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htmlのお勉強
ソンクラン休暇で、バンコクには一週間滞在していた。
バンコクはピサヌロークと比べて、ずいぶんと涼しかった。
たぶん、アパートの部屋の構造上の関係もあるのだろうけど、ピサヌロークのバナーで炙られるような日差しはバンコクにはなかった。

ワットチャンタワントク
[日中の気温は40℃を越える]

ピサヌロークのスタッフたちには在宅勤務と称して、課題を与えているけれど、今月からスタッフたちには無給休日を取らせなくてはならず、結果的に先週は2日しか仕事をさせていない。
仕事と言っても、お客様もないので、ガイドの練習をビデオに撮ってアップさせるだけのことで、アップされたビデオを見る限り、実際にはビデオの作業に1時間程度しかかけていなさそうな感じがする。
しかし、仕事としてやらせられるような業務もないし、技量もないので、会社が個人商店なら、とっくの昔に店をたたんでいることだろう。

そういう私は、スタッフたちのビデオを確認し、これに対してコメントを入れているのだけれど、コメントで指示したことが、次回のビデオにちっとも反映されていないと、コメントも読まれていないのではないかと、むなしくなってくる。

ビデオでの練習
[内容を理解してのガイディングと言うよりオウムがしゃべっているのと大差ないかな]


ピサヌローク支店のウェブページが2月に突然削除されてしまっていた。
現地法人として、各支店がバラバラで展開するのは宜しくないとのことで、連絡もなしで削除されたものだから、当初は面白くないと不満に思っていた。
しかし、削除する理由があっても、削除した後どうするかは決まっていないようで、現状ではピサヌローク支店の案内は住所と電話番号が掲載されているだけである。

であれば、もう現地法人の枠から飛び出して、支店独自でウェブを展開してみてやろうじゃないかと言う気になった。
ウェブページを作るのなど、もう長いこと行っていない。
私の知らないうちにウェブページを作るためのルールもどんどんと変わってしまってて、ほとんど1から勉強のし直しを覚悟する。

かつて、「チェンマイ通信」としてホームページを作っていた時には、ドリームウェーバーというソフトを使って、簡単に作れていた。
今回も、古いソフトのCDを探し出してインストールしたものの、全く機能しないことが判明。
今のウェブページで使う文字はUniCodeと呼ばれるタイプのものらしく、古いドリームウェーバーにはUnicodeそのものがなく、Shift-JISという文字で、これで作ると今のブラウザだと文字化けしてしまう。
さらにCSSという考え方が一般化してしまい、ページの構成も全く変わっていた。

「チェンマイ通信」のころは、まだ30代で、若かったから理解力もあったし、解らないことがあれば教えてくれる友人もいた。
ただ、あの頃はインターネットもダイヤルアップで遅かったし、ページを置いているサーバーの容量も非常に小さかったので、写真などはなかなか使えなかった。
それに比べて、現在のネットのスピードはとても速いし、しかも常時接続なんて当たり前。
解像度の高い写真や動画だって、へっちゃらになっている。
パソコンのモニターも、ブラウン管式から大画面の液晶になって、ページも横に広く表示できるようになっている。
そりゃ、ウェブページの作り方も変わってくるはずだ。

しかも、最近はパソコンよりもスマートフォンでインターネットに接続している人が多いらしい。
そうなってくると、スマートフォンを使って表示した時にどう見えるかも重要になっているらしく、確かに同じウェブページでもパソコンとスマートフォンでは、ページの見せ方が変わっているのが当然になってきている。

もう勉強しなおさなくてはならないことが山ほどある。
それに、実際のところ自分で支店のウェブページを作ったところで、会社がそれを認めてくれるかどうかもわからない。
さらに、認めてくれたとしても、コロナウイルスの影響で、いつになったら事業が再開できるのかさえ見通せない。
つまり、作ったところで、使われる可能性はとても低いのだけれど、いまはとにかく時間があるので、こうした時間のある時に新しいことを学んでおくことも悪くないと考え、将来何かの役に立つのではないかと期待している。

試作中のページ
[メオダム・ツアーとして作りながら勉強]

そんなんで、この勉強とウェブページの試作をしていると時間が経つのがとても早く感じられる。
ウェブページを作るためのソフトもないので、html分をテキスト打ちで書いていく。
セミコロンやクォーテーションの付け忘れなど毎度のことで、ちっとも作業がはかどらないが、こうしたミスの積み重ねも勉強のうちと精進とて取り組んでいたら、夜遅くなってしまった。
時計を見たらば夜10時をだいぶ過ぎている。

