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ピサヌローク発バンコク行き鈍行列車の旅
12月23日 日曜日

このところピサヌロークとバンコクの往復に車を運転していくことが多かったのだけれど、往復700キロ超を毎週続けていると、そろそろ疲れてくる。
しかも、今週は二往復しなくてはならないので、運転せずに汽車で行くことを考えた。

ところが、いざ汽車の切符を買いに駅の窓口へ行ったら「満席」と言う。
あるのは三等車だけと言うありさま。
しからば、予約のいらない鈍行列車なら、せめてエアコンがなくても二等車があるかもしれないと考えた。
そのことを駅の係員に聞くと、二等車の有無はその日にならないとわからないし、もし二等車が連結されていたら、車内で車掌に差額を払って利用するようにとアドバイスを受ける。
バンコク行きの鈍行は朝6時5分発と早い。

当日、駅の窓口でまずはバンコクまでの鈍行3等席の切符を買う。
なんと、たったの69バーツ。
タイ国鉄は長いこと運賃の値上げをしていないので、こんな金額でバンコクまで行けてしまう。

まだ夜が明けておらず、ホームの明かりの中に、バンコク行きの鈍行は止まっていた。
ホームにいた車掌に「2等車はあるか」と聞くと、あるという。
一番前の車両がそうだという。

夜明け前のピサヌローク駅
[鈍行は格下だからか、ちゃんとしたホームではなく、側線に止まったまま]

正確に言うと、一番前はディーゼル機関車で、その次が荷物車となっている。
その後ろに2等席のある客車がつながっているのだけれど、2等席は車両の前半分で、後ろ半分は3等席になっている。
2等も、3等もどちらもガラガラ。
2等など、私以外誰も乗っていない。

鈍行の2等座席車
[手前が二等で、奥が三等、どちらもガラガラ]

2等と言っても、別に豪華でもなく、車両も古いけど、シートにはクッションもあり、リクライニングもするので、バンコクまでの長旅にも耐えられそう。
3等になると、シートは硬くて、長い時間座っているには座布団を持参が欠かせないし、それに幅も前後の間隔も狭い。
当然リクライニングなどするわけがない。

さっきホームにいた車掌が検札に回ってくる。
なかなか愛想が良い。
そして、私の持っている3等の切符と2等との差額が90バーツと説明する。
差額を払うと、1枚10バーツと書かれた車内清算券を9枚渡される。
つまり、ピサヌロークからバンコクまでの鈍行2等運賃は159バーツと言うことになり、3等の2倍以上。

3等切符と差額清算券
[小さくて白いのが二等への差額補充票]

定刻に動き出す。
外はまだ暗く、そしてエアコンもないのに、車内は寒い。
短パンにTシャツと言うラフなスタイルで乗り込んだので、寒くて震えそうである。
膝の上にパソコンを載せて、キーボードを叩いてみる。
パソコンからのぬくもりがうれしい。
昨晩ガソリンスタンドのオーナー夫人にあったとき、「これから寒くなりますよ、気温が25度くらいまで下がるらしいわ」と言われていた。
なぁに、25度なんか、適温じゃないかと思っていたけれど、この寒さは20度以下に感じられる。

平原での夜明け
[夜明けの空の色が刻々と変わっていく]

夜が明けて、大体5分おき位の間隔で、駅に止まっていく。
本当に小さな駅もあるが、それでもちゃんと駅員がいて、花壇などもあったりする。
バンコクまで全部で65の駅があるらしい。
予定ではバンコク到着は午後2時5分。
所要8時間の予定であるが、走り始めてまだ2時間くらいしかたっていないけれど、もう20分近く遅れが出ている。

車内のタイ式トイレ
[トイレにはちゃんとペーパーまで用意されている]

チュムセーン駅を過ぎると、進行方向左手側に富士山みたいに三角形をした山が見えて来た。
周囲に山があるわけでもなく、ポツンと平野の中にあって、ずいぶんと目立つし、スタイルも良い。
しかし、大きな山ではないようだし、やはり富士山のように周りに前山を従えて聳えているのと違って、威厳のようなものは感じられない。

三角形の山
[平原から飛び出したデベソみたいな円錐形の山]

