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駆け回った一週間
2020年9月

今は9月も下旬の26日になってしまった。
今月は一度もブログを書けていない。
仕事が多い時も当然忙しいけど、仕事がうまく回っていないときは、空回りに巻き込まれて忙しい。

その空回りの中でも、特に中旬にチェンマイ、バンコク、チェンライと飛び回ったのは、体力的にもずいぶんきつかった。
飛び回った理由も、仕事の関係。
もう、去年からタイ北部の支店を見るように言われていたけれど、なんだかんだと理由を付けてピサヌロークに引きこもっていた。
ピサヌロークだって、人員補充がないまま私一人で回しているようなもので、これで他の支店を見るなんてことは、とてもではないができない。

しかし、この3か月で社内での人員整理・削減が進んで、もとどこもスタッフが半分以下になってしまった。
いつまでも逃げ回っていると、最終責任を押し付けられそうなので、なんとか苦境を乗り切るために腰を上げなくてはいけないのかと諦めることにした。

それでも、バンコクの人たちから見たら、チェンマイもチェンライも、飛行機で飛べば1時間ほどで到着できてしまうという感覚で、ましてこれら2都市と地理的に近いピサヌロークなら、どこでもすぐ行けるだろうというイメージらしい。
でも、ピサヌロークからは飛行機だって飛んでないし、鉄道やバスでは移動だけで1日仕事。
車だって、山道を延々と走らなくてはならない。
正直なところ、タイの交通機関はバンコクを中心に放射線状でしか発達していないので、地理的に近くても、実際にはとても遠いのである。

9月11日、午前4時にチェンマイ行きの急行に乗る。
当然まだ真っ暗な時刻。
寝台車で寝ていきたいくらいだけど、ここは経費節減でオンボロの座席車。
しかも、大昔の木造客車。

木造客車
[昭和30年代がここにはある]

先月も鈍行でチェンマイへ往復してきたけど、チェンマイまではバンコクへ向かうより、山の中を走るので景色が良い。
景色は良いけど、時間はかかる。
チェンマイまで8時間。
途中から、幼稚園の園児たちが乗り込んできて、クンターンという山の中の駅で降りていった。
遠足なんだろう。

クンターンへ遠足
[幼稚園の遠足]

チェンマイに到着して、駅前の客引きを無視して、駅前通りに出てソンテオに乗る。
先客2名、タイ人女性。
私と同じ急行で到着した模様。
ソンテオなので相乗りタクシー。
私の目的地はカドスアンケーオ、そこまで40バーツで行くという。
いまやソンテオの料金は最低30バーツからだそうだから、街の東から乗って、西までで40バーツというのは、ほぼ妥当な金額と思う。

しかし、先客の女性二人は、旧市街のお堀端手前で下車した。
下車する際に、ドライバーに60バーツを払ったら「ひとり60バーツだから、ふたりで120バーツ」と言われていた。
私より200メートル手前で乗ってるはずなのに、旧市街の手前で下車して120バーツは高すぎる。
私なら乗らないか、降りるときに抗議するだろう。
西洋人観光客も絶対に120バーツなど払わないと思う。
しかし、2人は、文句ひとつ言わずに、120バーツを払って下車していった。

カドスアンケーオで下車し、レモンツリーでランチにする。
豚ひき肉をイカ詰めてカレー煮にしたチューチープラームックヤッサイ。
これ好物であるが、先月来た時は食べてなかった。
ビールがほしくなるところだけど、午後からはチェンマイの支店での仕事が待っているので自重する。

レモンツリーのプラームックヤッサイ
[レモンツリーでランチ]

支店はニンマンヘイミン通りにあるけれど、この界隈は近年中国人観光客ににぎわっていた。
店の看板はタイ語や英語よりも中国語が目立ち、コンビニのキャンペーンまで中国語になっている始末。
しかし、新型コロナで外国からの観光客が途絶えて、営業していない店が多い。
コンビニは営業継続しているけれど、中国語の幟や張り紙がやたらとむなしく見える。
中国人観光客でにぎわっていたはずのカフェには、タイ人観光客が入って自撮り写真に夢中になっている。

5時過ぎまで支店で打ち合わせなどをしてチェンマイ駅へ戻る。
チェンマイはたった半日の滞在だったけれど、夕方6時のバンコク行き寝台特急に乗りたい。
そして、バンコクで週末を過ごしたいと思っている。
以前は、夜9時くらいまでバンコク行きの夜行列車があったものだが、いまは6時が最終になっている。
6時までに駅に向かうとなると、チェンマイ市内の渋滞が酷いということで、支店で車を出してもらう。
それでも駅に着いたのは出発の5分前。
ギリギリであった。

駅頭で車内で食べるための中華まんじゅうやカノムチープというシュウマイ、そしてトウモロコシを買い込んで、ホームへ急いだ。

サラパオ、カオポート、カノムチープ
[今夜の夕食]

この寝台特急は、数年前に中国から輸入した新型である。
とても長い編成になっているが、乗客はあまり多くないようだ。
後ろの方は、誰も乗っていない車両が続いている。
もともとチェンマイとバンコクを結ぶ夜行列車は、西洋人観光客に人気が高くて、いつも満席だったけれど、外国人が来なくなって、乗客も減ったのだろう。
それに運賃もちょっと高い。
バンコクまで2等で1,041バーツ。
たぶん格安航空会社のキャンペーン料金よりずっと高い。
こんなに利用者が少ないなら、短い編成にすればよいものを、この新型はエアコン用の電源車を付けた固定編成で、車両の切り離しを自由にできないのだろう。
以前の寝台車は、各車両にディーゼル発電機を載せてエアコンの電源も賄っていたので、列車を長くしたり、短くしたりも簡単だった。

私の指定された車両は、少ない利用者をまとめたのか、3割くらいの乗車率はあった。
新しい車両なので、キレイで、スマートな印象を受ける。
しかし、シートはクッションがあまり効いておらず硬い。
それと、背もたれも垂直で、あんまり座り心地は良くないようだ。
窓際には折り畳み式のテーブルがある。
さっそく、テーブルに先ほど買った食材を並べて夕食とする。

新型寝台車の座席
[新しいのでまだキレイ]

