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タイヤ交換
8月15日 日曜日

2007年に購入した車は、近年まで一年間に数えるくらいしかガソリン補給しないくらい寝てばかりいる車だった。
しかし、私がピサヌロークへ拠点を移してから、やたらと走り回るようになった。毎月2回はバンコクとの往復をしているので、それだけで1500キロになる。
そして、総走行距離もとうとう10万キロを越えた。
去年あたりから、オイル交換をするたびに、タイヤを交換するべきだと忠告を受けてきた。
私の見たところ、タイヤの溝はまだ十分にあるようだし、そもそもタイヤは高いのでタイヤを交換することを渋ってきた。
しかし、やっぱりすでに10年以上経過しているので、タイヤのゴムも劣化してきている可能性がある。
走行中にバーストされても困るので、重い腰を上げてタイヤ交換をすることにした。
実際、ピサヌロークとバンコクとの間を走っていると、バーストして張り裂けたタイヤの残骸が道端にたくさん散らばっている。
日本では見た記憶がないけれど、タイでは道路の舗装も堅いし、デコボコも多いのにみんなスピード上げて走っているからバーストも多いのだろう。
もっとも、飛び散ったタイヤの破片からバーストした車は乗用車ではなく、大型トラックのようなので、重量オーバーも考えられる。

さて、自動車のタイヤ交換など、久しくやったことがない。
むかしチェンマイに住んでいた時に乗っていたビートルは、タイヤがすり減るとすり減ったタイヤごとに交換していたが、4本のタイヤを一度に交換するつもり。
タイヤもメーカーによって、随分と値段も違うようだし、あと何年乗るか分からない車だから、なるべく安いタイヤにしてコストを抑えたい。

去年、オイル交換した時に勧められたのはデイトンタイヤというメーカーのもの、そしてディーラーではミシュランを薦められていた。
現在のはブリジストン。
最近は中国のタイヤメーカーのものもあるらしいが、中国製はイメージが良くない。
台湾のMaxxisならば、なんとなく信用できそうだし、値段も安そうだなと思っていた。
何軒かのタイヤ屋を回って、判明したことは、ダンロップがプロモーションを実施していて、今一番安くなっているということ。
4本まとめて交換したら、支払いは3本分だけということらしい。
ピサヌロークのオフィス近くのタイヤ屋で得た情報で、店の対応も良かった。
しかし、実際のタイヤ交換は店ではなく、コックピットというチェーン店でするようにとのこと。
この店がコックピットのフランチャイズオーナーということなのだろう。

コックピット
[バンコクでもよく見かけるタイヤ屋]

ピサヌローク市内にコックピットは何店舗かあるらしく、下宿先に最寄りのロータスという大型スーパーに併設されている店に行ってみる。
タイヤ交換だけではなく、オイル交換も依頼する。
オイルはモービルとエネオスの二種類から選べて、エネオスの方が安いそうなので、迷うことなくエネオスを注文。
オイルも4リットル交換すると1リットル無料でサービスしてくれるのだけれど、1リットルのオイルをもらっても使いようがない。
むかし乗っていたビートルはオイルが焼けて消耗が激しかったので、オイルの補給が頻繁に必要だったけど、いまの車はオイルが減るということ自体がない。

タイヤ交換
[車体を持ち上げて、簡単にタイヤが外されていく]

10年以上私を載せて転がり続けてくれたタイヤが車体から外され、ホイールを抜かれるのを見たらば、寂しくなった。

外されたタイヤ
[私は性格的に古いものに愛着が強すぎるようだ 断捨離なと無理]

工員がサスペンションからオイル漏れしているみたいだし、ベアリングがダメになっているという。
私が見たところ、オイル漏れはなんとなくオイルが滲んでいるかなと思う程度。
工員に「これってすぐ直さないと危険か?」と聞いたら「マイペンライ」とのこと。
ベアリングは昨年も反対側がダメになって交換しているし、このところ走行中に異音が発生していることに気づいていたので、交換してもらうことにした。
交換するベアリングは2500バーツとのことで、去年より安い。

ベアリング交換
[前回も感じたが、たかがベアリングのために一式全部交換するとはもったいない]

結局、タイヤ交換以外にも、ベアリングやオイルなどの交換も重なって、9千バーツを越える出費となってしまった。
車はガソリン代以外にも維持費がかかるもんだと実感する。
来月は車の保険も更新しなくてはならないし、頭が痛い。

