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2019年のピーターコン
7月5日(金)~6日(土)

今年もピーターコン祭りに行ってきました。
以前と比べて、村祭りから観光客相手のイベントにシフトしてきている感があるけれど、致し方ないことなのだろう。

ピーターコン
[ピーターコンに扮してみました]

初日の5日は、下見的な目的でルーイ県のダンサイ村へ自分で車を運転して向かう。
バンコクからとピサヌロークからもスタッフを一人ずつ連れていく。

去年のピーターコン・ツアーで、いくつもの問題点があることを確認していたので、それを今回の下見である程度潰しておきたいと思っている。

問題点とは、いずれも小さな山奥の村に、たくさんの観光客がこの時だけ集まってくるわけだから、受け入れ態勢が問題になる。

食事場所、トイレ、駐車場。
さらには、イベント会場やスケジュールなど、、。

ピサヌロークからダンサイまで150キロ、2時間半ほどのドライブ。
しかも、ほとんどが山道の連続。

ダンサイ村でまず入手したかったのは、ピーターコン祭りのプログラム。
ダンサイ村に到着して、昨年のメイン会場だった学校へ行ってみたが、今年は学校でのイベントは組まれていないのか、ステージもなにもセットされていなかった。
当然、イベントの事務局などもない。
ただ、学校の前の通り、ここは昨年は歩行者天国となり、山車が出たりやピー(オバケ)たちが練り歩いていたりしていた場所なのだが、ステージが作られていた。
そのステージの設営作業を監督している女性に、イベントの事務局の場所を尋ねたところ、ピーターコン博物館にあるとのことで、そちらへ向かう。

しかし、イベントの事務局で得られた情報は、大したものではなかった。
プログラムもタイ語で書かれたものだけ。
昨年は「国際仮面舞踊ショー」として、韓国の河回村などから参加していたが、今年は近隣国からだけで、しかも小規模な参加のようである。
メイン会場と言うもの特になく、会場を分散させているというのも、盛り上がりに欠けてしまう原因となりそうな気がする。
初日は大きなパレードとかもなく、祭り自体もなんとなくボンヤリした感じがする。
しかし、明日は午前10時より村のメインストリートでピーターコン・パレードが行われることだけは確認できた。
実際に、このパレードが見られれば、あとは儀式やコンテストなどは、あんまり興味の対象ではない。

トイレは、仮設トイレなどの対策はとられていないようで、祭りの期間中、商店や民家もトイレを使わせてくれることになっているというが、タイ人ならいざ知らず、日本人が地元の民家でトイレを借りるというのは、ハードルが高そうだ。
使えそうなトイレは、村の市場近くにある有料トイレ(3バーツ)と博物館がある寺院内のトイレくらい。

食事場所として、こんなダンサイ村にも日本食の店があることを先日ネットで見つけた。
さっそくそこへ調査と称して行ってみる。
店は国道脇の路地を奥に入ったところで、ちょっとわかりにくい。
しかも、普通の民家の軒先にテーブルを並べたような簡易食堂。
名前は「くまモン亭」。
うーむ、いかにもパクリのタイ人気質が漂ってきそう。

くまモン亭
[普通の民家の軒先での営業です]

しかし、意外なことにオーナーは初老の日本人男性であった。
脱サラで、山奥の田舎暮らしが性に合っているとかで、こんなところに住み着いているのだとか。
できますものは、
カツ丼、親子丼、うどん、カレーライス、焼き魚、スパゲティなど。
タイの日本食屋によくあるラーメンとか寿司はなさそうである。

メニュー
[どれも100バーツ前後とお手頃価格です]

さっそく注文したのは、カツ丼。
ピサヌロークのタイ人スタッフにカツ丼を食べさせてみたいと思っていたからである。
私は、カツ丼が大好きである。
甘辛、ちょっと濃いめのタレが染みた、カツのコロモと玉子の絡み具合など、想像しただけでよだれが出そうである。
値段は90バーツ。

くまモン
[くまモンの認定を受けているお店だとのこと]

出てきたカツ丼は、味噌汁やサラダなどとセットになっていて、丼などの器も陶器、安直なタイのなんちゃって日本食屋よりしっかりしている。
それに、ボリュームも日本のカツ丼とほぼ同じレベル。
大いに期待して箸をつけたのだが、残念ながら、味は期待値が高かったせいか、がっかりものであった。

カツ丼
[見かけは美味しそうなカツ丼です]

全体に薄味、いや全然味付けがされていない。
出汁も聞いていない。カツを卵とじで煮込む際に、水だけしか入れてなかったのではないかと思われるような味。
この卵とじのカツ丼にトンカツ・ソースをかけて食べることになった。
ソースカツ丼のような感じだけれど、水っぽい。
せっかく、タイ人スタッフにカツ丼の旨さを経験させたかったけど、裏目に出てしまったようだ。

