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ピサヌローク定宿変更
8月31日 金曜日

今月何度目になるだろうか、またしてもピサヌロークへ向かう。
月末の金曜日で道路が渋滞するのではないかと心配だったが、朝7時半に出発し、対向車線が車で数珠つなぎになっているのを横目にスイスイと走ることができた。
スピードメーターは100キロを超えないように注意しているが、100キロ以下だとトラックにも抜かされる。
道は快調だけれども、車の調子は走り始めてから30分くらいすると、毎度のことながら少し不安定になる。
燃料に水が入っているかのような感じなのだが、それも走り続けているといつの間にか復調してしまう。
ちゃんと整備に出して点検してもらいたいところだけど、修理工になんと説明したら良いのかわからないので、そのままになっている。

今回はネコも一緒である。
いままでずっとピサヌロークでの宿はアマリンナコンと言う鉄道駅前のホテルに泊まっていた。
古いホテルで、全体的に薄暗く、お化けでも出てきそうな宿であったけれど、宿泊料金はとても格安。
駅前の一等地にありながら、広い駐車場もあり便利だった。
しかし、残念なことにネコの入館は認められていない。
来月は仕事の関係で、ピサヌロークに月の半分か、それ以上滞在しそうなので、ネコをバンコクで留守番させておくには忍びない。
そこで先週から定宿の変更を試みてみた。

車の後部には家財道具とネコ
[ネコも一緒です]

ネコ連れでも宿泊できるところはないかとブッキングドットコムで調べたところ、「バーンミースコー」と言うゲストハウスがネコ連れOKとなっていた。
値段はヒトは一泊朝食付きで450バーツ、同伴するネコは別途に200バーツとのこと。
ピサヌヌローク市内には、ほかにネコOKの宿は検索に引っかからなかった。

バーンミースコー
[建物はタイの長屋式タウンハウスの一部を改装した感じ]

このゲストハウスは市内の中心部から3キロくらい南にあり、夕食場所として気に入っているナーン川沿いの「空飛ぶ空芯菜」のレストランや市場などへはちょっと遠く、滞在先としてはあんまり便利ではなかった。
そして、もともとゲストハウスはあんまり好きではない。
腐って鯛ではないが、古びてもホテルを志向している。
でも、ネコとの滞在にはほかに選択肢がない。

で、最初に部屋へ案内されて、窓からの金色に輝く寺院の屋根を見たらば、その窓からの眺めをすっかり気に入ってしまった。
お寺の名前はワット・チャン・タワントクと言う。
月決めの宿代を聞いてみたらば、まずまず手頃な金額であった。
月決めだと、電気代や水道代は別途で、朝食のや掃除、リネンの交換などのサービスはなくなるが、その代わりネコの連れ込み料もかからないらしい。

ワットチャンタワントク
[この窓からの眺めが気に入った]

ピサヌロークまで5時間かからずに到着。
まずは新しい定宿となるバーンミースコーにネコと荷物を降ろして、今日中にやっておかなくてはならない仕事に出かける。
別に難しい仕事ではないし、夕方までにはやるべきことは終わってしまう。
ここピサヌロークの県知事は、あと1か月ほどでプーケットへ転任されるらしい。
タイの県知事はバンコクなどを除いて、選挙によらず、中央政府からの任命制で、別に地元の人がなるわけではない。
また新しい知事が着任したら、また1からプロジェクトの後援をお願いしていかなくては、、、。

数時間の留守番をネコはゲストハウスの一室で無事にこなしてくれていた。
留守番中に何をしていたのか分からないが、たぶんタンスの引き出しの奥にもぐりこんで隠れていたのだろう。
うちのネコは噛みついたり、引っ掻いたりと凶暴なのだが、根は臆病なネコである。
ベッドの上で、昼寝をしながら私の帰りを待てるだけの余裕が出てくるまでにはまだ少し時間がかかりそうだ。

部屋はそれほど広くない
[部屋はだいたいこんな感じ]

夕食には「空飛ぶ空芯菜」のレストランへ行きたいのだが、運悪く雨が降り出してきた。
距離も2キロ以上もあり、車で行くべきなのだろうけれど、ここへ行けばビールが飲みたくなる。
ビールを飲めば、車の運転は避けねばならない。
部屋の中へ運び込んだ荷物の整理をしながら雨が止むのを待つ。
近くにトタン屋根の小屋でもあるのか、雨音がやたらと大きく聞こえる。

7時近くになって雨は止んだそうだ。
ナーン川沿いに歩いて「空飛ぶ空芯菜」のレストランへ向かう。
ワット・チャンタワントク前の橋を渡る。
さっきの雨のせいだろうか、土手から川へ茶色い水が音を立てて流れ込んでいる。
川の流れも速いようだ。
ナーン川には筏が浮かび、水上レストランになっている。
また、レストランだけではなく、水上生活の民家もある。
聞くところによると、昔はタイのあちこちの川に筏を浮かべて暮らしている水上生活者がたくさんいたそうなのだが、現在はピサヌロークを除いて川の上での生活は禁止されているらしい。
唯一許可されているらしいピサヌロークの水上生活者の筏の家も昔と比べるとずいぶんと減ってしまっているようだ。

ナーン川の水上レストラン
[水上レストランの先に数軒の水上生活者の筏の家が見える]

ナーン川沿いの道は一部で護岸工事でもしているのか、工事中で泥んこ道になっていた。
私の靴底には穴が開いているし、もともと布製のデッキシューズなので泥んこの水たまりには全く処置なしである。
それでも歩くこと30分ほどでナイトバザールのはずれ、空飛ぶ空芯菜の店に到着。