午前9時前、やはり左手に湖沼が見えてくる。
タイ最大の淡水湖沼のブーンボーラペット。
何年か前に来て、ボートを雇い、見学をしたことがあるけれど、渡り鳥なのであろうか、ものすごい数の水鳥が、ボートに驚いて、一斉に飛び立つ光景は印象的だった。
鳥たちには驚かせて申し訳ないが、あれは本当にすごかった。
そのブーンボーラペットが車窓から見えるには見えるけれど、湖岸すぐのところを列車が走るわけではなく、遠目に眺めるだけであった。

ブーンボーラペット
[タイ最大の淡水湖ブーンボーラペット そろそろ渡り鳥のシーズン]

パークナムポーはこのあたりの中心都市ナコンサワンの昔の名前だけれど、駅名としてナコンサワンとは別に使われている。
駅の周囲には、街があるようにも見えない代わり、この駅の構内には転車台がある。
SLの向きを変えるためのターンテーブルなので、ディーゼル機関車ばかりの現在は無用なはずなのに、ちゃんと残されている。
昔の転車台のような重厚なものではなく、工事現場の資材置き場にでもありそうな、簡易的なものだけれど、今のタイでは珍しいのではないだろうか。
バンコクでも年に何度かSL列車を特別運行するが、転車台がないからか、2両のSLがそれぞれ後ろ向きに入子に連結して、前後どちらにも走れるようにしている。
パークナムポーの転車台は何度も車窓から眺めたことがあるけれど、鈍行なので急行よりもよく眺めることができた。
転車台につながる扇形車庫に機関車はなく、転車台の上には石油を運ぶタンク車が乗っていた。

パクナムポーの転車台
[この転車台は現在どんな目的で使われているのだろうか]

ナコンサワンを過ぎた11時少し前、車内販売からシュウマイと中華麺を買う。
ナコンサワンは華僑の街で、中国風の食べ物がおいしいとされている。
まだ時間も速いし、空腹ではないけれど、ここで仕入れておく方が良いと判断。
いずれも一パック20バーツとお手頃価格。
鈍行列車に乗る人たちの財布事情を考えて、車内販売で売っているものも、大体が20バーツ以下のようだ。
カットフルーツや茹で卵、ガパオライスにパッタイなど。
外国人旅行者もよく利用するバンコクとチェンマイを結ぶ特急の車内販売が50-100バーツのモノが中心なのとはだいぶ違う。

シュウマイ20バーツ
汁なし中華麺20バーツ

2等席は依然としてガラガラ。
私は進行方向向かって右側に座っていたけれど、車掌が通りかかり、「これからは窓から日が差し込んでくるから、通路の反対側に移られた方が良いようですよ」と声をかけて行った。
この車掌、愛想もいいし、なかなかサービス精神もある。
進言に従い、左側に移る。

すぐ後ろの3等車にはだいぶお客さんが乗り込んでいるが、2等車には私以外一組しかいない。
駅に止まるごとに乗客が乗り込んできて、席に着くが、車掌から差額の説明を受けると皆スゴスゴトと後ろの3等へ移っていく。
倍以上の差額を払っても、バスより安いとは思うけど、やっぱり倍以上のコストと認識する人たちが鈍行を利用しているのだろう。

車窓
[中部平野は灌漑設備が整っているので一年中お米ができるはず、これは稲刈りの終わった田んぼ]

列車の遅れは45分ほどとなり、午後1時過ぎにアユタヤに到着。
観光地アユタヤだけあって、ホームには西洋人バックパッカーや中国系観光客などが溢れていた。
そして、ホームから写真をパチパチやっていた彼らが一斉に乗り込んできて、2等もあっという間に満席になってしまった。
今までと同様に車掌が差額の回収に回ってきて、「あなたの持っている切符は3等のもので、もし2等に座っていたければ、追加料金20バーツで、さもなければ後ろの3等へ移られてください」と英語で説明して回っている。
素直に20バーツを払っている人もいれば「自分はちゃんとバンコクまでの切符代として16バーツを払って乗っている」と多少ゴネている人もいたが、最終的にはみんな差額の20バーツを払ったようだ。
私の隣の席は一つだけポツンと空席のまま。
途中で満席の3等から移ってきた人が座るが、差額の説明を受けると、すぐに立って後ろへと戻っていく。

西洋人たちで満席
[ガラガラから一転して満席に、、]

アユタヤを過ぎてからは、あとから来た列車に次々と抜かされる。
走りながら抜かされるのもあれば、駅に退避して、後続をやり過ごすこともある。
ピサヌロークを9時前に出発した快速列車にも抜かされてしまう。

