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一時帰国
9月29日から10月3日まで、東京の家へ帰っていた。
今回の一時帰国の目的は、税金関係の手続きと墓参り。
墓参りは毎度一時帰国をしていれば朝に夕にと一日に2回も墓参りをしてきているけれど、墓参りをする小平霊園では毎年10月1日に慰霊の合同献花式と言うのをやってくれている。
以前にも一度参加したことがある。
13回忌さえ何もしてこなかったので、せめてこういう式典に便乗させていただこうと考えたわけ。

今回も台北経由の中華航空だけれど、いつもと比べて台北での乗り継ぎが良くなって、当日中に成田行きに乗り継げて、朝出れば夜には到着できるようになっている。
その代わりバンコクの出発は朝早く、6時前のエアポートリンクに乗らなくてはならない。
そのエアポートリンクの駅まで、歩けば30分ほどなのだけれど、今回はスーツケースに本をたくさん詰め込んで、重さが30kgを越えている。
重たいスーツケースを引っ張っていくのはことなのでタクシーを利用したが、朝の早い時間はタクシードライバーの交代時間なのかやたらと乗車拒否に遭って、なかなか乗れなかった。
バンコクのタクシーは値段が安いけれど、乗車拒否は改善してほしい。

バンコクの空港でさっさとチェックインを済ませて、中華航空のラウンジへ一目散。
サラダを丼いっぱいいただき、飲茶やスープもいただく。
ここのスタッフたちとももう顔なじみ。
パートンコーを食べながら、「あったかい豆乳があるといいよね」と言ったら、冷蔵庫に入っているパックの豆乳を温めてこようかと言ってくれる。
こういうのが嬉しい。

サラダ
[サラダは常にきちんと盛り付けられていて、新鮮な感じが嬉しい]

ラウンジしっかり食べたけれど、機内食もしっかりいただく。
本日のメニューは白身魚の餡かけとチャーハン、温野菜がメインで、前菜はポテトサラダ、デザートはフルーツとココナッツゼリー。
白身魚の餡かけにはガーリックフライがこれでもかってほど入っている。
これを食べた機内の人が吐く息で、機内は相当ニンニク臭くなっているはず。
でも、自分も食べているので、どのくらい臭いかよく解らない。

機内食はチャーハン
[ニンニクは嫌いな人もいるので控えめにしてほしい]

機内ではテキストだけだけれどWiFiが使える機材だった。
ネットサーフィンとかは有料でアクセス権を買えば使えるようだけれど、仕事のメッセージをやり取りするには無料のテキストだけで十分。
しかし、これも善し悪しで、飛行機の中でも仕事のメッセージに追われることになった。

飛行機に乗る前も乗ってからもずいぶんと食べているけど、ちょっと口さびしくなったのでスナックが欲しいと言ったらば、ミックススナックの小袋を3つもくれた。
パッケージの色はピンク色。
いつもは青い色をもらっていたが、中身はおんなじでエンドウ豆ばっかり。
しかし、私は黒いパッケージはビジネスクラス用でアーモンドとかが入っていることをしている。
こんな小さなことでもエコノミーとビジネスでは待遇が違うようだ。
それから、スナックの小袋だけでなく、頼みもしないのにトランプを二箱ももらってしまった。
一人暮らしで、トランプで遊んでくれる友人もいない身でトランプをもらっても仕方ないけど、有難く頂戴しておく。

スナックとトランプ
[トランプなんてもう何年も遊んでいない]

台北の乗り継ぎでは、第二ターミナルのラウンジに入ってみる。
第一の方がゴージャスな雰囲気があるけど、第二は明るく、そして食べ物がおいしい気がする。
特に翡翠餃子が美味しい。
お酒の充実度はおんなじ。
お酒では梅酒がある。
台湾の人は梅酒好きが多いのだろうか。
また、今日は中秋節なので月餅もお月見団子のように皿に盛られている。

ラウンジのバー
[飾り気はないけど、飲み物は充実している]

乗り継ぎ時間は3時間。
その間もメールやらの仕事をこなす。
しかし、片手には高級なお酒の入ったグラスを持ちながらだから、まじめに仕事しているとは言えない。
きっと誤字脱字ばかりで、意味不明なメールになっていることだろう。

台北からの飛行機の中でも月餅をもらった。
一口サイズの小さな月餅。
実は明後日、10月1日に息子と新宿で会う約束をしている。
息子は彼女もつれてくるという。
以前ネコの本をプレゼントされており、お返しもできていなかったことを思い出して、今朝は4時前に起きだして、24時間スーパーへ土産になりそうなものを買いに行った。
しかし、タイからの土産になりそうなものが見つからない。
折から中秋の名月でもあり、タイでもドリアン入りの月餅とかが進物用にたくさん売られていることを思い出して、夜明け前のスーパーの陳列棚を見回したけれど、月餅はなかった。
月餅は中華レストランやS&Pというチェーンレストランで売られているのはよく見たけれど、終夜営業のスーパーでは日常的に入用なものばかりしか売っていない。
こんな中で、月餅ではないけれど、似たような中国菓子があった。
直径が20センチくらい、重さも500グラムくらいありそうな菓子で、月餅のような洗練された高級感はなく、とてもローカルな菓子で、私もバスターミナルなどでいつ作ったかわからないような、そしてずっと小ぶりの中国菓子を買って食べたことが何度かある。
味はまずくないけど、たぶんラードでも使っているのかちょっと脂っこくて、腹にたまる菓子。
タイでは中国系の人たちが祭壇などへ置いて先祖への供養に使っているのを見たことがある。
つまり、土産としてふさわしいかどうかは怪しいけれど、それしかないのでその巨大な中国菓子を買い求めた。

月餅
[機内でもらった小さな月餅]

成田に到着したのは夜8時過ぎ。
早く荷物を回収して、家に向かわないといけないのだけれど、荷物受け取りのターンテーブルから本が詰まって重たいスーツケースがなかなか出てこない。
バンコクで預けるときに"First Priority"という赤い最優先タッグを付けてもらっているのに、いつまで待っても出てこない。
うーむ、またロストバゲージだろうか?
6月のパリ、8月のロンドンと続けてロストバゲージに見舞われている。
まぁ、ロストバゲージでも、すぐに必要なものはないので、明日でも東京の自宅へ持ってきてくれれば、こっちも重い思いをしなくて好都合だとも思った。
係員に荷物が出てこないことを伝えたが、あんまり親身になって対応してくれない。
「私たちも探しますからもう少し待ってみましょう」という。
こっちは遅くなると東京郊外の自宅へ帰れなくと困るし、さっさとロストバゲージの処理をしてもらいたいのだけれど、ただ待つように指示される。
が、カバンは最後の最後になって、出てきてしまった。
待つこと30分。
もうほかに出てくるカバンもなくなって、まわりに飛行機から降りた乗客もいなくなったところで出てきてしまった。
カバンに回したベルトは留め具が壊れて、ベルトがだらりと取っ手に絡んでいた。
「おカバンの損傷は補償の対象ですが、ベルトの損傷は補償の対象外となります」と地上業務を請け負っている日本航空の係員は説明した。

結局、帰宅したのは深夜12時前。
曇り空だけど、雲の切れ目から満月が見えた。

中秋の満月
[スマホのカメラだと夜空も明るく写ってしまうみたいだ]

