、メールだけど携帯電話に電話がかかってこないことだけは、職場の仲間に感謝している。
なんとか凌いでくれているのだろう。

ネットでニュースを見ると東京では大雪でひどいことになっているようだ。
高速道路が大渋滞したり、電車が止まったり、空港が閉鎖されたり、そうこうしているうちに、東京からの飛行機の遅延や結構で仕事上のトラブル報告が続々と入ってき始めた。
夜遅くにスタッフには苦労を掛けているけど、こちらは報告を眺めているだけで、何もしてやれない。

1月23日 火曜日
いつも通り朝6時少し前に起床で血圧と体温測定。
その後、点滴。
この時刻だとまだ外は暗い。
ここの看護婦さんたちの夜勤は夜11時から朝までと言っていたから、これを終えたら帰れるのだろうか。

8時に朝食。
メニューはご飯にスクランブルエッグ、挽肉と野菜の煮込み、味噌汁。
ここでの朝食もこれが食べ納め。
ご飯は最後まで柔らかすぎるまま。
明日の朝は自宅で、艶々ピカピカのしっかりした白米を炊いて、おにぎりでも作って食べようかと思う。

スクランブルエッグの朝定食
[朝は野菜をモリモリ食べたいと思います]

昨日に比べて、少し身体のだるさを感じる。
昨日少し運動をした疲れが今頃出てきているのだろうか、食後少しベッドで休憩しながら向田邦子を読む。
この本の中ではタイに関する記述が2つあった。
「細長い海」ではバンセンの海はおみおつけ色だったと表現している。
確かに、そんな色だし、海面には具材も浮いている。
もうひとつは「昔カレー」の中の記述で、三笠会館や資生堂のカレーが美味しかったといった続きで、バンコクの路上で食べた一杯18円ナリの、魚の浮き袋の入ったカレーが忘れがたいとある。
タイでは乾燥させた魚の浮き袋をスープにしてよく食べるが、私はまだカレーにしたものはお目にかかっていない。
当時の18円はたぶん1バーツくらいだっただろう。
金額からして、屋台のぶっかけ飯の類を食べられたのだろうと思う。

10時過ぎから1時間半ほど運動をして、シャワーを浴びる。
治療費の保険請求書にサインを入れる際に確認したら、入院手術費は50万バーツほどだあった。
また持ち帰り用の薬も運ばれてきた。
薬は抗生物質と痛み止めが何種類か、抗生物質は絶対に飲み続けるよう言われるが、痛み止めは痛くなければ飲まなくてもイイと言われる。
たぶん、多少痛くても飲まないで終わらせるだろう。
薬を飲むと便秘をする体質らしく、できればなるべく飲まずに済ませたい。

最後の昼食が届く。
タイのラーメン、バミーナーム。
今回はワンタンは入っておらず、挽肉と申し訳程度の白菜が入っている。
栄養バランスとしては全体的に野菜が足りないのではないかと思うけれど、タイの人は野菜を食べ残す人が多いように思うので、タイ人にはこの程度でも十分なのかもしれない。
会社のスタッフたちも、料理の皿からせっせと野菜を避けて食べている。

鶏ひき肉入りタイ式ラーメン
[タイの麺類は、カップ麺以外、アツアツと言うものに出会ったことがない 猫舌で野菜嫌いが多いらしい]

午後1時半に、腕に差し込まれていた最後のチューブが引き抜かれる。
体温測定で、37.2度であったが、平熱とのこと。
日本なら37度で微熱と診断されるけど、タイでは体温が高い人が多いのだろうか、だからみんなエアコンも気にならないのかもしれない。

午後、「父の詫び状」読完。
この本は、向田さんがあとがきで「のんきな遺言状」のようなものと書かれている。
読んでいる分には、遺言状らしいところなど感じないし、ほほえましく感じる部分が多いのだけれど、それでも癌再発への不安は執筆中もずっとあっただろう。
しかし、遺言状は癌とは関係ない形で現実となっている。
文庫本の解説を沢木耕太郎氏が書いている最中の航空機事故で向田さんは散っている。
これは偶然ではあるが、そこにはどうしても運命のようなものを感じてしまう。

夕方から、1時間半ほどまた運動をして、シャワー。
いつもならもう夕食のお膳が運ばれてくるころだけど、6時を過ぎてもまだ夕食が届かない。
夕食をいただいたら退院しようと思っているのだけれど、夕食はどうしたのだろうか?
入院最終日には夕食は付かないのだろうか?

ナースステーションへ夕食手配がどうなっているか確認をしてみた。
夕食は「あり」になっているようだが、やはり何かの手違いで夕食が私だけ配膳されなかったようだ。
すでに病室前の廊下には下げ膳を積んだキャスターが行ったり来たりしている。

夕食が届けられたのは7時過ぎ。
病院最後の晩餐と言うことになる。
メニューには豚生姜焼きとあったのだが、届いた膳のどこにも生姜焼きらしいものがない。
あるのは豚ひき肉の茹でたもの。
味見をしてみると、生姜汁を垂らしてあるようだ。
しかし、イメージとはだいぶ違う。
それに焼いてないから「生姜焼き」にはならないと思う。

病院最後の晩餐
[他の入院患者さんは、これを生姜焼きと言われて納得されてるのかしらん]

