ソンクラーンはピサヌロークで迎えた。
[ピサヌロークでのソンクラーンはパレードから始まった]
もっとも、毎日オフィスに出社していたのでソンクラーン正月も何もあったものではないけど、朝は良いとして、夜帰るときに渋滞がひどくてずいぶんと帰宅するのに時間がかかった。
いつもなら自転車通勤だけれども、ソンクラーン中は水をかけられるので、車を使っていた。
道はピックアップトラックがあちこちで水掛け合いをしているのでなかなか動かない。
[夜になっても水のあけ合いは止まらない]
まわりはみんな田舎の人たちなのでソンクラーンが楽しくて仕方がないらしい。
いろいろな人から「楽しいか」「どこで遊んだ」と聞かれるが、ちっとも楽しくなんかない。
そのソンクラン明けから、再び体調不良となる。
鼻水が止まらず、熱もある。
1日2日と辛抱していたけれど、あんまり症状が改善しないので、また病院へ行ってみる。
担当した医師は、女医で、なんだかとても面倒くさそうに対応する。
薬飲んで3日もすれば治るからと言われたけれど、なんだかわからないけど薬を1か月分も処方された。
そして、言われた通り3日目には鼻水も止まり、熱も下がっていた。
残った薬はどうすべきか悩む。
安い薬ではなく、二千バーツと伝票に書かれていた。
[病院前のブーゲンビリアは灼熱の暑さが好きらしい]
月末の土日には再びブラルアン温泉にネコと一緒に行く。
土曜の午後から出たので、到着したらもう日没近い時間。
前回食事に不便をしたので、今回は炊飯器にお米時間の自炊。
おかずはカレー煮したサバの缶詰。
[1泊500バーツのバンガロー]
個室浴場でネコをシャンプーし、ついでに自分も洗う。
源泉が60℃だから、水でうめ湯をしたいのだけど、気温も40℃もあるし、水もお湯になっている。
それでも、やっぱり温泉に浸かると気分がいい。
[ネコはあまり温泉好きではない]
翌朝は大風呂に入りたかったけれど、改修工事とかで入浴できず、そのままオフィスへ戻って勤務。
もう少しゆっくりと静養したいものだ。
月末にはまたとても病院へ行く羽目に。
夜道を自転車で走っていたら犬の集団に襲われケガをしてしまった。
噛まれた足首は血だらけで、靴下からにじみ出た血で革靴の底が滑ってしまうほど。
とりあえず、傷口を石鹸で良く洗ってそのまま寝たが、血が止まってなかったのか、シーツに血の跡が点々とついてしまった。
翌朝も、仕事に出ていたが、どうにも痛いし、痺れが右足全体に広がるので、病院へ。
[夜の犬には今後注意しなくては]
外科医も面倒くさそうな対応で、狂犬病と破傷風の注射を打たれる。
さらにこれから5日間、毎日通院と、今後半年間の定期的な注射を命じられる。
面倒なことになった。
昼間はだらしなく寝そべっている犬たちが、夜になると徒党を組んで悪さをする。
まったく、始末に負えないヤクザな犬たちだ。
下宿の主人たちはずいぶん心配してくれたけど、薬を飲んだらたちまち痛みは消えてしまった。
アマリンナコンホテル最後の宿泊客となる。
昨年は何度も宿泊させてもらっていたホテルだけど、もうだいぶ古くなっていたため閉館して新しいホテルになるらしい。
4月いっぱいの営業ということで、最後のチェックインは4月29日。
仕事を終えてからホテルへ向かう。
[古めかしい大型ホテルだけど、ピサヌロークらしいホテルともいえる]
最後の晩だけど、何も特別なことはないようで、スタッフもいつも通り。
それに宿泊客もほとんどないようであった。
夜遅く、外からホテルを見上げたけれど、明かりが点いている部屋は私の部屋を含めて、もう一室しかなかった。
[部屋番号は913、ちょっと部屋は薄暗い]
部屋はくたびれているけれど、シーツなどは純白、お風呂のお湯も熱いのがふんだんに出る。
このホテルがなくなると、ピサヌローク駅前にホテルとした体裁を整えた宿泊施設がなくなってしまう。
宿泊料も手頃で、スタッフも親切であった。
[世界各都市の時刻をさしてるはずが、時計の針がバラバラ]
従業員たちは割増退職金を支給されて解雇だそうだ。
翌朝、ロビー奥のコーヒーショップで無料のコーヒーとビスケットをいただく。
このコーヒーショップでは聾唖のスタッフが働いているけれど、彼はこの後どうするのだろう。
[朝食の変わりにビスケットとインスタントコーヒーのセルフサービス]
今年のゴールデンウイーク、日本では10連休ということで、私も仕事で2度ほどスコタイ遺跡へ行ってきたが、いつもはほとんど見かけない日本人観光客がずいぶんと来ていた。
しかし、気温40度なのでかなり過酷な遺跡巡りとなる。
ワットマハタート前のハス池もすっかり水が干上がってしまい、枯れたハスが無残な姿をさらしていた。
5月4日、先月駐車中にぶつけられ、少し傷が付いた車の修理がやっと終わったので、修理工場へ受け取りに行く。
下宿先のゲストハウスに止めておいた車に、他の宿泊者の車がぶつかったとかで、車の後ろの部分をこすったらしい。
先方の保険屋が来て、手続き書類を置いていったのが、ソンクラーン前。
しかし、修理には順番待ちだとかで、ソンクラーン明けまで待たされる。
しかも、修理工場に持ち込んだところ、先方の保険会社の書類ではなく、私の保険会社のものの方が良いという。
私の保険のものでも修理代の負担はないからと、勝手に話が進められてしまう。
このあたり、どうもよく判らない。
