1月31日 水曜日
昨日からチェンマイに一泊。
今回、チェンマイへ来た目的はワイシャツを注文すること。
今着ているワイシャツももう何年も着続けてきたので、だいぶ傷みはじめヨレヨレになってきてしまっていた。
ワイシャツもスーツもずっとチェンマイのテーラーに依頼していたので、今回もそのつもりで準備をしていた。
しかし、チェンマイへ向かう直前、部屋の中の整理をしていたら、10着以上のワイシャツが出できた。
こんなにたくさん出てきたらば、もう注文する必要はないので、チェンマイへ行く目的が無くなってしまったが、それでも切符も買ってあるので、そのままチェンマイへ行くことにする。
そして、チェンマイ行きの目的を変更。
新しい目的は、「チェンマイからバンコクまで15時間の鉄道旅」とした。
バンコクとチェンマイとの間には、毎日何本もの列車が走っている。
そのほとんどが夜行列車となっているが、昼間の列車もディーゼル特急が毎日一往復している。
また、チェンマイからバンコクへの上りだけだが、チェンマイを早朝に出発する快速列車も設定されている。
15年くらい前、私たちがチェンマイに住んでいたころには、バンコクとチェンマイの間にはもっとたくさんの列車が設定されていたが、自動車の普及や格安航空便に押されてか、列車の本数が減っている。
今回、チェンマイからバンコクへ戻るのに利用した列車は、チェンマイを午前6時半に出発する快速列車。
バンコクまでおよそ15時間もかかる長距離列車で、たぶん夜行列車を除けば、タイで最も長時間、長距離を走る列車ではないかと思う。
飛行機で飛べば1時間。
バスだって10時間ほどなのに、随分と鈍足だと思うけれど、鉄道ではバンコクからチェンマイまでの路線距離は東京から広島か青森くらいの距離があるようだし、平均時速にしたら毎時50キロ以上と言うことになるはずで、特別に鈍足と言うわけでもなさそうだ。
午前6時前、ジムカーナゴルフ場近くのプライベートと言う小さな宿屋を抜け出して、まだ暗い道を駅に向かって歩く。
宿ではセルフサービスでトーストとコーヒーが用意してあってとてもうれしかった。
部屋も清潔で、なにより静かな環境が良かった。
トーストとコーヒーはもちろん頂戴するとして、これからの長旅に備えで、食べ物を確保しておきたい。
昔のタイの汽車旅は、駅ごとにいろんな食べ物を売り子が売り歩いていたし、車内にも乗り込んで、ひっきりなしに通路を行ったり来たりしていた。
それが近年は、タイの汽車でも冷房車が増えて、窓は開かなくなり、売り子にも敷居が高くなったのか、車内で調達できる飲食物は、食堂車からの出前くらいしかない状態。
食堂車が多少割高なのは致し方ないとして、利用者の多くが外国人観光客なので、街のレストランの何倍もの金額と外国人料金となっている。
駅まで歩くうちに食べ物を確保したいと思っていたが、ちょっとまだ朝早すぎるのか、屋台の一つも見当たらないまま駅まで来てしまった。
駅前にはコンビニもあるが遠慮する。
駅を素通りして、表通りを少し歩いたところで、ちょうど開店準備をしている食堂を発見して、カーウカイチアウならできるというので注文する。
タイの玉子焼き載せご飯と言う、タイ料理の中でもっとも単純な料理の一つ。
パックに詰めてもらって25バーツ也。
[チェンマイ駅前の通りもまだ眠ったまま]
[駅前に保存されてるSLには前照灯が灯ってた]
バンコク行きの始発列車がまもなく出発するにしては、駅前にあわただしさは感じられない。
閑散としていて、至って静か。
一応、駅構内には、バンコク行きがまもなく出発すると放送は流れている。
[まもなく出発と言うあわただしさのないホーム]
バンコク行きの列車だけれど、最後尾の8号車から3等車ばかりが続くが、私の切符に指定されている2号車だけが2等車と言うことになっている。
そして、快速列車ではあるけれど、食堂車も中間に連結されている。
[これが私をバンコクまで運ぶ車両]
8両編成と言うわけではないようで、飛んでいる号車もあるようだ。
1号車もない。
では、2号車が先頭かと言うと、番号が付いていない車両が2両も2号車の前にある。
その番号が付いていない車両を見て謎が解けた。
