馬祖島で最後の朝食を食べているときだった。
奥歯に突然刺すような痛みがあり、その後も少しうずくような感じがあった。
しかし、大したことはないだろう。
虫歯でもできたかなくらいに思っていた。
[フィルム一眼キヤノンAE-1で撮影した馬祖島の「青の涙」はちゃんと写っていた]
[津沙集落の写真は焼いたばかりなのにもうセピア色っぽいのはフィルムが古かったからかな]
バンコクに戻って2日が過ぎた5月18日になって念のために歯医者に行ってみた。
予約なしの飛込であったが、何度か行ったことのある歯医者のため、さほど待つこともなく診察を受けられた。
「あー、クラウン(かぶせもの)が外れかかってますね」と言うことで、その場で填めてもらった。
最初に歯痛があったので虫歯の有無を確認してもらったが、虫歯はないとのことであった。
填めてはもらったのだが、何か噛み合わせが悪く感じたので、そのことを訴えたところ、歯を少し削って調整をしてくれた。
でも、まだなんだか噛むと歯の根っこのところが疼くように感じるが、「そのうち良くなるから」と言われて、治療費1,020バーツを支払う。
歯は保険が効かないので、やたらと高く感じる。
5月21日の朝、通勤のためアパートから30分ほど歩いて、もうすぐクロンタン駅と言うところで、突然奥歯に激痛が走った。
それはまるでペンチで奥歯をへし折られるかのような痛みで、目から火花が飛び、目の前が真っ暗、立っていられずにその場にしゃがみ込んでしまった。
なんなんだこれは!
まったくの突然のことで、いったい何が起きたのかさっぱりわからない。
わかるのは奥歯が激しく痛いということだけ。
歩くこともままならず、これでは出社は無理と判断。
時間が経つにつれて、少しずつ痛みが引き始めたので、そのまま歯医者へ向かうことにした。
しかし、まだ朝早く、歯医者で診察を受けるまでに2時間以上も待つことになった。
その間に外では土砂降りの雨が降り始めた。
「噛み合わせが良くないのかもしれない」と言われてまた歯を削られる。
そのころにはもう痛みはほとんど収まっていたし、まぁそんなものだったのかとも思って、そのまま雨の降る中、トボトボとラチャダ通りのバス停まで歩く。
歯医者の場所はディンデンという下町で、小さな縫製作業場の多いところ。
路地が多くて、道は入り組んでいる。
本当に迷路のようで、行き止まりの路地が多いから、迷い込むと脱出が大変な地域でもある。
そんな細い道に古い小さなトラックが止まっていた。
赤くて可愛らしいトラックだが、なんだか懐かしさの感じられるトラック。
どこのメーカーだろうか、古い英国製トラックのような半キャブオーバー構造になっている。
"ToyoAce"と書かれている。
[裏町の路地で見かけた古い赤いトラック"Toyo Ace"]
トヨエースって、トヨタの小型トラック。
子供のころ、チリ紙交換に回ってきていたトラックもトヨエースだったが形が違う。
あとでネットで調べてみたら、この赤いトラック、今から60年以上も前の初代トヨエースであった。
私が子供のころにチリ紙交換で回っていたのは2代目のトヨエースらしい。
それにしても、ずいぶんと改造されているとはいえ、古いトラックが生き延びていたものだ。
なんだか、欲しくなってきてしまった。
[側面から見るとキャブはタイ式に改造されてドアを撤去して半分オープン構造]
その後しばらくは、奥歯のことなど忘れていた。
少し疼くかなとも思ったが、我慢できないほどではないし、それに虫歯になっていないと言われていたので安心しきっていた。
6月最初の週末、急にカオラックへの研修旅行に参加することになった。
6月2日土曜日の朝、プーケットまでは飛行機。
ひさびさのタイ航空で、なんとジャンボジェットだった。
中華航空のように2階席のビジネスシートという訳にはいかなかったが、非常口横の席で、足元だけは広々だった。
[バンコクからプーケットへの国内線でタイ航空のジャンボ機に乗る]
機内はインドからの乗り継ぎ客か、インド人ばかりでほぼ満席であった。
中国人観光客同様に、機内では騒がしい人たちだが、さらに身体に塗っている香油の匂いが機内に充満する。
タイにいながらにして、インドの国内線に乗っている気分になる。
離陸して、順調に高度を上げ始めた時、またしても奥歯に電撃的な激痛が走る。
あの時よりも激痛は激しく、気が遠くなりそうであった。
髪の毛を掻きむしりながら必死に我慢する。
なんなんだこれは!