この店で最近気に入っているメニューは「ヤムルアムカオトム」である。
タイ語は修飾語が後ろに来ることになっているので、そのまま訳すとお粥のミックスぴり辛サラダと言うまったく意味の分からないものになってしまう。
が、注文して出てきたものは、お粥とお粥向きのミックスピリ辛サラダのセットであった。
ここにはほかにセットメニューや定食類などなく、すべてアラカルトなのにどうしてこれだけがお粥のセットなのか不思議に感じる。
不思議でも何でも、これが私の口に合う。
ヤムと言うタイ式の和え物と言うか、ピリ辛サラダ自体は大好きなのだが、それに加えてその具材がいい。
ブラサリットと言うタイ式の魚の干物のフライ、塩玉子、パクドーンと言うタイ式のピクルスなどが入っている。
いかにも庶民的なメニューで、適度に塩辛く、酸っぱく、ちょっと甘く、そしてキーンと辛い。
お粥に合うし、ビールとの相性も良い。

ヤムルアムカオトム
[素朴な材料ばかりで作ったヤムだけど、粥ともビールとも相性が良い]

他にも鶏のカシューナッツ炒めなども追加注文して、チャーンビールの大瓶も2本飲んでしまう。
ここの給仕兼会計係をやっている母娘とはもう顔見知りである。
彼女らはここの従業員ではないそうで、調理場と料理を担当するのはオーナーであるレストラン側で、飲み物などだけを彼女らが請け負っているのだそうだ。
収入は飲み物の売り上げとチップだけとのこと。
いつもチップとして小銭を置いているが、受け取るとき他では見られないくらい素直に喜んでくれるのが気持ちいい。

宿への帰り道もとぼとぼ歩く。
ピサヌロークにはタクシーもトゥクトゥクもサムローもあるけれど、夜になると営業をしていないらしい。
もっとも、あったとしても乗らずに歩いて帰るだろう。
ワット・チャンタワントクのお寺の周囲を囲む壁には美人の仏さまがずらりと並んでいる。

ワットタワントクの壁
[塀のレリーフは美人の仏様]

翌朝、朝食が付いていないので、何か近所で食べようと思ったが、朝食として食べたくなるようなものを売っている店が見つからない。
パートンコーと豆乳などの屋台でも出ていれば良いのだが、あるのはビニール袋に入った惣菜や豚や鶏肉の焼いたものなど。
それとやたらとカオマンガイを売る店。
タイ人は田舎の人も肉食好きが多いようだ。
1時間近く歩き回って、なにも得られず、部屋に戻ってうどんを茹でて食べる。

ワットチャンタワントク
[部屋からの眺めは良いが、窓の下にはたくさんのニワトリがいて、未明からコケコッコー]

昼くらいまでに仕事をひと段落つけて、ラチャパット大学近くへオニ蓮を見に行く。
これは昨晩YouTubeで蓮の葉っぱの上に乗るビデオを見てそれがピサヌロークだったので、興味を持ち、地図で調べてやって来た。

オニ蓮園
[田んぼの中の道の奥にあるオニ蓮園]

蓮池は、やはり特別なものらしく、入場料として10バーツ。
タイで蓮など珍しくもないが、私はオニ蓮など見たことがない。
いや、植物園か動物園の池にあったのかもしれないが、関心もなかったので記憶にない。
しかし、ビデオの映像を見てから、実物が見てみたくなった。

オニ蓮園の入場料入れ
[入場料は各自が10バーツを箱に入れる手抜き方式]

四角い大きな池にオニ蓮の葉がたくさん浮かんでいた。
その姿は、緑色をした子供用ビニール製のプールが池を埋め尽くしているかのようだった。
奥の方で、蓮の葉の上に乗っている人がいる。
近くへ行ってみると、蓮の葉の上に乗るのを手助けしてくれる係員がいて、蓮の葉乗りは別料金だそうだ。
金額は書いていないようだったけれど、たずねたら100バーツとのことであった。

巨大な蓮の葉
[池は巨大な蓮の葉で埋まっている]

この蓮の葉乗りは人気があるようで、何人かの観光客が来ては蓮の葉の上でポーズを決めている。
大きな丸い葉が池を埋め尽くしており、その蓮の葉の上を自由に歩き回ってみたいところだけれど、人が乗れる蓮の葉の上には、緑色のマットが敷かれており、そのマットの上でなければ、蓮の葉が破れてしまうらしい。
なので、葉の上に乗っても動くことはできず、じっとしているだけ。
しかも、強い日差しを遮るものもなく、写真のモデルをしている時間はそれほど長くないようだ。

蓮の葉乗り
[蓮の葉乗り、一回100バーツ]

係員にオニ蓮も花が咲くかと聞くと咲くと言う。
後ろの池に行けば見せれるよと言うことなので行ってみる。
ひろい池に無数の巨大な蓮の葉が浮いているが、花はツボミが一つあるだけであった。
ピンク色したやはり巨大なツボミであった。
蓮の花は朝咲くものと思っていたが、このオニ蓮の花は午後遅く、3時から4時ころに花が咲くそうだ。
しかし、それまで待てるほど時間の余裕もないので、ふたたび仕事に戻る。
ビジネスシューズが泥んこになっていた。

オニ蓮のツボミ
[午後遅くに花が咲くらしい]

ピサヌロークもまだまだ知られていない観光スポットがあるようだ。

タイ人は写真が大好き
[写真が好きなタイ人には人気が出そう]

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| 日常 | 08:32 PM | comments (0) | trackback (0) |
ペッチャブーン
木曜日の夕方4時過ぎ、突然ピサヌローク県庁から電話がかかってきた。
電話に出ると、知事に取り次がれ「明日の午後1時から会議をするから」という。
どうも会議の内容からして、私のやっていることが議題の中心に位置しているらしく、参加しないということは状況的に見て不可能に近い感じであった。
大急ぎで翌日のスケジュールを繰り合わせて、ピサヌロークに向かうことにした。

ネコの発情期
[ネコたちは発情期を迎えたらしい]

