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バンコクで退職後の毎日
イサーンへのドライブ旅行を終えて、無事に定年退職を迎える。
1月になって、年休消化などを理由にあんまり出社していなかっし、出社しても引き継ぎ業務以外にあんまりやることもない。
退職と同時にタイでの滞在資格がなくなり、即日国外退去しないと不法滞在扱いされるのでバンコクのアパートにお母ちゃんを残したまま10日間ほど日本へ戻る。

2月1日、成田に到着。
この1週間のうちでやっておかなくてはならないことは日本の運転免許の取得。
タイで国際免許を取ってきているので、当座はなんとかなるとしても、いずれ日本の免許が必要になって来る。
で、日本の免許を取るにしても今さら教習所へ通う気などない。
20年前にタイの暮らしから日本へ戻った時も免許が失効したままだったけれど、あの時は適当にタイの免許書の翻訳して免許センターへ持ち込んだら、テストもなしで簡単に新しい免許を作ってくれた。
今回も同じように新しい免許を作ってもらおうと簡単に考えていたら、どうやらルールが変わりまた失効期間も長すぎるということで、やたらと面倒な手続きがいるらしい。
それを知ったのはその前の一時帰国時で、何が必要かを指示されていた。
・タイの免許書
・タイの免許書を発行したという当局の証明書
・JAFによるタイ免許書の翻訳文
・日本にいなかったという証明(過去から現在までのパスポート)
・住民票
・以前発行されていた日本の失効済免許書
タイの運転免許はバイクと車の2種類があり、タイ関連の書類は各二部が必要となり、タイの陸運局で免許発行証明を取りつけて準備しておいた。
JAFの翻訳文は息子に頼んで用意してもらっている。
住民票はずっと海外転出済みだったので、2月1日の日本帰国と同時に市役所へ飛んで行って転入手続きを取る。
そして迎えた2月2日、書類を整えて早朝の小金井運転免許試験場に並ぶ。
受け付けは先着順で、早く来てならばないと受付が締め切られると脅されていたので、開門前に凍えながら扉の前で待つ。
既に何人もの外国人が同じように震えながら受付開始を待っている。
そのおかげもあり、受け付けられて番号札を渡される。
待つこと3時間。
順番が呼ばれて審査に入る。
タイの免許、発行証明、翻訳、住民票、失効済み日本の免許書は問題ないが、「日本にいなかったという証明」でケチが付いた。
ルールとしては日本の免許失効後、一度も日本へ戻ってきていないことが前提で、もし戻っていたらその時に免許手続きをするのが本来だといわれる。
しかし、そうは言っても一時帰国では住民票もないし、不合理な話。
たぶん海外渡航が現在のように活発でないころのルールがいまだに生きているのかもしれない。
それでも、この18年間の大半をタイで暮らしてきていたことが確認できれば、免許を発行するからと、係官は3冊あるパスポートの出入国スタンプをひとつひとつ解析し始めた。
それから待つことさらに4時間。
そろそろ閉館時刻が近付いたところでまた呼び出し。
ずっとパスポートのスタンプと格闘してきたが、とてもじゃないが全部は調べきれないから入管へ行って出入国記録書を作ってきてほしいと言われる。
しかし、日本の入管では日本にいなかった記録は抽出できても、日本不在中どこに行っているかは掌握できないはずと反論したら、「うーん、じゃ以前の免許もあることだし」ということで、急いで収入印紙を貼って発行申請書を用意するように指示される。
そして、無事に目の検査や安全ビデオまで終えて、運転免許の交付を受けることができた。
初めて免許を取ったのは16歳で原付だったけれど、新しくもらった免許は「普通」「普自二」令和06年02月02日と記載され、裏面に「初心者標識免除」のスタンプが押されていた。

東京は梅の花の香りが漂っていた。
とくに小平霊園は梅が満開で青空に紅白の梅が良く映えている。
気温はまだまだ寒いけれど、春らしさを感じさせてくれる。

梅の花
[まだ寒い2月なのに咲いてくれる梅は偉いと思う]

今後の足として期待されているラビットスクーターもすでにエンジンなどはだいたい整備を終えて、あとは外装を残すのみ。
長いこと屋外に置いておいたので、あちこち錆が出ているので、ワイヤーブラシで錆を削り落とし、キズをパテで埋める作業をする。
本来なら、古い塗装を剥がして、錆止め塗料を塗ってからペイントすべきなのだけれど、とても素人の手におえる作業でないし、業者に頼んだら何十万とお金がかかる。
それに私としては乗れれば満足なので、最低限の補修で済ませてしまうことにしている。

補修作業中のラビット
[日も短く寒い中での作業はあんまりはかどらない]

2月5日、天気は雪。
それも大雪と言えるほどの雪で、あたり一面が真っ白となる。
そのためラビットスクーターの補修作業も中断して、部屋の中で布団被って震えている。
翌6日は、雪も止んだので、朝から道の雪かきをする。
近所のほとんどが高齢者所帯。
もともと足元が危うい人たちばかりで、とても雪かきなどできそうな人がいない。
それでまた雪で転んだらケガをしかねない人だらけなので、近所では60歳の私が若い方と自負して、スコップで雪をかく。そして、寒いけどたっぷりと汗もかく。
およそ2時間半ほどの作業で100メートルほどが長靴なしでも歩けるようにした。
こんな中でも宅配便のトラックはチェーンを巻いて走っていたし、訪問介護の車も来た。

雪
[大粒の雪、水分が多い重たい雪]

2月9日、バンコクへ。
成田を夕方に出る中華航空で台北乗り継ぎ、バンコクには日付が変わって午前2時過ぎに到着するというもの。
成田からの便はエコノミークラスが満席だったのかビジネスクラスにアップグレードされていた。
それは嬉しいのだけれど、ラウンジでもたくさん食べてきているので機内食を食べるのが少し苦痛に感じるほどだった。
夜明け前にアパートにたどり着いた時には当然お母ちゃんは良く寝ており、荷物もそのままで部屋の明かりもつけずに私もそのままベッドに横になった。

機内食
[食べきれない]

2月11日、今回が最後の機会になるだろうということで、東京から息子の優泰がやって来る。
夜の到着なので、お母ちゃんと二人して空港へ迎えに出る。
夜遅い便での到着で、空港からアパート近くのホテルへ直行。
二人はそのままホテルに一泊し、私は一人でアパートへ戻る。