機関車のすぐ後ろの番号なしは、3等車の車両だが、荷物車として使っていて、お客さんを載せていない。
そして、その次の番号なしは、なんと寝台車である。
昼間の快速に寝台車は不要なはずで、当然お客を載せていない。
つまり回送扱いのようになっている。
[寝台車が連結されてても回送扱い]
バンコクとチェンマイの間には、現在快速列車か1往復している。
バンコクが始発の下り列車はバンコクを午後に出て、未明の4時過ぎにチェンマイへ到着。
寝台車も食堂車も連結されている。
一方、その折り返しである、今回これから乗るチェンマイ発の快速は、早朝6時半にチェンマイを出発し、その日のうちにバンコクに到着する。
バンコクから連結してきた寝台車はどうするのだろうか、他の夜行急行にでも付け替えたりするのだろうかと考えていた。
答は、単純でどうやらバンコクからの夜行列車の編成そのままで、折り返しで使用しているようだ。
寝台車は連結してても、お客を乗せない回送扱い。
ずいぶんと、横着でもったいない使い方である。
この快速列車、チェンマイに住んでいた当時にも一度乗ったことがある。
その当時はバンコク発にもバンコクを早朝に出発する快速があり、往復ともすべて座席車だけで問題なかったようだ。
そのため、寝台車は当然ないし、食堂車も2等車もなかったような記憶がある。
当時は硬い3等車で埃まみれになって長時間乗り続けた思い出がある。
6時30分、定刻にチェンマイを出発。
乗車率は20パーセントくらいだろうか?
空席が目立つ。
西洋人が3人。
ドイツ系の言葉を話す年齢が私と同じくらいの夫婦ものと、男性だか女性だか判別が難しい刈り込み三つ編み入れ墨の若者が一人。
[古めかしい二等車の車内]
1月のチェンマイは朝晩が寒いということを忘れていた。
動き始めたエアコンなし2等車は、車内が木製で、窓も木の枠で、ガタも来ており、隙間風が吹き込んでくる。
Tシャツと短パンだけで乗り込んだので、寒くて仕方ない。
さっき買ったタイの玉子焼き弁当の包を抱くようにして暖を取る。
[チェンマイ駅を定刻に出発]
少しずつ外が明るくなってくるが、チェンマイからランプーンにかけての盆地は、山に囲まれており、空が明るくなり始めても、山に隠れてなかなか太陽光線が地表には降り注いでこない。
早くお日様が出て、日光に当たって温まりたいものだ。
私以外の乗客たちは用意も良くて、シャンパーなど防寒着を着込んでいる。
私も弁当の包だけでは耐え切れず、Tシャツをもう1枚重ね着をする。
[少しずつ空が明るくなってくるが、まだ太陽は見えない]
ランプーンでバンコクから来た下りの特急列車と交換する。
あちらはあと30分ほどで終点。
窓越しに眺めるとすでに寝台をたたんで、シートになっている。
赤いシートの乗客は西洋人が多いようだ。
昨年中国から買った新しい車両とのことで、タイ国鉄のご自慢だそうだが、見た目はなんだかプレハブ造りのようで洗練された印象を受けない。
去年までの韓国製の車両の方がスマートな印象があるが、今後はどんどん中国製に置き換えられていくのだろう。
日本の中古寝台車も、一時期投入されていたが、すでに第一線から退いているようだ。
日本製は程度が良くても、それは補修管理がしっかりしているからで、タイには向かないように思われる。
故障する前に交換と言う発想はなく、壊れたら代用品で済ましがちなので、持ちきれなかったのだろう。
しかし、韓国や中国製が入ってくる前は、日本製の車両ばかりで、たぶん、この快速の編成もほとんどが日本製ではないかと思う。
丈夫で長持ちを最優先で作っていた昭和40年代までの日本製は、現在でもタイ国鉄の主流として走っている。
ランプーンを出ると峠越えになる。
右に左にカーブしながら、ゆっくりと急こう配を登っていく。
バンコクからの列車は、峠越えに機関車を2両付けているようだけれど、バンコク行きのこの列車は機関車1両で登っている。
この峠はバンコク側の方が勾配がきついのかも知れない。
07:40 タイ国鉄最高地点であるクンターン駅に到着。
この駅を出てすぐにトンネルに入る。
このトンネルの中と言うのは暖かいようで、車内は突然スチームが入ったかのように暖かくなった。