8月3日金曜日の午前7時過ぎに車でアパートを出発。
ガソリン代を考えたらば、高速バスで向かうのが一番安上がりなのだが、午後1時の会議に間に合わなくなる可能性が高い。
それに先日高速バスでピサヌロークへ行こうとしたら、バンコクのバスターミナルまでアパートから2時間もかかり、さらにバスの出発まで1時間以上待たされ、挙句の果てはピサヌロークのバスターミナルは街からとんでもなく遠い辺鄙なところで、夜9時に到着して往生してしまった。

その車なのだが、アパート前から高速道路に乗り、走り出してしばらくしたらなんだかエンジンの調子が少しおかしいようだ。
エンジンの出力が一定しないし、途中で突然スピードがカクンと落ちたりする。
ちょっと止めて点検したいけど、点検しても私には手に負えないだろう。

バンパインで高速を降り国道1号線に合流したところで渋滞にはまる。
アイドリングの回転数がいつもより遅い感じがする。
それに発進しようとすると、スムースな加速ができずムラがある。
タコメーターも変な動き方をしている。
ピサヌロークまでエンコしないでいてくれるといいのだけれど。

最近はタイの国道に自動速度取り締まり機がたくさん設置されているようだ。
私も知らずに走っていて、途中でパシャりとフラッシュが光るのを体験している。
その後はいつ罰金の請求書が届くかと思って、不愉快な気分がしばらく続くのだけれど、いまのところ請求書は届いていない。
プロドライバーに聞いたところ、なんども違反を繰り返すと請求書が来ることになっているらしい。
ピサヌロークまで380キロ、4時間半で走ろうとすれば、どうしても100キロ以上のスピードを維持しなくてはならないけれど、国道の制限速度は90キロとなっているから、今日は5時間くらいを目標にすれば、スピードオーバーの心配もないだろう。

ところが、急なことだったので、不在中の業務引継ぎが間に合わず、ひっきりなしに携帯電話がメールの着信音を発している。
ときどき停車して、メールに目を通して、急ぎのものには返事を入れたりしているため、運転に集中できない。
そのためナコンサワンまで4時間以上もかかってしまった。

ピサヌロークの街まであとちょっとと言うところで検問に引っかかる。
スピードも守っていたし、シートベルトもしているのに、なんでだろうと思ったら、「税金未払いだ」と言われる。
そんなことはない、税金は去年保険や車検と一緒に業者に手続きしてもらっている。
車検証にも納税済みと書かれているはずなので、車検証をダッシュボードから取り出したらば、車検証の中にフロントガラスに貼る納税ステッカーが挟まったままになっていた。
どうもいままでずっとステッカーを貼り替えずに走り続けていたらしい。

県庁の会議室にはギリギリで飛び込むことができた。
何時間前に淹れたかわからないほど冷えたコーヒーとスポンジケーキがテーブルに用意されていた。

会議そのものは、2時間ほどで終わった。
私もタイ語、英語で滅茶苦茶なスピーチをして、プロジェクトの説明や協力要請を話した。
おおむね熱意だけは伝わった感触を得られた。

時刻は3時すぎ、いまからバンコクへ帰れなくない時間だけれど、どうせもう職場へ入るには遅すぎるだろう。
今晩はこのままピサヌロークに泊ってしまって、今日はこの土地に関しての調べ物などをして仕事をしたことにしてしまう。

旧市街の中心、時計塔
[タイは街なかにあまり時計がないが、時計塔が街の中心になっているところも多い]

翌4日土曜日。
県庁の事務局長から紹介されたサプライワン・リゾートという郊外のリゾートへ行ってみる。
象がたくさんいて、象に乗ったり、ラフティングができると聞かされていた。
正直なところ、象に乗るのにもあんまり興味がないし、ラフティングは去年の慰安旅行で体験しているので、このリゾートには大して期待をしていなかった。

街からは1時間ほど走った国道12号線沿いの山の中にあった。
かなり大きな敷地を擁して、自然のままの森の中をすすむ。
ところどころにコンクリートか何かで作られた等身大の象が配置されていたり、どういうつもりか恐竜までいたりする。
「来なくても良かったかな」と思いかけたところでリゾートのレセプションに到着。
来意を告げたところ、総支配人に取り次がれた。

リゾートのロビー
[少々閑散としていたロビー]

ここには十数頭の象が暮らしているとの説明を受けた。
しかし、象に乗れるというのは間違いで、ここでは象に乗れない。
ここは象たちのサンクチュアリーで、象を使役に使うことはポリシーに反するということらしい。
確かに昔チェンマイに住んでいたころのトレッキングコースはどれも、コースの途中で象に乗ったり、竹筏が組み込まれていて、西洋人に人気であったけれど、最近チェンマイへ行って驚いたのは、どのトレッキングツアーも「象乗りなし」を謳っている。
象乗りが虐待と考えられるようになり、象には乗るのではなく、象の世話をするなど、象との交流が取れるプランに人気が集まっているようだ。
ここも同様で、滞在者が象たちの世話をすることができることを売りにしている。
ちょうどアメリカから二十人ほどの学生たちが象の世話を体験するために一週間ほど滞在しているところだという。

大きなプール
[11月から2月までは寒くて泳ぐ人はいないらしい]

リゾートの裏には川が流れており、ラフティングができるようになっていた。
9キロのコースで途中には激流となるところもあるのだそうだ。
「ラフティングは体験したことがあるか」と聞かれたので、昨年プラチンブリで体験したけれど、水が少なく、長閑だけど退屈したと正直に答えたが、ここのは違うから、やってみないかと誘われる。

ラフティング
[バンコクからブロガーたちが招待されていた]

象たちは、森の奥にいた。
自由に放牧されているわけではなく、つながれていたが、のびのびしていて、また人懐こい象たちばかりに感じた。
牙のないメス象たちばかりで、「オスはいないのか」と質問したら、オスは別のところにいて、一緒にしないのだそうだ。