このホテル何年か前まではソープランドだった建物で、それがホテルに改装されてKinn Bangkokという名のホテルになった。
私が住み始めたばかりの頃はラマ九世通り周辺には風俗店がたくさん並んでいた。
このラマ九世通り、南側のペッブリ―通りと西側のラチャダピセク通りはその手の巨大看板が乱立していたけれど、多くがすでに廃業している。
需要がなくなってきたのかもしれないし、従業員確保ができなくなっているのかもしれない。
さらにニュースでは警察の手入れも行われるようになってきたようだ。

2月12日、優泰にバンコクで何が食べたいのか聞いたら、以前時々家族で食事に行っていたベトナムレストランへいてみたいという。
日本人学校の裏側、ラムイントラハイウェイの脇に入ったところにそのベトナム料理屋はある。
東北タイ、ウドンタニに本店があるVTというチェーン店。
店内は小奇麗で、フランス風の置物とかあり、なんとなく成金趣味的な印象も受けるのだけれど、味は良い。
ネームムアンという料理を3人で食べる。
優泰は以前よくラオス風ステーキを喜んで食べていた記憶があるのだけれど、現在はメニューから消えている。

その後、ラチャダのショッピングセンターで買い物をする。
ばらまき土産用の菓子などを優泰は買っていた。
ラチャダは中国からの旅行者が集まるエリアになっているので、スーパーの店内にも中国人観光客向けの土産物コーナーが大きな場所をしめて作られていた。

夕食には中華街へ出向く。
ここのテキサスというタイスキ屋にも以前は頻繁に来ていた。
狭いけれど駐車場があるので家族で出かけるには便利だし、安くて旨かった。
店内にも子供向けの遊び場があるなど、優泰がほんの子供で、私たちがチェンマイに住んでいた時もバンコクへ出てくると良くここで食事をとっていた。
ヤワラートと呼ばれる中華街は大渋滞で、店まで行きつくのにかなりの時間がかかった。
お母ちゃんはここの讃岐うどん状にした魚の練り物(細長い蒲鉾かな)とエビ入りワンタンが大好きで、それぞれ一人で2皿くらい食べてしまう。
また、食後に残りのスープで作るおじやは、家族3人とも大好きなのだけれど、私も以前と比べて食が細くなり、おじやを作るころには満腹となってしまっていた。

2月13日、バンコクからキリチュアップキリカンへ向かう。
バンコクにいるとお金がかかる。
キリチュアップキリカンなら海があって、海はタダだ。
朝バンコクを車で出発するが、途中で2時間ほど優泰は仕事でリモート会議があるという。
その時間はキリチュアップキリカンへ向かう途中のペッチャブリにいたので、市内のアマゾン・カフェで優泰を降ろし、私とお母ちゃんは小山の上にあるお寺の駐車場で待機する。
ペッチャブリ市内には小山の上に西洋のお城のような宮殿やお寺など見どころが多いところだけれど、お母ちゃんは車から降りたくないというので、駐車場の木陰を選んで時間を過ごす。
この駐車場にはたくさんの野生猿が住み着いていた。
そして、イヌもたくさんうろついている。
犬猿の中と言うけれど、ここのサルとイヌも中が良くないらしい。
サルはイヌを挑発する、
怒ったイヌは吠えながらサルに向かっていく。
サルは木に登ってまた挑発する。
その繰り返しを車の中からずっと飽きもせずに眺めていた。

優泰の仕事も終わったようなのでピックアップして、ついでにペッチャブリ市内の市場でお菓子や果物を仕入れる。
にぎやかな市場だと思っていたら、まだ中国正月のお祭りをしているらしく中国の獅子舞が市場内を回って門付けをもらっていた。
銅鑼や爆竹の音が響いていて、春節の雰囲気を盛り上げている。
そのな市場の中を歩いていたら、タイで最近流行のストリートアートがある小径に出た。
棟続きの建物の壁に絵が描かれているのだけれど、モチーフにネコを使ったものが多く、とても可愛らしいし、ウイットにとんでいるものもあって気に入った。

ペッチャブリのストリートアート
[漫画チックだけでなく写実的な絵も多い]

昼食はホアヒンを迂回するバイパス近くで食べることになった。
優泰がネットで調べて良さそうだという店を探し出した。
バイパスからちょっと逸れたところにあったその食堂は、人気店なのかたくさんの車が来ている。
店の中も混雑している。
おおきな店だけれど、エアコンの効いた部屋などはない。
店員は暑いし忙しいからか、あんまり愛想が良くない。
メニューから何品か注文した。
フライドチキン、野菜炒め、豚ひき肉のガパオ炒めなど。
あんまり辛くしないでほしいとも注文を付けた。
しかし、出てきたガパオ炒めらしいものは、私が知っているガパオではなかった。
豚ひき肉と言ったはずだけれど、肉は内臓物のブツ切り、そして大量の唐辛子。
こりゃダメだ、注文が違うと抗議したが、「これが豚ひきのガパオだ」と店員は面倒くさそうに言う。
再度強硬に抗議して、こちらが考えているガパオの何たるかとを説いて、再注文する。
こちらも暑いしイライラしているので面白くない。
更におもろくないのは、こんなエアコンもない大衆食堂でこの値段かよと思うような請求を受けた。

キリチュアップキリカンへ入る手前のマンゴー市場で何キロものマンゴーを仕入れる。
今年はマンゴーの生育が少し遅いみたいだけれど、この市場はどこから仕入れてくるのか、様々な種類の熟したマンゴーがずらりと並んでいる
優泰もお母ちゃんもマンゴーが大好き。

プラチュアップキリカンの宿、ハードトーンホテルには午後比較的早い時間に到着できた。
私はここでまたオンライン中継を担当することになっており、中継場所のカオロムムアク山の麓に向かう。
ここは昭和16年12月8日のマレー上陸作戦で最北端の上陸地点とされており、当時タイ側の通信故障により誤解が生じて日本とタイとの間で数時間の戦闘が発生した場所。
現在はタイ空軍の基地になっているけれど、基地の一部は公園のように整備されて市民に開放されている。
このカオロムムアク山には逆さパンダみいな愛嬌のある顔をしたサルがたくさん住み着いており、訪問者にエサをねだったりする。
タイでよく見かけるカニクイザルとかブタオザルと違ってここのオナガザルは性格がおっとりしていて、その奇抜な顔と併せて人気者になっている。
中継ではそんなサルや戦闘記念碑などを紹介した。

