この一か月間で三度目のピサヌローク。
そろそろ車での往復も体力的にきつく感じてきたので、今回は汽車旅とした。
4月の初めに、ピサヌロークでは県や観光局が王宮跡でイベントを行うから来るようにと言われていた。
なんでも、アユタヤ時代の衣装を全員が着用することになっているらしいのだが、日本人だからキモノを着てきてほしいと言われた。
そんなことを言われても、和服など浴衣含めて持っていない。
言う方は気安く言ってくれるが、準備する方は当惑してしまう。
それでも、先方も好意で誘ってくれているのだろうし、それに応えなくてはとバンコクで貸衣装屋を回ってみる。
バンコクの街中にはオカマショー用かと思われるようなド派手な衣装を貸し出す店が結構ある。
社内のイベントなどでも、仮装を求められることは多く、この手の貸衣装屋は一般的なものなのかもしれない。
日本で貸衣装と言ったら、結婚式や成人式などくらいではないかと思うし、そのためか衣装も良いものが揃っているのではないかと思うのだが、バンコクはそうではないようだ。
仮装パーティーで着れれば良い程度のクオリティーなので、その環境下で和装を借り出そうというのだから、どんな衣装が出て来るかはある程度想像はしていた。
しかし、実物を見て「なんだこりゃ」のレベルが想像を超えていた。
どう見ても和服には見えない。
まるで中国の時代劇に出てきそうな派手な刺繍入り、キンピカで、ただやたらとデレッと長く裾を引いている。
あんまりにもあんまり。
こんなもの着て出かけていった日には、日本に対する誤解を助長しかねない。
会社のスタッフに相談したら、レンタルではなくネットで買ってしまえばよい。
ネットならいろいろと選べるはずと言って、調べてもらった。
確かに種類も多いのだが、どうも和装と言ったイメージから遠いものばかり。
なんとなく、日本のアニメに出てくるへんてこなキャラクターが着ている衣装のように見えるとスタッフに言ったら、
「そりゃそうだよ、これ、みんなコスプレだよ」
とのお答え。
多少はまともかなと思われるサムライ・コスプレをオーダーする。
送料込みで910バーツ也。
4月2日、届いたサムライ・コスプレを持って、バンコク発10時50分の特急に乗り込む。
これだとバンコクから400キロもあるピサヌロークまで5時間で運んでくれる。
その間、のんびりと文庫本でも読んでいようと、沢木耕太郎の「国道1号線を北上せよ」をカバンに入れておいた。
この特急の行先は、シラアット行きで、途中のピサヌロークから先でサワンカロークへの盲腸線を往復することになっている。
先にチェンマイからバンコクまでの汽車旅をしたときにも触れたけど、このサワンカロークへの往復については、興味があって、ピサヌロークなんかで下車せずに、そのままサワンカロークまで行ってみたい衝動に駆られるが、夕方までにはピサヌローク入りしなくてはならず、次回のお楽しみに取っておくことにする。
現在はピサヌロークまで格安航空会社がバンコクから1日に5便も往復しており、料金もこの特急と比べても大差ないくらいの切符も出回っているので、さぞ特急はガラガラだろうと思っていた。
しかし、その予想は外れた。
平日の昼間という時間帯にもかかわらず、バンコクの街はずれまで来たころには、全席指定の座席は満席となった。
途中の駅で降りていく人もあるが、誰かが下りて空席ができると、すぐにまた別の人が乗り込んできて、空席が塞がる。
これには驚いてしまった。
昼食の時間帯にかかるということもあり、車内では食事のサービスがあった。
一人分ずつ機内食風にトレーで配られる。
内容は、ご飯、ゲーンソム、チキンのニンニク炒め。
皿に盛り付けられているわけではなく、プラスチックの容器に入っていたり、レトルトパックだったり。
本来なら電子レンジなどで温めて食すべきところ、常温のまま。
サービスとはいえ、温められないなら、温めなくても良いようなメニューにしてほしいところではある。
いずれも常温で長期保存のできるタイプのもので、タイ南部、トラン県のメーカー、プンプイの商品であった。