ゾウ
[ここの象たちには仕事がないが失業しているわけではない]

石油缶で薬草を煮詰めており、これで象の身体を擦ってやるのだそうだ。
これは象たちのためのスパなのだそうだ。
象の世話をしたい人は、朝早く、象の好きな草の刈り取りに出かけて、象たちの朝食の支度をし、またハーブアロマスパを施してやるのだそうだ。
つまりここでは象は働かない。
その代わり、人間たち、それもお金を払って滞在しているお客様が、象たちのために働くのである。
これが正しいことなのかどうかは私には判断がつかないけれど、私を含めてこういう事が好きな人と言うのは世の中にいるものだろう。
象の世話もネコを飼うのと同じなのかもしれない。

ゾウ
[ここの象たちは毎日なにを考えているのだろう]

ちょっと覗くだけにしようと思っていたけれど、リゾート内の見学に結構時間がかかってしまった。

国道12号線をさらに東に進みペッチャブーン県に入る。
このあたりはタイのスイスとタイ人たちが呼んでいて、観光開発が進み始めている。
ヨーロッパのシャトー風コンドミニアムの広告看板なんかも立っているし、やたらとカフェが国道沿いにある。
このあたりにも山岳少数民族がいるのか、少数民族の衣装を売る土産物屋も軒を連ねていたりする。
山の中ではあるけれど、先ほどのリゾートと違い、森林は切り開かれて、山の斜面は見渡す限り開墾されて畑となっている。
木々に覆われていないから、見晴らしは効くし、幾何学模様のような斜面の畑もキレイではあるけれど、スコールなどで表土は流されやすいだろうし、自然破壊とも感じられる。

国道12号線沿いの景色
[ペッチャブーンとの県境]

タイのスイス
[タイのスイスだそうです]

最近タイ人の間で人気の高い、パーソーンゲーウ寺に行ってみる。
タイの人たちは自撮り写真が大好きである。
そしてその自撮り写真の背景として、この寺がソーシャルネットワークで拡散している。
山の稜線の上にあって、見晴らしがよいこともあるが、それ以上に前衛芸術的な寺になっている。

パーソンゲーウ寺
[お寺の裏側から回り込む]

お昼時に到着したのだけれど、広い有料駐車場が満車になりそうなくらいたくさんの車が来ている。
道は東京の原宿通りではないかと思うくらいの人出である。
それがあっちでも、こっちでも立ち止まっては、腕を伸ばし、自撮りポーズを決めている。

前衛的な仏塔
[キンキラとイボイボでカラフルな仏塔]

寺は巨大な仏塔と、白い大仏が道を挟んで並んでいる。
巨大な仏塔は、てっぺんが金色に輝き、その下がイボイボになっていて、そのイボイボがやたらとカラフル。
近づいてよく見てみると、イボイボに見えたのは、ベンジャロン焼きの器のフタを埋め込んだもの。大小さまざまなベンジャロンのフタが仏塔の表面を埋め尽くし、あるいは色付きのガラス玉がはめ込まれている。
バンコクの暁の寺なども、陶片が仏塔全体に貼られているが、ここのは陶器のカケラなんて廃物利用ではなく、タイ王室の食器として知られる高級陶器のベンジャロンをそのまま使っているのである。
なんとも贅沢な装飾。
贅沢なお寺ではあるけれど、本来は贅沢とは無縁の瞑想活動をするためのお寺だという。

五連の座像
[たくさんの仏像がタイにはあるけど、5連で並んでいるのは珍しい]

白い大仏も一風変わっていて、純白で巨大な座像が五体前後一列に並んでいる。
一番前の座像が一番小さくて、その後ろは頭一つ分大きく、またその後ろも更に頭一つ分大きいといった感じで、一番後ろが一番大きく、また一番後ろだけ金色の被り物を頭に乗せている。
なんとなく全体的にテーマパークみたいなお寺なのだけれど、さて一体ここのテーマは何なのだろうかもよく私にはわからない。
あんまり仏様のありがたみを感じられるといった感じではないし、たくさん来ているタイの人たちも参拝に来ているというよりも遊びに来ていると言った感じである。

五連仏正面
[白と銀が最近のタイのお寺で流行している感じ]

このお寺の周辺もカフェだらけで、仏具やお寺への寄進ものを売っているような店は見当たらず、観光土産品を売っている店ばかりである。
ますますもって俗っぽく感じ、同じ瞑想のお寺でもバンコクのパクナム寺とは一線を隔しているようにも感じられる。
もっとも、近年パクナム寺の大仏塔内部のカラフルなドーム天井がインスタ映えするとかで、日本からの観光客が自撮り目的でやって来るようになっているから、時代は変わっているのかもしれない。

絶景カフェ
[崖の上にテラスを張り出したカフェがいくつも並んでいる]

さて、もう昼過ぎではあるけれど、寺周辺のカフェに入って昼食を食べる気にならないし、それにどこもすごい混雑。
昼食をどうしようかと思っていたら、このお寺自体に参拝者用の食堂があると拡声器ががなっている。
しかも無料だという。

イボイボを拡大
[イボイボの正体はベンヂャロン焼き]

案内している方角に行ってみると、見晴らしのいいところに新しくて、清潔感のある食堂があった。
無料の食事でどんなにか混雑しているだろうかと気にしながら来てみたのだけれど、拍子抜けするほどガラガラ、二組ほどが静かに食事をしているに過ぎなかった。
社員食堂風のつくりで、簡素ではあるが、ブッフェラインにはグリーンカレーにライス、そしてカノムチーンと呼ばれるタイのソーメンなどがあった。
お寺なので精進料理と言うわけではなく、カレーにはふんだんに肉が入っているし、カノムチーンのスープには魚のすり身が入っている。
デザートにはパパイヤが切ってある。
無料ではあるが、お賽銭箱のような箱が用意されており、先に食べ終わった人が箱に喜捨を入れるのを見たらば、箱の前で手を合わせてから、赤いお札を箱の中に入れていたので100バーツあたりが相場なのだろう。