窓ガラスも、ガラスの外側に水滴がついて曇った。
[峠にあるクンターン駅 ここからはハイキングコースがある]
峠を下るときは、当然ながら登りよりスピードが上がり、それでもカーブが多いものだから、右に左にと揺られる頻度は高くなる。
[ところどころ山焼きをしていて、灰が窓から飛び込んできたりする]
この快速列車では食堂車の注文取りは来ないが、車内販売が回ってくる。
それも正規の職員屋や委託を受けた業者と言う感じではなく、沿線の駅から乗り込んで、手に持てるだけのものを売る、そこらのオジサンおばさんタイプの売り子たちである。
売り子は何人も来る。
ポットを持って、コーヒーとカップラーメンを売るもの。
氷の入ったバケツに清涼飲料水を冷やしているもの。
食べやすく切った果物をお盆に並べたもの。
そんな中に、腸詰にハーブのたっぷり入ったチェンマイ名物のサイウアともち米を売っている売り子がいた。
サイウアは大好きである。
これとタイのウイスキーをチビチビやったら最高なんだけれど、手術後当面はアルコールを禁止されている身の上、しかも現在のタイ国鉄は車内の飲酒も禁止している。
ウイスキーは諦めて、サイウアともち米を購入する。
25バーツ也。
値段はほぼ適正価格のように感じられる。
そして、車内でチェンマイ名物を楽しめるし、それにサイウアにはハーブや香草と一緒に大量のニンニクも使われており、ニンニクアレルギーですぐお腹を壊してしまう私だけれど、汽車旅の良いことはトイレの心配がいらないことと、これまた嬉しくなる。
[チェンマイ名物のサイウアを車内販売で調達]
08:25 ランパーン到着。
定刻よりも早めについたのか、もともとそうなのか知らないが、この駅の出発時刻までは少々時間があるようだ。
駅のホームには、観光用にいくつかのミニチュアが作られてあった。
[ランパーン市内の時計塔は札幌のように観光名所になっているのだろうか]
[クンターン駅とトンネルのミニチュア]
駅前にはC56型蒸気機関車がきれいな姿で保存されていた。
駅舎の入り口もアーチを組んだ構造で、なかなかシック駅だ。
[ランパーン駅前に保存されているC56蒸気機関車]
ランパーンを出て、途中でバンコクからの夜行列車との交換待ち合わせしたりしながら、再び峠道でデンチャイへ向かう。
こちらも途中にトンネルがあったりしたが、もう充分外気も温かくなってきており、トンネルに入って温かいからと喜んだりしない。
そしろ、機関車からの煤煙が気になり始める。
[山には竹がたくさん生えているようだ]
峠を越えると谷川が見え隠れしはじめ、それが峠を下るに従って、だんだんと大きな川になって来る。
そしてデンチャイ到着。
[峠を越えてすぐの川]
[峠を下り、デンチャイに近づくと川も大きくなる]
車内販売から、今度は殻付きピーナッツを一袋買う。
10バーツ也。
ピーナッツは成長不良なのか小粒だったけれど、10バーツならコンビニで売っているメーカー製品より安い。
殻付きピーナッツは食べ始めると、手元が忙しくなる。
食べ始めると止まらないが、ポテトチップスのように、ただ摘まんで口に放り込むだけと違い、殻を剥く作業に没頭して、車窓より手元ばかりに集中してしまう。
そうしているうちに、デンチャイからの最後の峠を越えてしまう。
[これで10バーツなら、多少豆が小粒でも、文句はありません]
ピーナッツばかりポリポリやっていたらば、のどが渇いてきた。
ビールでも飲みたいところだが、飲めないし、かといって水では寂しい。
炭酸系の清涼飲料などは飲みたくないと思っていたところ、パイナップルを売りに来た。
パイナップルの半身で20バーツ。
バンコクの路上とだいたい同じ値段である。
汽車の中で売っているものは一概に高いと思っていたが、列車により乗客の客層が異なるのに合わせて、車内販売の販売価格も客層に合わせているようだ。
車内販売だけではなく、連結されている食堂車からもボーイが料理を盆にのせて売り歩いている。
弁当箱に詰めた豚挽き肉のバジル炒めライス(ガパオライス)、タイ風のスイトンであるクアイチャップ、お粥など、他の途中から乗り込んでくる売り子たちの商品より若干高めのようだけど、そこは食堂車からの出来立てがホカホカで届けられることでカバーされているようだ。