9月30日 (土)
朝少し寝坊をする。
身体がだるい。
眠り足りないような気もする。
昨日の飛行機での暴飲暴食が祟ったのかもしれない。
それでも、不在中に届いていた郵便物を確認し始める。
郵便受けにあふれるほど貯まった郵便物などの半分以上は広告のチラシ類。
他は公共料金の請求書など。
そんな中に固定資産税の督促状があった。
それも普通の督促状だけではなく、最後通牒(最終催告書)まであった。
10月3日までに払わなければ差し押さえるという。
いやはやギリギリじゃないか。
急いでネットバンキングで1年分まとめて払い込みを行う。
他にも郵便物の不在通知なんかも来ているが、すでに保管期限が切れているものもある。
息子には1か月に一度くらいは、家に来て部屋に風を通すくらいのことをしてほしいと思っているが、もう何か月も放置されていたことがはっきりした。

最後通牒
[危うく差し押さえになるところだった]

2020年の2月に、ピサヌロークで息を引き取った私のネコの骨を埋めたベランダの下へ手を合わせに降りてみた。
ちょうど季節なのか赤い彼岸花が綺麗な花を咲かせていた。

彼岸花
[彼岸花の朱色は物悲しくて心に染みる]

あれからもう3年半。
ネコのことは忘れたことがない。
埋めたと思われる場所を見たら、アブラゼミだろうかセミの抜け殻がひとつ転がっていた。
もう9月も終わり、アブラゼミの季節ではないはずだけれど、
私のネコがセミに生まれ変わって、3年半幼虫として土の中で過ごし、そして空へと飛んで行ったのだろうかと勝手な空想をしたら、涙が出てきてしまった。
セミに姿を変えたとしても会いたかった。

セミの抜け殻
[ネコがセミになってしまうなんて]

昼前に自転車に乗って小平霊園へ墓参りに行く。
小平霊園でもあちこちで彼岸花が咲いていた。
共同墓地前では明日合同慰霊祭の準備でテントを張ったりしていた。
その後、郵便局へ回って帰宅。

小平霊園の彼岸花
[小平霊園でも彼岸花が咲いていた]

帰宅後はラビットスクーターの整備。
前回帰国時にエンジントラブルを起こして動かなくなったままにしていた。
まずはキャブレターを分解して石油で細かな部品や細い穴の一つ一つまでよく洗浄する。
だいたいこんなモノかなと思われる程度までで組み上げてエンジンをかけてみようとしたが全然ダメ。
ガソリンが流れてきていない。
燃料タンクの中が空っぽになっている。
燃料コック周辺から燃料漏れを起こしていたようだ。
燃料コックも分解して石油でよく洗浄。
それからトボトボと重たいラビットスクーターを押してガソリンスタンドへ。
試しに300円だけガソリンを入れてみる。
スタンド内でエンジンがかからずバタバタしているのを見られるのは恥ずかしいので、そのままラビットスクーターを手押ししながらガソリンスタンドの外へ出る。

ラビットスクーター
[数か月ぶりにカバーを外す]

歩道の上で、エンジンをキックしてみる。
バゥ、バゥ、バゥとエンジンがかかった。
白い煙もモクモクと吐く。
エンジンの回転数も安定している。
これは嬉しい。
天国のネコが見守っていてくれたからだろうか。
そうなると、さっそく乗り回したくなる。
ラビットスクーターは古いこともあるし、整備もしっかりできていないので故障も多い。
だけど、乗っててこれほど楽しい乗り物はないと思う。
そのまままた小平霊園へ行く。
夕方の墓参りのついでに事務所へ行って、明日の献花式の段取りについて教えてもらった。
以前は慰霊祭のスピーチとかの儀式に続いて、参列した遺族により献花となっていたけれど、現在は代表献花だけになつたとのこと。
代表は霊園の管理代表者で、その人が代表で献花をし、遺族は式典後に各自献花ができるという。
なので、以前のように遺族が集まるようなことはしないそうだ。
これも感染症予防対策なのだとか。
代表献花の様子はYouTubeにアップするのでそれを見てほしいという。

10月1日 (日)
小平霊園の代表献花が始まる前に一足先に朝の墓参りを済ませておく。
まだ朝早いので、誰も来ていない。
実のところ、代表献花にしてもらって良かったと思っている。
こんなことを言ったら霊園で眠りについている母親に怒られるかもしれないけれど、花を供えたくないなと思っていた。
日本は花が高いので、ケチな自分としては花を買うのがもったいないと感じているのも事実だけど、ほかにも切り花が好きではないということもある。
せっかく咲いている花を観賞用に切ってしまうというのは、お花がとてもかわいそうに感じる。
そのままにしておいてあげれば、花はやがて実を結んで、次の世代へはつながって行けたかもしれないのに、ほんの一時の観賞用に切ってしまいたくない。

そんなことを考えながら帰宅して、ベランダ下へ回ってみたら、昨日までとてもきれいに咲いていた彼岸花が、茎のところからバッサリ切られてしまっていた。
誰かが、家の仏壇にでも備えようとして持って行ってしまったのだろうか?
やっぱり、きれいな花でも摘み取ってしまったらかわいそうだ。
また来年もここに咲いてくれるだろうか?

慰霊献花式
[慰霊献花式の立て看板]

昼からまた小平霊園へ行く。
こんどは人がいっぱい来ている。
みんな豪華な切り花を抱え、線香に火をつけ、そして手を合わせている。
私も便乗して、手ぶらだけど手を合わせる。
そして、霊園からメッセージカードを1枚いただく。
別に人を感動させるようなことはなにも書かれていない。
丁寧な文章だけど、ただそれだけ。
持ち帰ったら仏壇に上げておくことにする。

小平霊園から水道道路を自転車で走り、小金井公園へ行く。
今日は都民の日で、小金井公園内にある江戸東京建物博物館が無料開放されている。
実はこの中に入るのははじめて。
子供のころは今と違って武蔵野郷土館だった。
そのころは入ったことがあるが、現在とはまるで違ったもので、地味な郷土資料館だった。

無料開放だからなのか、博物館は人がいっぱい。
外国人の姿も見られる。
江戸時代に建てられた豪農の屋敷がある。
ここへ移築する近年まで人が住んでいた建物だから、すべてが江戸時代のままという訳ではないけど、畳敷きの部屋は時代劇に出てきそうな雰囲気。
そんな部屋の中も開放されていて、見学者が歩き回っている。
こんなところで貸衣装でも着せて写真でも撮らせたら、タイ人とか喜びそうだ。
どこかの貸衣装屋と組んで、オプショナルツアーでも作ったら人気が出そうな気がする。

お月見の飾り
[古民家の縁側にはお月見の飾りつけ]

明治時代に建てられた財界人の邸宅やハイカラな店もあり、カフェになっていたりする。
どこも靴を脱いで内部まで見学できるようになってといるけど、私は靴を脱がず、内部の部屋へは上がりこまなかった。
私は身長が高く、そして昔の人たちの生活は畳に座ってと言うものだったろうから、ほとんどのものが低い位置にある。
そんなところ下の方をキョロキョロしながら歩いていたら、鴨居に頭をぶつけてしまうのが目に見える。

