1月19日からバンコク市内の病院に入院してます。
9月ころから右肩の激痛から、右手の痺れなどの症状が出て、10月に診察を受けたら頸椎関節の問題で神経が圧迫されているためとの結果になりました。
とりあえずは投薬とリハビリを続けてきたのですが、2か月続けてもあんまり効果がなく、現在の海外旅行保険も発症から6か月までしか治療費を出してもらえないので、医師の勧めもあって、頸椎を4か所削て、人工骨を入れるという手術を受けることに年末近くに結論を出しました。
手術そのものは、大きに手術らしいのですが、手術によるトラブル発生の可能性は1割以下と言うことだし、何よりも入院生活と言うものもしてみたい。
小さなころは小児喘息に始まり、あんまり体が丈夫ではなかったのだけれど、その後は大きな病気やケガをすることもなく、入院などとは縁がなかった。
ただ一度だけ、もう10年以上前になるがチェンマイの大学病院に緊急入院したことがある。
これも病気やケガで入院と言えるようなものではなかった。
そもそもの始まりは歯の具合が悪くて、歯医者に行ったところ使われた薬でアレルギーを発症。
その後、別のクリニックで診察してもらったが、そこでも誤診のようで、ますます症状が悪化して、全身がひどく浮腫んできてしまった。
見かねた周囲の人たちに、クリニックではだめだと市内随一の私立病院の救急に担ぎ込まれて、注射を打たれて帰宅させられた。
その注射が致命的で、身体全体がパンパンに膨らみ始め、服も着れないほどになってしまった。
風船のようにはち切れそうになった肌は、何かにぶつかると、裂けてしまうようで体中のあちこちから血が滲み始めた。
これではまずいと国立のチェンマイ大学病院へ単身駈け込んだら緊急入院。
私を一目見たお医者さんはエイズの末期症状と思ったらしい。
血液検査をして、これまで使われてきた薬でのアレルギーが原因であることが確認され、すぐに解毒治療となった。
治療は点滴で受けて寝ているだけだったが、病室がやたら寒いのと病院食のタイ料理がやたらと甘ったるい健康に悪そうなものだったことは記憶にあるが、数日ですっかり元に戻って退院できた。
今度の入院は、緊急入院ではなく、計画的なので、仕事とネコのことだけ気になるけれど、入院には手ぶらで来れば完全看護で、洗面具や着替えも用意してくれるという至れり尽くせりと説明を受けて来た。
19日の朝8時までに何も食べず何も飲まずに来るようにと言われ、まずは血液検査とレントゲンの撮影。
これでひとまずお終いで、また午後に来るようにとのこと。
すぐに病室に入れてもらって、朝食を食べさせてもらえるのかと思ったが、入院は午後からとのこと。
しかも午前10時以降はまた何も食べても飲んでもいけないと厳命される。
時刻はすでに9時近く。
急いで帰宅して、ご飯を炊き、納豆と味噌汁、大根おろしに豆腐を焼いて食べる。
昼からぶらぶら歩いて病院へ戻り、今度は心臓の検査を受ける。
血液も、心臓も異常なし。
昨年から血圧が少し高めだったけれど、血圧も正常値。
何種類もの書類にサインをさせられ、緊急時の連絡先を書くように言われるが、はてどこを緊急連絡先にすべきだろうかと悩む。
勤務先を連絡先にするべきなのだろうが、勤務先の電話番号さえ覚えていないずぼらさで、毎年会社の健康診断をこの病院で受けているのだから、病院の方が勤務先の電話番号を知っているだろうと思い、とりあえずは東京の電話番号を書いておいた。
[この印のところからメスを入れるそうです]
病室に通されたのは、3時近くなってからで、5時過ぎから手術室に入るので、それまで休憩するようにと言われる。
しかし、もう早速点滴を腕に打ち込まれて、勝手に動き回ることができなくなってしまった。
病室はホテルのようなもので、大きなテレビもあるし、冷蔵庫もあって中にはペプシコーラが入っている。
インスタントのコーヒーや紅茶もあるしルームサービスのメニューも置かれている。
風呂場は洗面台とシャワーだけで、バスタブはない。
点滴が邪魔だけど、これからしばらくシャワーも浴びられなくなるかもしれないと思い、シャワーを浴びるが、ヤケド防止のためなのか、シャワーのお湯はあんまり熱くならなかった。
[日本なら結構な差がベッド代がかかりそうなくらい広い病室]
5時すぎにストレッチャーに寝かされて、手術室へ運ばれる。
まだ手術も受けてないし、身体もピンピンしていて自分で歩けるのだから、歩いていきたいと言ったが却下された。
ストレッチャーから手術台へ移されて「手術が怖いか?」と聞かれる。
質問されても、手術など受けたことないし、どんなもんなのだろうかと言う好奇心しかない。