この食堂にはたくさんのネコたちがいた。
生後ほどない仔猫もいたりして、ネコたちにとっては楽しい環境らしい。
ネコを追いかけて写真を撮るのも楽しい。

ネコ
[つぎつぎにネコがやってくる]

ネコと遊んでいるうちに、雨が降り出してきた。
明日の本番で、雨になったら雨宿りする場所も確保しなくては、、、。
やはり、手っ取り早くこの食堂を紹介しておくのが無難かもしれない。

そんなことを考えていたら店のオーナーがコーヒーをごちそうしてくれた。
タイで飲むコーヒーとしては、まずまずの味で、日本のファミレスと同じくらいのレベルだから、たぶんこの村で一番おいしいコーヒーなんだろう。

親猫
[まだ若そうに見えるけど、仔猫の親だそうな]

雨がやんで、ふたたびメインストリートを歩く。
まだまだピーも観光客も少ない。
ピーターコンのお面を貸し出して写真を撮らせるサービスがあった。
お面の頭の部分には"CP"としっかりスポンサーのロゴが描かれている。
なるほど、SNS好きのタイ人たちは、喜んでこの仮面かぶって写真を撮り合ってSNSにアップするだろう。
スポンサーとしては、労せずして広告効果が得られるのだろう。

ピーターコン広告
[CPはタイの畜産会社]

ピサヌロークからダンサイ村へ向かう道の沿道で塩を売っているのが気になっていたので、帰り道で立ち寄ってみる。
塩を売っている老婆に、この辺りに塩井戸があるのかと尋ねたら、少し戻ったところから川沿いに入ったところだと教えてくれた。
山奥の村で、車で乗り入れていくと、村の人たちの視線を感じてしまうほどだ。
塩井戸の場所がよくわからず、ウロウロして、なんとか塩井戸の立て看板を見つけたけれど、塩井戸らしいものが見当たらず、あきらめて帰ることにした。

しかし、ちょっと未練があり、近くの民家の人に聞いてみた。
「大きなタマリンドの木があるところだよ」と教えてくれたので、その場所へ行ったが、やはりさっきの立て看板のところであった。
こりゃダメかと思い引き返そうとしたら、先ほどの人がバイクで追いかけてきて、井戸の場所を教えくくれた。
雑草が生い茂る原っぱの中に、湧水が湧いているところがあり、そこが塩井戸なのだそうだ。
今の季節は、雨や川からの水が入り込んだり、塩分が薄くなっているが、1月から5月にかけて塩をこの井戸から汲んだ塩水で作っているそうだ。
村の人にとっては神聖な場所らしく、井戸の周りでは脱帽で裸足にならなくてはならないそうだ。

塩井戸
[この女性が親切に案内してくれた]

帰り道で、最初に道を尋ねた老婆から塩を一袋買う。
20バーツ。
塩が入ったビニール袋の中にはアリも一匹入っているのが見えた。

塩井戸の村
[水牛が遊ぶのどかな山里]

翌、7月6日。
ツアー客を引率して大型バスでダンサイ村へ向かう。

昨日と打って変わって、村全体がはじけている。
観光客がごまんと繰り出し、ピーもウヨウヨ。
ダンサイ村に到着した時がまさにパレードの出発のタイミングとぶつかり、メインストリートは人で埋め尽くされている。
パレードの先頭の方は、整然とした山車と着飾った人たちの行進だけであまり面白くない。

パレード
[ピーターコン祭りのパレード]

ピーもあまりいないのだけれど、後ろの方になると、だんだんピーの含有率も高くなり、ピーのスタイルとかも過激になってくる。
良く知られたピーターコンのお面を被ったピーだけではなく、ハリボテや水牛、泥人形と入り乱れている。
これらのピーとの記念写真を撮ろうとする観光客も入れ乱れて、パレードはほとんど前進することなく、ただの大騒ぎになっている。

メキシコのピー
[メキシカン?]

それと踊るピーもたくさんいるので、巨大なスピーカーをいくつもトラックの荷台に積んだサウンドカーもやってくる。
これがうるさいのなんのって、鼓膜どころか、肺に響いてくるほどの音量でディスコ風の音楽を掻き立てている。

正装ピーターコン
[ピーターコンらしいピーターコン]

さて、このピーターコンのお祭り騒ぎ。
日本人の体力では、数時間もはしゃいだらへばってしまいそうなところ、彼らは疲れなど知らないらしい。
中には、酔いつぶれているピーもいたりはするが、みんな陽気なピーばかり。
でも、こちらはそろそろ歩き疲れてきたので、やっぱりこの手のお祭りは半日も参加すれば十分なんだろう。

泥人形
[こうしたノリは日本ではあまりないんじゃないかな]

