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蘭英旅行 その2
9月8日 木曜日

オランダ時間の7時半、台北から14時間半飛び続けて、そしてバンコクを出てから26時間くらいかけてアムステルダムのスキポール空港に着陸。
通路側の席なので、窓から外の様子が良く見えないけれど、どうやら外は雨が降っているらしい。
今回は歩く旅行のつもりでいるけれど、雨が降られると足を奪われるので困る。

スキポール空港
[雨のスキポール空港に到着]

スキポール空港は20年以上前に来たけれど、やっぱり大きな空港で、たくさんの飛行機が発着し、到着したゲートの関係から入国審査場まで延々と歩いていく途中で、次々と別の到着ゲートから出てきた人たちが合流してくる。
そして、入国審査場ではEUからの到着とEU以外からの到着で分けられており、EU以外からの審査場には長い列ができていた。
オランダに入国するのに手続きの書類とかはパスポート以外に何も提示を求められなかった。
コロナの関係の誓約書みたいなものを用意するよう案内にあったけれど、そんなものも求められなかった。
「どこいくの、何日いるの、オランダだけ?」と簡単な英語で、簡単な質問のみで入国印を受ける。

これからの予定は、ロッテルダムへ向かうこと。
翌日の夜の船でロッテルダムからイギリスに渡るつもりなので、今日明日はロッテルダム周辺をウロウロする予定。
宿はロッテルダムから川を渡った対岸にある古い要塞都市のブリーレに安い宿を予約してある。
で、ロッテルダムへどうやって行くかだけれど、空港からロッテルダムへは電車が直通している。
乗れば1時間くらいで着くらしいが、タイと違って公共交通機関の運賃は高い。
14ユーロほどするらしい。
バーツに換算したら500バーツくらいだろうか。
それに宿のあるブリーレはロッテルダムから地下鉄とバスを乗り継いだ先にあって、それも交通費が結構かかりそう。
このあたりのことは旅行前に調べておいてあって、ロッテルダム周辺なら南ホーランドのツーリスト・デイパスと言うのを使うと、地域内の交通機関が1日乗り放題らしい。
このパスが買えるところは、スキポール空港から一番近いところがライデンのようであり、そこまで電車で行くことにする。
電車の切符も事前にオランダ国鉄のアプリで買っておいた。
駅の自動券売機で切符を買うと1ユーロの発行手数料がかかるけれど、アプリを使って買えばカード決済で、しかも手数料も不要とのことであった。
スキポール空港からライデンまで6.50ユーロ也。

QRの乗車券
[アプリでの乗車券]

アプリの切符はQRコードになっており、これが表示されてる画面を改札機にかざすだけということだったけれど、いざ空港ターミナルの電車乗り場へ行ったらば改札機も改札口も見当たらない。
階段を下りたら電車のホームで、次々と電車が発着している。
私が乗ろうと思ったライデンに行く電車も、ススーっとやって来て、ピューっと出発していってしまった。
他にもパリ行きの新幹線とかも出入りしている。
改札をすり抜けて、電車に乗ったら罰金とも聞いていたので、もう一度ホームから階段を登って、あたりを見回し、二人組の警備員らしい体格が良い男性に聞いてみた。
そしたらば、「改札なんか降りるときにQRチェックするだけでイイんだぜ」と教えてくれた。

黄色と紺色の電車は2階建てで、なんだか昔の近鉄ビスタカーを思い出させる。
東京育ちの私は実際には乗ったこともないのだけれど、のりものの絵本に橋を渡るビスタカーの絵が出ていて、2階建て電車にあこがれたものだった。

オランダの電車
[2階建て電車に子供のころあこがれた]

ライデンまではすぐで、乗って15分くらいで到着してしまった。
降りるときには簡単な改札機があって、みんなカードのようなものをかざしてピピーっと音をさせて通り抜けていった。
私おっかなびっくりスマホをかざしたらピピーと音がした。
バンコクや日本の自動改札のように、改札機のゲートが閉まるなんてこともない。
なので、駅への出入りはとってもスムースなようだ。

ツーリスト・デイパスは駅を出てすぐのところにある観光案内所内で売っているとのことだったので、そこへ向かう。
空港では感じなかったけれど、駅を降りて、街の真ん中に立ってみると、ヨーロッパだなぁと初めて感じた。
建物も、行きかう人の歩き方も。
そして、空気までも。

ライデンの観光案内所
[LEINDENの文字がなんとなくハングル風だけど、よく見れば鍵のイメージらしい]

観光案内所はすぐわかり、ツーリスト・デイパスもクレジットカードですぐ買えた。
14.50ユーロ
カードで買えたというより、現金の取り扱いはしていないのだそうだ。
カードを持っていない人などどうするのだろう。
係の人はロッテルダムまで行くなら、駅前から45番のバスでハーグまで行って、そこから地下鉄に乗ればいいと教えてくれた。

ライデン駅前のバス乗り場
[小雨が降ってもカサをささない人が多いようだ]

オランダで路線バスに乗るのは初めて。
乗り方は日本と同じで、乗降口のカードリーダーへ乗るときと降りるときにカードをかざすだけのようだけど、私が買ったパスは紙でできているので、こんな紙のカードでもかざして読み取れるのかと思った。
しかし、バスの運転手さんは、パスは見せるだけでなくリーダーへかざせとゼスチャーで指示した。
ピッ
不思議だけれど、紙のパスをリーダーは読み取ってしまった。
特殊なインクでも使っているのだろうか、発展途上国のタイにいると世界の進歩に着いて行けてないと感じた。
※後でパスを光にかざしてみたら、パスは極薄の電子回路を2枚の紙で挟み込んで作られていた。

