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バンコク生活2ヶ月目
バンコクへ移ってきて、はじめは仕事らしいこともほとんどしていなかったけれど、そのうちに社内ミーティングに駆り出されることが多くなってきた。
また、本業とも呼べる部分も稼働し始める。
もともと自分の性格は、みんなで協力し合って何かを進めて行くというタイプではないと思っている。
誰かといるより、一人でいることの方を好む。
だからたぶん企業の中で働くというのはもともと向いていないような気もする。

車両点検
[たまにはバス会社へ行って車両の整備状況もチェックしてます]

バンコクで毎日職場とを往復するだけ。
ランチはだいたいはす向かいのショッピングセンターにあるフードコートと安いブッカケ飯を食べるくらい。
100バーツのプリペイドカードで3回は食べられるからピサヌロークよりも食費にお金がかかっていないかもしれない。

朝起きれば、ベッドの中でストレッチ風の体操をしばらくやり、そのままジョギングに出かける。
ジョギング中にネコに出会えば、うちのネコの仏前から下げたキャットフードを分け与える。
ネコに出会うときもあれば、ネコとの接触がない時もある。
ネコと戯れることができると、朝から気分が安らぐ。
しかし、捨てネコに出会って、キャットフードを与えた後も、「連れてってくれ」とネコにすり寄られると、そのままネコをおいて走りだすのに後ろ髪を引かれる思いもして、心が痛む。
次の日の朝になって、また会えるだろうかと、ネコはどうしているだろうかと、走る道すがら探してみたりするけれど、また出会うことはまずない、
また誰かに拾われていればいいし、一匹でどこかへ行ってしまったのかもしれない。

もともと子供のころから運動が苦手で、大嫌いだったけど、健康維持のためと言い聞かせて続けてきたけれども、ネコに遭えるという楽しみで朝のジョギングは嫌いではなくなってきている。

ジョギングコースのネコ
[このネコは以前から倉庫の管理人に可愛がられている幸せ者]

ジョギングの後はアパートの屋上でラジオ体操。
小学校の頃にラジオ体操をしていたが、あの時は前屈して、開いた足の間から空まで見ることができたし、反り返っても後ろの生徒も同じ格好で反り返っているのが見えた。
しかし、今は身体か固くなったのか、開いた足の間からは地面しか見えず、反り返れば空しか見えない。

ラジオ体操後は、水連の鉢にいる小さな魚たちにエサを与える。
はじめのころは私が近付くと水草や藻の中に隠れていた小魚たちが、毎朝エサがもらえるとあって、水面で待ち構えているようになった。

11月6日から11日にかけてピサヌローク経由でチェンライまで車を運転して出張に出かけた。
ヒーサヌロークまでは通いなれた道。

巨大雷魚
[ハイウェイ沿いシンブリ県にて、巨大雷魚はメタルに復活]

ピサヌロークでは一晩も夜店に立って衣料品販売を担当する。
衣料品の販売、しかも夜店での売り子と言うか、呼び込みなど生まれて初めての経験。
数時間、声をからして呼び込みをしたけれど、売り上げは1500バーツにもならなかった。
私にはこの手の商売も向いていないのではと思ったが、これでも私がバンコクへ移ってから始めたピサヌローク支店として出店している夜店での売り上げ新記録らしい。
まったく収支に合わない仕事をしているものだと思う。
人件費どころか、出店料や搬入搬出費用にもならないのではないだろうか。

夜店で衣料品販売
[商売は難しい]

夜店に夜遅くまで立っていて、翌朝は午前中ピサヌローク支店で事務処理をする。
1か月分溜まっていた経理的な書類を作り上げ、金庫の中の金銭チェックをしたらチェンライへ向けて出発。

リタイホテルの食堂
[このところピサヌロークの定宿リタイ・ゲストハウスの食堂でサービスの朝食を食べる]

ピサヌロークからチェンライまでは遠い。
400キロ以上の道のりで、途中に山越えがいくつかあるし、バンコクへのハイウェイと違って道幅も狭く、また市街地近くでは信号も多い。
おまけにチェンライが近付くと道路工事区間も多くなった。
日が暮れてからチェンライに到着したときには、もうヘトヘトであった。
チェンライでの宿は、格安で予約したチェンライホテルと言う名の安宿。
この宿屋、20年以上前にも泊まったことがある。
時計塔近くにある宿屋で、改装して以前よりきれいになっているが、やっぱり安宿。
以前は中庭が駐車場になっていた記憶があるが、現在は駐車場のない宿屋となっている。
車は宿屋前に路上駐車。
ところが、チェンライの時計塔周辺はどういうわけか夜になると無数のツバメたちが集まって電線で夜を明かす。
その電線の下に止めた車は一夜にしてツバメの糞を多数浴びることになっていた。

鶏のフンだらけ
[一晩でツバメたちのフンだらけになった]

チェンライでは10日まで3泊。
ここでの業務は新しく採用したスタッフへの業務指示と小切手へのサインそして7月に搬入されて、商品確認や棚卸ができていない衣料品のチェック。
新しく採用したといっても、以前はもともとバンコクで私の下で働いてくれていたスタッフで、私がピサヌロークにいる間にコロナ理由に整理解雇されて、実家のあるチェンライへ戻ってきていたところを再度スカウトしたので、私としてはとても使いやすい。
二児の母でもあり、なかなかパワフル。
数か月も放置されていた埃をかぶった段ボール箱の衣類に果敢に立ち向かい、一点ずつ商品番号の読み取りをしてくれた。
おかげで、翌週には8000点ほどあった在庫品のリストが私のところへエクセルにまとめられて届けられてきた。
こうした有能なスタッフを整理解雇してしまうんだから、会社の人事担当者はいったい何を見ているのだろうかと思ってしまう。