それはさておき、あとはほんのちょっぴりのお豆腐で、野菜が全く足りない。
メニューにはカロリー表示があるけれど、栄養バランスはどうなっているのだろうか。

ぶつぶつ言いながらも完食して、病室を後にする。
すでに手続きは全部終わっているとのことで、会計に立ち寄る必要もなく、そのまま帰っていいらしい。
なんともあっけない退院となった。

手術も上手くいったようだし、まだ痺れはあるものの、腕も指も自由に動く。
しかし、なんとなく視力が少し低下したように感じる。
なんとなくぼやけるし、暗さにもなかなかなれず、鳥目になったように感じる。

<HR>
帰宅をして、いつもながらネコがやたらと喜び、ギャオギャオと嬉しそうな声を立てながらまとわり付いてきて離れない。
ときどき、噛みついたり、引っ掻いたりまでするのもご愛嬌と言ったところだろうか。

これからしばらくは自宅療養を言いつかっているので、ネコと過ごす時間をたっぷりとれそうだ。

術後のレントゲン
[どこが人工骨かはっきりわからないが、金具はしっかり見える]

おしまい

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| 日常 | 07:36 PM | comments (0) | trackback (0) |
手術入院しました
1月19日からバンコク市内の病院に入院してます。
9月ころから右肩の激痛から、右手の痺れなどの症状が出て、10月に診察を受けたら頸椎関節の問題で神経が圧迫されているためとの結果になりました。
とりあえずは投薬とリハビリを続けてきたのですが、2か月続けてもあんまり効果がなく、現在の海外旅行保険も発症から6か月までしか治療費を出してもらえないので、医師の勧めもあって、頸椎を4か所削て、人工骨を入れるという手術を受けることに年末近くに結論を出しました。
手術そのものは、大きに手術らしいのですが、手術によるトラブル発生の可能性は1割以下と言うことだし、何よりも入院生活と言うものもしてみたい。

小さなころは小児喘息に始まり、あんまり体が丈夫ではなかったのだけれど、その後は大きな病気やケガをすることもなく、入院などとは縁がなかった。
ただ一度だけ、もう10年以上前になるがチェンマイの大学病院に緊急入院したことがある。
これも病気やケガで入院と言えるようなものではなかった。
そもそもの始まりは歯の具合が悪くて、歯医者に行ったところ使われた薬でアレルギーを発症。
その後、別のクリニックで診察してもらったが、そこでも誤診のようで、ますます症状が悪化して、全身がひどく浮腫んできてしまった。
見かねた周囲の人たちに、クリニックではだめだと市内随一の私立病院の救急に担ぎ込まれて、注射を打たれて帰宅させられた。
その注射が致命的で、身体全体がパンパンに膨らみ始め、服も着れないほどになってしまった。
風船のようにはち切れそうになった肌は、何かにぶつかると、裂けてしまうようで体中のあちこちから血が滲み始めた。
これではまずいと国立のチェンマイ大学病院へ単身駈け込んだら緊急入院。
私を一目見たお医者さんはエイズの末期症状と思ったらしい。
血液検査をして、これまで使われてきた薬でのアレルギーが原因であることが確認され、すぐに解毒治療となった。
治療は点滴で受けて寝ているだけだったが、病室がやたら寒いのと病院食のタイ料理がやたらと甘ったるい健康に悪そうなものだったことは記憶にあるが、数日ですっかり元に戻って退院できた。

今度の入院は、緊急入院ではなく、計画的なので、仕事とネコのことだけ気になるけれど、入院には手ぶらで来れば完全看護で、洗面具や着替えも用意してくれるという至れり尽くせりと説明を受けて来た。

19日の朝8時までに何も食べず何も飲まずに来るようにと言われ、まずは血液検査とレントゲンの撮影。
これでひとまずお終いで、また午後に来るようにとのこと。
すぐに病室に入れてもらって、朝食を食べさせてもらえるのかと思ったが、入院は午後からとのこと。
しかも午前10時以降はまた何も食べても飲んでもいけないと厳命される。
時刻はすでに9時近く。
急いで帰宅して、ご飯を炊き、納豆と味噌汁、大根おろしに豆腐を焼いて食べる。

昼からぶらぶら歩いて病院へ戻り、今度は心臓の検査を受ける。
血液も、心臓も異常なし。
昨年から血圧が少し高めだったけれど、血圧も正常値。
何種類もの書類にサインをさせられ、緊急時の連絡先を書くように言われるが、はてどこを緊急連絡先にすべきだろうかと悩む。
勤務先を連絡先にするべきなのだろうが、勤務先の電話番号さえ覚えていないずぼらさで、毎年会社の健康診断をこの病院で受けているのだから、病院の方が勤務先の電話番号を知っているだろうと思い、とりあえずは東京の電話番号を書いておいた。

この印のところからメスを入れるそうです
[この印のところからメスを入れるそうです]

病室に通されたのは、3時近くなってからで、5時過ぎから手術室に入るので、それまで休憩するようにと言われる。
しかし、もう早速点滴を腕に打ち込まれて、勝手に動き回ることができなくなってしまった。