タイの列車に乗ると、食べ物などが入った籠を持って、車内を行き交う物売りが多いのだけれど、この列車には禁止されているのか、物売りは皆無。
しかも、長距離列車には食堂車が連結されていて、ボーイやウエイトレスが各席を回って料理の注文を受け、席まで届けてくれるサービスがあるが、だれも回ってこない。
回ってきたのは、検札係だけで、小さなペットボトル入りの飲料水も配られた。
食堂車も連結されているようなのだけれど、果たして営業しているのかも疑わしい。
車内清掃をする掃除府は乗り込んでいて、ときどきゴミ集めに来るが、もともとほとんど乗客が乗ってないので、ヒマを持て余しているようだ。

夜8時には寝台係がベッドを作りに来る。
通路を隔てて2段ベッドが並ぶ。
旧型の寝台車は通路に2段ベッドの上へ登るハシゴや荷物棚が並んで、通路が雑然とした印象だったけれど、新型の通路は出っ張っているものが何もなくて、すっきりしている。
そして、ベッドの枕元には読書灯があり、ちゃんと灯りがともる。
まだ故障していない。
そして、AC電源もある。
じゃまなのは、折り畳み式のテーブル。
窓際に折りたたんでもでっぱりはある。
ベッドに読書灯と電源
[マットの幅は、ベッドより狭い]

翌朝、ほぼ定刻にバンコクに到着。
眠ったような、よく眠れなかったような、なんだかフワフワした感じが残っている。
バンコクのアパートに着いたら、寝直しをしたい感じだ。
新型寝台車の外観
[バンコクに到着]

9月15日、定期健康診断を受ける。
ここ何年か毎年サミティベート病院で健診を受けていたけれど、今年はラマ9病院。
ラマ9病院もバンコクのアパートから比較的近いので便利。
何か月も前から、塩分の摂取を控え、炭水化物も控え、生野菜をバリバリたべるなどの高血圧対策をしてきて、5月ころには血圧もとても良い数字になっていたので、今年の検診ではもう血圧に関してお小言を言われなくて済むだろうと安心していた。
それが、先月くらいから、たぶんストレスによるものか、再び血圧が上昇し始めて、以前と同じレベルにまで戻ってしまった。
健診当日の朝もジョギングをし、シャワーもして、なるべくストレスになるような仕事のことを考えないようにして臨んだのだけれど、血圧計は94/140をデジタル表示した。
しかし、問診時の医師からは別に「血圧を下げる薬を飲むように」とか言われることもなく、「ちょっと男性としては体重が少なすぎますね」と言われただけであった。
身長は185cmで、体重は62kg。
他にコレステロールの数値などもあまりよくないと指摘された。
詳細な結果は2週間後に郵送されてくるそうだ。

ラマ9病院の食事補助券
[健診を受けたラマ9病院でもらった食事券、100バーツで食べれるものはなかった]

9月16日、昼までバンコクで仕事をして、夕方の飛行機でチェンライへ飛ぶ。
飛行機に乗るのは半年ぶりくらいかもしれない。
チェンライまで飛行機にしたのは、キャンペーンか何かで破格の金額で予約ができたから。
たったの280バーツ。

チェンライへの飛行機内
[飛行機の搭乗率は7割くらい]

チェンライでは時計塔から1キロほど歩いたところにある小さなホテルに泊まることにした。
かわいらしいホテルであったが、部屋の中はなんだか女の子の部屋みたいな飾りつけで、男一人ではなんだか落ち着かない。

フエンチャンティップホテル
[女の子向きの部屋]

夜はチェンライの時計塔の前で待ち合わせて、知人と食事をすることにした。
9年ぶりの再会ということになる。
チェンライの町も、前回来たのはいつのことだろうか?
まだチェンマイに住んでいたころだろうと思われるので、15年以上は過ぎている。
なんだか、そのあいだにずいぶんと装飾が派手な街になったように感じる。
時計塔も、ゴテゴテと飾りが付き、ライトアップされている。
その時計塔の上をツバメが集団飛行をしている。
ライトアップの光で照らされながら夜空を滑空する姿は、サーチライトに映しだされた敵戦闘機集団のようにも見える。

時計塔
[以前はこんなに派手な時計塔ではなかったと思う]

知人によると、外国人観光客が来なくなって、チェンライの店も大半が閉めてしまったとのことである。
なので、食事ができるところも限られているのだそうだ。
そんな中で、知人はイタリアンの店とか、いくつか営業している店を探しておいてくれたのだけれど、私たちはウィアンインホテルの近くにあるお粥屋に入って、ビールを飲みながら、これまでのことや、今のこと、仕事のことなどのよもやま話を2時間以上もしていた。


チェンライも新型コロナウイルスでとんでもなく不景気になっていることは、知人の話からもよくわかった。
もともと不景気なピサヌロークに籠っていると、世の中の変化から取り残されてしまいそうだ。

翌朝は、チェンライ支店でのお仕事。
実はチェンライ支店へ行くのは恥ずかしながら初めてであった。
支店の近くには昔家族で泊まったことがある韓国人経営のゲストハウスが残っていた。
しかし、ここも利用者が来なくなったということで、ゲストハウスの営業はしていないらしい。
見た感じでは、併設の韓国料理屋は営業を続けているように見える。

韓国ゲストハウス
[ここのオーナーは健在なのだろうか]

チェンライ支店で仕事は、打ち合わせと現状確認と今後の対策などで、このご時世、ほぼ売上ゼロになってている支店経営をどうやって軌道に乗せるか、負担が大きい。
血圧を押し上げているストレスは、ピサヌロークだけでも大きな原因となっているのに、チェンマイとチェンライまで加わったら、ほんとうに降圧剤を飲まなければ、危険な状態になってしまいそうだ。
特にチェンライは支店開設以来、ほとんど販売実績がない。
財務表すらないので、一つずつ確認して、この一年間の売上が、支店の前に掲示している看板に対するち「看板税」にも満たないことまで判明し、愕然とする。

昼までに仕事を切り上げて、バスターミナルへ向かう。
チェンライからはピサヌロークを経由して、タイ東北部へ向かう長距離バスが昼過ぎから夕方にかけて出発することを知っている。
しかし、バスターミナルへ行ったところ、以前ここからすべてのバスが発着していたけれど、現在は新しいバスターミナルができて県外へ行くバスはそこから発着しているとのこと。
歩いていくのは無理なくらい遠い場所らしい。

