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コスプレ体験
この一か月間で三度目のピサヌローク。
そろそろ車での往復も体力的にきつく感じてきたので、今回は汽車旅とした。

4月の初めに、ピサヌロークでは県や観光局が王宮跡でイベントを行うから来るようにと言われていた。
なんでも、アユタヤ時代の衣装を全員が着用することになっているらしいのだが、日本人だからキモノを着てきてほしいと言われた。

そんなことを言われても、和服など浴衣含めて持っていない。
言う方は気安く言ってくれるが、準備する方は当惑してしまう。
それでも、先方も好意で誘ってくれているのだろうし、それに応えなくてはとバンコクで貸衣装屋を回ってみる。
バンコクの街中にはオカマショー用かと思われるようなド派手な衣装を貸し出す店が結構ある。
社内のイベントなどでも、仮装を求められることは多く、この手の貸衣装屋は一般的なものなのかもしれない。
日本で貸衣装と言ったら、結婚式や成人式などくらいではないかと思うし、そのためか衣装も良いものが揃っているのではないかと思うのだが、バンコクはそうではないようだ。
仮装パーティーで着れれば良い程度のクオリティーなので、その環境下で和装を借り出そうというのだから、どんな衣装が出て来るかはある程度想像はしていた。
しかし、実物を見て「なんだこりゃ」のレベルが想像を超えていた。
どう見ても和服には見えない。
まるで中国の時代劇に出てきそうな派手な刺繍入り、キンピカで、ただやたらとデレッと長く裾を引いている。
あんまりにもあんまり。
こんなもの着て出かけていった日には、日本に対する誤解を助長しかねない。

会社のスタッフに相談したら、レンタルではなくネットで買ってしまえばよい。
ネットならいろいろと選べるはずと言って、調べてもらった。
確かに種類も多いのだが、どうも和装と言ったイメージから遠いものばかり。
なんとなく、日本のアニメに出てくるへんてこなキャラクターが着ている衣装のように見えるとスタッフに言ったら、
「そりゃそうだよ、これ、みんなコスプレだよ」
とのお答え。

多少はまともかなと思われるサムライ・コスプレをオーダーする。
送料込みで910バーツ也。

4月2日、届いたサムライ・コスプレを持って、バンコク発10時50分の特急に乗り込む。
これだとバンコクから400キロもあるピサヌロークまで5時間で運んでくれる。
その間、のんびりと文庫本でも読んでいようと、沢木耕太郎の「国道1号線を北上せよ」をカバンに入れておいた。
この特急の行先は、シラアット行きで、途中のピサヌロークから先でサワンカロークへの盲腸線を往復することになっている。
先にチェンマイからバンコクまでの汽車旅をしたときにも触れたけど、このサワンカロークへの往復については、興味があって、ピサヌロークなんかで下車せずに、そのままサワンカロークまで行ってみたい衝動に駆られるが、夕方までにはピサヌローク入りしなくてはならず、次回のお楽しみに取っておくことにする。

現在はピサヌロークまで格安航空会社がバンコクから1日に5便も往復しており、料金もこの特急と比べても大差ないくらいの切符も出回っているので、さぞ特急はガラガラだろうと思っていた。
しかし、その予想は外れた。
平日の昼間という時間帯にもかかわらず、バンコクの街はずれまで来たころには、全席指定の座席は満席となった。
途中の駅で降りていく人もあるが、誰かが下りて空席ができると、すぐにまた別の人が乗り込んできて、空席が塞がる。
これには驚いてしまった。

昼食の時間帯にかかるということもあり、車内では食事のサービスがあった。
一人分ずつ機内食風にトレーで配られる。
内容は、ご飯、ゲーンソム、チキンのニンニク炒め。
皿に盛り付けられているわけではなく、プラスチックの容器に入っていたり、レトルトパックだったり。
本来なら電子レンジなどで温めて食すべきところ、常温のまま。
サービスとはいえ、温められないなら、温めなくても良いようなメニューにしてほしいところではある。
いずれも常温で長期保存のできるタイプのもので、タイ南部、トラン県のメーカー、プンプイの商品であった。

ロッブリーを出るあたりまでは快調に走っていたが、ナコンサワンの手前で止まってしまった。
故障だろうか、事故だろうか、
もともと車両にスピーカーなどの放送設備もないので事情説明のアナウンスなどない。
しばらく、停車していたと思ったら、バックし始めた。
どこまで戻るつものだろうかと訝ったが、200メートルも後退したところで、また停車。
結局、事情も分からないまま30分以上を田んぼの中の線路の上で過ごしてから、また前へ進み始めた。

ピサヌロークには予定より20分ほど遅れて到着。
いつものアマリンナコンホテルにチェックイン。
急いでサムライ・コスプレに着替えなくては慌てているところへ電話が入る。
「いまどこ、もう着いたな、今日はタイ衣装を着てくるように」
「タイ衣装でなくて、日本の衣装を用意してきたけど」
「知事から、タイ衣装が良いと言われてるから、そのまますぐ時計塔の前へ来なさい」
おやおや、せっかく買ったサムライ・コスプレはどうなるんだ。
まぁ、とにかく念のためもあるので、サムライ・コスプレを持ってピサヌローク旧市街の中心にある時計塔へ行ってみた。

やはり、今日は全員がアユタヤ時代のタイ衣装を着ることになっているそうで、日本人にも着てほしいと知事が言われているらしい。
時計塔近くにあるやたらと体格の良いオカマさん経営の貸衣装屋で私もタイ衣装を着せられる。
おまけに、髪はスプレーで固められ、顔は白粉でピンクの頬紅や口紅まで差されてしまう。
ゴテゴテと装飾品も取り付けられる。
タイ装束など初めての体験である。
なお、このタイ衣装もコスプレと同じ程度のレベルで、安物の化繊で、安直な縫製でできていた。

時計塔近くの貸衣装屋でタイ装束に
[アユタヤ時代はこんな格好だったのだろうか?]

