2019,01,22, Tuesday
1月9日 水曜日
また一時帰国ネタです。 数日前からピサヌロークよりネコとともにバンコクに戻っており、バンコクのアパートから空港へ向かう。 前回はアパート前のソイ入り口からラムカムヘン駅までのバイクタクシー代が50バーツ請求されたと憤慨したが、今回は40バーツで問題なかった。 このところタイバーツから日本円への換算率があまり良くない。 世界的な不況と言う噂も流れているけれど、為替のアップダウンは頻繁で、しばらく待てばまた良くなりそうな気もする。 それまでバーツから日本円への両替を見合わせておきたいのだけれど、財布の中に日本円の現金は1万円も入っていないため、当座の手持ちように3万円分だけ両替しておく。 バンコク空港の中華航空のラウンジが成田や台北よりも落ち着く感じがする。 台北は豪華っぽく作ってあるけど、食べ物とかがあんまりよくないと感じる。 それに人が多くてせわしない。 成田はサービスもいいし、生ビール・サーバーもあって好きだけど、中国系の他の航空会社も共同利用している関係で、混雑したり、あわただしかったりすることがある。 そこへ行くと、バンコクはこじんまりとしているけど、総合点で悪くない。 飲茶も台北よりおいしい気がする。 ということで、お粥や飲茶、そしてサラダにサンドウィッチとおなかに詰め込み、搭乗ゲートへ。 今朝の飛行機もガーラガラ。 <hr> 1月10日 木曜日 なんだかスッキリしない空模様。 昼前くらいには少し雪も舞っていたらしい。 つまり、とても寒い。 こんな寒い日には銭湯に限ると、今回も自転車で銭湯まで行く。 寺社建築の銭湯は東日本だけらしく、西日本の銭湯が四角くそっけないコンクリートの建物で、初めて見たときは少しカルチャーショックを覚えた。 その銭湯は山口県の下関だったように記憶している。 のんびりと銭湯を楽しんだらば、すっかり暮色が濃くなっていた。 昭和40年代の世界にタイムスリップした感じ。 これで豆腐屋がラッパを吹きながら自転車で通りかかりでもしたら涙が出てきてしまいそうだ。 <hr> 1月11日 金曜日 妻と一緒に吉祥寺南病院へ行く。 膝の痛みを訴えて、いろんな病院へ行ってみたけれど、これといった解決には至らず、今日に至っているが、それでもこの病院の対応が一番良かったと言っている。 大きな病院ではなく、また待ち時間も長かったけれど、お医者さんもスタッフも感じが良かった。 昼食を吉祥寺駅ビル内にある「大戸屋」で食べる。 バンコクにもたくさんある店だけれど、バンコクよりも割安感がある。 大きな窓から、外を眺めたら、KNT吉祥寺支店があった。 20年ほど前に任務していた支店だ。 以前と比べて、なんだか活気が失せているような気もする。 ハーモニカ横丁なんかは今でもあるのだろうか。 風はあるが、天気は晴れており、午後からラビットスクーターに乗って近所を走ってみる。 いつ燃料詰まりでエンストするかわからないような不安定感はあるけれど、それ以外はちゃんと健気に走ってくれる。 住宅街の中に、ネコ・カフェ発見。 それも、ちょっと奥まったところで、、どう見てもただの民家にしか見えないけど、、、興味はあるけど、知らない他人の家にはいるみたいで、入りにくい雰囲気。 <hr> 1月12日 土曜日 息子の優泰と蕎麦屋の「小ばやし」で待ち合わせる。 ここのかつ丼はとても懐かしい。 中学生のころは随分と出前でお世話になったものだ。 ドンブリの蓋を開けるとポワーンとなんともたまらない甘じょっばい香りが立ち上る。 ちょっと濃いめの味付けで、ボリュームもある。 店に入って食べるのは実は初めて。 土曜と言うのに、店内はほぼ満席。 相席でテーブルに就く。 老夫婦二人で切り盛りしていて、忙しそう。 カツ丼900円という金額は、40年前の倍くらいだろうか。 カツ丼の味も、漬物の味も昔と同じようだ。 ナメコの味噌汁もついてきたが、以前は「上カツ丼」でなければお椀物が付かなかった気もするが、記憶違いかな。 カツをふっくらと玉子でとじるのは、素人には難しい。 タイのなんちゃって日本料理屋では絶対出会えない。 食後にはコーヒーまでサービスしてもらった。 1月13日 日曜日 バンコクへ戻る日。 朝から妻と言い争いをしてしまったまま空港へ向かう。 気が重い。 こういう時は、いいことが起こらないもので、富士山が見える右舷側の席にはならず、左舷側の席。 それでも、チェックインカウンターの係からは「プレミアムエコノミーのお席でご用意してます」と言われるが、同じ席でも雪を頂いた富士山が眺められる席が良かった。 反対側の窓からは富士山が見えているだろうなと思うあたりで、伊豆半島が見えた。 機内で映画を見る。 舘ひろし主演の「終わった人」。 これが結構よかった。 「卒婚」というのがテーマらしく、初めて聞く言葉だけど、しっくりくる。 ただし、我が家と違って、我が家の場合、別居しても、金銭的補充はすべて私からの一方通行。 妻の自立と言うのは、あくまでも経済的自立ということにはなっていない。 朝の言い争いの根底にあるのが、月末に引っ越して一人暮らしすることにしたという内容から発したもので、 いまだって息子も出て行って、一人暮らしなのだけど、新しい家と言うところ違うらしい。 それも私に相談ではなく、妻の姉妹たちと相談して決めて、お金もかかることなので、こちらは全く面白くなかった。 そんななかで、この映画のストーリー。 悪くなかった。 でも、別に私も贅沢したいつもりもないし、質素でも食べられれば良いだけのネコとの暮らしに満足しているのだから、あんまり妻の行動に物言いをつけるべきではなかったと少し反省する。 台北の乗り継ぎではまた市場で「台湾うどん」を買い込む。 空港と南崁の間のバス賃はバス会社によって違うことを発見する。 往路は国光バスで36元、復路は桃園バスで25元。 金額の差だけあって、国光バスは観光バスのように豪華で、桃園バスは普通の通勤バス。 そしてフィリピンからの出稼ぎ労働者らしい若者でいっぱいだった。 台北からバンコクまでは、希望した8Dという、自分で決め込んでいる指定席がふさがっていて取れず、10Bという席になってしまった。 そして、バンコク到着が深夜2時過ぎという便にもかかわらず、満席。 こんなに混んだ飛行機に乗るのは久しぶりである。 窮屈なエコノミー席ではあるけど、飛行中のほとんどを寝て過ごした。 バンコクの入国審査には30分以上の時間がかかり、タクシーに乗り込んだら午前3時を回っていた。 |