ツーリストデイパス
[見た目はただの紙でできたツーリストデイパス]

綺麗な街並みから少し郊外に出たかなと思う間もなく、またどっとりした街並みに入っていき、そこがハーグらしい。
仕事で観光ツアーの途中で立ち寄っているはずだけど、印象が何も残っていない。
地下鉄と接続するというバスターミナルは、近代的でガラス張りの明るい建物だった。
建物全体が透明で綺麗ではあるけれど、なんとなく殺風景な印象も受ける。
ハーグの街も歩いてみたいけれど、まずはさっさと宿へ行って、荷物を置いてきたいのでそのまま地下鉄乗り場を探す。
地下鉄の乗り場は当然ながら地下にあるものと思って建物の周りをウロウロ探したが見つからない。
オランダ語なんてわからないけど、地下鉄乗り場など見りゃわかるだろうと甘く考えていた。

地下鉄乗り場は、地下ではなく空中にあった。
空中と言うか、建物の上から発着していた。
東京だって地下鉄銀座線は渋谷のバスターミナル上から発着しているから、地下鉄の乗り場が上にあっても不思議ではないし、探しているときに建物の上に電車のホームがあることにも気づいていた。
だが、その電車が地下鉄とは思わなかっただけである。
その電車は地下鉄と言うよりも路面電車と言った感じの小さい電車であった。
日本の路面電車とは少しイメージが違うが、最近日本でも導入され始めているライトレールといった感じのものだった。

地下鉄はハーグを出てしばらくは地上を走り、ロッテルダムの中心部で地下へもぐった。
私の宿のあるブリーレは地下鉄のスパイケニッセと言う駅でバスに乗り換えていくことになっている。
そこまでは途中で一回乗り換えるだけで行けるようなので、ロッテルダムの街はそのまま地下で素通りしてしまう。

スパイケニッセは東京郊外の私鉄沿線にある新興住宅地入り口の駅と言った感じで、ちょっと殺風景だけど近代的な駅であった。
バス乗り場も整然としており、日本のバスより大きな車体でピカピカのバスが発着している。
私の知っているヨーロッパは古い町並みで、バスや電車も古くて、日本の昭和40年代のような印象だったけれど、中心部の街並みは別として、乗り物に関しては全く変わってしまっている。
郊外の街並みも、あまりにもみんな整然としていてピカピカで、タイからやって来た私には違和感すら感じる。

ブリーレで宿をとったのは、先にも書いたけれど、宿泊料が安いこと、そして翌日乗るイギリス行きの港に比較的近いことが理由で、ブリーレがどんな街であるかなんて、宿の予約をするまで街の名前すら知らなかった。
しかし、いったん宿の予約をして、ブリーレについて調べてみると歴史的に重要な場所であることがわかってきて、ブリーレに興味が出てきた。

宗教改革など高校の世界史で習った出来事の舞台でもあったし、16世紀の終わりまで、オランダはスペインの植民地であり、そのスペインからの独立が宣言された場所がブリーレであった。
16世紀の終わりまでオランダがスペインの統治下にあったなんてことすら、高校時代に習っていたはずなのに記憶がおぼろになっている。
記憶にあるのは16世紀の終わりから17世紀にかけてオランダは貿易を通じて世界中に進出していたこと。
オランダ東インド会社、バタビア建設などなど。
江戸時代に日本が西洋へ開かれていた窓口もオランダだったり、タイでもアユタヤ時代にオランダは政商としてアユタヤ王朝に深く入り込んでいた。
ちょうどそのころ、オランダ本国はスペインとの80年戦争の渦中にあったなどということは、歴史年表とか見ればわかるはずなのに、まったく抜け落ちていた。

スパイケニッセの駅を出てバスは少し走るとすぐに田園地帯となった。
田んぼがないのは当然だけれど、畑として耕作されている感じでもなくて、牧場のようなところで、緑がきれい。
道もとてもコンディションが良くて、アスファルト舗装道路には凸凹もないし、補修工事の跡も見られないからまったく新しい道を走っているような気がする。
事実、新しい道なのかも知れない。
道路に沿って続く並木の木々はプラタナスだろうか、まだ樹齢が若いようだ。

スパイケニッセからブリーレへ
[バスからの車窓]

オランダは自転車の国だとは知っていたけれど、自転車のための側道もしっかりしている。
車道脇におまけのように仕切られている自転車レーンではなく、専用のサイクリングロードが車道と並行して走っている。
また、バスも優先レーンが多いようで、交差点などでもバスが優先されているようだ。
なので、とっても快適にブリーレまで行くことができた。
ブリーレのバス停到着はちょうど12時。
スキポール空港に着いた時の雨はすっかり上がって、青空も広がり始めている。 <br />ブリーレのバス停は街の中ではなく、堀と城壁に囲まれたブリーレの街の堀の外側にあった。
堀を渡り城壁の入り口から見たブリーレは、物々しい響きのある要塞都市とは反対にアンデルセンのおとぎ話の絵本に出てきそうなロマンチックな街並みのようだ。

href="http://www.chiangmaikk.com/blog/files/IMG_3652.JPEG" target="_blank">ブリーレの入り口