セルフサービスのランチ
[無料のランチはブッフェ方式]

私も食べてみたが、すごくおいしいというものではなく、なるほどタイのお寺さんで食べるのはこんな感じのものなのかと勉強にはなった。
食べ終わった食器は自分で洗うということになている。

無料食堂からの景色
[素晴らしい景色を楽しみながら食事ができる]

午後2時過ぎにパーソーンゲーウ寺を出発し、ペッチャブーン側へ山を下ってバンコクへ向かう。
グーグルマップで確認するとバンコクまで390キロとなっている。
所要時間は5時間半ほどと表示されているが、これも制限速度以内で走ったら、信号待ちなどもあったりするので、もう少しかかるだろう。

お寺のトイレ
[このお寺のトイレはタイで最もきれいなトレイの1つだろう]

山の上は涼しかったけれど、国道21号線まで降りてくると、やっぱりタイの暑さに戻ってしまった。
それに西側から差し込む日差しも強い。
今年の夏も日本ではタイよりもひどい猛暑らしいが、いったい日本の気候はどうなってしまったのだろう。
気温が40度近くまで上がるなんて、異常事態だと思う。
夏暑く、冬寒くて、四季がはっきりしているのは悪くないが、ここまで暑くなったら、もう情緒も何もあったものではないだろう。

国道21号線をひたすら南下。
右側にはまだ山並みが遠く道に並行して続いているのが見える。
時速は90キロから100キロの間くらいに保っているが、後ろからビュンビュンと抜かされる。
特にピックアップトラックなどは真っ黒な煤煙を撒き散らしながらすっ飛んでいく。
ノーヘルのバイクも二人乗りで追い抜いていく。
私も大型トレーラーを抜いたりする。
片側二車線のハイウェイなので、走りやすいけど、単調な道が続いている。
ときどきポットのコーヒーを啜ったりする。
今日は土曜日なのでメールの着信音もほとんど鳴らない。
このあたりはタマリンドの産地らしく、沿道ではタマリンドを売る露店があちこちに出ていた。
相場はだいたい4キロで100バーツとなっているが、タマリンドが4キロなんて相当な量になるだろう。

午後5時前、タイ式焼き鳥のガイヤーンで有名なウィチャンブリーを通過する。
温泉(SPA)がこの先にあることを示す標識が見えた。
ちょっと立ち寄ってみてもいいかなと思う。
そろそろこの辺だろうかと思ったところに、温泉入り口の看板は見落としたのか見当たらず、どうやら行き過ぎてしまったらしい。
まぁ、いいかと思って、そのまま先に進んだら、また別の温泉の案内が出てきた。
こんどは見逃さず、対向車線側に入って左折、田んぼの中の田舎道に入り込む。

温泉入り口
[ちゃんと日本語も付いている]

こんなところに温泉などあるのだろうかと思ったが、道沿いにあった。
しかも「バーンクルー温泉」と日本語まで付いている。
入浴可能ということで、入浴施設を見せてもらう。
すべて個室で、大きな個室は200バーツ、小さな個室は50バーツとのこと。
安い方に入ることにする。
入浴時間は20分とのこと。
ちょっと短すぎるような気もするが、浴槽が小さいし、のんびりと長湯をしたくなるような施設ではない。
設備は極めて簡素、掃除はしてあるが、シャワーもなければ、脱いだ服を掛けるハンガーもない。
浴槽のほかにあるのは、小さな台だけ。
手桶代わりの小さなプラスチック製の洗面器がひとつ。
石鹸シャンプーなどの備え付けはないが、バスタオルは貸してくれる。

50バーツの浴室
[大変簡素な浴室]

お湯の温度は43℃くらいだろうか、浴槽に貯めたらば、水でうめる必要のないくらいの適温となった。
源泉の温度は48度と案内板にあったが、ここまで引くうちに少し冷めるのだろう。
泉質はほんの少しぬめりを感じるまろやかな泉質で、ウタイタニのサモートン温泉と似ている気がする。

バーンクルー温泉
[温泉の敷地内]

しかし、20分の入浴時間は短かった。
汗だくのままシャツを着て、ジーパンを履く。
この温泉の名前は、バーンクルーと言い、日本語にしたら「先生の家」。
女主人に聞いたところ、女主人はもと学校の先生で、リタイヤ後にこの施設を始めたそうだ。
ここを作って11年になるそうで、それ以前から温泉は湧いていたけれど、使われていなかったということだった。
残念ながら宿泊施設はないらしく、しかも浴室には照明もなく、日中しか入浴はできない感じだった。

浴室の明り取り天窓
[浴室内に照明はなく、天井や壁の明かりとりから差し込む光だけ]

温泉だからか、なかなか汗が引かないまま、車のエアコンを強くして、バンコクへ向かって再び走る。
まだ240キロほどもある。
入浴した後は、ビールでも飲んで、それにこのあたりの名物のガイヤーンでも食べて行きたいところだ。
でも、ネコも待っていることだし、あと数時間走らなくては。

給湯タンク
[小さな個室式浴室が並び、大浴場はない]

やっとサラブリあたりまで来ると、やたらと大型トラックが多くなり、交通量もぐっと増える。
そして大型トラックの運転が荒くなり、小さな車で大きなトレーラーやダンプに挟まれて走るのはあんまり気持ちの良いものではない。

バンパインから高速道路に入り、アパートに到着したのは夜9時少し前。
寄り道をしたが、この2日間で900キロ以上を走ったことになる。
行くときはエンジンの調子が悪くて不安だったけれど、それもいつの間にか復調してしまっていた。