車に乗せられて、会場の月の王宮跡へ。
なるほど、たくさんの人がタイ衣装を着て集まっている。
こんなところへサムライ・コスプレで乗り込んだら、ちょっと目立ちすぎてしまうだろう。
まだ日没前で明るいので、遺跡の方では、タイ衣装を着こんだ人たちが、写真を撮り合っている。
最近はタイではテレビドラマ「ブッペーサンニワート」というのが大ブームを引き起こしており、ドラマはアユタヤ時代へタイムスリップした現代女性のストーリーらしい。
私は全く関心もないが、社内のスタッフたちは熱狂して、職場でもおしゃべりしているので聞こえてきてしまう。
このドラマの影響で、ドラマのロケでも使われているらしいアユタヤ遺跡では、タイ衣装を着て写真を撮りに来るタイ人がとても多くなってしまい、一部の遺跡では入場制限をしはじめているらしい。
そんなこともあってなのだろうか、タイ衣装を着て遺跡でセルフィーはタイで流行っているらしい。

タイ人はコスプレ好きが多いようだ
[タイ衣装を着て遺跡で写真に納まるのがブームになっている]

イベントはなんとなく始まり、私もステージ前最前列に並べられたプラスチックの椅子に座るように指示された。
タイ衣装の女性たち多数による踊りがある。
カツラかと思うほど髪をアップにして大きく膨らませている。
若い女性は含まれておらず、中高年だけであったからか、派手なダンスではなく、手首と指先をしならせる穏やかな踊りを踊りながら会場を回った。

県観光課の女性とスナップ
[ 後ろに中高年女性のダンサーが控えてます]

県知事や観光局長のスピーチがあり、その後も私はよく知らないが、歌手が歌を歌い、剣舞がありとステージでは出し物が続いている。
しかし、要職にある人のスピーチのあいだだけ私はステージ前にいれば良かったようで、あとは来席している県の有力者の紹介を受ける。
紹介されても、私はいまだにタイ人の名前を覚えるのが苦手で、最初から名前を伺っても聞き流し同然。
タイ衣装を着ているため、名刺も持っておらず失敗した。
もっとも、先方も名刺を持っているわけではない。

県知事らとのスナップ
[県知事などと一緒にご満悦ポーズ]

会場には「昔の市場(タラートボーラン)」と名付けられた縁日風の出店が並んでいるブースが何か所かあった。
たしかに、草ぶき、ヤシの葉葺き、竹を組んだだけの出店は昔風であるが、売っているものは食べ物中心ながら、その辺の屋台とあんまり変わらないものが多いようだ。
いくつかのタイのお菓子類は、「昔からのお菓子」と説明を受けたけれど、いまでもよく道端で売られているタイのお菓子と同じように見えた。
そうしたタイ菓子を摘みながら、見学していて気が付いたのは、アユタヤ時代の衣装を着ることになっているはずだけれども、よくみると今から150年くらい昔のラーマ八世、チュラロンコン王時代の衣装と思われる人もかなりたくさん混ざっている。
当時は日本の明治時代共通していて、西洋化が流行りだったようで、当時の王宮などの建造物はタイ伝統様式と西洋建築がミックスしたものが多く建築され、衣装も洋タイ折衷的な服装が官吏の服装として取り入れられたりしている。

そして、あちこちに等身大の写真パネルが置かれている。
写真のモデルはガラケートらしい。
先に書いたドラマ「ブッペーサンニワート」の主人公である。
そういえば、ステージの司会者が話していることをあんまり聞いていなかったが、盛んにガラケート、ガラケートと言っていた。
このイベントとガラケートとどんな関係があるのかと質問してみたところ、
「ピサヌロークはガラケートのお母さんの出身地でしょ」
と、さも「そんなことも知らないのかよ」と言った感じで教えられた。
なんでもピサヌロークの太守の娘がガラケートの母親だったんだそうな。
そのなのドラマ見てないんだから、知るわけないし、、、

ガラケート等身大パネル
[これがガラケートの等身大パネル]

そういえば、タイ映画ではアユタヤ時代のヒーローやヒロインの出身地がピサヌロークとなっているケースが多いようだ。
数年前にヒットした映画ナレースワンも、15年前のスリヨータイもピサヌローク出身で、たぶんこれは史実らしいのだけれど、このガラケートはフィクションのドラマらしい。
そんなフィクションのヒロイン、しかもその母親の出身地だということだけで、こんなに県をあげて盛り上がってしまうところが、私にはどうもうまく理解ができない。

夜9時過ぎにお役御免となる。
一人になって、ぐったりと疲れたけれど、まだ夕食も食べていない。
夕食には誘われたけれど、疲れ果ててたので、遠慮させていただいた。

ナイトバザール外れのオープンエアのレストランでナーン川が眺められるテーブルでビールを飲みながら長茄子のヤムとチャーハンを食べる。
先々週もこの空飛ぶ空心菜で知られる店に来たのだが、店のスタッフは私のことを覚えていてくれてた。
この店、料理の味もいいし、値段もお手頃。
そして川の眺めと雰囲気もなかなか良い。