夕食はホテルから海岸通りを少し南へ歩いたところにある路上の海鮮料理屋。
ここの料理はボリュームがあるので、食べるのに気合が必要。
バンコクあたりのシーフードと比べると倍以上のサイズ。
それでいて値段は半額くらい。
なのでいつ行っても混んでいる。
オースワンという牡蠣の卵とじやエビのすり身フライ、鶏の包み揚げ、そしてヤムウンセン。
ここのヤムウンセンは美味しいのだけれど、やたらと辛い。
注文に際して、「唐辛子は三本だけ」と言ったのだけれど、どうも厨房まで伝わっていなかったようで、唐辛子がどっさり入っていて、ビールだけでは消火ができない。
優泰が土産に持ってきてくれたオールドパーで口の中をすすぐようにしたら、辛さが少し中和された。

2月14日、プラチュアップキリカンでハードトーンホテルに泊まる目的は、部屋のテラスから朝日を眺めたいから。
このホテルは感動的なオーシャンフロント。
ホテル前の海岸線は静かで、きれいな弧を描いている。
夜には沖に漁火が揺れている。
そして夜明けになると、漁を終えた船が浜へ戻って来る。
空の色がどんどん変わっていく。

日の出
[優泰とお母ちゃんもテラスで朝日を見ている]

朝食は依然と比べると料理の品数が随分と少なくなっている。
宿泊客はタイ人も西洋人もいて、稼働率も悪くなさそうだけど、コストを下げているのかもしれない。
料理自体の味付けはグッド。
パンなど洋風のモノはいまいちだけど、タイ飯は美味しい。
お母ちゃんに練乳入りコーヒーにパートンコーを浸して食べたら旨いことを教える。
ふだん練乳入りコーヒーなど気持ち悪がって飲まないけど、カリカリに上がったパートンコーを練乳入りコーヒーに浸すと、苦みと甘みと油で焦げた香ばしさが絶妙になる。

朝食会場
[これは翌日に撮った朝食会場での写真]

日中は果物を持ってマナオ湾のビーチに遊ぶ。
ここも空軍基地内なのだけど、一般開放されている。
優泰はATVという四輪バギーを体験する。
バギーと言ってもバイクのような車体で、優泰がバイクの運転ができるのか知らないけど、四輪だから転倒することはなさそう。
お母ちゃんを後ろに乗せた二人乗りで、森の中のオフロードへ消えていき、しばらくしたら上気した顔で戻ってきた。
どうやら二人とも楽しんだようだ。

ビーチでも泳いだのだけれど、海の水の透明度は今一つ。
それでも優泰と二人でビーチのはずれにある岩場まで泳いで往復してみた。
最近は泳ぐ機会がなくて、長い距離を泳ぐには途中でなんども休憩を入れないと体力が続かない。
以前は岩場周辺まで行くと水中で泳ぐ魚がよく見られたものだったけれど、透明度が低いためか、それとも魚が寄り付かなくなったのかわからないけど、魚の姿は見られなかった。
それと怖いのは、岩場周辺には真っ黒で巨大なウニがいることで、またがってウニの棘に刺さったらとんでもないことになってしまう。

怪魚
[浜に打ち上げられた怪魚]

このプラチュアップキリカンは先にも書いたけれど日本軍の上陸ポイント。
上陸時にはタイ側と交戦状態になり多数の死傷者を出している。
どうも死傷者の大半は日本軍側だったようなのだけど、そのためかプラチュアップキリカンでは日本軍の上陸に関してさほど悪い記憶となっていないようだ。
記念碑にも誤解が解けて、双方が握手をしているレリーフが彫られているし、海岸通りの一本裏側には、日本歓迎みたいな飾り付けがされている。

ウエルカム
[これもインスタポイントなんだろう]

お母ちゃんはホテルのレストランが気に入ったようで、夕食もホテル内で食べる。
私はオールドパーをチビチビやりながら料理を摘まむ。
ホテルのレストランだけど、値段は手ごろのようで、地元の人たちで賑わっていた。
レストランのテラスからは夜の海が見えた。

2月15日、お母ちゃんと優泰にもかわいいサル、オナガザルを見せようとロムムアク山の麓へ行く。
手ぶらで行ってしまったが、サルたちにプレゼントをするフルーツを持ってくればよかったと反省。

オナガザル
[すっとぼけた顔がユーモラス]

昼は優泰がカオマンガイを食べたたいというので、ホテル周辺を歩いてみたけれどやっと見つけた店は、優泰が好きな鶏を揚げたカオマンガイが売り切れになっていた。
食堂には長期滞在をしているような西洋の年配者がいた。
以前からアジアの旅行者よりも西洋人旅行者が目立つ町だったけれど、ここにきて西洋人旅行者の数がずいぶん増えたようだ。
レンタサイクルに乗っている西洋人も多いし、家族連れも多い。
町中の食堂も英語のメニューを用意してたりする。

海岸通り
[海岸通りでは魚を干物にしていた]

午後もビーチで少し泳いだのだけれど、問題発生。
波は穏やかで遠浅なんだけれど、ちょっと油断していたら波に眼鏡を持ってかれてしまった。
深くないので、そこを探してみるけれど見つからない。
ビーチのデッキチェアにいるはずの優泰を呼ぼうとするが、声が届かないのか、なかなか気が付いてもらえない。
こちらもこの場所を動くと、眼鏡を落とした場所がわからなくなってしまうので、身動きもできない。

ようやく優泰が来てくれて探してみたけれど、すでに砂の中に埋もれてしまったのか、どこかへ流されたのか道蹴ることができなかった。

メガネがないと車の運転に支障が出る。
海から上がり、ホテルへ戻ってすぐに街の眼鏡店を回ってみるけれど、田舎町だからか、検眼はすぐにできるけれど、眼鏡はバンコクに発注するので届くのに数日かかるという。
パソコンなどを使う時にかける予備のメガネはあるけれど、これは遠くがぼやけて良く見えない。
翌日にはバンコクへ戻るけれど、車の運転は目が良く見えないので、スローで走らないといけなさそうだ。

2日続けてホテルのレストランで夕食を食べる。
海岸通り沿いにはタイ料理以外にギリシャ料理だとか、ちょっと変わった料理屋もあって、そんなところに入ってみたい気もするが、お母ちゃんが「ホテルの中でいいじゃん」と言い出したら、それに従うしかない。
こちらの意見を述べれば、せっかくの家族旅行中ずっと不快な思いをするだけ。