ビフォー
[こんな状態だった]

アフター
[こんなになった]

チェンライでは職場以外は、あんまり気持ちの良い思いはしなかった。
もともとチェンマイという街とは相性が悪く、あんまり好きではないというのもある。
特に今回は食べ物とお金に関することで気分が良くなかった。
ピサヌロークと比べて、チェンライは長らく外国人観光客の多く訪れる土地であったこともあり、食べ物の値段が一概に高いように感じていた。
物価が高いので、少しでも安く上げようと、宿屋から近い市場へ行って、夕食を買おうとした。
グロテスクな肉の煮物や炒め物ばかりが並んで、私にはあんまり食指の動くものがない。
そこでソムタムでもと思って40バーツと書かれた屋台のソムタム屋でソムタムを注文する。
エビとかシーフードとかの追加料金のかかるソムタムではなく、ベーシックなタムタイというソムタムを注文。
胃腸がニンニクに弱いので「ニンニク少なめに」と注文して、できあがったビニール袋入りソムタムを受け取り、40バーツを払おうとしたら「50バーツだ」と言われる。
私の前に注文した人も、同じものを買って40バーツを払っていたのに、どうして50バーツか腑に落ちない。
「40バーツでしょ」と言うと、
「これはピセート(特別)だから50バーツだ」と言い張る。
なにも特別なものを頼んだつもりはないし、せいぜいニンニク少な目と言っただけ。
まったく取り付く島もなく、次の客の注文を取り始めている。

また朝食を食べようとブッカケ飯屋に入った。
「おかず二点盛り40バーツ」と壁のメニューに書かれた食堂に入った。
グリーンカレー風と野菜炒め風のオカズを指さしてライスに盛ってもう。
ピサヌロークの食堂と比べるとまったく量が少ない。
ちょうしょくだから、この程度でもいいかと思ったが、食べ終わって店員に100バーツを渡すと、奥から店の主人風が出てきて「うまかったか?」と聞く。
特別うまくもないが、まずくもないけど、無難に「うまかった」と答えておいた。
そして渡された釣銭は50バーツ。
壁のメニューを指さして「40バーツじゃないの」と聞いたが、
「このメニューは関係なく、50バーツの料理を食べた」と言い張る。

他にも昼食で入った飲茶屋でも同様のことが続き、嫌な街の印象は深まるばかり。
でも、安宿のチェンライホテルはまずまず気に入った。
宿屋の1階が酒屋と言うのも良かったし、狭いけど部屋の作りが良かった。
エアコンの風が寝ているときに直接当たらない構造になっている。
スタッフも感じが良かった。

ネコの置物
[棚にこんなネコの置物があるだけで嬉しくなる]

チェンライからの帰りにもピサヌロークへ立ち寄り、11日の昼にはバンコクに戻って勤務。
翌12日は午前5時に出発をしてシラチャへ向かい、昼は再びバンコクで、夕方はカンチャナブリ。
その晩はそのままカンチャナブリ奥地に宿泊。
クワイ川の上流、モン族の居留地近くにある水上筏のコテージに宿泊した。
ボートでしかアクセスできない場所であり、しかも電気も通じていない。
携帯電話の電波もほとんど届かないといった場所。
生まれてこの方、自家発電で電気供給に時間制限のある所はなんども経験してきたけれど、まったく電気のないところは初めての経験。
トレイも筏の下に流れる川へ落下させる天然強制水洗式。
食べ物は美味しかったし、特別に少しだけモン族の踊りも見せてもらった。
モン族の踊りはテンポが速く、動きもタイの舞踊と比べると激しい。
男性の踊り子も口紅をぬったり化粧をしていた。

夜中、こんなに電気がなくて、闇の中ならさぞ星が見えるだろうと期待したけれど、あいにく夜空には星の代わりに雲が広がり、星を眺めることができなかった。
同行の学校の先生には、いまひとつ人気がなかったのか、翌朝は朝食を食べるとすぐにチェックアウトすることになってしまった。

水上コテージ
[私個人としては、良い体験だったと思っている]

泰緬鉄道にも乗ったりしたが、週末ということもあり、観光客がだいぶ戻ってきていた。
バンコク在住だと思うけれど外国人の姿もたくさん見受けられ、日本人の家族連れの姿もあった。
タムカセーからクワイ川橋まで、運賃は外国人料金ということで100バーツ。
同じ区間、タイ人は20バーツ程度らしい。

クワイ川橋を渡る
[泰緬鉄道でクワイ川橋を渡る]

シラチャへもどり、シラチャの支店前に止めておいた車で再びバンコクのアパートに戻ったらもう夜中の12時になってしまっていた。
さすがに疲れ果てて、翌日はほとんど何もする気力もなく、バンカピの市場へ行っただけ。
野菜の値段が高止まりしていて、キャベツなど主に葉物野菜が倍くらいになっている。
果物もちょうど端境期なのか、手ごろで美味しそうなものが見当たらない。
まだ甘さが乗っていないだろうと思いながらもマンゴーを買う。
当たりはずれのないバナナとかにしておくべきだったかなと思うのは毎度のこと。

18日と20日はそれぞれチャーム海岸のホテルまで下見に行ってくる。
チェームまで片道200キロ。
往復で400キロだから、朝早く出発して、現地で夕方まで活動してバンコクに戻ってくるともう夜もいい時間になってしまう。
運転中にもメールやメッセージの着信音はひっきりなしにスマホに入ってくるので、ときどき車を止めて急ぎのものには返信を返すからますます時間がかかってしまう。
メッセージとかオフィスにいるときは、便利だと思うけど、ハンドルを握っているときは電話の方が便利だと感じる。