新しいタイヤ
[新しいタイヤになりました、パンク修理とタイヤローテーションの無料サービスが付くそうです]

<hr>

もともと3月に旅行しようと思っていたヨーロッパ行き、新型コロナの影響で9月に延期をしていたのだけれど、9月までにコロナが終息する目途が全く立っていない。
ヨーロッパ内は移動制限も解除されたようだけれど、行ったはいいけどタイに戻ってこれない。
もう、9月も半分諦めていたところへ、とどめの「フライト・キャンセル」のメッセージが届いた。
詳細は航空会社へ電話で確認するようにとのことなので、電話をしたところ全額払い戻しということになった。
電話口での航空会社の対応はよく、ウェブページでの操作方法をひとつひとつ教えてくれた。
二週間以内に払い戻し手続きが終わるそうだ。

これで9月のヨーロッパ行きは可能性が0パーセントとなったわけで、残っているオランダからイギリス中部ハルへ渡る船のキャンセルだけだけれど、これには手こずっている。
まず、キャンセルは不可のこと。
その代わり、日付の変更は可能だが、差額が出たら差額を払うこととなっている。
しかし、来年の春あたりに延期しようとしたけれど、こんどは年内分しか変更ができない仕組みになっている。
さらに、年内で変更しようとすると、運賃が大幅に値上がりしていて、現在の切符帯に100ポンドくらい追加料金が発生する仕組みになっている。
もともと、最初に購入した時の3月の時点から、9月に変更するのに際して、50ポンドの差額を請求され、いままた100ポンドの追加とは、もともとの切符の代金の倍を超えている。
それに、年内に旅行できる見込みも限りなくゼロに近い。
そのことを問い合わせたいけれど、メールでの問い合わせはコロナの影響で中止しているとのこと、質問に対する回答はFQAがすべてとのこと。
どうやらこの切符はあきらめなくてはならないようだ。

<hr>

スタッフのことでストレスが溜まり、再び血圧がレッドゾーンに入るようになってきた。
私に叱られるスタッフも面白くないだろうけど、私はそのうちに頭の血管がキレるのではないかと恐怖まで感じるようになった。
帰宅後測定した血圧の幅 168-108。

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ネコ、半年忌
私の愛読書は元産経新聞の近藤紘一氏の著書である。
もう30年くらい前に買った文庫本も、何度も何度も読み返し続けている。
ページの色も変色し、シミが付いたりしている。
「目撃者」という文庫本の中に収録されたエッセイの中に「ミミの死」というエッセイがあり、もう何度も読んでいるはずだけれど、読んで涙が出た。
1985年2月に文芸春秋に載ったものからの転載で、エッセイの前半は近藤氏がバンコクに駐在中にベキニーズの仔犬、トトとミミを飼い始めたいきさつなどから始まり、東京へ帰任したのちミミの甘え方やしぐさなどから「こいつ、もしかしたら自分が短命に終わることを知っているのか」と近藤氏は感じ取ったりしている。
そして、夏になって京都へ2泊のドライブ旅行へ行くのに際して、犬たちをペットハウスに預けて出かけた。
その際、ミミは「例になく私たちとの別れが寂しそうだった」と述懐している。

目撃者より「ミミの死」

「帰るとミミは店のすみの発泡スチロール箱の中で、ドライアイス漬けになっていた」
あぁ、これはディジャブのように私にネコのことを想起させる。
そして、それに続く文章も、、、
「自分が確実にミミの死期の近さを悟っていたことを、そのときあらためて知った。それなのに仕事にかまけて放っておいた。不憫なことをしてしまった。」
「『ミミよ、許しておくれ』」とつぶやき、そのたびに『オレももう人生の半ばを越えたんだな』と、思う」で終わっている。

このエッセイは死んだミミと言う犬が死んで半年目の文章である。
しかし、ミミの死期の近さを悟っていたはずの近藤氏は、自身については「人生の半ばを越えた」と書かれているが、実際にはその翌年の1月に逝去されている。