コウノトリ
[チャオプラヤ川下流域には無数のコウノトリが乱舞している]

ドンムアンを過ぎて、遅れはますます大きくなり、1時間以上の遅れとなる。
結局、終着のバンコクへは3時半となってしまった。
ピサヌロークから9時間半もかかったことになる。
車の約倍の所要時間。
でも、座っているだけなので、身体は楽だったし、それなりに景色も楽しみ、風俗の観察もできて良かった。
それにガソリン代と比較すると、4分の1とコストパフォーマンスが最高。

バンコク到着
[一時間当たり20バーツで楽しめる旅の終着駅]

バンコクのアパートにたどり着いたら4時を回っていた。

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平成30年最後の一時帰国
12月12日 水曜日

このブログ、一か月に一度か、二度くらいしか更新していないのに、一時帰国をすると、そのネタが必ず登場している。
つまり、一時帰国のネタばかりと言うことになる。
しかも、その一時帰国は毎度同じ中華航空で、利用する便もほぼ一定している。
座る座席もだいたい8D。

そしてまた今回も一時帰国ネタ。
バンコクの仕事があって、週末からネコと一緒にバンコクに出てきていた。
ピサヌロークのゲストハウスで留守番をさせておいても良かったのだが、日本から戻ってもまたバンコクで数日仕事が残っており、10日ほどピサヌロークを留守にしてしまう。
ちょっと10日は長すぎるので、ネコはバンコクで5日間の留守番。

ココナツロール
[最近土産として指示されるのがこのココナツロール、いかにもタイ土産らしいパッケージだからかな]

朝、6時にアパートを出るが12月と言うこともあって、まだ夜が明けてなく、大通りまでの道がくらい。
いつもなら、ソイの入り口にたむろしているバイクタクシーが寄ってくるのだけれど、待機しているバイクタクシーがいないようで、こちらからコンビニ近くの乗り場まで向かわなくてはならなかった。
そのバイクタクシー、いつものようにラムカムヘーン駅まで乗せてもらい、40バーツを支払ったところ、「10バーツ足りないぞ」と呼び止められてしまった。
こういうことはしばしばあるけれど、あんまりいい気分もしない。
だからタイではタクシーやトゥクトゥクやバイクタクシーに乗りたくない。

朝の中華航空は、今回もまたガラガラ。
映画で「のみとり侍」というのがあった。
案内を見ると殿様の逆鱗に触れて、ネコのノミ取りになるよう命じられた侍の話とある。
これは江戸時代のネコの話だろうと喜んでチャンネルを合わせた。
映画が始まる。
時代劇ではあるけれど、コメディー風のつくりのようだ。
まぁ、コメディーでも構わない。
主人公の侍を演じるのは阿部寛。
しかし、ネコがなかなか出てこない。
たまにスクリーンの端に脇役として映っているだけ。

台中花博のマスコット

[台中で開催の花博のマスコット、ネコではなくヤマネコらしい]

私がネコの映画と勘違いしたのが間違っていたようで、基本的にはネコとは関係のないストーリーであった。
ネコのノミ取りとは、江戸時代の男娼のことであったようだ。

台北で乗り継ぎ、すっかり日が暮れた成田空港に着陸。
どれほど寒いだろうかと心配していたが、それほど寒さを感じなかった。

インスタ写真焼き付け機
[台北空港で見つけたインスタ写真の無料プリントサービス、インスタなんてやってないけど、写真はプリントしたい]

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12月13日 木曜日

午前中に墓参りを済ませ、午後からは大宮の先まで出かける。
昔お世話になった方で、いまでもバンコクへ来られた際には、食事をご馳走になったりしている。
しかし、年齢ももう80となり、最近はお医者さんからバンコク行きはおすすめされていないらしい。
その方から、パソコンの設定が上手くできないので見てほしいとの依頼をもらっていた。

大宮まで行くのに、武蔵野線に新秋津から乗ってみることにする。
武蔵野線など、長いこと乗ったことがない。
開業したばかりのころ、日本で初めての自動改札が設置されるような先進的な反面、1時間に一本程度しか電車が走っていなかった。
いまは、通勤電車が頻繁に走っているそうで、駅で電車の発着案内を見たら、「東京」行きなんてのがある。
それもぐるりと埼玉、千葉を回って走るようなので驚いてしまう。