新しいバスターミナルまではソンテオが結んでいるそうなんだけれど、利用者が集まらないと出発しないという。
今すぐに行くのなら、60バーツだそうだ。
こちらは、あとはバスに乗るだけだし、バスの予約もしていないので、5分10分を急ぐこともない。
「相客が車で待つよ」と言ったのだが、実際には相客はなかなかやって来なかった。
新しいバスターミナルへ行く人は、どうしているのだろう。
地元の人は、だれかに送ってもらったりするから、乗り合いソンテオなんて利用しないのだろうか?
いいかげん、60バーツでもイイかなと思ったところで、相客が一人でて、運賃は30バーツとなる。

チェンライのバスターミナル
[新しいバスターミナル]

チェンライからピサヌローク方面へのバスを探したらば、ナコンチャイツアーという会社のバスで13:30発とちょうど良いものがあった。
しかし、窓口で切符を買おうとしたら、18:00までないという。
13:30発は運休だという。
他にもソンバットツアー社のバスで同じくらいの時間のバスが掲示されていたけれど、やっぱり運休だという。
でも、こちらは15:30発のバスなら走るというので、そのバスの切符を買う。

出発まで2時間以上。
街はずれのバスターミナルなので、近所を散策するようなところもないし、待合室にもエアコンが入っていない。
とりあえずは、まだ昼食を食べていなかったので、切符売り場の女性に美味しい食堂はないかと聞いて、紹介されたクイテイアオ屋に入る。
特別に美味しいということもないけど、まずいという店ではなかった。
店に入っている他の客たちは、肉を煮込んだようなスープのクイテイアオを食べていたけれど、私はクリアなスープで肉なしをたべた。

肉なしクイティアオ
[おすすめを受けたクイティアオ]

スーパークラスというのか、普通の一等バスよりも二割くらい運賃の高いバスであったけれど、二人掛けの座席が並ぶ普通のバスであった。
乗車率は三割程度と空席ばかり、なるほど運休するバスが多いのも道理だと思った。
全席指定ということになっていて、私も指定された席に座ったが、こんなに空席ばかりなのに、私の隣には如何にも田舎から出てきた農夫と言った感じの男性が座った。
どうして、こんなことになるのか理解できない。

以前、チェンマイに住んでいた時など、ソンバットツアーのバスはバンコクへの行き帰りによく利用していた。
車内でのサービスが良くて、乗り込むと茶菓子のサービスやドライブインでの食事のサービスがあったものだが、このバスは動き出しても飲料水しか配られない。
これは私にとってあんまり嬉しくないサービスだけど、エアコンだけはガンガンと効かせる。
乗っているお客が少ないから、車内はますます寒い。
なにもサービスをしてくれない女性のサービス係は、厚手のジャンパーを着こんでいる。

スーパークラスのバス
[タイのバスはとにかく寒い]

ピサヌロークまで450kmほどと思われるから、6時間半くらいで到着できるんじゃないかと思っていた。
しかも、このバスはタイ東北部、メコン川沿いのナコンパノムまで行く長距離便、ピサヌロークまでノンストップなのかなと思っていたのだけれど、なんと各駅停車。
ちょっとした町のバスターミナルをひとつひとつ立ち寄っていく。
しかし、トイレ休憩はない。
日が暮れて、そろそろ何か食べたいと思っても、ドライブインには立ち寄らない。
車内は寒いし、腹は減るし、みじめな気持ちになってくる。
他の乗客はもう眠り込んでいる。

ウータラディットを過ぎて、あと100kmほどでピサヌロークだと思ったところで、やっとドライブインに立ち寄った。
もうここまで来たらば、休憩などしないで早くピサヌロークへ向かってほしいと思ったくらいだけど、トイレに行けるのと、簡単な夜食を食べられるのはうれしかった。

ドライブインを出発して、しばらくしたらパンとクッキーが入った小箱が配られた。
なんで、今頃配るんだろう。
もっと早く配ってくれれば、ひもじい思いもしなかったのにと思う。

菓子パンの入った小箱
[はやく配ってほしかった]

ピサヌロークに到着したのは夜11時をとっくに過ぎてから。
やり残した仕事を今日中に処理するため、オフィスへ向かう。
ピサヌロークの新しいバスターミナルも町からとても遠いところにある。
バスターミナルからオフィスまではタクシーに乗る。
タクシーの運転手はあまりに客がなくて待ちくたびれたからか、車内で爆睡中だった。
窓を何度か叩いて、ようやく起き出した。

ちなみにピサヌロークでメーター・タクシーに乗るのは今回が初めて。
初乗りが40バーツ、市内までは80バーツほどだったので、以前に利用したことのあるバイクタクシーより安いようだ。

日付が変わる直前にオフィスへ入る。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=175 |
| 日常 | 01:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
チェンマイへの鈍行列車旅(後編)
8月22日 土曜日 (前編からの続き)

午後3時過ぎにチェンマイ駅に到着し、旧市街へ向かって歩きはじめる。
ピサヌロークからの道中は、雨が降ったり止んだりの天気だったけれど、チェンマイでは強い日差しが照り付けてきている。
帽子を持ってくるのを忘れたことを後悔する。

ナワラット橋を渡り、ターペー通りを西に進む。
ワロロット市場やナイトバザールに近く、もともとツーリストゾーンであったけれど、外国人観光客が消えて、閑散としている。
土産物店は営業していないようだし、カフェも閑散としている。
客待ちしても誰も乗らないだろうと思われるけど、道端には何台かのトゥクトゥクが止まって「ハロー」と声をかけてくるが、積極的に声をかけてくる感じはない。

ターペー通り
[週末とは思えないほど静かなターペー通り]

レームトーンのテイラーは、営業していた。
爺さん二人でやっていた店だが、先輩格の姿が見えなかった。
以前はよくここでスーツやシャツをオーダーしたものだけれど、最近はもう何年も着古したヨレヨレのモノを着ていても、あんまり気にならなくなってしまった。

ターペー門の前にはタイ人観光客が何組かいた。
門の前でハトにエサを撒いてモデルの周りに寄ってこさせ、そしてワッと脅かして一斉に飛び立つところを写真に撮らせる商売があるようで、中年女性が仕切っていた。

ターペー門
[ターペー門]

