8月22日 土曜日 (前編からの続き)
午後3時過ぎにチェンマイ駅に到着し、旧市街へ向かって歩きはじめる。
ピサヌロークからの道中は、雨が降ったり止んだりの天気だったけれど、チェンマイでは強い日差しが照り付けてきている。
帽子を持ってくるのを忘れたことを後悔する。
ナワラット橋を渡り、ターペー通りを西に進む。
ワロロット市場やナイトバザールに近く、もともとツーリストゾーンであったけれど、外国人観光客が消えて、閑散としている。
土産物店は営業していないようだし、カフェも閑散としている。
客待ちしても誰も乗らないだろうと思われるけど、道端には何台かのトゥクトゥクが止まって「ハロー」と声をかけてくるが、積極的に声をかけてくる感じはない。
[週末とは思えないほど静かなターペー通り]
レームトーンのテイラーは、営業していた。
爺さん二人でやっていた店だが、先輩格の姿が見えなかった。
以前はよくここでスーツやシャツをオーダーしたものだけれど、最近はもう何年も着古したヨレヨレのモノを着ていても、あんまり気にならなくなってしまった。
ターペー門の前にはタイ人観光客が何組かいた。
門の前でハトにエサを撒いてモデルの周りに寄ってこさせ、そしてワッと脅かして一斉に飛び立つところを写真に撮らせる商売があるようで、中年女性が仕切っていた。
[ターペー門]
旧市街の場内に入るが、やっぱり外国人観光客はいないのだけれど、中国語の看板はやたらと目につく。
それでも、当然中国人観光客などいないし、以前は喧しいくらいに耳に入ってきた中国語も聞こえない。
それとレンタルバイクも随分と少なくなったようだ。
外国人を見かけないわけではない。
もともとチェンマイは長期滞在をしている定着組の西洋人の多い土地なので、西洋人の姿は何人も目にした。
しかし、長期滞在組とバックパッカーとでは醸し出す雰囲気がまるで違う。
城内にはたくさんの寺院があるが、久しぶりに旧市街をあるいてチェンマイのお寺の良さに感心する。
この何年間か、観光客が爆発的に増えて、街全体も豊かになったからだろうか、寺院も随分と補修されたりしてきれいになっている。
ピサヌロークにも寺院はたくさんあるが、チェンマイのような雅さをもった寺院は多くない。
ピサヌロークの寺院はどちらかと言うとコンクリートでできた実用本位の時点が多く、ゴチャゴチャとした印象を与える寺院も多い。
チェンマイはその点、ランナー様式で統一された美しさがある。
[西日で逆光の旧ランナー王宮前の3人の王様像]
今晩泊まる宿までは、駅から歩いて一時間ほどで到着した。
名前をボンサヴァ(Bon Ca Va)という。
一階が北タイ料理の高級レストランになっている。
宿はこのレストランの中に入り、調理場手前の薄暗く狭い階段を上ったところに受付があった。
下の高級レストランとは対照的に、場末のゲストハウス的な雑然とした受付だけれど
スタッフの対応は悪くない。
割り振られた部屋は5号室で、さらに狭い階段を上った4階で、通りに面した部屋であった。
思ったより部屋は広めであったけれど、バスルームはやたらと細長い作りになっていた。
[思っていた以上に快適そうな部屋]
チェンマイで何かしなくてはならない予定はまるでない。
しかし、夕食は懐かしいレモンツリーへ行って食事をしたいと思っていたし、タニン市場でピーナッツも買って帰りたいと思っていた。
まだ、夕食にも早いので、旧市街のお寺でも見てこようかと言う気になった。
ピサヌロークに移ってから、タイの寺院建築や仏像などを調べることも多くなり、少しは知識も付いてきたので、チェンマイの寺院めぐりも以前より見る視線が変わって面白いのではないかと思った。
最初に向かったのはワット・チェンマン。
チェンマイ市内で最も古い寺院であり、もとはチェンマイを建設したメンラーイ王が住んでいた場所ともされる由緒正しい寺院なのだが、かつてチェンマイに住んでいた時から、そして現在まで私は一度もワット・チェンマイの中に入ってしっかりと見学したことがない。
[ワットチェンマンもランナー建築の特徴、末広がりの屋根]
入口の案内板によると、この寺院には1800年前のラヴォー王国で作られたクリスタル仏と2500年前にインドで作られた大理石仏があり、シーサッチャナライ遺跡のワット・チャーンロムそっくりの仏塔もあると説明されている。
