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血圧レッドゾーン脱出作戦
6月18日 木曜日

今月もピサヌロークのスタッフたちは週に三日、月・火・木しかオフィスに顔を出しません。
私の方は、土日関係なしで、バンコクに行っていない限りほとんど毎日のように朝から晩までオフィスに詰めています。
ピサヌロークの下宿先の部屋があまりにも暑くて、とてもじゃないけど日中を部屋で過ごすのは耐えられないという事情もあるし、今のうちにやっておきたい、準備したい業務も溜まっています。

ナーン川の夕焼け空
[夕焼け空]

スタッフたちが来る日のスケジュールは、月曜日には座学で、オフィス内でガイドの練習。
もう、おんなじテキストを何か月も続けているのに、まるで落ちこぼれの小学3年生の子供が、国語の教科書を音読しているように、テキストを読むだけでつっかえつっかえです。
日本語として理解して案内をさせるには、そもそも日本語のレベルが低すぎるのだから、九官鳥に言葉を教えるように、案内文の丸暗記をさせるしかないわけです。
自分自身、もう40年も前に、観光バス会社でアルバイトをしていた時に、バスガイドの研修に参加させてもらったことがあり、その時に指導してくれたガイドの先生が、「歴史のこととか、難しいことはたくさんありすぎるから、深いことは考えなくていいから、広く浅く丸暗記しちゃいなさい」と教えてくれた。
今自分が、それと同じことをスタッフにやらせているけど、なかなか丸暗記してもらえない。
ずっと牛歩の歩みと言うか、三歩進んで二歩下がる。練習を三日休めば四歩も下がるといった状況。

火曜日と木曜日は、実際に歴史公園まで出かけて、現地での実地研修。
こちらは指導教官だけでなく、往復送迎の運転手までやらなくてはならないので、ヘトヘトになる。
特に、先週まではとても熱くて、熱射病になってフラフラになりそうだった。

現地研修
[スコータイ歴史公園での現地研修]

タイはもう以前から雨期に入っていたのだけれど、どういうわけかピサヌローク周辺はほとんど雨が降ってくれなかった。
雨雲が空を覆うこともあるけれど、結局からすかしだったり、降っても少しだけだったのだけれど、一昨日の夜半からやっと雨期らしくなった。
昨日も一日中降ったりやんだりで、スコータイでのガイド研修も傘を差しながらという場面が多かった。
雨が降ってくれたおかげで、だいぶ涼しくなった。

以前から血圧の数値に問題が大ありだった。
特に先月あたりは、血圧の上の数値が170近くで、下の数値は100を超える状態にまで悪化していた。
完全にレッドゾーン。
病院へ行けば、ほぼ確実に「血圧を下げる薬を飲むように」と言われるのが目に見えている。
しかし、血圧の薬は、一度飲み始めたら死ぬまで飲み続けなくてはならないらしい。
元来、薬なんて好きではないし、「必ず最後まで飲み続けるように」と言われた抗生物質もだいたい飲み忘れなどで、飲み切ったためしがない。

高血圧レッドゾーン
[血圧が高過ぎ、危ない]

高血圧に関する対処法をネットで検索。
私は自慢じゃないが、肥満体ではない。
しかし、以前から血中脂肪が多いと指摘されてきているし、悪玉コレステロールの数値も悪い。
私の高血圧の原因は、このへんから来ているのだろうと想定して、まずは食生活の改善に努めることにする。

もともと、肉類をほとんど食べないけれど、野菜も実際のところあんまり食べていない。
血中脂肪、悪玉コレステロール、高血圧のいずれも「緑黄色野菜」が効果的らしいが、いままでほとんど取れていなかった。
また、味付けの濃いものも大好きで、ご飯に醤油をかけたりもしていた。
塩分を控えなくては。
日頃ランチは外食で、簡単なタイ飯ばかりだし、ランチは仕方ないとして、朝と晩は徹底した「高血圧対策食」に徹することにする。
大好きな炭水化物は、やめられないけど、ほぼ毎日食べてた即席ラーメンを食べる回数を減らすことにしよう。