機内サービスのスナックや飲み物が配られているが、こちらはそれどころではない。
シートになど座ってられず、非常口前であることをよいことに、床の上にしゃがみ込んでしまう。
全身汗だく、きっと顔面蒼白、怒髪天を突き、心身衰弱。
CAから、席に着いてシートベルトを締めるよう注意をうける。
シートベルトどころか、もう半狂乱で、このまま非常口を開いて外へ脱出したいくらいの気分であったが、プーケットに近づき、機体が降下を始めたら痛みが嘘のように消え始めてしまった。
なんなんだこれは!
プーケットに着陸し、ネットを使って現象から検索をしてみると「航空性歯痛」というものが該当するらしいことが判明。
これは歯根内にある空洞の気圧と外気圧との差によって、神経を圧迫されたり、患部の膿が詰まったりして激痛を起こすもので、歯が破裂することさえあるという。
気圧の急激な変化により引き起こされるため、台風が近づいたり、高い山へ登っても起きるという。
そう、前回の激痛もきっとスコール前で急に気圧が下がったため、激痛が発生したんだろう。
飛行機のパイロットも航空性歯痛を避けるため、歯の健康が確認できないと乗務できないらしい。
何ということだ、次の週末にはまた台湾へ行って、山登りをしようと思っているのに、飛行機も山登りも激痛の原因になるとは。
翌日バンコクへ戻る飛行機に乗るのが怖くなってきた。
飛行中、歯が破裂したらどうしよう。
それに、回を重ねるごとに痛みが激しくなってきている。
嫌だ、もうあの痛みは嫌だ。
そうだ、バンコクまでバスで帰ろう。
夕方には研修が終わるから、そのまま夜行バスに乗って帰ればいいんだ。
空港内のタイ航空の発券カウンターへ行って、切符の払い戻しができるか確認してみたら、出発の3時間前までにキャンセルすれば大丈夫と言われる。
よし、バスだ。
それが安心だ。
会社へ飛行機ではなく、夜行バスに変更したい旨メッセージを送る。
折り返し、「わかってるとおもうけど、月曜日は遅刻しないでね」と返事が来る。
プーケットを夜出たバスは何時にバンコクに着くのだろう。
それに1泊2日の予定で出てきたので、ネコのことも気になる。
ホテルのスタッフにバスのことを確認してみる。
カオラックからもバンコク行きのバスはあるそうで、12時間くらいで到着するらしいが、バスターミナルはバンコクの郊外にあり、そこから市内までが遠いのだそうだ。
どうするか悩む。
「あしたの昼までに連絡してくれれば、バスの切符を用意しておきますよ」とまで親切に言ってもらえた。
研修とはいえ、観光旅行のようなもので、おいしい料理もいただき、豪華なリゾートホテルにも泊めてもらい、ずいぶんと楽しませてもらったが、奥歯のことで他の参加者にも心配をかけてしまった。
[モンスーンシーズンで少し波が高かったけど、きれいな夕日を眺めることができた]
6月3日、さてどうするか。
ホテルの副社長さんまで心配してくれながらも、大丈夫と励ましてくれる。
「自分も飛行機に乗るとよくなるんだ」
「コツがあってね、鼻をつまんで息を詰めれば治るから平気だよ」
などなどと言ってくれる。
うーむ、バンコクまでの1時間のフライト、鼻つまんで息を詰めていたら、歯痛の前に窒息死してしまいそうだ。
しかし、ここまで言われて、「でも怖いんでバスにします」とは言えなくなってしまった。
[カオラック北部のタクアパーは華僑の町で、なんとなくバトゥパハに似ていた]
夕刻、無事に研修を終えてプーケットの空港で解散となる。
歯痛にはタイレノールという鎮痛剤が効くらしいというので、一度に4粒ほど飲んで準備する。
「寝てしまえば痛みを感じないはず」らしいというが、同じように睡眠薬を飲んだら、なんだかそのまま起きられなくなりそうなので、睡眠薬は自重する。
その代わり搭乗直前にさらにタイレノールを2粒服用する。
帰りの飛行機のシートは非常口横ではなかった。
狭いシートに座り、シートベルトを緊張しながら締める。
機内は満席。
インド人は減り、西洋人や日本人観光客の比率が増えた。
