5月15日から17日にかけて、またバンコクに戻っていた。
バンコクではカセットテープレコーダーを修理した。
長年使ってきたカセットテープレコーダーではなく、母がたぶん中古屋で買ったと思われる「母の形見」のテープレコーダーで、前回スイッチを押したら動かなかった。
分解してみたところ、モーターの回転を伝えるゴム製のプーリーベルトがダメになっていた。
ゴムが伸びてしまっているし、弾力性もなくなっていた。
[アイワの小型ラジカセ]
以前にも妻のウォークマンを修理した際に、同じようにゴム製のプーリーベルトがダメになっており、交換した経験がある。
その時は、代用品を色々と探したけれど見当たらず、結局アマゾンで何種類かのゴムバンドを買って、その中でサイズが合いそうなものを装着して、ウォークマンから音が出るようにした。
その時取り寄せたゴムバンドがまだバンコクにあったはずと思い、今回バンコクへ行ったついでに作業を行った。
何種類かのうちで、なんとか役に立ちそうなのが一本あった。
本当は太さが0.6ミリ程度の細いものが良かったのだけれど、使えそうと判断したゴムバンドは太さが1ミリもある。
そして、少しゆがみもある。
[ゴムバンドをプーリーベルトの代用品にする]
それでも、ないよりはましで、モーターの回転がプーリーに伝わって、テープレコーダーは動き出し、音が出始めた。
しかし、酷いひずみ。
ゴムバンドのゆがみからひずみが発生しているようで、これは仕方がないだろう。
しかし、テープの回転速度が遅くて、オバケのような声になっている。
これは何とかしたい。
テープレコーダーはアナログなので、どこかで調節できるのではないかと期待をして、プリント基盤にハンダ付けされているパーツを眺めてみる。
マイナスドライバーで調節できそうな部品がいくつかあったけれど、ほとんどがラジオに関する部品。
しかし、ひとつだけ毛色の変わったボリュームがあり、基盤の配線をたどってみると、モーターに直結している。
たぶんこのボリュームでモーターの回転スピードを調節できるのではないかと、ドライバーを突っ込んでねじってみると、確かにモーターの回転速度が変わるようで、オバケの声が人間の声に近づいてくる。ほぼ限界いっぱいまで右にひねったところで、ひずみでちょっとビブラート気味になってしまっているけど、音楽以外なら納得できるレベルになった。
[黄色いパーツがモーター回転数調節ボリューム]
そもそも、なんでカセットテープレコーダーを修理する気になったかだけれども、どうした加減か、バンコクにはお菓子箱に詰めてカセットテープを何本か持ってきていた。
その中の大半がキャンディーズのカセットだけれど、なかにラジオ深夜放送から録音したものもある。
中学生の時、ラジオの深夜放送が好きだった。
TBSラジオは、特に気に入っており、夜9時から始まる「夜はともだち」という番組から、「ファイブスイーツキャッツ」、「パックインミュージック」そして「歌うヘッドライト」まで、ベッドの中で半分寝ぼけながら聞いていたものである。
月水金の「夜はともだち」と月曜から日付が変わった火曜日に番組担当していたアナウンサーが小島一慶さんで、私はファンだった。
この小島一慶さんが、先月癌で亡くなられていたと訃報にあった。
「夜はともだち」の火・木を担当していたのは林美雄さん。
林さんは水曜日の「パックインミュージック」も担当されていた。
「パックインミュージック」はリスナーからのハガキによる話題を中心にアナウンサーの個性がはっきり出ている番組で、それぞれの2番組ごとに集まるリスナーたちは一種のサークルのような存在だった。
その「パックインミュージック」、小島一慶さんの最終回を録音したテープが出てきたので、聞きたかった。
本来は午前1時から午前3時までの2時間番組。
それを60分のカセットテープに録音したので、テープは2本あるはずなんだけれど、お菓子箱には1本しか入っていなかった。
小島一慶さんの甲高い声を懐かしく聞くことができた。
もう、40年以上も前の録音だし、テープも伸びたり、傷んだりしているので、これをデジタル・コピーしてパソコンに入れようとしたのだけれど、テープレコーダーの音をパソコンにうまく録音させられない。
パソコンをよく見たら、今のパソコンはマイクジャックがない。
マイクやスピーカーがそれぞれ単独ではなく、ヘッドセット用に一つにまとまったジャックになっている。
時代はどんどんと変わっているようだ。
当時の「パックインミュージック」を担当したパーソナリティたちも、小島一慶さんだけでなく、ほとんどが鬼籍に入られていた。
小島一慶さんと同じTBSアナウンサー林美雄さん。
愛川欽也さん、野沢那智さん、白石冬美さん。
野沢那智さん、白石冬美さんのナッチャコ金曜パックの最終回を録音したカセットも出てきた。