まずは正面に構えている大きな礼拝堂に入ってみる。
礼拝堂自体の作りもランナー様式で、何段にも重なった大きな屋根が下へ行くほど末広がりに広がっている優美なスタイルをしている。
礼拝堂の中には金色の坐禅仏があり、右手を膝に置いた降魔印のスタイルをしている。
表情や体形はスコータイの仏像とよく似ている。
[礼拝堂は高い天井で、奥に金色の坐禅仏が安置されている]
礼拝堂内部の壁はエンジ色に塗られており、そこに金色の絵の具で絵が描かれている。
絵はタイでよく見かけるお釈迦様の物語とかではなく、昔のチェンマイの生活を表したもののように思われた。
[きれいな壁画だけれど、きれいすぎて面白くない]
案内板にあったクリスタル仏や大理石仏は見当たらなかったので、礼拝堂の外に出てみる。
外は雨が降っていた。
ちょっと雨脚も強いようで、隣にある少し小さめの伽藍まで傘をさして移動する。
正面にはやはり降魔印の坐禅仏、それも黒い仏像があるが、ぱっと見たところクリスタル仏や大理石仏は見当たらなかった。
[この伽藍が本堂なのだろうか?]
こんどは裏へ回ってみる。
裏には金色の仏塔があった。
仏塔の土台の部分はゾウが取り囲んでいる。
これが案内板にあった「ワット・チャーンロムそっくりの仏塔」ということらしい。
しかし、スタイルはチェンマイでよく見かけるプラサート型の仏塔で、ワットチャーンロムのスリランカ様式の仏塔とは違っている。
どうして「そっくり」ということになるのだろうか?
確かに基壇の部分にはゾウが囲んでいるけれど、ワットチャーンロムの特徴であるゾウの全身が仏塔の外に出ている形ではなく、ゾウの胸から後ろが基壇の中に隠れている一般的スタイルになっている。
[シーサッチャナライのワットチャーンロムとはだいぶ違う]
さて、クリスタル仏や大理石仏はどこだろうか。
もう一度先ほど確認した小さめの伽藍を覗いてみる。
ありました
正面にはやはり降魔印の坐禅仏、それも黒い仏像があり。その後ろに格子の扉の奥にそれらしい姿を確認できました。
しかし、どちらも小さな仏像で、しかも格子戸越しなのであんまりはっきりとは見えない。
向かって左側がクリスタル仏、右が大理石仏らしい。
クリスタル仏は頭に金色の冠を被っているようで、降魔印のスタイルをしているようだ。
大理石仏は、腰をよじった姿の直立仏で、スタイルも表情も素朴な印象を受ける。
できればもっと近くでよく見てみたいけれど、黒い仏像の前でお坊さんが読経をされているので、あんまり無茶はできない。
[鉄格子の奥がお目当ての仏像]
しかし、1800年前と2500年前と言うのはちょっとサバを読み過ぎではないかと思う。
1800年前だとまだラヴォー王国が成立する以前ということになってしまう。
そして2500年前だと、当時の仏教ではまだ仏像を拝んだり、作ったりする時代ではなかったはず。
タイの寺院ではこの手のことがしばしばあって、頭が混乱してしまう。
先日もピサヌローク市内の古刹されるワット・ラーチャブラナでお坊さんから話を聞いたら、ラーチャブラナ寺院の建立はチェンセーン時代と教えられた。
クメール時代のピサヌロークは現在よりも南に位置しており、ワット・ラーチャブラナのある現在の場所へ移転してきたのが14世紀、スコータイ王朝のリタイ王であったはずだから、それ以前に寺院が建立されていたとすると話がおかしくなってしまう。
[ここに書かれているのがこの寺院の公式見解なのでしょう]
雨が強いので、雨宿りをしていたら、寺男が木彫りの仏像を手に持って近づいてきた。
「この仏像はとても古くて、美しいものだ」と言って私に押し付けようとする。
これは仏像のヤミ販売ではないだろうか、こんなのに関わったらロクなことにならない。
「私は仏像に触れることができない」と言って断ったら、「あぁ、そう」といった感じで行ってしまった。
少しは小降りになってきたので、傘をさしてタニン市場まで歩いていくことにする。
チャーンプアク門を経由して、なるべく軒先を伝わって雨に濡れないようにしたつもりだったが、チェンマイは水たまりも多く、行き交う自動車は水たまりを跳ね上げて走っていくので、びしょ濡れになってしまった。
そして、それ以上に以前から靴底のゴムがすり減って、穴が開いていた布靴はグショグショに濡れてしまっている。