ネコ
[次に生まれてくるときはネコではなくて、ゾウがイイのかな]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=112 |
| 日常 | 04:46 AM | comments (0) | trackback (0) |
航空性歯痛
馬祖島で最後の朝食を食べているときだった。
奥歯に突然刺すような痛みがあり、その後も少しうずくような感じがあった。
しかし、大したことはないだろう。
虫歯でもできたかなくらいに思っていた。

一眼で撮った青の涙
[フィルム一眼キヤノンAE-1で撮影した馬祖島の「青の涙」はちゃんと写っていた]

一眼で撮った津沙集落
[津沙集落の写真は焼いたばかりなのにもうセピア色っぽいのはフィルムが古かったからかな]

バンコクに戻って2日が過ぎた5月18日になって念のために歯医者に行ってみた。
予約なしの飛込であったが、何度か行ったことのある歯医者のため、さほど待つこともなく診察を受けられた。

「あー、クラウン(かぶせもの)が外れかかってますね」と言うことで、その場で填めてもらった。
最初に歯痛があったので虫歯の有無を確認してもらったが、虫歯はないとのことであった。
填めてはもらったのだが、何か噛み合わせが悪く感じたので、そのことを訴えたところ、歯を少し削って調整をしてくれた。
でも、まだなんだか噛むと歯の根っこのところが疼くように感じるが、「そのうち良くなるから」と言われて、治療費1,020バーツを支払う。
歯は保険が効かないので、やたらと高く感じる。

5月21日の朝、通勤のためアパートから30分ほど歩いて、もうすぐクロンタン駅と言うところで、突然奥歯に激痛が走った。
それはまるでペンチで奥歯をへし折られるかのような痛みで、目から火花が飛び、目の前が真っ暗、立っていられずにその場にしゃがみ込んでしまった。
なんなんだこれは!

まったくの突然のことで、いったい何が起きたのかさっぱりわからない。
わかるのは奥歯が激しく痛いということだけ。
歩くこともままならず、これでは出社は無理と判断。
時間が経つにつれて、少しずつ痛みが引き始めたので、そのまま歯医者へ向かうことにした。

しかし、まだ朝早く、歯医者で診察を受けるまでに2時間以上も待つことになった。
その間に外では土砂降りの雨が降り始めた。
「噛み合わせが良くないのかもしれない」と言われてまた歯を削られる。
そのころにはもう痛みはほとんど収まっていたし、まぁそんなものだったのかとも思って、そのまま雨の降る中、トボトボとラチャダ通りのバス停まで歩く。

歯医者の場所はディンデンという下町で、小さな縫製作業場の多いところ。
路地が多くて、道は入り組んでいる。
本当に迷路のようで、行き止まりの路地が多いから、迷い込むと脱出が大変な地域でもある。
そんな細い道に古い小さなトラックが止まっていた。
赤くて可愛らしいトラックだが、なんだか懐かしさの感じられるトラック。
どこのメーカーだろうか、古い英国製トラックのような半キャブオーバー構造になっている。
"ToyoAce"と書かれている。

初代トヨエース正面
[裏町の路地で見かけた古い赤いトラック"Toyo Ace"]

トヨエースって、トヨタの小型トラック。
子供のころ、チリ紙交換に回ってきていたトラックもトヨエースだったが形が違う。
あとでネットで調べてみたら、この赤いトラック、今から60年以上も前の初代トヨエースであった。
私が子供のころにチリ紙交換で回っていたのは2代目のトヨエースらしい。
それにしても、ずいぶんと改造されているとはいえ、古いトラックが生き延びていたものだ。
なんだか、欲しくなってきてしまった。

初代トヨエース側面
[側面から見るとキャブはタイ式に改造されてドアを撤去して半分オープン構造]

その後しばらくは、奥歯のことなど忘れていた。
少し疼くかなとも思ったが、我慢できないほどではないし、それに虫歯になっていないと言われていたので安心しきっていた。

6月最初の週末、急にカオラックへの研修旅行に参加することになった。
6月2日土曜日の朝、プーケットまでは飛行機。
ひさびさのタイ航空で、なんとジャンボジェットだった。
中華航空のように2階席のビジネスシートという訳にはいかなかったが、非常口横の席で、足元だけは広々だった。

タイ航空のジャンボ機
[バンコクからプーケットへの国内線でタイ航空のジャンボ機に乗る]

機内はインドからの乗り継ぎ客か、インド人ばかりでほぼ満席であった。
中国人観光客同様に、機内では騒がしい人たちだが、さらに身体に塗っている香油の匂いが機内に充満する。
タイにいながらにして、インドの国内線に乗っている気分になる。
離陸して、順調に高度を上げ始めた時、またしても奥歯に電撃的な激痛が走る。

あの時よりも激痛は激しく、気が遠くなりそうであった。
髪の毛を掻きむしりながら必死に我慢する。
なんなんだこれは!
機内サービスのスナックや飲み物が配られているが、こちらはそれどころではない。
シートになど座ってられず、非常口前であることをよいことに、床の上にしゃがみ込んでしまう。
全身汗だく、きっと顔面蒼白、怒髪天を突き、心身衰弱。
CAから、席に着いてシートベルトを締めるよう注意をうける。

シートベルトどころか、もう半狂乱で、このまま非常口を開いて外へ脱出したいくらいの気分であったが、プーケットに近づき、機体が降下を始めたら痛みが嘘のように消え始めてしまった。
なんなんだこれは!