病室はホテルのようなもので、大きなテレビもあるし、冷蔵庫もあって中にはペプシコーラが入っている。
インスタントのコーヒーや紅茶もあるしルームサービスのメニューも置かれている。
風呂場は洗面台とシャワーだけで、バスタブはない。
点滴が邪魔だけど、これからしばらくシャワーも浴びられなくなるかもしれないと思い、シャワーを浴びるが、ヤケド防止のためなのか、シャワーのお湯はあんまり熱くならなかった。

一人には広すぎる病室
[日本なら結構な差がベッド代がかかりそうなくらい広い病室]

5時すぎにストレッチャーに寝かされて、手術室へ運ばれる。
まだ手術も受けてないし、身体もピンピンしていて自分で歩けるのだから、歩いていきたいと言ったが却下された。
ストレッチャーから手術台へ移されて「手術が怖いか?」と聞かれる。
質問されても、手術など受けたことないし、どんなもんなのだろうかと言う好奇心しかない。

テレビドラマの手術シーンのように頭の上にやたらと電球の付いた大きなスポットがかぶさるようにしてあり、看護婦さんたちが薄手のゴム手袋をはめたところで記憶が途絶えている。
きっと点滴に入れた麻酔が効いたのだろう。

気が付いたのは病室にもどり、点滴のアラームが鳴り続けて目が覚めた時だ。
もう深夜であったが、気が付いたが麻酔から覚めていないのか、手が動かない。
しばらくして看護婦さんがアラームを止めに来たが、今アラームはほぼ一時間ごとに鳴り続けて、しかも看護婦さんも気が付かないのか、なかなか止めに来てくれず、ほとんど眠れなかった。
朝6時過ぎになって、交代の看護婦さんが点滴の装置を調べたらバッテリー低下のアラームだったそうで、コンセントを差し込んでくれたら、その後はアラームもならなくなった。

20日、昨日から何も食べていないので、空腹である。
麻酔も完全に抜けて、痛みもない。
喉を切り裂いて、骨を削ったのがウソのようだが、手術を本当に受けたのかどうか疑わしくなるようだ。
しかし、首からゴムチューブが伸びて、その先には傷口から出て来た血液などが野菜ジュースのようにたまっている。
結構さらさらした感じなので、これならコレステロールの値も低いのではないかと思う。
手術の痛みはまるでないが、病院内の空気が乾燥しているためか、それともずっと酸素吸入をされているためか、喉が渇いてヒリヒリする。
看護婦さんに水を飲みたいと所望したが、うがいだけしか認めてもらえなかった。
空腹を訴えたが、食事もまただだめだけど、点滴しているから大丈夫とのこと。
身体のあちこちにチューブを差し込まれて、ベッドから起き上がることもできない。
チンチンの先にもチューブが差し込まれていて、そこからオシッコが流れてビニールパックに収まる仕掛けになっている。
これはこちらの尿意とはあんまり関係なしに、勝手に排泄しているようなのだが、いったいこのチューブはどの辺まで達しているのだろうか?
ウンチに関しては対応されていないようだが、今のところ便意はない。
それに昨日から何も食べていないのだから、便意も催さない。

何も食わすな飲ませるな
[病室の壁には"Nothing by Mouth"と張り出されている]

水を飲むのもダメと言われて、まだ2時間も立たない午前10時ころになって、突然朝食が運ばれてきた。
これはいったいどうしたことだろうか?
食べてもいいのかと聞けば、OKとのこと。
和風のつもりか、魚の切り身の醤油漬けのようなものと、茹でた野菜類にスープとご飯。
果物にリンゴまでついている。
お腹もすいていたし、うれしいのでご飯をお代わりまでしてしまう。
しかし、本当のところは味の方はちょっと気が抜けていて、あんまりおいしくなかった。
特にお米は炊き方が下手なのか、せっかく日本米を使っているようなのに、まったく残念なものだった。

最初の入院食
[こんなに早く食事にありつけて、うまいマズイを口にしたら罰が当たる]

病室内では、ほぼ裸のままである。
パンツも履かず、手術着と言う薄手のガウンを前後逆さまにして様なものを羽織っている。
ガウンと言うよりも、エプロンに近いかもしれない。
前は隠すけれど、尻隠さずである。

朝食を食べ終わって、まだ頭の中が靄がかかっているようだし、全身がだるくて、すぐウトウトしてしまうのだけれど、お昼にはまた昼食が届けられた。

今度は洋風で、白身魚のソテーにマッシュポテト、リンゴ中心のフルーツサラダにロールパン。
デザートはケンタロープ(タイのメロン)。
昼食後に酸素吸入のチューブを鼻から抜いてもらった。
このチューブのせいでベッドから起き上がることもできなかったが、これで多少は身動きができるようになった。

お昼ご飯は機内食みたい
[機内食のような昼食 トレーが大きい分だけエコノミーより上かも]

午後に身体を拭きに女性の係が来てくれた。
まだシャワーがダメなので、身体を濡れタオルで拭いてくれるというのだが、こちらとしては恥ずかしくて仕方がない。
それでも係の二人は、いつもの仕事とばかり、全身を拭いてくれて、お尻の穴からオチンチンまでお湯で洗ってくれた。

朝食も、昼食もしっかり食べたし、昨日から排便をしていないので、トイレでウンチをしたいと言ったらば、看護婦さんが点滴の機械類やオシッコの入ったパック、首から下げた血液のボトルを何人もでトイレまで運んでくれた。
終わったらナースコールで呼び出すように言われたが、30分も便器に腰かけていたが、下腹部は張っているのに弁はちっとも出なかった。おならすら出ない。
処方されている薬に便秘になる成分でも含まれているのだろうか?