これは60分テープ2本、ちゃんと2時間分がそろっていた。
最近の深夜放送と言うのがどのような番組なのか知らないけれど、1970年代の深夜放送を、そしてもう何十回も効いているはずのテープで聞いても、面白いと思うし、引き込まれてしまう魅力があるように思う。
林美雄さんの「ミドリブタパック」では、荒井由実(松任谷由実)の曲が毎週のように流されていた。
今年になって、ピサヌロークとバンコクを往復する車の中で聞いているのは、古い荒井由実の曲ばかりである。
その歌詞をじっくり聞いていると、なつかしさだけではなく、今の自分の心に沁みてくるものがある。
「飛行機雲」という歌は、毎朝托鉢に回ってこられるお坊様へタンブンする際に、お坊様が短いお経の一節を唱えてくださっている間、ずっと心の中でうたっている。
この歌を、私のネコへ届けたいと思って路面にひざまずき、手を合わせて、心の中で歌っている。
[ピサヌロークとバンコクの間にはときどき検疫チェックポイントがある]
ピサヌロークではネコの仏前に、毎朝お水とキャットフードをお供えしている。
キャットフードはネコが生前に食べていたものが残っていたので、それを毎朝少量ずつお皿に出してお供えしてきた。
翌朝になって、下げる時、キャットフードはアパートのネコ、ウォッカにあげることが多かった。
ウォッカも私の部屋に来ればキャットフードにありつけることを知っていて、ほとんど毎日訪ねてくる。
ときどき来ないときは、下げたキャットフードをビニールの小袋に入れて持ち歩き、街でネコを見かけたときに食べさせている。
その生前からのキャットフードもついに無くなってしまった。
これでもうキャットフードをお供えするのはやめてしまおうかとも思ったりしたけれど、やっぱりちゃんとお供えし続けた方が、私自身の精神衛生状態にも良さそうなので、スーパーでキャットフードを買う。
うちのネコは、どのメーカーのキャットフードでも好き嫌いなくよく食べてくれていた。
Me-o Friskies Whiskas のいずれかを、だいたいその時一番安かったものか、プロモーションでどんな試供品が付いているかで決めていた。
1.2キロ入りで100~120バーツほど。
これまでネコの仏前に供えてきたのはMe-oのツナフレーバーだった。
そして、今回新たにスーパーで購入したのはFriskies。
購入理由は生前と同じで、安かったことと、レトルトの小袋が試供品として付いてきたこと。
もう試供品などもらってもどうしようもないけれど、しかし、試供品もネコの仏前に供えたら、ネコが喜んでくれそうな気がした。
しかし、うちのネコは、どのブランドのどのフレーバーでも食べてくれていたけれど、アパートのウォッカはそうではなかった。
Friskies を下げて、食べさせようとしたら、まったく食べようとしない。
仕方なく、ビニールの小袋に入れて持ち歩いていたけれど、バンコクで朝ジョギングをする際に、よくネコたちに会うので、そのネコたちに与えてみた。
バンコクのネコたちはだいたいよく食べてくれて、小袋は空になった。
[外の仔猫は仏前から下げたキャットフードもよく食べてくれる]
そのウォッカも、私の部屋に来ても Friskies しかないことを理解したのが、バンコクから戻ってしばらくすると、Friskiesも旨そうに食べるようになった。
何年か前から、健康診断のたびに高血圧を指摘されていた。
医師からは薬を飲むことを勧められてきていたが、なんとか生活習慣から改善すると言い訳して薬の服用を渋ってきていた。
しかし、今年に入って最低血圧が100を越える事が多くなってきた。
上の数値も160台。
ネットで見るとすでにレッドゾーンらしい。
それでも、薬は飲みたくない。
毎年の健康診断で指摘されるのは、血圧、血液中の中性脂肪、悪玉コレステロール。
遺伝的な体質の問題もあるのだろうけれど、肉はほとんど食べないし、毎朝ジョギングもしている。
しかし、数値がどんどん悪くなってきている。
私は確かにお肉はほとんど食べないけれど、食べているものは炭水化物が圧倒的。
野菜の量が足りていない。
それとイワシやサバなどの青魚が良いらしいが、魚も食べていない。
少し本気で食生活からの体質改善を目指すことにする。
もともと濃いめの味付けが好きだったので、減塩に努める。
醤油や塩の代わりにお酢を使うようにする。
インスタントラーメンとかもなるべく控えよう。
緑黄色野菜を積極的に食べよう。
ということで、イワシの缶詰を買ってきて、野菜類と合わせて食べたり、生のニンジンをかじったりし始めている。
どのくらい続けられるかは分からないけど、はやく薄味に慣れるようにしなくては。
[タイで魚の缶詰といったらだいたいが「イワシのトマト煮」]