そんな建物が並んでいる中にボンネット型バスがあった。
行先方向幕は「上野広小路」となっている。
塗装も昔の都バスに似せている。
建物のように詳しい説明が付いていない。
ただ昔のバスはこんな形だったとあるだけ。
しかし、なんか違う。

ボンネットバス
[昔の都バスに見えるけど、違和感を感じる]

私はバスについては、ちょっと詳しいつもりでいる。
高校大学とバス会社でバイトをしてきている。
まず、いすゞのボンネット型バスと言うのには異論はない。
しかし、都バスなどとして市街地を走り回るバスとしては、腰が高すぎる。
このタイプのバスは、中学3年の時に岩手県八幡平で見たことがある。
岩手県北バスだったと思う。
もう40年以上前だけど、そのころでももうボンネット型バスはとても珍しいものになっていた。
そして、最近その当時見かけたバスが今も現役であることをネットで知った。
冬季の八幡平で運用されているという。
そのバスはただのボンネット型バスではなく、日本で唯一の全輪駆動バスであるらしい。
もともとは全輪駆動のトラックのシャーシーにバスのボディーを乗せたものだとも書かれていた。
つまり、トラックだったので乗客の乗り降りなど想定してなくて腰が高いスタイルになっている。
この江戸東京建物博物館に置かれたバスの床下を覗き込んでみたら、やっぱりそうであった。

前輪にもデフ
[特注の全輪駆動車であった]

野外展示場の反対側は大正時代から昭和初期の建物が中心で、昔よく見かけたような懐かしい建物が多くあった。
看板づくりと言う商店の形態や古い旅籠宿、花屋や乾物屋。
このあたりは見ていて面白い。
酒や醤油などは量り売りだったと説明に書かれているし、古いポスターが貼られている。
銭湯もあって内部見学ができる。
男湯と女湯があっても、見学者は男も女も関係なく入って行く。
古い建物が並んでいて、映画のセットのようだけれどセットのようなハリボテではなく、実際の建物と言うのがまた面白い。

まるで映画のセット
[このあたりが一番人気らしく見学者も多い]

都電も展示されている。
これは7500型で本物の都電。
こっちは車内に乗ることもできるようになっている。
その都電の横でラムネや駄菓子なんかを売っている。
たぶん今でも縁日なんかでラムネが売られていると思うけど、あれは容量が少なく、それでいて安くないのでコスパは悪いけど、あのビー玉で栓をしているのを開けるのが面白いということなんだろう。
その点では同様にコスパの悪いシャンパンに似ている気がする。

都電
[都電は本物の都電]

江戸東京建物博物館を出たところで雨が降ってきた。
急いで自転車をこいで駅へ向かう。
夕方には息子と新宿で会うことになっている。

最初、息子は精進料理の店を指定してきた。
しかし、調べてみると値段も高く、肩が凝りそうな店であることが判明。
それに肉好きの息子が精進料理なんか喜んで食べるとは思えない。
そこでこちらから別の店を指定した。
新宿御苑近くにある「随園別館」。
きれいな店ではない。
街中華みたいな店構えで、30年以上前にここで羊肉のしゃぶしゃぶを食べたことがある。
満員の盛況で、旨かったことを思い出したからだ。
料理は華北料理。
飾りっ気の全くない店だけれど、年配のボーイたちはワイシャツに黒服を来て、蝶ネクタイ。
雰囲気としては昭和初期の中華レストラン。
店お勧めの水餃子、皮が肉厚だけど、それがまた良い。
オム野菜炒め。
オムライスのように玉子に包まれているが、中はケチャップライスではなく野菜炒め。
これを北京ダックの餅皮で包んで食べる。
まだ季節ではないからないかと思っていたけど、羊のしゃぶしゃぶもあった。
私としては、羊が食べたいという訳ではないけど、薄い黄土色をしたタレがやたらと旨い。
食べるだけではなく、飲む方も飲んだ。
ビールから紹興酒、そして羊しゃぶしゃぶが出てくるころから二鍋頭という北京の地酒。
これは白酒(パイチュー)で、度数も50度を超えている。
これを口に含ませ、歯茎がジリジリしてくるのを待ってグイっと飲み込む。
喉から胃へ流れていくのがわかる。
食事をしながら息子がまだ小学五年生のとき、二人でタイからラオス、そして中国の雲南省へ入って上海へと旅した時の思い出話をしたり、むかしの北京の話をしたりした。
二鍋頭という酒を知ったのも昔の北京でだった。
あの頃の北京は夜がとても暗くて、店の前に張り出した円卓で一皿2元程度の菜を摘まみながら二鍋頭の小瓶を次々に開けた。
そんなどうでも良い話をしても、息子の彼女はちゃんと話を聞いていてくれて、それが嬉しくて次々と二鍋頭の盃を空にしてしまう。
そんなわけで、店を出たときにはいい加減に酔っぱらっていた。
新宿三丁目の駅で息子たちと別れて、フラフラと西武新宿まで歩き電車に乗る。
始発駅なので座ることができたが、そのまま眠り込んでしまい、気が付いたら降りるべき駅を通り過ぎていた。

10月2日 (月)
二日酔い。
午前中は墓参りに行くことくらいしかできなかった。
午後になってようやく本調子となりラビットスクーターに乗って近所を走り回る。
市役所に行って、妻の健康保険や介護保険の手続きをする。
お金の出ていくことばかり。
東村山高校の脇を走っていたら、後ろから来た新聞配達のバイクに声をかけられた。
「いいの乗ってんねぇ、ラビットだろ」
私よりも一回りくらい年配の男性であった。
ラビットスクーターに乗っていると時々こうして声をかけられるのも楽しい。
でも、ラビットスクーターも製造中止から55年。
声をかけてくる人、つまりラビットスクーターを知っている人はもう70歳以上ということになるのだろう。
もう10年もしたら、誰も声などかけてこなくなるかもしれない。
そうそう、むかし東村山市役所の人でラビットスクーター好きの方がいらして、公民館の地下でラビットのレストアをされていた。
あの方はどうしているだろう。
もう40年も前のことだ。

10月3日 (火)
タイへ戻る日。
いつもならタイへ持ち帰る食料品などの仕入れをするのだけれど、もうタイでの暮らしも残り4カ月ほどとなり、在庫の食料品ですら食べきれない可能性があるので、今回持ち帰る食品は納豆のパックが一つだけとなってしまった。
荷物は軽くなり楽だけど、毎度持ち帰る食料品をスーパーで物色して、1円でも安いところを探して回るのは嫌いではなかった。
納豆は、いままで業務スーパーで緑色のパッケージのものが格安だったので、それを求めていたけれど、先月の札幌と同様に緑色の納豆パックは入荷されていなかった。
あまりの低価格商品で採算が合わなくなってしまったのだろうか。
帰りの飛行機は成田発午後2時半頃。
9時ころには家を出て空港へ向かった。
朝のラッシュ時間も過ぎており大きなスーツケースを持って電車に乗ってもそれほど不便を感じない。
ただ、日暮里からの京成電車は空港への快速電車の時間が合わず、途中で2度ほど乗り換えをすることになった。

成田空港でチェックインを済ませて、荷物検査場に入ろうとしたら「ここは日本航空利用者専用の検査場だから、向こうへ回るように」と係員に制止された。
日本航空専用の手荷物検査場なんてものがあったなんて知らなかった。
もっとも一般用の検査場も空いていて並ぶ必要はなかった。

