タイも5月はゴールデンンウイークになっている。
今年は飛び石ながら、1日から6日までが連休。
コロナで一斉休業になっているので、6連休。
休みをどう過ごすかだけれども、ピサヌロークのアパートの部屋にこもっているのは、あまりにも暑すぎて熱中症になる危険が高い。
ピサヌロークにおととしから住んでいるけれど、毎日日中から夜遅くまでオフィスにいたし、休みの日もバンコクへ行ったり、日本へ帰っていたりと、日中に部屋にいたことがなかったので、こんなに暑いとは今まで知らなかった。
アパートの部屋が西向きで、西日に焼かれ、壁も、天井も、床も、みんな熱い。
こんなに暑いところでこれまでネコに留守番をさせていたわけで、ネコもさぞかし苦しかっただろうと、今になって気が付いた。
そのネコも、あの世に旅だってしまって3か月になる。
以前に比べて、ネコがいなくなってしまったことを、少しは受け入れられるようになってきたけど、今でもやはりネコの存在は大きかったことを、何かにつけて感じることが多い。
[ナーン川沿いの火焔樹]
6日間の休みのうち、1日から5日までの間、バンコクへ行っていた。
ピサヌロークのアパートと違って、バンコクのアパートは涼しい。
7階の角部屋、南東向き。
西日は差さないし、窓を開ければ、風が抜ける。
エアコンもほとんど必要としない。
部屋もピサヌロークより広いし、調理台もシンクもあるので食事にも不自由しない。
ただ、タイはまだ非常事態宣言下にあり、県を越えての移動にも制限があり、いろいろとうるさい。
ピサヌロークは出張先で、バンコクが居住地ということになっているので、ちょっとグレーだけれども、県を越えての移動にも大義名分が立つと思っている。
しかし、いくつもある検問で、いつ足止めされるかもわからない。
県によっては、2週間の隔離などと県条例を出しているところもある。
そうした不安要素もあるのだけれど、最近は「ネコが守ってくれている」と確信に近い思い入れがある。
この2か月ほど、運よくとか、ギリギリとか、なんとかと言った感じで、乗り越えられた様々な難題ケースがあった。
それは、きっとネコが守ってくれたんだと思っている。
そして、神頼みではないけれど、事あるたびに、ネコに手を合わせて拝み、そして、ネコに救われて、ネコに感謝をしてきている。
もはや、ネコは私にとって神格化してきているようだ。
バンコクへのドライブはネコに守られていることもあり、順調であったけれど、前回比べると交通量がだいぶ戻て来ているように感じた。
特にナコンサワンを過ぎると、バンコクからの下り車線は以前ほとんど変わらないくらいの交通量だ。
ほんのわずかだけれども、長距離バスや小型バスも見かけた。
移動制限が少しは緩和されてきたのだろうか、それとも1か月に及ぶ規制で、ダレが出始めているのだろうか。
県境の検問所も、フリーパスになっている場所が多くなっていた。
[移動制限が緩和されたのか、乗り合いのバンも少しずつ動き始めたようだ]
5月2日、夕食には鍋を食べようと思い、コンビニへ豆腐を買いにソイの入り口へ向かって、歩き始めたところ、道端に黒い子猫が死んでいた。
まだ生まれて数週間程度の小さな子猫で、一瞬ネズミが駆除されて死んでいるのかと思ったが、近づいてみたらば、黒いネコであった。
[道端に仔猫の死骸が転がっている]
そのまま行き過ぎ、コンビニへ向かったが、コンビニには私が買いたかった豆腐は売っていなかった。
玉子豆腐ならばあったけれど、玉子豆腐は使いたくない。
コンビニからの戻り道。
また死んだ子猫の前に来た。
このままコンクリートの道端に放置されているのでは、あまりにもかわいそう。
このソイは奥にある寺院の関係で、絶えず清掃が入るので、そのうちに処分されるだろうけれど、死んでいても、ゴミなんかじゃない。
拾い上げて、道の反対側にある花壇の端に埋めてあげることにする。
外傷はないようなので、車にはねられたわけではなく、たぶんまただオッパイを飲むくらいの大きさだから、きっと母親ネコとはぐれてしまったのだろう。
まだ、死後硬直はしていないのか、弾力がある。
ぬくもりがあるように感じるけど、これは日中の太陽に焼かれたコンクリートの道路の上だったから、路面の熱なのだろう。
しかし、数時間前までは、この子猫は生きていたはずである。
私が、こう少し早くこのソイを歩いていたら、この子猫の命を救ってあげられたかもしれにーない。
もし、助けることができたらば、どんなに良かったことだろう。
私のネコと同じ、黒いネコ。
私のネコの生まれ変わりのような気持に私はなるだろう。