2月16日、3泊したキリチュアップキリカンを出発してバンコクへ向かう。
夜暗くなるとますます目が見えなくなるので、なるべく早くバンコクに着きたいと思っている。
帰りもペッチャブリに立ち寄り、ここの市場ではカオチェーと呼ばれるタイの冷やし茶漬けが名物らしいまで、チオチェーの店に入ってみる。

カオチェー
[カオチェー]

ジャスミンライスの冷や飯に氷水をかけただけのもので、冷蔵庫などなかった時代にタイの王族がシンガポールから取り寄せた氷を使って食べたという宮廷料理。
付け合わせのおかずは甘辛い佃煮のような小皿。
以前からお母ちゃんは冷やし茶漬けを「カオチェー」「カオチェー」と言って良く食べていたので、本物のカオチェーを食べさせてやりたいと思ったのだけど、席に着いたら「食べない」という。
「市場から魚の臭いがするので吐き気がする」のだそうだ。

ネコのイラスト
[ペッチャブリのストリートアート]

バンコクに近づいたところで優泰がバンコクでのホテルを変えたいという。
バンコクのホテルは優泰が「自分が予約しますからどこがイイか」と以前聞いてきたので、金銭的に負担にならないようコスパの高い王宮広場前のロイヤル・ラタナコシンが良いと希望を上げておいた。
既に予約済みなのだけれど、優泰がネットのクチコミを見ていたら評価が悪すぎるという。
せっかくなんだからバニヤンツリーで予約しなおすという。
バニヤンツリーとロイヤル・ラタナコシンでは値段が何倍も違う。
こちらは豪華なホテルに泊まりたいという希望などないし、ロイヤル・ラタナコシンは戦前からある老舗ホテル。
建物や設備が古くても、それだれ重厚感もあって私は気に入っている。
「いまさら変更なんてしないでほしい」と言って、そのまま王宮広場前のロイヤル・ラタナコシンへ車を回す。
そして、なにも案じることはなく、部屋は古いけど趣のある良い部屋だった。

まだ午後早い時間なので、私はバスに乗って戦勝記念塔近くのセンターワン・ショッピングセンターへ向かう。
このショッピングセンターにはたくさんの眼鏡店が入っていて、値段もバーゲンプライスらしい。
私が眼鏡屋に行っている間、お母ちゃんと優泰はセントラルワールドへ行ってくるという。

メガネは30分ほどですぐに作ってもらえた。
しかも、ひとつ1,000バーツもしない破格値なので、予備に二個目も作らせた。
以前スクンビット通り沿い、ナナ駅近くのメガネ・チェーンでレンズ交換だけしてもらったことがあるが、交換だけで5,000バーツも取られた。
それでもディスカウントのセールス価格だと説明された。

夕食はチャオプラヤ川沿いのクルア・クングンで食べることにしており、そこで優泰たちと待ち合わせることにした。
優泰たちはセントラルワールドから来るのに渋滞するからとトゥクトゥクに乗ってきたそうだけれど、行くときのタクシーは100バーツくらいだったのに、トゥクトゥクは500バーツも取られたと言っていた。

バンコクでの夕陽
[バンコクでの夕陽]

夕食後、カオサン通りを散策した。
私はケバケバしくてなんかノリノリになっている西洋人がウジャウジャしている場所が好きではないのだけれど、お母ちゃんはそうした場所に興味津々らしく、あっちこっちにカメラ(スマホ)を向けて写真を撮っていた。

2月17日、優泰が日本へ戻る日。
飛行機は夜なのでそれまで時間がある。
朝、お母ちゃんが牛乳を飲みたいというので、外へ買いにでかけたらば途中で雨が降りだしてきた。
2月と言うのに雨が降るなんて珍しい。
ホテルの裏は、王宮が近いというのになぜか貧民街のようになっていた。
そんな中のコンビニで牛乳を買う。

昼食は優泰が子供の頃に連れて行ったキングパワー免税店のバイキングが思い出に残っているので、そこへ行こうと思って予約してあるという。
しかし、私の記憶ではコロナ以降キングパワー免税店のバイキングは再開していないはず。
その代わり、空港近くに中国人向けの大きな免税店を作って、そちらで団体観光客用のバイキングをやっているはず。
そして、優泰が取ったという予約をよくよく確認してみると、キングパワー免税店ではなく、その隣にあるプルマン・キングパワーホテルのバイキングであった。
車をプルマンの地下駐車場に回して、地階のバイキング・レストランに入る。
高級感があるのだけれど、料理の方は大したことがない。
子供の頃の優泰がキングパワーで驚喜したチョコレートフォンジュもない。
お寿司コーナーもあるけど、日本人向けではない。
ここで私が美味しいと感じたのは残念ながらパンとチーズだけだった。
お会計は優泰が払ってくれたけれど、免税店のバイキングと比較して倍以上の値段だったようだ。

優泰が日本へ帰ってまたアパートでお母ちゃんと二人になる。
そろそろ私も日本へ引き上げる準備をしなくては。
お母ちゃんは2月末の飛行機で釜山へ帰り、私は3月1日の飛行機を予約してある。
その戻るにあたり、18年前にバンコクで暮らすことになった時に日本から持ち込んだ家具類を日本へ送り返す作業があった。
大物はテーブルとイス、そして自転車。
自転車はまだしばらくバンコクに置いておくとして、テーブルとイスは新婚当時から使ってきたもので、気に入っているし愛着もある。
費用を最小限に抑えてどのようにして運ぶかを研究したところ、テーブルは天板と脚部に分解して船便で送ることにした。

バラバラにしたテーブルと椅子を郵便局へ持ち込んで、局内の業者に梱包してもらう。
テーブルと椅子をひとまとめにして送りたかったのだけれど、サイズがオーバーとのことで天板など大きなものだけ送り、残りは次回帰国するときに飛行機の預け荷物として持ち帰ることにする。
梱包と送料で結構いい値段になってしまった。

船便用梱包
[日本まで通常1か月くらいとのこと、ちょうどよい]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=27 |
| 日常 | 06:28 AM | comments (0) | trackback (0) |
定年退職までの日々
もう前回のアップから数か月も過ぎてしまった。
現在は日本にいて、そして半年前のことを写真を見ながら思い出して書き留めておくことにする。

台湾旅行から戻って、バンコクでの勤務。

バンコクの夕焼け
[オフィスから夕焼けが見えた]

メモも取ってないし、勤務時のメールや行動記録は退職時に消えてしまったか、アクセスができないようになっているので、写真に残っているものからしかいつどこへ行っていたかもわからない。