ロッブリーを出るあたりまでは快調に走っていたが、ナコンサワンの手前で止まってしまった。
故障だろうか、事故だろうか、
もともと車両にスピーカーなどの放送設備もないので事情説明のアナウンスなどない。
しばらく、停車していたと思ったら、バックし始めた。
どこまで戻るつものだろうかと訝ったが、200メートルも後退したところで、また停車。
結局、事情も分からないまま30分以上を田んぼの中の線路の上で過ごしてから、また前へ進み始めた。
ピサヌロークには予定より20分ほど遅れて到着。
いつものアマリンナコンホテルにチェックイン。
急いでサムライ・コスプレに着替えなくては慌てているところへ電話が入る。
「いまどこ、もう着いたな、今日はタイ衣装を着てくるように」
「タイ衣装でなくて、日本の衣装を用意してきたけど」
「知事から、タイ衣装が良いと言われてるから、そのまますぐ時計塔の前へ来なさい」
おやおや、せっかく買ったサムライ・コスプレはどうなるんだ。
まぁ、とにかく念のためもあるので、サムライ・コスプレを持ってピサヌローク旧市街の中心にある時計塔へ行ってみた。
やはり、今日は全員がアユタヤ時代のタイ衣装を着ることになっているそうで、日本人にも着てほしいと知事が言われているらしい。
時計塔近くにあるやたらと体格の良いオカマさん経営の貸衣装屋で私もタイ衣装を着せられる。
おまけに、髪はスプレーで固められ、顔は白粉でピンクの頬紅や口紅まで差されてしまう。
ゴテゴテと装飾品も取り付けられる。
タイ装束など初めての体験である。
なお、このタイ衣装もコスプレと同じ程度のレベルで、安物の化繊で、安直な縫製でできていた。
[アユタヤ時代はこんな格好だったのだろうか?]
車に乗せられて、会場の月の王宮跡へ。
なるほど、たくさんの人がタイ衣装を着て集まっている。
こんなところへサムライ・コスプレで乗り込んだら、ちょっと目立ちすぎてしまうだろう。
まだ日没前で明るいので、遺跡の方では、タイ衣装を着こんだ人たちが、写真を撮り合っている。
最近はタイではテレビドラマ「ブッペーサンニワート」というのが大ブームを引き起こしており、ドラマはアユタヤ時代へタイムスリップした現代女性のストーリーらしい。
私は全く関心もないが、社内のスタッフたちは熱狂して、職場でもおしゃべりしているので聞こえてきてしまう。
このドラマの影響で、ドラマのロケでも使われているらしいアユタヤ遺跡では、タイ衣装を着て写真を撮りに来るタイ人がとても多くなってしまい、一部の遺跡では入場制限をしはじめているらしい。
そんなこともあってなのだろうか、タイ衣装を着て遺跡でセルフィーはタイで流行っているらしい。
[タイ衣装を着て遺跡で写真に納まるのがブームになっている]
イベントはなんとなく始まり、私もステージ前最前列に並べられたプラスチックの椅子に座るように指示された。
タイ衣装の女性たち多数による踊りがある。
カツラかと思うほど髪をアップにして大きく膨らませている。
若い女性は含まれておらず、中高年だけであったからか、派手なダンスではなく、手首と指先をしならせる穏やかな踊りを踊りながら会場を回った。
[ 後ろに中高年女性のダンサーが控えてます]
県知事や観光局長のスピーチがあり、その後も私はよく知らないが、歌手が歌を歌い、剣舞がありとステージでは出し物が続いている。
しかし、要職にある人のスピーチのあいだだけ私はステージ前にいれば良かったようで、あとは来席している県の有力者の紹介を受ける。
紹介されても、私はいまだにタイ人の名前を覚えるのが苦手で、最初から名前を伺っても聞き流し同然。
タイ衣装を着ているため、名刺も持っておらず失敗した。
もっとも、先方も名刺を持っているわけではない。
[県知事などと一緒にご満悦ポーズ]
会場には「昔の市場(タラートボーラン)」と名付けられた縁日風の出店が並んでいるブースが何か所かあった。
たしかに、草ぶき、ヤシの葉葺き、竹を組んだだけの出店は昔風であるが、売っているものは食べ物中心ながら、その辺の屋台とあんまり変わらないものが多いようだ。