それでも、夕食はまたしっかり食べてしまう。
夕食はおでん風の練り物のスープに茹でた野菜と味噌汁、ごはんといったメニュー。
お腹の中に、今まで食べたものがまだく待っていると思うと、なんだかこれ以上詰め込むのはお腹に悪いような気もしたが、完食。

夕食はおでんもどき
[勝手にいろいろと食べさせられてますが、メニューは日本風、洋風、タイ風のなかからチョイスできます]

夜8時過ぎに主事医の検診がある。
容体を聞かれて、大変良いと答える。
まだ執刀後24時間しかたっていないけれど、早速抜糸をするとのことで、傷口から糸を引き抜かれる。
この時初めて今回の手術で痛いと言う感覚を味わった。
首からぶら下がっていた血液のボトルもはずれて、また自由の領域が広がった。

夜中寝ていたら、身体がモゾモゾするので明かりを点けてみたら、ベッドの周りにたくさんのアリたちがはい回っていた。
よく見ると、手点滴のチューブを伝わって、ベッドへ遠征してきている。
点滴の機械の中にアリの巣でもあるのか、機械の通気口からアリたちが元気に飛び出してくる。
点滴が美味しいから住み着いているのか分からないが、アリの添い寝はあんまり歓迎できないのでナースコールをして説明したら、メーバーン(家政婦)さんが来て、アルコールで拭ってくれた。
アリたちはまだ機械の中にいるようだけれど、アルコールに弱いのか、通気口から顔をのぞかせるばかりで、出てこれなくなったようだ。

21日、父親の83歳の誕生日でもあるので、電話をかけてみた。
こちらの入院のことなどは何も話さず、短い電話だったけれど、昨日妻と長男からのバースデイカードが届いたと大変喜んでいた。
うまれて初めてこんなものもらったよとも言っていた。

妻にも心配かけているだろうから電話を入れておく。
順調に回復していることを伝えておく。
入院することに決めたときは、付き添いをすると言っていたが、来てもらっても、こちらが面倒を見てやらないといけない状況になってしまい、足手まといになるとは言わないものの、完全看護だから心配いらないと言い聞かせた。
保険でも、看護に来るための渡航費が出ると言われていたので、来て遊んでいてもらってもいいが、滞在中にトラブルでも起きたらたまらない。
だいたい、私の症状より、妻の自律神経失調症と関節炎とと鬱の方が寸断深刻である。

朝食はタイ風の白粥。
おかずはシイタケ入りのミックスベジタブルとパカナー炒め。
タイのお粥には、ピリ辛のヤムとか切り干し大根と卵の炒め物とかを付け合わせにほしいところだけど、なんとなくピンボケの味で少し退屈。

朝はタイの白かゆ
[初のタイ料理メニューです]

朝食後、オチンチンの先からオシッコのチューブも抜いてもらう。
この作業も、昨晩の抜糸と同じくらい痛かった。
しかし、抜いてもらえば、快適である。
股間からオシッコのチューブが伸びて、太ももの上を通っていたというのは、いくら自分の体から出たものとはいえ、その生暖かさは、まるでオネショをしてしまったよう
な気持ち悪さがあった。
これでトイレに入ったら自然にウンチも出てくるだろうと楽観していたのだが、便器にしゃがんでもやはりウンチは出てこなかった。
下腹部圧迫感はあるのに、そこから下は何を怠けているのだろうか。

洗面台
[洗面所に入って髭を剃れるようになりました]

ソファに座ることもできるようになったので、先日の一時帰国のこと書きあげてブログをアップする。
ダラダラと長いだけのマンネリになっているけど、定点観測みたいなものだと勝手に納得する。

昼食はタイのワンタンメン、バミーナームサイキオである。
麺が伸びないようにスープが別付けなのは良いが、タイの麺類に必須の調味料が2つ欠けている。
タイの麺類には、必ず調味料としてナンプラー、唐辛子、お酢、そして私は使わないが砂糖が付いてくるものだ。
店によってはピーナッツを磨り潰したものを用意してくれてたりするが、この昼食には唐辛子とお酢が付いていない。
刺激物は食べさせてくれないようだ。

バミーナームサイキオ
[タイの麺類に必要な調味料が欠けてるとやはりピンボケ]

午後には点滴のチューブも外され、さらに病院で着る緑色の入院服も用意してもらう。
これで恥ずかしい尻丸出しルックからも解放されたわけだ。
そして、看護婦さんの手を煩わせなくても病室内を自由に動き回れるようになった。
我ながら、驚くべき回復力だと思う。

支給された衣類
[緑色の入院服の上下 これで病室から出れそうだ]

自由になったところで患部を濡らさないように注意しながらシャワーを浴びる。
ぬるいお湯しか出ないけれど、石鹸で体を洗うと気持ちが良い。
頭も首の周りにビニールを巻き付けて洗髪する。

シャワールーム
[幹部を濡らさないように注意しながらのシャワーです]