チャームの海岸
[チャームビーチはちょっと波が高かった]

といった具合に、とにかく忙しい日が続いている。
外を飛び回るのは好きなのだけど、その合間合間の社内ミーティングではウンザリすることが多く、また事務仕事もどんどん溜まってしまい、どこから手を付けたらいいのかわからなくなってきてしまう。
やっぱりピサヌロークでマイペースな毎日を送っていたころが懐かしい。

ジョーク
[ピサヌロークで食べたジョーク]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=205 |
| 日常 | 06:13 PM | comments (0) | trackback (0) |
バンコクへ異動
9月末で3年間暮らしてきたピサヌロークの下宿を退去する。
この下宿、バーンミースコーと言って観光客を受け入れるゲストハウスのようなものであり、当初ここに住み着くようになった理由は、ネコと一緒に住むことができたからであった。
ピサヌロークに3年も住み続けることになるとは考えていなかったが、ネコと暮らしたのは結局1年半。
そして、コロナもあってここも宿泊者がいなくなって、ゲストハウスから月貸しのアパートのようになった。
ネコと一緒と言う条件がなければ、ここよりも住環境が良いところはほかにもあったのだけれど、ネコとの思い出もあるし、窓から眺めるワットチャンタワントクの金色の伽藍も気に入ってて、暑いとか、掃除がされてないとか不満を漏らしながらも、居続けたわけだけれど、とうとうバンコクへ呼び戻されることになり、下宿を引き上げることになった。

マル
[下宿を去るに当たって一番寂しかったのは下宿の猫たちとの別れ、このネコの名前はマルワイで、私はマルと呼んでいた]

しかし、ピサヌロークの仕事はまだ少しだけ残っていたので、9日間ほどインペリアル・ピサヌロークホテルへ仮住まいとなった。
ここは6月にも泊まったことがあり、プールが気に入っていた。
そして1週間のウイークリー料金が2,500バーツからとお得な金額であったことも、選んだ理由。
しかし、前回はスイートルームだったけれど、今回は一番下のグレードにあたるスーペリアルーム。
昼間は仕事に出かけて、夜寝るだけがから、部屋のグレードなど気にしなくても良いかとの判断が働いた。

プール
[ここのプールはピサヌロークでもトップクラス]

9月末に下宿の荷物をまとめてホテルへ移る。
スーペリアの部屋は、広さは申し分ないけれど、アメニティーが劣っていた。
石鹸がない。
シャワージェルはあるけれど、固形の石鹸が用意されてない。
コーヒーと紅茶のセットもない。
冷蔵庫の中は空っぽ。
後で気が付いたことだけれど、部屋の掃除も毎日は入ってくれないようだ。

部屋からの眺め
[この部屋からの眺め]

ホテルからオフィスまでは自転車。
ちょっと距離があって20分以上かかる。
ホテルの部屋でも自炊をさせてもらっていたので、朝食も部屋の中で食べていくのだけれど、いちどだけ自転車で通う道でパートンコーを買ってオフィスで食べたことがある。
ピサヌロークでもときどきパートンコーと豆乳を買って朝食にすることがあったが、ピサヌロークの市場で売っているパートンコーはひとつ2バーツであるのに対して、ここのパートンコーはひとつが1バーツと半額。
しかし、一個当たりのサイズが小さい。

ホテルでも朝食は食べられる。
レストランでのバイキングはやっていないけれど、別棟のコーヒーショップのようなところで提供しているらしいが、一度も利用しなかった。
値段が高いということもあるけど、バイキングと違って好きなものを好きなだけ食べれないというのが不満。
また、以前はホテルの入り口に出店を出して、朝と夕方にテイクアウトのサービスをしていたけれど、それもなくなっていた。
あんまり売れてそうになかったから、諦めてしまったのかもしれない。

滞在中は毎朝ホテル隣にある公園へジョギングに出かけていた。
池の周りに整備されたサーキットを走るのだけれど、ここへ走りに来ている人の顔ぶれはだいたい同じようだ。
ジョギングやサイクリングする人だけではなく、ただ散歩している人も犬を連れている人もいる。
一人で走っている人は少数派であるけれど、そういう人は走るペースも早い。
私はマイペースで、池の周りを二周して、ホテルへ戻ってくると40分くらいかかる。
出社前にプールでひと泳ぎもしたいところだけれど、ここのプールの開始時間は10時からなので、朝泳ぐことはできない。
夕方も7時までなので仕事から帰ってきてから泳ぐにはあわただしい。

たそがれ時の駅前
[たそがれ時のピサヌローク駅前、電線にはハッカ鳥というムクドリの仲間が群れをなしている]

10月3日は仕事が休みだったので、近郊まで遊びに出かけた。
行先は見ていながら、目的ははっきりしていて、キムネコウヨウジャクという鳥の巣を見つけること。
この鳥の巣は、独特の形をしており、時々見かけるのだけれど、しっかりと確認したことがない。
ピサヌロークにいるうちによく見ておこうと考えたわけだけれど、いざとなるとどこで見かけたのか思い出せない。
なんとなくチェンマイへ向かう列車の窓から外を見ていたら、田んぼの中の木にこの鳥の巣がぶら下がっていたような印象がある。
そこで適当に切符を買って、どんこに乗り込み、車窓から外を眺めて鳥の巣を探した。

鳥の巣探し
[チェンマイ行きの鈍行に乗る]