それに若干高いといっても、お粥などは一杯10バーツで販売していた。
[食堂車で作られた多お粥もこうして車内販売]
11:43 ウタラジットの一つ手前、シラアットに到着。
シラアットは特に街と言うようなところではないが、鉄道の車両基地があり、たぶん運用の都合上、乗務員の交代や機関車の付け替えなどの目的で停車するのだろう。
また、ここを過ぎればもう峠はなく、ひたすら平らな大地を走ることになる。
[駅構内に保存されている蒸気機関車]
[水洗垂れ流しトイレなのでホースで客車に給水]
シラアットを出たら数分でウタラジットに停車。
こちらは県庁所在地でもあり、駅も大きい。
バンコクの知人に、このウタラジット出身者がいて、何度か一緒にビールを飲んだ中なのだが、その彼からウタラジットで一緒に山に登ろうと誘われているが、いまだに実現していない。
山に登るのは好きだけれど、バンコクを車で夜出て、それで山に登るというのは、体力的に自信がない。
やさしく、紳士的な彼だが、「大丈夫、自分の運転は、100キロくらいでゆっくり走るから安全」という。
もちろん、高速道路なんかではなく、酔っ払いも牛も出てくるようなタイの一般国道である。
とても助手席でウトウトなんてできそうもない。
[回送中の寝台車では職員が昼寝]
広い田んぼが続く。
12:22 バンダラ駅到着。
この駅からはサワンカロークまでの支線が分岐している。
その支線は一日一往復だけの超ローカル線なのだけれど、その一往復が変わっていて、バンコクから先ほどのシラアット行きのディーゼル特急が、わざわざサワンカロークまで一時間半もかけて往復している。
たぶんバンコクからサワンカロークまで鉄道を利用する人はほとんどいないだろうし、こんな不規則な運行では、バンコクからウタラジットへ向かう人にも不便をかけることになる。
いったい、こんな不規則な設定をする目的が理解できない。
[中部平原に入り、見渡す限りの田園風景]
そのサワンカロークはスコタイ時代から続く街で、桃山時代の茶人に愛用されたという宋胡録焼の産地だったとされている。
以前にサワンカロークの博物館を見学したことがあるが、博物館には宋胡録に関する展示品は多くなく、スコタイ時代の仏像などが中心だった記憶がある。
また宋胡録の窯跡と言うところへは行ったことがあるが、それはサワンカロークよりもっと北に位置したシーサッチャナライ遺跡の近くだった。
なので、宋胡録の語源がこのサワンカロークであるとの説には若干違和感を感じてしまう。
それでも、タイ族が雲南省あたりから山を越えながら南下してきて、ついにこのあたりで大平原に至って、ここに都を建設することにしたのがわかるくらい、それまでの山と盆地の狭いところから、豊かで明るく広々とした平原地帯である。
スコタイの王様が、碑文に「水に魚あり、田に稲あり」 と刻んだように、まさにタイ族にとってこの地は瑞穂の土地だったのだろう。
バンコクとチェンマイを結ぶ路線には、旅客列車だけではなく、貨物列車も走っていて、ときどきすれ違ったり、追い抜いたりする。
貨物列車は石油輸送のタンク車ばかりを連ねたものが目立ち、以前のような二軸の小さな有蓋貨車を連ねたような貨物列車はまったく見かけなくなった。
小さな有蓋貨車を現在でも運用しているのかわからないが、駅の側線などで朽ちながらも倉庫代わりになっている姿は見かけた。
[タイでは貨物輸送に占める鉄道の割合が2%ほどらしい]
13:20 ピサヌローク到着。
この沿線随一の大きな駅で、ここからバンコクまでは旅客列車の本数がぐんと増える。
もっとも、増えたといっても、線路は単線なので、ローカル線並である。
バンコクを朝に出発したチェンマイ行きのディーゼル特急と待ち合わせ。
10分ほど遅れてきたようで、少し待たされる。
[チェンマイ行き下りディーゼル特急]
チェンマイを出発したときはガラガラだった車内も、少しずつ乗ってくる人が増えて、すでにこの車両も半分以上の座席が埋まり始めた。
このままでいくとバンコクに到着するころには満席になるのだろうか?