さっさとラウンジへ入る。
エメラルドとパラゴンメンバー専用室へ通してもらたけれど、特別に豪華にしつらえられているとか、特別メニューが用意されていると感じではなかった。
ただ、専任のスタッフがいて、ブッフェのラインへ皿持って取りに行かなくてもテーブルに運んでもらえるというだけで、私は自分で好きなものをラインから持って来る方が好きなので、面倒だけど専用室を出て、一般のブッフェラインが欲しいものをもらってきた。
欲しいものの筆頭は稲荷寿司。
今回は太巻きも加わっていて、助六が復活していた。
助六になったのは嬉しいのだけれど、太巻きにはワサビが欲しいところだったけれど、ワサビは用意されていなかった。

稲荷寿司
[稲荷寿司&海苔巻きで助六寿司、江戸っ子のシャレだね]

しかし、これも気に入っていたクロワッサンのサンドウィッチはなくなっていた。
スタッフに聞いたところメニューは時々入れ替えているとのことだった。
スタッフが言うには、今回のメニュー入れ替えでの目玉は「カレーライス」とのことであった。
カレーライスの味の方は、特別美味しいというものではなく、ごく普通のカレーライスであった。
福神漬けはあったけれど、トッピングと呼べるものは用意されておらず、ちょっと寂しい。

カレーライス
[カレーライス、、トッピングがあればいいのに]

おなじエメラルドとパラゴンメンバー専用室でも台北の空港はホームベースということもあって、豪華な作りだし特別メニューもいくつか用意されていた。
そんなメニューの中に「うな重」もあったので注文してみる。
一口サイズのミニサイズだったけれど、ウナギは蒲焼と白焼きが交互に並べられていて楽しい。
ただ残念だったのは、ご飯の炊き方でお米にふっくら感が足りなかったことと、山椒が着いてこなかったこと。
成田空港のワサビにしても台北の山椒にしても、どうもちょっと一つ欠けているのは気になるところ。

ミニうな重
[ウナギを食べたのは久しぶり]

バンコクでは無事にすぐ荷物も出てきて、そのままタクシーでアパートへ向かうことができた。
歳をとってきたからか、深夜の時間帯に動き回るのはだんだんと辛く感じるようになってきた。
以前のように飛行機の中やラウンジでひたすらお酒を飲み続けるようなこともしておらず、かなり控えめにしているけど、こうして飛行機に乗ったりしたあとに疲れがのこってなかなか抜けなくなってきた。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=19 |
| 日常 | 04:17 PM | comments (0) | trackback (0) |
暑さの峠を越える
今年のタイは例年以上に気温の高い日が続いていたそうだ。
自分でも毎日嫌になってしまうくらい暑くて、特に週末ピサヌロークの下宿で過ごすときなど、午後の時間が暑すぎてとても苦痛だった。
先月日本から戻ってきてから、今日まで何があっただろうかと思いだそうとしても、あんまり記憶がない。
前回も書いたけど物忘れが多くなっていることもある。
思い出すためにスマホに残っている写真を見返してみたけれど、写真そのものをほとんど撮っていない。
つまり、ブログに書くようなことはなんにもしてこなかったということらしい。

赤いマンゴー
[赤い象牙と言う名のマンゴー、そろそろマンゴーの季節も終わり]

そんな中でも、写真こそ撮影していないけれど、週末を利用してバンコクへ一度行ってきた。
行かなくてはならない理由もなかったけれど、ピサヌロークの下宿より部屋が広いので、居心地が良い。
月に何日も滞在するわけでもないからバンコクのアパートなど解約してしまい、バンコクへ行って宿泊しなくてはならないときは、安手のホテルに部屋を取った方が安上がりな気もするけれど、自分の部屋があるというのは、気分的に落ち着くので、解約もせず家賃を払い続けている。

そのバンコク行きは、06月09日金曜日の夜にピサヌロークを出て、11日日曜日の夜遅くに戻るというもので、往復ともヤンヨンツアーのバスを利用した。
そしてバスは往復とも満席だった。
人の往復が以前のように活発になってきたんだと思う。
でも、バスに乗っている人の大半がマスクを着用している。
まだコロナを引きずっているらしい。
人の往来は活況を呈するようになってきているけど、ピサヌロークとバンコクの間の移動手段はコロナ前と比べると随分と減ったままになっている。
バスの便数も鉄道の便数も減っている。
飛行機も半減したままで、私の業務範囲としての朝の飛行機でピサヌロークへ来てもらって観光ツアーに乗ってもらうというプランが立てにくくなってしまった。

バンコクへのバスは23:45に出発して、翌朝6時にバンコクのモーチット・バスターミナルに到着するというスケジュールだったけれど、途中ノンストップで走って午前5時にはまだ夜が明けていないバンコクへ到着した。
バスターミナルからアパートまでは517番の市内バスに乗れば乗り換えなしの一本で行けるのだけれど、市内バスの乗り場へ行ったけれど517番のバス乗り場を示す看板がなくなっている。
最近517番のバスには青い車体の電気バスが投入され始めているけれど、この青いバスはモーチット・バスターミナルへは行かず、戦勝記念塔域になっていて、使い勝手が悪い。
とにかく、ここ数年バンコクの市内バスは新車を投入し始めているけれど、運行ルートが変わったり、本数が減ったりして、以前より使いにくくなっている。
517番のバスを諦めて、赤い136番バスに乗り、フォーチュンタウンで137番バスに乗り換えてアパートへたどり着いた。

それでもまだ朝早い時間だったので、身体はだるいのだけれどジョギングにでる。
ジョギングのルート上の何か所かでネコたちに挨拶して回る。
ネコたちは半分ノラみたいなのもいたりして、そうしたネコはいつの間にか姿を消してしまったり、また新顔がやってきたりする。
ネコと言うのは、風来坊みたいなところがあるのかもしれない。

午前中にバンコクのオフィスへ行って少しだけパソコンに向かって仕事をする。
土曜日はスタッフがほとんど出社しておらず、ガランとしている。
バンコクのパソコンもピサヌロークのパソコンのあんまり調子が良くない。
起動して、まともにキーボードを叩けるようになるのに20分くらい待たされる。
さらにパフォーマンスを見てみるとCドライブの稼働が100%を示して、折れ線グラフが天井に貼り付いたままになっている。
つまり、ものすごく処理に時間がかかったりすぐにフリーズしたりする。
きっと探せば何か解決策もあるのかもしれないけど、探してもなかなか見つけられないのでそのまま放置している。
最近はAIだか何だか知らないけれど、ネットで解決策を探そうとしても、的確な回答を得られないことが多い。
おんなじ使えない回答が繰り返し表示されるばっかりだ。

ターミナル21のクーポン食堂で昼食にする。
ここはこの界隈で一番安く食事ができるところということもあり、空き席がないくらいの大盛況。
タイ人もいるけれど、中国系と韓国系の利用者が目立つ。
そして、食べ終わった食器類を下げずにテーブルに置きっぱなしで席を立つ人も多いのも困りもの。
テーブルは食べ散らかしや汁がこぼれていたりする。