パソコンの設定はものの10分ほどで完了してしまう。
それから出張先で集められたというコレクションの骨董品を見せてもらう。
奥さんが、今の家を売って、街中のマンションへ移りたがっているそうで、そうなると、スペースもないだろうから骨董品も処分しなくてはならないが、どのくらいで売れるだろうかと言う話になった。

夜は18年前に、2年ほど勤めていたベンチャー会社の仲間たちとあう。
その会社は私が仕事を放り出してチェンマイへ行ってしまった後、半年ほどで倒産してしまった。
それから毎年、「残党会」と称して飲み会をしている。
私もそうだけれど、まだ20代、30代だった仲間たちも、もういい歳である。
沖縄料理の店で、泡盛などを飲み、昔話と近況報告、そしてバカ話で楽しんだ。

<hr>

12月14日 金曜日

花小金井駅前の銀行へ行く。
天気は快晴なのだけれど、風が強い。
古い民家の庭先では、ネコたちが陽だまりで憩っていた。
タイのネコは陽だまりで憩うなんてことはまずない。

陽だまりの猫たち
[このお宅では夏にも写真を撮らせてもらったような気がする]

1週間ほど前に、妻がぎっくり腰になってしまったそうで、満足に動けなくなってしまっている。
そのため、私一人遊びまわっているのも気が引けるので、ほとんどの時間を家の中で過ごす
それでもラビットスクーターだけは、放置したままにしておけないので、バッテリーを充電してエンジンをかけ、近所を走ってみる。
エンジンはちゃんとスタートするが、やはり燃料タンク内のサビから燃料詰まりになりかける。

ラビットジュニア
[昭和42年型なのでもう50年を過ぎたことになるが、まだまだ現役]

夕方、近所のスーパーヤマザキで小さなショートケーキを買ってきて、一足早いけど、妻と二人でクリスマスを祝う。
スーパーのケーキなど美味しくないと昔から思っていたけれど、長いことタイに暮らしていると、こんなケーキを食べても、
「やっぱり」日本のケーキは美味しい」と思えてしまう。
安物のワインも飲む。
タイは安物のワインも高い。
日本は物価が高いけど、ビール以外のアルコール飲料だけは安いと思う。

クリスマス
[東京の家でクリスマス]

夕食にはカレーライスを食べて、夜10時には眠くなって寝てしまう。
やはり日本の12月は寒いようで、布団にもぐりこんでも寒いので、いままで電気を入れたことのない電気マットを使って寝る。
年取ったら、寒さに対して弱くなるのだろうか。

<hr>

12月15日 土曜日

バンコクへ持ち帰るための食材などの買い出しをドンキホーテで行う。
乾麺や調味料、麺つゆなど、、、今年の夏から税制が変わって、食品も免税扱いになるそうで、いままで免税など考えたこともなかったけれど、税額8パーセントも安くなるなら、その差は多少の手間を考えても受けるべき、今回初めて手続きをしてみる。
たぶん、都内の店ならば、店の人も免税扱いに慣れていて、テキパキと処理してしまうのだろうけれど、郊外の住宅地の店なので、店員さんも手続きがよくわからないで、あちこちへ電話をして確認している始末。
会計だけで、ずいぶんと時間がかかってしまった。

青空にカキの実
[鳥たちがカキの実を食べに集まってきます]

夕方、銭湯へ行く。
土曜日なので混んでいるかと思ったけれど、たいしたことはなく、のんびりと入浴ができた。
もっとも、銭湯の湯は熱いので、湯船に5分と入っているとのぼせてしまう。
ここの銭湯には、ジャグジーのようにブクブクと底から泡の出る風呂、背中から水流が当たるジェットバス、打たせ湯などと一緒にエレキ風呂と言うのがあって、浴槽内に電極があり、低周波の電気が流れて、入るとビリビリとくる。
血行を良くしたりして、健康に良いらしいということで、去年までは我慢して、入ったりしてみた。
しかし、私にはこのビリビリを快感とは感じられず、できれば避けたいと思っていた。
別に、エレキ風呂に入らなくてはならないルールなどないのだけれど、支払った入浴料にはこのエレキ風呂代も含まれているはずだと思うと、入るのが義務のように思えてしまう。
しかし、今年の初めに頸椎の手術をし、首の関節に金属製のバネを埋め込んであるから、この金属製のバネに低周波の電気が流れるのはマズイと勝手に判断し、それを理由として、エレキ風呂入浴義務を回避することにしている。