ということで、ベーシックな朝食メニューは、主食は「もりそば」、おかずはニンジンとキャベツと玉ねぎにマナオ汁をかけたもの。それと果物。
夕食は、ご飯にキュウリ、ニンジン、玉ねぎ、イワシかサバの缶詰。
野菜にはドレッシングをかけたりしない。
一口サイズに切って、そのまま生のまま食べる。

これを続けているうちに、ニンジンにはニンジンの香りや甘さがあることに気づいたし、タマネギも美味しくたべられる。とくにマナオの汁をかけたらビールのツマミにもなる。

イワシ缶詰めのヤム
[ほとんど毎食こんな感じのメニュー]

本来はアルコールも控えるべきだろうけど、「これなくして何が人生の楽しみか」と言う勝手な理屈で、飲む量、回数とも減らしたりしない。

効果はてきめんであった。
食事療法(?)を始めて一週間で、血圧の下の数値が100を越えることがなくなった。
二週間目で、やはり下の数値が90を割るケースが見られるようになった。
そして、三週目には、ほぼ恒常的に血圧の数値がレッドゾーンから脱出できた。

血圧平常値
[血圧の値もだいぶ良くなってきた]

現在は、血圧は下が80台前半から、上が最大でも140まで。
ほぼ、完全な健康体と言えるのではないだろうか。
今年も例年通り会社の健康診断がサミティベート病院で行われるのか分からないけど、この数値なら毎年「血圧の薬を飲みなさい」と言われるお医者さんを黙らせることができそうだ。

今週、月曜日(6月15日)から食堂でビールが飲めるようになった。
さっそくビール提供再開当日に「空飛ぶ空芯菜」の店へ行き、ビールを注文。
料理は「揚げ豆腐入りレモングラスのヤム」と「空芯菜炒め」。
料理が出来上がるのを待ちきれずビールをゴクリといただく。
先月からビールの販売は再開されていたので、ビールに飢えていたというわけではないけれど、やっぱり狭い部屋で飲むのと、オープンエアの食堂、それもリバーサイドでいただくのでは、味が違う。
ビールグラスにはたくさんの氷が入っているから、実際のところ味が違うわけだけれど、開放感で満たされる感じだ。

ビール再開しました
[空飛ぶ空芯菜の店でビールに再会しました]

ビールが飲めるようになったら、もう一つ行きたい食堂がある。
ナーン川に浮かぶイカダ食堂、「ペ・ピローク」。
3月の下旬、アルコール禁止直前にこの店でネコの遺影とともにビールを飲んだ。
その後、店はずっと閉まったまま。
ビールの提供禁止規制が解けた今現在も再開されていない。

以前にも何度か書いているけれど、ピサヌロークの下宿先にはウォッカと言うキジネコがいる。
まだ私のネコが元気だった去年の10月頃から、私の部屋へやってくるようになった。
雄ネコで、うちのネコに言い寄りに来ていたようなのだけれど、ネコが2月に死んでからも、ネコの仏前に供えたキャットフードを下げたものを食べに毎朝のようにやってくる。
だいたいはキャットフードを食べ終えたらば、もう私の部屋には用はないといった顔で出て行ってしまうのだけれど、ウォッカは私の姿を見かければ、すぐに寄ってくるようになった。
階段の上り下りの時など、私のネコがしていたように、嬉しそうにやってくる。
私の部屋にやって来る目的がキャットフードで、私を見て寄ってくるのも条件反射みたいなものなのだろうけれど、それでも悪い気はしない。
それより、ふだんちゃんとエサをもらっているのだろうかと気になるくらいだ。

ウォッカ
[私の姿を認めると、階段をかけ上ってくる]

昨日、スコータイのラムカムヘン博物館でボロボロのネコを見かけた。
痩せこけて、背中をなでると背骨のゴツゴツがはっきりわかる。
皮膚病で痒くて掻きすぎたのか、耳からは血が出ている。
そして、左目を失明してしまっているようだ。
それでもゴロゴロと喉をならす。
博物館の人に尋ねたら「歳とっているから」とまるで無関心に答える。
このままここに放置して立ち去っても良いのかと、悩みながらも、そのまま博物館を出てしまった。
そのあとも、やはり動物病院へ連れて行って手当してあげるべきだったのではないかと、何度も思い返してしまう。
飼ってあげられないまでも、健康体にしてあげて、また博物館へ放してやればいいだけではなかったのだろうか。