旧市街の場内に入るが、やっぱり外国人観光客はいないのだけれど、中国語の看板はやたらと目につく。
それでも、当然中国人観光客などいないし、以前は喧しいくらいに耳に入ってきた中国語も聞こえない。
それとレンタルバイクも随分と少なくなったようだ。
外国人を見かけないわけではない。
もともとチェンマイは長期滞在をしている定着組の西洋人の多い土地なので、西洋人の姿は何人も目にした。
しかし、長期滞在組とバックパッカーとでは醸し出す雰囲気がまるで違う。

城内にはたくさんの寺院があるが、久しぶりに旧市街をあるいてチェンマイのお寺の良さに感心する。
この何年間か、観光客が爆発的に増えて、街全体も豊かになったからだろうか、寺院も随分と補修されたりしてきれいになっている。
ピサヌロークにも寺院はたくさんあるが、チェンマイのような雅さをもった寺院は多くない。
ピサヌロークの寺院はどちらかと言うとコンクリートでできた実用本位の時点が多く、ゴチャゴチャとした印象を与える寺院も多い。
チェンマイはその点、ランナー様式で統一された美しさがある。

3人の王様像
[西日で逆光の旧ランナー王宮前の3人の王様像]

今晩泊まる宿までは、駅から歩いて一時間ほどで到着した。
名前をボンサヴァ(Bon Ca Va)という。
一階が北タイ料理の高級レストランになっている。
宿はこのレストランの中に入り、調理場手前の薄暗く狭い階段を上ったところに受付があった。
下の高級レストランとは対照的に、場末のゲストハウス的な雑然とした受付だけれど
スタッフの対応は悪くない。
割り振られた部屋は5号室で、さらに狭い階段を上った4階で、通りに面した部屋であった。
思ったより部屋は広めであったけれど、バスルームはやたらと細長い作りになっていた。

ポンサヴァ5号室
[思っていた以上に快適そうな部屋]

チェンマイで何かしなくてはならない予定はまるでない。
しかし、夕食は懐かしいレモンツリーへ行って食事をしたいと思っていたし、タニン市場でピーナッツも買って帰りたいと思っていた。
まだ、夕食にも早いので、旧市街のお寺でも見てこようかと言う気になった。
ピサヌロークに移ってから、タイの寺院建築や仏像などを調べることも多くなり、少しは知識も付いてきたので、チェンマイの寺院めぐりも以前より見る視線が変わって面白いのではないかと思った。

最初に向かったのはワット・チェンマン。
チェンマイ市内で最も古い寺院であり、もとはチェンマイを建設したメンラーイ王が住んでいた場所ともされる由緒正しい寺院なのだが、かつてチェンマイに住んでいた時から、そして現在まで私は一度もワット・チェンマイの中に入ってしっかりと見学したことがない。

ワットチェンマン
[ワットチェンマンもランナー建築の特徴、末広がりの屋根]

入口の案内板によると、この寺院には1800年前のラヴォー王国で作られたクリスタル仏と2500年前にインドで作られた大理石仏があり、シーサッチャナライ遺跡のワット・チャーンロムそっくりの仏塔もあると説明されている。

まずは正面に構えている大きな礼拝堂に入ってみる。
礼拝堂自体の作りもランナー様式で、何段にも重なった大きな屋根が下へ行くほど末広がりに広がっている優美なスタイルをしている。
礼拝堂の中には金色の坐禅仏があり、右手を膝に置いた降魔印のスタイルをしている。
表情や体形はスコータイの仏像とよく似ている。

礼拝堂の黄金仏
[礼拝堂は高い天井で、奥に金色の坐禅仏が安置されている]

礼拝堂内部の壁はエンジ色に塗られており、そこに金色の絵の具で絵が描かれている。
絵はタイでよく見かけるお釈迦様の物語とかではなく、昔のチェンマイの生活を表したもののように思われた。

礼拝堂の壁画
[きれいな壁画だけれど、きれいすぎて面白くない]

案内板にあったクリスタル仏や大理石仏は見当たらなかったので、礼拝堂の外に出てみる。
外は雨が降っていた。
ちょっと雨脚も強いようで、隣にある少し小さめの伽藍まで傘をさして移動する。

正面にはやはり降魔印の坐禅仏、それも黒い仏像があるが、ぱっと見たところクリスタル仏や大理石仏は見当たらなかった。

伽藍内部
[この伽藍が本堂なのだろうか?]

こんどは裏へ回ってみる。
裏には金色の仏塔があった。
仏塔の土台の部分はゾウが取り囲んでいる。
これが案内板にあった「ワット・チャーンロムそっくりの仏塔」ということらしい。
しかし、スタイルはチェンマイでよく見かけるプラサート型の仏塔で、ワットチャーンロムのスリランカ様式の仏塔とは違っている。
どうして「そっくり」ということになるのだろうか?
確かに基壇の部分にはゾウが囲んでいるけれど、ワットチャーンロムの特徴であるゾウの全身が仏塔の外に出ている形ではなく、ゾウの胸から後ろが基壇の中に隠れている一般的スタイルになっている。

象が囲むプラサート型仏塔
[シーサッチャナライのワットチャーンロムとはだいぶ違う]

さて、クリスタル仏や大理石仏はどこだろうか。
もう一度先ほど確認した小さめの伽藍を覗いてみる。

ありました
正面にはやはり降魔印の坐禅仏、それも黒い仏像があり。その後ろに格子の扉の奥にそれらしい姿を確認できました。
しかし、どちらも小さな仏像で、しかも格子戸越しなのであんまりはっきりとは見えない。
向かって左側がクリスタル仏、右が大理石仏らしい。
クリスタル仏は頭に金色の冠を被っているようで、降魔印のスタイルをしているようだ。
大理石仏は、腰をよじった姿の直立仏で、スタイルも表情も素朴な印象を受ける。
できればもっと近くでよく見てみたいけれど、黒い仏像の前でお坊さんが読経をされているので、あんまり無茶はできない。

クリスタル仏と大理石仏
[鉄格子の奥がお目当ての仏像]

