9月19日は朝から雨模様だった。
昨晩から泊まっているこの宿、400バーツほどと破格な値段にもかかわらず朝食が付いている。
町はずれで、立地はよいとは言えないが、荷物輸送のトラック運転手や商売人らしい宿泊客が多く、昨晩は満室だったそうだ。
観光客と思しき姿は朝食会場に見当たらなかった。
朝食会場と言うのも、屋外にあり、簡単な屋根があるだけで吹きっさらしの小屋のような建物。
そこに袋に入ったままの食パン、味付けのしてある粥、野菜のスープとロンコンと言う果物が並んでいるだけ。
質素この上ないけど、私の口にはよくあって、美味しくいただく。
食べ終わりかけにリンゴを従業員が持ってきてくれたけど、これはパサパサで味もほとんどなくて、あんまり美味しくなかった。
[宿の裏では雨の中に水牛がいた]
雨脚が強くなってきていたけれど、午前8時半にナンロンの宿を出発。
イサーンまで来たので、イサーンを代表するピマーイ遺跡にでも立ち寄ろうかと思ったけれど、同行のIさんはあまり乗り気ではないらしい。
以前にピマーイ遺跡は見に来ており、ピマーイからバンコクまでえらく遠くて時間もかかり懲りたのだそうだ。
そこで、ちょっと回り道になるけれどIさんはまだ行ったことがないので是非というロッブリ遺跡を見に行くことにする。
雨が降りしきる国道を西に向かう。
タイの天気は東から西に向かって動いていくので、どうやら私たちは雨雲を背負って西に向かっている感じになったようだ。
普通ならタイの雨など1時間もすれば止むのだけれど、ずっと降り続いている。
国道2号線と合流したシーキウの古代の石切り場にちょっと立ち寄る。
ここには広い駐車場が作られているけれど、止まっているのはパンクを修理しているピックアップトラックが一台だけ。
観光客など皆無である。
観光客はいないけれど子犬が数匹いて、やたらとじゃれついてくる。
こいつらは、捨て犬なのだろうか。
このあたりに人が住んでいる形跡はないし、子犬たちは可愛いけれど、体は汚れて汚い。
駐車場の端では、兄弟の一匹だろうか、黒い子犬が死んで、雨に打たれていた。
ロッブリーへの途中でワットゲンコイに立ち寄る。
ゲンコイにてずっと降っていた雨が止んだ。
ワットゲンコイはサラブリ県で、タイ中部平原からコラート大地へ上る入り口に位置している。
この寺にはタイへ最初の日本人移民の碑がある。
ここに立ち寄るのも何年ぶりだろうか、何年も来ていなかった。
[ワットゲンコイにある日本人移民の碑]
最初の日本人移民は、当初バンコクで水田耕作を行おうとしたが失敗して、バンコクからイサーンへ向かう鉄道建設に従事することになったけれど、マラリアなどにより全滅したもので、その鉄道工事の拠点であったゲンコイのお寺に慰霊碑の形で碑が建てられている。
この碑の隣には、地元の華僑たちが建てたと思われる「萬人墓」と言う碑が立っており、こちらの方が大きい。
この碑は戦争中にこのゲンコイが連合軍の空襲にあって死傷者も多数出る大きな被害が出たそうで、その慰霊碑のようなものである。
戦時中はここでバンコクから首都の疎開先となるはずのペッチャブーンへ伸びる鉄道建設が行われており、その拠点だったことで空襲を受けたのだろう。
2つの慰霊碑の隣には、日本から戦時中タイへ送られ泰緬鉄道で使われた蒸気機関車のレプリカが展示されている。
隣の建物の壁にはつたない絵で、飛行機から爆弾が投下されるシーンが描かれている。