プーケットに着陸し、ネットを使って現象から検索をしてみると「航空性歯痛」というものが該当するらしいことが判明。
これは歯根内にある空洞の気圧と外気圧との差によって、神経を圧迫されたり、患部の膿が詰まったりして激痛を起こすもので、歯が破裂することさえあるという。
気圧の急激な変化により引き起こされるため、台風が近づいたり、高い山へ登っても起きるという。

そう、前回の激痛もきっとスコール前で急に気圧が下がったため、激痛が発生したんだろう。
飛行機のパイロットも航空性歯痛を避けるため、歯の健康が確認できないと乗務できないらしい。
何ということだ、次の週末にはまた台湾へ行って、山登りをしようと思っているのに、飛行機も山登りも激痛の原因になるとは。

翌日バンコクへ戻る飛行機に乗るのが怖くなってきた。
飛行中、歯が破裂したらどうしよう。
それに、回を重ねるごとに痛みが激しくなってきている。
嫌だ、もうあの痛みは嫌だ。

そうだ、バンコクまでバスで帰ろう。
夕方には研修が終わるから、そのまま夜行バスに乗って帰ればいいんだ。
空港内のタイ航空の発券カウンターへ行って、切符の払い戻しができるか確認してみたら、出発の3時間前までにキャンセルすれば大丈夫と言われる。
よし、バスだ。
それが安心だ。

会社へ飛行機ではなく、夜行バスに変更したい旨メッセージを送る。
折り返し、「わかってるとおもうけど、月曜日は遅刻しないでね」と返事が来る。
プーケットを夜出たバスは何時にバンコクに着くのだろう。
それに1泊2日の予定で出てきたので、ネコのことも気になる。

ホテルのスタッフにバスのことを確認してみる。
カオラックからもバンコク行きのバスはあるそうで、12時間くらいで到着するらしいが、バスターミナルはバンコクの郊外にあり、そこから市内までが遠いのだそうだ。
どうするか悩む。
「あしたの昼までに連絡してくれれば、バスの切符を用意しておきますよ」とまで親切に言ってもらえた。

研修とはいえ、観光旅行のようなもので、おいしい料理もいただき、豪華なリゾートホテルにも泊めてもらい、ずいぶんと楽しませてもらったが、奥歯のことで他の参加者にも心配をかけてしまった。

カオラックの夕日
[モンスーンシーズンで少し波が高かったけど、きれいな夕日を眺めることができた]

6月3日、さてどうするか。
ホテルの副社長さんまで心配してくれながらも、大丈夫と励ましてくれる。
「自分も飛行機に乗るとよくなるんだ」
「コツがあってね、鼻をつまんで息を詰めれば治るから平気だよ」
などなどと言ってくれる。
うーむ、バンコクまでの1時間のフライト、鼻つまんで息を詰めていたら、歯痛の前に窒息死してしまいそうだ。
しかし、ここまで言われて、「でも怖いんでバスにします」とは言えなくなってしまった。

カオラック・タクアパーの媽祖廟
[カオラック北部のタクアパーは華僑の町で、なんとなくバトゥパハに似ていた]

夕刻、無事に研修を終えてプーケットの空港で解散となる。
歯痛にはタイレノールという鎮痛剤が効くらしいというので、一度に4粒ほど飲んで準備する。
「寝てしまえば痛みを感じないはず」らしいというが、同じように睡眠薬を飲んだら、なんだかそのまま起きられなくなりそうなので、睡眠薬は自重する。
その代わり搭乗直前にさらにタイレノールを2粒服用する。

帰りの飛行機のシートは非常口横ではなかった。
狭いシートに座り、シートベルトを緊張しながら締める。
機内は満席。
インド人は減り、西洋人や日本人観光客の比率が増えた。

離陸して、高度を上げ始める。
じっと目を閉じて、あわよくば寝てしまおうと試みる。
しかし、離陸して数分もたたずに激痛は襲ってきた。
しかも、合計6粒もタイレノールを服用しているのにも関わらず、過去最大級の規模で奥歯から顎にかけて、破廉恥なほど痛む。
狭いシートで、身体をよじり、頭を掻きむしり、手の指にあり歯痛を止めるというツボをボールペンで押しまくる。
発狂寸前の状態に、となりの席のタイ人が心配してCAを呼んでくれるが、CAは"Are You OK?"と聞くだけ。
こちらはとても話ができるような状態ではなく、なにも答えられず、肩を震わせ、首を打ち振るのだが「マイペンライナー」と言って無視されてしまった。
その後もなんどか、隣の人がCAに声をかけてくれていたようなのだが、もう苦しくて周りの声など耳に入らなかった。

運が悪いというか、空港が混雑していて着陸許可が出ないとかで、20分近くバンコク上空を旋回したため、往路以上に苦しい時間が長かった。
しかし、着陸してしまえば歯痛は嘘のように消えてしまった。

翌6月4日月曜日、職場から歯医者へ電話をして事情を説明し、夕方6時の予約を取った。
日中は別に歯が痛むようなこともなく、このままずっと歯が痛まなければいいのにと思いつつも、週末の台湾行きが不安でたまらない。

定時に退勤して、大急ぎで歯医者までバイクを飛ばして向かったものの、診察室に入るまで1時間以上も待たされてしまった。
さらに、歯科医は私の口の中を確認しようともしない。
私はどれほどの苦痛だったかを訴え、気圧の変化でトラブルが起きることを説明したが、「私もなったことがあるから判るわよ」と言う。
ならば根本治療をしてほしいところなのだが、「時間が経てば少しずつ良くなるから」と言われる。
虫歯をはじめとして、歯のトラブルが擦り傷みたいに自然治癒していくなんて聞いたことがない。
しかし、相手は歯科医師だし、当然私より知識があるはずで、本当に時間が解決してくれるのなら、私としても御の字ではある。
でも、今度の週末までの時間で治癒するとは思われない。
「じゃ、痛み止めと、抗生剤を出しとくからそれ飲んでなさい」
と言われて、診察室から出されてしまう。
薬局で買えば100バーツもしなさそうな薬に高いお金を払わされて帰宅する。

夕食後から飲むようにと言われていたので、ピンク色した大粒の錠剤と、カプセルの抗生剤を2錠ずつ飲んだ。
が、少しして体調に異常を感じ始めた、なんだか朦朧としてきて、それでいて心拍数が上がっているように感じる。
さっきの薬が原因のように感じて、ネットでどんな薬を処方されたのか確認した。
ピンクの錠剤はタイでは一般的な鎮痛剤のようだったが、カプセルはアモキシシリンであった。