今月はまたヨーロッパへ遊びに行く予定にしている。
前回4月には現地での支払いにクレジットカードをもっぱら使っていたのだけれど、カードで支払うと後日請求される際のレート換算率が良くないことが判明したので、事前にユーロの現金を用意して、なるべくカードを使わないようにしたいと考えた。
そこでアソーク交差点に面した小さな両替屋で数千バーツほどユーロに両替する。
レートは1ユーロが37.20バーツだった。
前回までの使い残したユーロもあるので、これで何とかなるだろう。
同じくアソークにある両替屋で、BTS改札口近くにあるオレンジ色のスーパーリッチには長い行列ができていた。
そこは別にレートが格別良いわけでもないのに、いつもみんな辛抱強く列に並んで順番を待っている。

午後からは部屋の掃除をする。
もう何か月も掃除をしてきておらず、部屋の中をはだしで歩くと足の裏がすぐに真っ黒になるほど汚くなっていた。
アパートの近くにはセメント工場もあり、それでなくても埃っぽい。
部屋にいると鼻水が出たり、くしゃみの連発が出たりするので、相当部屋の中が埃っぽくなっているのだろう。
バケツに水をためて雑巾で床を拭く。
棚のほこりを払う。
広くもない部屋なのに、あんまりに汚れているので何度もバケツの水を交換しなくてはならない。
こんな苦労するなら、やっぱりバンコクではホテルに泊まった方が楽かもしれないと思ってしまう。

翌日は昼過ぎま部屋の中で過ごす。
バンコクにおいてあるノートパソコンの電源を入れようとしたが全く反応しない。
バッテリーは以前からダメになっているのだけれど、AC電源につないでもウンともスンとも言わない。
このパソコン、もうあちこち故障していているのだけれど、ハードの中にはまだ必要なデータもたくさん入っている。
前回はちゃんと起動できていたのに、どうしたんだろう。
パソコン本体の故障だとちょっとお手上げだけれど、以前からアダプターが使用中とても熱くなるという事象があったので、まずはアダプターを疑ってみる。

アダプターのケースを開けるのは容易でないことは経験している。
ネジとかでセットされているのではなく接着剤のようなモノで上下のカバーがくっつけられている。
ケースを綺麗に開くことは諦めてノコギリで切ってしまうことにした。
その作業も根気がいる作業だったけれど、なんとかカバーを上下に分離することに成功。
ケースの中の基盤を見たらあちこちが焼け焦げて煤で黒くなっている。
ヒューズらしきものも断線している。
これはそもそもアダプターが故障していたことが判明。
パソコン側にも問題があるかもしれないけれど、まずはアダプターを交換する必要がありそうだ。
このパソコンはメーカーものではなく、ヤマダ電機のオリジナル製品なので、アダプターもメーカーの汎用品に対応していない。
DC側の出力が20ボルトとなっている。
まぁ、こんな変則的なものでもネットショップとかで探せば似たようなものが見つかるかもしれない。

5バーツのアイスキャンディー
[ピサヌロークで見つけたアイスキャンディー屋にて5バーツのアイス]

今月はまたヨーロッパへ遊びに行くと書いたのだけれど、飛行機の切符は去年のうちに手配したもの。
まだコロナで飛行機の需要もあんまり高くないときだったからか往復で3万バーツ以内で買えた。
しかし、半年以上も先の切符を買ってしまうというのはリスクもあり、どうしたわけか、6月は全体的に仕事が甘かったのに、私がー旅行に出ている週末だけやたらと仕事が忙しくなっている。
不在中に手配のミスが発生しないように、あれこれと手を尽くさなくてはならないのでちょっとバタバタする。
トラブルが発生しても自分が直接采配を振るうことができれば、なんとか乗り越えさせる自信はあるのだけれど、それができずスタッフに任せるというのは不安で仕方がない。
もう少し機転が利いて、ちゃんと動くスタッフがいてくれたらと、毎度ながらに痛感する。

06月17日、また週末となる。
前の晩、ナーン川沿いのルンチュアイの店で夕食を食べたが、料理3品を注文したけれど、食べ残してしまった。
料理を食べ残すというのは、めったにないこと。
以前と比べて食が細くなっているようなんだけれど、体重は去年と比べて数キロも増えている。
残したのは、量が多すぎたこともあるかもしれないが、料理がしょっぱ過ぎたこともある。
特に「カナー菜の塩魚炒め」がしょっば過ぎた。
リタイホテルの朝食で好んで注文していた「カナー菜の芽と塩魚のチャーハン」のイメージでルンチュアイの店で注文したのだけれど、まったく味が違っていた。
塩魚はしょっぱいだけでなく、骨がやたらと多くて食べ難くもあった。
ルンチュアイの店は安いし、オープンエアで気持ちがいいので気に入ってはいるけれど、これからは一人で食べるときは料理は2品にしておくのが妥当なようだ。
それにしても「空飛ぶ空芯菜の店」があればどんなに良かっただろうと思われる。

そして朝になり、夜中に雨も降ったこともあり、気温は27℃。
少し風も吹いていて、なかなか気持ちのいい朝。
ピサヌロークの中で私が出歩く場所はほとんど決まっていて、何年も住んでいるけれど、ほとんど探検してきていない。
そんな中で、つい最近地図で見つけたのがワニ園。
ピサヌロークにワニ園があるなんてちっとも知らなかった。
地図で調べてみたら下宿から12キロほどの距離にある。
暑さも知れているので、午前中のうちに自転車でワニ園へ行ってみることにした。
下宿がある場所からしてもう市街地の外なのだけれど、さらに郊外へ向かって自転車のペダルをこぐ。
雨季が始まり田んぼに水を張ったところが多い。
このあたりは田植えをせずに直播の田んぼが多いので、若々しい黄緑色の稲がチョボチョボと水面に顔を出していたりする。
アップダウンもなく平坦な田舎道で、しかもちゃんと舗装されているから自転車で乗ってサイクリング気分となる。
しかし、小さなママチャリでの12キロはちょっと遠かった。
1時間近くかかってピサヌロークのワニ園、パタマーン・フォームに到着。
入り口にはアーチ形の門があり、広い駐車場になっているけれど車は一台も止まっていない。

ワニ園の入り口
[園内に高圧線鉄塔が立っている]

園内には大きな池があり、親子連れが魚にエサをまいていた。
この池にはワニはいない。
奥に建物があってカフェとなっており、ワニを見るにはこのカフェを通り抜けなくてはならない。
なんとなくアイスコーヒーの一杯でも注文しないといけないのかなと言う気になったけれど、別に何も言われることはなく、むしろカフェの女性スタッフは「ワニはこの先の階段を下りたところ」と教えてくれた。

その階段を下りたところに大きなコンクリート製のプールがありワニたちがウジャウジャいる。
発泡スチロールの大きなボックスがあり、その中にワニのエサが砂遊び用のプラバケツむに入っていた。鶏のガラで一つ20バーツ。
その発泡スチロールの蓋を開け閉めしたら、その音を聞きつけたワニたちが続々とプールから上がって、こっちに向かってノシノシと歩み寄てくる。
これはなかなかの迫力もの。
数十匹が柵の下で早くくれよと催促して口を半開きにしている。
私はエサをやるつもりもなくただのぞき込んでいたら、その中の一匹、それも特に巨大なワニが私の方に向かって1メートル近くもジャンプして飛び上がってきたのには思わず仰天してしまった。