しかし、私の拾い上げた子猫は既に死んでいる。
手足を伸ばした形は、私のネコが死んだ時と同じ姿だ。
黄色いカンナの花が咲く、道端の土を掘ってネコを埋めてあげる。
石ころが多く、まだ泥交じりで、決して埋めてあげる場所としては理想的ではないし、深くも掘ってあげられなかった。
ごめんね。
[ごめんね]
バンコクでも毎朝起きてからジョギングをしている。
ソイの中を走るのだけれど、私のアパート周辺には工事現場で働く労働者たちの飯場になっていて、朝の時間はヘルメットにそろいのシャツを着た労働者たちが、ソイをたくさん歩いている。
労働者の中には女性も多い。
みんなトタンでできた建物の中で、暮らしている。
ソイの奥へ行くとコミュニティーと呼ばれる貧民街のようなところがある。
湿地帯で、モスリムも多い場所だけれども、朝走っている限りにおいては、とても平和でのどかな風景で、私は好きである。
なんとなく、貧しい家ばかりだけれども、昭和40年前後くらいの街のように感じる。
このジョギングコースの中で、何匹ものネコに会えるのも、楽しみである。
モスリム居住区には、とくにネコを飼っている家が多い感じがする。
モスリムなので宗教的に犬を飼っている家が少ないから、ネコが多いのかもしれない。
ソイの一番奥まったところに、ネコを何匹も買っている家がある。
ネコはいずれも紐でつながれているのだけれど、その中に黒ネコがいる。
まだ生後3カ月から4カ月くらいのネコのようで、ちょうど私のネコがうちに来たときくらいの大きさである。
警戒心が強くて、手を差し出すとフーと威嚇してくるところなども、私のネコとよく似ている。
[黒いネコに、私のネコの面影を求めてしまう]
日本人学校の裏手に当たるところには、生後1か月くらいの子ネコが二匹いる。
この子ネコは人懐こくて、すり寄ってくるタイプ。
オスとメスがいて、メスの方は少し警戒心が強いようだ。
車が出入りするところの警備員からエサをもらっている。
[粗末だけどエサをもらえていて、小さな幸せがある仔猫なんだろう]
他にもたくさんのネコが道を歩いていたり、軒先に隠れていたりするが、俗にいうストリートキャットではなく、みんな誰かに飼われている感じである。
ノラや捨て猫でないことが救われるのだけれど、もしノラや捨て猫がいたとしたら、衝動的に連れ帰りたくなりそうだ。
ネコがいなくなって、3カ月。
今までいたものが、いなくなってしまったという現実に少しずつだけど慣れてきたとはいえ、やっぱりネコにいてほしい気持ちは依然としてとても強い。
なので、ネコを飼いたい。
[ネコたちにとっては居心地の良いエリアなんだろう]
しかし、コロナウイルスの影響は甚大で、今はタイから外へ出ることができないけれども、それがいつタイに暮らし続けられなくなってしまう日がやってくるかもわからない。
それが、1か月先だとしても不思議でないし、このコロナがあと半年も続けば、仕事を取り巻く環境も破滅的になっているはず。
そして、日本へ引き上げることになった時に、もしネコを新しく飼い始めたとしたら、ネコのための検疫手続きが間に合わない。
ワクチン注射やICチップの埋め込み、抗体検査など、半年以上の時間がかかってしまう。
そして、自分自身半年後の状況がさっぱりわからないのだから、いまからネコを飼うなどということは不可能である。
そう自分自身に言い聞かせるのだけれど、その一方で、仕事のことが先がわからなくても、今後数年くらいタイに居留を続けることくらいできそうにも思えるので始末が悪い。
だけれども、よくよく考えると、ネコと一緒にいたいという感情は、ネコと言う動物を飼いたいというのとは違って、私のネコ、死んでしまったネコの分身を求めてのことであろう。
いまだに、「あのときネコはこうだった」「そのときネコはこうしてくれた」と思い出すことが多いので、仮に新しいネコを飼ったところで、そのネコに求めるのは、私のネコの姿や行動。
仮に、現代の最新技術を使ってクローンが誕生したとしても、しかし、実際には姿かたちは同じでも、私と暮らしてきた10年と言う時間の共有のないネコは、やはり別物に過ぎない。
それでは、新しいネコとの本当の暮らしは始められないし、私にとっても、そのネコにとっても不幸なことだと思う。
ネコにはネコの命や感情があるわけで、私のネコの姿を追っているうちはダメなんだろうな。
5月5日、ピサヌロークへ戻る。
ネコが死んでしまって、3カ月。
毎日、ネコに見守られていると感じている。
しかし、少しずつ、ネコの記憶が遠ざかっているようにも思える。
[アパートのネコ、ウォッカはほとんど毎日部屋へ来てエサをねだる]