たぶん、台湾から戻って一週間後の12月26日頃はピサヌローク支店におり、ツアーでカンペーンペットへ行っている。

カーオクルックガピ
[カーオクルックガピ]

この日はカンペーンペット、メーピン川対岸ナコンチュム地区のバーンリムナームと言う食堂で昼食となっており、私はカーオクルックガピを注文して食べている。
なかなかきれいな盛り付けで、卵の薄焼きはまるで黄色いバラのように作ってある。

ガピというタイの塩辛を混ぜ込んだご飯で、独特の臭みがあり、慣れないと食べ難いかもしれないけれど、私は大好き。
それにもともとお子様ランチみたいな盛り付けがもともと好きなので、こうした演出は嬉しくなる。

黄色いバラ
[卵の薄焼きでできている]


そして、その日はスコータイ遺跡近くにあるパーサータイという安宿にピサヌロークのスタッフたちと泊まり込んでいる。
泊まり込んだのは翌朝はみんなスコータイ遺跡でのツアーを担当していたからだけど、あわせてスタッフと忘年会を持った。

会場はスコータイ新市街にあるタオフーンという食堂。
このあたりではピザが美味しいということで評判らしい。
しかし、スタッフ二人と私の三人、あんまり盛り上がらない。
スタッフはただ無言で食べるばかり。
そして、お会計をする段になって、スタッフは追加でハンバーガーやポテトなどの料理を注文した。
まだ食べる気なのかと聞いたら、明日の朝ごはんにするから持ち帰るという。
自分の財布が痛まないとなると、何でもOKというのがタイの田舎ではまかり通るらしい。

ワットマハタート
[赤い睡蓮が咲く、ワットマハタート前の池]

アルコールを飲まないスタッフとでは私が一人でバカ飲みするわけにもいかず、おかげで二日酔いにもならずスコータイとシーサッチャナライのツアーをこなすことができた。

霊力のある石
[シーサッチャナライで売られているサイコロのような石]

この石はカーウトークプラルアンと言うらしく、私にはよくわからないのだけれど、何かの鉱石のようで、土地の人によると霊力があるのだそうだ。
一種のお守りなのだろうか?

12月28日にはバンコクへ戻り、バンコクでの仕事納め。
しかし、年末年始はまたピサヌロークでツアーがある。
タイも年末年始は故郷へ帰省する人たちでバンコクからの道路が大渋滞する。
故郷に帰ろうとする人たちは、渋滞しても先に楽しみが待っているから苦でもないかもしれないけれど、こちらは仕事。
渋滞の中でピサヌロークまで車を運転するのは勘弁してほしいので、汽車で向かうことにする。
その切符を取るのも難しかったけれど、なんとか12月30日の臨時列車のような汽車の切符を確保できた。

夜行列車
[バンコク発チェンマイ行き]

バンコクを夜出発する夜行なので本当なら寝台車に乗りたかったが、取れた切符は二等の座席車。
車両は臨時だからだろうか旧日本国有鉄道の中古車。
14系と言ったかな、日本でも団体臨時列車とかに使われていた車両。

日本語表記
[くずものいれ]

ところどころに日本語の表記が残っている。
しかし、車内の座席は真っ赤なビニールレザーだったりして、日本の車両とはイメージが変わっている。
そしてやたらとエアコンを利かせていて、車内は寒くてしょうがない。
ピサヌロークに着いて降りたときにはメガネが真っ白に曇ってしまうほどだった。

寒い
[ほかの乗客も寒くて頭から毛布をかぶっている]

12月31日、夜明け前にピサヌロークへ到着してそのままオフィスに入って、少し仮眠をとる。
そして、朝6時半には車が迎えに来てスコータイ空港へ向かう。

ツアーの内容は簡単なものだけれど、拘束時間がやたらと長く、終了はニューイヤー・カウントダウン後の午前零時過ぎとなっている。

本当は短波放送のラジオで年末の紅白歌合戦でも聞きたかった。
こんどの紅白では私が中学生時代に熱狂していたキャンディーズのランさんが何十年ぶりかで紅白のステージで歌うというのだから、どんなことになるかと楽しみにしていたけれど、ツアーでお流れとなってしまった。

夜のスコータイ遺跡
[スコータイ遺跡はライトアップされている]

コムローイ
[歴史公園前のワットトラパントーンではコムローイを上げることもできる]

スコータイのカウントダウンは遺跡から少し離れた貯水池の中にあるハート型の島で行われた。
ここでもいろいろなアトラクションが行われていたようだけれど、日本人がわざわざ来て楽しみたくなる内容ではなく、まったくローカルなお祭りだったけれど、花火だけは見ごたえがあった。

ハート島のカウントダウン
[打ち上げ花火が最大に上がった]

年明け一番のツアーはまたカンペーンペット遺跡。
そして昼食はバーンリムナーム。
この食堂で黒猫に出会うことができた。
ここのネコなんだろう。

黒猫
[バンーリムナームの黒猫]

ビロードのように美しい毛の艶をして、私のネコによく似ている。

1月2~3日もツアーにー出る。
これが私が在職中最後のツアーとなった。
カオコーへ行き、スコータイも案内すると言った定番ツアー。
トラブルもなくこなす。

3日の晩は、ナーン河沿いの食堂で夕食。
川沿いのナイトマーケット取り壊し後も、たった一軒残ってゲリラ的に営業を続けていたルンチュアイの店。

ルンチュアイ
[仮設店舗のルンチュアイ]

しかし、張り紙がありこの店も最終的に立ち退きに合意したようで、移転の案内が張り出されていた。
ピサヌローク支店をオープンしたばかりのころは、ここに何軒もの食堂が並び、夜になるとたくさんの人たちで繁盛していたものだ。
私はその中でも「空飛ぶ空芯菜の店」が特にお気に入りだった。
ルンチュアイの店は空飛ぶ空芯菜の店と比べると格段に味は落ちるけれど、川沿いのオープンな雰囲気は残っていて、この一年くらいはピサヌロークへ行くたびに利用していた。

ナイトマーケット跡
[更地となったナイトマーケット]

この店はなぜか料理にネギを使わない。
チャーハンを注文してもネギが入っておらず、ネギを入れてほしいと注文したら、ネギの代わりに玉ねぎを刻んで入れてくれてた。

ルンチュアイでの料理
[定番料理]