しかし、ここからバンコクまではまだ8時間もかかる。
ピサヌロークからは飛行機も格安航空が頻繁に飛んでいるし、バスだって5時間くらいでバンコクまでエアコン付きで走っている。
わざわざ遅い汽車旅にこだわる人以外は、直通バスなどのないような途中の小さな町まで行く人なのだろうかと思っていたが、これまでのところ乗ってくる人ばかりで、降りる人はほとんどいない。
汽車旅にこだわっている人は、私を含めて数組いるのも確認されている。
[だんだんと席が埋まり始めてくる]
14:04 ピチット到着。
私の職場のスタッフにピチット県出身の女性が二人いる。
車で国道を走っていると、このあたりはマンゴーの産地だったように感じた。
道端でもマンゴーを売る露店が連なっていた。
女性スタッフからも帰省先からの土産としてマンゴーをもらったことがあるが、この駅のホームでは黄色いマンゴーは売っていなかった。
黄色く熟したマンゴーは売っていないけれど、車内販売ではまだ緑色をした未成熟のマンゴーを売り歩いている。
タイの人には、熟したマンゴーより酸っぱくて硬い未成熟のマンゴーの方が一般的なのだろう。
黄色く熟したマンゴーは、そのまま食べるより、モチ米と一緒に食べるカオニャオマムアンが一般的なのだろう。
市場などで熟したマンゴーの切り身を売っているのを見かけるが、だいたいが隣にココナツミルクで炊いた甘いモチ米が用意されている。
汽車に乗る前に買ったタイの玉子焼き載せご飯、カーウカイチアウの弁当を食べることにする。
わざわざ買い込んでこなくても、車内販売でも小さいながらひとつ20バーツで売り歩いるが、そんなことはこの汽車に乗るまで知らなかったわけで、知っていたらわざわざ持ち込まなかっただろう。
[チェンマイで買い込んだカーウカイチアウ弁当 容器が紙製だった]
14:50 バーンムーンナークという今まで耳にしたことのないような名前の駅に停車。
手持ちの時刻表と照らし合わせると、出発まで6分ほど時間があるので、ちょっと駅に降り立ってみる。
駅前には一本の道がまっすぐ伸びており、雑貨屋が一軒あるだけの小さな駅だった。
汽車から降りてくるお客を待つバイクタクシーが数台木陰で休んでいるが、この駅で降り立つ人もほとんどおらず、まったく午睡中のような駅前だった。
[午後のけだるさが漂う駅前 ]
続いて15:13 チュンセーンという、これも聞きなれない小さな駅に停車。
やはり数分の停車時間があるようなので、駅頭に立ってみる。
さっきの駅よりは少し活気があるようで、駅前が市場のような感じになっていた。
また汽車から降りて来る客を待っているのも、バイクタクシーではなく、バイクを三輪に改造したタクシーだ。
[何十年も前から街並みが変わっていないのではないだろうか]
駅の裏側は広場のようになっており、オレンジ色の3等エアコンなし路線バスが止まっていた。
昔、学生の頃にタイで乗った長距離バスは、みんなこのオレンジ色のバスで、ボーコーソーと呼ばれて、これが一番安かった。
チェンマイからバンコクへは当時125バーツくらいだったと思う。
エアコン付きはロットトゥアと呼ばれ、運賃は倍になった。
[ボーコーソーと呼ばれたオレンジ色のバスはどこへ行くのだろうか]
この駅で、チェンマイから乗っていた性別不明の西洋人が一人降りた。
どうして、こんな田舎の駅で降りたのだろうか?
もう汽車に乗り続けているのが耐えられず脱落したのだろうか?