離陸して、高度を上げ始める。
じっと目を閉じて、あわよくば寝てしまおうと試みる。
しかし、離陸して数分もたたずに激痛は襲ってきた。
しかも、合計6粒もタイレノールを服用しているのにも関わらず、過去最大級の規模で奥歯から顎にかけて、破廉恥なほど痛む。
狭いシートで、身体をよじり、頭を掻きむしり、手の指にあり歯痛を止めるというツボをボールペンで押しまくる。
発狂寸前の状態に、となりの席のタイ人が心配してCAを呼んでくれるが、CAは"Are You OK?"と聞くだけ。
こちらはとても話ができるような状態ではなく、なにも答えられず、肩を震わせ、首を打ち振るのだが「マイペンライナー」と言って無視されてしまった。
その後もなんどか、隣の人がCAに声をかけてくれていたようなのだが、もう苦しくて周りの声など耳に入らなかった。
運が悪いというか、空港が混雑していて着陸許可が出ないとかで、20分近くバンコク上空を旋回したため、往路以上に苦しい時間が長かった。
しかし、着陸してしまえば歯痛は嘘のように消えてしまった。
翌6月4日月曜日、職場から歯医者へ電話をして事情を説明し、夕方6時の予約を取った。
日中は別に歯が痛むようなこともなく、このままずっと歯が痛まなければいいのにと思いつつも、週末の台湾行きが不安でたまらない。
定時に退勤して、大急ぎで歯医者までバイクを飛ばして向かったものの、診察室に入るまで1時間以上も待たされてしまった。
さらに、歯科医は私の口の中を確認しようともしない。
私はどれほどの苦痛だったかを訴え、気圧の変化でトラブルが起きることを説明したが、「私もなったことがあるから判るわよ」と言う。
ならば根本治療をしてほしいところなのだが、「時間が経てば少しずつ良くなるから」と言われる。
虫歯をはじめとして、歯のトラブルが擦り傷みたいに自然治癒していくなんて聞いたことがない。
しかし、相手は歯科医師だし、当然私より知識があるはずで、本当に時間が解決してくれるのなら、私としても御の字ではある。
でも、今度の週末までの時間で治癒するとは思われない。
「じゃ、痛み止めと、抗生剤を出しとくからそれ飲んでなさい」
と言われて、診察室から出されてしまう。
薬局で買えば100バーツもしなさそうな薬に高いお金を払わされて帰宅する。
夕食後から飲むようにと言われていたので、ピンク色した大粒の錠剤と、カプセルの抗生剤を2錠ずつ飲んだ。
が、少しして体調に異常を感じ始めた、なんだか朦朧としてきて、それでいて心拍数が上がっているように感じる。
さっきの薬が原因のように感じて、ネットでどんな薬を処方されたのか確認した。
ピンクの錠剤はタイでは一般的な鎮痛剤のようだったが、カプセルはアモキシシリンであった。
[歯医者で処方された薬、カプセルはアモキシシリン]
私はペニシリンとアモキシシリンに対して酷い拒絶体質のため、服用は禁止されていると、歯医者のカルテにも記載されているはず。
チェンマイにいた時も、アモキシシリンのアレルギーで死にかけて大学病院に緊急入院までしたことがある。
大急ぎで、トイレに駆け込み、喉の奥に指を突っ込んで夕食もろとも吐き出した。
溶けかかったカプセルが出てきたのが見えた。
さらに何リットルも水を飲んでは吐いて、胃の洗浄を試みた。
身体の異常は収まらず、とにかく床について寝てしまうことにしたが、なかなか寝付けない。
一晩中ウトウトするばかりであったが、朝になったら心拍も平常に戻ったようだし、朦朧とした感じもなくなった。
どうやらアモキシシリン中毒にはならずに済んだように思えた。
もうあの歯医者は信用できない。
早速別の歯医者にかかることにした。
職場のあるビルの1階の歯医者なので、仕事を抜け出して治療を受けるのにも便利だ。
「レントゲンで確認してみましょう」と若い女性の歯科医は言った。
奥歯にはクラウンを被せてあるので、外からは確認できない。
「歯根の先に膿が溜まって、感染症になってるわね」
「歯根の治療は1万2千バーツだけど治療しますか?」