夕方、スタッフたちが質問に対して嘘をついたので、大変に不愉快になる。
彼らの嘘など、すぐに見抜けてしまうのだが、それをまた胡麻化そうとする。
どうも、嘘をつくことをそれほど悪いことだとは思っていないようだ。
しかも、嘘がバレれば、もう嘘をついていたことにはならないとでも認識している節がある。
そのため、夜寝る前になっても、ずっと不愉快でイライラしていた。

そうしたら、やっと下がった血圧が再び危険ゾーンに突入してしまった。
「これだけ苦労して血圧下げたのに」と思ったら、さらに頭にきて、もっと血圧が上がってしまっている気配がする。

血圧上がる
[まったくもう]

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| 日常 | 04:09 PM | comments (0) | trackback (0) |
テープレコーダー
5月15日から17日にかけて、またバンコクに戻っていた。
バンコクではカセットテープレコーダーを修理した。
長年使ってきたカセットテープレコーダーではなく、母がたぶん中古屋で買ったと思われる「母の形見」のテープレコーダーで、前回スイッチを押したら動かなかった。
分解してみたところ、モーターの回転を伝えるゴム製のプーリーベルトがダメになっていた。
ゴムが伸びてしまっているし、弾力性もなくなっていた。

小型ラジカセ
[アイワの小型ラジカセ]

以前にも妻のウォークマンを修理した際に、同じようにゴム製のプーリーベルトがダメになっており、交換した経験がある。
その時は、代用品を色々と探したけれど見当たらず、結局アマゾンで何種類かのゴムバンドを買って、その中でサイズが合いそうなものを装着して、ウォークマンから音が出るようにした。

その時取り寄せたゴムバンドがまだバンコクにあったはずと思い、今回バンコクへ行ったついでに作業を行った。
何種類かのうちで、なんとか役に立ちそうなのが一本あった。
本当は太さが0.6ミリ程度の細いものが良かったのだけれど、使えそうと判断したゴムバンドは太さが1ミリもある。
そして、少しゆがみもある。

プーリーベルトの代用品装着
[ゴムバンドをプーリーベルトの代用品にする]

それでも、ないよりはましで、モーターの回転がプーリーに伝わって、テープレコーダーは動き出し、音が出始めた。
しかし、酷いひずみ。
ゴムバンドのゆがみからひずみが発生しているようで、これは仕方がないだろう。
しかし、テープの回転速度が遅くて、オバケのような声になっている。
これは何とかしたい。
テープレコーダーはアナログなので、どこかで調節できるのではないかと期待をして、プリント基盤にハンダ付けされているパーツを眺めてみる。
マイナスドライバーで調節できそうな部品がいくつかあったけれど、ほとんどがラジオに関する部品。
しかし、ひとつだけ毛色の変わったボリュームがあり、基盤の配線をたどってみると、モーターに直結している。
たぶんこのボリュームでモーターの回転スピードを調節できるのではないかと、ドライバーを突っ込んでねじってみると、確かにモーターの回転速度が変わるようで、オバケの声が人間の声に近づいてくる。ほぼ限界いっぱいまで右にひねったところで、ひずみでちょっとビブラート気味になってしまっているけど、音楽以外なら納得できるレベルになった。

ラジカセのプリント基板
[黄色いパーツがモーター回転数調節ボリューム]

そもそも、なんでカセットテープレコーダーを修理する気になったかだけれども、どうした加減か、バンコクにはお菓子箱に詰めてカセットテープを何本か持ってきていた。
その中の大半がキャンディーズのカセットだけれど、なかにラジオ深夜放送から録音したものもある。
中学生の時、ラジオの深夜放送が好きだった。
TBSラジオは、特に気に入っており、夜9時から始まる「夜はともだち」という番組から、「ファイブスイーツキャッツ」、「パックインミュージック」そして「歌うヘッドライト」まで、ベッドの中で半分寝ぼけながら聞いていたものである。
月水金の「夜はともだち」と月曜から日付が変わった火曜日に番組担当していたアナウンサーが小島一慶さんで、私はファンだった。
この小島一慶さんが、先月癌で亡くなられていたと訃報にあった。
「夜はともだち」の火・木を担当していたのは林美雄さん。
林さんは水曜日の「パックインミュージック」も担当されていた。