8月6日木曜日が私のネコが死んで半年目にあたる。
これを一周忌の半分だから、半年忌と呼んで良いモノか分からないけど、なんとなく特別な意味のある日のように思う。
死んだのが2月6日木曜日だったから、同じ木曜日ということになる。
私は木曜日の生まれだし、何かと木曜日には縁があるようだ。
しかし、ネコが死んだのが2月6日だったのかどうかは、確証がない。
ネコと別れたのが2月4日の夜だった。
そして、ビデオに映った生前の姿を見たのが、2月5日の昼過ぎ。
しかし、その後はビデオの調子が悪く、確認ができていない。

最後の交信記録
[スカイプを利用してビデオ画像を見られる設定にしていた]
<hr>
あの日、2月6日バンコクからピサヌロークへ戻る汽車は遅れて、9時半過ぎになってしまった。
そして、部屋の隅でネコは冷たくなっていた。手足を突っ張り、舌を出し、半目を開いたままで、硬くなっていた。
あれから半年が過ぎてしまった。
ネコは死んでしまったけれど、いなくなったとは思っていない。
空気のように私の周りに漂っている。
しかし、悲しいことに、もう抱き上げることも、ブラッシングしてやる事も出来ない。
どうして、もっと優しくしてやらなかったんだろう。
好きなだけ”ちゅーる”を食べさせてやらなかったんだろう。
あの時、私は知っていた。
ネコの具合が悪いことを。
そして、予感もあった。
でも、ネコを残してバンコクへ行き、2日も留守にしてしまった。
ごめんよ、ネコ。
<hr>

8月6日、夜9時すぎ、バンコクへ戻ってきた。
週末までバンコクで過ごすつもり。
ピサヌロークの下宿部屋もそうだけれど、バンコクの部屋のあちこちにもネコの写真を張り付けてある。
ネコが好んでいた場所など、思い出の場所に貼られた写真の中にネコがある。
何かを食べる時、どこかへ出かける時、それら1枚1枚の写真に声をかけてあいさつするのが習慣になっている。

ベッドのネコ
[ベッドからネコは消えても、縫いぐるみは待っています]
棚のネコ
[この棚からは外が眺められるのでお気に入りでした]
洗面台のネコ
[洗面台は涼しいようです]

バンコクのアパートはピサヌロークと比べると格段に居住性が良い。
ピサヌロークの部屋は、歩き回ることができないくらいに狭い。
部屋の大半をベッドが占有していて、机も椅子もない。
そして、たった一つだけの窓が小さい。
この窓が小さいことが決定的にバンコクより居住性を悪くしている原因だろう。
バンコクのアパートは部屋の2面に窓があり、ほぼ壁面いっぱいの大きさで、出入りができるサイズだから、風通しが良い。
エアコンなど使わなくても、風が抜けて涼しい。
窓からの景色も悪くない。

ピサヌロークの部屋の窓はベッドの枕元にあり、窓からは黄金色に輝くワットチャンタワンオクの大伽藍が見えるのが気に入っていたのだけれど、部屋は南西向きで、風通しも悪いので、一年中午後になると部屋の中がとても暑くなる。
澱んだ空気と、熱を帯びた壁のため、エアコンなしでは過ごせない。
暑さの厳しい3月から5月にかけては、エアコンでは凌げないほどの暑さとなり、休日でも日中はオフィスへ退避しなくてはならないほどだった。

今年の2月は、まだ例年なら乾季で涼しい季節のはずだったのだけれど、とても暑かった。
ネコも暑くて苦しかろうと、バンコクへ向かう前に、留守番するネコのためにエアコンをつけたままにして出かけた。
それまでもネコは数日間くらいならピサヌロークの部屋の中で留守番をしていてくれてた。
文句も言わずにと言いたいところだけれど、ネコは言葉が話せないので、私が察してあげられてなかっただけで、ネコもきっと暑かったんだろう。

なるべくは、バンコクへ戻るときにネコを連れて戻るようにしていた。
車にネコを乗せて、ドライブ。
日中は車の中でもネコは扱ったようで、しばしば舌を出して、まるで犬のようにハアハアと喘いだりしていた。
そして、ハンドルを握る私の腕などをやたらと舐めてくれる。
これは、母ネコが子猫が暑いだろうと、舐めてやるのと同じ行為だったのだろう。
ネコの暑さを考えてやらない私のことを、ネコは暑いだろうと気遣ってくれていたわけだ。