もっと安く上げるには抜歯と言う方法しかないらしい。
歯は抜きたくないので、泣く泣く治療をお願いする。
が、現在のクラウンは再利用できないそうで、また新しく作り直しと言うことらしい。
「これと同じ材質のものだと2万バーツからだけど、もう少し安いのもあるわよ」
なんてこった。
[ネコにCiaoちゅーるを与えてみる 臭いが気になって仕方がないらしい]
[ちびちびなんて舐めてられなくて、ガブリ、、これ一本が15バーツ ネコには贅沢すぎかも]
6月5日火曜日、なんだかインキンタムシにでもなったかのように股間が猛烈に痒い。また、手首や足首も南京虫に噛まれたように痛痒い。
時間が経過するにしたがって、身体全体が赤く腫れあがり始め、全身が痒くなる。
6月6日水曜日、前夜から痒みでもがき苦しみ、とてもではないが出社できる状態ではなくなる。
また、全身がむくみ始め、薬指にはめた結婚指輪が、指に食い込んで、指が千切れそうに痛い。
これはチェンマイの時の症状と同じだ。
朝一番でサミティベート病院ヘ駆け込む。
血液検査をし、アレルギー専門医の診察を受ける。
「アモキシシリンの拒絶反応、なんでもっと早く来ないの」と叱られる。
抗ヒスタミンとステロイドの注射を打ってもらったら、痒みがだいぶ収まった。
飲み薬もステロイドと抗ヒスタミンをたくさん処方される。
午前中に歯科医で、歯根の治療を受ける。
歯科医師も2日前とは違ってむくみ、赤く腫れあがった私を見て驚いていた。
歯根の中の空洞に薬を充填してもらい、気圧の変化の影響を受けないようにしてもらった。
これで飛行機に乗っても大丈夫なはずとのこと。
その後、注射の効力が落ちてきたのか、ふたたび全身が激しく痒くなるし、むくみも酷くなる。
夜は痒くてとても眠れたものではない。
6月7日木曜日、サミティベート病院から入院を勧められる。
しかし、明日から台湾へ山登りに行く予定になっているから、入院しなくても済むように治療してほしいと訴え、また注射を打ってもらう。
また、昨日の薬よりも強い薬と睡眠剤を処方してもらう。
6月8日金曜日、午前中の半日仕事をして、午後にサミティベート病院へ行く。
昨日もらった睡眠剤では、痒みに勝てず、眠れなかったことを訴えて、さらに強い睡眠剤を出してもらう。
「お風呂に入ってはだめだからね、それとアルコールもダメですよ」と言われるが、「台湾の温泉に行って、お酒飲むのが楽しみなんだから勘弁してください」と懇願したところ、「そのぶん治るのに時間がかかって、辛い思いするわよ」と警告を受ける。
「辛くても我慢しますから、いまできる治療をお願いします」と言って、また注射を打ってもらう。
薬ではあまり効き目はないが、注射は数時間は痒みが収まるようだ。
それと股間や手首、足首の痒みは収まり、胸や腕、腿に背中など痒い部分が体の中心へ移転し始めているようだ。
台湾では温泉と紹興酒三昧で、おかげでアレルギーは改善しなかったが、精神面では開放されて、夜もよく眠れた。
6月15日金曜日、サミティベート病院で診察を受ける。
まだ痒みは少し残っているが、身体のむくみはすっかり取れてきたようだ。
あと一週間ほど薬を飲み続けるように指導を受ける。
[体調が悪くても飛び回ってます 16-17日の二日間ピーターコン祭りへ1000キロドライブ]
6月20日水曜日、歯医者にて治療の続きを受けるが、他にも外からは見えないが、虫歯とか歯根の炎症などが起きている可能性があるのではないかと疑い、全部の歯をレントゲンで撮ってもらった。
そしたら、どうも前歯2本と奥歯の2か所に虫歯か欠損部分があるように影ができていた。
特に奥歯はクラウンを外してみないとわからず、もし欠損や虫歯だとクラウンの作り直しが必要になるらしい。
早いうちに見つかってよかったと考えるべきか、こんなもの死ぬまで見つからないでいてくれればよかったと考えるべきか悩むが、航空性歯痛から解放されると、どうも見なかったことにしたい気持ちが大きくなってくる。