「パックインミュージック」はリスナーからのハガキによる話題を中心にアナウンサーの個性がはっきり出ている番組で、それぞれの2番組ごとに集まるリスナーたちは一種のサークルのような存在だった。
その「パックインミュージック」、小島一慶さんの最終回を録音したテープが出てきたので、聞きたかった。
本来は午前1時から午前3時までの2時間番組。
それを60分のカセットテープに録音したので、テープは2本あるはずなんだけれど、お菓子箱には1本しか入っていなかった。
小島一慶さんの甲高い声を懐かしく聞くことができた。
もう、40年以上も前の録音だし、テープも伸びたり、傷んだりしているので、これをデジタル・コピーしてパソコンに入れようとしたのだけれど、テープレコーダーの音をパソコンにうまく録音させられない。
パソコンをよく見たら、今のパソコンはマイクジャックがない。
マイクやスピーカーがそれぞれ単独ではなく、ヘッドセット用に一つにまとまったジャックになっている。
時代はどんどんと変わっているようだ。

当時の「パックインミュージック」を担当したパーソナリティたちも、小島一慶さんだけでなく、ほとんどが鬼籍に入られていた。
小島一慶さんと同じTBSアナウンサー林美雄さん。
愛川欽也さん、野沢那智さん、白石冬美さん。

野沢那智さん、白石冬美さんのナッチャコ金曜パックの最終回を録音したカセットも出てきた。
これは60分テープ2本、ちゃんと2時間分がそろっていた。

最近の深夜放送と言うのがどのような番組なのか知らないけれど、1970年代の深夜放送を、そしてもう何十回も効いているはずのテープで聞いても、面白いと思うし、引き込まれてしまう魅力があるように思う。

林美雄さんの「ミドリブタパック」では、荒井由実(松任谷由実)の曲が毎週のように流されていた。
今年になって、ピサヌロークとバンコクを往復する車の中で聞いているのは、古い荒井由実の曲ばかりである。
その歌詞をじっくり聞いていると、なつかしさだけではなく、今の自分の心に沁みてくるものがある。
「飛行機雲」という歌は、毎朝托鉢に回ってこられるお坊様へタンブンする際に、お坊様が短いお経の一節を唱えてくださっている間、ずっと心の中でうたっている。
この歌を、私のネコへ届けたいと思って路面にひざまずき、手を合わせて、心の中で歌っている。

県境の検疫チェックポイント
[ピサヌロークとバンコクの間にはときどき検疫チェックポイントがある]

ピサヌロークではネコの仏前に、毎朝お水とキャットフードをお供えしている。
キャットフードはネコが生前に食べていたものが残っていたので、それを毎朝少量ずつお皿に出してお供えしてきた。
翌朝になって、下げる時、キャットフードはアパートのネコ、ウォッカにあげることが多かった。
ウォッカも私の部屋に来ればキャットフードにありつけることを知っていて、ほとんど毎日訪ねてくる。
ときどき来ないときは、下げたキャットフードをビニールの小袋に入れて持ち歩き、街でネコを見かけたときに食べさせている。

その生前からのキャットフードもついに無くなってしまった。
これでもうキャットフードをお供えするのはやめてしまおうかとも思ったりしたけれど、やっぱりちゃんとお供えし続けた方が、私自身の精神衛生状態にも良さそうなので、スーパーでキャットフードを買う。
うちのネコは、どのメーカーのキャットフードでも好き嫌いなくよく食べてくれていた。
Me-o Friskies Whiskas のいずれかを、だいたいその時一番安かったものか、プロモーションでどんな試供品が付いているかで決めていた。
1.2キロ入りで100~120バーツほど。
これまでネコの仏前に供えてきたのはMe-oのツナフレーバーだった。
そして、今回新たにスーパーで購入したのはFriskies。
購入理由は生前と同じで、安かったことと、レトルトの小袋が試供品として付いてきたこと。
もう試供品などもらってもどうしようもないけれど、しかし、試供品もネコの仏前に供えたら、ネコが喜んでくれそうな気がした。

