■かれんだー■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
<<前月 2024年11月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

退院しました
1月22日 月曜日
夜8時過ぎに主治医の検診を受けて、明日の退院許可が下りる。
ただし、首を回さないよう、厳重に注意を受ける。
動かすと再手術とのことらしい。
木曜日の午後4時に診察を受けに来るように指示され、業務復帰は2か月後くらいにしようかと言われるが、2週間で何とかとお願いしてみる。
そのあたりは、木曜日の診察時に決まるのだろう。

仕事はしたくないけど、職場のことはいろいろと報告が入ってくるたびに気になってストレスがたまる。
ストレスがたまるとまた再発しそうなので、メールなどなければいいのにと思う。
それでも、メールだけど携帯電話に電話がかかってこないことだけは、職場の仲間に感謝している。
なんとか凌いでくれているのだろう。

ネットでニュースを見ると東京では大雪でひどいことになっているようだ。
高速道路が大渋滞したり、電車が止まったり、空港が閉鎖されたり、そうこうしているうちに、東京からの飛行機の遅延や結構で仕事上のトラブル報告が続々と入ってき始めた。
夜遅くにスタッフには苦労を掛けているけど、こちらは報告を眺めているだけで、何もしてやれない。

1月23日 火曜日
いつも通り朝6時少し前に起床で血圧と体温測定。
その後、点滴。
この時刻だとまだ外は暗い。
ここの看護婦さんたちの夜勤は夜11時から朝までと言っていたから、これを終えたら帰れるのだろうか。

8時に朝食。
メニューはご飯にスクランブルエッグ、挽肉と野菜の煮込み、味噌汁。
ここでの朝食もこれが食べ納め。
ご飯は最後まで柔らかすぎるまま。
明日の朝は自宅で、艶々ピカピカのしっかりした白米を炊いて、おにぎりでも作って食べようかと思う。

スクランブルエッグの朝定食
[朝は野菜をモリモリ食べたいと思います]

昨日に比べて、少し身体のだるさを感じる。
昨日少し運動をした疲れが今頃出てきているのだろうか、食後少しベッドで休憩しながら向田邦子を読む。
この本の中ではタイに関する記述が2つあった。
「細長い海」ではバンセンの海はおみおつけ色だったと表現している。
確かに、そんな色だし、海面には具材も浮いている。
もうひとつは「昔カレー」の中の記述で、三笠会館や資生堂のカレーが美味しかったといった続きで、バンコクの路上で食べた一杯18円ナリの、魚の浮き袋の入ったカレーが忘れがたいとある。
タイでは乾燥させた魚の浮き袋をスープにしてよく食べるが、私はまだカレーにしたものはお目にかかっていない。
当時の18円はたぶん1バーツくらいだっただろう。
金額からして、屋台のぶっかけ飯の類を食べられたのだろうと思う。

10時過ぎから1時間半ほど運動をして、シャワーを浴びる。
治療費の保険請求書にサインを入れる際に確認したら、入院手術費は50万バーツほどだあった。
また持ち帰り用の薬も運ばれてきた。
薬は抗生物質と痛み止めが何種類か、抗生物質は絶対に飲み続けるよう言われるが、痛み止めは痛くなければ飲まなくてもイイと言われる。
たぶん、多少痛くても飲まないで終わらせるだろう。
薬を飲むと便秘をする体質らしく、できればなるべく飲まずに済ませたい。

最後の昼食が届く。
タイのラーメン、バミーナーム。
今回はワンタンは入っておらず、挽肉と申し訳程度の白菜が入っている。
栄養バランスとしては全体的に野菜が足りないのではないかと思うけれど、タイの人は野菜を食べ残す人が多いように思うので、タイ人にはこの程度でも十分なのかもしれない。
会社のスタッフたちも、料理の皿からせっせと野菜を避けて食べている。

鶏ひき肉入りタイ式ラーメン
[タイの麺類は、カップ麺以外、アツアツと言うものに出会ったことがない 猫舌で野菜嫌いが多いらしい]

午後1時半に、腕に差し込まれていた最後のチューブが引き抜かれる。
体温測定で、37.2度であったが、平熱とのこと。
日本なら37度で微熱と診断されるけど、タイでは体温が高い人が多いのだろうか、だからみんなエアコンも気にならないのかもしれない。

午後、「父の詫び状」読完。
この本は、向田さんがあとがきで「のんきな遺言状」のようなものと書かれている。
読んでいる分には、遺言状らしいところなど感じないし、ほほえましく感じる部分が多いのだけれど、それでも癌再発への不安は執筆中もずっとあっただろう。
しかし、遺言状は癌とは関係ない形で現実となっている。
文庫本の解説を沢木耕太郎氏が書いている最中の航空機事故で向田さんは散っている。
これは偶然ではあるが、そこにはどうしても運命のようなものを感じてしまう。

夕方から、1時間半ほどまた運動をして、シャワー。
いつもならもう夕食のお膳が運ばれてくるころだけど、6時を過ぎてもまだ夕食が届かない。
夕食をいただいたら退院しようと思っているのだけれど、夕食はどうしたのだろうか?
入院最終日には夕食は付かないのだろうか?

ナースステーションへ夕食手配がどうなっているか確認をしてみた。
夕食は「あり」になっているようだが、やはり何かの手違いで夕食が私だけ配膳されなかったようだ。
すでに病室前の廊下には下げ膳を積んだキャスターが行ったり来たりしている。

夕食が届けられたのは7時過ぎ。
病院最後の晩餐と言うことになる。
メニューには豚生姜焼きとあったのだが、届いた膳のどこにも生姜焼きらしいものがない。
あるのは豚ひき肉の茹でたもの。
味見をしてみると、生姜汁を垂らしてあるようだ。
しかし、イメージとはだいぶ違う。
それに焼いてないから「生姜焼き」にはならないと思う。

病院最後の晩餐
[他の入院患者さんは、これを生姜焼きと言われて納得されてるのかしらん]

それはさておき、あとはほんのちょっぴりのお豆腐で、野菜が全く足りない。
メニューにはカロリー表示があるけれど、栄養バランスはどうなっているのだろうか。

ぶつぶつ言いながらも完食して、病室を後にする。
すでに手続きは全部終わっているとのことで、会計に立ち寄る必要もなく、そのまま帰っていいらしい。
なんともあっけない退院となった。

手術も上手くいったようだし、まだ痺れはあるものの、腕も指も自由に動く。
しかし、なんとなく視力が少し低下したように感じる。
なんとなくぼやけるし、暗さにもなかなかなれず、鳥目になったように感じる。

<HR>
帰宅をして、いつもながらネコがやたらと喜び、ギャオギャオと嬉しそうな声を立てながらまとわり付いてきて離れない。
ときどき、噛みついたり、引っ掻いたりまでするのもご愛嬌と言ったところだろうか。

これからしばらくは自宅療養を言いつかっているので、ネコと過ごす時間をたっぷりとれそうだ。

術後のレントゲン
[どこが人工骨かはっきりわからないが、金具はしっかり見える]

おしまい

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=96 |
| 日常 | 07:36 PM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