それでもズボンの裾をまくり上げて、タニン市場へ向かう。
途中道が冠水したところもあったりして、惨憺たる行脚となった。
タニン市場では無事にピーナッツを購入できた。
1.5kgで160バーツ也。
チェンマイでは野菜がピサヌロークより安いように感じる。
でも、果物はピサヌロークの方が安いようだ。
タニン市場も以前と比べるとキレイになっている。
[わざわざチェンマイで買わなくてもと思うが、ピサヌロークではこの手の店を見かけない]
まだ小雨が降り続いているけれど、レモンツリーへ向かって歩き出す。
サンティタムのロータリーを過ぎる。
以前は空き地の目立つ場所だったけれど、もう空き地などほとんどない。
表面上しゃれた店も増えたし、中国語の看板がこの辺りにもある。
ゲストハウスやアパートを改装した宿屋も多いけれど、チェンマイには急に増えた外国人観光客を収容するための宿がたくさんできてしまったので、外国人が来なくなった今、いったいどうやって凌いでいるのだろうか。
小綺麗にしているレストランにはタイ人のグループが入っているようだけれど、だれもお客さんが入っていない粗製乱造的なカフェもたくさんある。
ナコンピンコンドにちょっと立ち寄ってみる。
掲示板を見ると「部屋売りたし」と書かれたメモやビラがたくさん貼られている。
月極で部屋を貸すという案内では、家賃が書き換えられ2割ほど安くなっている。
コロナがいつ終息するのか分からないけれど、もしまた以前のように観光客が戻ってくるとしたら、こうした物件は今が買い得ということになるだろう。
レモンツリーも閑散としていた。
私が入った時には他に誰もお客さんが入っていなかった。
フード・デリバリーのライダーたちが店の前で料理の出来上がりを待っているだけ。
以前なら、タイ人客だけではなく、中国人観光客も来ていたし、日本人の長期滞在者も多く見かけたものだけれど、寂しいかぎり。
[夕食時と言うのに店内は閑散としていた]
注文した料理は空芯菜フライのヤムとネームの炒飯。
ビールはメニューにこそ各種取り揃えてあったけれど、実際にはチャーンとレオしかないという。
むかしはビールはハイネケンとシンハしか置いていなかったのに、ビールのラインナップは低価格路線になったようだ。
空芯菜フライのヤムは、やっぱりレモンツリーのものが一番おいしいと思う。
カイダーオと呼ばれるタイ式の目玉焼きを空芯菜のフリッターの上に載せ、ヤムのタレには紫玉ねぎや豚ひき肉と一緒にエビなども入っている豪華版。
このヤムと一緒にいただくビールははるばる鈍行に乗ってチェンマイまで来ただけの甲斐があったと思えるものである。
いつもはイカのひき肉詰め赤カレー煮込みも注文していたのだけれど、少し食が細くなったためか、食べきれる自信がなくて注文しなかった。
その代わりにネーム入りの炒飯を注文したのだけれど、これもまずくはないけど、感動的に美味しいと言えるほどではなかく、ピサヌロークでも普通に食べられる程度の味だった。
[ここのヤムパクブントートクロープが一番おいしいと思っています]
食事をしている間に、タイ人の家族連れ3世代6人が入ってきて、少しにぎやかになった。
常連ではなく観光でチェンマイへ来たようだ。
外国人観光客と違ってタイ人観光客は車でチェンマイへ来る人が多いだろうから、街中の駐車場のない店よりも郊外のショッピングセンターに併設されたレストランへ行く傾向があるのではないだろうか。
レモンツリーでの夕食代は、220バーツ也。
まだ少し飲み足りない気もするが、雨にぬれたりして、もう一本ビールを飲もうという気にはなれない。
バーや飲み屋に入るだけの勇気もない。
どこかでタイウイスキーの小瓶でも買って部屋で飲むのが無難そうだ。
夜道では雨はほとんど上がっていた。
お堀端の道を歩く。
ここも店が増えた。
ワット・ロークモーリーへ立ち寄ってみる。
むかしはレンガ剥き出しの仏塔で、遺跡のような印象を与える寺院であったけれども、仏塔や伽藍もきれいに化粧されて、イメージがだいぶ変わってしまった。
境内にはネコが一匹歩いており、声をかけたら寄ってきたので、カバンに忍ばせたキャットフードを与える。
しかし、もともと空腹ではなかったようで、お付き合い程度に少し食べただけであった。
ネコにも義理で付き合うと言った感覚があるのだろうか?