時間があるので、文庫本を2冊持ってきている。
一冊は向田邦子の「父の詫び状」で、もう一冊は金子光春の「マレーの感傷」。
向田邦子は乳がんとその後の感染症で入院中、右手が動かなくなり左手でこの本の原作を書き上げたそうだ。
私も右手の自由が利かなくなってきて施術入院した訳だけれど、手術2日目にしてキーボードも叩けるようになった。もっとも、私のキーは右手と左手の人差し指だけ使って打つカナウチである。
向田さんが入院されていた当時にも、コンパクトなワープロでもあれば、左手でペンを握らなくても済んだだろう。

窓際にも足を乗せられるソファ
[窓際のソファに座って文庫本を読む まるで休日気分]

夕食は塩鮭に、ほうれん草のお浸し、味噌汁と野菜の茹でたもの。
塩鮭のようだが、あんまり塩加減が効いておらず、醤油を少し垂らしていただく。
野菜の茹でたものも、ほとんど味付けがされていない。
これが病人食と言うものなのだろうと納得しながら食べる。

夕食の塩鮭定食
[ほんとうは塩鮭ではなくサーモンの塩焼きと思われる]

夕食後、注射を打たれるが、打たれてすぐに激痛が走る。
注射液を注入され出したら、呼吸が苦しくなってきた。
どうも注射の指し方が良くなかったのか、右手が盛大に膨らんでいる。
腕から手先にかけて痺れて電気が走り、左手では頭を掻きむしらずにはいられない。
看護婦も驚いたようで、氷で膨らんだ部分にタオルで巻き付けた。
「これで大丈夫、15分したら左手に注射しましょう」と言って病室を出て行った。
この氷で冷やすのがさらに激痛を伴って、右手がほとんど動かなくなってしまった。

8時すぎに主治医の回診があり、主治医もうんざり顔。
とにかく手を動かす訓練をするように申しつけられる。
時間の経過とともに、少しずつ注射のショックが薄れていくのか、手を握ったり、開いたり、腕を振り上げたり、降ろしたりできるようになったが、動かすたびに電気が走り、今一つ力が入らない。
それに肩も痛みはじめ、夜中の2時過ぎまで寝付けなかった。

22日、朝6時に血圧と体温検査。
あんまり眠れなかったけれど、寝不足に感じることもなく、昨夜まで痛かった右手もずいぶんと機能回復しているようで、痺れはするものの、大体思ったように動いてくれる。

朝食は、どういうわけか昨晩とほとんど同じメニューで鮭の塩焼きと野菜の茹でたものに味噌汁。
鮭もよいけど、納豆とかの方がうれしい。
でも、ご飯がべちょべちょなので、納豆には合わないだろうな。
それとお茶の一杯もほしいところだけど、まいど飲み物は甘いものばかり。

朝食も焼鮭定食
[なんだか昨晩の残り物を食べているようなくらい同じ内容]

食後、保険会社に入院給付金の手続き資料請求の電話を掛ける。
コールセンターの番号が0120のフリーダイヤルしか表示されておらず、バンコクからつながらずちょっと苦労した。
それとコールセンターの人が見れるウェブ画面に制限があるらしくて、資料ダウンロードのページを教えてもらうのに面倒をかけてしまった。
途中で電話が切れてしまったりして、手間もかかったけれど何とかPDFで資料をダウンロードし、これをプリントしてもらうように、ナースセンターへUSBを持ち込む。
プリントは1階のサービスセンターでできるので、車いすに乗るように言われる。
こちらは歩くことに不自由はしていないし、車いすなど恥ずかしくて乗れない。
しかし、体重を測りますと言われて体重計に載せられて大ショック。
体重が70.8キロを指している。
入院して3泊目にしてすでに3キロ近く体重が増えていることになる。
食べて、排便せず溜め込んでいるのが原因だろうけど、こっちも貯めたくて便秘しているわけではない。
看護婦さんにそのことを伝えたら、この廊下を歩いてエクササイズするように言われる。
それでサービスセンターへの車いすからも解放され、プリントを部屋に持ち帰ってから、腿を引き寄せるように膝を高く上げて廊下を1時間ほど行ったり来たりした。
少しは腸にも刺激になったらしく、少し排便を見る。
汗もかいたので、シャワーも浴びる。

ネコのエサが底をつき始めた
[,ネコのエサがほとんど残っていない なんとか明日には退院しなくては、、]

昼食はムニエル風の白身魚にマカロニサラダ、温野菜とロールパンと言ったメニュー。
さんどさんど上げ膳据え膳で、まったく気楽なものだ。
アパートにいたら買い物して、お値打ちなものを買いそろえて、おかずをでっちあげて食べているのだから、まるで機内食のように、黙っていても目の前に食事を運んでくれて、食べ終わったら下げてくれるなど、贅沢の極みだと思う。
ただし、食事内容はエコノミークラスなにかな、、ワインもビールも付かないし。

白身魚のムニエル風とマカロニサラダ
[マカロニサラダと言っても、マカロニとカニカマのマヨネーズ和えで野菜は入っていない]

午後にこの入院生活のブログを書きはじめ、3時から再び廊下を歩く。
今度は飲料水の入ったペットボトルを両手に握りしめ、歩くたびにボトルを振り上げ、振り下ろしして筋トレも兼ねる。
右手の筋力もかなり回復して、ペットボトルくらいなら難なく振り上げられるようになった。
腕も疲れたけれど、膝を上げて歩くのも疲れるようで、結構いい運動をした。
1時間少々だったけれど、体力が回復してきているのを感じるのはうれしい。