ビサヌロークから走ること30分ほど、ポンピラームという駅を出た先でそれらしき鳥の巣を発見して、次の駅で下車。
靴を泥だらけにしながら、田んぼのあぜ道を線路に並行して歩き、キムネコウヨウジャクの巣にたどり着いたけれど、いまは繁殖シーズンではないからか、巣の中は空であった。
一応鳥の巣は見つけたので、目的達成したということになるのだけれど、もと来た駅まで戻るより、そのまま線路沿いに歩いてポンピラーム駅まで行くことにしたのだけれど、それが大失敗だった。
日差しが強くて暑い、田んぼのあぜ道はぬかるむので、線路を歩くとバラストに足を取られて歩きにくいし、足裏も痛い。

キムネコウヨウジャクの巣
[線路沿いに見えるキムネコウヨウジャクの巣]

車が走る道は線路と並行しているわけではなく、遠回り。
2時間もかかってポンピラームの街にたどり着いたのだけれど、ピサヌロークへ戻る列車は夕方までないといわれる。
駅前の通りをピサヌロークまでのバスが通るはずと言うので、木陰でバスを待ったけれども、これもまた2時間ほど待たされた。

ポンピラームからのバス
[ピサヌロークへ戻るオンボロバス、まるで運転手はバスの中に住んでいるかのような生活感が感じられる]

ほとんど一日がかりでキムネコウヨウジャクの巣を探しに行ったことになった。
ホテルへ戻ったところで、部屋を移るように言われる。
今まで泊まっていた部屋のある棟はコロナの隔離用に閉鎖するというのが理由らしい。
部屋のことは前日から何やら言われていた。
最初は満室だから、出て行ってほしいといわれ、
次はエアコンの故障だから部屋が変わるといわれたけれど、どうやらコロナ隔離が真相だったらしい。
ピサヌロークで一番大きな工場でクラスターが発生し、その隔離らしいのだけれど、私は引っ越し途中の滞在なので荷物が多く、部屋を移るだけで大仕事となる。
移された部屋はツインベッドの部屋であったけれど、ベッド一台を部屋から運び出してもらって、部屋を広く使うことにした。
もっとも、部屋が広くなっても一人なんで持て余し気味。

ホタル
[ホテルの庭にはホタルが飛び交ってた、一匹捕まえ部屋に放した]

タイの華僑たちが肉食を断って、菜食主義になるギンジェー期間に入る。
私はもともと菜食中心の生活をしているが、ピサヌロークでランチは頻繁にギンジェー(ベジタリアン)食堂で食べていた。
特別美味しいというわけでもなかったけれど、オフィスからも比較的使いし、手頃だったこともある。
ピサヌロークを去る前日にもギンジェー食堂で食べる事にした。

ランチ
[注文したのはミースアという細麺の炒め物と野菜炒めを載せたご飯]

ここのランチ、3年前に初めて食べた時は30バーツだった。
それが35バーツに値上がりし、そして今回これが食べおさめだったかなと思いながら会計したら40バーツに値上がりしていた。

10月8日金曜日、仕事を午後に切り上げて車でバンコクへ向かう。
ピサヌロークとバンコクの間をそん三年間でいったい何往復したことだろうか。
車の故障は何度かあったけれど、事故に遭うことがなかったことは幸い。
バンコクのアパートに夜到着し、荷物を運びあげると、部屋の中は足の踏み場もなくなってしまった。
整理するのは、また明日にして、ネコの写真だけを飾りなおして、部屋は散らかったままの状態で寝てしまう。

翌日はコロナのワクチン接種二回目。
バンスーのサイアムセメントまでバイクで向かう。
途中にわか雨に降られたりする。
前回同様にたくさんの人が来ていて、大混雑。
今回は外国人だけでなくタイ人も一緒に接種ということになっているようで、待たされる時間がやたらと長く、なんだかんだで3時間くらい時間がかかってしまった。
それですっかり疲れてしまい、帰り道に市場で買い物をしてからアパートへ戻って荷物整理するはずが、そのままベッドに直行となった。

さらにその翌日の日曜日も、ワクチンの副反応なのか、身体がだるくて、何もする気力が起きない。
ベッドに転がって文庫本を読む。
日が暮れてもビールを飲むことなくそのまま寝てしまう。

11日からバンコクでの勤務。
前夜は早く寝たこともあり、夜明け前に目を覚まして、ジョギングに出る。
まだ体は本調子ではないけれど、グズグズばかりもしていられない。
ジョギングを含めて運動は子供の頃から苦手であった。
特に球技は運動神経が鈍くてキャッチボールなど全くできない。
それでも何か身体を動かさなくてはと思い、ジョギングなら運動音痴でも何とかなるだろうと続けているが、決して好きで入っているわけではない。
好きではないが、楽しみがないわけでもない。
楽しみはジョギングで走る途中でネコたちに出会えること。
飼い猫もいれば野良もいる。
ポケットにはキャットフードを仕込んで、おなかを空かせていそうなネコにあったら食べさせてやっている。
最近は廃屋のようなところにネコの集団が住み着いていて、彼らに会うことが楽しみになっている。

ジョギングルートのネコ
[ジョギングルートのネコたちにキャットフードを食べさせる]

バンコクでの仕事は、ピサヌロークでと比べると、気が重い。
自分の判断だけでは進められないことが多い。
それとランチタイムが面白くない。
ピサヌロークでは昼ごはんはテクテクと歩いたり、自転車に乗ったりして、何か所かのお気に入り食堂へ通っていたのだけれど、バンコクではいつもターミナル21にあるフードコート。
しかも、そこのベジタリアン食堂と決まっている。
ここのベジタリアン食堂は、こぎれいだし、味も悪くないのだけれど、大勢の人がいる広い空間で、一人で皿に盛られたライスとオカズを無言で食べるのは面白くない。
誰かと一緒に食べたいとは思わないが、エアコンが効いた室内で、なんだかオフィスの延長みたいで味気ない。
太陽の日差しを浴びるということがないのも良くないのかもしれない。