エサを催促するワニ
[ワニは100匹以上いるらしい]

この施設の中には小さなステージ風のものもあったのでワニのショーなども上演する計画があったのかもしれないが、ショーをするにはあまりにも来園者が少ないようだ。
カフェではワニ肉の入ったクイティアオのポスターが貼られていたけれど、それも提供していないのか在り来たりのコヒーなどしか提供していないように見受けられた。
併設してワニ革製品の販売コーナーもあったけれど、とてもささやかなもので、展示数も少なかった。
つまり、このワニ園、観光施設としては全然うまくいっていないようなのだけれど、たぶん本業はワニの養殖で、観光客の受け入れは趣味程度なのかもしれない。
そして趣味程度だからこそ、こんなに人が来ないのに園内は随分とよく手入れされている。
ワニ以外にも鶏やシカなどの動物たちがいるし、芝は良く刈り込まれ、木々の手入れもしっかりしている。
つまり、意外と穴場なのかもしれない。

園内
[のんびりするにはいいところ]

お昼となり、また自転車で下宿へ向かってペダルをこぐが、やっぱりこの時間になるとさすがに暑い。
そして、途中で左足の膝が少し痛みだしてきた。

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物忘れ頻発
5月になってもピサヌロークはやたらと暑い。
気温が40度を超える日もしばしば。
この季節に暑いのは例年と一緒なのだけれど、今年はどうにも耐えられなく感じるほど。
年齢的に体力が落ちてきて、暑さに対する抵抗力が落ちているのかとも思う。
ピサヌロークの下宿先近所で時々野菜を買う店の女主人に「歳のせいか暑さに耐えられなくなってきてる」とぼやいたら、私とほぼ同年代と思われる女主人は「今年は特に暑いからだ」と言った。
それにピサヌロークの下宿の部屋は西日に焼かれるので、午後から夕方にかけての暑さたるや尋常じゃない。
それに窓が1か所しかないので風通しも悪い。
エアコンを付ければ問題解決するはずだろうけど、3年前にこの部屋の暑さの中で死んでいったネコのことを思うと、意地でもエアコンのスイッチは入れたくない。

ネコのウォッカ
[下宿のネコ、ウォッカは暑くないのだろうか?]

そんな訳で週末など仕事がなくてピサヌロークの部屋にじっとしているのはとても苦痛。
その苦痛から逃げ出すために、4月29日から5月1日の2泊3日でバンコクのアパートへ避暑にでかけた。
バンコクは内陸部ピサヌロークほどの過酷な熱さではないし、それにバンコクのアパートは東向きで2面に窓があって風通しが良い。
ただ、ちょっと問題は先日から扇風機が故障して回らなくなっていること。

バンコクまで鈍行列車で向かう。
これもエアコンなしで硬いシートの3等車。
しかし、運賃が安いのと、旅情がたっぷりあることで、気に入っている。
朝6時にピサヌロークを出て約8時間半でバンコクへ。
バンコクも1日で最も暑い時間である午後3時。
駅前のラマ4世通りでバスに乗り換える。
バンコクの市内バスは最近電気で走る新型が走りだしたりしているけれど、バスの運行便数は随分と減ってしまっているように感じる。
バス停でバスを待つ時間がやたらと長く、いつ来るともわからないバスを待つのは長時間の長旅のあとでは一層疲れる。

随分待ってやってきたバスに乗り込んで、気づいたのは、バスの車掌のキップの切り方。
バンコクでは新型の電気バスが走り出したとはいえ、バスはいまだにワンマンカーではなく車掌がいちいちキップを切って回るスタイル。
その車掌は細長い金属製の筒でできた集金箱をジャラジャラさせながら集金し、ロール状に巻かれた切手風の切符を切って回っているのがバンコクのバスの特徴だった。
それが今回乗ったバスは筒形料金箱の代わりにスマートカード読み取り式切符発行機を首から下げている。
大きさはちょっとした弁当箱くらいのサイズで、集金金額を入力してスマートカードをかざせば切符がプリントされて出てくる仕組みになっている。
しかし、バンコクの交通系スマートカードは電車、地下鉄、バスなど統一されておらず、あんまり便利でない。
ましてバスなどではほとんど普及しているとも思われず、ほとんどの乗客が従来通り現金払い。
可愛そうなのはバスの車掌で料金リーダーは切符の発行はできても、現金を入れる機能はなく、コインは車掌の着ている上着のポケットに無造作にジャラジャラと放り込まれ重そうであるし、出し入れも面倒そう。
クレジットカードでの支払いにも対応できるみたいなことを聞いたことがあるけど、バスの利用者はクレジットカード加入審査を通らない低所得者が多いので、あんまり意味がなさそう。

バスの車掌さん
[揺れる車内で端末操作とお釣りの出し入れ、車掌さんは大変な仕事だ]

バンコクには避暑以外にも目的がちょっとだけあって、ひとつは故障した扇風機を修理に出すこと。
この故障した扇風機はバンコクに15年ほど前に中古でもらったもの。
以前にもスイッチが故障したりしてたけど、今回はどこかで断線している感じ。
いつもバンコクで朝のジョギングをするルート上にある修理屋へ持ち込む。

目的はもう一つあって、バイクの車検更新。
去年は陸運局へバイクを持ち込んで更新したけれど、今回は民間車検場で代行してもらう。
陸運局は週末休みでも、民間車検場は週末も朝早くから受け付けてくれる。
前輪のブレーキは油圧ポンプが故障しているらしく、ちょっとトラブルを抱えていたけれど、検査は合格。

避暑にやって来たバンコクではあるけれど、扇風機がないとやっぱり暑い。
ひたすらベッドにひっくり返って、じっとしながら時間を過ごす。

二晩バンコクで過ごしてピサヌロークへ戻るには高速バスを利用することにした。
バンコクからも安い鈍行列車はあるけれど、ピサヌローク到着が夕方6時と遅く、特に午後の暑い時間帯に窓から吹き込む埃を含んだ熱風にさらされ続けるのは耐え難いのでエアコンのあるバスとした。

通常ピサヌロークへ向かうバスはヤンヨンツアーと言うピサヌローク地盤のバス会社かウィンツアーと言うスコータイ地盤のバス会社を利用するが、今回はチャートチャイツアーというバス会社の便を予約した。
この会社のピサヌローク行きは1日一往復だそうで、バンコク発が昼の12時半で、ピサヌヌローク着が6時半。

予約するとき、座席はガラガラだったので、一番前方のシートを予約した。
タイでは事故の時、一番危険なシートとも言われるけど、私は前のシートがリクライニングで倒れてくることがないので、気に入っている。

しかし、バスに乗り込んで指定した最前方の席に座ろうとしたら何やら荷物が置いてある。
隣りの人の荷物だろうと思って脇に寄せていたら運転手がやって来て「ここはオレが寝る場所、どこか空いてる席に座れよ」と言う。
長距離なので交代の運転手がいるのはわかるけど、この対応に気分を少し害する。

車内では水と薄っぺらい揚げ物を挟んだハンバーガーのようなモノが配られる。
あんまりサービスも良いとは言えないようだ。
もっとも、他社のバスも最近はサービスが良くない。

チャートチャイのバス
[外見と比べて車内は相当くたびれている]