運動後、再び排便を試みて便座に腰かけたが、なかなか出てきてくれない。
冷蔵庫にペプシコーラが入っていたことを思い出して、炭酸飲料を飲めば腸がびっくりして排便が促進されるのではないかと考えて、飲んでみたら大正解。
しっかり出てきてくれた。

夕方の注射は問題なく終わり、今日は何の過剰反応も起こさない。
妻のところへ電話を掛けたら、雪で大変だという。
それに明日になったら雪が凍って、我が家の前の道は日陰だから、解けないだろうし、住人は年寄りばかりだから雪かきも心配だと言っていた。
こんな時には長男に活躍してほしいところだけど、いままで地域の共同作業に顔を出したという話は聞いたことがない。
これは我が家の躾の問題か、それとも現代っ子とはみんなこんなものなのだろうか。

あちこちに注射やチューブの差し込み
[何か所ものチューブや注射の差し込み口が腕に取り付けられてます]

夕食はスパゲティーであった。
粉チーズは振りかかっておらず、当然タバスコなど望みようもない。
ミートソースだが、パスタに比べて挽肉の量が多い。
私は日本の喫茶店のランチで出てくるようなミートソースがちょっぴりで、パスタばかりのタイプが好きだ。
タンパク質より炭水化物を好む体質らしい。
しかし、タイのパスタは大体のところ茹で過ぎで、ふやけている。
このパスタもふやけて極太パスタに変身、フォークで巻き取ろうとすると、途中で千切れてしまったりする。
病人用にご飯もパスタも緩めにしているのだろうか。

スパゲッティとブロッコリースープ
[パンはガーリックブレッド ニンニクアレルギーで下剤の代わりになるかと思ったけど。こんな小さなパン一つでは効果がなかった]

と、ここまで書いたところでいったん休止。


つづく

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| 日常 | 07:25 PM | comments (0) | trackback (0) |
サモートーン温泉の長い一日
12月23日 土曜日

週末土日の二日間仕事が休み。
一時帰国後、肩の痛みや手のしびれの症状がかなり改善されてきていたのだけれど、バンコクで仕事を再開して一週間と経たずに再び以前の状態に戻ってしまった。
年末年始の繁忙期を前に、温泉にでも入ってこようと思い、早起きをしてアパートを出発。
ネコも車に乗せて、久々のドライブ。
行先はウタイタニ県のサモートン温泉。
ここの夕方の景色は、大変気に入っている。
山小屋風の宿泊施設は、私には少し割高に感じられるが、温泉に入り放題となるので、それを勘定に入れれば妥当なところ。
今回は温泉でのんびりして、もうじき正月も近いので、小豆でも煮ようと考え、鍋やコンロなども車に積み込む。
小豆や砂糖などは途中の市場ででも調達する計画。

ちょっと用事があって会社に立ち寄り、あとはスパンブリを素通りしてサトウキビ畑が続く中を北へ進む。
どこかに市場があれば小豆を買うために立ち寄りたいと思って、集落に差し掛かるたびにきょろきょろとしてみたが、田舎過ぎて集落の規模が小さく、市場らしいものは見当たらなかった。

ちょっと大きな町に入ってここならばと、国道を外れハンドルを右に切る。
ダーンチャーンと言う町で、たぶん郡庁所在地にでもなっているのだろう、町としての体裁を持っているし、ちゃんとした市場もあった。
市場の中では、肉や魚、野菜などが台の上に並べられて売られている。
乾物や雑貨を扱う店も入っている。
豆を置いている店もあったが、小豆は見当たらない。
小豆よりも大きな赤インゲンはある。
私は小豆をタイ語でトゥアデーンと言うと思っているので、「トゥアデーン」「トゥアデーン」と聞いて回るが、出てくるものは赤インゲンばかり。
バンコクのスーパーでは小豆はビニールパックに入って普通に売られているので、簡単に手に入ると思っていた。
でも、スーパーで売っていた小豆は、あんまりきれいな粒ではなかった。
それで、市場で買いたいと思ったのだけど、田舎の市場では小豆が売られていないとは思わなかった。
何軒か回って、結局見つけられず、代わりに緑豆を買った。
砂糖はココナツシュガーを500グラムを25バーツ。
緑豆も中華圏では小豆のように煮たり、餡にしたりしているから、今日は温泉に着いたら、これをコトコトと煮て、夜食にしよう。

再び国道に出て走り始めると、本日開店らしいスーパーがあったので覗いてみる。
やはりこのスーパーにも小豆はなかったし、売っているものの品ぞろえや展示方法も田舎らしかった。

温泉への入り口にあたるバーンライの村でガソリンを補給する。
ガソリンスタンドも田舎風。
それでもクレジットカードは使えた。
そろそろオイル交換もしなくてはならないはずで、ちょうどいい機会だから、このスタンドでオイル交換をしようと思ったのだが、このスタンドではオイル交換のサービスはしていないらしく、近くのガレージを紹介された。