夕食にはおでんを食べる。
おでん素材の中では、昔から「ちくわぶ」が好きである。
小麦粉を練っただけの、具の中では大きいだけで、貧相なのだけれど、これが好きなのである。
バンコクでもおでん種を売っていて、たまにおでんを作って食べるのだけれど、このちくわぶはバンコクのスーパーで売っていない。
久しぶりに、辛子を効かせてかぶりつくと、表面におでんスープが浸みこみ、中心部はうどんのような食感で、思わず「あぁ、これこれ」と思えてくる。

<hr>

12月16日 日曜日

タイへ戻る日となってしまった。
朝一番で自転車をこいで墓参りをし、9時過ぎから団地の階段掃除。
バケツで水をかけ、デッキブラシでゴシゴシ。
同じ階段を利用している世帯の人たちとの共同作業。
この団地ももうじき50年になり、昔から住んでいる人が大半。
子供のころの私を知っている人たちである。
つまり、高齢者ばかりで、私などはダントツで若い方になってしまう。
それでも皆さんまだまだお元気。
団地もこれからどうなるのかわからないけど、日本中あちこちでこのような団地の問題が発生しているらしい。

白い恋人
[ピサヌロークの学生たちから土産に欲しいと頼まれたのは白い恋人]

稲荷ずし大好き
[豪華な寿司もいいけど、成田で食べる稲荷寿司が好きだ。カップラーメンも]

帰りの飛行機では山田洋二監督の「家族はつらいよ」を見る。
役者はそろっているけど、やっぱり寅さんのような面白さはない。

そして機内食はチキンカレー。
昨日の昼も残り物のカレーを食べたので、3日連続のカレーとなった。
カレーは辛くなく、またお肉があまり食べたくない私に、カレーに入っているチキンが大きく、量も多いのが気になった。
日本にいる間に見たテレビで大豆などから作った人造肉を紹介しているものがあったが、早くもっと普及しないものかと思う。

雲に隠れた富士山
[このところ富士山が眺められないケースが続いている]

台北でのストップオーバーでいつものように南崁の町に向かう。
市場のおばさんのところで「台湾うどん」を買う。
「いま会社終わったのかい」と声をかけられる。
毎度台北のストップオーバーでうどん玉を買っているので、この近所に住んでいるものと勘違いされているようだ。
いちいち説明するのも面倒だし、細かな事情を伝えられるほどの中国語能力を持ち合わせていない。

バンコクまでの飛行機もガラガラであった。
おかげで、離陸してフルーツプレートの機内食を食べ終わって早々に、後方の席へ移り、4人掛けのひじ掛けを上げて横にならせてもらう。
これぞまさしくフルフラットである。
最近、中華航空を含めて各-航空会社がカウチと言って追加料金を取り、3人掛けのシートを占有させ、ベッドのように使わせるサービスを始めているが、こちらは4人掛けなので、足を伸ばして寝ることができる。
しかも、追加料金もかからない。

バンコクの空港のイミグレーションは混んでいなかったが、係官のやる気がないのか、携帯電話でのおしゃべりに夢中で、ほとんど手が動いていない。
午前3時近いこの時間に、いったい誰とそんなに楽しそうに話すことがあるのだろう。
おかげで、10人ほどの列は遅々として進まず、やっと抜けられたと思った時にはもターンテーブルで私の荷物が回っていた。

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| 日常 | 02:23 PM | comments (0) | trackback (0) |
ピサヌロークのロイクラトンパレード
11月22日 木曜日

ロイクラトン祭りの日です。
タイではソンクラーン祭りに次ぐ全国的に大きなお祭りですが、祭日に指定されていません。
いつも通りピサヌロークの事務所に出勤。

朝、ゲストハウスを出がけに、同じゲストハウスに泊っているベラルーシから来たという若い女性二人を車に乗せてピサヌロークの市内まで連れてくる。
ゲストハウスから市内中心部までは、数キロの距離があり、歩くにはちょっと遠すぎる。
彼女たちは、銀行で両替をしてから、スコタイ行きのバスに乗りたいのだそうだ。
スコタイはロイクラトン祭りの本場ではあるが、スコタイへは遺跡巡りだけして、夕刻には帰ってくるつもりらしい。