いつも私がテーブルに着くとビアチャーンを持ってきてくれる。
そして私が注文する料理は、長なすフライのヤム。
他の店でこの料理を見たことがないから、この店のオリジナルなのかもしれない。
ナスの天ぷらにヤムのタレを和えて食べるもので、なかなか美味しかった。

ナイトマーケットのネコ
[テーブルを回って食べ物をねだるネコ]

もともとこのあたりには何匹もの野良猫たちがいて、食べ物のおすそ分けをもらっていたが、どんどんと店が立ち退き、ネコたちの数も減っていた。
これからこのネコはどこで食べ物をもらっていくのだろうか。

ワットサンプラーン

1月6日はオンラインツアーでバンコク近郊のワットサンプラーンからの生中継。
今年は辰年ということで、アジア各国からドラゴン関連の特集が組まれていたタイからはこのワットサンプラーンが選ばれて、私が担当することになった。

ワットサンプラーンはまだあんまり日本人には知られていないけれど、円柱型をしたピンク色の塔の周りに竜が巻き付いているといった構造。
なかなか迫力がある。

龍
[真下から見上げると竜の頭が良く見えない]

この竜の胴体は空洞になっていて、その中を歩くと塔の上へと登っていけることになっている。

胴体内
[胴体内に窓はなく、ところどころに電灯があり、仏教の教えのような標語が吊るされている]

タイ人の参拝客は息を切らしてゼーゼー言いながら登って来る。
西洋人の観光客も登って来る。
標語の中に"Immortal Eenal Love"と書かれたものがあった。
私の英語力ではこれがどういう意味か解らなかったので、登ってきた西洋人に聞いてみた。
しかし、彼らにもわからないという。
Eenalなんて単語知らないという。
たぶん、Eternalの間違いなんだろうという結論に達した。


塔の上

ワットサンプラーン周辺はターチン川に近い平坦なところ。
塔の上からは周囲の広さがよく解る。

龍の頭
[上まで登ると龍の頭があるけど、ドローンなどで空中撮影でもしないと龍の全体像は確認できなさそう]


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10月から12月まで
前回の日記が10月の初めの部分で、それ以降ずっと更新していなかった。
怠慢もあるけど、日記を書いている余裕もなかった。
仕事も忙しかったし、仕事以外でもバタバタしていた。

前回書いたのが日本への一時帰国のことだったけれど、その後10月末から11月にかけてと、12月にも一時帰国をしており、一時帰国のことを日記に書くとしても、毎回同じようなことを書き連ねるマンネリの反復になるのは火を見るより明らか。

日本へ2往復しただけでなく、タイ国内も飛び回っていた。
広いタイ国内を「飛び回った」と言っても飛行機で移動していたわけではなく、車を運転したり夜行バスに揺られたりの、地上を這いまわっていたわけで、本当に疲れてヘトヘトになるような2か月間を過ごしていた。
そんなヘトヘトの日常の中から、私の衰えた記憶力ではもう思い出せなくなってしまった部分をスマホに残る写真から抜粋してみようと思う。

10月07日
バンコクからピサヌロークへ行く途中、チャイナート県とウタイタニ県に立ち寄る。
立ち寄った目的は、月内に予定しているオンライン・ツアーのリハーサルのため。
コロナ禍で日本からのツアーが止まってしまい、この穴埋めと言うか、旅行の延命みたいな形でオンラインツアーを担当してきたけれど、コロナが終わってもまだオンラインツアーは続いており、私もタイの宣伝みたいな感じで引き受けている。
10月はオンライン番組を2本担当しており、初めての中継場所のため下見を兼ねて訪れたのがチャイナート県のソムオー(ポメロ)農家とウタイタニ県のワットタースン。

ソムオー
[巨大なソムオー]

この巨大な柑橘がソムオーで、最近は日本にも輸出されてポメロと呼ばれているらしい。
ここの農家で栽培されている品種期はカーウテンクワーという種類で、日本語に訳すと"白いキュウリ"。
なんだか変な名前だし、なんでキュウリなのかわからない。
味は酸味がないのだけれど、全体的に味が薄い。
私の好みは酸っぱくても濃い方が好き。

100メートル礼拝堂
[100メートル礼拝堂]

ソムオー農家から続けて訪れたのがウタイタニ―県のワットタースン。
ここは"ガラスのお寺"などとも在タイの日本人に呼ばれているお寺で、礼拝堂内部はガラスと言うより鏡のお部屋。
そしてクリスタルだらけの空間が広がっている。
そんな煌びやかな礼拝堂だけど、巨大で建物の長さは100メートルもあるそうで、タイ語での名前も100メートル礼拝堂を意味する"ウィハーンローイメート"。
バンコクから日帰りのツアーを募集している旅行会社もあるようだ。

ワットタースーン
[黄金仏]

このお寺は先代国王であるラマ9世とも因縁の深い寺院らしく、黄金の仏像の前にはラマ9世が出家して僧籍にあった時の像が置かれている。
こちらもキンキラ金の像になっている。
また、黄金仏の反対側には先代の住職の像があり、さらにそのミイラも安置されている。
タイではミイラを礼拝堂に安置しているところが多いけれど、こんな暑い土地でどのような腐敗対策をしているのだろうか。


10月09日はカオコーへツアーで行っている。

五連仏
[ワットパーソーンゲーオの五連仏]

そろそろ雨期明けも近いけれど、まだ雲も厚い。
この雨雲も、見た感じそんなに悪くない。
でも雨期は雨が降ることが多く、ワットパーソーンゲーオ境内は靴を脱がなくてはならず、うっかり靴下をはいたままで歩くと水溜まりで靴下を濡らしてしまう。
もっとも私の靴は底に穴が空いているので、靴を履いていても靴下は濡れる。

ピノラテ
[ピノラテカフェ]

ワットパーソーンゲーオの次はツアールートお定まりのピノラテカフェ。
ここの食べ物飲物の値段が私の懐感情から見ると破廉恥に高い。
それでもいつも満員の盛況。
何も食べなくても写真だけ撮りにやってくる人たちも少なからずいるようだ。
そんなピノラテには看板ネコがいる。

チャータイ
[チャータイ]

このネコの名前はチャータイ。
Thai Milk Teaの意味で、タイのミルクティーはオレンジ色をしている。
ここはカフェということもあり、カフェのメニューでネコの名前を付けているようだ。
ラテというネコは薄い茶色のネコ。
カメリカーノは黒猫だったけれど、車にはねられ半身不随となり、手厚い介護を受けていたけれど先年死んでしまった。
そして、このチャータイ。
まだ若い雄ネコ。