こりゃ、困ったことになった。
現在タイ全土で夜間外出禁止令が敷かれていて、夜10時から外へ出てはならないことになっている。
しまった、これでは帰れないではないか。
オフィスに泊まろうと思えば、小さいながらソファもあるし、そこに丸まって寝れないこともないけれど、無給扱いでしかも、オフィスに泊まり込みなんてのは、ありがたくない。
こっそりと、しかし、全速力で無灯火のままの自転車のペダルをこいで、真っ暗な道を走って帰った。
車も走っていない、暗い道では、やたらと犬に吠えられた。
誰何を受けることもなく、無事にアパートにたどり着いたけれど、久しぶりに床に就いたのは、真夜中を回っていた。

たぶん、こんな状態があとまだしばらくは続くのだろうから、慌てることはなく、少しずつ勉強していこうと思う。

夜間外出禁止、酒類販売禁止、移動の禁止と今のタイでは禁止だらけ。
経済的にも身動きが取れなくなっているけれど、それに対して補償の話は耳にしない。
それに比べて、日本は「外出自粛要請」にとどまっているのに、「ひとり10万円の給付」だとか。
大金をかけてマスク配ったり、景気が悪くなれば、税収も減るし、その財源はどこから来るのだろうか。
これらもみんな国の借金なのだろうか?
銀行だってローンを申し込めば厳しい審査があるのに、国の借金は審査不要で制限なしなのだろうか?
コロナで経済的に悪影響を受けている企業や人はたくさんいるだろうけど、逆に売り上げが増えて、儲かっているところだってあるはずなのに、10万円を配るなんてポピュリズムだと思う。

そんなお金を使うよりも、もっと徹底して、厳しくウイルスの感染防止策を取ってほしい。
外出禁止の徹底を2か月も徹底すれば、日本はコロナから自由になれると思う。
お金を配ってもウイルスの封じ込めには、役に立たない。
このまま長引けば、来年に延期したオリンピックだって怪しいものだ。

今日のニュースによれば、早ければ来月早々にはピサヌローク県の移動制限は解除されるらしい。
まだ、バンコクは6月以降まで封鎖が続くらしいが、ピサヌロークでは、1か月少々の辛抱で、また自由な環境が戻ってくるらしいことは喜ばしいことだ。

ロックダウン解除

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| 日常 | 10:59 AM | comments (0) | trackback (0) |
消えたソンクラン
ネコが死んでしまって、二か月が過ぎた。
あれから、世の中は新型コロナウイルスが爆発的に拡大して、とんでもないことになってきている。
死んだ人がどのくらいいるかとか、どこでどのくらい発生しているかとか、緊急事態宣言とか、ニュースはコロナ一色。

食堂やレストランなどでは店内での飲食が禁止され、テイクアウトだけになってしまった。
ナーン川沿いのレストランでビールを飲みながらの夕食なども不可能になっている。
床屋やマッサージ屋なども営業停止。
ただでさえ眠ったようなピサヌロークの街が、ほとんど死んでしまったかのようだ。
夜10時から翌朝4時までの外出禁止令も発令された。

私の職場や業種など、影響を特に大きく受けており、スタッフは在宅で、私一人オフィスを守っている。
これはこれで、私にとっては好都合でもある。
ピサヌロークで借りている部屋は、日中、それも特に午後がひどい暑さなのである。
天井から強烈な太陽に焼かれた熱を発しているし、西日に当たっていた部屋の壁も熱くなっている。
いちさなエアコンなどでは、とてもではないが対抗しきれない暑さ。
こんな室内気温が何度あるかわからないような部屋に閉じこもっているのは、とてもじゃないが過酷すぎる。
その点で、オフィスは業務用の大型エアコンがあるので、暑さに苦しむことはほとんどない。

しかし、4月11日からはソンクラン休暇である。
タイ政府としては、年初に今年のソンクラン休暇は、コロナ感染の危険がある都市部から国民を地方へ行きやすくするためと称して大幅に延長すると発表していたものの、コロナが拡大して来たら、コロナが全国に蔓延しないように、今年のソンクラン休暇は延期するとの決定が先月あった。
この時点で、会社からはこの期間中は一斉休暇との決定が下された後であり、そのまま私は休暇に突入してしまった。

で、日中の暑さを避けてオフィスへ避難することもできなくなってしまうので、対応策として休暇中はバンコクのアパートへ帰っていることにした。

ピサヌロークでは今月初めから、ビールなどのアルコール販売が禁止されている。
バンコクでも、私がバンコク入りをするのに合わせるかのように、4月10日~20日まで酒類販売が禁止されてしまった。
そういえば、コロナ以外のニュースとして、ピサヌローク県知事の娘が、夜間外出禁止令違反で、検問に引っかかったとのニュースがあった。
その際に「自分は県知事の娘だ」と悪態をついたらしいのだが、外出禁止令違反だけではなく、飲酒運転でもあったらしい。父親が県条例で酒類販売を禁止して、娘が飲酒運転とはタイらしい。