しかし、1800年前と2500年前と言うのはちょっとサバを読み過ぎではないかと思う。
1800年前だとまだラヴォー王国が成立する以前ということになってしまう。
そして2500年前だと、当時の仏教ではまだ仏像を拝んだり、作ったりする時代ではなかったはず。
タイの寺院ではこの手のことがしばしばあって、頭が混乱してしまう。
先日もピサヌローク市内の古刹されるワット・ラーチャブラナでお坊さんから話を聞いたら、ラーチャブラナ寺院の建立はチェンセーン時代と教えられた。
クメール時代のピサヌロークは現在よりも南に位置しており、ワット・ラーチャブラナのある現在の場所へ移転してきたのが14世紀、スコータイ王朝のリタイ王であったはずだから、それ以前に寺院が建立されていたとすると話がおかしくなってしまう。

仏像の案内
[ここに書かれているのがこの寺院の公式見解なのでしょう]

雨が強いので、雨宿りをしていたら、寺男が木彫りの仏像を手に持って近づいてきた。
「この仏像はとても古くて、美しいものだ」と言って私に押し付けようとする。
これは仏像のヤミ販売ではないだろうか、こんなのに関わったらロクなことにならない。
「私は仏像に触れることができない」と言って断ったら、「あぁ、そう」といった感じで行ってしまった。

少しは小降りになってきたので、傘をさしてタニン市場まで歩いていくことにする。
チャーンプアク門を経由して、なるべく軒先を伝わって雨に濡れないようにしたつもりだったが、チェンマイは水たまりも多く、行き交う自動車は水たまりを跳ね上げて走っていくので、びしょ濡れになってしまった。
そして、それ以上に以前から靴底のゴムがすり減って、穴が開いていた布靴はグショグショに濡れてしまっている。
それでもズボンの裾をまくり上げて、タニン市場へ向かう。
途中道が冠水したところもあったりして、惨憺たる行脚となった。

タニン市場では無事にピーナッツを購入できた。
1.5kgで160バーツ也。
チェンマイでは野菜がピサヌロークより安いように感じる。
でも、果物はピサヌロークの方が安いようだ。
タニン市場も以前と比べるとキレイになっている。

タニン市場のナッツ売り場
[わざわざチェンマイで買わなくてもと思うが、ピサヌロークではこの手の店を見かけない]

まだ小雨が降り続いているけれど、レモンツリーへ向かって歩き出す。
サンティタムのロータリーを過ぎる。
以前は空き地の目立つ場所だったけれど、もう空き地などほとんどない。
表面上しゃれた店も増えたし、中国語の看板がこの辺りにもある。
ゲストハウスやアパートを改装した宿屋も多いけれど、チェンマイには急に増えた外国人観光客を収容するための宿がたくさんできてしまったので、外国人が来なくなった今、いったいどうやって凌いでいるのだろうか。
小綺麗にしているレストランにはタイ人のグループが入っているようだけれど、だれもお客さんが入っていない粗製乱造的なカフェもたくさんある。

ナコンピンコンドにちょっと立ち寄ってみる。
掲示板を見ると「部屋売りたし」と書かれたメモやビラがたくさん貼られている。
月極で部屋を貸すという案内では、家賃が書き換えられ2割ほど安くなっている。
コロナがいつ終息するのか分からないけれど、もしまた以前のように観光客が戻ってくるとしたら、こうした物件は今が買い得ということになるだろう。

レモンツリーも閑散としていた。
私が入った時には他に誰もお客さんが入っていなかった。
フード・デリバリーのライダーたちが店の前で料理の出来上がりを待っているだけ。
以前なら、タイ人客だけではなく、中国人観光客も来ていたし、日本人の長期滞在者も多く見かけたものだけれど、寂しいかぎり。

レモンツリー店内
[夕食時と言うのに店内は閑散としていた]

注文した料理は空芯菜フライのヤムとネームの炒飯。
ビールはメニューにこそ各種取り揃えてあったけれど、実際にはチャーンとレオしかないという。
むかしはビールはハイネケンとシンハしか置いていなかったのに、ビールのラインナップは低価格路線になったようだ。

空芯菜フライのヤムは、やっぱりレモンツリーのものが一番おいしいと思う。
カイダーオと呼ばれるタイ式の目玉焼きを空芯菜のフリッターの上に載せ、ヤムのタレには紫玉ねぎや豚ひき肉と一緒にエビなども入っている豪華版。
このヤムと一緒にいただくビールははるばる鈍行に乗ってチェンマイまで来ただけの甲斐があったと思えるものである。
いつもはイカのひき肉詰め赤カレー煮込みも注文していたのだけれど、少し食が細くなったためか、食べきれる自信がなくて注文しなかった。
その代わりにネーム入りの炒飯を注文したのだけれど、これもまずくはないけど、感動的に美味しいと言えるほどではなかく、ピサヌロークでも普通に食べられる程度の味だった。

ヤムパクブントートクロープ
[ここのヤムパクブントートクロープが一番おいしいと思っています]

食事をしている間に、タイ人の家族連れ3世代6人が入ってきて、少しにぎやかになった。
常連ではなく観光でチェンマイへ来たようだ。
外国人観光客と違ってタイ人観光客は車でチェンマイへ来る人が多いだろうから、街中の駐車場のない店よりも郊外のショッピングセンターに併設されたレストランへ行く傾向があるのではないだろうか。

レモンツリーでの夕食代は、220バーツ也。
まだ少し飲み足りない気もするが、雨にぬれたりして、もう一本ビールを飲もうという気にはなれない。
バーや飲み屋に入るだけの勇気もない。
どこかでタイウイスキーの小瓶でも買って部屋で飲むのが無難そうだ。

夜道では雨はほとんど上がっていた。
お堀端の道を歩く。
ここも店が増えた。

ワット・ロークモーリーへ立ち寄ってみる。
むかしはレンガ剥き出しの仏塔で、遺跡のような印象を与える寺院であったけれども、仏塔や伽藍もきれいに化粧されて、イメージがだいぶ変わってしまった。
境内にはネコが一匹歩いており、声をかけたら寄ってきたので、カバンに忍ばせたキャットフードを与える。
しかし、もともと空腹ではなかったようで、お付き合い程度に少し食べただけであった。
ネコにも義理で付き合うと言った感覚があるのだろうか?