[かわいらしい街の入り口]

ここでの宿はフレッチャーホテルと言って、旧市街の真ん中に位置しているらしく、街の‐メインストリートのような道を進む。
さっきバスが走ったアスファルト舗装の道と異なり、レンガと言うか石畳の道なので、キャリーバックを転がすとゴロゴロ、ガタガタと音を立てて振動する。

宿はすぐに見つかったけれど、ホテルと言うよりレストランになっている。
ちょうど昼食時なので、ランチ客がテーブルに着いている。
そんな中、キャリーバッグをゴロゴロ言わせながら、店内の奥でウエイトレスにホテルのレセプションはどこかと聞いたら、さらに店の奥を指さした。

どうやらホテルの利用者は、駐車場に面した裏口から入るべきであったようだ。
レセプションは裏口のすぐ近くにあった。
レセプションの係は黒人女性でまだチェックイン時間に早いという。
荷物だけ預かってもらって、そのまま外へ出る。

ホテル入口
[宿泊者はこの建物裏側からホテルへ]

今日は一日乗り放題のパスがあるので、風車が並んだ風景が楽しめるというキンデルダイクへ行ってみようと思っていた。
またバスに乗って行くことになるので、バス停まで歩いていく途中にスーパーを見つけた。
JUMBOと書かれたスーパーなのだけれど、地下鉄の入り口みたいなものしか見当たらない。
やたらと広い駐車場はある。
そしてその地下鉄乗り場のようなところから人が買い物カートを押しながら出入りしている。

スーパーはすべて地下になっていた。
ここは城壁の外側で、たぶん景観維持指定の対象外だとは思うけど、仮に外であってもこうして景観維持をしているのかもしれない。
地下に入れば、タイや日本のスーパーとおんなじ。
タイで見かけないものは、カート置き場にワイヤレスQRコードリーダーのようなものがたくさん並べられていたこと。
買い物客の半分くらいはこのリーダーを持って売り場へ入っていく。
説明書きはオランダ語なので(オランダ語かどうかも不明)、英語に似た単語を拾いながら適当に想像してみると、陳列棚の商品の値段を確認したり、レジで使ったりするものらしい。
私は、リーダーを持たずに売り場へ向かう。

タイの即席麺
[タイの即席麺もタイの倍くらいの価格で多数売られている]

スーパーに入った理由は、昼ごはんの調達。
さっきも書いたけれど、宿の一階はレストランになっており、そこで食べるのが通常の旅行者であろうけれど、私は節約旅行を決心しているので、レストランでは食べない。
ランチの看板に15ユーロと書かれていても、それは私にとって安くない。
そこでスーパーで出来合いのお惣菜やサンドウィッチでも買えば安上がりだろうと安易に考えた。

しかし、安易だった。
お惣菜やサンドウィッチも安くない。
日本の海苔巻きみたいなものやチャーハンなんかでも7ユーロくらい。
なんか安く食べられるものはないかと店内を物色したらありました。
パンの特売コーナー。
パン4つで1ユーロとなっている。
これとネギ風味のバターを買う。
有人のレジでキャッシュで会計する。
合計 1.79ユーロ
2ユーロのコインを渡して、小さなコインのお釣りを受けとる。
タイパーツ換算して60バーツ少々。
このパン、バンコクで1個10バーツじゃ買えない。
バターも安い。
とたんに嬉しくなる。

このパンをそこらへんにいくらでもある緑の牧場で食べたらピクニックみたいで美味しいだろう。
でも、あんまり人目に付かないところがイイなと、スーパーから少し離れたところにある牧草地で食べようとしたけれど、牧草が雨が降っていたからなのか、濡れていて諦め、そのままバス停に向かう。

バス停はガラス張りのシェルターになっておりベンチもある。
ここでパンをかじる。
スーパーの安売りのパンだけど、スーパーの中にパン釜があって、そこで焼いているからなのか、バンコクのスーパーで売っているパンより美味しく感じる。
パンの外側がしっかり歯ごたえがあってカリカリで、中はふんわり。
食いちぎるときには、顎が疲れるくらい。
こういうパンが好きなのである。
クロワッサンもサクサクでポロポロと表皮がこぼれ落ちてしまうので困ってしまうくらい。
ネギ風味のバターを塗りつけ、飲み物はペットボトルに入った水。

ランチのパン
[パンが旨い]

バスを待つ間にパン3つを食べてしまい満腹。
そろそろバスが来る時間と、残ったパンをカバンにしまい、胸ポケットに入れたフリーパスを取り出そうとしたら、ポケットにパスが入っていない。
財布を探したがない。
ズボンのポケットにもない。
ない、ない、ない、、、みつからない。
どこかに落としたらしい。
このところこの手のトラブルが多い。
先月はバンコクのフードコートでランチを食べた際にカバンをテーブルに置き忘れた。
お金やパスポートなど入ったカバンで、夕方までカバンの置き忘れに気が付かなかった。
気が付いた時には顔が真っ青になっていたことだろう。
だいたい、その時はなぜカバンが手元にないのかもよくわからないくらいだった。
カバンを探しにフードコートへ戻ったら、ランチを食べたテーブルの上に、私のカバンがそのまま乗っかっていた。

そして、今朝もライデンの観光案内所でフリーパスを買った際に、財布を落としてしまいそのまま立ち去ろうとしてしまった。
出口を出ようとしたときに係員に呼び止められて、床に落ちている財布に気が付いた。
クレジットカードや現地通貨が入っている財布で、これがないと悲惨なことになるところだった。