3時間半ほど走ってナコンサワンの手前のドライブインに入る。
ここではよく食事休憩ということで立ち寄り、バスのチケットを見せるとブッカケ飯などを食べさせてくれたりしてたけれど、このバスにはそのようなサービスはないらしく、20分の休憩時間はトイレを済ませたら、ただ暑い中出発を待つだけ。

そのドライブインを出発して間もなく、ガシャーンと言う大きな音がした。
どうやら並行して走っていたトラックと接触したらしい。
ぶつかったトラックはそのまま前方へ走り去っていく。
バスは乗客の安否確認をするでもなく猛然とトラックを追いかけはじめカーチェイス。
赤信号で止まったところで、運転手同士の話し合いとなるが、乗客には何の説明もないし、詫びの一言もない。
そのうち保険屋がきたりとかで、1時間以上も暑い中待たされる。
腹に据えかねたのは私だけではないらしく、女性客が運転手に何か言いに行ったが、どうもマイペンライで終わってしまったようだ。

ピサヌロークには結局夜9時に到着。
なんのことはない鈍行列車と所要時間はほとんど一緒だ。

5月2日はピサヌロークで勤務をしたが、ちょっと気になることがあった。
バンコクのアパートにある冷蔵庫の扉が開いたままになっているのでははないか? アパートの部屋のドアをロックしていないのではないか、、、。
このところ物忘れが激しい。
それに冷蔵庫ももう15年以上使用しており、扉をしっかり押さえつけるように閉めないと再び開いてしまうことがよくある。
次にバンコクへ行く予定までまだ3週間ほど日があり、その間に冷蔵庫の食料がダメになってしまう。
そんなことを考えていたら、いろいろと気になりだしてきた。

そこで昼過ぎに仕事を早めに切り上げて、バンコクへ向かうことにした。
午後3時前の特急に乗れば4時間でバンコクへ到着できるタイムテーブルになっている。

ところが、この特急、チェンマイからやってくるのだけれど、ネットで確認すると大幅に遅れているらしい。
途中駅での遅れが2時間を超えており、結局ピサヌロークへやって来たのは、私の勤務時間が終わった夕方6時近くになってから。
しかも、特急の遅れの原因は車両故障らしく、ディーゼルカー3両編成の前に機関車がくっ付いて引っ張ってきた。

タイの鉄道も近代化事業を進めて高速鉄道を作るとか、華やかな話が飛び交っているけど、バンコクとピサヌロークの間の利便性はちょっとも良くなっていない。
コロナで減便した列車の本数がまるで元に戻らない。
理由は運休中に放置していた車両が整備不良で動けなくなったかららしい。
なんとか動く車両をフル回転で稼働させているので、こちらも整備する時間がなくて、故障が頻発。
バスにしても鉄道にしても、公共交通機関として目指すべきところがずれている気がする。

結局バンコクには6時間遅れの午前1時に到着。
バンコクの駅は今年になって移転した郊外の駅で、この時間帯に本来発着する電車はない。
結果として特急から降ろされた乗客は行き場を失う。
電車の発着する時間帯でないからタクシーもやって来ない。
誘導する係員もいない。
路頭に迷うとはまさにこのこと。
私は大きくてやたらと広い敷地の駅を後にして、夜道を1キロほど歩いたカンペーンペット通りまででて流しのタクシーを拾うことができた。

深夜のバンコク到着
[列車から降りた人は無言で出口へ向かって歩く]

そうしてたどり着いたバンコクのアパートだけれど、部屋のドアはカギを差し込まなければ開かなかった。
つまりロックのし忘れはしていなかった。
また冷蔵庫の扉もちゃんと閉まっていた。
つまりわざわざバンコクまで来る必要がなかったということ。

翌、3日にはピサヌロークへ戻るバスに乗る。
とんぼ返りとはこのことで、その晩はピサヌロークからウドンタニへ向かう夜行バスに乗らなくてはならない。
まったく、移動ばかりの毎日。

4、5、6と3日間ウドンタニからノンカーイ、ビエンチャン、ブンカーンとツアーで駆け回る。
こちらはツアーと言う仕事なので、手配に抜かりはない。
それでも、またも心配事。
ピサヌロークのバスターミナル脇に車を留め置きしてきたのだけれど、車の窓を開けっぱなしにしているのではないか、ふだん窓を開けて走っており、今回車から降りるとき窓を閉めた記憶がない。
こういうのはストレスになりがち。

ピンクの睡蓮が咲く沼
[ツアー自体は問題なく進行、今シーズンのピンクの睡蓮もこれが見納め]

さらにストレスを増す事態も発生。
5月6日にウドンタニの空港でツアーが終わる予定が午後3時。
そしたら大急ぎでウドンタニ市内のバスターミナルへ行ってピサヌローク行きのバスの飛び乗ろうと考えていた。
しかし、事前に空席のチェックをしてみたところ、ウドンタニからピサヌローク方面へのバスはいずれも満席となっている。
7日は休日なので、最悪は翌日のバスと言う手もあるけど、なるべく早く帰りたい。
もっと早く切符を手配していなかったのは、ウドンタニ発午後4時のバスがあり、このバスはナコンパトムという町からチェンライまでを結ぶ路線で、その途中の区間だけでは事前予約ができず当日に空席があれば乗せると言ったもの。
しかし、こうして他の便が満席だとも、4時のバスに乗れる可能性はほとんどない。

ビエンチャンの凱旋門
[メコン川を渡ってビエンチャンへも行ってきた]

結局、どうなったかと言うと、4時のバスはやはり満席で、それ以外の便も2日後まで全部満席と言われた。
粘った結果、ウドンタニから車で2時間ほどのところにあるコンケーンからならピサヌロークまで一席空きがあることが判明して、その切符を買い求めることができた。

ピサヌロークのバスターミナルへは午前2時過ぎに無事到着。
気になっていた車の窓もちゃんと閉まっており、なにか盗られたりするようなこともなかった。

物忘れが多くなってから、いろいろなとこに疑心暗鬼となっているけれど、最終的にはなんとかなってしまっていることが多い。
これは運が良いというのではなく、きっと私のネコがいつも天国から私のことを見守ってくれているからだろうと思っている。
なので、ご飯を食べるときや、様々なシーンで手を合わせて「ネコ様や、ネコ様、いつも守ってくれてありがとうございます」と念じている。

5月13日、朝早くからオンラインツアーを担当する。
今回は遠出をせずピサヌローク市内からの中継なので気軽。
アランイクにある古い寺と住宅街を散策しながらのトーク。
天気は曇り空のため、絵としてはあんまりきれいな色に映っていなかったと思うけど、カオマンガイ屋も紹介できた。
パンキーという屋号の店で、ピサヌロークでは一番うまいとされている店。
午前中の4時間ほどで売り切れてしまうという人気の店だけれど、店構えは何十年前のまんまで古臭い。
ふだんカオマンガイなんてめったに食べないのだけれど、この朝はこのパンキーでオンラインツアー後にカオマンガイを食べてみた。
ふだん食べつけていないので、特別に旨いのかどうか判断がつかなかったけれど、なんとなく鶏や飯の味云々ではなく、タレの味で評価されているのではないかと感じた。
この店では味噌風味のタレと唐辛子とニンニクソース風のタレの2種類があった。
タイではタイスキなどの鍋の店でも、具の味よりタレの味が店の評判を左右しているような気がする。