4月11日土曜日の朝7時過ぎにピサヌロークを車で出発。
鉄道もほとんど運休しているし、飛行機も1日1往復にまで減っているので、自分で運転していくよりほかに手立てはない。
バスもピサヌローク市内や郊外の村を結ぶソンテウやバスの姿を見かけなくなっている。
外出自粛要請もあり、県をまたいでの移動は原則禁止ということになっているらしい。
はたして、自分で運転していくからと言って、バンコクまで無事にたどり着けるかおぼつかない。
それでも、車の中にはネコの写真も飾ってあるし、たぶん今頃は極楽浄土で仏様の仲間入りをしているネコが私のことを見守っていてくれるはずだから、なんとかなるだろうと考える。

道は空いている。
交通量が全然少ない。
長距離バスも走っていない。
こんなに交通量が少ないのに、道端では近隣の農産物を売っている。
ピサヌロークからナコンサワンの間は、テーンタイと呼ばれる大きなウリを並べている露店が多い。
テーンタイ、私はなんとなく味がぼんやりしていて好きではないのだけれど、毎度この道を通るたびに、こんなに沢山売られているのなら、このあたりのテーンタイは私が思っているものとは違ってとても美味しいのではないかと思えてくる。
しかし、もともと交通量が少ないので、露店に立ち寄っている車は見受けられなかった。

ハイウェイ
[この写真はもうバンコクの近くのものです]

空いている道だけれども、いつもよりスピードを落として走る。
時速80キロ以上は出さないようにして、左車線を進む。
この季節、ゴールデンシャワーが花盛りで、とてもきれいである。
特にピサヌロークでは延々とゴールデンシャワーの並木が続いていたりして、目を楽しませてくれる。
タイには日本のように花見をする習慣があるのかどうかわからないが、こんなに天真爛漫に黄色く花を咲かせているゴールデンシャワーの下で宴を開いたら楽しそうだ。

ゴールデンシャワー
[黄色い花が満開のゴールデンシャワー]

ナコンサワンを過ぎても交通量は少ないまま。
バスは全然見かけない。
これでは車を持っていない地方の人は、町の病院にも通えないのではないかと思えてくる。
ピサヌロークを出てから、ビジット県、ナコンサワン県と走ってきたが、県境で検問などは行われていなかった。
検問所らしいものが作られて、兵隊が配置されていたけれど、停車を求められることはなかった。
私の毎朝のジョギングルート上にも検問風のテントが張られているところがある。
タンボンと呼ばれる集落ごとにこのような検問を設置することを県から要請されてのことのようだが、当初は朝早くから集落の世話役のような人がテントに陣取っていたが、ここ数日は無人のことが多くなっていた。

シンブリ県でスーパー・マクロに立ち寄る。
バンコク滞在中の野菜やパンを仕入れる。
そしてシンブリ県ではアルコール飲料の販売が禁止されていないようで、ビール売り場では堂々と段ボール入りのビールが山積みされていた。
バンコクへ行けば、ウイスキーやワインなどのストックはありお酒には不自由しないのだけれど、やっぱりビールはいつでも飲めるようにしておこうと1ダース入りを購入。
しかも、ちょっと奮発して、チャーンビール25周年記念コールドブリューという銘柄を買う。
まだ一度しか飲んだことがないけれど、普通のチャーンビールよりアルコール度は少し低めだけど、ちょっと重量感のある味で、今までのタイのビールとはだいぶ違うなと言った印象がある。

ビール購入
[シンブリ県ではアルコール飲料販売禁止令が出ていないらしい]

反対車線側、つまりバンコクから地方へ向かう下り車線も交通量は少ない。
ソンクランの時期など、タイの民族大移動とも言うべき状況が出現して、幹線道路の下り線は大渋滞を起こす者だけれど、今年ばかりは全然様相が異なっている。

アユタヤの手前、アントン県では道沿いに雷魚などの川魚を食べされるレストランが並んでいる。
車で走っていると見えないのだけれど、地図を見るとハイウェイのすぐ隣にチャオプラヤ川が湾曲しながら流れている。
この辺りではチャオプラヤ川で上がる川魚が名物なのだろう。
大きな張りぼての川魚を飾っているところもあり、ここでネコと写真を撮ったこともあったなと思い出す。
しかし、今はネコもいないし、店も営業していない。