機関車にしても、絵にしても、ここゲンコイの空襲とは直接関係なく、泰緬鉄道の拠点カンチャナブリと混同されている気がするが、現代のタイの人たちのイメージからすると、先の大戦としてイメージされてしまうのはカンチャナブリの泰緬鉄道ということになってしまうのだろうか。
[史実とか時代考証とかはあんまり重きを置かないんだろうな]
寺院境内には白くてスタイルのちょっと変わった大きな仏塔がたっている。
その横には大きなネコのオブジェ。
ちょっと造作が今一つではあるが、ネコであることで、許せてしまう。
ネコの台座にはメーオ・ナム・チョークと書かれている。
日本語にすれば幸運を招くネコということになるのだろうか。
タイでも招き猫をよく見かけるが、このオブジェは招き猫のスタイルを取っていない。
ここにこんなオブジェを置くのだから、きっとなにか謂れがありそうな気がするのだけれど、それらしき説明はどこにも書かれていないようだった。
そうしてキョロキョロしていたら小学生くらいの女の子が近付いてきて「魚のエサを買え」という。
寺の裏にゲンコイ川が流れていて、その川べりでエサをまけば魚が集まってきて食べるので、功徳が積めるというものだけれど、功徳はともかく魚のエサなど買う気もなかったので無視していたが、執拗に付きまとわれた。
[このネコのストーリーが知りたいな]
川側にある柵のには、サルのオブジェが並んでいた。
「見ザル」「聞カザル」「言ワザル」のポーズを取っており、日本語のごろ合わせと関係なく、この手のサルのポーズは日本もタイも共通なのだと思ったのだけれど、この柵の上に置かれたオブジェは、3つのポーズ以外にも存在しており、いったいそれは何を意味するポーズなのだろうかと疑問に感じた。
[漫画チックな顔つきのサル]
数年間来ていないうちに寺院内には他にも新しい施設ができていた。
大きな涅槃仏を安置する仏堂があり、涅槃仏は金色で、色の禿げた部分や汚れも付いていないので、まだできたばかりなのだろうと思われる。
涅槃仏を安置するためその仏堂も涅槃仏の身長に合わせて細長い長方形のなっている。
[まだ新しいのかピカピカの涅槃仏]
また、ミャンマーのゴールデンマウンテンのレプリカのようなものもできていた。
こちらはまだ工事中で、完全に完成したわけでもないようだったけれど、工事をしていた職人風が手招きする。
ゴールデンマウンテンの岩山から巨大な蛇の頭が突き出しており、その下に洞窟のような穴が開いている。
職人はその洞窟へ入ってみろという。
職人は電気のスイッチを入れて、内部の照明を点灯してくれた。
[隣国ミャンマーのゴールデンロックはタイ人にとっても憧れなのかも]
中には座禅を組むルシーという仙人と、その仙人を守る大蛇が天井ちかくから乗り出してきて、色付き光線の加減や大蛇の造形からなかなか迫力があり、インスタグラムなどで紹介したらタイ人が集まってきそうな気がする。
その仙人のポーズなのだけれど、座禅を組む仙人の背後から、仙人に覆い被さるように多頭の蛇(ナーガ)が守っている。
これはお釈迦様のストーリーに出てくるものとおんなじシチュエーションなので、ここにいるのは仙人ではなく、お釈迦さまではないか思えてしまうほど。
[最近この手のお寺の付属施設増えてるな]
ちょうど昼時になったので、ゲンコイの街で昼にしようとなったのですが、この田舎町、小さな市場はあるものの、ちゃんとした食堂が見当たらない町。
以前にも、食堂を探して見つけられなかったことがある。