テレビドラマの手術シーンのように頭の上にやたらと電球の付いた大きなスポットがかぶさるようにしてあり、看護婦さんたちが薄手のゴム手袋をはめたところで記憶が途絶えている。
きっと点滴に入れた麻酔が効いたのだろう。
気が付いたのは病室にもどり、点滴のアラームが鳴り続けて目が覚めた時だ。
もう深夜であったが、気が付いたが麻酔から覚めていないのか、手が動かない。
しばらくして看護婦さんがアラームを止めに来たが、今アラームはほぼ一時間ごとに鳴り続けて、しかも看護婦さんも気が付かないのか、なかなか止めに来てくれず、ほとんど眠れなかった。
朝6時過ぎになって、交代の看護婦さんが点滴の装置を調べたらバッテリー低下のアラームだったそうで、コンセントを差し込んでくれたら、その後はアラームもならなくなった。
20日、昨日から何も食べていないので、空腹である。
麻酔も完全に抜けて、痛みもない。
喉を切り裂いて、骨を削ったのがウソのようだが、手術を本当に受けたのかどうか疑わしくなるようだ。
しかし、首からゴムチューブが伸びて、その先には傷口から出て来た血液などが野菜ジュースのようにたまっている。
結構さらさらした感じなので、これならコレステロールの値も低いのではないかと思う。
手術の痛みはまるでないが、病院内の空気が乾燥しているためか、それともずっと酸素吸入をされているためか、喉が渇いてヒリヒリする。
看護婦さんに水を飲みたいと所望したが、うがいだけしか認めてもらえなかった。
空腹を訴えたが、食事もまただだめだけど、点滴しているから大丈夫とのこと。
身体のあちこちにチューブを差し込まれて、ベッドから起き上がることもできない。
チンチンの先にもチューブが差し込まれていて、そこからオシッコが流れてビニールパックに収まる仕掛けになっている。
これはこちらの尿意とはあんまり関係なしに、勝手に排泄しているようなのだが、いったいこのチューブはどの辺まで達しているのだろうか?
ウンチに関しては対応されていないようだが、今のところ便意はない。
それに昨日から何も食べていないのだから、便意も催さない。
[病室の壁には"Nothing by Mouth"と張り出されている]
水を飲むのもダメと言われて、まだ2時間も立たない午前10時ころになって、突然朝食が運ばれてきた。
これはいったいどうしたことだろうか?
食べてもいいのかと聞けば、OKとのこと。
和風のつもりか、魚の切り身の醤油漬けのようなものと、茹でた野菜類にスープとご飯。
果物にリンゴまでついている。
お腹もすいていたし、うれしいのでご飯をお代わりまでしてしまう。
しかし、本当のところは味の方はちょっと気が抜けていて、あんまりおいしくなかった。
特にお米は炊き方が下手なのか、せっかく日本米を使っているようなのに、まったく残念なものだった。
[こんなに早く食事にありつけて、うまいマズイを口にしたら罰が当たる]
病室内では、ほぼ裸のままである。
パンツも履かず、手術着と言う薄手のガウンを前後逆さまにして様なものを羽織っている。
ガウンと言うよりも、エプロンに近いかもしれない。
前は隠すけれど、尻隠さずである。
朝食を食べ終わって、まだ頭の中が靄がかかっているようだし、全身がだるくて、すぐウトウトしてしまうのだけれど、お昼にはまた昼食が届けられた。
今度は洋風で、白身魚のソテーにマッシュポテト、リンゴ中心のフルーツサラダにロールパン。
デザートはケンタロープ(タイのメロン)。
昼食後に酸素吸入のチューブを鼻から抜いてもらった。
このチューブのせいでベッドから起き上がることもできなかったが、これで多少は身動きができるようになった。
[機内食のような昼食 トレーが大きい分だけエコノミーより上かも]
午後に身体を拭きに女性の係が来てくれた。
まだシャワーがダメなので、身体を濡れタオルで拭いてくれるというのだが、こちらとしては恥ずかしくて仕方がない。
それでも係の二人は、いつもの仕事とばかり、全身を拭いてくれて、お尻の穴からオチンチンまでお湯で洗ってくれた。
朝食も、昼食もしっかり食べたし、昨日から排便をしていないので、トイレでウンチをしたいと言ったらば、看護婦さんが点滴の機械類やオシッコの入ったパック、首から下げた血液のボトルを何人もでトイレまで運んでくれた。
終わったらナースコールで呼び出すように言われたが、30分も便器に腰かけていたが、下腹部は張っているのに弁はちっとも出なかった。おならすら出ない。
処方されている薬に便秘になる成分でも含まれているのだろうか?