雷魚の張りぼて
[これは去年の5月の写真です 平和で幸せでした]

アユタヤ、バンパインと過ぎて、バンコクが近づいてくる。
少しは交通量も増えてきたが、渋滞とは程遠いくらい快調に流れている。
検問所も設置されていない。
バンコク市内は市内バスも電車もちゃんと走っているようだ。
タイの中でも、バンコクだけはいつも優遇されているような気がする。

午後1時半前にバンコクのアパートに到着。
スピードも出さずに走ってきたけれど、道が空いているのでスーパーで買い物をした時間を含めても6時間で到着できた。
ガソリンもいつもより燃料メーターの下がり具合が少なかったように感じる。

バンコクのアパートは、天井からの熱も、西日もなく、二面に開いた大きな窓から風が吹き抜けるので、暑さをほとんど感じない。
この幻のソンクラン休暇は、アパートの部屋でビールでも飲みながら昼寝でもして過ごそうと思う。

鉢植え全滅
[久しぶりにバンコクの部屋へ戻ったら鉢植えが全滅してました]

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| 日常 | 10:45 AM | comments (0) | trackback (0) |
近況報告 2019年12月下旬~2020年1月中旬
この一か月間、いろいろありました。
大きな出来事としては、12月31日の晩、ツアーの仕事が終わってオフィスへ戻ったら、建物の入り口、階段のところに仔猫がうずくまっていた。

しかも、ケガをしている。
車にでもひかれたのか、前足が一本ダラリとしている。
頭から背中にかけても血だらけ。
鳴き声にもあまり力がない。

放ってはおけないのでオフィスに連れて行き、スタッフに動物病院をさがさせる。
大晦日の晩でも診察してくれる動物病院を見つけて、やはりスタッフに仔猫を連れて行かせる。

やつれた仔猫
[拾った当初はこんなに衰弱してました]

前足の骨折は昨日今日のものではないそうで、すでにある程度時間が経過しており、左前脚の神経は完全に壊死して感覚がなくなっているとのこと。
また、身体のあちこちに擦過傷があり、やはり左足の擦過傷は傷が深く、化膿しかかっているとのこと。
入院はできないそうで、毎日の通院が始まる。

スタッフにでもこのネコを飼ってもらいたいが、誰も手を上げてくれない。
とりあえず、年越しの晩は我がアパートの部屋へ連れ帰ったのだけれど、うちの黒猫との相性が良くないらしく、二匹でもってフーフーと威嚇し合っている。

1月2日にはアパートに黒猫と一緒にいたら、そのうち喧嘩でも始めそうなので、仔猫は当座の避難先としてオフィスに置いておくこととする。

数日もすると、仔猫はだいぶ元気になってきた。
最初は、体重が1キロしかなかったのに、エサをモリモリ食べて、400グラムも増えてしまった。
このままオフィスへ置いておくこともできないので、誰か飼ってくれる人を探さなくてはならないのだけれど、ケガをしたままでは、里親探しもできないので、治療に専念。

オフィスの椅子を占拠
[包帯の部分の傷が深く、治療のための通院を続けてます]

ちょうど同じ時期に、バンコクの知人も大腿骨から後ろ足を複雑骨折をした猫を保護して、動物病院で手術を受けさせていた。
この仔猫も手術をしてやれば、前足が動くようになるのだろうかと、動くようになるのなら、なんとかしてあげたいと強く思うようになる。
ピサヌロークの獣医に相談したけれど、神経が壊死しているので、回復の見込みはなく、いずれ動かない足は切断手術をすることになるという。

切断手術、考えただけで悲しくなってくる。
バンコクの大きな動物病院なら、ちゃんと神経も蘇生させて、骨折も治してくれるのではないかと悩む。
しかし、バンコクでこの仔猫を預かってくれて、手術の段取りや世話をしてくれる人を探すのはとても困難。

通院治療の甲斐があって、仔猫は日増しに元気になっていく。
三本の足で、普通の仔猫と同じくらい活発にオフィスの中を走り回っている。
椅子や机にも飛び上がっていたずらをする。

当地の獣医は足の神経は完全に死んでしまっているので、99%復活はあり得ないと言う。。
もし人間なら1%でも可能性があれば、それに賭けてみるべきと考えるかもしれない。
しかし、ネコの立場で考えたら、カタワになって不自由そうではあるけれど、今はとても幸せそうにしている。