10月19日にはピサヌロークからチェンマイへ向かう。
途中、11月のツアーで利用する予定の食堂を下見する予定にしていた。

本日休業
[キノコ村の食堂]

しかるに、スタッフがアポイントを取っておいたという食堂へ来たらば門が閉まっており、「本日休業」の札が出ている。
食堂のオーナーへ電話を入れてみたが、「アポイントなんて知らない」という。
本当にスタッフがアポをとっていたかどうかも怪しいので、スタッフへ「どうなっているのか」と確認させた。
その答えが、「今日は病院へ行くから店を閉めた、それにもともと小さな店で団体客はお断り」と言われたという。
まったくもって、どうなっているんだか。
それでもツアーでの昼食場所を探さなくてはならないので、あれこれ調べて10キロほど先に適当な店を見つけて、そのままそこを予約してしまう。

10月20日、チェンマイへは1泊して翌日にはランパーン経由でチェンラーイへ向かう。
バスの便でもランパーン経由でチェンマイとチェンラーイを結ぶ路線があるが(今はないかもしれないが、かつてはあった)、これが物凄い遠回り。
倍以上の距離となってしまう。
しかし、ランパーンで下見をしておかなくてはならない場所がいくつかあった。
その中のひとつがランパーン・タイ象保護センター

外国人料金
[ゾウ乗り料金表]

ここはタイの国が運営している施設で、ゾウのショーやゾウ乗りなど観光客目当てのアトラクションがある。
しかし、入場料もそうだけど、ゾウ乗りでも外国人料金が設定されている。
タイ人ならゾウ乗り200バーツなのに、外国人は400バーツと倍額。
タイではよくあることで、タイ人料金は外国人にはわからないようにタイ語で、ご丁寧に数字までタイ数字で掲載している。
タイの外国人料金、国立公園とか歴史公園とかは数倍の差が設定されているから、倍額なんて可愛いものかもしれないが、この手の外国人料金と言うのはタイ政府が率先して導入しているようだ。

ゾウ保護センター
[ゾウのショー]

かつてはここでの象のショーは毎日3回くらい上演されていたけれど、現在はお客が少なくなって1日1回だけ。
この日の上演では外国人の姿は皆無だった。
ショーの内容も数百バーツ払って見るほどの内容ではなく、とても間延びした30分だった。
最近は動物保護団体からの圧力もあり、ショーの演目も限られているからなんだろうけど、演目が減っても値下げはしないようだ。


カオソーイ
[ランパーンでカオソーイ]

クンターン峠を越えたところにカラという名前の洒落たカオソーイ屋がある。
ここもツアーで使おうとアポを入れてあった。
こちらはアポはちゃんと伝わっていたが、店が人手不足のためか急がし過ぎて、アポイントは入っていても対応できないから勝手に見てくれよってことになった。
そして、しっかり試食もしてみた。
盛り付けや味の方は問題なし。
ただし、人手不足で注文から配膳までに時間がかかりすぎる。
とくに店でお勧めとなっているカフェ系のドリンクは一杯一杯にすごく時間がかかっている。
改善の余地たくさんだけど、ツアーでは事前にオーターして準備してもらっておくより仕方ない。
麺類だから、あんまり早く用意されて麺が伸びきったり、スープが覚めてしまう心配もある。

この食堂、勝手に見て回ったら、ここでも二重価格を発見。
メニューが2種類あり、観光客向けの写真入りメニューは、地元の人向けのメニュー価格より5割くらい高い設定になっている。
これは別に外国人料金と言うわけではなく、いかにもチェンマイからの帰り道に立ち寄った感じのタイ人観光客にも観光客用メニューが配られていた。
私が試食したカオソーイも119バーツの請求だった。
ちなみに地元の人向け価格は79バーツ。

10月21日はゴールデントライアングルでコムローイのイベント。
会社で毎年実施してきているイベントだけど、まずまず好評で、今年は3月に続いての2回目の催行。
毎度だいたいおんなじ手順なので慣れたものです。

コムローイ
[ゴールデントライアングルの夜空へ飛んでいくコムローイ]

10月29日、オンラインツアーの本番。
しかも、ダブルヘッダーまで組まれている。

最初はガラス寺の異名を持つワットタースン。
寺院の礼拝堂内からの中継で、「神聖な場所だから静粛に」とつまみ出されるのではないかと心配もしたけれど、私以外のタイ人たちもみんなキャーキャー言いながら礼拝堂内で写真を撮り合っており、私の中継など問題にもされなかったようだ。
そしてそのまま同じくワットタースンにあるゴールデンキャッスルと呼ばれる建物へ向かった。

ゴールデンキャッスル外観
[ゴールデンキャッスル]

このゴールデンキャッスル、バンコクのロハプラサートによく似ている。
とくに以前のロハプラサートは真っ黒で、アイアン・キャッスルなどと呼ばれていたけれど、何年か前に金色に塗り替えられたので、ますますよく似ている。
このゴールデンキャッスルの2階へ登れるようになっているのだけれど、今回初めて足を踏み入れてみた。
内部はとても豪華な展示ホールだったけれど、その裏側がまた鏡の部屋になっており、そこへ黄金の仏像が並んでいるものだから、向かい合った鏡に映った黄金仏が、何重にも重なりとても神秘的な景観になっていた。

ゴールデンキャッスル
[タイ人と言うのは、こんなことをよくも考え付くものだ]

10月31日
忙しい合間に5日ほど休みをとって日本へ一時帰国。
飛行機の乗り継ぎの関係で、台北にストップオーバー。
時間があったのでバスに乗って桃園の駅前まで行ってみる。

桃園市街
[オレンジ色の自転車はレンタサイクル]

桃園の街まで行ったものの、何も食べず、ただ街の雑踏を少し歩いただけ。
台湾の田舎町もどんどんと変わっている。

ラウンジの朝食
[ラウンジでいただく朝食]

台北で乗り継ぐ便は翌朝なので、空港内で夜明かしし、朝になってラウンジで朝食をいただく。
エメラルドメンバーになってからラウンジでの対応も変わって、いままでの朝食が芋粥だったのに対して、ここでは海鮮粥にアップグレードされている。
しかもバイキングのセルフサービスではなく、テーブルまでお膳で運んできてくれる。

11月04日
日本での滞在は実質中2日間だけだったけれど、ラビットスクーターの調子も良く、天気にもまずまず恵まれていた。
そして、帰りの飛行機の窓からは富士山も眺めることができた。