それでも、夕食はまたしっかり食べてしまう。
夕食はおでん風の練り物のスープに茹でた野菜と味噌汁、ごはんといったメニュー。
お腹の中に、今まで食べたものがまだく待っていると思うと、なんだかこれ以上詰め込むのはお腹に悪いような気もしたが、完食。
[勝手にいろいろと食べさせられてますが、メニューは日本風、洋風、タイ風のなかからチョイスできます]
夜8時過ぎに主事医の検診がある。
容体を聞かれて、大変良いと答える。
まだ執刀後24時間しかたっていないけれど、早速抜糸をするとのことで、傷口から糸を引き抜かれる。
この時初めて今回の手術で痛いと言う感覚を味わった。
首からぶら下がっていた血液のボトルもはずれて、また自由の領域が広がった。
夜中寝ていたら、身体がモゾモゾするので明かりを点けてみたら、ベッドの周りにたくさんのアリたちがはい回っていた。
よく見ると、手点滴のチューブを伝わって、ベッドへ遠征してきている。
点滴の機械の中にアリの巣でもあるのか、機械の通気口からアリたちが元気に飛び出してくる。
点滴が美味しいから住み着いているのか分からないが、アリの添い寝はあんまり歓迎できないのでナースコールをして説明したら、メーバーン(家政婦)さんが来て、アルコールで拭ってくれた。
アリたちはまだ機械の中にいるようだけれど、アルコールに弱いのか、通気口から顔をのぞかせるばかりで、出てこれなくなったようだ。
21日、父親の83歳の誕生日でもあるので、電話をかけてみた。
こちらの入院のことなどは何も話さず、短い電話だったけれど、昨日妻と長男からのバースデイカードが届いたと大変喜んでいた。
うまれて初めてこんなものもらったよとも言っていた。
妻にも心配かけているだろうから電話を入れておく。
順調に回復していることを伝えておく。
入院することに決めたときは、付き添いをすると言っていたが、来てもらっても、こちらが面倒を見てやらないといけない状況になってしまい、足手まといになるとは言わないものの、完全看護だから心配いらないと言い聞かせた。
保険でも、看護に来るための渡航費が出ると言われていたので、来て遊んでいてもらってもいいが、滞在中にトラブルでも起きたらたまらない。
だいたい、私の症状より、妻の自律神経失調症と関節炎とと鬱の方が寸断深刻である。
朝食はタイ風の白粥。
おかずはシイタケ入りのミックスベジタブルとパカナー炒め。
タイのお粥には、ピリ辛のヤムとか切り干し大根と卵の炒め物とかを付け合わせにほしいところだけど、なんとなくピンボケの味で少し退屈。
[初のタイ料理メニューです]
朝食後、オチンチンの先からオシッコのチューブも抜いてもらう。
この作業も、昨晩の抜糸と同じくらい痛かった。
しかし、抜いてもらえば、快適である。
股間からオシッコのチューブが伸びて、太ももの上を通っていたというのは、いくら自分の体から出たものとはいえ、その生暖かさは、まるでオネショをしてしまったよう
な気持ち悪さがあった。
これでトイレに入ったら自然にウンチも出てくるだろうと楽観していたのだが、便器にしゃがんでもやはりウンチは出てこなかった。
下腹部圧迫感はあるのに、そこから下は何を怠けているのだろうか。
[洗面所に入って髭を剃れるようになりました]
ソファに座ることもできるようになったので、先日の一時帰国のこと書きあげてブログをアップする。
ダラダラと長いだけのマンネリになっているけど、定点観測みたいなものだと勝手に納得する。
昼食はタイのワンタンメン、バミーナームサイキオである。
麺が伸びないようにスープが別付けなのは良いが、タイの麺類に必須の調味料が2つ欠けている。
タイの麺類には、必ず調味料としてナンプラー、唐辛子、お酢、そして私は使わないが砂糖が付いてくるものだ。