カオマンガイ
[人気店だけどキュウリの切り方が雑だな]

5月19日より23日までの5日間、日本へ一時帰国する。
今回は何年かぶりで家族3人が顔を合わせることになる。
前々回だったか一時帰国したときに私がタイから食材を持ち込んでタイ料理を作って息子に食べさせたところ好評だったので、今回もタイから食材や調味料などを持ち込むことにした。

空芯菜、玉ねぎ、ナス、バジルなどの安い類に玉子も買って、保冷材と一緒にカバンに詰め込んだつもりだったが、空港へ向かう途中で「玉子はカバンにまだ入れずにベッドの上に置きっぱなしになっているんじゃないか」と思われ始めた。
ちょっとカバンの中を探ってみたが、玉子らしいものは見当たらない。
あぁ、しまった。また忘れた。と、思って駅へ向かう途中の雑貨屋で玉子を3個買う。
3個で20バーツ也。
ちょっと高い気がする。
でも、まぁいいか。

空港で預け荷物の整理をする際に、さっき買った玉子をカバンに詰めようとしたら、カバンの中からもともと買ってあった玉子が出てきた。
まったく、ドジだ。

今回は嫁さんに渡すまとまった金額の生活費も持参するので空港の出発ビーにある税関で外貨持ち出し申請をする。
タイからまとまった現金を持ち出しする人はあんまりいないのか、窓口に係員はいなかった。
そのまま税関の扉を開けて中を覗いたら女性の係官がちょうど朝食の弁当を食べているところだった。
それでも、「食べ終わるまで待ってて」とは言われず、すぐに対応してもらえた。
やっぱり国際空港だから係員もしっかりしているみたいな印象を受ける。

いつもの台北経由の中華航空。
いままでは台北での同日乗り継ぎができず、台北の空港で夜明かしをしてきたが、今日は夜8時過ぎには成田に到着できる。
ちょっと到着時間が遅いのが気になるけど、同日乗り継ぎできるようになって良かった。

機内食
[機内食で出たヤムソムオーの前菜とタイ菓子のデザート]

さて、玉子の件だけれど、東京の自宅に真夜中近くにたどり着いて、カバンを開けたところ、カバンの中が何か濡れている。
どうもカバンの中で玉子が割れたらしい。
もともと準備していた玉子は割れないように包んできたけれど、朝買い足したものは、ほとんど何の対応もしておらず割れてしまった。
嫁さんからは「玉子なんて日本にだってあるのに、何でわざわざ買ってくるの」と私の滞在中に事あるたびに言われ続けることになってしまった。

それでも、タイ料理の方はまずまず本格的で本場の味を再現してグリーンカレー、バジル炒め、空芯菜炒めを作ることができた。
味の方も好評で、食べ残しの大半を息子が持ち帰っていった。
日本のスーパーで調達したのは鶏肉類とタケノコの水煮程度。

タイ食材
[タイから持参した食材]

今回の一時帰国も、帰国しなくてはならない用事はほとんどないのだけれど、ラビットスクーターのグリスアップをしておきたいと思っていた。
ラビットスクーターは古いスクーターなので、車体のあちこちにグリースを注入してやる必要がある。
もう長いことグリースを注入してきておらず、前回ようやくエンジンも快調に回り始めて、やっと乗り回せる状態に近づいてきたので、グリースアップを是非しておこあと思っていた。
公道も走れるように国際免許もピサヌロークでとってきた。
グリースもタイで買っていこうと、ピサヌロークで随分と探したのだけれど、どうしても見つけることができず、日本のホームセンターなどにも売っているだろうと期待して戻ってきた。
グリースは確かに近所の島忠ホームセンターに売っていた。
価格もそんなに高くなかった。

さっそく注入器にグリースのチューブを装填して、注入しようとしたところ、なんと注入器にはまだ未使用と思われるグリースのチューブが入っていた。
なんだ、わざわざ探したり買ったりする必要はなかったんだ。

グリースも注入し、エンジンも始動できたので、早速近所を走り回ってみる。
ちょっとアイドリングが不安定な気もするけど、ラビットで走れるのは嬉しい。
そうして、ラビットで走り回っていたのだけれど、3日目にトラブル発生。
嫁さん関連の年金や保険料の手続きがあって市役所まで二人乗りして向かったのだけれど、手続きが終わって帰ろうとしたところエンジンがかからない。
セルモーターが全然回ってくれない。
キック式のスターターをなんども踏み下ろしたけれど、まったく動かない。
このラビットスクーターは、バッテリーの電圧が下がるとセルが回らないだけでなく、キックでも始動できなくなることが良く以前からあった。
市役所に留め置いているうちに、バッテリーが放電してしまったのかもしれない。
しかたなく、嫁さんはバスで帰ってもらい、私はラビットを押して帰ることにした。
5月とはいえ、天気が良かったこともあり日差しが強く、大汗をかいてしまった。

咲き残りの八重桜
[自宅前の八重桜の老木にまだ少し花が散り残っていた]

帰宅してバッテリーを充電してみた。
セルモーターは回るけれどエンジンは始動しない。
点火プラグの火花も散っているし、また燃料系のトラブルらしい。
キャブレターを取り外してガソリンで洗う。
目に見えないどこかの穴が詰まっているのだろう。
綺麗に洗浄したつもりでキャブレターを取り付けてみるが、やっぱりエンジンは始動しない。
それどころかキャブレターの中でオーバーフローしているようで燃料がしたたり落ちてきている。
もう一度分解して洗い直しをしようかと思ったところで雨になってしまった。
万事休す。
やっと前回までに走行可能な状態に近づけたつもりで、これから各部の整備や外装に取り掛かろうと思っていたのに、またもとの木阿弥となってしまった。
これからしばらく一時帰国する予定はないし、まったく手のかかるスクーターだ。

23日も朝からずっと雨が降り続いている。
ラビットもシートカバーをかぶったまま雨に濡れている。
こうして、放置しているうちにもどんどん朽ちてしまうわけで、来年の本帰国が待ち遠しくなってくる。

昼過ぎに嫁さんと一緒に家を出て、成田空港へ向かう。
私は6時過ぎの飛行機で、嫁さんはその一時間後。
ターミナルも違う。

日暮里から乗った京成電車は佐倉止まり。
佐倉で後発の電車2本を待ってやっと成田空港行き。
その電車を待っている間がとても寒かった。
雨も降り続いており、気温は13度しかないらしい。
前日は夏の様だったのに、気温の差が大きくて風邪をひきそうだ。

成田空港のラウンジに「稲荷寿司」が復活していた。
ここの稲荷寿司が特別美味しいわけじゃないけど、私は稲荷寿司が大好きなので、ここで食べられるのが嬉しく、ずっと復活を待ちかねていた。
以前は稲荷寿司以外にも太巻きや干ぴょう巻もあったけれど、これらの巻きずしはまだ復活していない。

稲荷寿司とビール
[ビールはなんとキリンのハートランド]

バンコクの空港に到着したのは午前2時近く。
機内では3人掛けの席を独占して横になって来られたので、少しは眠れたけど、こうして寝ていけるときは、飛行時間がもっと長い方が良かったとも感じてしまう。

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