朝焼け
[アパートの部屋は風通しが良くエアコン要らず、朝焼けもきれい]

通勤にはバイクを使っている。
もともと15年近く前に中古で買ったホンダのツーサイクル。
スポーツタイプで以前は少し目立つバイクだったけれど、10年位前からタイでも大型のバイクが目立ち始め、スクーターなんかも大型になってきて、私の150ccバイクがだんだん小さく感じられるようになってきた。
それでも、まだ動いてくれているので乗り続けているが、昼間はよいけど、夜間走行だとエンジンの調子があまりよくない。
ヘッドライトも暗い。
暗いだけでなく、ビームにしかならない。
下向きだとランプが点灯しない。
そんなこともあって、とりあえず点火プラグを長いこと交換しいていなかったので、交換してみる。
なんとなくエンジンの調子が良くなった感じもすると、加速も良くなった。
ヘッドライトの問題もスイッチを修理して、上向きも下向きも点灯するようにした。
これでもう大丈夫かと思ったが、やっぱり夜暗くなるとエンジンの調子が良く無いようだ。
バッテリーがダメなのか、ダイナモの発電量が落ちているのかと考えているうちに、朝の通勤途中で突然エンジンが止まって、動かなくなってしまった。
バンコクはピサヌロークと違って、町中にバイクの修理屋がほとんどない。
延々と2キロ以上もバイクを押してバイク屋探す。
150ccのバイクとはいえ、押して歩くには重たい。
全身が汗だらけとなり、教えられたバイク修理屋にたどり着いたら、そこの職工から門前払いを食わされた。
「ウチじゃ、そんな古いバイクの修理なんかできないよ」という。
なんという言い草、頭にきたが、低調に「じゃこのあたりにどこか修理できるとこないかな」と聞いたが、
「知らないね、年寄りがやってるような修理屋探しな」という。
こいつ喧嘩売ってんのかなと思った。
以前だったらその辺の道具箱の一つ蹴とばしていただろうけど、私も人間に丸みが出たようだ。
修理待ちをしている料理の宅配ライダーが、そっともう少し先に行ったら修理屋があるよとそっと教えてくれた。

宅配ライダーに教えられた修理屋はテキパキと故障の原因を調べてくれた。
原因はメインスイッチらしい。
キーを回しても電気が流れていないそうで、要交換だそうだ。
しかし、スイッチの在庫がないという。
応急処置として、メインスイッチにつながるケーブルを直結してもらい、強制的に電気を流すようにしてもらったらば、エンジンがかかった。
エンジンを止めるときはつなげたケーブルを離せばよいという原始的なもの。
キーも不要。

買い物はもっぱらバーンカビの市場へ休みの日に出かけている。
ここがスーパーなどよりずっと安い。
ちょっと遠いけど、比較的気に入っている。
昔はクロントイ市場をもっぱら利用していたが、クロントイはバイクの駐車違反の取り締まりが厳しくなって、あんまり行きたくなくなっていた。
バーンカビはその点まだのんびりしている。
市場へ行って気づいたのだけれど、キャベツが高くなっている。
以前は1キロ30バーツほどだったのが、倍の60バーツもする。
白菜も高い。
葉物野菜が全体に値上がりしている。
朝は果物を食べるようにしているので、市場では果物も買うが、失敗することも多い。
ナシを買ったときは、相当に古いものだったのか、半分に割ったら中が真っ黒になっていた。
マンゴーも買ったが、これは季節外れだろうか、ちっとも甘さが乗ってなくて、マンゴーの味がしなかった。
ドラゴンフルーツは味は薄かったけれど、もともとそんな味なので及第点。
バナナはいままでめったに買ったことがなかったけれど、完熟もので美味しかった。
しかし、完熟ものなので早く食べないと真っ黒になってしまうのが問題。
一度にたくさんは買ったりできない。

10月24日~25日でピサヌロークへ。
2週間ぶり。
今回はツアーの仕事。
ツアーに出るのは半年ぶり。
ピサヌロークへは鉄道を利用するのだけれど、このところタイの国内旅行が解禁され始めて、切符が取りにくくなってきた。
ホテルもいままでのような投げ売り料金は見られなくなり、少しずつ高くなってきている。
このまま旅行需要が回復してくれるのはよい兆しだけれど、供給側がリストラをしてきて、以前のような体力がなくなっている。
あれもこれもと手を出した新規事業も中途半端のままだし、身動きがとりにくい。

おやゆび姫の池
[再開したおやゆび姫の池にもキムネコウヨウジャクの巣があることに気付いた]

ピサヌロークの朝市で、朝食用にパートンコーを買う。
つい先日までひとつ2バーツだったのが、3バーツに値上がりしている。
豆乳も5バーツから6バーツになっている。
ガソリンも随分と高くなって、コロナ以前より高い感じだ。
いろいろな物価が高くなっているけど、コロナの不景気で収入が減っている人も多いはず。
暮らしにくい世の中になっていくのだろうか。

パートンコー3バーツ
[パートンコー3バーツ、たべものを中心に値上げが多い]

カオコーにあるピノラテというカフェに寄る。
ここには二匹のネコがいて、そのネコたちに会いたかった。
しかし、そのうちの一匹、アメーと呼ばれているネコは昨年交通事故で歩けなくなって、今はカフェにおらず従業員の家で保護されていると聞いていた。
黒い猫で、おっとりとした性格。
昨年まで、このネコにあうのが楽しみだった。
しかし、今回カフェに行って聞かされた話は悲しいものだった。
アメーは死んでしまったそうだ。
病気だったのか理由は聞けなかったけれど、もうこの世にいないと思うと悲しい。
もう一匹の、ネコの名前はラテー。
こちらはカフェで会うことができた。
しばらく見ないうちにずいぶんと老け込んでしまったように見える。
タイのネコの一生は、日本のネコと比べると一概に短いように感じる。