バンコクのアパートでは、ネコの遺影を抱いて屋上へ上がる。
ネコはアパートの屋上が好きだった。
部屋のドアは一晩中半開きにしてあり、ネコが好き勝手に出たり入ったりできるようにしてある。
夜中に屋上で遊んで、明け方になるとちゃんと部屋へ戻ってくる。
ときどきは屋上の物陰で寝込んでしまったのか、朝になっても戻ってこないことがあるので、そんなときは迎えに行った。
すぐに出てきてくれることもあったし、呼んでもなかなか出てきてくれないこともあったけれど、ネコのせいで遅刻するようなことは一度もなかった。
屋上には、ネコが好きなイネ科の雑草が生えていて、それをネコは食べていた。
鳥もやってくる。
ときどき鳥を捕まえて、寝ている私の枕元に持ってくる。
鳥は死んでしまっている子もあったし、まだ生きていたらすぐにネコの口をこじ開けて、窓から逃がしてやった。

鳥と言えば、ネコが死んでしまってから、バンコクのアパートはハトに占領されてしまった。
ハトが植木鉢の間に巣を作って、子育てなどしているものだから、植木鉢に水をやってハトの子を濡らしてはいけないと、水やりを遠慮していたら、結局鉢植えを全滅させてしまった。
ジャスミンやゴクラクチョウカなど10年くらい育ててきた思い出のある植物が枯れてしまった。
残ったのは、コモチベンケイソウだけ。
ネコがいたときは、ネコがたまにしかバンコクへ来なくても、ハトは警戒して寄り付かなかったのに。
さらにエアコンの室外機の上にもハトは巣を作ろうとしていた。
こちらは木の小枝などをせっせと運び込んでいるところで、まだ玉子は生んでいない。
しかし、すでに室外機の直下に置かれた洗濯機はハトの糞や、巣作りで運び込まれた小枝などで、とても汚されてしまっている。
とても洗濯などできる状態ではない。
これはハトに退去してもらうしかないと、室外機の周りに水を入れたペットボトルを並べた。
日本ではネコ避けに庭へペットボトルを並べたりするようだけれど、私の場合はネコがいないのでハト避けにペットボトルを並べた。
どうもハトはネコより神経が図太いようで、間隔をとって並べたペットボトルなど意に介さず、ペットボトルの隙間から出入りをしているので、ペットボトルを追加して、隙間なく室外機を覆うことにした。
しばらくは、ベランダの手すりにハトはやってきて果敢に何度もペットボトルの突破を試みていたようだけれど、やがて諦めたのか、見えなくなった。

ハトよけペットボトル

バンコクでも朝はジョギングをしている。
アパート前のソイをずっと奥まで行くと、ラートプラウ運河とセンセープ運河が交わるあたりまで続いている。
このあたりはモスリムの人たちのコミュニティーになっているのだけれど、おもしろいのは仏教系タイ人の居住区周辺には路上に犬が多く、モスリムの居住区にはネコが多いこと。
仏教系のタイ人が犬好きということは特になさそうで、路上の犬たちは皮膚病病みだったり、痩せこけていたり、飼い犬とは思われない。
しかし、毎日こんな犬たちにエサを撒いている人がいるので、犬も飢え死にせず、自然繁殖してしまっているのだろう。
それに対して、モスリムの人たちは犬にエサを与えようという人があまりいないから犬も寄り付かないのだろう。
そして犬がいないからネコたちも平気で路上で遊んでいられるのだろう。
私も、ジョギング中にネコを見かけると、小袋に詰めたキャットフードを与えて、ネコに遊んでもらう。

ジョギングコースのネコ
[このネコはモスリム地区ではありません]

日曜日の午後(8月9日)にバンコクを出て、ピサヌロークに向かう。
カバンひとつを車に積み込む。
以前は、ネコのトイレをはじめ段ボール箱に2つくらいネコのドライブセットがあった。
それにネコそのものも体重が7kgほどあり、そんなネコのカゴまで運ぶとなると、アパートの部屋と駐車場を何度か往復しなくてはならなかった。