とりあえず鉄道駅まで行って、駅員にこのあたりで旨いものを食わせる食堂はないかと質問したら、交差点を左に曲がって2つ目の信号でUターンすれば、ムークローブ(揚げ豚肉)のうまい店があると教えてくれた。
その駅員は「あそこのムークローブはすごく旨いんだ」とさも自分の店のように自慢していたが、横から別の駅員が口を出し「今日は日曜だからそこ休みだろ」という。
他にもグーグルマップで調べたりしたけれど、こんな田舎町で会社などなくて、勤め人などいなさそうなのに、食堂と言う食堂が日曜で休みになっていた。
結局、道路沿いに出ていた屋台のようなヌードル屋で簡単な昼食となった。
ゲンコイの次にロッブリーへ向かう途中で
、国道1号線沿いにあるワットプラプッタバートにも立ち寄ってみる。
仏足跡寺院。
外国人観光客には知名度は高くないけれども、タイ人の間では昔から有名な寺院で、日本で言うところ江戸時代のお伊勢参りみたいなもので、一度はお参りしておきたい寺院の一つとされてきている。
それだけに国道1号線からお寺の前までの取り付け道路は幅が100メートルくらいもある立派な道になっており、やたらと豪勢。
バンコクのラチャダムナン通りを彷彿とさせるような道になっている。
[外国人は入場料30バーツとなっているが窓口は閉まっていた]
この寺院で一番の見どころは、名前のとおり仏足跡ですが、そこは後回しにして、お寺の裏に続く山道を登って、山の上の洞窟に安置された涅槃仏のところへ向かってみます。
上り坂は途中まで階段が付いていて、そのわきには鐘が吊るされています。
鐘の大きさはまちまちなので、たぶん信者さんたちがそれぞれで寄進していったものなのでしょう。
こぶしで軽くたたきながら登ると、鐘はいい音を立てます。
[鐘はそれぞれ違った音色を響かせる]
やがて登り道の真ん中に立ちふさがる大きな岩の上に、大地の神様の像がありました。
タイの寺院などの壁画でよく登場する大地の神様ですが、ここの神様はインド的な衣装をまとい、お目めは少女漫画のヒロインのようです。
大地の神様以外にも、道端には信者さんから寄進された祠がいくつかありました。
[こちらも色使いからして漫画チック]
裏山の頂上部分は岩がゴツゴツと露出しており、頂上から少し回り込むようにして下ったところに洞窟があって、涅槃仏が安置されていました。
洞窟は広くないのですが、天井部分に丸い穴が開いており、そこから光が漏れて差し込んできています。
[ここまで登ってくる人は多くないみたい]
裏山から降りて、仏足跡のある礼拝堂の横に、พระป่าเลไลยก์(プラパーレーライ)、三寶公と書かれた礼拝堂があったので立ち寄ってみました。
三寶公は漢字で書かれており、日本人向けと言うより、中国語の漢字表記のようで、ここだけではなく、さっきの涅槃仏へ続く道にある祠にも中国語的な表記多数を見かけました。
この礼拝堂の中には、巨大な座っている仏像があり、座禅を組んでいるのではなく、腰かけている姿です。
この姿の仏像はタイでは水曜日午後の仏像とされているものとスタイルが似ています。
水曜日午後の仏像は、腰かけているお釈迦様の前に森の動物(ゾウとサル)が向かい合っている構図なのですが、ちょっと見たところ、ここにはゾウの置物はあるものの、サルは見あたりません。
このゾウの置物は、背中に取っ手が付いていて、指先でこのゾウを軽々と持ち上げることができたら願いが叶うというものです。
この手のゾウはピサヌローク、ワットヤイのナレースワン像前にもあります。
[腰かけた仏像の前にゾウはいるけどハチミツを捧げるはずのサルはどこだ?]