ガレージも田舎丸出しで、ガレージの中では農作業用のトラクターが整備を受けていた。
ガレージの主人が整備を担当し、その娘が助手兼経理を担当している感じで、まだまだ助手としては駆け出しのようで、ひとつひとつ父親に確認しながらの受け答えである。
オイル交換は10000キロまで走れるというオイルで1200バーツ。
いつもはもっと安いオイルを入れているが、10000キロまで交換不要なら、むしろ割安かもしれない。
作業は30分もかからずに完了。

ちょうど昼時であったが、バーンライの村には食事をしたくなるような食堂が見当たらない。
なにかお祭りのようなものが開催されているのか、縁日のような出店が並んでいるけれど、衣類や雑貨、お菓子ばかりで、食事になりそうなものがない。
結局、味気ないけど、衛生面だけは無難なトムヤム味のカップ麺をコンビニで買って食べる。
また、温泉に浸かった後に飲もうとビールも大瓶を一本仕入れる。

このパーンライの村まではバンコクから乗り合いバンも通っているようだけれど、この先のサモートーン温泉までの30キロほどの区間には、公共交通機関が存在していない感じだ。
何度も来ているが乗り合いトラックのソンテウさえ走っているのを見たことがない。
車でなければ来れない温泉と言うことになる。
しかし、公共交通機関のないような田舎道でも、ところどころに集落はあり、まだどうしてこんなところに作ったのだろうかと思われるリゾートと名乗る簡易宿泊施設もある。
丘陵地帯の中を走っており、疎林が続いたり、耕作地ではパイナップルの栽培が盛んにおこなわれている。
ときどきサトウキビを満載したトラックとも行違う。

温泉のある湖(貯水ダム)が見えてきた当たりの道端でスイカを売っているのを発見。
温泉に入って、冷えたスイカを食べるのも良さそうなので、小粒のスイカを二つ買う。
スイカはひとつが10バーツ。
他にもパイナップルや台湾ナツメなども売られていた。
台湾ナツメは大きくて、見た感じがちょっと小ぶりの青リンゴのように見える。

12時過ぎ、小豆を探したり、オイル交換をしたり、寄り道ばかりで時間がかかったが、ようやく温泉に到着。
さっそく、今晩の空き部屋の有無を聞いてみる。
「部屋はあいてますか?」
「はい、何人ですか?」
よかった、ここは週末は満室になっていることが多く、事前に予約をしておくべきなのだが、計画性がないためいつも出たとこ勝負になっている。
「一人です」
「30バーツ」
え、ちょっと安すぎ。
前回は800バーツだった気がする。
30バーツと言うのは、宿泊ではなく、個室の浴室のことではないだろうか?
もう一度念を押してみると、やはり宿泊ではなく、浴室利用料金のことらしい。
あらためて、宿泊したい旨を伝えたのだが、どうも半年ほど前から事情があって宿泊を受け付けていないらしい。
ここまで来て、宿泊もできないとは、なんということだ。
「近くにリゾートがありますよ、きれいで1200~1400バーツくらいで泊まれるようですよ」
と教えてくれる。
しかし、そのリゾートは温泉に近いといっても、温泉を引いているわけではない。
私がしたいのは、温泉三昧なので、近いだけでは意味がない。
「ここならテントでキャンプもできますよ、今の季節なら夜も涼しいですよ」
とも提案してくれるが、テントにネコとキャンプなどとんでもない。
それにやっぱり温泉三昧にならない。
どうしたものか、まずは30バーツ払って、個室の温泉にでも浸かって、次善策を考えてみることとする。

一人用の個室も何度か利用している。
三畳くらいの個室に、直径1メートル歩かないかくらいの、円筒形の浴槽があり、そこに温泉水を貯めて入浴。
シャワーはあるが、シャワーは冷水のみ。
風呂いす、手桶や洗面器もない。
温泉の湯は熱いので、水で埋めながらでないと熱すぎる。
浴槽が狭いので、膝を抱えるようにして入浴。
温泉でありながら、手足を伸ばして入れないのは残念。
お湯は無色透明で、硫黄のような臭いもほとんどなくて、ほぼ無臭。
北投温泉のように石鹸が泡立たないなんてこともなく、普通に石鹸が使える。

さて、これからどうするか。
緑豆を煮る計画は、ひとまず中止せざるを得ないだろう。
リゾートと名の付くところへ行けば、緑豆を煮れるかもしれないけど、温泉のないリゾートに大きなお金を出してまで宿泊したいとは思わない。
テントでのキャンプも、たぶん無理。
ネコが狭いテントの中でじっとしててくれる道理がない。
つまり、今夜は宿泊するのは諦めるしかないということだ。
温泉で手足を伸ばしたければ、グループ用の個室になら小さな温泉旅館の浴槽くらいのものがある。
しかし、料金もちょっと高い。
宿泊できないとなると、日帰りと言うことになるが、ここまで時間とガソリン代かけてやってきて、30バーツの個室で一回入浴しただけで帰るというのも寂しすぎる。
湖畔の簡易食堂で、タイ料理をつまみながらビールを飲むのも楽しみにしていたが、日帰りではそれも無理だろう。
では、きっき買ったビールはどうしよう。
まだ、コンビニの冷蔵庫から引き抜いて1時間と過ぎていない。

結論として、この場で温泉に入りながらビールをラッパ飲みすることとなる。
ビール一本とは言え、飲んでそのまま運転して帰るわけにもいかないので、車の中で昼寝をし、夕方2度目の入浴をしてから家路に就くことにした。