ネコには過去を思い出したり、未来を想像すると言うことがないそうだから、今を一番大切にしてあげるべきと、考えてみたりする。
仮に手術で何万バーツかかっても、そのくらいのお金なら銀行にある。
でも、そのお金を手術のために使うのがネコの幸せかわからなくなってきた。
足が復活するのが1%の可能性しかないんだったら、そのお金で死ぬまで毎日一本ずつチュールを買ってあげた方が、ネコはもっと幸せなんではないだろうか。
そんな風に考え方が変化してきた。

チュール
[バンコクの知人からチュールが小包で届きました]

1月8日から今年最初の一時帰国をする。
今回の一時帰国の目的は、ラビットスクーターの錆び落とし。
エンジンは前回までの整備でなんとか動くようになったけれど、車体のサビが目立ち、腐食して穴が開いている部分もある。
このサビを落としたいと思うのだけれど、錆び落としと言うのは、まったく地道な作業で、紙やすりでひたすらこすり落とすだけ。
それもなかなか落ちない。
深いところまで腐食している部分など、錆がパイ生地のように層になっており、剥がしていくとそのうち穴が開いてしまう始末。
特にシートの下の部分のサビがひどくて、ある程度サビを落としたら、ボコボコで、穴だらけになってしまった。
そのボコボコを埋めるべく、ホームセンターで板金用のパテを買ってきて、処理をする。
パテを塗って固まったら、また紙やすりでパテを削って表面を均していく。

シート下のサビ
[花咲かG原液を使ってもまだサビが取れない]

退屈な作業なので、気晴らしにもう一台のラビットスクーターのエンジン整備をしてみる。
前回、数年ぶりにエンジンを回したけれど、キャブレターの不調から、走らせるところまでは行きついていなかった。
今回は、乗れるようにしておきたいと思っていた。
しかし、エンジンの調子は今ひとつ。
たぶん、キャブレターの目詰まりが原因だと思うけど、エンジンがスタートすると、いきなり高回転になってしまう。
キャブレターのスクリューを回して調整していたら、ラビットが動き出してしまった。
そのまま私はラビットと一緒に転倒してしまった。
コンクリートの地面に顔面から倒れこんだために、左目の上を強打してしまった。
メガネは割れ、眉の上の皮膚は裂けて出血、内出血もあって、大きなたんこぶが膨らんでくる。
ラビットスクーターの方も、車体に傷と凹みが発生してしまった。

日本滞在中に銭湯へ行きたいと思っていたけれど、こんな顔では銭湯へ行きにくいので、家の風呂沸かして入浴し、寿司屋へ行って夕食にする。

寿司屋
[近所の商店街にある寿司屋で生ビール、ピサヌロークの寿司とは全く違っておいしい]

まったく、ラビットスクーターの整備をするはずが、酷い顔になってしまった。
翌日には内出血が重力によって降りてきたのか、瞼が大きく膨れ上がり、左目を開けることができなくなってしまった。
それでも、懲りずにラビットスクーターの錆び落としをコツコツとやる。
1月は日照時間が短くて、作業できる時間も限られている。
しかも、日が陰ってくると寒くて手もかじかんでしまう。

酷い顔
[お岩さんかこぶとり爺さんか]

1月12日に成田を飛び立つ頃には、瞼の腫れもだいぶ引いて、左目も見えるようになったけれど、まだ紫色をしており、パンチでも喰らったような顔になっている。
帰りの飛行機は満席で、しかも以前のように好きな席を選ぶのが有料となってしまったので、ちょっと窮屈なエコノミーの席で我慢してバンコクへ向かう。

お隣り
[ひとつ空いてるとはいえ、こんな方と一緒だと、圧迫感がありました]

ピサヌロークに戻ってからは、ツアーで外に出ることが多く、ウドンタニやチェンカーンなどを回ってきた。
ウドンタニの赤い睡蓮は見事であったけれど、プーロムロー国立公園のヒマラヤザクラは、すでに散ってしまっておりがっかりであった。

紅い睡蓮の沼
[二度目だけど、この景色は感動します]

オフィスで仔猫はますます元気になっていた。
動かない足以外のケガも、傷口はほぼふさがって、そろそろ動物病院通いも卒業して、飼い主探しを本格化させようと思っていた矢先、見た目ではわからないもので、血液検査の結果が出て、検査結果が良くないとのこと。
さっそく抗生剤などの注射を受ける。
そして、今後も一週間に一度ずつ検査と投薬を受ける必要があるとのこと。
里親探しは、まだ先になりそうだけど、仔猫はどんどんと大きくなっています。
大人のネコになってしまったら、貰い手をさがしにくくなるだろうと、また心配しています。

診察台
[ネコも注射は好きではありません]

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| 日常 | 12:12 PM | comments (0) | trackback (0) |
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