アメー

[ありし日(2020年1月)のアメー]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=204 |
| 日常 | 03:35 PM | comments (0) | trackback (0) |
2021年のクメール回廊の旅(後編)
9月19日は朝から雨模様だった。
昨晩から泊まっているこの宿、400バーツほどと破格な値段にもかかわらず朝食が付いている。
町はずれで、立地はよいとは言えないが、荷物輸送のトラック運転手や商売人らしい宿泊客が多く、昨晩は満室だったそうだ。
観光客と思しき姿は朝食会場に見当たらなかった。
朝食会場と言うのも、屋外にあり、簡単な屋根があるだけで吹きっさらしの小屋のような建物。
そこに袋に入ったままの食パン、味付けのしてある粥、野菜のスープとロンコンと言う果物が並んでいるだけ。
質素この上ないけど、私の口にはよくあって、美味しくいただく。
食べ終わりかけにリンゴを従業員が持ってきてくれたけど、これはパサパサで味もほとんどなくて、あんまり美味しくなかった。

雨の中の水牛
[宿の裏では雨の中に水牛がいた]

雨脚が強くなってきていたけれど、午前8時半にナンロンの宿を出発。
イサーンまで来たので、イサーンを代表するピマーイ遺跡にでも立ち寄ろうかと思ったけれど、同行のIさんはあまり乗り気ではないらしい。
以前にピマーイ遺跡は見に来ており、ピマーイからバンコクまでえらく遠くて時間もかかり懲りたのだそうだ。
そこで、ちょっと回り道になるけれどIさんはまだ行ったことがないので是非というロッブリ遺跡を見に行くことにする。

雨が降りしきる国道を西に向かう。
タイの天気は東から西に向かって動いていくので、どうやら私たちは雨雲を背負って西に向かっている感じになったようだ。
普通ならタイの雨など1時間もすれば止むのだけれど、ずっと降り続いている。

国道2号線と合流したシーキウの古代の石切り場にちょっと立ち寄る。
ここには広い駐車場が作られているけれど、止まっているのはパンクを修理しているピックアップトラックが一台だけ。
観光客など皆無である。
観光客はいないけれど子犬が数匹いて、やたらとじゃれついてくる。
こいつらは、捨て犬なのだろうか。
このあたりに人が住んでいる形跡はないし、子犬たちは可愛いけれど、体は汚れて汚い。
駐車場の端では、兄弟の一匹だろうか、黒い子犬が死んで、雨に打たれていた。

ロッブリーへの途中でワットゲンコイに立ち寄る。
ゲンコイにてずっと降っていた雨が止んだ。
ワットゲンコイはサラブリ県で、タイ中部平原からコラート大地へ上る入り口に位置している。
この寺にはタイへ最初の日本人移民の碑がある。
ここに立ち寄るのも何年ぶりだろうか、何年も来ていなかった。

日本人移民の碑
[ワットゲンコイにある日本人移民の碑]

最初の日本人移民は、当初バンコクで水田耕作を行おうとしたが失敗して、バンコクからイサーンへ向かう鉄道建設に従事することになったけれど、マラリアなどにより全滅したもので、その鉄道工事の拠点であったゲンコイのお寺に慰霊碑の形で碑が建てられている。
この碑の隣には、地元の華僑たちが建てたと思われる「萬人墓」と言う碑が立っており、こちらの方が大きい。
この碑は戦争中にこのゲンコイが連合軍の空襲にあって死傷者も多数出る大きな被害が出たそうで、その慰霊碑のようなものである。
戦時中はここでバンコクから首都の疎開先となるはずのペッチャブーンへ伸びる鉄道建設が行われており、その拠点だったことで空襲を受けたのだろう。
2つの慰霊碑の隣には、日本から戦時中タイへ送られ泰緬鉄道で使われた蒸気機関車のレプリカが展示されている。
隣の建物の壁にはつたない絵で、飛行機から爆弾が投下されるシーンが描かれている。
機関車にしても、絵にしても、ここゲンコイの空襲とは直接関係なく、泰緬鉄道の拠点カンチャナブリと混同されている気がするが、現代のタイの人たちのイメージからすると、先の大戦としてイメージされてしまうのはカンチャナブリの泰緬鉄道ということになってしまうのだろうか。

萬人墓とC56
[史実とか時代考証とかはあんまり重きを置かないんだろうな]

寺院境内には白くてスタイルのちょっと変わった大きな仏塔がたっている。
その横には大きなネコのオブジェ。
ちょっと造作が今一つではあるが、ネコであることで、許せてしまう。
ネコの台座にはメーオ・ナム・チョークと書かれている。
日本語にすれば幸運を招くネコということになるのだろうか。
タイでも招き猫をよく見かけるが、このオブジェは招き猫のスタイルを取っていない。
ここにこんなオブジェを置くのだから、きっとなにか謂れがありそうな気がするのだけれど、それらしき説明はどこにも書かれていないようだった。
そうしてキョロキョロしていたら小学生くらいの女の子が近付いてきて「魚のエサを買え」という。
寺の裏にゲンコイ川が流れていて、その川べりでエサをまけば魚が集まってきて食べるので、功徳が積めるというものだけれど、功徳はともかく魚のエサなど買う気もなかったので無視していたが、執拗に付きまとわれた。

幸運を招くネコ
[このネコのストーリーが知りたいな]