こうして困ったときに、救われているのは、私のネコが天国から私を守ってくれているからだろうと信じている。
なので、いつもネコには手を合わせて感謝をしている。
そして、またまたフリーパスを落としてしまった。
落としたものがフリーパスだから、大したことはないし、キンデルダイクを諦めて、ブリーレの街を歩き回ればよいだけのことだけど、フリーパス14.50ユーロの元を取れていないことが悔しい。
また手を合わせてネコにお願いする。

フリーパスを落とした場所として考えられるのは、先ほどの牧草地。
地面の状態とか確認するためにかがみこんだりしたし、フリーパスと同じく胸のポケットに入れていたスマホを出し入れしていた。
牧草地へ戻ってみたら「ありました」。
緑の牧草の上に、白いパスが光っていました。
またまた手を合わせてネコに感謝。
「ネコや、いつも守ってくれてありがとう」

出直しでバスに乗り、地下鉄に乗り換えて、再びキンデルダイクへ行くバスに乗り継ぐ。
こうしてオランダの地方都市の近郊を公共交通機関を利用して移動しているけど、とても快適で、乗り継ぎもスムース。
タイとはまるで違う。
日本だってこんなに便利じゃなかったと思う。

キンデルダイクには午後3時前に到着。
天気はますます良くなってきている。
キンデルダイクは水郷地帯と言った感じのところで、水路がたくさん走っている。
そんななかにオランダの観光ポスターでよく見かける風車が何台も並んでいる。
つまり絵のような景色。

キンデルダイク到着
[バスを降りてすぐ、脇道へ入った風景]

帆を張って回転している風車もある。
観光客が何組も歩いている。
自転車に乗ってやってくる観光客もいる。
水路には遊覧船が行き交っている。
みんな「これぞオランダ」といった景色を求めてやって来ているのだろうけれど、確かに風車はオランダの名物だけど、すでに過去の遺物でもあるわけで、こんな景色が見られるのもオランダではここだけなわけだから、オランダでも「珍しい」景色ともいえるわけだと思う。

水郷と風車
[そのまま絵葉書になりそう]

ここはオランダの中でもキューケンホフのチューリップ畑に次ぐくらいの観光地で、たくさんの観光客を熱るているようだけれど、日本でもタイでもよく見られる観光客相手の店はあんまり目立たない。
見つけたのは巨大な木靴のオブジェを飾った小さな土産物屋が一軒だけ。
なので、風車がならぶ散歩道を歩いていても、観光地にやって来ていると言う気がしない。
並んだ風車のある光景が、作り物ではなく、そのまま景色にマッチしている。
多少の違和感を感じさせるのは、水路を行きかう遊覧船から聞こえてくる観光案内のマイクの声くらい。

遊覧船が行きかっています
[船での水郷巡りも気持ちよさそう]

天気に恵まれ、やっばりキンデルダイクへ来てよかった。
それにここは入場料を徴収されるわけでもないので、お金を節約旅行をしている私には最適である。
オランダへ以前来た時も風車は見てきているけど、ここには来ていない。
あの時はたった一基の大きな風車があって、その風車の中がレストランになっていた。
そこでカマスのような魚の美味しいグリルを食べさせてもらった記憶がある。
食べ物の記憶があっても、風車自体の記憶が薄いところを見ると、やっぱり風車はキンデルダイクに限るのかと思う。

水路には睡蓮も
[バンコクの水路とあまりにも違い過ぎる]

なかなか、良い景色の中で過ごさせてもらったけれど、散歩コースは距離にして1キロ半程度。
風車を眺めながらでも1時間とはかからない。
遊覧船乗り場まで歩いたところまででおしまい。
ひとりで旅していると、景色の良いところへ来ても、ほかにやることがなくなってしまうと、景色だけいつまでも眺め続けてもいられなくなる。

散歩道
[こんな道をのんびり歩きました]

そろそろブリーレの宿へ戻っても良いかと思うけど、来た時と同じルートで戻るよりも、水上バスにも乗ってみたい。
キンデルダイク入り口近くに桟橋があり、その周辺には2階建てくらいの大きな客船が係留されている。
これらの客船は宿泊施設になっているようで、川を航行するクルーザーのようなものなのかもしれない。
地図を見るとこのあたりから入り組んだ水路をたどればライン川にもつながっているようだ。

桟橋からロッテルダム行きの水上バスは出ていないようで、対岸とを結ぶフェリーが発着しているだけだった。
水上バス乗り場はキンデルダイクの先にあるようで、そこまではバスで向かう。
住宅団地や分譲住宅が並ぶようなところで下車して、水上バス乗り場まで歩く。
ここでオランダに来て初めてのネコに出会う。
タイでよく見る斑のネコ。
タイから時間した固形のキャットフードを与えてみたら、お義理程度に少し口をつけただけだた。

オランダで見かけた最初のネコ
[タイでもよく見るブチの雌猫]

ロッテルダムへ向かう水上バスは大きな船で、タイでもサムイ島などへ向かうスピードボートに似ている。
自動車は載せないが、自転車で乗り込んでくる人は多い。
水上バスで川沿いの景色を楽しめるかと思ったけれど、川沿いの景色はそれほど面白いものは見当たらなかった。
川を航行する運搬船や艀は多いけれど、なんとなくバンコクのチャオプラヤー川と似ていて、岸は倉庫などが並んでいる程度で殺風景。
ロッテルダムの市街地が近付き始めて、変わった形の建物や橋が出てきて、目を楽しませてくれるが、それもあっというまで終点に到着。