ワットロークモーリーで見かけたネコ
[義理を知っているネコ]

宿の部屋に入る前にコンビニでホントーンというタイ・スピリットの小瓶を145バーツで買う。
時刻は夜8時過ぎ。
宿屋の1階にあるレストランは繁盛しているようで、身なりの良いお客さんでほとんどのテーブルが埋まっているような盛況であった。
西洋人も何組か見かけた。
そんななか場違いのような濡れネズミが、レストランの奥から階段上って部屋へと向かった。

<hr>

8月23日 日曜日

まだ薄暗いうちに目が覚めたけれど、どうやら外は雨らしい。
8時には撤収しようと思っており、それまでにワットプラシンとワットチェディールアンを見学したいと思っていたけれど、また雨に濡れるのはかなわない。
特に穴の開いた布靴は致命的だ。

7時過ぎになって、雨は上がったようだ。
しかし、道は水たまりだらけ、あんまり歩きたくないけれど、今はじっとしていてもどうせ後で駅まで歩けばおんなじこと。

ボンサヴァ
[まだ朝早いので営業していないが、宿屋の下がレストラン]

3人の王様像の前を通り過ぎたところで、あんまり身なりの宜しくない連中がいた。
そのうちのひとり、赤ら顔の男性に声をかけられた。
そして手を差し出してくる。
握手を求めているようだ。
何のための握手か分からないけど、はっきりと断るだけの理由もないので手を握った。
男性はだいぶ酒に酔っているらしい、少しロレツの回らない声で、
「バイクのガソリン代がないので、すこし恵んでくれ」と言っている。
「ダメだよ」とこんどははっきり断ったら、
「あぁ、そう」と言って仲間のところへ戻っていった。
なんだ、ただの乞食ではないか。
それにお腹が空いてるのでと言うのでなく、ガソリン代を求められたのは初めての経験。
お酒に酔えるほどなら、食べ物に不自由しているわけではないだろうし、それにこんなに酔ってて、ガソリン代を恵んだせいで、バイク事故でも起こされたら、私まで共犯になってしまいそうだ。

3人の王様像
[再び3人の王様像、、左からガンムアン、メンラーイ、ラムカムヘーン]

ワット・プラシンでは、正面の大きな礼拝堂が改築工事をしていて見学できなかった。

礼拝堂の裏手には安っぽく感じるくらいにキラキラと光るメッキ細工のような仏塔がある。
以前もこんな金色だっただろうか、以前のイメージがわかないが、ワットブラシンの印象は、もっと落ち着きのある寺院だった気がするので、最近金色にしたものかもしれない。
この仏塔の周りにも、象がいた。
4面ある土台の部分の各面に一頭ずつ配置されているが、やっぱりこんな色合いだと、かえってありがたみを感じない。

ワットプラシンの仏塔
[安物の金メッキのような仏塔]

この寺で見ておきたいものは、シヒン仏。
シヒン仏は、仏塔横の少し小さめの伽藍の中に安置されていた。
かつてスコータイ王朝時代にカンペーンペットからチェンマイにわたり、この寺の本尊となったとされている仏像で、シヒンとはライオン(獅子)のこと。
聖なる獅子の寺院なので、ワットプラシンという寺院の名称にもなったものらしい。
うろ覚えながら、スコータイのシヒン仏はスリランカからタイ南部のナコンシータマラートへ渡り、そしてスコータイに持ち込まれたと記憶している。
その後にチェンマイに運ばれたことになるけれど、このシヒン仏もやはり金色になっている。
スタイルは降魔印の坐禅仏。
顔の表情や体つきはスコータイ仏によく似ているが、スコータイ仏の特徴である頭の上のラッサミーが小さい。
スリランカの仏像がどのような特徴があるのか知らないけれど、本当にスリランカから渡ってきたものなのだろうかという疑問が湧いてくる。

ワットブラシンのシヒン仏
[ワットブラシンのご本尊、シヒン仏]

ワットチェディールアンも見学したかったけれども、時間が足りなくなって、宿屋に戻る。
チェンマイ女性刑務所があったが、現在もう移転してしまったのか、無くなっていた。
刑務所前にあった受刑者の矯正施設としてのマッサージ屋もなくなっていた。

旧市街を歩いていて、「売ります」「貸します」の張り紙が目立つのと同様に、浮浪者を見かけるようになった。
バンコクならば乞食や浮浪者は日常風景だったけれど、以前のチェンマイでは見かけた記憶がない。
今回見かけた浮浪者は軒先にボロをまとって寝ていた。
住むところもない困窮者がチェンマイにも増えているということなのか、それともコロナ直前まで急増していた観光客のおかげで、チェンマイもバンコク並に物乞いで食べていける環境になっていたということなのだろうか。

いったん宿屋に戻り、荷物をまとめて駅に向かって歩き出す。
また雨脚が強くなり始めた。
旧市街の裏路地伝いに歩く。
このあたりはバックパッカー向けの安宿街で、以前なら今ぐらいの時刻はゲストハウス前で朝食を食べているバックパッカーやピックアップトラックでトレッキングに向かう西洋人を多く見かけたものだけれど、いまは全くひっそりとしている。
西洋人のバックパッカーの中には何か月も、中には一年以上かけて世界を放浪している連中もたくさんいたけれど、彼らはこのコロナで母国へ戻ったのだろうか?
それも、どこかで足止めされているのだろうか?
あんなにいっぱいいたのに、全部消えてしまって、不思議な感じがする。

お堀端へ出て、ノーザンホイールのレンタカー屋もシャッターを下ろしている。
もともとレンタカー業界も過当競争と大手チェーンの進出でローカルなところは苦しかったのだろうけど、ここでもコロナは追い打ちをかけているのだろう。
このレンタカー屋の娘さんにはかつて日本語を教えていたこともあり、今はどうしているだろうかと思う。

チャンモイ通りの角にあったマイクというハンバーガー屋は別の名前の看板を掲げていた。
マイクのハンバーガー屋は、いつも西洋人たちのたまり場で、明け方まで営業していたが、現在はどうなっているのだろうか?