[二等車には車内にトイレが二か所あるが、どちらも様式ではない]
3時半ころより、大きな湖沼が見えてきた。
タイで一番大きな湖沼で、ブーンボーラペットのようだ。
琵琶湖とどっちが大きいかはわからないが、広い平原の中にべっとりと広がる湖沼で、渡り鳥の越冬地として知られているらしい。
数年前に来たことがあり、ボートを雇って廻ったことがあるが、たぶん水深の浅いところが多いせいか、そうとう沖まで出ても、葦原か浮島のようなところがあったり、赤い蓮の花が一面覆っているようなところがあったりした。
それらは、渡り鳥の営巣地にでもなっているようで、ボートで進んでいくと、驚いた鳥たちが一斉に飛び立ち、その数は数千から数万羽はいるのではないかと思われるくらいだった。
鳥たちにとっては全く迷惑な話だったことだろう。
[タイ最大の湖沼、ブーンボーラペット]
このブーンボーラペットで捕れた魚を干物にしたものを車内で売り歩いている。
プラーサリットという淡水魚で、干物にしてあるからなのか、それとも何かに漬け込んだのか、全体的に黒い色をして、大きさはアジの干物くらいである。
この売り子が通路を歩くとプーンと生臭い匂いがする。
[1月の末でもこの日差し、これで干物を作るのだろう]
パークナムポー、ナコンサワンと過ぎる。
ナコンサワンはタイ中北部最大の商業都市であるけれど、鉄道は町の中心部から外れたところを通っているのか、車窓には賑やかそうな景色は全く見られなかった。
しかし、ナコンサワンの名物として、「モチ」と呼ばれる中華風のお菓子を売り歩く車内販売が出てきた。
中華風のお菓子ではあるけれど、土産のパッケージは日本風をイメージしている。
名前もモチで、日本語から来ていると思われる。
たぶん、戦時中の日本兵が大福餅の作り方でも教えたのではないかと思う。
社会人になりたてのころ、戦争末期このナコンサワンに駐屯していた人たちと、この町へ来たことがある。
森山さんと言う方が、当時の思い出話をしてくれた。
駐屯地に毎日通ってきてくれる娘さんがいて、食べ物とか、いつもたくさん持ってきてくれていたそうで、イイ仲になっていたのだそうだ。
近くの沼で釣りをすると、エサは何を付けてもよく釣れて、釣り針にバナナを付けてみたらとんでもなく大きなナマズが釣れたことがあったとも言っていた。
このナコンサワンは豊かな土地であったこともあり、また直線の戦場でもなかったので、日本兵と地元民との関係も和やかなものだったのだろう。
もともとナコナサワンは華僑系の街で、大福もいつしか中華風の菓子になって行ったのではないかと想像される。
[森山さんたちが駐屯してたのはこのパークナムポー駅近くだったらしい]
蒸篭を抱えた売り子が「サラパオー、サラパオー」と声をかけながらやってきた。
「ナコンサワン名物のサラパオだよ」みたいなことも言っている。
サラパオとは中華饅のことで、なるほど華僑の街ナコンサワンはモチだけでなく、中華饅も名物だったらしい。
20バーツと10バーツの2種類があり、20バーツは大きくて、お肉がはち切れそうなほど入っているのだそうだ。
しかし、私はそんなにお肉好きではないし、まだ空腹も覚えないので、10バーツのサラパオを一つ求める。
なるほど、餡の方は日本のスーパーで売っている井村屋の中華まんと同程度のようだ。
しかし、味は悪くないし、饅頭の白い皮も素朴ながらもっちりしていて、なかなか美味しい。
[10バーツのサラパオだと餡はこんなもん]
いままでの水田地帯だった車窓からの眺めが、サトウキビ畑に変わった。
16:30 ノーンポーという小さな駅に停車。
時刻表では16:31発となっているが、時間になっても動く気配がない。
車内アナウンスがないのは、旧式の汽車のため、客車に放送設備がないからだけど、日本のように時間を気にしている人もいないようだ。
[サトウキビ畑、いまは収穫期の真っ最中]
10分、20分と過ぎて、やがて後方からチェンマイを8時50分に出たディーゼル特急が追い抜いていった。
ディーゼル特急だとバンコクまで10時間半で走り抜けてしまい、こちらがバンコクに到着するよくも2時間も早く着いてしまう。
[こちらは快速、特急に抜かされるのは仕方ない]
このあたりまで来ると列車の往来が頻繁になるが、それでも単線のため、列車の交換や追い抜きなどで、駅ごとに待ち合わせや時間調整が入り、この快速列車にも20分くらいの遅れが出てきた。
車窓の景色は、サトウキビ畑からひまわり畑に変わった。
日本でひまわりは夏を代表する花で、子供たちの夏休みの絵日記には必ず登場するところだが、タイでは冬の風物詩である。
特にこのあたりはひまわり栽培が盛んで、この時期は一面見渡す限り黄色一色で、なかなか壮観である。
何年か前には、このひまわり畑を見学するために特急列車を借り切ってツアーを用意したことがあるが、ひまわり畑へ足を踏みいれると、肌が少しかぶれて痒くなった記憶がある。
それと、車内でのお弁当用にモンティエンホテルでカオマンガイのお弁当を用意してもらったが、ボリュームがありすぎて、食べ残すことが多かった。
ここのカオマンガイはとてもおいしいので、もったいないなぁと感じたものだった。
[もう夕方なので、ひまわりも首を垂らしている]
17:43 ジャンセーンという駅に停車。
時刻表では通過する予定の駅であるが、ここでも対向列車との交換がある。
対向列車の方が先に来て切っている形であったが、その対向列車はこの快速列車の兄弟に当たるような列車で、バンコク発のチェンマイ行きの快速で、たぶん明日の未明にチェンマイへ到着して、6時半に折り返しでバンコク行きになる列車のはず。
この対向列車も30分ほど遅れているようだ。
対向列車の編成を見ていたら、なんと寝台車が2両も連結されている。
しかも、そのうちの1両はエアコン付きである。
このエアコン付きの寝台車、明日はお客を乗せずに回送扱いになるのだろうか?