水上パスの船内
[水上バスの船内]

ここから地下鉄にすぐ乗れるようなのだけれど、路面電車にも乗ってみたいと思い、川にかかる大きな橋のたもとで、これから橋を渡ろうとする路面電車に乗り込んだ。
3両編成(もっと長いのも走っている)、連接車体のライトレール風の路面電車で、近代的過ぎてなんだか味気ないのだけれど、便利ではある。カードリーダーでバスをピっとやるだけ。
乗り心地も悪くない。
しかし、この路面電車ではブリーレへ行く起点となるスパイケニッセへは行けないので、途中で降りてバスに乗り換え地下鉄駅のあるところまで行く。
地下鉄にさえ乗れば、スパイケニッセへは簡単に行ける。

ロッテルダムの路面電車
[昔のチンチン電車とは全然イメージが違う]

路面電車、バス、地下鉄、またバスと乗り継いでブリーレの街へ戻ってきた。
宿に入る前にもう一度JUMBOのスーパーで食材を仕入れる。
またパンコーナーへ行ったが、4つで1ユーロのパンは選べる種類が少なくなっていた。
ここで買ったもの
4つで1ユーロのパン
フランス風のバゲット
ブルーチーズ
イワシのトマト煮缶詰
紙パック入り赤ワイン(1リットル)
缶ビール(500cc)
以上、10.36ユーロ。
昼のバンも残っているし、明日の朝も食べられそう。

宿に着いたらもう7時過ぎ。
でもまだ外は明るい。
宿賃を52.50ユーロ払ってカギを受けとる。
予約をしたときはタイ・バーツで1,805バーツだった。
少し現地払いが割高かなと思ったが、2.50ユーロの市税が別にかかるのだそうだ。

部屋はシングルベッドが一台で、広さも三畳くらいしかないけれど、屋根裏部屋によくある窓があり、外が見える。
トイレはシャワーは共同だけれど、部屋を出てすぐのところにあるからそれほど不便でもない。
そして、安宿と言っても清潔で、快適。
この日は二万歩ほど歩いたことになっていた。

宿の部屋
[こういう部屋は妙に落ち着く]

夜8時を過ぎてもまだ窓から明かりが差し込んでくるけれど、ベッドに腰かけて、昼と似たような夕食を食べる。
しかし、ブルーチーズと赤ワインがあるので、とっても贅沢をしている気持ちがする。
缶ビールも特売品で0.50ユーロとお値打ち価格だったけれど、ノド越し良くて旨い。
オランダ第一日目、満足度が高い1日だった。

夕食
[質素だけれど、美味しい夕食]

つづく

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蘭英旅行 その1
9月7日より9月15日までオランダとイギリスへ旅行へ行ってました。
そのことを書きたいのですが、たぶん書きたいことがたくさんあるので、かなり長くなりそうです。
連載のような形で書き進めて行きます。

そもそも、事は2020年の3月に行く予定で計画されていたものでした。
その時は、全体で7日間の予定で航空券やホテルなどの手配をすべて済ませていた。
コロナがそろそろ世界中で感染爆発を起こして、会社から渡航禁止を命じられて泣く泣くキャンセルをしたのだけれど、旅行を計画していた1月ごろはまだそんなことになるなどと、ちっとも考えていなかった。

そのころ気になっていたのは、7日間も旅行に出てしまったら留守中、ネコをどうするかということだった。
5日間くらいなら私が日本へ一時帰国するたびごと、ネコに下宿の部屋で留守番していてもらうのは、毎度のことだったし、一度は日本からの戻りの飛行機が台風で欠航となって、6日も留守にしたかことがあった。
しかし、7日間はまだ未経験。
どうしたものか、動物病院へ預けることも考えたけれど、ネコは動物病院が大嫌い。
ストレスで病気になってしまいかねず、かわいそうなのであんまり考えたくなかった。
誰かに頼んで、留守中に毎日様子を見に来てほしいところだけれど、頼める人もいないし、ネコも他人にはなつかない。
そんなことを悩んでいたら、2月6日にネコを、私が3日間バンコクへ行って留守にしている間に死なせてしまった。
ネコの死は全く私の落ち度によるものだけれど、私は「ネコが私が後顧の憂いなく旅行に行けるよう旅立ってしまった」とも感じていた。

そんな環境下にあって、結局は出発間際に渡航禁止となり、すべてキャンセル。
当座は切符などの払い込み済み予約のキャンセルはできず、半年以内の別の日に振り替えられるとの連絡があり、一部追加料金(夏のシーズンなので割増料)を払い込んで同じ2020年の9月に行くべく手配の変更をした。
変更をかけたその時はまだコロナが半年以上も続くなどとは考えていなかったが、4月以降は会社からの渡航命令でなくても、どこへも出られなくなってしまった。
そしてそのまま9月の旅行もキャンセルせざるを得なくなった。
もっとも、ほとんどの予約は払い戻しに応じてもらえた。