さて、本命の仏足跡の礼拝堂です。
さすがに堂々とした立派な建物です。
外壁面もガラス片などを埋め込んだ細かな象嵌が見事です。
サムットプラカーンのムアンボーランにもこの礼拝堂のレプリカがあった気がします。
[仏足跡礼拝堂の入り口]
礼拝堂の内部も豪華で、仏足跡の置かれた上には仏塔のような天蓋があり、天蓋を支える四本の柱には、破損防止か象嵌にはめ込んだ装飾品の盗難防止のためかわからないけれど、透明なアクリル板で覆われています。
信者さんたちが次々に訪れては、風呂桶のような仏足跡に金箔を貼り付けていく。
金箔だけではなく、紙幣も投げ込まれている。
仏足跡は願掛けに拝むだけではなく、賽銭箱を兼ねているようだ。
[金箔を仏足跡に貼り付ける]
この礼拝堂の壁には、仏の足型もおかれており、足裏が曼荼羅となっている。
バンコク、ワットポーの涅槃仏も足裏が曼荼羅となっているけれど、さっき訪れたワットゲンコイの涅槃仏は足裏がツルリとしていた。
[曼荼羅、各コマはどんな順番で並んでいるのだろうか]
礼拝堂の前には、おみくじを引いたりするスペースになっているが、そこに並べられている仏像類は、タイ仏教の仏像だけではなく、中国風の仏像に観音様や千手観音、三国志に出てきそうな人物の像、そしてヒンズー教のブラフマーやガネーシャなどの神様たちまで揃っている。
つまり拝めるものなら何でもアライゴダーイで集めているような印象を受ける。
[これでマリア像とキリスト受難像があれぱ完璧かな]
本来なら最初にこの礼拝堂から回るべきなのだろうけど、最後になってしまったが、このお寺の正面から礼拝堂へと続く階段から眺めた礼拝堂の構図はなかなかのデザイン効果を狙っていることがわかる。
階段に対して礼拝堂はわざとか正面を向けておらず、少し斜に構えた感じになっている。
礼拝堂が斜になっているのではなく、ほんとうは階段が斜めに取り付けられているのかもしれないけれど、なかなかいい構図で写真映えもしそうだけれど、残念ながら青空ではなく、雨雲が垂れ込めてる。
階段を下り終えたあたりからポツポツと雨が降りだしてきた。
語後になってナンロンから付きまとわれてきた雨雲から抜け出したと思ったが、ここで雨雲に追いつかれたらしい。
ふたたび雨雲から抜け出すために西のロッブリーへ向けて急ぐことにする。
[少し斜に構えた構図がカッコイイ]
さて、雨雲を振り切って本日の目的地であったロッブリーには午後4時に到着。
あちこち寄り道してきたので、ちょっと遅くなってしまった。
最初にロッブリーにあるクメール遺跡の代表格、ワットプラプラーンサームヨートから見学を開始しようと、近くの駐車場に車を止める。
車から降りると同時にあまり身なりの良くない女性が近付いてきて何か盛んに訴えかけている。
駐車料金の請求でもしているのかと思ったけれど、よく聞いてみると「功徳を積むためにサルのエサを買え」と言っている。
このあたりにはたくさんのサルたちが住み着いている。
コロナで観光客が減ってサルたちがエサにありつけなくなり飢えて狂暴になったと去年ニュースになっていたけれど、ここでも功徳とは関係なしでサルのエサを買う気になれない。
現在ではサルたちもちゃんとエサを与えられるようになっているらしく、エサ場にはバナナや野菜などがたくさん置かれているのが見える。
それとサルのエサなど持っていたら、エサをねだりにサルたちに囲まれてしまいそうだ。
いたずら者のサルたちに囲まれるのは、あんまり好まない。
[このクメール時代の遺跡周辺にはサルがいっぱい]
ではロッブリーの遺跡巡りを始めようかとしたとたん、またも雨雲に追い付かれてしまった。
さらにケシカランことに、ロッブリーの遺跡の入場時間は午後4時までとなっているようで、市内のどの遺跡も入り口が閉じられていた。
半年前に来た時も、朝の入場開始時間よりも早く着てしまって、8時半まで待たされた経験をしているけれど、閉まる時間も早すぎるようだ。
ロッブリーにはクメール時代のものから、アユタヤ時代、とくにアユタヤがもっとも繁栄していたナライ王の時代の建造物が多く、見どころの多いのだけれど、アユタヤ遺跡やスコータイ遺跡と比べると、観光客を誘致しようという意気込みを感じない。
コロナの規制が緩和され始めたためか、バンコクへ戻る日曜夕方のハイウェイは交通量が多めで、ところどころで渋滞したりしていた。
ランシットあたりまで雨が降り続いていたけれど、ドンムアン空港あたりからはまだ雨が降っていないようで、路面が乾いていた。
スクンビット、アソークでIさんを下したのは午後7時。
Iさんからは一緒に夕食でもと声をかけられたけれど、私としては早くアパートに戻ってビールを飲みたかったので、「次の機会に」ということにさせてもらった。
バンコクではまだ飲食店内でのビールが禁止されている。