ネコが死んで、半年。
ネコが生きていた時、私も仕事にかまけて、ネコのことを放っておくことが多かった。
ネコが死んでから、新型コロナの蔓延で、もう以前のような仕事はなくなった。
ネコが生きていたら、ネコと一緒に過ごす時間もたくさんとれたことだろう。
しかし、その反面、仕事もいつまで続けられるか、タイを突然去らなくてはならない日が来るのではないかと言う不安はずっと付きまとっている。
タイを去るとき、ネコをどのようにして日本へ連れ帰るか、ひょっとしてチェンマイにいた時のピョンコと同じように、連れて帰れなくなったりしないだろうかと、そんな不安に包まれていたことだろう。
ネコは、ひょっとして私に後顧の憂いを与えないために、私より一足先に旅立ってしまったのかもしれない。
ネコや、ネコや、不安に悩まされても、ネコには傍にいてほしかった。

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150日が過ぎて
7月5日 日曜日 (ネコが死んで150日目)

月初なので金曜日からバンコクに入っていた。
通常は日曜日にピサヌロークへ戻るのだけれど、明日はカオパンサーで祝日。
せっかく時間があるので、ピサヌロークまで一泊二日のドライブをしながら戻ろうと思っている。
もう少し時間があれば、キリチュアップキリカンの海に出も行きたいところだけど、行ったら最後、そこからピサヌロークまで運転して戻る自信がない。
とりあえず、ちょっとだけ回り道。

歴史センター
[建物は立派なピサヌローク歴史センター]

先週ピサヌロークの歴史センターと言うところを見学してきた。
ほとんどがパネル展示だけで、建物にお金をかけている割には、展示物がちょっとお粗末だった。
そこでは地元が輩出したヒーロー、ナレースワンに多くのスペースを割いており、ビデオ上映もあった。
もっとも、ロケやスタジオ撮影で、役者を使ってのビデオではなく、絵とジオラマを動画で撮影しただけのものであった。
でも、ジオラマは良くできていた。
このジオラマはスパンブリー県のドンチェディーにあるものと察しられ、そこを実際に見てこようと思った。
このドンチェディはノーンサライという古戦場で、16世紀にナレースワンがミャンマーの皇太子、ミンチットスラとゾウで一騎打ちして、勝利した場所で、タイでは聖地のような扱いになっている。
何年か前に、すぐそばを通ったことがあったが、その当時はナレースワンに関心もなく、素通りしてしまっていた。
今回は時間もあるし、じっくり解説を読みながら、ジオラマや展示物を見て回ってこようと考えた。

朝早くから出かけようと思ったけれど、出発したのは9時半。
バンコク市内の道は日曜日ということもあり、スムースであったが、スパンブリ街道に入ったら、交通量も増え、おまけに道路工事も重なって、ところどころでひどい渋滞にはまってしまった。

ドーンチェディ
[ドーンチェディー]

ドンチェディーに到着したのは、もう正午を回っていた。
純白の大きな釣り鐘型仏塔があり、その前にナレースワンが騎乗するゾウの巨大な銅像が立っている。
ナレースワンはゾウの首に跨って、槍を構えている。
その後ろの輿のようなところに座って、采配のような吹き流しの付いた棒を打ち振っている者がいる。
以前、私はこの采配を持っているのが、如何にも偉そうにしていて、大将に相当するのだろうと思っていたが、大将は首のところで太刀持ちのように槍を構えている方であることを最近知った。
さらにゾウの腰のところにも、もう一人いる。
つまり、一騎打ちだが、一頭のゾウに三人で乗っていることになる。

騎象像
[ゾウの首にまたがっているのがナレースワンということになる]

連休ということで、ドンチェディにはたくさんの参拝者が来ている。
ナレースワンの人気の高さがわかるのだけれど、私かお目当てにしているジオラマなどがある資料館が見当たらない。
参拝に来ている人の動きを追えば、資料館の場所もわかるだろうと思ったのだけど、車で来た人は、ナレースワンの騎乗像に参拝し、ナレースワンの銅像に金箔を貼り付け、願い事をして、また車に乗っていなくなってしまう。
みんなおんなじパターンの行動で、動きを追っても資料館の場所は確認できなかった。
白い仏塔の上に登れば少しは何んわかるかと思い、仏塔の階段に向かったところ、何のことはない、仏塔そのものがお目当ての資料館であった。
しかし、閉まっている。
張り紙も何もない。

ナレースワン資料館
[せっかく来たのにナレースワンの資料館は閉鎖中]

表の土産物を売っている女性に、資料館はどうなっているのか確認したところ、改修工事中でずっと閉まっているということらしい。
学生生徒を引率しての見学なら、見学の受付をしてくれるのではないかという。。
どうやら、私を学校の先生とでも思ったらしいが、とにかく今日は見学できないらしい。