店によってはピーナッツを磨り潰したものを用意してくれてたりするが、この昼食には唐辛子とお酢が付いていない。
刺激物は食べさせてくれないようだ。
[タイの麺類に必要な調味料が欠けてるとやはりピンボケ]
午後には点滴のチューブも外され、さらに病院で着る緑色の入院服も用意してもらう。
これで恥ずかしい尻丸出しルックからも解放されたわけだ。
そして、看護婦さんの手を煩わせなくても病室内を自由に動き回れるようになった。
我ながら、驚くべき回復力だと思う。
[緑色の入院服の上下 これで病室から出れそうだ]
自由になったところで患部を濡らさないように注意しながらシャワーを浴びる。
ぬるいお湯しか出ないけれど、石鹸で体を洗うと気持ちが良い。
頭も首の周りにビニールを巻き付けて洗髪する。
[幹部を濡らさないように注意しながらのシャワーです]
時間があるので、文庫本を2冊持ってきている。
一冊は向田邦子の「父の詫び状」で、もう一冊は金子光春の「マレーの感傷」。
向田邦子は乳がんとその後の感染症で入院中、右手が動かなくなり左手でこの本の原作を書き上げたそうだ。
私も右手の自由が利かなくなってきて施術入院した訳だけれど、手術2日目にしてキーボードも叩けるようになった。もっとも、私のキーは右手と左手の人差し指だけ使って打つカナウチである。
向田さんが入院されていた当時にも、コンパクトなワープロでもあれば、左手でペンを握らなくても済んだだろう。
[窓際のソファに座って文庫本を読む まるで休日気分]
夕食は塩鮭に、ほうれん草のお浸し、味噌汁と野菜の茹でたもの。
塩鮭のようだが、あんまり塩加減が効いておらず、醤油を少し垂らしていただく。
野菜の茹でたものも、ほとんど味付けがされていない。
これが病人食と言うものなのだろうと納得しながら食べる。
[ほんとうは塩鮭ではなくサーモンの塩焼きと思われる]
夕食後、注射を打たれるが、打たれてすぐに激痛が走る。
注射液を注入され出したら、呼吸が苦しくなってきた。
どうも注射の指し方が良くなかったのか、右手が盛大に膨らんでいる。
腕から手先にかけて痺れて電気が走り、左手では頭を掻きむしらずにはいられない。
看護婦も驚いたようで、氷で膨らんだ部分にタオルで巻き付けた。
「これで大丈夫、15分したら左手に注射しましょう」と言って病室を出て行った。
この氷で冷やすのがさらに激痛を伴って、右手がほとんど動かなくなってしまった。
8時すぎに主治医の回診があり、主治医もうんざり顔。
とにかく手を動かす訓練をするように申しつけられる。
時間の経過とともに、少しずつ注射のショックが薄れていくのか、手を握ったり、開いたり、腕を振り上げたり、降ろしたりできるようになったが、動かすたびに電気が走り、今一つ力が入らない。
それに肩も痛みはじめ、夜中の2時過ぎまで寝付けなかった。
22日、朝6時に血圧と体温検査。
あんまり眠れなかったけれど、寝不足に感じることもなく、昨夜まで痛かった右手もずいぶんと機能回復しているようで、痺れはするものの、大体思ったように動いてくれる。
朝食は、どういうわけか昨晩とほとんど同じメニューで鮭の塩焼きと野菜の茹でたものに味噌汁。
鮭もよいけど、納豆とかの方がうれしい。
でも、ご飯がべちょべちょなので、納豆には合わないだろうな。
それとお茶の一杯もほしいところだけど、まいど飲み物は甘いものばかり。
[なんだか昨晩の残り物を食べているようなくらい同じ内容]
食後、保険会社に入院給付金の手続き資料請求の電話を掛ける。
コールセンターの番号が0120のフリーダイヤルしか表示されておらず、バンコクからつながらずちょっと苦労した。
それとコールセンターの人が見れるウェブ画面に制限があるらしくて、資料ダウンロードのページを教えてもらうのに面倒をかけてしまった。