このままチェンマイへ引き返して、確認してみたくなる。
[紫色の車両はエアコン付き二等寝台車]
6時少し過ぎ、夕焼け空。
ヤシのシルエットの中に太陽が沈んでいく。
南の国の、乾期の今、夕焼けが一段ときれいに見える。
[日の出前から走り始めて、日没になってもまだ先は長い]
18:19 薄暗くなり始めた中でロッブリー到着。
クメール時代からの遺跡が残る街で、駅周辺にもヒンズー様式の遺跡が眺められる。
そして、この町にはサルもたくさん棲みついている。
野生のサルと言うより、野良のサルとでも呼びたくなるようなイタズラ者で、遺跡の中などにたくさんいて、ときどき悪さをする。
タイにはたくさんの野生のサルがいるが、街の中にこれほどのサルがいるのはロッブリーだけではないだろうか。
線路際にもたくさんのサルたちが見られた。
[線路わきぎりぎりのところにもクメール時代の遺跡がある]
ロッブリーからは複線となり、列車の待ち合わせも必要なくなって、スピードも上がり始めた。
すっかり暗くなって、そとは田んぼなのか、真っ暗。
そしてまどから小さな虫が飛び込み始めた。
窓を閉めないと、虫だらけになりそうである。
[複線となり、列車待ちや交換がないので、スピードも上がる 信号も自動信号になっている]
7時、月が出ている。
昨晩もチェンマイで空に満月のように丸くて明るい月が出ていた。
しかし、今夜の月をよく見ると左端の方が欠けている。
昨晩と比べて、月齢が1日しか違わないはずなのに、どうしてこんなに欠けているのだろうか、昨晩まん丸く感じたのは見間違いだったのだろうか?
[昨晩チェンマイで眺めた丸い月]
19:22 遅れを取り戻し始めて、6分遅れでアユタヤ到着。
つい今しがた眺めた月が、さらに欠けていて、半分くらいになっている。
ネットのニュースに今夜は日本では夜10時くらいに皆既月食が見られると出ていた。
なるほど、日本で皆既月食なら、タイでも月食で半分くらいになるのだろう。
[写真だとわかりにくいが、月が半分くらい欠けている]
19:42 バーンパイン、月はさらに欠けて三日月のようになった。
携帯電話のカメラで写真に収めたいと思うが、肉眼で見ているようにはなかなか写せない。
それにズームを利かせても、ちっとも大きくなったように感じられない。
私の携帯電話の性能が悪いのだろうか。
[月もだいぶ細くなり、ちょうど三日月くらいだろうか]
バンコクが近づき、工業団地や大学が増えてくる。
このあたりから徐々に汽車を降りる人が増えてくる。
20:11 ドンムアン到着。
チェンマイから乗り続けてきた、西洋人のカップルも降りていった。
今晩のドンムアン空港発の飛行機にでも乗るのだろうか。
[空港ターミナルとは歩道橋でつながるドンムアン駅]
チェンマイから乗り続けている快速列車の2等座席車は、この編成の中では一番旧式の車両のようである。
先にも書いたが、窓枠はアルミなどの金属製ではなく木製。
窓枠だけではなく、車内は壁なども木製である。
たぶん、日本製の車両だと思われ、車内の仕切り扉の上に、製造元が刻まれたプレートがあった痕が残っている。
どうしてプレートを外してしまったのかわからないが、以前のタイの客車にはみんな付いていた。
この車両番号はBSC84となっており、ネットで出自を調べてみると1957年に近畿車両で製造されたものらしい。
既に60年も使われているわけで、こんなに古い客車が現役で毎日長距離を走っているのはタイくらいではないだろうか。
[出自を示す楕円形のプレート跡だけが壁に残っている]
20:40 バンスー到着。
もともとバンスーには機関車の整備場や車庫、貨物のターミナルがあったが、現在は新しいバンコクのターミナル駅、それも無駄と思われるくらい大規模なものを建設中。