ゴールデンウイークの最終日、タイも新しい国王の戴冠式で連休となっていた最終日であるが、バンコクへ向かわなくてはならない。
車で行けば渋滞するだろうし、翌日の夜にはまた深夜のドライブでピサヌロークへ戻ってくるのは体力的にキツイ。
そこで鉄道を利用しようと思ったのだが、バンコク行きの特急も快速も満席。
しからば、以前も利用した早朝6時5分発の鈍行を利用してみることにした。
エアコンがなくて暑そうだけど、2等車なら耐えられそうだと思った。
しかるに、早朝のピサヌローク駅でバンコク行きの鈍行を見たらば、2等車が連結されていない。
いや、2等車はあるにはあるのだが、2等の寝台車。
寝台車だって、昼間は座席にしているのだから構わないのだが、「この車両は従業員専用」と乗車を断られる。
硬くて狭い座席の3等車でバンコクまで乗り通す自信がなかったので、鈍行は諦めてバスで行くことにした。
しかし、バンコク行きのバスの始発である新しいバスターミナルへ向かい、バンコク行き8時の切符を買ったが、乗り込んだバスはピサヌロークの街をぐるぐると回り、街を離れたのは9時近くになっていた。
ずいぶんと、ロスタイムをしてしまったが、バスは途中の「モチ」と言う土産用の菓子を売るドライブインに立ち寄ったりして、バンコクに着いたのは午後3時近くなってしまった。
[バスの中でもらった弁当、作り手の誠意をあまり感じさせない]
アパートへたどり着いたのは4時過ぎ。
急いでバイクを民間車検場へ持ち込む。
1年ごとの車検で、来週には車検が切れてしまう。
検査と言っても、安直なものだけど、今年はなぜか今まで何も言われたことがないようなケチがついた。
「チェーンカバーがないからダメ」と言う。
これがないと車検が通らないのだそうだ。
大急ぎでバイクの部品屋をはしごするが、どこにも売っていない。
私のバイクが古すぎるからだろうが、これでは車検切れになってしまう。
ふたたび、民間車検場で相談してみるが、サパンクアイにある部品屋ならあるのではないかみたいなことを言う。
[バンコクのアパート近くの民間車検場]
これは困ったことになった。
こんな時に力になってくれそうなのはディンデーンの下町にあるバイクの修理屋。
急いで、ディンデンへ向かい、相談してみる。
さすがはいろいろと思考してくれて、別の車種のチェーンカバーを削ったりして、なんとか私のバイクにもつけられるものを作ってくれた。
感謝感激。
手間をかけた割に代金はたったの80バーツでいいというのだから、本当に善人だ。
[やっと取り付けることができたチェーンカバー]
民間車検場の営業時間はとっくに過ぎていたけれど、チェーンカバーを装着したバイクで乗り付けたら、時間外でもしっかり車検チェックをしてくれた。
ライト類や排ガスチェックなど一通りやって、強制保険と税金込みで860バーツ。
[5月11日、無事に車検手続きが完了し書類を受け取る]
バンコクの職場への出社は1日だけで、仕事が引けたらすぐにまた夜行列車に乗ってピサヌロークにとんぼ返り。
バンコク駅前、ラマ4世通りにある亜州日報と言う華字紙の新聞社の前に出ている屋台でクオッティオを食べる。
バンコクではここのクオッティオが気に入っていて、バンコク発の夜行列車に乗るときは、大体ここで夕食としている。
女主人がクオッティオを茹で、具を茹で、丼にあけて、スープを注ぐ。
テキパキとした仕事はまるで機械仕掛けのようだ。
ここの屋台は具が特に美味しいと思っている。
女主人は愛想もなく、ひたすら作業に没頭しており、手伝いの若いのは、丼を運んだり、集金したり。
人気店のようで、持ち帰り客も多く、注文してから運ばれてくるまで結構待たされる。
[この女主人は機械仕掛けみたいに次々にクオッティオを茹で上げていくが、注文の入るスピードも相当なもの]
ピサヌロークへの戻りの夜行は、19:35発のチェンマイ行き特急。
西洋人の若い旅行者に人気の列車で、私の隣も、向かい側も西洋人の若者。
列車は出発が1時間遅れ。
この列車の後に出発する快速列車に先を越されてしまった。
西洋人たちは食堂車から夕食を運んでもらって席で食べている。
以前は皿によそった料理にラップをかけて運んで来ていたが、彼らに届けられた夕食を見たらば弁当風になっていた。
ピサヌロークにはだいぶ遅れて午前3時過ぎに到着。
その到着15分くらい前には寝台から追い出される。
ピサヌロークで私と入れ替わりに乗り込んでくる乗客があるから、シーツなどを取り替えるという。
日本にはもう寝台車など走っていないようだけど、昔の日本でも一晩に複数の乗客に寝台を回すなんて事が行われていたのだろうか?
駅から病院へ直行して、犬に噛まれた後処理の注射を受けて、午前4時に帰宅。
仮眠してから出社して、昼前にはウタラディットに入る。
ウタラディットは県庁所在地で、大きな鉄道駅もあるが、駅前にはお寺と市場があるものの、食堂も屋台もほとんどない。
[駅前のワットタータノンと言う寺を突き抜けるとナーン川に出た]
食堂がないと言うのは、タイの中級以下の田舎町に共通しているように思う。
このあたりの人は外食と言う習慣がないのだろう。
昨年末に紹介した地元の西洋人たちに人気のあったカナダ人が経営していたピザ屋がソンクランからずっと店を閉めていた。
主人が里帰りでもしているのだろうと思っていたら、5月になったら「貸します」と貼りだされていた。
どうやら閉店してしまったようだ。
[昨年末に一度行ったきりだったけど、なくなるとさびしい]