お昼ご飯は村の中で見つけたタイラーメンのバミーを食べさせる店に入った。
もうお昼時も過ぎた時間だったけれど、店内は満席で、一人だったので何とか相席で潜り込むことができた。
バミーはちょっと茹で過ぎであったけれど、食にありつけただけで幸運。

バミーナームサイキオ
[タイのワンタンメン]

この祭りに出ている屋台は、圧倒的に食べものや飲み物が多く、続いて村人たち相手の生活必需品、そして土産物といったものが多く、私も土産にステッカーを1枚買った。
ただし、ピーターコンとは関係のないステッカーである。

Cat in Car
[気に入ったの゛早速マイカーに貼ってみました]

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ミャンマー日帰り
6月25日 火曜日

ミャンマーで調べることがあったりして、ピサヌロークから車でメーソットへ向かう。
日帰りなので、早朝の出発。
自分で運転していくのは、メーソットまでで、メーソットの空港には別に手配をしたバンが待っていて、国境を越えたミャンマーのミャワディまで運んでくれることになっている。

ピサヌロークからメーソットまでは距離にして240キロほど。
3時間半くらいで到着できそうな気もするけど、途中に山道もあるので、日帰りでの往復はかなりハードになりそうな予感。

通い慣れたスコタイへの道を走り、遺跡のあるあたりを大きく迂回するバイパスで抜ける。
道はよく整備されていて、走りやすいのだけれど、スコタイを過ぎてタークに近づいたあたりで、学校の登校時刻とぶつかり、学校前の横断歩道ではしばしば横断する子供たちを待ったり、学校へ入る車列に道を閉ざされたり、時間を食ってしまう場面が多くなった。

タークを過ぎて国道1号線と分離すると、峠道に入る。
想像していた通り大型トラックが多い。
コンテナを積んだトレーラーがノロノロと坂を上っている。
この峠道も道路の拡張などの工事がガンガンと進められている。
勾配は大変急なところがあったり、カーブもきついので、トンネルでも掘れば、輸送力改善の効果が高いと思うのだけれど、タイの道路と言うのはトンネルがないような気がする。
鉄道トンネルはあるから、トンネルが作れないということはないだろうけど、不思議だ。

メーソットへの峠道
[道幅も広げられているけど、坂とカーブはキツイ]

メーソットまではいくつものアップダウンがあり、峠を越えたと思っても、またすぐに峠になってしまう。
道幅が広げられている部分が多いので、大型のトレーラーを抜かすのに苦労はないが、下り坂ではトレーラーがものすごい速度で坂を下ってくるのには驚いてしまう。

メーソッドの街外れの交差点では、トレーラーがバイクを轢いたようで、トレーラーにたくさんある車輪の下にバイクが巻き込まれていた。
どちらの不注意かわからないが、バイクは即死であろう。

まだ開通していないはずの第二友好橋への標識があり、立派な取り付け道路は完成していた。
メーソットの空港は田舎の空港としては随分と立派で、真新しい建物であった。
プロペラ機が数便バンコクと往復しているだけではもったいないくらいである。
コンビニやファーストフードも入っているようだけど、いったい一日にどれだけの来店者と売り上げがあるのだろう。

メーソット空港ターミナル内
[真新しいターミナル内は閑散としてます]

この空港で国境の向こうまで行けるバンに乗り換える。
よくわからないのだけれど、現在のルールでは、タイの自家用車ではそのまま国境を越えることはできないらしい。
大型のバスもやはりだめ。
旅行者を乗せたバンで、しかも車両がリースなどの担保になっていないことが国境を越えられる条件らしい。
国境を越えても、ミャワディ周辺しか行動範囲は許されていないようで、遠くまではいけない。

越境可能なバン
[メーソット空港で乗り換えたバン]

バンで最初に向かったのは、まだ未開通の「第二友好橋」。
現在の国境であるモエ川にかかる橋も、なかなか立派な橋ではあるが、トラックなどのチェックや書類手続きなどで、随分と不便があるらしい。
そこで、もっと広い敷地で、作業ができるような新しい橋を作っているとは聞いていたが、それがどの程度完成しているのか気になっていた。

先ほど見た、真新しい第二友好橋への取り付け道路ではなく、モエ川沿いの旧道から現在の橋よりモエ川の上流にかかる第二友好橋へ向かったのだけれど、これが良かった。
昔ながらの狭くて曲がりくねった田舎道なのに、大型コンテナを積んだトレーラーなどが次々にやってくる。
バンのドライバーによると、橋ではなくモエ川を船で渡して、ミャンマーへ送るのだそうだ。
小さな川で、コンテナごと運べるような船などありそうにないから、コンテナから物資をばらして、小舟でミャンマーへ送っているのだそうだ。
対岸のミャンマー側にはカレン族の税関があるとも言っていた。