ナレースワン像
[ナレースワンの銅像も金箔貼りの対象]

またの機会もあるだろうから、今回は見学を諦めよう。
それと、せっかくここまで来ただから、久しぶりにサモートーン温泉に立ち寄ってみることにしよう。
浴場は新型コロナウイルスの感染防止のために、長いこと営業が禁止されていたが、今月から規制が解除されたので、久々に温泉に浸かりたい。
もし、ロッジも営業再開してたら、そのままロッジに泊まってもいい。

ふたたび田舎道を北上すること2時間半。
途中、ダーンチャーンの街はずれ、国道沿いの食堂でランチにする。
「カーオパット・カイ(玉子炒飯)」を注文したのだが、気の利かなそうな店の男の子は「センレック(細麺)センミー(極細)センヤイ(平麺)?」と聞いてくる。
クイティアウと勘違いしているらしい。
もう一度、「カーオパット・カイ」と念押しする。

サモートーン温泉も観光客であふれていた。
これじゃ個室の入浴小屋が空くのに待たされるかなと思いながら受付に行くと、
「温泉の入浴はまだ禁止されたまま」とのこと。
せっかく来たのに、何にもならない。
ここに来ている大勢の観光客たちは、ここへ何しに来ているのだろう。
ロッジも宿泊できないとのこと。
もっとも、温泉に入れないのに、ロッジに泊まる気にはなれない。
湖の景色だけは、以前と変わらずに美しい。
ここの温泉に浸かって、ロッジに泊まったのは何年前だろうか?

サモートーン温泉の景色
[風呂上がりにこんな景色眺めたら爽快なのに、残念]

サモートーン温泉の島をぐるりと一周散歩して、真ん中にある金色の大仏を見上げたら、あご髭の様なものが見える。
あご髭をはやした大仏など見たことがない。
大仏の真下まで行ってよく見たら、あご髭のように見えたのは、巨大なハチの巣であった。

あごひげ
[大仏のあごの下に大きなハチの巣]

午後3時半。
このままピサヌロークへ向かえば、そう遅くならないうちに到着できるだろうけれど、せっかくの休日の1日を使って、スパンブリーの資料館見学できず、サモートーン温泉は入浴できずでは、まったく立つ瀬がない。
それに疲れた。
このままもう少し北上して、ネコの49日の時に泊まったネコのいるモーテルへ向かうことにした。
もし、あの時と同じ、7号室が空いていたら泊まろう。
7号室に泊まれないなら、そのままピサヌロークへ戻ることにしよう。

数キロおきに開拓村の集落が現れるだけの田舎道を走る。
田舎道だけど、道はよく整備されている。
走ってくる車は少ないけれど、車はほとんど時速100キロ以上の猛スピードで飛ばしている。
バイクも然り。
しかし、整備された道と言っても、周囲は開拓部落なので、農作業のトラクタや牛も出てくる。
ニワトリが道を横断するなんてのは、普通の光景。
犬や猫の轢死体も多い。
たぶん、人身事故なら重大事故となる確率がとても高いだろう。
命が軽く扱われてしまっているようだ。

開拓集落の周りは畑作が見られるが、それが尽きると荒地や疎林地帯になる。
集落の家々も、トタン屋根だったり、廃材を打ち付けただけのような家屋が多く、ミャンマーあたりの風景とあまり変わらないような感じがする。
そんな環境なので、沿道には小さな雑貨屋以外に店はほとんどない。
食堂もなければ、屋台など皆無である。
タイはどこへ行っても屋台があって、食べ物に不自由しないと言われるけれど、それは町の中だけのことなのだろう。

夕方5時にはドークラック・リゾートに到着。
リゾートとはおこがましい簡易宿舎というかモーテルであるが、大きな山ではないけれど、正面に山が迫り、敷地内には木々や花が咲いている。
ネコもいて、ネコがノビノビとしている。
部屋は薄暗いし、匂いもあって、お世辞にも快適とは言えないけれど、ネコとの思い出があるので、また来てしまった。
ネコとの思い出と言っても、ネコと来たのは、ちょうど10か月前の、去年の9月。
そして、49日にも泊まりに来た。