それからが長かった。
当時、海外旅行の計画はこれだけではなく、中国の青島へも行こうと航空券を手配していたが、こちらの方は、払い戻しを受ける前に航空会社の方が先に倒産してしまい、全くの泣き寝入りとなった。
そして、今年8月になりタイから海外へ行くのも、海外からタイへ入るのもほとんど面倒な手続きが不要になった。
旅行の計画を復活させたのが8月下旬。
急いで飛行機の手配などをして、出発を迎えることになった。
2年半遅れの旅行となったわけ。

もともとは7日間の予定であったけれど、コロナは収束し始めても、ロシアのウクライナ侵攻にともなっての飛行機の飛行ルート変更などで、往復に時間がかかるなどして、旅行期間は9日間と長くなってしまった。

旅行の行先はオランダとイギリスだけれど、本来の目的地はイギリス中北部の湖水地方。
30年ほど前に、母親を案内して連れて行き、その風光明媚さに母がとても感動し、喜んでいたので、母の没後10年の節目にもあたっていたから、遺影を抱いて再訪しようと考えてのことだった。
それが結局13回忌も過ぎてしまい、今回の旅行には母の遺影だけではなく、ネコの遺影まで抱いていくことになってしまった。

遺影は2つ、宿の窓辺に
[遺影は2つ、宿の窓辺に]

いつもながら前置きが長くなってしまった。
9月7日、朝8時前にアパートを出る。
中ぐらいのキャリーバッグ一つを転がしてエアポートリンクのフアマーク駅まで歩く。
このキャリーバッグは何年か前に息子の優泰が買ってくれたもの。
もともと使っていたものは、これより少し大きかったが、それも妻からのおさがり品で、20年以上使いこんできて、あちこちヒビ割れが生じ、補修に補修を重ねてきている、
それだけに愛着もあるけれど、老体なので酷使には向かない。
駅までは3キロ近い道のりだけれど、今回の旅行はとにかく歩くことにしているので、雨上がりで水たまりの多い道をキャリーバッグ転がして歩く。

歩いていれば、そのうちに靴下に穴が開く可能性がある。
靴下など消耗品みたいなものかもしれないが、私は穴が開けば補修して耐久品とみなしている。
そのため、靴下の補修(裁縫)用に針と糸を持って来るのを忘れたことを歩き出して気づく。
針と糸など、雑貨屋で買えるだろうと思って歩いていたが、駅までの道には雑貨屋などなかなか出てこなかった。
ようやくカンボジア国境へ続くタイ国鉄の踏切を越えたところに雑貨屋を見つけたので、店の主人に「針と糸が欲しい」と伝えたのだけれど、ぶっきらぼうに「ない」と一言。
ときどきタイではこの手の対応を受ける。
針と糸ぐらいあって当然なのに、面倒だから「ない」といって追い払おうとする。

フアマーク駅で空港までの切符を自動券売機で買おうとして、コインがないことに気づく。
少しでも身軽になろうと、財布の中は紙幣だけにしてコインを置いてきたのだけれど、紙幣も100バーツ以上のものしかない。
空港まで30バーツ。
100バーツ札でも使えるのだけれど、おつりは20バーツや50バーツなどの紙幣では出てこない。
全部10バーツのコイン。
この10バーツコインは日本の500円玉以上に重いコインで、財布の中に3枚もあると財布がかさばってしまうのだけれど、癪に障ることに自動券売機は切符のお釣りとして10バーツコインを7枚も、チャリン、チャリンと吐き出した。

ホームに上がって、電車を待つ間、ネコのことを思い出した。
このホームで電車に乗るのは、いつも日本へ一時帰国するために空港へ向かうときぐらいで、ネコはアパートの部屋でお留守番。
そのなネコの待つアパートにはパソコンにカメラをつなげて、部屋の中の様子を出先からも見えるようにしていた。
そして、以前はこのホームに上がってくるとまずはネコがどうしているだろうかとスマホで部屋からの映像を確認したものだった。
しばしば部屋のネット環境が悪くて映像確認ができなかったり、パソコンが落ちていたりとトラブルもあったものだ。
しかし、もう今は部屋の中にネコはいないので、パソコンも棚にしまってしまったし、カメラも中空を剥いたまま放置されている。

スワンナプーム空港の中は、以前と比べたら全然人が少ない。
出国審査の行列もほとんどなく、2年半ぶりにパスポートに出国印が押された。
台北経由アムステルダム行きの中華航空往復航空券代は31,865バーツ。
バンコクからアムステルダムなど直行便も飛んでいるけれど、自分は中華航空好きなので、遠回りでも運賃が割高にさえならなければ気にしない。
それに、今回の旅行を思いついたのも、長らく台北空港でのトランジットがコロナで禁止され、台湾自体も入国禁止されていたものが、やっと先月から第三国へ向かうならトランジットが可能になったので、やっと中華航空に乗れるようになったからでもある。
なんで中華航空が良いかと言えば、マイレージ会員の特典が利用でき、空港のラウンジが利用できるから。
バンコクも成田も中華航空専用ラウンジがあって、小さいけれど食べ物も美味しいしサービスも良いのでものすごく気に入っている。
乗り継ぎの台北空港も大きなラウンジがある。
しかし、中華航空の専用ラウンジは閉まっていた。
これはとても残念。
代わりに案内されたのがミラクルビジネスラウンジという有料ラウンジ。
コロナでまだ多くの航空会社の専用ラウンジは再開していないようで、みんなこうした有料ラウンジへまとめられているようだ。
そのためラウンジ内のソファーは半分以上が埋まっている。
そして、食べ物はタイの田舎にある三流ホテルの朝食会場にも劣るような品ぞろえでバイキング。
サンドウィッチも機内食の残りみたいなラップに包まれた小さなものを置いてあるだけ。
空港ラウンジでの食事を楽しみにして朝食を抜いてきたけれど、当てが外れた。
ビールなどのお酒類は充実していて、こちらは申し分ない。
ビールをいただき、大好きなカンパリソーダも飲ませてもらう。
ウイスキーはジョニーウォーカーがあったけれど赤ラベルだけ。