翌日、せっかく買ったのに、着る機会もなくなったサムライ・コスプレだが、どうせ持って着てるし、知り合いに会うこともここならないだろうと、サムライ・コスプレを着てスコタイ遺跡へ出かけた。
このサムライ・コスプレ、袴が袴になっておらず、筒スカートで、足を開けない。
そのためスコタイの遺跡公園で自転車に乗った際に、ちょっと不便をした。
暑期のスコタイ遺跡は見学者も少なく、日本人観光客は皆無であった。
知った顔に見られるだけでなく、こんなスタイルを同胞に見られるのもやはり恥ずかしかったので、好都合ではあった。
恥ずかしいくらいなら、はじめからコスプレなどしなければ良いものなのだが、そこは目立ちたがり屋の部分もあり、またタイの人たちがこのスタイルを見て面白がるんだろうなと言うサービス精神のなせる業でもある。

スコタイ遺跡にサムライ
[サムライ・コスプレでスコタイ遺跡公園をめぐる]

夜、またまた空飛ぶ空心菜の店に行き、タイ・ウイスキーのリポビタンD割りを飲みながらタイ料理を食べる。

ナーン川の夕暮れ
[空飛ぶ空心菜の店から眺めたナーン川の夕暮れ]

ピサヌローク発夜10時過ぎの汽車でバンコクへ向かう。
タイ・ウイスキーを飲み干し、ビールまで飲んだので、寝台に潜り込んだらすぐに眠り込んだのだけれど、午前4時にはまだバンコク到着まで1時間もあるというのに、起こされて寝台を座席に変換されてしまった。
久しぶりに飲んだタイ・ウイスキーで悪酔いしたようで、少し辛かったけれど、アパートへ戻ってシャワーを浴び、そのまま出社する。

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| 日常 | 02:05 PM | comments (0) | trackback (0) |
好きになった街、ピサヌローク
3月になり医師から車の運転の許可が下りました。
バイクはまだ2か月くらいはダメと言うことで、どうして車が良くてバイクがダメかと言うと、バイクは首を動かすからだとのことでした。
まだ首の周りのギブスをはめたままなので、シートベルトをしてしまうと、横を向くことさえできません。
できることは、目玉を動かすくらいで、後方確認はミラーが頼りです。
なのでバックをするときは、後方の確認がよくできずヒヤヒヤものです。
たぶん、日本ならこんな格好では車の運転などNGなんだろうと思います。

しかし、そこはタイで、もともと後方確認などの習慣を持たないドライバーばかりの土地ですから、私も「郷に入れば郷に従え」で許可を受けた翌日からハンドルを握っています。
そして、入院中から考えていたプランを実行に移すべく、活動を開始し始めました。

活動の一環として、先日から2度ほどピサヌロークへ2度ほど往復してきました。
ピサヌロークは東西経済回廊プロジェクトで、ベトナムのダナンからラオス、タイを横断してミャンマーのヤンゴンへ抜ける物流拠点として注目され「インドシナの十字路」などと呼ばれています。
また、日本の新幹線をバンコクからチェンマイへ走らせるプロジェクトでは、その第1期工事はバンコクからピサヌロークまでらしい。

なんとなく、大型プロジェクトが重なって、活況を呈していそうな土地がピサヌロークで、新聞などの報道では地価が急上昇しているのだとか。

私も10年以上前に、なんどかピサヌロークを訪れたことがある。
タイのどこにでもあるような地方都市であった。
都市と言ってしまうと、日本の感覚でとらえられてしまい、誤解されそうな気もするくらい田舎であった。
さて、そのピサヌローク、どれだけ発展しているだろうかと期待もしていたのだけれど、開発プロジェクトというのはどこの話だとでも言わんばかりに、昔のままの古い町並みそのままが残っていた。

日本人にとってはあんまり馴染みのないピサヌロークという街、田舎だけれど、好きになってしまいそうです。

ピサヌロークで宿泊したホテルは、駅から近いアマリンナコンと言う「老舗」ホテル。
何十年も前からある古いホテルで、今回はブッキングドットコムというサイトから予約した。
値段はゲストハウス並の420バーツ。
8階の部屋は、比較的広めのツインベッドルーム。
バスルームにはバスタブもあり、水回りも悪くない。
しかし、スイッチを入れても点灯しない照明が複数ある。
つまりメンテナンスをしていないのだろう。

アマリンナコンホテルの部屋
[シーツなどはきれいだし清掃もちゃんと入っている]

ピサヌロークの街の業界の人に聞いたら、このホテルは最近ビアチャーン系列のTCCに買収されたのだそうだ。
TCCと言えばタイ国内にある多数の主要ホテルを所有する不動産開発会社で、一流どころのホテルが揃っている。
タイの一流ホテルのほとんどがこのビアチャーンのTCCか、ピザチェーンのマイナーの所有になっている。
そんなTCCに買収されたこともあり、街の人たちも、この古いホテルがどんな姿に改装されるのか楽しみにしていたようだけれど、いまのところ改装は全然されていない様子だ。
私としては、改装して値段が上がるより、電球の1つや2つ点かなくても、値段の安いことを歓迎したい。

アマリンナコンホテルの入り口
[入り口はなぜか表通りに面しておらず、横道から入る]

2度目に泊まった時は、2泊したのだが、2泊で684バーツと、一泊当たりで前回より2割くらい安くなっていた。
そして部屋は9階になり、部屋のメンテナンスも良くなって、スイッチを入れればほぼ全部の照明をつけることができた。

ネットコーナー
[館内では無料のWiFiも使えるが、ロビーの横にはネットPCも用意されている]

そして、最初は気が付かなかったのだけれども、朝はコーヒーのサービスがあった。
最初はまったく人気のない朝食会場だなと思っていたのだけれど、ホテルでは朝食のサービスはしておらず、その代わり朝食会場にインスタントコーヒーとビスケットを用意してあり、宿泊客が勝手に利用できるようになっていた。

ビケットとコーヒー
[最近、タイ式の宿ではこの手のサービスが多くなっているらしい]