富士山
[頂上付近に少し雪をかぶっているのが見える]

11月11日にもカオコーへ行く。
これは仕事ではなく、コロナ中に退職して日本へ帰ってしまった同僚が、タイへ遊びに来てワットパーソーンゲーオへ行ってみたいとのことだったので、同行する。
その元同僚から、タイでも15年働いていたら年金もらえるよとの情報をもらう。
いまの職場での勤務は12年だけど、前の職場で3年は働いたので、合計すれば15年になりそう。
月々の年金額は微々たるものだけれど、1年分まとまれば日本からタイまでの航空券代くらいにはなりそう。
さっそく私が何年間年金をかけてきたのか調べてみることにする。

チャータイ
[ピノラテカフェではまたチャータイに出会う]


11月16日
またまたバンコクから車を運転してピサヌロークへやってきた。
そのピサヌロークで京都市カフェなるものを発見。
日本の街角をイメージした小さなテーマパーク風のカフェで、一昨年くらいにチェンライにオープンして盛況だという話は聞いていた。
それが繁盛して、現在ではタイ全土で10店舗くらい展開するほどになっているそうだ。
もっとも、バンコクにはまだ店がなく、地方都市ばかり。

京都市カフェ・ラーメン屋
[京都市カフェのラーメン屋]

このピサヌロークの京都市カフェ、ラーメン店もやっている。
この建物がラーメン店なのだけれど、ラーメンはこの建物ではなく、カフェの方で食べてもらう仕組みらしく、ここでは調理だけが行われていた。
ただ、その調理の段取りが悪くて、茹であがった麺をドンブリに入れてから、トッピングまで終わらせて配膳係に送るまで5分近くかかっている。
麺も伸びきって、スープも冷めてしまいそうだけれど、タイのラーメンしか知らない田舎の人には、伸びたラーメンやぬるいスープはクレームの対象にならないのだろう。

京都市カフェ
[クリスマスと雪も演出]

11月18日、スコータイのロイクラトンフェスティバルの初日。
ツアーの方も大入り満員。
しかし、イベントのスタッフもウチのスタッフの動きが悪くて、イライラすることが多くて、精神的にきつかった。
フェスティバルで上演されたショーは久々の有料でのショーとなった。
コロナ中は自粛されたり、急遽開催が決まって無料ショーにしたりといろいろあったけれど、これでまた今まで通りの運営になるかと期待した。
そのショーだけれど、大筋では以前とおんなじ展開なんだけれど、なんか見ていて間延びしている感じがする。
私が何度も見てきているから、ちょっと飽きていることもあるのだろうけど、以前のショーのシーンを思い返してみると、3割近くシーンが削られているように思える。

スコータイ・ロイクラトン
[ゾウの戦闘シーンももっと派手にアクションが続いたはずなんだけど]

ライトアンドサウンド
[クライマックスとも言える場面でも、花火が小さく数も少なく感じた]

シーンを削ったからか、場面展開が遅いので、それだけ間延びした感じを受けたんだと思う。
ショーのチケット代は以前とおんなじ1,200バーツ。
この数年間の物価上昇でも値上げしなかったから、コンテンツを減量したのかもしれない。

コムローイ
[ショーの終わりにはコムローイ体験も]

ショーのあとにはコムローイをあげられることができる日もあった。
今回は11月18日から26日までの間に4回もショーを見る機会があったけれど、コムローイを上げることができてたのはそのうちの2回だけだった。
どういう基準で上げさせたることを決めていたのだろう。
それと、コムローイは1つ200バーツ徴収していた。
以前は無料だったように記憶している。

コムローイ@スコータイ
[ショーのなかでは毎回夜空にコムローイが放たれていた]

11月27日、この日はチェンマイのイーペン祭でコムローイ。

コムローイ@チェンマイ
[イーペンのコムローイ]

チェンマイでは数千人が集まってコムローイをあげるから迫力がある。
でもこのイベントの参加料金はとても高いので、外国人しかいない。
私がツアーで行った会場はイベント参加者の大半が日本人だった。
コムローイは良かったけれど、イベントの運営はイマイチだったようで、事前に懸念して主催者に伝えておいたことが、一つも反映されていなかった。

11月28日チェンマイからの帰り道、ランパーンの陶器博物館へ立ち寄る。
外国人は100バーツの入場料がかかるけれど、それなりに面白い博物館で、タイ語ながら案内も付く。
ランパーンはニワトリが描かれた陶器で有名だけれど、このニワトリの絵柄、ランパーンがオリジナルではなく、もともとは100年ほど前に中国から移民してきた華僑が持ち込んだものであることを学んだ。

ランパーン陶器博物館
[巨大なドンブリを前にアホなポーズ]

11月30日、ピサヌロークのラチャパット大学で講義を依頼されており、大学へ向かう途中、お堀沿いを走っていたらピンク色の睡蓮がとても綺麗に咲いていた。
これだけ綺麗なら観光名所になっても良さそうな気がする。

ピサヌローク睡蓮

12月03日、やっとバンコクのアパートへ戻る。
この1か月近く、ほとんど夜もろくろく横になって寝ることもできないような毎日で、体力を使い果たしてしまっていた。
でも、もうこれでほとんどお終い。
部屋の中にクリスマスツリーを今年も飾る。

クリスマスツリー
[ツリーの電飾、半分は点灯せず、残り半分は点滅せず]

12月06日からまた日本へ一時帰国。
今回は日本からタイへ戻る途中で台湾に1週間ほど旅行した。
そのことはまた別に書くとして、
バンコクから台北への飛行機の時刻が大幅に変わって、朝8時過ぎの便が、午前3時過ぎになってしまった。
そのぶん早く成田に着くのは良いけど、時間がけたたましい。
前夜最終のエアポートリンクで空港へ向かおうとアパートからラムカムヘーン駅まで30分かけて歩いていったものの、駅では終電を待たずにエレベーターが止まっており、重たい荷物を担いで登ろうかと迷っているうちに終電に乗り遅れてしまった。
せっかく歩いてきたのに、タクシーで空港へ行かなくてはならなくなった。

富士山
[夕焼け空と一緒に富士山が機装から見えた]

5時間も早くバンコクを出発したけれど、成田に到着したのは日没後になっていた。
そして、東京での数日は晩秋を感じさせる天気が続いていた。

イチョウ
[小平霊園脇のイチョウはたくさんの黄色い葉を散らしていた]

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