搭乗時刻となりターミナルのはずれ近くにあるゲートから11時発の台北行きの飛行機に乗り込んだら、これがほとんどガラガラ。
エコノミークラス全体でいったい何人待っているのだろうかといったレベル。
私の席(10H)があるブロックには10人と乗っていない。
※あとで確認したら後方のブロックには出稼ぎ労働者のような人たちが50人くらい乗っていたみたい。
台湾はまだ入国制限しているし、トランジットが再開したといっても、やっぱりこんなものなんだろう。
今晩乗り継ぐアムステルダム行きもどうせガラガラだから3人掛けのシートを占有して、横になっていけるんじゃないかと期待してしまった。

エコノミー
[乗客より乗務員の方が多そう]

機内ではマスクの着用が義務となっているということだったし、機内食など以前のようにサービスされるのだろうか、お酒類は無理かもしれないなくらいに思ったりしたけれど、飛んでしまえばサービスは以前のとおり。
スチュワーデスさんたちは、マスクを着け、制服の上に薄いビニール製の防護服のようなものをかぶっているが、機内食もちゃんと配ってくれた。
機内でもビールをいただく。
銘柄は台湾ビール金牌。
これも2年半ぶり。
ちょっと残念だったのは、イヤホンで聴いた機内音楽サービス。
中華航空の機内音楽プログラムで「日本ゴールド」というのがあり、以前は1970年代から最近までの歌謡曲を集めたもので、ときどき大好きなキャンディーズの歌が聞こえたり、懐かしい歌謡曲があったりと、楽しみにしていたけれど、「日本ゴールド」というプログラムは残っていたけれど、1970年代からの・・というくくりがなくなり、ほとんどが最近の歌謡曲になっていた。
つまり全然知らない歌ばかり。
唯一古い曲が由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」。
この曲、古いし、知っているけど、懐かしいという感じではない。
1960年代(1969年らしい)の大ヒット曲なので、思い出が伴わない。

機内食
[ミートソース風だけどたぶん炸醤麺で大人の味]

台北の空港ではそのまま中華航空のラウンジへ直行。
バンコクの空港も人が少なかったけれど、台北の空港は全然乗客の姿を見かけない。
ラウンジもとても大きいのだけれど、ほとんど誰もいない無人状態。
入ってすぐに係の人がメニューを持って食事はどれがイイかと聞いてくる。
こちらは機内食を食べているので、空腹ではないので、後でほしくなったら注文するということにした。
なんたって、乗り継ぎ時間が7時間もあるのだから。

ラウンジ
[貸し切り状態のラウンジ]

このラウンジで食べ物の注文を取りに来ると言っても、食べられるものはお弁当のようなものらしい。
本来ならばバイキングながらオープン・キッチンもあり、東京の駅にある立ち食いソバのようなカウンターもあったりしてとても楽しいのだけれど、すべて閉鎖。
飲み物の冷蔵庫だけは開放されていたけれど、ビールの銘柄は台湾ビールのみ。
台湾だから台湾ビールで問題ないのだけれど、いつもはここにサッポロビールがあって、久々に日本銘柄のビールが飲めると楽しみにしていたのにこれも残念。

7時間と長い乗り継ぎ時間だけれど、ここのラウンジにはシャワールームも個室の仮眠室もあるから楽勝と考えていたけれど、これも甘かった。
シャワー室、仮眠室いずれもコロナのためサービス中止。
結局大きなソファーで過ごすことになる。
さらに、平日水曜ということもあり、会社からのメールやメッセージはどんどん入ってくる。
さっきのフライト中に貯まっていたものが、一時に配信されてきた。
バンコクの業務時間が終わるまでは、ノートパソコンにー向かう。
ウェブを使ったインタビューまでこなしてしまうが、ラウンジ内にはほかに乗客がいないから、周囲を気にしなくても済むので助かる。

メールもひと段落したころからビールを飲みはじめ、ワインも飲ませてもらう。
そうしているうちに、少しお腹もすいてきたので弁当を注文。
メニューを見せてもらったが、当然ながらどれも台湾風の弁当で、台湾風の内容になっている。
つまり、ドカベン風にご飯の上にドーンと大きなお肉が乗っかている。

弁当のメニュー
[左はチキンのホワイトソースかけパスタ、右は排骨飯]

昔の私だったら喜んで食べただろうけど、いまは俄かベジタリアンなので、そんな弁当は遠慮させていただきたい。
そこで「これなら」と提示された弁当の写真は、パッケージは日本のお弁当みたいで、なかなか良い。
実際に運ばれてきた弁当も期待を裏切らなかった。
中は小さなマスに仕切られて、松花堂風に惣菜が入っている。
しかもすべて精進料理。

おぺんとう
[パッケージのプリントもイイ感じ]

味付けも100%和風かと言うと、そうでもなく、台湾風味のものもある。
片隅に小さな焼き芋が入っているのも台湾らしい。
大正解の弁当で、ますますビールが美味しい。
精進料理にはあっさりした台湾ビールがよく合うようだ。