朝食会場とは別に、レストランもあり午後から深夜までの営業で、月曜日は休みと札がかかっていたが、一度も営業しているところを見たことかないので、朝食同様に食事の提供はしていないのではないかと思った。

名前だけの朝食会場
[この朝食会場とは別にコーヒーショップがあるが営業していないらしい]

では、このホテルには飲食サービスが皆無かと言うと、ルームサービスはちゃんとあるようで部屋にはルームサービスのメニューが置かれており、廊下には下げられた皿などが出されていた。
そのルームサービスの料金の安いのには驚いた。

炒飯や挽肉のバジル炒めライス(ガパオライス)が50バーツ
チーズカツレツ風のコルドンブルーが一番高くて180バーツ
最安値は目玉焼きの10バーツ
しかも、税金・サービス料込の値段である。

ルームサービスのメニュー
[ルームサービスなれど料金から言ったら屋台並み]

安いのはホテルの中だけではなかった。
近くの市場の前でカオマンガイを売っていた。
油紙に包んでくれる昔ながらのテイクアウトの屋台で、朝食用に一包買ってみた。
ちゃんとビニールの小袋に入ったタレとプラスチックのスプーンまで付いて、たったの10バーツ。
もう、感動の領域を超えている。
バンコク市内でカオマンガイは安くても40バーツくらいはする。
もちろん、一包に入っている分量は多くはないけれど、それにしても安い。
味も悪くない。

10バーツのカオマンガイ
[ちゃんとキュウリも付いている]

ピサヌロークの名物料理として、ピサヌロークヌードルと言うのがあるようなのだが、何が特別なのかよくわからなかったけれど、土地の人によればピサヌローク特産のインゲン豆を入れて食べるのが特徴とのことらしい。
そして、このピサヌロークヌードルと言うかクオッティオを食べさせる店や屋台はあちこちにあり、地元の人たちは「メン喰い」が多いようだ。
私もピサヌロークヌードルのパッタイ焼きそばをごちそうになったが、確かにインゲンが一緒に炒めてあった。
他の地域のインゲンと比べて、日本のインゲンのように柔らかいインゲンであった。

しかし、ピサヌロークは夜の早い街のようだ。
都市と言うからには、深夜遅くまで人通りがあり、飲食店がにぎわっている印象だが、最初にピサヌロークに着いたのは夜も10時過ぎであった。
さて、空腹を抱えてホテルの外へ出てみたのだが、まったく飲食店が見当たらない。
飲食店どころか、人影もまるで見かけない。
ホテル周辺は華僑の多い一角のようで、軒には赤い提灯がぶら下がり、「旅社」と看板を掲げている宿屋も多い。
まるで深夜に台湾のどこか裏町を歩いているような印象を受けた。
いや、現在の台湾ではなく、何十年も前の台湾の裏町のようだと訂正しておこう。

深夜の時計塔
[街の真ん中にある時計塔もひっそり]

静まり返った通りの一角に、1か所だけ大きな音を立てているところがあった。
1950年代風のパブで、若干の西洋人と地元の若い連中が集まっている。
バンドの生演奏があり、嬌声が響く。
若い連中の乗り付けたバイクが店の前に溢れている。
バンコクのパブなら外車や大型バイクだろうが、ここではカブとスクーターばかりである。
それでも、地元の若い連中にとっては、精いっぱい背伸びをした場所なのだろう。

深夜ににぎやかなのは、この若い連中だけではなく、電線のムクドリのような鳥たちも姦しかった。
道路沿いの電柱を結ぶ電線には、無数の鳥たちが止まっている。
街の中のどこか1か所に群がっているのなら、バンコクをはじめ東南アジアのどこでも見られる光景だが、ピサヌロークはその電線のほとんどすべてに鳥が止まっている。
それもおびただしい数が、これだけたくさん集まれば、寝苦しくもなるのだろう。
鳥たちは静かに眠っているわけではなく、眠れずに起きているようだ。
それで夜中にもかかわらずピーチクやっている。
さらにフンもする。
なので、電線の下の路面には電線に沿って白く長い鳥のフンの堆積が続いている。
私も不覚にもその直撃を受けてしまった。
夜のピサヌロークを徘徊するときは、電線の下を避けて歩かなくてはいけないと学んだ。

電線には鳥たちが密集
[ここの鳥たちは夜寝ないのだろうか、一晩中騒いでた]

夜の早いピサヌロークだけれど、県では観光の目玉として、世界最長のフードストリートをナーン川沿いに展開する計画らしい。
街の真ん中を流れるナーン川は、大きな川で、昔は筏を組んだ上に小屋を作って暮らす水上生活者がたくさんいたそうで、その名残として今でも川の上に筏を浮かべてレストランにしているところがある。
その川沿いに遊歩道を整備して、夜ごと食べ物屋台を集めて延々数キロに及ぶフードストリートを展開するのだそうだ。
これは県知事から直接話を伺ったことで「バンコクのヤワラート以上にするんだ、どうだ、すごいだろう、面白そうだろう」と言われたが、川沿いの空き地に遊歩道を整備するのは簡単だろうし、仮にたくさんの屋台を集められたとして、世界最長となるほどのフードストリートを埋めるだけのお客をどうやって呼ぶのだろうか?
地元以外の人が来るには、車を止める駐車場も必要だし、それに大都会だからこそフードストリートも活気が出るものだろう。
田舎では、乾期にお寺の境内や水を抜いた田んぼで行うお祭りに毛を生やすのが限界ではないだろうか。

しかし、世界最大になる前の今でも、ナーン川沿いにはナイトバザールがあり、夜店が数百メートルも並んでいる。
その南端にはオープンエアの食堂もあり、ここには名物の「空飛ぶ空心菜炒め」がある。
私としては、世界一にこだわるより、今でもある程度の知名度をもつ「空飛ぶ空心菜」を売り物にして、現在のサイトバザールを拡張する方が現実的だと思うが、タイの社会では、一介の市民が県知事に物申すなど恐れ多いことのようで、私は私のプランだけ申し上げて、知事の計画は拝聴だけさせていただいた。