川側にある柵のには、サルのオブジェが並んでいた。
「見ザル」「聞カザル」「言ワザル」のポーズを取っており、日本語のごろ合わせと関係なく、この手のサルのポーズは日本もタイも共通なのだと思ったのだけれど、この柵の上に置かれたオブジェは、3つのポーズ以外にも存在しており、いったいそれは何を意味するポーズなのだろうかと疑問に感じた。

サルのオブジェ
[漫画チックな顔つきのサル]

数年間来ていないうちに寺院内には他にも新しい施設ができていた。
大きな涅槃仏を安置する仏堂があり、涅槃仏は金色で、色の禿げた部分や汚れも付いていないので、まだできたばかりなのだろうと思われる。
涅槃仏を安置するためその仏堂も涅槃仏の身長に合わせて細長い長方形のなっている。

ワットゲンコイの涅槃仏
[まだ新しいのかピカピカの涅槃仏]

また、ミャンマーのゴールデンマウンテンのレプリカのようなものもできていた。
こちらはまだ工事中で、完全に完成したわけでもないようだったけれど、工事をしていた職人風が手招きする。
ゴールデンマウンテンの岩山から巨大な蛇の頭が突き出しており、その下に洞窟のような穴が開いている。
職人はその洞窟へ入ってみろという。
職人は電気のスイッチを入れて、内部の照明を点灯してくれた。

ゴールデンロック
[隣国ミャンマーのゴールデンロックはタイ人にとっても憧れなのかも]

中には座禅を組むルシーという仙人と、その仙人を守る大蛇が天井ちかくから乗り出してきて、色付き光線の加減や大蛇の造形からなかなか迫力があり、インスタグラムなどで紹介したらタイ人が集まってきそうな気がする。
その仙人のポーズなのだけれど、座禅を組む仙人の背後から、仙人に覆い被さるように多頭の蛇(ナーガ)が守っている。
これはお釈迦様のストーリーに出てくるものとおんなじシチュエーションなので、ここにいるのは仙人ではなく、お釈迦さまではないか思えてしまうほど。

洞窟内の仙人とナーガ
[最近この手のお寺の付属施設増えてるな]

ちょうど昼時になったので、ゲンコイの街で昼にしようとなったのですが、この田舎町、小さな市場はあるものの、ちゃんとした食堂が見当たらない町。
以前にも、食堂を探して見つけられなかったことがある。
とりあえず鉄道駅まで行って、駅員にこのあたりで旨いものを食わせる食堂はないかと質問したら、交差点を左に曲がって2つ目の信号でUターンすれば、ムークローブ(揚げ豚肉)のうまい店があると教えてくれた。
その駅員は「あそこのムークローブはすごく旨いんだ」とさも自分の店のように自慢していたが、横から別の駅員が口を出し「今日は日曜だからそこ休みだろ」という。

他にもグーグルマップで調べたりしたけれど、こんな田舎町で会社などなくて、勤め人などいなさそうなのに、食堂と言う食堂が日曜で休みになっていた。
結局、道路沿いに出ていた屋台のようなヌードル屋で簡単な昼食となった。
ゲンコイの次にロッブリーへ向かう途中で
、国道1号線沿いにあるワットプラプッタバートにも立ち寄ってみる。
仏足跡寺院。
外国人観光客には知名度は高くないけれども、タイ人の間では昔から有名な寺院で、日本で言うところ江戸時代のお伊勢参りみたいなもので、一度はお参りしておきたい寺院の一つとされてきている。
それだけに国道1号線からお寺の前までの取り付け道路は幅が100メートルくらいもある立派な道になっており、やたらと豪勢。
バンコクのラチャダムナン通りを彷彿とさせるような道になっている。

外国人は要入場料
[外国人は入場料30バーツとなっているが窓口は閉まっていた]

この寺院で一番の見どころは、名前のとおり仏足跡ですが、そこは後回しにして、お寺の裏に続く山道を登って、山の上の洞窟に安置された涅槃仏のところへ向かってみます。
上り坂は途中まで階段が付いていて、そのわきには鐘が吊るされています。
鐘の大きさはまちまちなので、たぶん信者さんたちがそれぞれで寄進していったものなのでしょう。
こぶしで軽くたたきながら登ると、鐘はいい音を立てます。

裏山へ続く階段
[鐘はそれぞれ違った音色を響かせる]

やがて登り道の真ん中に立ちふさがる大きな岩の上に、大地の神様の像がありました。
タイの寺院などの壁画でよく登場する大地の神様ですが、ここの神様はインド的な衣装をまとい、お目めは少女漫画のヒロインのようです。
大地の神様以外にも、道端には信者さんから寄進された祠がいくつかありました。

大地の神
[こちらも色使いからして漫画チック]

裏山の頂上部分は岩がゴツゴツと露出しており、頂上から少し回り込むようにして下ったところに洞窟があって、涅槃仏が安置されていました。
洞窟は広くないのですが、天井部分に丸い穴が開いており、そこから光が漏れて差し込んできています。

仏足跡寺の涅槃仏
[ここまで登ってくる人は多くないみたい]

裏山から降りて、仏足跡のある礼拝堂の横に、พระป่าเลไลยก์(プラパーレーライ)、三寶公と書かれた礼拝堂があったので立ち寄ってみました。
三寶公は漢字で書かれており、日本人向けと言うより、中国語の漢字表記のようで、ここだけではなく、さっきの涅槃仏へ続く道にある祠にも中国語的な表記多数を見かけました。
この礼拝堂の中には、巨大な座っている仏像があり、座禅を組んでいるのではなく、腰かけている姿です。
この姿の仏像はタイでは水曜日午後の仏像とされているものとスタイルが似ています。
水曜日午後の仏像は、腰かけているお釈迦様の前に森の動物(ゾウとサル)が向かい合っている構図なのですが、ちょっと見たところ、ここにはゾウの置物はあるものの、サルは見あたりません。
このゾウの置物は、背中に取っ手が付いていて、指先でこのゾウを軽々と持ち上げることができたら願いが叶うというものです。
この手のゾウはピサヌローク、ワットヤイのナレースワン像前にもあります。

プラバーレーライ
[腰かけた仏像の前にゾウはいるけどハチミツを捧げるはずのサルはどこだ?]