チャンモイ通りを進み、また路地を抜けてターペー通りに出る。
雨さえ降っていなければ、こんな住宅が建て込んだ路地を歩くのは、住んでいる人たちの生活が覗けたりするので、楽しいのだけれど、雨なので楽しくない。

ナワラット橋を渡り、江桂泉餅店で肉まんを買う。
ここの肉まんはボリューミーでしかも美味しい。
値段の方は、以前と比べてだいぶ高くなっており大きい肉まんが35バーツになっていた。
今回チェンマイで見てきた光景は、どこも寂れていたけれども、この店は雨にもかかわらず行列ができていた。
地元の人に愛され続けてきた老舗がこういう時には強さを発揮するようだ。
買った肉まんは帰りの列車の中で食べることにする。

9時すぎにチェンマイ駅へ到着。
ピサヌロークへの戻りの列車の出発時間は9時30分。
すでにホームに列車は入っており、どのボックスも全部埋まっている。
ひとつだけ空いているのはトイレ横のボックス席だけ。
ちゃんとクッションのあるシートの車両に乗り込む。
これでピサヌロークに到着するのは、夕方5時過ぎ。
丸1日を過ごすことになるわけだ。

江桂泉の肉まん
[大きいので、食べごたえあり]

終わり


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チェンマイへの鈍行列車旅(前編)
8月22日 土曜日

週末の2日間、仕事が入らず、休みとなった。
じっとしているのももったいないけど、お金を使うのはもっともったいない。
あまりお金を使わずに、2日間を過ごす方法を考えた。

「そうだチェンマイへ行こう」、それも鈍行の三等車に乗っていこう。
ホテルも個室が取れる安ホテルをさがして、374バーツでネット予約。

朝7時に下宿先をでて、朝市で餡饅と豆乳を買う。
先日も同じ朝市で餡饅を買おうとしたら、ちょっと時間が遅くなって餡饅は売り切れていた。
今回はまだ朝早いので、売り切れの心配はなかったけれど、先客が大量に買い占めて、私の分がなくなるのではないかとヒヤヒヤした。
でも、無事にゲット。
15バーツ也。

あんまん
[この餡饅が素朴ながらもやたらと美味しいんです]

続いて駅近くにある別の朝市へ。
ここではパートンコーという中国風揚げパンを買う。
ここのパートンコーも人気が高いらしく、行列ができている。
買う人も、一度にたくさん買い込むので、なかなか私の順番が回ってこない。
列車の出発時刻は07:29だから、あんまり時間がなくてハラハラする。
諦めようかと思ったところでやっと私の順番になり、パートンコーを10バーツ分(5個)購入。
そのまま駅へと走る。

切符
[ピサヌロークからチェンマイまでの切符]

ピサヌロークからチェンマイまでの運賃は65バーツと大変に安い。
鈍行なので所要時間は7時間以上かかるけれど、バスで行っても所要時間に大差はないだろう。
距離にすると360kmほど。
ホームには同じ列車を待つ人がたくさんいる。
ちゃんと席に座れるかドキドキしながら3両編成のディーゼルカーに乗り込む。

ディーゼルカー
[3両編成の鈍行]

ピサヌロークで降りる人も多かったので、無事に席を見つけることができた。
しかし、シートは硬いプラスチック製。
クッションなどないので、座布団を持ってくるべきだった。

以前、ピサヌロークからバンコクまで鈍行に乗って行ったことがある。
あの時は鈍行でも2等車だったので、リクライニングシートだったから、時間がかかるのとエアコンがないだけで比較的快適な移動だった。
今回は、同じ鈍行でも3等車、硬いプラスチックのシート。
さらに乗車中は常にマスクの着用を求められる。

チェンマイ行きの鈍行は、1日1往復があるだけ。
チェンマイまでいくつ駅があるか知らないけれど、停車する駅を一つずつ写真に撮ってみるのも面白いかと思って、写真を撮り始める。

ピサヌロークを出発
[大きな建物はトップランドホテル]

最初に止まった駅はバーンテンナームという駅
ピサヌロークから4.5kmとある。
次は6.2km先のバーントゥーム駅。

バーンテンナーム駅
[バーンテンナーム駅]

バーントゥームの駅は田んぼの真ん中にあり、稲が伸び始めて青々としている。
今年は雨が少なくて、生育が例年よりも遅かったようだ。
この辺りでは、田植えをせずに直播きのところが多い。

バーントゥーム駅
[バーントゥーム駅]

さらに5.3km先がクウェーノーイという駅。
ピサヌロークは昔の名前をソーン・クウェーと言ったそうで、それはクウェー・ヤイとクウェー・ノーイという2つの川があったからだそうで、クウェー・ヤイは現在のナーン川。
現在、これら2つの川はピサヌロークのずっと北の方で合流しているけれど、むかしはピサヌローク市内で合流していたのかもしれない。

クウェーノーイ駅
[クウェーノーイ駅]

そしてポンピラーム駅は、ピサヌロークを出てから最初の町らしい駅で、乗り降りする人が何人かいた。
クウェー・ノーイから9.2km。

ポンピラーム駅
[ポンピラーム駅]

8.7km走ってノーントム。

ノーントゥム駅
[ノーントゥム駅]

9.5kmでバーンブン。

バーンブン駅
[バーンブン駅]

4.6kmでバーンコーン。

バーンコーン駅
[バーンコーン駅]

久々の町に入ってピチャイ駅。
ピチャイは18世紀にミャンマーと戦った英雄の名前から来ていてるのでしょう。
ピチャイは猛将として知られましたが、トンブリ王タークシンが臣下だったチャクリーに処刑され、チャクリーが王に即位した際に、「二君に仕えず」とチャクリーへの忠誠を拒否したため、処刑されています。
転身がお家芸のような風土にあって、潔さを備えた武将だったようです。

ピチャイ駅
[ピチャイ駅]

だいぶ雨も降り始めてきました。

ピチャイを出て、雨の中6.4km進んで、ライオイという小さな駅に到着。
ライオイとは、サトウキビ畑という意味ですが、駅の周りはサトウキビではなく、一面のトウモロコシ畑です。
トウモロコシの収穫が終わったら、次はサトウキビでも栽培するのでしょうか?