これが完成したらば市内中心部のバンコク駅を廃止して、ここに移転するらしいのだが、利用者にとって便利になるとは思われない。
なんとなく第二のエアポートレイルリンクのマッカサン駅になりそうな予感がする。
[タイは箱モノを作るのが目的化している 完成と同時に無用の長物となることもある]
この建設中のターミナルには現在中国が進めているタイから雲南省までの高速鉄道も乗り入れてくるようだけれど、中国は別に旅客用の高速鉄道が欲しいのではなく、バンコクなどよりレムチャバンなどの港と、中国内陸部を鉄道で結び、貨物輸送に使いたいのだろう。
日本も中国への対抗心からか、熱心に新幹線をタイに売り込んで、バンコクとチェンマイを結ぶ計画に熱心なようだけれど、今回この快速列車に乗って感じたことでもあるが、新幹線などと騒ぐ前に、まず既存の鉄道の整備を優先すべきであろう。
電化されていないのはまだしも、路線の大半が単線では輸送力として片手落ちである。
そして、チェンマイにしたところで、大都市と呼べるような規模ではないし、それ以外の沿線都市も、地方都市のレベルにもならないくらいだ。
日本の新幹線は、かつて輸送量の限界に達した東海道線や山陽線の問題を解決するために、作られ成功したものだろうけど、その後の北陸新幹線や九州、北海道新幹線など、新幹線を走らせることが目的化してしまい、採算も合わず、在来線は切り捨てとなっている状態。
いわんや、このタイなどは新幹線を売り込むことが目的で、日本にとってもタイにとっても、将来的に負の遺産となりかねない。
中国が雲南省から、タイ湾への出口を求めるがために、鉄道を建設するのと同じように、日本にとって必要、また周辺地域の国々にとって、最も経済効果が高いのは、ベトナムからタイを横断して、ミャンマーへ抜けるインドシナ横断鉄道だと思う。
日本が必要な石油などの海上輸送で使われるマラッカ海峡の混雑は限界に来ているし、またマレー半島を迂回するので、所要時間も伸びてしまう。
もし、ベトナムからミャンマーまで鉄道ができれば、南シナ海からインド洋へ物流革命となるだろう。
また高速鉄道ではなく、インドシナ標準軌とされるメーターゲージを採用すれば、インドシナ各国相互の物流にも大きく貢献ができる。
中国への高速鉄道は、中国の標準軌で作られるため、コンテナなどの物流は、レムチャバン港から中国へ直行するだけで、タイ国内や近隣国との輸送にはレールの幅の違いから共用することはできない。
まさに中国のためだけの鉄道をタイに伸ばそうとしている。
タイでも皆既月食となったようで、完全に地球の影に月は隠れて、赤銅色のブラッドムーンになっていた。
[小さくてわかりにくいが、肉眼だと迫力のある球体に見えた]
このバンスーでチェンマイから快速列車を引っ張ってきたディーゼル機関車が交代するようで、機関車の付け替えが行われ、チェンマイからの機関車は車庫の方へ走って行った。
また、バンスーには地下鉄が接続しているからか、この駅で降りていく乗客も多かった。
せっかく取り戻した遅れも、ふたたび15分ほど遅れてバンスーを出発。
21:22 終点バンコク中央駅に到着。
私のシートのすぐ後ろの2人連れも、チェンマイからずっと乗り通して来ていた。
正確には14時間52分の長旅となった。
乾期で比較的過ごしやすい季節だったことと、心配した埃も大したこともなく、事前に覚悟をしていたほどの難行と言うこともなく、まずまず快適で楽しい汽車旅であった。
[バンコク中央駅に到着 最後まで乗り通した人はそれほど多くないようだ]
[バンスーで交代した日立製の新型機関車]
チェンマイからバンコクまでの快速二等指定席の切符代は391バーツでした。
バスを乗り継ぎながら一時間ほどかけて帰宅、部屋の窓から月を探したら、昨日と同じ黄色い大きな満月に戻っていた。
終