カジノもあった。
大きくはないが、国境の向こう側、ミャンマーなのでカジノも合法的なのだろう。
ここも小舟でモエ川を渡るだけなのだが、タイ側にもミャンマー側にもイミグレーションなどなさそうで、だれでもフリーパスのように見える。
ゴールデントライアングルにもカジノがあるが、一応はミャンマー側のイミグレーションがあり、入国料を取られて記憶がある。

モエ川沿いのカジノ
[この川を渡ればカジノがある]

タイ側の第二友好橋はほぼ完成しているようで、建物も立派なのが立っており、既に内装工事も終わっているのか、静まり返っている。
柵がめぐらされた施設に入るには、ちゃんと正面から進まなくてはならないようで、正面から橋に向かうと、守衛の詰め所があり、そこの守衛に「いつ開通するのか」と質問してみた。
「タイは完成したが、ミャンマーがまだだから、いつかはわからない」とのことであった。

第二友好橋タイ側
[タイ側の第二友好橋のゲート]

その後、同行のタイ人スタッフに簡易国境通過証を発行してもらいに行く。
空港から国境へ向かう中間地点にあるのだけれど、田舎の保健所のような建物。
タイ人はここで30バーツを払って通行証の発行を受けるらしい。
ここから国境まではまだ距離があるのに、国境へ向かう大型トラックが延々と行列を作って並んでいる。
こんなに順番待ちの列が長かったら、国境までたどり着くころには日が暮れてしまうのではないだろうか。

仮国境通行証発行所
[こういう施設は国境のすぐ近くにあった方が良いと思うのだが]

バンも国境を通過するための書類を作るのだけれど、これは国境の橋のたもとで行っていた。
延々と続くトラックの行列とは関係なしで、バンは行列への横入りが認められているらしい。
さっさと、国境手前100メートルくらいのところに割り込んでしまった。
しかし、橋への行列は、牛歩の歩みどころではなく、蝸牛の歩みみたいなもの。
私はバンから降りて、歩いて国境へ向かう。
タイの出国審査を受け、歩いて橋を渡る。
橋の中間で、左側通行から右側通行へとクロスさせる部分がある。
橋の中間地点
[ここで車線が入れ替わる]

橋の下では、小舟で国境を超える人たちの姿が確認できる。
小舟での越境には、出入国手続きなどはないようだ。

ミャンマー側の入国審査は、狭い部屋で行われた。
くたびれたシャツを着た係官が、審査をするが、入国カードもその場で書かされる。
写真も撮影される。
係官は、あんまり英語を得意としないようだ。
昔のミャンマーは、イギリスの植民地であったこともあり、流暢な英語を話す人が多かった印象があるが、いまは英語をあまり教えていないのだろうか。

タイの出国手続きからミャンマーの入国手続きまで、だいたい20分くらいの時間がかかった。
ちょうどバンも国境の橋を渡り終えたところだったようで、うまい具合に合流できた。

まずは、ミャワディトレードゾーンへ向かう。
ミャンマーに入ってみると、タイ側よりも国境の街の雰囲気が濃い。
活気もある。
しかし、薄汚れ、埃っぽく、雑減として、秩序が乏しく感じられるのは、インフラの遅れが原因なのだろうか。
川を一本渡っただけで、まったく違った世界に来たようなイメージになってしまう。
タイ側には、ミャンマー文字の看板などたくさん見かけたが、ミャンマー側ではタイ文字をほとんど見かけない。

ミャワディ市内
[ミャワディのメインストリート]

建物が密集しているのは、国境から数キロほどのところまでで、そこから先は田舎なのだけれど、のどかな雰囲気の中で、あちこちで大掛かりな土木工事が行われていた。
このアンバランスな感じも、発展途上を感じされる。

ミャワディトレードゾーンもちっとも近代的ではなく、税関らしいところでトラックの積み荷の検査をしている。
出入りしているトラックのナンバーはすべてミャンマーのもので、タイのナンバーなど一台も見当たらない。
たぶん、タイからのトラックは国境を越えた後、積んできた物資をミャンマー側のトラックに積み替えてしまうのだろう。
このトレードゾーンも英語がほとんど通じないので、係官に質問しても要領を得られない。
税関の施設内も、舗装されているのは一部だけで、泥んこの中をトラックが出入りしていた。
新しい第二友好橋が完成したら、この税関も新しい橋の方へ移転するのかもしれない。

ミャンマー側の税関
[税関らしいピリピリした感じは全くない]