途中で電話が切れてしまったりして、手間もかかったけれど何とかPDFで資料をダウンロードし、これをプリントしてもらうように、ナースセンターへUSBを持ち込む。
プリントは1階のサービスセンターでできるので、車いすに乗るように言われる。
こちらは歩くことに不自由はしていないし、車いすなど恥ずかしくて乗れない。
しかし、体重を測りますと言われて体重計に載せられて大ショック。
体重が70.8キロを指している。
入院して3泊目にしてすでに3キロ近く体重が増えていることになる。
食べて、排便せず溜め込んでいるのが原因だろうけど、こっちも貯めたくて便秘しているわけではない。
看護婦さんにそのことを伝えたら、この廊下を歩いてエクササイズするように言われる。
それでサービスセンターへの車いすからも解放され、プリントを部屋に持ち帰ってから、腿を引き寄せるように膝を高く上げて廊下を1時間ほど行ったり来たりした。
少しは腸にも刺激になったらしく、少し排便を見る。
汗もかいたので、シャワーも浴びる。
[,ネコのエサがほとんど残っていない なんとか明日には退院しなくては、、]
昼食はムニエル風の白身魚にマカロニサラダ、温野菜とロールパンと言ったメニュー。
さんどさんど上げ膳据え膳で、まったく気楽なものだ。
アパートにいたら買い物して、お値打ちなものを買いそろえて、おかずをでっちあげて食べているのだから、まるで機内食のように、黙っていても目の前に食事を運んでくれて、食べ終わったら下げてくれるなど、贅沢の極みだと思う。
ただし、食事内容はエコノミークラスなにかな、、ワインもビールも付かないし。
[マカロニサラダと言っても、マカロニとカニカマのマヨネーズ和えで野菜は入っていない]
午後にこの入院生活のブログを書きはじめ、3時から再び廊下を歩く。
今度は飲料水の入ったペットボトルを両手に握りしめ、歩くたびにボトルを振り上げ、振り下ろしして筋トレも兼ねる。
右手の筋力もかなり回復して、ペットボトルくらいなら難なく振り上げられるようになった。
腕も疲れたけれど、膝を上げて歩くのも疲れるようで、結構いい運動をした。
1時間少々だったけれど、体力が回復してきているのを感じるのはうれしい。
運動後、再び排便を試みて便座に腰かけたが、なかなか出てきてくれない。
冷蔵庫にペプシコーラが入っていたことを思い出して、炭酸飲料を飲めば腸がびっくりして排便が促進されるのではないかと考えて、飲んでみたら大正解。
しっかり出てきてくれた。
夕方の注射は問題なく終わり、今日は何の過剰反応も起こさない。
妻のところへ電話を掛けたら、雪で大変だという。
それに明日になったら雪が凍って、我が家の前の道は日陰だから、解けないだろうし、住人は年寄りばかりだから雪かきも心配だと言っていた。
こんな時には長男に活躍してほしいところだけど、いままで地域の共同作業に顔を出したという話は聞いたことがない。
これは我が家の躾の問題か、それとも現代っ子とはみんなこんなものなのだろうか。
[何か所ものチューブや注射の差し込み口が腕に取り付けられてます]
夕食はスパゲティーであった。
粉チーズは振りかかっておらず、当然タバスコなど望みようもない。
ミートソースだが、パスタに比べて挽肉の量が多い。
私は日本の喫茶店のランチで出てくるようなミートソースがちょっぴりで、パスタばかりのタイプが好きだ。
タンパク質より炭水化物を好む体質らしい。
しかし、タイのパスタは大体のところ茹で過ぎで、ふやけている。
このパスタもふやけて極太パスタに変身、フォークで巻き取ろうとすると、途中で千切れてしまったりする。
病人用にご飯もパスタも緩めにしているのだろうか。
[パンはガーリックブレッド ニンニクアレルギーで下剤の代わりになるかと思ったけど。こんな小さなパン一つでは効果がなかった]
と、ここまで書いたところでいったん休止。
つづく