しかし、うちのネコは、どのブランドのどのフレーバーでも食べてくれていたけれど、アパートのウォッカはそうではなかった。
Friskies を下げて、食べさせようとしたら、まったく食べようとしない。
仕方なく、ビニールの小袋に入れて持ち歩いていたけれど、バンコクで朝ジョギングをする際に、よくネコたちに会うので、そのネコたちに与えてみた。
バンコクのネコたちはだいたいよく食べてくれて、小袋は空になった。

子猫にお下げ渡し
[外の仔猫は仏前から下げたキャットフードもよく食べてくれる]

そのウォッカも、私の部屋に来ても Friskies しかないことを理解したのが、バンコクから戻ってしばらくすると、Friskiesも旨そうに食べるようになった。

何年か前から、健康診断のたびに高血圧を指摘されていた。
医師からは薬を飲むことを勧められてきていたが、なんとか生活習慣から改善すると言い訳して薬の服用を渋ってきていた。

しかし、今年に入って最低血圧が100を越える事が多くなってきた。
上の数値も160台。
ネットで見るとすでにレッドゾーンらしい。
それでも、薬は飲みたくない。
毎年の健康診断で指摘されるのは、血圧、血液中の中性脂肪、悪玉コレステロール。
遺伝的な体質の問題もあるのだろうけれど、肉はほとんど食べないし、毎朝ジョギングもしている。
しかし、数値がどんどん悪くなってきている。

私は確かにお肉はほとんど食べないけれど、食べているものは炭水化物が圧倒的。
野菜の量が足りていない。
それとイワシやサバなどの青魚が良いらしいが、魚も食べていない。
少し本気で食生活からの体質改善を目指すことにする。

もともと濃いめの味付けが好きだったので、減塩に努める。
醤油や塩の代わりにお酢を使うようにする。
インスタントラーメンとかもなるべく控えよう。
緑黄色野菜を積極的に食べよう。
ということで、イワシの缶詰を買ってきて、野菜類と合わせて食べたり、生のニンジンをかじったりし始めている。
どのくらい続けられるかは分からないけど、はやく薄味に慣れるようにしなくては。

イワシのトマト煮
[タイで魚の缶詰といったらだいたいが「イワシのトマト煮」]

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| 日常 | 02:26 PM | comments (0) | trackback (0) |
ネコは飼えませんね
タイも5月はゴールデンンウイークになっている。
今年は飛び石ながら、1日から6日までが連休。
コロナで一斉休業になっているので、6連休。
休みをどう過ごすかだけれども、ピサヌロークのアパートの部屋にこもっているのは、あまりにも暑すぎて熱中症になる危険が高い。
ピサヌロークにおととしから住んでいるけれど、毎日日中から夜遅くまでオフィスにいたし、休みの日もバンコクへ行ったり、日本へ帰っていたりと、日中に部屋にいたことがなかったので、こんなに暑いとは今まで知らなかった。
アパートの部屋が西向きで、西日に焼かれ、壁も、天井も、床も、みんな熱い。
こんなに暑いところでこれまでネコに留守番をさせていたわけで、ネコもさぞかし苦しかっただろうと、今になって気が付いた。
そのネコも、あの世に旅だってしまって3か月になる。
以前に比べて、ネコがいなくなってしまったことを、少しは受け入れられるようになってきたけど、今でもやはりネコの存在は大きかったことを、何かにつけて感じることが多い。

火焔樹
[ナーン川沿いの火焔樹]

6日間の休みのうち、1日から5日までの間、バンコクへ行っていた。
ピサヌロークのアパートと違って、バンコクのアパートは涼しい。
7階の角部屋、南東向き。
西日は差さないし、窓を開ければ、風が抜ける。
エアコンもほとんど必要としない。
部屋もピサヌロークより広いし、調理台もシンクもあるので食事にも不自由しない。