お昼の時間になったので、昼食とする。
街はずれ、街道沿いのレストランで、こぎれいだけどエアコンはない。
レストランの向かい側には、新しいがホテルが二軒並んで建っている。
できますものは、簡単な洋食と中華、飲茶もあるらしい。
そして、タイ料理に、少しだけミャンマー料理。
大きな店だけれど、他に来店客は内容で、どんな人たちが食事をしに来るのかよくわからないが、ビールの広告ポスターがたくさん貼られているところを見ると、夜の営業がメインなのかもしれない。

ミャワディのレストラン
[レジェンド・ミャワディ・レストラン]

何をどう頼んで良いかわからない。
メニューもあるけど、言葉が通じない。
タイ語も通じない。
片言の英語を話せるマネージャーが出てきて、やっと意思疎通が叶う。

注文したのは、13,000チャットのコースメニュー。
中華とタイとミャンマー料理のミックスだそうだ。
ウエイトレスが何人かいて、お茶を注いでくれる。
笑顔で、言葉は通じないが、一生懸命サービスに努めていることは感じられ、印象は良い。
で、出てきた料理の味も良かった。
最初は「ミャンマー料理なんて油っこくて、まずいから食べたくない」と言っていたドライバーも、一緒のテーブルに着かせて同じものを食べさせたら、「うまい、うまい」とよく食べていた。

セットメニュー
[こんな料理がなんだかんだと10皿くらい出てきた]

ミャンマーのスープだというものは、マイルドなトムヤムのような味で、とても美味しかった。
中華風の総菜類も、いい味付けだった。
今一つだったのが、タイ料理モドキのヤムウンセン。
結構満足度が高い昼食となったが、エアコンがない半分オープンエアの環境のため、ハエがいるのが気になった。

食堂の従業員
[サービスに努めてくれたウエイトレスたち]

昼食後は、タイ側で聞いた「(第二友好橋は)ミャンマーがまだだから、いつかはわからない」というのが、どの程度まだなのかを確認したいので、ミャンマー側の第二友好橋へ向かう。

標識
[右に曲がれば第二友好橋]

で、ミャンマー側も見たところ、完成しているようだ。
道路も、橋も、建物も、立派なものが出来上がっている。
こちらには守衛がおらず、どういうことになっているかわからないが、タイ側もミャンマー側もハード面では橋は完成しているらしい。
ミャンマー側も広い敷地を有し、ミャンマー風の建築による建物など、かなり堂々とした施設になっている。
標識を見ると、バスや乗用車のレーンもあるようだから、新しい橋が開通したら自家用車で越境したり、国際連絡バスなども運行するのだろうか。

ミャンマー側のゲート
[いつ開通するのか余計わからなくなってきた]

で、さらに面白いのは、橋の施設手前の森の中へと続く田舎道があり、そこをひっきりなしに大型トラックが行き来している。
小舟で細々と物資を渡しているようなレベルの物量ではなさそうだ。
いったいどんな形になっているのか、興味津々だけれども、なんとなく危険もありそうな気がするので、見に行くことはあきらめる。

トラック
[こんなトラックが森の小径から出入りしている]

これにてミャンマーで確認すべきことは完了してしまったが、まだタイへ戻るには少し時間が余っている。
バンのドライバーにミャワディ市内のミャンマー寺院へ連れて行ってもらう。

この寺と言うのも、国境を越えただけで、タイとミャンマーでは大きく異なるようだ。
お寺の基本となるところは、仏塔があったり、仏像があったりと、共通している部分は当然あるけれど、ミャンマーの仏像は、顔面が白塗りで、口紅を差したように赤い唇、つけまつげで、おめめパッチリ。
しかし、タイのような微笑はあまり感じられない。

ミャンマー仏像
[タイの仏像も、ミヤンマーの仏像も、日本人には違和感を感じる]

また、仏像の後ろに電飾が付いているものも多かったり、タイの仏像よりもケバケバ強い印象がある。
それに対して、仏塔は大きな仏塔を中心にして、小さな仏塔が取り囲んでいたりして、なんとなく仏教の宇宙空間を演出したような作りで悪くない。

パゴダ
[ミャンマーの仏塔はなかなか感じがイイ]

寺院の中には仏像以外に、一般の人のような姿をしている像もたくさんあるが、これらは私の勝手な想像だけど、ミャンマーの精霊信仰によるナットではないだろうか。

なんだろう
[狛犬かナットか、、]

それと、ミャンマーでも生まれた日の曜日によって、拝む対象の仏像の形が決まっているようなのだけれど、タイとは対象となる仏像も異なっているようだ。
タイのことは、いろいろと調べてきたけれども、車で日帰りできるような距離にありながら、なんとミャンマーに関して知識がないかを、ごく短時間の寺院見学でも感じてしまった。

で、いちばん印象に残ったのは、空に透明感があったこと。
30年以上前、インレー湖の近くで見上げた空も、ここと同じような透明感のある空であった。
タイとは数キロと離れていない場所で、空の色が全く違うなんてことはあり得ないだろうけれど、ずっと眺めていたくなるような空であった。