空飛ぶ空心菜の店
[空飛ぶ空心菜は作り方もパフォーマンス性いっぱい]

ピサヌロークで知名度のあるものとして、タイ人ならみんな知っているチナラート仏という仏像がある。
日本人はあんまり関心がないかもしれないけれど、金色の美しい、失礼ながらニヤケた顔の多いタイの一般的仏像と比較して、端正な顔立ちをしている大きな仏像である。
タイでもっとも美しい仏像だそうで、この仏像をバンコクに持って帰ろうとしたラーマ5世の話も博物館で聞かせてもらって面白かった。
なんでも、他の仏像たちも多くが、ラーマ5世に見込まれて、バンコクへ連れ帰られ、バンコクの一流どころのお寺へ遷座させられていたが、この仏像だけは、ピサヌロークの人たちが、どうかこのままでと懇請したりもしたが、当時の絶対王政下では、聞き入れられることもなく、寺の前のナーン川でバンコクへ下る船に積み込まれ、いざ出発となった時、チナラート仏は涙を流した。
それを見たラーマ5世は、この仏像を連れ帰ることを断念し、レプリカを作らせることを命じ、そのレプリカはバンコクの大理石寺院に安置されている。
なお、そのレプリカに金箔を貼る当たってはツルハラと言う工芸を教える先生が招へいされたそうだ。

チナラート仏
[礼拝堂の外から望遠で撮影]

チナラート仏が安置されている礼拝堂内でのチナラート仏の写真撮影は禁止されているのだけれど、参拝者たちは携帯電話での自撮り盛んに写真を撮り合っている。
もともとは信心深い人たちなので、「写真撮影禁止」と貼り紙をするより、「写真撮影すると御利益が無くなる」とでも書き出しておいた方が効果があるのではないだろうか。
チナラート仏も良かったけれど、礼拝堂内の壁面に描かれたフレスコ画もなかなか見ごたえがあった。

礼拝堂内のフレスコ画
[仏様の物語を描いたフレスコ画が見事であった]

チナラート仏のあるプラシーラタナマハタート寺院にはクメール様式の仏塔もそびえている。
高さはワットアルンの半分ほどではあるが、スタイルはそっくりである。

クメール式の仏塔
[急な階段で、筋肉痛になります]

ピサヌロークの街を歩くと、他にも寺院が多く、遺跡のような仏塔も見かけたりする。
ナーン川の向かい側にもアユタヤ時代の宮殿跡があり、県では発掘と復元に力を入れており、立派な博物館まで建ててあった。
ピサヌロークはスコタイ時代から続く街ではあるけれど、街としての重要性はアユタヤ時代だったようで、特にアユタヤの王朝でも有名なナレースワン王を輩出したことは今でも街の人たちの誇りのようだ。
博物館の中でもナレースワン王に関する展示はかなりの部分を割いていた。
ナレースワン王は最近も映画化され、二枚目俳優が演じるなどして、タイ人の間ではナレースワンは男前の凛々しい顔立ちと思われ、銅像もそれに倣っているが、博物館の館員さんの説明によると、実はナレースワン王がどんな顔をしていたかは、当時の肖像画などは残っておらず、わかっていないのだそうだ。

町なかの遺跡風仏塔
[こんな仏塔が平然と町なかに点在する]

博物館では別に民族博物館のようなものもあり、そちらは個人の収集品を集めた博物館のようで、規模はあまり大きくない。
展示物も最初見たところ、あんまり一貫性がなく、ガラクタに近いようなもの、または古道具屋から持ち込んだものが並んでいるようにも思えてしまった。
1980年代のラジカセやブラウン管式テレビなど、まだ博物館に展示するには100年早いような気がした。
物は正直なところ、大したことはないように思えたが、農民の生活道具や写真、解説はなかなか面白かった。
また、ピサヌロークの街の歴史解説もガイドブックの説明の領域を超えており、郷土史として面白かった。

民族博物館
[民族博物館もそれなりに面白かった]

ひょんなことから、ミス・ピサヌロークを選ぶ会場へ行くことになった。
あんまり興味もないのだが、VIP席に座らさせられ、きついメーキャップで居並ぶ女性たちが、選考過程でふるいに掛けられ、絞り込まれていく。
誰が一番美人かと聞かれても、うーんと唸ってしまう。
でも、タイの人たちはこの手のミスコンが大好きなようだ。

ピサヌローク美人?
[ずらりと並んだミスピサヌローク候補]

会場となるセントラルプラザという巨大なショッピングコンプレックスの中央ステージをたくさんの人が取り囲んでいる。
なお、このミスたち、とにかくみんな背が高い。
ほとんどが175センチ以上。
バンコクでもこんなに背の高い女性は見かけないのに、ミスコンの条件は背の高さではないかと思えてしまう。
対象者が3人に絞り込まれ、グランプリ前のミスフォトジェニックだの、ミススイムスーツだのの表彰が行われる。
表彰台で、賞状や副賞を手渡すスポンサーは男性が多いのだが、長身のミスたちはハイヒールまで履いているので、男性がやたらとチビに見える。

ピサヌロークのミスコンテスト
[みんなとても背が高い]

私が宿泊したホテルはアマリンナコンという安ホテルであるが、市内にはちゃんとしたホテルもいくつかある。
そのなかで、これなら良さそうだと思えたのは、ナーン川を渡ってすぐのグランドリバーサイドというホテルで、バンコクでも四つ星クラスのホテルに相当しそうだ。
ただし、プールはなく、スパもないそうで、マッサージのサービスは他所からマッサージさんを呼んでくるのだそうだ。
川沿いの部屋と、そうでない部屋があり、眺望の差は大きいが、料金はどちらも一緒とのこと。