ただ、タイはまだ非常事態宣言下にあり、県を越えての移動にも制限があり、いろいろとうるさい。
ピサヌロークは出張先で、バンコクが居住地ということになっているので、ちょっとグレーだけれども、県を越えての移動にも大義名分が立つと思っている。
しかし、いくつもある検問で、いつ足止めされるかもわからない。
県によっては、2週間の隔離などと県条例を出しているところもある。

そうした不安要素もあるのだけれど、最近は「ネコが守ってくれている」と確信に近い思い入れがある。
この2か月ほど、運よくとか、ギリギリとか、なんとかと言った感じで、乗り越えられた様々な難題ケースがあった。
それは、きっとネコが守ってくれたんだと思っている。
そして、神頼みではないけれど、事あるたびに、ネコに手を合わせて拝み、そして、ネコに救われて、ネコに感謝をしてきている。
もはや、ネコは私にとって神格化してきているようだ。

バンコクへのドライブはネコに守られていることもあり、順調であったけれど、前回比べると交通量がだいぶ戻て来ているように感じた。
特にナコンサワンを過ぎると、バンコクからの下り車線は以前ほとんど変わらないくらいの交通量だ。
ほんのわずかだけれども、長距離バスや小型バスも見かけた。
移動制限が少しは緩和されてきたのだろうか、それとも1か月に及ぶ規制で、ダレが出始めているのだろうか。
県境の検問所も、フリーパスになっている場所が多くなっていた。
バンコクへ向かう乗り合いバン
[移動制限が緩和されたのか、乗り合いのバンも少しずつ動き始めたようだ]

5月2日、夕食には鍋を食べようと思い、コンビニへ豆腐を買いにソイの入り口へ向かって、歩き始めたところ、道端に黒い子猫が死んでいた。
まだ生まれて数週間程度の小さな子猫で、一瞬ネズミが駆除されて死んでいるのかと思ったが、近づいてみたらば、黒いネコであった。
道端で死んでいた子猫
[道端に仔猫の死骸が転がっている]

そのまま行き過ぎ、コンビニへ向かったが、コンビニには私が買いたかった豆腐は売っていなかった。
玉子豆腐ならばあったけれど、玉子豆腐は使いたくない。
コンビニからの戻り道。
また死んだ子猫の前に来た。
このままコンクリートの道端に放置されているのでは、あまりにもかわいそう。
このソイは奥にある寺院の関係で、絶えず清掃が入るので、そのうちに処分されるだろうけれど、死んでいても、ゴミなんかじゃない。
拾い上げて、道の反対側にある花壇の端に埋めてあげることにする。
外傷はないようなので、車にはねられたわけではなく、たぶんまただオッパイを飲むくらいの大きさだから、きっと母親ネコとはぐれてしまったのだろう。
まだ、死後硬直はしていないのか、弾力がある。
ぬくもりがあるように感じるけど、これは日中の太陽に焼かれたコンクリートの道路の上だったから、路面の熱なのだろう。
しかし、数時間前までは、この子猫は生きていたはずである。
私が、こう少し早くこのソイを歩いていたら、この子猫の命を救ってあげられたかもしれにーない。
もし、助けることができたらば、どんなに良かったことだろう。
私のネコと同じ、黒いネコ。
私のネコの生まれ変わりのような気持に私はなるだろう。
しかし、私の拾い上げた子猫は既に死んでいる。
手足を伸ばした形は、私のネコが死んだ時と同じ姿だ。
黄色いカンナの花が咲く、道端の土を掘ってネコを埋めてあげる。
石ころが多く、まだ泥交じりで、決して埋めてあげる場所としては理想的ではないし、深くも掘ってあげられなかった。
ごめんね。
子猫を埋める
[ごめんね]

バンコクでも毎朝起きてからジョギングをしている。
ソイの中を走るのだけれど、私のアパート周辺には工事現場で働く労働者たちの飯場になっていて、朝の時間はヘルメットにそろいのシャツを着た労働者たちが、ソイをたくさん歩いている。
労働者の中には女性も多い。
みんなトタンでできた建物の中で、暮らしている。
ソイの奥へ行くとコミュニティーと呼ばれる貧民街のようなところがある。
湿地帯で、モスリムも多い場所だけれども、朝走っている限りにおいては、とても平和でのどかな風景で、私は好きである。
なんとなく、貧しい家ばかりだけれども、昭和40年前後くらいの街のように感じる。