国境の橋を渡って、ミャンマー側からタイへ戻ることにする。
入る時より簡単だろうと思っていたらば、さにあらず。
ミャンマーの出国手続きでは、ミャンマーに入国するのにビザを持っていないのはおかしいとケチが付いた。
しかも、英語はほんの片言で、こちらが「昨秋からノービザになったから、こうしてビザなしでミャンマーに入っているんだ」と説明しても、なかなか理解してもらえない。
押し問答にもならないが、そのことを理解してもらうのに、10分以上時間がかかった。
その間に、出国審査室の前を、雇ったバンが通過していくのが見えた。

世界一危険なイミグレかも
[出入国審査手続きをしているすぐそばを大型トラックが通り抜ける]

なんとかミャンマーの出国スタンプを取り付けて橋を渡る。
タイ側はスムースだろうと思ったら、これもダメ。
審査窓口は一つだけ。
そして、並んでいるのは数人だけなのだが、いずれもミャンマー人。
ちゃんとパスポートなどを所持して、正規の手続きを踏んでいるようだけれど、所持金やタイでの滞在先などの証明を求められたりしてて、やたらとキビシイ。
つまりそれだけ時間がかかる。

ひとりに10分以上はかかっているだろうか、そのうちに「国境通過証」で、スイスイと抜けていったタイ人スタッフから電話が入る。
「まだ入国審査で並んでるから待ってろよ」と伝えたつもりなのに、5分おきに電話をしてくる。
しかも、頭の痛いことに、所持している携帯電話が、まだミャンマー側の電波を拾ってしまうため、すぐ目と鼻の先にいるスタッフからの着信が、国際電話のローミング扱いとなっている。
くだらないことで出費となってしまい面白くない。

ミャンマー⇒タイ
[新しい橋になったら、もう歩いては渡れないんだろうな]

結局30分以上かかって、タイへ入国できる。
あとは、空港へ戻って、空港の駐車場に止めてあるマイカーに乗り換え、ふたたび峠を越えてピサヌロークまで運転が待っている。
早朝から、夜まで、まったく疲労困憊で、ピサヌロークのオフィスにもどり、残務整理をしてから帰宅。

日帰りミャンマーは興味深かったけど、疲れた。

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近況報告 この一月間
ソンクラーンはピサヌロークで迎えた。

ソンクラーン祭り
[ピサヌロークでのソンクラーンはパレードから始まった]

もっとも、毎日オフィスに出社していたのでソンクラーン正月も何もあったものではないけど、朝は良いとして、夜帰るときに渋滞がひどくてずいぶんと帰宅するのに時間がかかった。
いつもなら自転車通勤だけれども、ソンクラーン中は水をかけられるので、車を使っていた。
道はピックアップトラックがあちこちで水掛け合いをしているのでなかなか動かない。

水かけ合い
[夜になっても水のあけ合いは止まらない]

まわりはみんな田舎の人たちなのでソンクラーンが楽しくて仕方がないらしい。
いろいろな人から「楽しいか」「どこで遊んだ」と聞かれるが、ちっとも楽しくなんかない。

そのソンクラン明けから、再び体調不良となる。
鼻水が止まらず、熱もある。
1日2日と辛抱していたけれど、あんまり症状が改善しないので、また病院へ行ってみる。
担当した医師は、女医で、なんだかとても面倒くさそうに対応する。
薬飲んで3日もすれば治るからと言われたけれど、なんだかわからないけど薬を1か月分も処方された。
そして、言われた通り3日目には鼻水も止まり、熱も下がっていた。
残った薬はどうすべきか悩む。
安い薬ではなく、二千バーツと伝票に書かれていた。

ピサヌウェート病院
[病院前のブーゲンビリアは灼熱の暑さが好きらしい]

月末の土日には再びブラルアン温泉にネコと一緒に行く。
土曜の午後から出たので、到着したらもう日没近い時間。
前回食事に不便をしたので、今回は炊飯器にお米時間の自炊。
おかずはカレー煮したサバの缶詰。

温泉のバンガロー
[1泊500バーツのバンガロー]

個室浴場でネコをシャンプーし、ついでに自分も洗う。
源泉が60℃だから、水でうめ湯をしたいのだけど、気温も40℃もあるし、水もお湯になっている。
それでも、やっぱり温泉に浸かると気分がいい。

ネコにシャンプー
[ネコはあまり温泉好きではない]