[義理を知っているネコ]
宿の部屋に入る前にコンビニでホントーンというタイ・スピリットの小瓶を145バーツで買う。
時刻は夜8時過ぎ。
宿屋の1階にあるレストランは繁盛しているようで、身なりの良いお客さんでほとんどのテーブルが埋まっているような盛況であった。
西洋人も何組か見かけた。
そんななか場違いのような濡れネズミが、レストランの奥から階段上って部屋へと向かった。
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8月23日 日曜日
まだ薄暗いうちに目が覚めたけれど、どうやら外は雨らしい。
8時には撤収しようと思っており、それまでにワットプラシンとワットチェディールアンを見学したいと思っていたけれど、また雨に濡れるのはかなわない。
特に穴の開いた布靴は致命的だ。
7時過ぎになって、雨は上がったようだ。
しかし、道は水たまりだらけ、あんまり歩きたくないけれど、今はじっとしていてもどうせ後で駅まで歩けばおんなじこと。
[まだ朝早いので営業していないが、宿屋の下がレストラン]
3人の王様像の前を通り過ぎたところで、あんまり身なりの宜しくない連中がいた。
そのうちのひとり、赤ら顔の男性に声をかけられた。
そして手を差し出してくる。
握手を求めているようだ。
何のための握手か分からないけど、はっきりと断るだけの理由もないので手を握った。
男性はだいぶ酒に酔っているらしい、少しロレツの回らない声で、
「バイクのガソリン代がないので、すこし恵んでくれ」と言っている。
「ダメだよ」とこんどははっきり断ったら、
「あぁ、そう」と言って仲間のところへ戻っていった。
なんだ、ただの乞食ではないか。
それにお腹が空いてるのでと言うのでなく、ガソリン代を求められたのは初めての経験。
お酒に酔えるほどなら、食べ物に不自由しているわけではないだろうし、それにこんなに酔ってて、ガソリン代を恵んだせいで、バイク事故でも起こされたら、私まで共犯になってしまいそうだ。
[再び3人の王様像、、左からガンムアン、メンラーイ、ラムカムヘーン]
ワット・プラシンでは、正面の大きな礼拝堂が改築工事をしていて見学できなかった。
礼拝堂の裏手には安っぽく感じるくらいにキラキラと光るメッキ細工のような仏塔がある。
以前もこんな金色だっただろうか、以前のイメージがわかないが、ワットブラシンの印象は、もっと落ち着きのある寺院だった気がするので、最近金色にしたものかもしれない。
この仏塔の周りにも、象がいた。
4面ある土台の部分の各面に一頭ずつ配置されているが、やっぱりこんな色合いだと、かえってありがたみを感じない。
[安物の金メッキのような仏塔]
この寺で見ておきたいものは、シヒン仏。
シヒン仏は、仏塔横の少し小さめの伽藍の中に安置されていた。
かつてスコータイ王朝時代にカンペーンペットからチェンマイにわたり、この寺の本尊となったとされている仏像で、シヒンとはライオン(獅子)のこと。
聖なる獅子の寺院なので、ワットプラシンという寺院の名称にもなったものらしい。
うろ覚えながら、スコータイのシヒン仏はスリランカからタイ南部のナコンシータマラートへ渡り、そしてスコータイに持ち込まれたと記憶している。
その後にチェンマイに運ばれたことになるけれど、このシヒン仏もやはり金色になっている。
スタイルは降魔印の坐禅仏。
顔の表情や体つきはスコータイ仏によく似ているが、スコータイ仏の特徴である頭の上のラッサミーが小さい。