このジョギングコースの中で、何匹ものネコに会えるのも、楽しみである。
モスリム居住区には、とくにネコを飼っている家が多い感じがする。
モスリムなので宗教的に犬を飼っている家が少ないから、ネコが多いのかもしれない。
ソイの一番奥まったところに、ネコを何匹も買っている家がある。
ネコはいずれも紐でつながれているのだけれど、その中に黒ネコがいる。
まだ生後3カ月から4カ月くらいのネコのようで、ちょうど私のネコがうちに来たときくらいの大きさである。
警戒心が強くて、手を差し出すとフーと威嚇してくるところなども、私のネコとよく似ている。
三カ月くらいの黒ネコ
[黒いネコに、私のネコの面影を求めてしまう]

日本人学校の裏手に当たるところには、生後1か月くらいの子ネコが二匹いる。
この子ネコは人懐こくて、すり寄ってくるタイプ。
オスとメスがいて、メスの方は少し警戒心が強いようだ。
車が出入りするところの警備員からエサをもらっている。
二匹の仔猫
[粗末だけどエサをもらえていて、小さな幸せがある仔猫なんだろう]

他にもたくさんのネコが道を歩いていたり、軒先に隠れていたりするが、俗にいうストリートキャットではなく、みんな誰かに飼われている感じである。
ノラや捨て猫でないことが救われるのだけれど、もしノラや捨て猫がいたとしたら、衝動的に連れ帰りたくなりそうだ。
ネコがいなくなって、3カ月。
今までいたものが、いなくなってしまったという現実に少しずつだけど慣れてきたとはいえ、やっぱりネコにいてほしい気持ちは依然としてとても強い。
なので、ネコを飼いたい。
モスリム地区のネコ
[ネコたちにとっては居心地の良いエリアなんだろう]

しかし、コロナウイルスの影響は甚大で、今はタイから外へ出ることができないけれども、それがいつタイに暮らし続けられなくなってしまう日がやってくるかもわからない。
それが、1か月先だとしても不思議でないし、このコロナがあと半年も続けば、仕事を取り巻く環境も破滅的になっているはず。
そして、日本へ引き上げることになった時に、もしネコを新しく飼い始めたとしたら、ネコのための検疫手続きが間に合わない。
ワクチン注射やICチップの埋め込み、抗体検査など、半年以上の時間がかかってしまう。
そして、自分自身半年後の状況がさっぱりわからないのだから、いまからネコを飼うなどということは不可能である。
そう自分自身に言い聞かせるのだけれど、その一方で、仕事のことが先がわからなくても、今後数年くらいタイに居留を続けることくらいできそうにも思えるので始末が悪い。

だけれども、よくよく考えると、ネコと一緒にいたいという感情は、ネコと言う動物を飼いたいというのとは違って、私のネコ、死んでしまったネコの分身を求めてのことであろう。
いまだに、「あのときネコはこうだった」「そのときネコはこうしてくれた」と思い出すことが多いので、仮に新しいネコを飼ったところで、そのネコに求めるのは、私のネコの姿や行動。
仮に、現代の最新技術を使ってクローンが誕生したとしても、しかし、実際には姿かたちは同じでも、私と暮らしてきた10年と言う時間の共有のないネコは、やはり別物に過ぎない。
それでは、新しいネコとの本当の暮らしは始められないし、私にとっても、そのネコにとっても不幸なことだと思う。
ネコにはネコの命や感情があるわけで、私のネコの姿を追っているうちはダメなんだろうな。
5月5日、ピサヌロークへ戻る。
ネコが死んでしまって、3カ月。
毎日、ネコに見守られていると感じている。
しかし、少しずつ、ネコの記憶が遠ざかっているようにも思える。
ウォッカ
[アパートのネコ、ウォッカはほとんど毎日部屋へ来てエサをねだる]

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