翌朝は大風呂に入りたかったけれど、改修工事とかで入浴できず、そのままオフィスへ戻って勤務。
もう少しゆっくりと静養したいものだ。

月末にはまたとても病院へ行く羽目に。
夜道を自転車で走っていたら犬の集団に襲われケガをしてしまった。
噛まれた足首は血だらけで、靴下からにじみ出た血で革靴の底が滑ってしまうほど。
とりあえず、傷口を石鹸で良く洗ってそのまま寝たが、血が止まってなかったのか、シーツに血の跡が点々とついてしまった。
翌朝も、仕事に出ていたが、どうにも痛いし、痺れが右足全体に広がるので、病院へ。

犬に噛まれた傷口
[夜の犬には今後注意しなくては]

外科医も面倒くさそうな対応で、狂犬病と破傷風の注射を打たれる。
さらにこれから5日間、毎日通院と、今後半年間の定期的な注射を命じられる。
面倒なことになった。
昼間はだらしなく寝そべっている犬たちが、夜になると徒党を組んで悪さをする。
まったく、始末に負えないヤクザな犬たちだ。
下宿の主人たちはずいぶん心配してくれたけど、薬を飲んだらたちまち痛みは消えてしまった。

アマリンナコンホテル最後の宿泊客となる。
昨年は何度も宿泊させてもらっていたホテルだけど、もうだいぶ古くなっていたため閉館して新しいホテルになるらしい。
4月いっぱいの営業ということで、最後のチェックインは4月29日。
仕事を終えてからホテルへ向かう。

アマリンナコンホテル
[古めかしい大型ホテルだけど、ピサヌロークらしいホテルともいえる]

最後の晩だけど、何も特別なことはないようで、スタッフもいつも通り。
それに宿泊客もほとんどないようであった。
夜遅く、外からホテルを見上げたけれど、明かりが点いている部屋は私の部屋を含めて、もう一室しかなかった。

宿泊したツイン部屋
[部屋番号は913、ちょっと部屋は薄暗い]

部屋はくたびれているけれど、シーツなどは純白、お風呂のお湯も熱いのがふんだんに出る。
このホテルがなくなると、ピサヌローク駅前にホテルとした体裁を整えた宿泊施設がなくなってしまう。
宿泊料も手頃で、スタッフも親切であった。

レセプション
[世界各都市の時刻をさしてるはずが、時計の針がバラバラ]

従業員たちは割増退職金を支給されて解雇だそうだ。
翌朝、ロビー奥のコーヒーショップで無料のコーヒーとビスケットをいただく。
このコーヒーショップでは聾唖のスタッフが働いているけれど、彼はこの後どうするのだろう。

モーニングサービス
[朝食の変わりにビスケットとインスタントコーヒーのセルフサービス]

今年のゴールデンウイーク、日本では10連休ということで、私も仕事で2度ほどスコタイ遺跡へ行ってきたが、いつもはほとんど見かけない日本人観光客がずいぶんと来ていた。
しかし、気温40度なのでかなり過酷な遺跡巡りとなる。
ワットマハタート前のハス池もすっかり水が干上がってしまい、枯れたハスが無残な姿をさらしていた。

5月4日、先月駐車中にぶつけられ、少し傷が付いた車の修理がやっと終わったので、修理工場へ受け取りに行く。
下宿先のゲストハウスに止めておいた車に、他の宿泊者の車がぶつかったとかで、車の後ろの部分をこすったらしい。
先方の保険屋が来て、手続き書類を置いていったのが、ソンクラーン前。
しかし、修理には順番待ちだとかで、ソンクラーン明けまで待たされる。
しかも、修理工場に持ち込んだところ、先方の保険会社の書類ではなく、私の保険会社のものの方が良いという。
私の保険のものでも修理代の負担はないからと、勝手に話が進められてしまう。
このあたり、どうもよく判らない。

ゴールデンウイークの最終日、タイも新しい国王の戴冠式で連休となっていた最終日であるが、バンコクへ向かわなくてはならない。
車で行けば渋滞するだろうし、翌日の夜にはまた深夜のドライブでピサヌロークへ戻ってくるのは体力的にキツイ。
そこで鉄道を利用しようと思ったのだが、バンコク行きの特急も快速も満席。

しからば、以前も利用した早朝6時5分発の鈍行を利用してみることにした。
エアコンがなくて暑そうだけど、2等車なら耐えられそうだと思った。
しかるに、早朝のピサヌローク駅でバンコク行きの鈍行を見たらば、2等車が連結されていない。
いや、2等車はあるにはあるのだが、2等の寝台車。
寝台車だって、昼間は座席にしているのだから構わないのだが、「この車両は従業員専用」と乗車を断られる。

硬くて狭い座席の3等車でバンコクまで乗り通す自信がなかったので、鈍行は諦めてバスで行くことにした。
しかし、バンコク行きのバスの始発である新しいバスターミナルへ向かい、バンコク行き8時の切符を買ったが、乗り込んだバスはピサヌロークの街をぐるぐると回り、街を離れたのは9時近くになっていた。
ずいぶんと、ロスタイムをしてしまったが、バスは途中の「モチ」と言う土産用の菓子を売るドライブインに立ち寄ったりして、バンコクに着いたのは午後3時近くなってしまった。