スリランカの仏像がどのような特徴があるのか知らないけれど、本当にスリランカから渡ってきたものなのだろうかという疑問が湧いてくる。
[ワットブラシンのご本尊、シヒン仏]
ワットチェディールアンも見学したかったけれども、時間が足りなくなって、宿屋に戻る。
チェンマイ女性刑務所があったが、現在もう移転してしまったのか、無くなっていた。
刑務所前にあった受刑者の矯正施設としてのマッサージ屋もなくなっていた。
旧市街を歩いていて、「売ります」「貸します」の張り紙が目立つのと同様に、浮浪者を見かけるようになった。
バンコクならば乞食や浮浪者は日常風景だったけれど、以前のチェンマイでは見かけた記憶がない。
今回見かけた浮浪者は軒先にボロをまとって寝ていた。
住むところもない困窮者がチェンマイにも増えているということなのか、それともコロナ直前まで急増していた観光客のおかげで、チェンマイもバンコク並に物乞いで食べていける環境になっていたということなのだろうか。
いったん宿屋に戻り、荷物をまとめて駅に向かって歩き出す。
また雨脚が強くなり始めた。
旧市街の裏路地伝いに歩く。
このあたりはバックパッカー向けの安宿街で、以前なら今ぐらいの時刻はゲストハウス前で朝食を食べているバックパッカーやピックアップトラックでトレッキングに向かう西洋人を多く見かけたものだけれど、いまは全くひっそりとしている。
西洋人のバックパッカーの中には何か月も、中には一年以上かけて世界を放浪している連中もたくさんいたけれど、彼らはこのコロナで母国へ戻ったのだろうか?
それも、どこかで足止めされているのだろうか?
あんなにいっぱいいたのに、全部消えてしまって、不思議な感じがする。
お堀端へ出て、ノーザンホイールのレンタカー屋もシャッターを下ろしている。
もともとレンタカー業界も過当競争と大手チェーンの進出でローカルなところは苦しかったのだろうけど、ここでもコロナは追い打ちをかけているのだろう。
このレンタカー屋の娘さんにはかつて日本語を教えていたこともあり、今はどうしているだろうかと思う。
チャンモイ通りの角にあったマイクというハンバーガー屋は別の名前の看板を掲げていた。
マイクのハンバーガー屋は、いつも西洋人たちのたまり場で、明け方まで営業していたが、現在はどうなっているのだろうか?
チャンモイ通りを進み、また路地を抜けてターペー通りに出る。
雨さえ降っていなければ、こんな住宅が建て込んだ路地を歩くのは、住んでいる人たちの生活が覗けたりするので、楽しいのだけれど、雨なので楽しくない。
ナワラット橋を渡り、江桂泉餅店で肉まんを買う。
ここの肉まんはボリューミーでしかも美味しい。
値段の方は、以前と比べてだいぶ高くなっており大きい肉まんが35バーツになっていた。
今回チェンマイで見てきた光景は、どこも寂れていたけれども、この店は雨にもかかわらず行列ができていた。
地元の人に愛され続けてきた老舗がこういう時には強さを発揮するようだ。
買った肉まんは帰りの列車の中で食べることにする。
9時すぎにチェンマイ駅へ到着。
ピサヌロークへの戻りの列車の出発時間は9時30分。
すでにホームに列車は入っており、どのボックスも全部埋まっている。
ひとつだけ空いているのはトイレ横のボックス席だけ。
ちゃんとクッションのあるシートの車両に乗り込む。
これでピサヌロークに到着するのは、夕方5時過ぎ。
丸1日を過ごすことになるわけだ。
[大きいので、食べごたえあり]
終わり