さて、本命の仏足跡の礼拝堂です。
さすがに堂々とした立派な建物です。
外壁面もガラス片などを埋め込んだ細かな象嵌が見事です。
サムットプラカーンのムアンボーランにもこの礼拝堂のレプリカがあった気がします。

仏足跡礼拝堂の入り口
[仏足跡礼拝堂の入り口]

礼拝堂の内部も豪華で、仏足跡の置かれた上には仏塔のような天蓋があり、天蓋を支える四本の柱には、破損防止か象嵌にはめ込んだ装飾品の盗難防止のためかわからないけれど、透明なアクリル板で覆われています。
信者さんたちが次々に訪れては、風呂桶のような仏足跡に金箔を貼り付けていく。
金箔だけではなく、紙幣も投げ込まれている。
仏足跡は願掛けに拝むだけではなく、賽銭箱を兼ねているようだ。

仏足跡
[金箔を仏足跡に貼り付ける]

この礼拝堂の壁には、仏の足型もおかれており、足裏が曼荼羅となっている。
バンコク、ワットポーの涅槃仏も足裏が曼荼羅となっているけれど、さっき訪れたワットゲンコイの涅槃仏は足裏がツルリとしていた。

足型
[曼荼羅、各コマはどんな順番で並んでいるのだろうか]

礼拝堂の前には、おみくじを引いたりするスペースになっているが、そこに並べられている仏像類は、タイ仏教の仏像だけではなく、中国風の仏像に観音様や千手観音、三国志に出てきそうな人物の像、そしてヒンズー教のブラフマーやガネーシャなどの神様たちまで揃っている。
つまり拝めるものなら何でもアライゴダーイで集めているような印象を受ける。

さまざまな像
[これでマリア像とキリスト受難像があれぱ完璧かな]

本来なら最初にこの礼拝堂から回るべきなのだろうけど、最後になってしまったが、このお寺の正面から礼拝堂へと続く階段から眺めた礼拝堂の構図はなかなかのデザイン効果を狙っていることがわかる。
階段に対して礼拝堂はわざとか正面を向けておらず、少し斜に構えた感じになっている。
礼拝堂が斜になっているのではなく、ほんとうは階段が斜めに取り付けられているのかもしれないけれど、なかなかいい構図で写真映えもしそうだけれど、残念ながら青空ではなく、雨雲が垂れ込めてる。
階段を下り終えたあたりからポツポツと雨が降りだしてきた。
語後になってナンロンから付きまとわれてきた雨雲から抜け出したと思ったが、ここで雨雲に追いつかれたらしい。
ふたたび雨雲から抜け出すために西のロッブリーへ向けて急ぐことにする。

礼拝堂へと続く階段
[少し斜に構えた構図がカッコイイ]

さて、雨雲を振り切って本日の目的地であったロッブリーには午後4時に到着。
あちこち寄り道してきたので、ちょっと遅くなってしまった。
最初にロッブリーにあるクメール遺跡の代表格、ワットプラプラーンサームヨートから見学を開始しようと、近くの駐車場に車を止める。
車から降りると同時にあまり身なりの良くない女性が近付いてきて何か盛んに訴えかけている。
駐車料金の請求でもしているのかと思ったけれど、よく聞いてみると「功徳を積むためにサルのエサを買え」と言っている。
このあたりにはたくさんのサルたちが住み着いている。
コロナで観光客が減ってサルたちがエサにありつけなくなり飢えて狂暴になったと去年ニュースになっていたけれど、ここでも功徳とは関係なしでサルのエサを買う気になれない。
現在ではサルたちもちゃんとエサを与えられるようになっているらしく、エサ場にはバナナや野菜などがたくさん置かれているのが見える。
それとサルのエサなど持っていたら、エサをねだりにサルたちに囲まれてしまいそうだ。
いたずら者のサルたちに囲まれるのは、あんまり好まない。

ロッブリーのサルたち
[このクメール時代の遺跡周辺にはサルがいっぱい]

ではロッブリーの遺跡巡りを始めようかとしたとたん、またも雨雲に追い付かれてしまった。
さらにケシカランことに、ロッブリーの遺跡の入場時間は午後4時までとなっているようで、市内のどの遺跡も入り口が閉じられていた。
半年前に来た時も、朝の入場開始時間よりも早く着てしまって、8時半まで待たされた経験をしているけれど、閉まる時間も早すぎるようだ。
ロッブリーにはクメール時代のものから、アユタヤ時代、とくにアユタヤがもっとも繁栄していたナライ王の時代の建造物が多く、見どころの多いのだけれど、アユタヤ遺跡やスコータイ遺跡と比べると、観光客を誘致しようという意気込みを感じない。

コロナの規制が緩和され始めたためか、バンコクへ戻る日曜夕方のハイウェイは交通量が多めで、ところどころで渋滞したりしていた。
ランシットあたりまで雨が降り続いていたけれど、ドンムアン空港あたりからはまだ雨が降っていないようで、路面が乾いていた。
スクンビット、アソークでIさんを下したのは午後7時。
Iさんからは一緒に夕食でもと声をかけられたけれど、私としては早くアパートに戻ってビールを飲みたかったので、「次の機会に」ということにさせてもらった。
バンコクではまだ飲食店内でのビールが禁止されている。

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