1時間ほどで第1回目の入浴を終えて、車に戻り、車内で昼寝をしようとするが、小型のヤリスでは横になれるだけの広さがない。
シートを倒しても、足元が不便。
後ろのシートもごろ寝できるほどのスペースがない。
むかし、チェンマイで乗っていたビートルは、後部座席が皮張りのソファーのようで、木陰で昼寝するには最高だった。
それに私のビートルはエアコンの効きは悪いが、その代わり扇風機が付いていた。

助手席でシートを倒し、足をハンドルの方へ投げ出して、身体を捩らせた体制で数時間の休憩。
熟睡こそできなかったけれど、少しは眠れたようだ。
夕方になって、車から這いずり出てきて、温泉公園内を散歩する。
何棟かの山小屋風宿泊施設は、確かに誰もおらず、長いこと使われずに放置されているように見える。
公園内にはテントを張ってキャンプをしているグループが何組もいる。
キャンプ場としては、入浴施設もトイレもあって、悪くなさそうだ。

ここの夕暮れ時の景色はとてもきれいで、カイツブリが鳴きながら飛んで行ったり、夕靄がたなびき、一番星ができたり、ほんとうに静かな景色で気に入っており、この景色のなかに身を置くことも今回の楽しみの一つにしていた。

湖畔からの夕景
[こんなきれいな夕景が見られるのも乾期の今だからこそだろう]

細い月も見える
[空には細い月も昇っているし、一番星も光りだした]

6時に2度目の入浴をする。
狭い浴槽で、ゆったりできるわけではないので、1日にそう何回も入りたくなるというわけではないけれど、せっかくはるばる来たのだから、2回くらいは入浴しないとと言うケチな発想から入浴している。
この浴室の天井裏はハトの巣になっているようで、夕方になって巣も戻ってきたハトたちが浴槽の上でバタバタと騒いでいる音が漏れてくる。

個室温泉
[30バーツを払うと管理人が浴室内にホースで水撒き、、これが掃除と言うことらしい]

2度目の入浴を済ませると、もう周囲はだいぶ暗くなっている。
湖畔の簡易食堂では、夕食を楽しんでいるグループが何組かいる。
私もここで夕食を食べたいところだが、食べれば飲みたくなる。
しかも、たっぷり飲んでしまうだろう。
未練を断ち切って、そのままバンコクへ帰ることにする。

すっかり暗くなりました
[奥に見えるのが湖畔の簡易食堂]

温泉公園を出発してすぐに、車を止めて、空を見上げたら満天の星空。
空一面、隅から隅まで小さな瞬きで埋め尽くされている。
これはすごいぞと写真に撮ろうとするが、こんなに明るく輝いているはずの星たちが、携帯電話のカメラには全然写らない。

満天の星空も写真に撮ると真っ暗
[これが満天の星空に向けてシャッターを切った結果]

バーンライまでの道は、街灯もなく、集落もひっそりしてて、車もほとんど走っていない。
真っ暗な中で、見えるのはヘッドライトに照らされた前方何十メートルかだけ。
カーブも多いので、運転は慎重に時速40キロほどでゆっくりと走ったので、バーンライの村に着いたら夜8時になっていた。
この村を過ぎると、次の町ダーンチャーンまで1時間はかかり、時刻は夜9時になってしまうだろう。そうするともう食事ができるところも店じまいしてしまうだろう。
なんにもなさそうなバーンライの村で何か食べて行こうと、道端に出ていたバミー屋台に車を横付けする。

屋台の向かい側にはコンビニもあり、近所の若者だろうか、バイクでやってくるグルーブもあるし、家族連れでテーブルを囲んでいる光景も見られた。
私はワンタンとチャーシューの入ってバミーを注文する。
味は良かったが、タイの麺類の特徴でもあるのだが、スープがアツアツではない。
タイ人たちは総じて猫舌なのか、バミーにしてもクオッティオにしても、どうもフーフーと吹かなければ食べられないようなものにタイでは出会ったことがない。
値段は50バーツくらいかなと予想していたが、30バーツであった。
バンコクではいまどき30バーツでワンタンメンを出しているような屋台などないだろう。

バミーを食べた後は、ひたすら夜道を走り続ける。
スパンプリのガソリンスタンドに併設されたコンビニで喉が渇いたので炭酸飲料を買う。
2本で15バーツとポップが出ていたので、これは安いぞと喜んで冷蔵庫から2本引き抜き、レジに並んだがレジ嬢は「20バーツ」と言う。
15バーツと書いてあったよと言っても、受け付けられず緑色の20バーツ札をレジにしまい込んで、5バーツはもらえなかった。

バンコク郊外はどんどんと新しい道ができたり、立体交差になったりして、道が変わっているらしい。
私はラムイントラあたりで、本来曲がるべきところを行き過ぎてしまったことに気が付かず、スカピバーンの通りあたりまで行ってしまってUターンしてもどったりしたため、アパートにたどり着いたのは午前零時を過ぎていた。

バンコクでは途中で2回も飲酒運転取り締まりの検問が張られて、車が詰まっていた。
罰則はまだまだ日本と比べて緩いものの、タイでも飲酒運転の取り締まりをすることがあるようだ。

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| 日常 | 11:35 AM | comments (0) | trackback (0) |
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