ライオイ駅
[ライオイ駅]

4.3kmでバーンダーラー駅に到着。
ここからはサワンカロークへの支線が分岐しています。
一日一本の列車が走っていたのですが、どういう関係かわかりませんが、現在は新型コロナウイルス対策で運休しているのだとか。

バーンダーラー駅
[バーンダーラー駅]

私が座っている座席は、船で行ったら左舷側で、これまでずっと私の座っている側にホームや駅舎があったけれど、このバーンダーラー駅からは駅舎が反対側に移ってしまった。
これまで駅ごとに窓から写真を撮っていたけれど、これからは駅の写真を撮ろうとすると、席を移動しなくてはならない。
駅ごとに車内をウロウロとして駅の写真を撮るほどの意味もないと思い、もう駅の写真はやめることにする。

ウータラディットを過ぎて、次のシラアットに到着。
しばらく停車して動き出したかと思ったらバックし始めた。
どこへ行くつもりかと思ったら、燃料の補給らしい。
燃料は後ろから一両ずつ入れていくので、全部で3回入れることになる。
燃料計のメーターを見ていたら100リットルずつ入れていた。
朝出発する時に入れずに途中で入れるのはなぜだろう。
それとも、もう朝入れた分は使い切ったのだろうか?

燃料補給
[燃料補給]

シラアットを過ぎてしばらくすると山の中に入っていく。
小雨にけぶった山里が、美しい。
なんだか昔話の世界に出てくるような景色で、タイではないみたいな気がする。
絵が描けるのなら水彩画でスケッチしたいところだけど、絵心はないし、車窓の景色はどんどんと流れて、やがてトンネルに入った。

山里
[懐かしさを感じる風景です]

出発してから2時間以上が経過して、硬いプラスチックのシートに座っているのも限界に達した。
これ以上座り続けるのは無理かもと思いながら、立ち上がって通路を行き来していたら、すぐ後ろの車両にはシートにクッションが付いているのを発見。
すぐに後ろの車両へと引っ越しする。

プラスチックのシート
[硬いプラスチックのシート もう限界]

後ろの車両には、ネコをカゴにいれて旅している男性が乗っていた。
カゴの網目から中を覗くとブチのネコがいる。
それに仔猫も何匹かいる。
親子なのだろう。
母ネコは、緊張しているのか私が覗いたら、最初威嚇をしてフーフー言っていた。

ネコの親子
[私もネコと旅がしたい]

通路側の後ろ向きシートで、軟らかくはないけれどクッションがあるシートなので、もう尻の痛さは感じない。
これならリタイヤ(途中下車)せずにチェンマイまで行けそうだ。
クッションのある車両と無い車両で、乗車率は変わらないようだけど、地元の人は硬い椅子でも尻が痛くならないのだろうか?

デンチャイを過ぎて、右側に大きな川が近づいてきた。
ここから下ってシーサッチャナライやスコータイ(新市街)の方へ流れていくヨム川らしいが、とんでもなく増水している。
濁流は木も畑も呑み込み、水面にはいくつものコブを作りながら線路と並行して流れていく。
スコータイでいつも見ているヨム川とは全く別の川のような水量だ。

ヨム川
[濁流となったヨム川]

ケーンルアンという駅では、駅舎のすぐ後ろで怒涛が渦巻いている。
ここで上り列車と交換があり、随分と長く停車する。
ケーンルアンとは「大きな瀬」という意味だと思うけれど、今の状態は瀬などと言う情緒とはかけ離れた、災害級の激流となっている。
この駅だって、いつ川の中に呑み込まれるか分かったものではない。

ケールルアン駅
[ケーンルアン駅で遅れてきた上り列車と交換]

お昼の時間になっていたので、通路を行き交う売り子から紙包に入ったバミーを買う。
バミーは中華麺で、ラーメンのようなものだけれど、買ったものは汁なし。
和え麺みたいなもので、マナオを絞り、唐辛子入りの酢をまぶしていただく。
タイの人は砂糖も振りかけるが、私は遠慮しておく。
薄切りのチャーシューとルークチンと呼ばれる肉団子が入っていた。
不味くはないけど、唐辛子入りの酢だけでは、今ひとつ味に深みがでない。
ちょっと濃い口のタレでも付けてほしいところだ。
これは20バーツ也。

20バーツのバミー
[一口サイズのバミー]

これだけではまだ十分にランチを食べたという気になれず、何かもう少し食べたいと思って通りかかる売り子のカゴを覗くが、お菓子やゆで卵くらいしかない。
私が覗くと売り子は買ってくれるものかと思って期待をさせてしまう。
それなので、ちらっとカゴの中を覗いては、目を伏せる。

車内販売のカゴの中
[車内販売のカゴの中]

久しぶりで大きな街、ランパーンに到着。
駅舎もホームも堂々としている。
下車した乗客も健康チェックを受けさせられている。
ネコを連れた男性もランパーンで下車していった。

ランパーン駅
[緑のカゴにネコの親子が入っている]

ランパーンを過ぎて、あとひとつ峠を越せばチェンマイ。
ランパーンから乗り込んできたのか、物売りの顔ぶれが変わった。
チェンマイの郷土料理ともいうべきサイウア(チェンマイ・ソーセージ)ともち米を売りに来た。
サイウアは好物である。
ハーブの効いた独特のクセがあるけれど、食べつけると旨い。
もち米との相性もいいけれど、タイ・ウイスキーとの相性がもっと良い。
しかし、車内での飲酒は禁止されている。

北タイの味覚
[サイウアや鶏の香り揚げ]

サイウアは炭火で炙って、まわりがチリチリと焦げかかっているくらいのが美味しいと思っているが、私が買ったサイウアには焦げ目が付いていなかった。
サイウア一本20バーツ也
もち米一袋10バーツ也
これでほぼ満腹に至る。

タイの鉄道でもっとも標高が高いクンターン駅に到着。
以前はタイの鉄道に乗っていて、列車にカメラを向ける人などほとんど皆無であったのだけれど、最近はたぶんインスタの影響でか、列車を被写体に選んで写真を撮っている人を多く見かけるようになった。
このクンターン駅でも、駅の手前にトンネルがあったりするものだから、携帯電話で写真を撮る人ばかりでなく、大きな一眼レフを構える人が何組もいた。
「撮り鉄」はタイにも発生し始めているようだ。

クンターン駅
[駅の構内に犬がいるのもタイらしい光景]

チェンマイには30分ほど遅れて午後3時過ぎに到着。
チェンマイでも下車したら体温チェックを受けさせられた。
以前ならバックパックを背負った外国人観光客があふれていた駅も、タイ人しかいなくなってしまった。
駅前で客待ちしているトゥクトゥクやソンテオの客引きも、いまひとつ威勢が良くない。

チェンマイ駅
[ピサヌロークから7時間半かけてチェンマイ到着]

つづく

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