グランドリバーサイドホテル
[いちばん整った感じのホテルでした]

館内には大きなレストランがあり朝食はブッフェを出しているそうだが、ホテルの敷地内にこれはテナントなのだろうけれども日本食のレストランで"AIKO"と言うのがあった。
女性の名前を店名に付けるタイプはバンコクでは、居酒屋とか風俗系に多いが、見たところ普通のレストランであった。

Japanese Restaurant Aiko
[AIKOだけど、鯉のぼりにまたがって刀を振り上げてる絵が、、]

バンコクでも日本食はブームとなっているけれど、ピサヌロークでも街のあちこちで日本風の料理を出す食堂や屋台を見かけた。

町なかの寿司屋
[すでに閉店時刻を過ぎて店じまい後の寿司屋]

ピサヌロークの駅は、タイの鉄道駅としては珍しく、街の真ん中に位置している。
将来新幹線の駅になるとはとてもではないが想像できないくらい小さな可愛らしい駅があり、駅前ロータリーにはSLが置かれている。

駅前ロータリー
[SLは整ったスタイルからイギリス製と思われる]

また、カラフルなトゥクトゥクが客待ちをしており、人力の自転車サムローがゆっくりと走り抜けていく。
市場では生鮮食料品が売り買いされ、まだ毎日の買い物はスーパーなどより市場が中心のようだ。
季節でもありマンゴーが安くて立派なものが揃っている。

カラフルなトゥクトゥク
[カラフルで可愛らしいトゥクトゥク]

路上の朝市
[マンゴーは1キロ20バーツ~35バーツと格安]

街から車で10分ほどのところに空港があり、LCC3社で毎日バンコクとの間を7便が往復している。
その空港には、オリエントタイ航空が放置したらしいジャンボジェットが野ざらしになっていた。
翼からはエンジンは取り外されて、汚れなのか錆なのか、白い機体がだいぶ黒ずんでいる。
オリエントタイ航空はJALのリゾッチャなどの中古を飛ばしていたが、この可哀そうな機体も、かつてはJALの飛行機だったのかもしれない。

放置されたジャンボ
[飛べないまでも、なんとか活用できないものだろうか]

最後に、よく意味が分からないのだが、パイリンホテル近くの空き地に黄金色をした巨大ナマズが放置されていた。

誰が何の目的で金の大鯰を作ったのか
[愛嬌のある顔をした黄金の大ナマズ]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=99 |
| 日常 | 09:15 PM | comments (0) | trackback (0) |
通勤ルート開拓
頸椎の手術から二週間。
自宅療養の期間も過ぎて、職場復帰を果たす。
仕事の上では、首を動かせないという不便さはあるけれど、大した問題ではない。
しかし、首を動かせないためにバイクも車も運転をしてはいけないと言い渡されている。
そこで困ったのが毎日の通勤をどうするかと言う問題。
職場復帰してからの、二週間が過ぎ、どうやって通勤してきたかのお話です。

我がアパートの前から10分も歩けばラマ9世通りのバス停があり、フォーチュンまでバスに乗れば地下鉄に乗り換えられる。
これが一番まっとうな通勤方法であり、このルートは何度も利用している。
お酒を飲んで帰って、バイクを職場に置いてきているときなどだ。

しかし、近年は外でお酒を飲む機会もなく、もう長いことこのルートを使ってきていない。
以前なら1時間ほどで出社で来ていたのが、事情は変わっていて、先日はなんと2時間もかかってしまって、大遅刻をしてしまった。

通勤に時間が以前よりかかるようになった原因は、いくつかあり、たぶんバスの本数が依然と比べて減ったように感じられる。
とにかくバス停で排気ガスにまかれながら、20分くらい待ってもバスが来ないなんてことがある。
しかも、来たバスは満員で乗り込めない。
また、地下鉄も同様。
こちらは運転本数が減っていないだろうけれど、利用者が増えすぎて、乗り込めない。
3本から5本くらいやり過ごさなければ、乗れない状況になっている。
つまり、乗り物乗っている時間より、延々と待たされる時間が長いのである。
これはイライラするしストレスが溜まる。

特に、地下鉄は19バーツも取りながら、こんなサービスで腹が立ってくる。
これは往路だけではなく、復路でも同じことの繰り返しで、しかも復路では地下鉄の切符を買うのに15分くらい並ばなくてはならなかったりする。
切符の販売機の性能が悪すぎるのである。
販売機は巨大で、1台が業務用冷蔵庫くらいの大きさがあるので、切符売り場には3台か4台くらいしか置かれていない。
そして、動きが遅い。
特に釣銭が出てくるまで、待たされる。
投入できない紙幣やコインもあったりするし、事情の分からない外国人も多い。
自動改札機も、反応が遅くて、行列が伸びている。
そんなわけで、帰りは帰りでますますイライラしてしまう。

このオンボロ券売機と似たようなものを30年以上前にソウルの地下鉄で見たように思う。
そのオンボロさ加減に、地下鉄の切符は券売機で買うより有人の窓口で買った方が早いくらいだった。
また、香港の地下鉄の券売機もこれに似ていたように思うが、香港の券売機は香港らしく、没有零銭で、釣銭を出す機能がないので、釣銭を待つ時間分だけ処理速度が速かったようだ。

とにかく、数日間このバスと地下鉄を乗り継ぐルートを試してみたが、4日目からは別の方法を試してみた。
地下鉄の代わりに、バスでフォーチュンからアソークへ向かったらどうなるか。
バスは大渋滞しているラチャダピセーク通りを南下することになるので、時間がかかることは、自明のことだけれど、地下鉄を何本もやり過ごしている時間と比較したら、いい勝負のように思えた。