歯医者で処方された薬(アモキシシリン)
[歯医者で処方された薬、カプセルはアモキシシリン]

私はペニシリンとアモキシシリンに対して酷い拒絶体質のため、服用は禁止されていると、歯医者のカルテにも記載されているはず。
チェンマイにいた時も、アモキシシリンのアレルギーで死にかけて大学病院に緊急入院までしたことがある。
大急ぎで、トイレに駆け込み、喉の奥に指を突っ込んで夕食もろとも吐き出した。
溶けかかったカプセルが出てきたのが見えた。
さらに何リットルも水を飲んでは吐いて、胃の洗浄を試みた。

身体の異常は収まらず、とにかく床について寝てしまうことにしたが、なかなか寝付けない。
一晩中ウトウトするばかりであったが、朝になったら心拍も平常に戻ったようだし、朦朧とした感じもなくなった。
どうやらアモキシシリン中毒にはならずに済んだように思えた。

もうあの歯医者は信用できない。
早速別の歯医者にかかることにした。
職場のあるビルの1階の歯医者なので、仕事を抜け出して治療を受けるのにも便利だ。

「レントゲンで確認してみましょう」と若い女性の歯科医は言った。
奥歯にはクラウンを被せてあるので、外からは確認できない。
「歯根の先に膿が溜まって、感染症になってるわね」
「歯根の治療は1万2千バーツだけど治療しますか?」
もっと安く上げるには抜歯と言う方法しかないらしい。
歯は抜きたくないので、泣く泣く治療をお願いする。

が、現在のクラウンは再利用できないそうで、また新しく作り直しと言うことらしい。
「これと同じ材質のものだと2万バーツからだけど、もう少し安いのもあるわよ」
なんてこった。

ちゅーる
[ネコにCiaoちゅーるを与えてみる 臭いが気になって仕方がないらしい]

ちゅーる
[ちびちびなんて舐めてられなくて、ガブリ、、これ一本が15バーツ ネコには贅沢すぎかも]

6月5日火曜日、なんだかインキンタムシにでもなったかのように股間が猛烈に痒い。また、手首や足首も南京虫に噛まれたように痛痒い。
時間が経過するにしたがって、身体全体が赤く腫れあがり始め、全身が痒くなる。

6月6日水曜日、前夜から痒みでもがき苦しみ、とてもではないが出社できる状態ではなくなる。
また、全身がむくみ始め、薬指にはめた結婚指輪が、指に食い込んで、指が千切れそうに痛い。
これはチェンマイの時の症状と同じだ。
朝一番でサミティベート病院ヘ駆け込む。
血液検査をし、アレルギー専門医の診察を受ける。
「アモキシシリンの拒絶反応、なんでもっと早く来ないの」と叱られる。
抗ヒスタミンとステロイドの注射を打ってもらったら、痒みがだいぶ収まった。
飲み薬もステロイドと抗ヒスタミンをたくさん処方される。

午前中に歯科医で、歯根の治療を受ける。
歯科医師も2日前とは違ってむくみ、赤く腫れあがった私を見て驚いていた。
歯根の中の空洞に薬を充填してもらい、気圧の変化の影響を受けないようにしてもらった。
これで飛行機に乗っても大丈夫なはずとのこと。

その後、注射の効力が落ちてきたのか、ふたたび全身が激しく痒くなるし、むくみも酷くなる。
夜は痒くてとても眠れたものではない。

6月7日木曜日、サミティベート病院から入院を勧められる。
しかし、明日から台湾へ山登りに行く予定になっているから、入院しなくても済むように治療してほしいと訴え、また注射を打ってもらう。
また、昨日の薬よりも強い薬と睡眠剤を処方してもらう。

6月8日金曜日、午前中の半日仕事をして、午後にサミティベート病院へ行く。
昨日もらった睡眠剤では、痒みに勝てず、眠れなかったことを訴えて、さらに強い睡眠剤を出してもらう。
「お風呂に入ってはだめだからね、それとアルコールもダメですよ」と言われるが、「台湾の温泉に行って、お酒飲むのが楽しみなんだから勘弁してください」と懇願したところ、「そのぶん治るのに時間がかかって、辛い思いするわよ」と警告を受ける。
「辛くても我慢しますから、いまできる治療をお願いします」と言って、また注射を打ってもらう。
薬ではあまり効き目はないが、注射は数時間は痒みが収まるようだ。
それと股間や手首、足首の痒みは収まり、胸や腕、腿に背中など痒い部分が体の中心へ移転し始めているようだ。

台湾では温泉と紹興酒三昧で、おかげでアレルギーは改善しなかったが、精神面では開放されて、夜もよく眠れた。

6月15日金曜日、サミティベート病院で診察を受ける。
まだ痒みは少し残っているが、身体のむくみはすっかり取れてきたようだ。
あと一週間ほど薬を飲み続けるように指導を受ける。

ピーターコン
[体調が悪くても飛び回ってます 16-17日の二日間ピーターコン祭りへ1000キロドライブ]

6月20日水曜日、歯医者にて治療の続きを受けるが、他にも外からは見えないが、虫歯とか歯根の炎症などが起きている可能性があるのではないかと疑い、全部の歯をレントゲンで撮ってもらった。
そしたら、どうも前歯2本と奥歯の2か所に虫歯か欠損部分があるように影ができていた。
特に奥歯はクラウンを外してみないとわからず、もし欠損や虫歯だとクラウンの作り直しが必要になるらしい。
早いうちに見つかってよかったと考えるべきか、こんなもの死ぬまで見つからないでいてくれればよかったと考えるべきか悩むが、航空性歯痛から解放されると、どうも見なかったことにしたい気持ちが大きくなってくる。

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| 日常 | 06:20 PM | comments (0) | trackback (0) |
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