さっそくここのネコの歓迎を受ける。
去年はほんの仔猫だったけれど、もうだいぶ大きくなっていて、抱きあげるとずっしりと重たい。

ドークラックのネコ
[ここにはオス・メスと2匹の猫がいる こちらは三毛のメス]

そういえば、今朝バンコクのアパートの周囲をジョギングしていたら、以前は倉庫の横に2匹でいた子猫が、一匹だけになっている。
これは先々週にも気が付いていて、どうしたのだろうかと思っていた。
今回はちょうど倉庫の警備員の男性がいたので、もう一匹はどうしたのか尋ねてみる。
この警備員が、いつもここのネコにエサを与えたりして世話をしているのは知っていた。
「どこへ行ったのかわからないよ、オスの方はいなくなっちゃったね。」と言う。
別に失踪したネコのことを気にかけている風もない。
なんとなく冷淡にも感じられるが、こうした無関心はこの土地では一般的なのかもしれない。
ピサヌロークの下宿でも、この2年近くにいったい何匹のネコが失踪しては、また新しいネコを迎えてきたことだろう。

日没前に夕食へ出かける。
最近の日没タイムはだいたい19:00少し前。
この辺りでは食堂を見つけるのは至難の業。
しかも、夕食時に営業している店となると、見つかるかどうかは運次第となるが、去年来た時に運よく「粥屋」を見つけた。
今回も、そこへ行こうと思うのだが、場所がうろ覚え。
この先に行った交差点を右折したところだったとは記憶しているが、交差点は2カ所ある。
最初の交差点へ行って捜したが見つからず。
ふたつ目の交差点へ行ったけれど、やはり見つからない。
もういちど最初の交差点へ戻って探してみる。
前回の粥屋ではないけれど、小さな簡易食堂があった。
しかし、もう閉店済み。
スマートフォンで去年の写真をさがし出す。
スマートフォンなので夕食の時にネコを撮影した写真に位置情報が出ているはず、、、
写真の位置情報では、先の方の交差点であった。
またも交差点間を往復したが、交差点周辺には食堂が見当たらない。
もう商売をやめてしまったのだろうか?

交差点を右折して少し走ったところで、「粥屋」を発見。
交差点のすぐ脇と記憶していたが、記憶違いだったようだ。
しかし、もう薄暗くなっているのに、店の中は真っ暗。

「真っ暗だけど、食事はできるかね」と店内に声をかけると、
「できるよ、これから明かりをつけるころだ」という。
そう、この店。
去年と同じ。
10カ月前にここに来たんだ。

「干し魚とカナー菜の炒め物」と「干しエビのヤム」を注文。
店の女主人が「干しエビを切らしているよ」と答えたが、その横からその亭主が「大丈夫買ってくるからできるよ」という。
そして、バイクに乗って走っていったが、5分ほどで戻ってきた。
しかし手ぶら。
そして、そのままピックアップトラックに乗り換えて、再びさっきとは反対方向へ入っていた。
そのうちに外は土砂降りの雨に変わった。

土砂降り
[スコールのような雨]

たぶん隣町へでも干しエビを買いに行ってくれたのだろう。
おかげで「干しエビのヤム」にありつくことができた。
しかし、このヤム、投入されている唐辛子の量が半端じゃない。
さらに、生姜の細切りもたくさん入っている。
今回発見したこととして、生姜は唐辛子の辛さを増幅する作用があるということ。
もうめったやたらと辛い。
しかし、わざわざ干しエビを買ってきてくれたヤムなので、鼻水をふきふき完食する。
痺れた舌に「干し魚とカナー菜の炒め物」が優しく感じられる。

ヤムクンヘーン
[これが激辛の干しエビのヤム]

<HR>

翌朝は青空であった。
雨期なので快晴と言うわけではなく、雲も浮かんでいるけれど、空は青く雲は白い。
中庭の東屋でインスタントコーヒーをいただく。
そのうちにここのネコたちがやってくる。
ネコが庭で遊ぶ姿を眺める。
ネコたちは幸せそうだ。
走り、気のよじ登り、虫を追いかける。

ドークラックの朝
[私のネコにもこんな環境でくつろがしてあげたかった]

9時過ぎに出発してピサヌロークへ向かって走る。
田舎道、のんびり走る。
空は青と白のコントラストがきれいだ。

空、雲、山、
[空気が澄んでる]

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