そして、それはある程度正しかった。
なんといっても、地下鉄と並走する区間なので、渋滞するバス利用者は少ないらしく、バスは混雑していない。
どんなに渋滞してても、座って居眠りだってできるのだから、快適である。
しかもバスの運賃は地下鉄の1/3にもならない6.5バーツ。

しかし、このルートも3日しかもたなかった。
アパート前からフォーチュンまでの不安定なバス運行状況は、朝から不愉快な気分になりやすい。
朝7時前にアパートを出て、バスにすぐ乗れれば1時間で会社に到着するし、なかなか乗れないと、始業ぎりぎりになってしまう。

この1週間は、精神的ストレスなしで通勤できる新しく開拓したルートを使っている。
アパートから徒歩で30分、距離にして2キロほどのところに国鉄のクロンタン駅がある。
ここで、カンボジア国境方面からバンコクへ向かう汽車に乗り込んで、ペッブリー交差点近くの踏切を越えたところで降りる。
そしてまた30分ほど歩けば、オフィスである。
通勤の所要時間は70分。
タイの汽車は遅れるのが当たり前と思っていたが、この1週間(と言っても実質5日間)利用してみたが、10分以上の遅れはなかった。
さらに、運賃もたったの2バーツである。

復路も同じルートを2回ほど利用したが、復路のペッブリー踏切は、駅ではなく、簡易の停留所で、駅員もいないし、切符も売っていない。
そのため、復路は切符を買うことなしに汽車に乗ることになり、無賃乗車のまま下車してしまう。
まったくラッキーなルートなのだけれど、難点は最終列車は18:41発であること。
これに乗るためには夕方6時すぎには退社しなくてはならず、上手く時間が合わない。
汽車が利用できないときは、会社からアパートまでの全行程を歩くことにしている。
距離にして6~7キロほどで、徒歩1時間半。
ちょっとした運動になる。
ただし、道路沿いは排気ガスで空気が汚れており、健康的ではない。

それでも歩くというのは、なかなか面白く、ふだんバイクでは気が付かなかった光景に出くわしたりする。
とりわけ、運河にかかる小さな橋の上に、ネコが10匹以上小屋に入って飼育されていた。
どのネコも雑種の、その辺にいるネコたちばかりだから、ここで商売としてネコを繁殖させているわけでもなさそう。
橋のたもとの雑貨屋のおばさんに質問してみたが、「飼っているだけ」とのこと。
商売としてネコを預かったりもしていないとのこと。
たぶん、個人的に捨て猫を保護しているのではないかと想像する。
どのネコもとても人懐こい。
また、一匹ずつ狭い小屋に入っているのは、ケンカや子猫を増やさないためではないかと思う。

橋の上に並んだネコ小屋
[運河に架かる橋の上に、ネコが入ったケージがずらりと並んでいる]

これは発見と言うわけではないけれど、SHOW DCという巨大な観光客向けショッピングモールが1年ほど前に開業している。
開業前にいちど見学したことがあるが、半端でないくらい巨大で、贅沢な施設で、ロッテ免税店が入っていたり、巨大な劇場があったり、食堂街が充実してたりという、これからのバンコクツアーでは必須のポイントになり得るだけのものを持っていた。
しかし、1年経った今も、このSHOW DCへ立ち寄るツアーの話は耳にしない。

ふだんなら前を通り過ぎてしまうだけなのだが、徒歩と言うこともあり、ちょっとSHOW DCの現状を覗いてみた。
旧正月の時期でもあり、中国人観光客が大挙してタイへ押し寄せている。
SHOW DCの内部も、旧正月向けの飾りつけをしてある。
明々と照明はいり、開業前に見学した時と違って、テナントの店はちゃんとオープンし、商品もキッチリとディスプレイされている。
しかし、観光客の姿はチラホラとしか見かけない。
テナントにも、御自慢の韓国料理飲食店街も、まるで客が入っていない。
唯一お客が入っているのは入り口近くのハンバーガー店だけであった。

Show DC
[春節の飾りつけはされているが、買い物を楽しんでいる外国人観光客の姿はほとんど見かけない]

ロッテ免税店が入っているとのことだったが、免税店とは言うものの、海外ブランド品の取り扱いはないようで、コスメなども国内メーカーのものが中心。
そのためか免税品の空港引き渡しというシステムではなく、購入したものはその場で受け取れるそうだ。

さて、汽車を使った通勤について書くつもりだったが、前置きからの脱線が続いてしまった。

アパートまえのソイを出て、コンビニ前の歩道橋でラマ9世通りを渡る。
このラマ9世通りは、とんでもなく大きな道路であるにもかかわらず、歩行者のことはほとんど考えられていない。
歩道などほとんどないし、あってもガタガタ、ボロボロで、途中で途切れていたりする。
さらに、この通りを横断するには、このような歩道橋があればよいが、歩道橋もほとんどない。
横断歩道は、この先2キロほどのところにあるだけ。
歩道橋から離れたところの人が、この通りを横断しようとしたら、タクシーにでも乗らなくてはならないだろう。

朝のラマ9世通り
[歩道橋の上から眺めた朝のラマ9世通り]

歩道橋を渡ったところに、巨大な性風俗店がある。
以前は隣にも同じような店が並んでいたが、隣は廃業し、建物も取り壊されて更地になっている。
この更地になったところを斜めにショートカットして歩く。
雑草が繁茂しており、通り抜けるとズボンの裾に草の実がいくつもくっついてしまう。

風俗店跡の空き地
[こんな空き地を歩くのは大好きだ 子供のころのようにワクワクする]

更地からA-Oneホテルへのソイに出てすぐ運河を渡る。
この運河に架かる橋から、水面を眺めると、大きな水トカゲが泳いでいることがある。
不思議に思うのは、この運河の護岸はコンクリートで垂直に切り立っており、この水トカゲはどうやって陸に這いあがってくるのだろうか?