バス弁当
[バスの中でもらった弁当、作り手の誠意をあまり感じさせない]

アパートへたどり着いたのは4時過ぎ。
急いでバイクを民間車検場へ持ち込む。
1年ごとの車検で、来週には車検が切れてしまう。
検査と言っても、安直なものだけど、今年はなぜか今まで何も言われたことがないようなケチがついた。
「チェーンカバーがないからダメ」と言う。
これがないと車検が通らないのだそうだ。
大急ぎでバイクの部品屋をはしごするが、どこにも売っていない。
私のバイクが古すぎるからだろうが、これでは車検切れになってしまう。
ふたたび、民間車検場で相談してみるが、サパンクアイにある部品屋ならあるのではないかみたいなことを言う。

民間車検場
[バンコクのアパート近くの民間車検場]

これは困ったことになった。
こんな時に力になってくれそうなのはディンデーンの下町にあるバイクの修理屋。
急いで、ディンデンへ向かい、相談してみる。
さすがはいろいろと思考してくれて、別の車種のチェーンカバーを削ったりして、なんとか私のバイクにもつけられるものを作ってくれた。
感謝感激。
手間をかけた割に代金はたったの80バーツでいいというのだから、本当に善人だ。

チェーンカバー
[やっと取り付けることができたチェーンカバー]

民間車検場の営業時間はとっくに過ぎていたけれど、チェーンカバーを装着したバイクで乗り付けたら、時間外でもしっかり車検チェックをしてくれた。
ライト類や排ガスチェックなど一通りやって、強制保険と税金込みで860バーツ。

車検証
[5月11日、無事に車検手続きが完了し書類を受け取る]

バンコクの職場への出社は1日だけで、仕事が引けたらすぐにまた夜行列車に乗ってピサヌロークにとんぼ返り。
バンコク駅前、ラマ4世通りにある亜州日報と言う華字紙の新聞社の前に出ている屋台でクオッティオを食べる。
バンコクではここのクオッティオが気に入っていて、バンコク発の夜行列車に乗るときは、大体ここで夕食としている。
女主人がクオッティオを茹で、具を茹で、丼にあけて、スープを注ぐ。
テキパキとした仕事はまるで機械仕掛けのようだ。
ここの屋台は具が特に美味しいと思っている。
女主人は愛想もなく、ひたすら作業に没頭しており、手伝いの若いのは、丼を運んだり、集金したり。
人気店のようで、持ち帰り客も多く、注文してから運ばれてくるまで結構待たされる。

クオッティオ屋の女主人
[この女主人は機械仕掛けみたいに次々にクオッティオを茹で上げていくが、注文の入るスピードも相当なもの]

ピサヌロークへの戻りの夜行は、19:35発のチェンマイ行き特急。
西洋人の若い旅行者に人気の列車で、私の隣も、向かい側も西洋人の若者。
列車は出発が1時間遅れ。
この列車の後に出発する快速列車に先を越されてしまった。
西洋人たちは食堂車から夕食を運んでもらって席で食べている。
以前は皿によそった料理にラップをかけて運んで来ていたが、彼らに届けられた夕食を見たらば弁当風になっていた。

ピサヌロークにはだいぶ遅れて午前3時過ぎに到着。
その到着15分くらい前には寝台から追い出される。
ピサヌロークで私と入れ替わりに乗り込んでくる乗客があるから、シーツなどを取り替えるという。
日本にはもう寝台車など走っていないようだけど、昔の日本でも一晩に複数の乗客に寝台を回すなんて事が行われていたのだろうか?

駅から病院へ直行して、犬に噛まれた後処理の注射を受けて、午前4時に帰宅。
仮眠してから出社して、昼前にはウタラディットに入る。
ウタラディットは県庁所在地で、大きな鉄道駅もあるが、駅前にはお寺と市場があるものの、食堂も屋台もほとんどない。

ナーン河畔のパビリオン
[駅前のワットタータノンと言う寺を突き抜けるとナーン川に出た]

食堂がないと言うのは、タイの中級以下の田舎町に共通しているように思う。
このあたりの人は外食と言う習慣がないのだろう。

昨年末に紹介した地元の西洋人たちに人気のあったカナダ人が経営していたピザ屋がソンクランからずっと店を閉めていた。
主人が里帰りでもしているのだろうと思っていたら、5月になったら「貸します」と貼りだされていた。
どうやら閉店してしまったようだ。

Pizza Prinzess
[昨年末に一度行ったきりだったけど、なくなるとさびしい]


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| 日常 | 11:40 AM | comments (0) | trackback (0) |
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