銀行の両替にも付き合う。
市内中心部、時計塔ロータリーにあるサイアムコマーシャル銀行へ連れていく。
この銀行は駐車場があるので便利。
8時半の開店とともにカウンターへ向かったが、タイの地方の銀行でありがちなことなのだが、米ドルを両替するだけのことなのに、やたらと面倒な手続きなどがあり、時間がかかる。
パスポートのコピーやら、滞在先の住所やら、、行員も慣れていないのか、他の行員に相談したりしながらなので、なかなか大変そう。
ホテルのように冷たいウエルカムドリンクを出してくれたりしてサービスは良いのだけれど、旅行者が「ちょっと両替」と立ち寄るにはまどろっこしい。
結局100ドルの両替に20分かかってしまった。

トップランドホテル近くのバス停で二人と別れる。
バス停に殴り書きされたスコタイ行きのバスの時刻を見ると、08:40のバスは出たばかりのようで、次の09:40のバスまでまだ40分以上もある。
別に彼女たちはバスを待つことなど苦でもないようで、「サンキュー」と言われて置いてきた。

仕事が終わってから、スタッフや研修生を連れてスコタイへ行こうかと迷っていた。
先週末からスコタイではスコタイ・ナイトと称して大きなお祭りが開催され、歴史をテーマにしたショーも催されている。
一度見ておきたいと思っていたし、ショーは19:30からということなので、時間的にも都合がよさそうに感じた。
でも、ちょっと身体がだるい。
疲労が溜まってきているのだろうと思っていたが、昼前くらいから悪寒が走るようになってきた。
昼食を食べに出たが、暑いんだか、寒いんだか、なんだかよくわからない。
おいしいものを食べようと奮発して45バーツのカニ・チャーハンを注文したけれど、なんだか味がよくわからない。
風邪を引いてしまったらしい。

午後からの業務は、身体はだるいし、頭は鈍ってくるし、イライラしたり、28度に設定しているエアコンに震えたり、スコタイどころではなくなってしまった。
早退して帰りたいくらいだったけれど、帰ったところで、メールは携帯電話へ飛んでくる。
逃げ隠れできないし、どうせやらなくてはならないなら、事務所のパソコンで処理した方が楽で速い。
メールだの、携帯電話なんか、ちっとも便利ではないと思う。

夕方6時過ぎ、そろそろ限界。
もう帰ろうと思ったのだが、下の通りが騒がしい。
見ると横断幕を掲げて、パレードが続いている。
ピサヌロークでもロイクラトンのパレードがあるらしい。
昔、チェンマイにいたときはロイクラトンに限らず、大きなお祭りのたびにパレードがあり、美人を乗せた山車が市内を回っていたのを思い出した。
パレードが続くため、通りは通行止めになっていて、帰宅することができない。
早く帰りたいと思って、事務所を閉めたが、こうなったらパレードの見物でもさせてもらうことにする。

パレード
[バロムトリロカナート通りでパレードが始まる]

たぶん、地区ごとに集まって更新しているのだろうけれど、それぞれ先頭に横断幕を掲げ、その後ろに民族衣装を着けた人が続き、踊りを踊ったりする。
さらにただの村人としか思えない集団が、ゾロゾロと続く。
おじさん、おばさんばかりで、若い人はいない。
たぶん若い人たちは、恋人ともっとロマンチックなロイクラトンを過ごしに出かけてしまっているのではないだろうか?

村人の行進
[この人たちはまだ色違いながらそろいのアロハを着込んでいる]

山車に美人を乗せているのはチェンマイと同じだけれど、山車の装飾の豪華さや大きさはチェンマイよりだいぶ劣る気がする。
特にどう見てもそのへんのおじさん、おばさんが、たぶん普段着のままで、ゾロゾロはどんな意味があるのか疑ってしまう。
「参加することに意義がある」ということなのだろうか?

子供たちの踊り
[子供たちは何となくフラダンスっぽいかな]

山車は延々と続くのかと思っていたら、10台にも満たずに終わってしまった。
一番最後の山車はピザチェーンの小さなもので、ここだけは若いスタッフばかりで構成されていた。

時計塔前ロータリー
[時計塔のロータリーには見物客も集まってきていた]

通行止めが解除されてゲストハウスへ戻る。
ノドが痛いので、アイスクリームを買い、サラという風邪薬を飲んで早めに寝てしまう。
夜中に熱くなったり、寒くなったりするので、そのたびにエアコンのスイッチを操作した。
窓の外からはロイクラトン祭りの嬌声が聞こえてきていた。

華僑の山車
[ピサヌローク在住華僑団体の山車だけど中国色は見られずタイに同化している]

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