いくつかのタイのお菓子類は、「昔からのお菓子」と説明を受けたけれど、いまでもよく道端で売られているタイのお菓子と同じように見えた。
そうしたタイ菓子を摘みながら、見学していて気が付いたのは、アユタヤ時代の衣装を着ることになっているはずだけれども、よくみると今から150年くらい昔のラーマ八世、チュラロンコン王時代の衣装と思われる人もかなりたくさん混ざっている。
当時は日本の明治時代共通していて、西洋化が流行りだったようで、当時の王宮などの建造物はタイ伝統様式と西洋建築がミックスしたものが多く建築され、衣装も洋タイ折衷的な服装が官吏の服装として取り入れられたりしている。
そして、あちこちに等身大の写真パネルが置かれている。
写真のモデルはガラケートらしい。
先に書いたドラマ「ブッペーサンニワート」の主人公である。
そういえば、ステージの司会者が話していることをあんまり聞いていなかったが、盛んにガラケート、ガラケートと言っていた。
このイベントとガラケートとどんな関係があるのかと質問してみたところ、
「ピサヌロークはガラケートのお母さんの出身地でしょ」
と、さも「そんなことも知らないのかよ」と言った感じで教えられた。
なんでもピサヌロークの太守の娘がガラケートの母親だったんだそうな。
そのなのドラマ見てないんだから、知るわけないし、、、
[これがガラケートの等身大パネル]
そういえば、タイ映画ではアユタヤ時代のヒーローやヒロインの出身地がピサヌロークとなっているケースが多いようだ。
数年前にヒットした映画ナレースワンも、15年前のスリヨータイもピサヌローク出身で、たぶんこれは史実らしいのだけれど、このガラケートはフィクションのドラマらしい。
そんなフィクションのヒロイン、しかもその母親の出身地だということだけで、こんなに県をあげて盛り上がってしまうところが、私にはどうもうまく理解ができない。
夜9時過ぎにお役御免となる。
一人になって、ぐったりと疲れたけれど、まだ夕食も食べていない。
夕食には誘われたけれど、疲れ果ててたので、遠慮させていただいた。
ナイトバザール外れのオープンエアのレストランでナーン川が眺められるテーブルでビールを飲みながら長茄子のヤムとチャーハンを食べる。
先々週もこの空飛ぶ空心菜で知られる店に来たのだが、店のスタッフは私のことを覚えていてくれてた。
この店、料理の味もいいし、値段もお手頃。
そして川の眺めと雰囲気もなかなか良い。
翌日、せっかく買ったのに、着る機会もなくなったサムライ・コスプレだが、どうせ持って着てるし、知り合いに会うこともここならないだろうと、サムライ・コスプレを着てスコタイ遺跡へ出かけた。
このサムライ・コスプレ、袴が袴になっておらず、筒スカートで、足を開けない。
そのためスコタイの遺跡公園で自転車に乗った際に、ちょっと不便をした。
暑期のスコタイ遺跡は見学者も少なく、日本人観光客は皆無であった。
知った顔に見られるだけでなく、こんなスタイルを同胞に見られるのもやはり恥ずかしかったので、好都合ではあった。
恥ずかしいくらいなら、はじめからコスプレなどしなければ良いものなのだが、そこは目立ちたがり屋の部分もあり、またタイの人たちがこのスタイルを見て面白がるんだろうなと言うサービス精神のなせる業でもある。
[サムライ・コスプレでスコタイ遺跡公園をめぐる]
夜、またまた空飛ぶ空心菜の店に行き、タイ・ウイスキーのリポビタンD割りを飲みながらタイ料理を食べる。
[空飛ぶ空心菜の店から眺めたナーン川の夕暮れ]
ピサヌローク発夜10時過ぎの汽車でバンコクへ向かう。
タイ・ウイスキーを飲み干し、ビールまで飲んだので、寝台に潜り込んだらすぐに眠り込んだのだけれど、午前4時にはまだバンコク到着まで1時間もあるというのに、起こされて寝台を座席に変換されてしまった。
久しぶりに飲んだタイ・ウイスキーで悪酔いしたようで、少し辛かったけれど、アパートへ戻ってシャワーを浴び、そのまま出社する。