運河を泳ぐ大水トカゲ
[運河を泳ぐ大水トカゲ こんな生き物がバンコクには共存してます]

A-One ホテルは中国人や韓国人の団体観光客の利用が多いホテルで、1日中狭いソイに大型バスが入って来る。
大きなホテルで、宿泊客だけでなく、バイキング式のレストランでは団体客のランチやディナーの利用も多いようだ。
客層が客層なので、高級感などはあまり感じられないが、たぶんホテルと同じ経営と思われる喫茶室がホテルの隣の敷地にあり、名前を cafe daypoetsと言い、ビートルズの顔が描かれていたり、オブジェもちょっとアートだったりして、隣の団体ホテルとは全く異質な空間になっている。

cafe daypoets
[ソイの奥にある巨大なA-Oneホテルと壁に描かれたビートルズの顔]

そのA-Oneホテルの敷地をショートカットして、エアポートリンクの車庫の前へ出る。
以前、このエアポートリンクがなかったときは、クロンタンの駅はもっと行きやすかった。
今はこの車庫を迂回しなくてはならないので、10分くらい遠くなっている。

A-Oneホテルの団体バス乗降場所
[A-Oneホテルの敷地内をショートカットしてバンコク病院方向へ]

鉄道線路沿いに、数百メートル歩くが、道端には事故で廃車にでもなった車が何台も打ち捨てられている。
近くにマッカサン警察署があるので、事故現場から運んできて、そのまま放置しているのかもしれない。
また、この線路沿いの通りは、この時間帯一方通行になっているようだ。

事故車と渋滞
[放置された事故車の隣に渋滞の車列が並ぶ]

ひまわりの咲く駅の裏口から線路を跨ぎながら、駅舎へ向かい、切符を買う。
2バーツ也。
改札口はなく、ホームへの出入りは自由。
たぶん、切符など買わなくても汽車に乗れてしまうのだろう。

ひまわりの咲くクロンタン駅
[タイでは11月から2月までの乾期がひまわりの季節]

2バーツのキップ
[クロンタンからアソークまで2バーツ]

だいたい、汽車は数分遅れてくる。
駅の中に売店、キオスクというより雑貨屋があって、そこにネコと子犬がいる。
もうネコとは仲良しになっており、汽車を待つ間、ネコと遊ぶ。

駅構内雑貨店のネコ
[このネコもネコ駅長になれるだろうか?]

通勤客を満載した汽車は混雑しており、デッキにまで人があふれているが、車内の奥の方は、通路に人が立っているくらいで、日本のラッシュとは比べ物にならないくらい長閑。
デッキに人が立っているのは、そこが乗り降りに便利だからであろう。

オーストラリアからの中古車
[ホームが低いので、乗り降りは楽ではない]

最後尾の客車は行商人専用になっているようで、車両の窓から、生鮮食品などの入った段ボール箱などを降ろしている。
ちょうどその車両が停車する場所が、高架道路下の市場のようなところになっている。
日本でも昔は行商専用車があったが、バンコクではまだこうして健在のようだ。

市場の前の車両は行商専用
[行商が運んできた生鮮品はそのまま駅前市場に並ぶらしい]

昔の客車なので、自動ドアではなく、ドアは開けっ放し。
デッキに足を載せ、手すりにぶら下がった状態のまま、汽車は走り始める。
沿線のバナナの葉っぱにすぐ目の前を掠める。
なんだか、何十年も昔にタイムスリップしたような感じがする。

ペッブリ交差点踏切
[デッキにぶら下がったまま踏切を通過]

汽車旅も数分で、もうペッブリ交差点の近くの停留所に到着。
停留所の名前はアソークとなっている。
ここから地下鉄に乗ればすぐなのだが、もう地下鉄に乗りたくないし、会社まで歩いても30分とかからないので、アソーク通りを歩く。
あんまり外を歩かないタイ人たちも、朝の通勤だけは仕方ないのか、職場へ向かう人波ができている。
このあたりは、さすがにオフィス街なので、多少は路肩の歩道も整備されている。
センープ運河を越え、歩道には朝食やら甘ったるい飲み物を売る屋台が並んであり、また無料のタブロイド紙を配る人が至る所に立っている。

センセープ運河の水上バス
[通勤時間帯は渋滞知らずの運河の水上バスも超満員]

売っている朝食は、透明のプラスチック製弁当箱にご飯やお肉、卵などを詰めたものが多い。
プラスチック製の弁当箱は、使い捨てしてしまうにはもったいないような容器を使っている。
サンドウィッチを立ち売りしている若い人もいるし、小遣い稼ぎか、プラスチック容器入りの飲み物を売っている制服姿の女学生もいる。

歩道で朝食などを売る露店
[朝食を道端で買ってオフィスで食べるのがバンコクスタイル]

車も人通りも多いアソークの通りから、一本奥にあるワタナーの小道に入ると、だいぶ静かになり、歩きやすい。
しかし、歩道のコンディションは悪くなり、しかも歩道の真ん中に大きな消火栓が置かれていたりして、注意して歩かないことには、躓いてしまいそうだ。

歩道の真ん中に消火栓
[夜道で酔っ払って歩いていたら危険だと思う]

こうしてスクンビットの通りに面した職場のビルに入るのが8:15頃。
12階のオフィスにあがるためのエレベーターがなかなか来ないので、結局は最後にイライラしてしまう。

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| 日常 | 09:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
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