菜食弁当
[俄かベジタリアンであることに感謝したくなねような内容]

夜になってくると無人だったラウンジにも乗客が増えてきた。
以前のように満席になるわけではないけれど、あちこちのボックスに西洋人が座り込んで、弁当を食べたりパソコンで仕事をしたりしている。
壁のモニターに表示されている出発案内を見てみると、たくさんの出発便が表示されているが、よく見ると「客機載貨 Cargo Only」と書かれており、お客を載せないで飛ぶ便ばかりのようだ。

出発案内
[欠航になっている便もある]

この中で、ヒトを載せるのはトロント行き、パリ行きそしてバンクーバー行きのエバーグリーン航空、中華航空は私の乗るアムステルダム行き以外にブリスベン行きがあるだけ。
あとエミレーツのアブダビ行きがあった。
中華航空のラウンジ利用の対象便がたった2便しかないのに、このラウンジには30人以上人がいる感じになっている。
ということは、乗客はビジネスマンたちばかりだから、ビジネスクラスはそこそこ乗客が乗っているけれど、エコノミーはガラガラなんだろうとの確信してしまう。
実は飛行機の切符を買うとき、プレミアムエコノミーに片道5000バーツ程度でアップグレードできるとなっていた。
マイルもエコノミーの倍付で、随分と心が動いた。
しかし、切符を買い時点でエコノミーの座席表を見たところ、埋まっている席は10%もなかった。
ということは、ひじ掛けが邪魔になってゴロ寝に不便なプレミアムエコノミーより、3席占有してゴロ寝ができるエコノミーの方が絶対に快適と解釈して、そのままアップグレードしなかった。

搭乗開始時刻が近付いたので、ゲートへ向かって歩き始める。
A9番ゲートと遠い道のりだけれども、ターミナルの通路に人影がない。
時間が遅いこともあるだろうけど、店もほとんど閉まっている。
アムステルダムまで約15時間もかかるロングフライト。
メールもメッセージも届かないから、今夜はぐっすりと眠って日頃の寝不足解消をしたいと思う。
一度にそんな長く眠れないだろうから、強制的に眠ってしまおうと先日病院へ行ったときにお医者さんから睡眠薬をもらって来てある。
こいつを飲めば朝までぐっすり、なんたってアムステルダム到着は朝7時半過ぎの予定。
ほんとうに長い夜になるわけで、ここで眠っておくかどうかで、時差ボケへの順応力にも差が出るだろうと、適当なことを考えているうちにゲート前にの入り口へ到着。

しかし、ゲートへ降りる階段から搭乗待合室を見て愕然としてしまった。
広い待合室が人でいっぱいになっている。
いくつものゲートで共通の待合室を使っているので、ほかの便の乗客と言う可能性もあるけれど、、、それにしても、この人たちはどこから湧いてきて、いったい何でここにいるだろう?
が、私が乗るCI073便の搭乗開始の案内が流れると、改札口には長蛇の列が瞬時に形成されたのが確認された。
いったい、ジャンボでもない飛行機にこんなに人が乗れるものだろうか?

搭乗ゲート前
[搭乗ゲート前の様子]

機内に入って、私の目論見が完全に失敗したことを理解した。
満席。
ゴロ寝をしていくはずの15時間など、霧散してしまった。
アムステルダム行きだから当然だろうけど、乗客の多くが身体の大きい西洋人。
なんで、こんなことになってしまったのだろう。
私の隣りの中間席も西洋人男性。
狭いエコノミーでしかも両側から挟まれた中間席、15時間なんて乗っていたらさぞ苦しいだろう。
私は通路席を事前指定したいたからまだ救われた。
いや、これも地獄と紙一重だったようで、実は座席を指定する際に、3列席の中間席などをわざわざ選ぶ人は普通いないはず。
特にたいていは長いフライトなど特に通路席が選ばれる傾向がある。
窓側を選ぶ人もいるだろう。
また、できれば隣りに人がいない席に座りたいというのもよくあることで、座席表から選ぶときに、なるべく隣りが空席のところを探すもの。
私は逆転の発想で、私が中間席を抑えてしまえば、通路側にも窓側にも誰も来ない確率は高まるのではないかと理論を立てた。
しかし、自分の理論を自分をモルモットにして立証する勇気がなくて、通路席を選んでいたが、結局これがせめてもの救いとなった。
私の理論は満席だったら通用しない。

満席
[機内は満席]

本来、台北からアムステルダムまで15時間なんてかからないはずだが、今年の初めにロシアがウクライナへ侵攻してから、シベリア上空を飛ばなくなり、南ルートで飛ぶようになっている。
昔は、日本からもヨーロッパへ行くのに南周りが良く使われて、バンコクからインドから中東を経由して、アテネなどへ抜けていたもので、24時間くらい時間がかかっていた。
ジェット機のスピードなど`昔も今も大して変わらないけれど、一度に飛べる航続距離が大幅に伸びているので、途中どこにも降りることないから15時間に時間が縮まったのだろう。

座席のモニターで確認すると、台北を飛び立った飛行機は、南西に向かっていた。
香港近くまで来たところで、機内食になる。
台湾の時間だともう深夜12時過ぎだけれど、夕食ということらしい。
私はまたビールを注文。
またまた台湾ビール。
他の乗客たちでビールを注文している人はほとんどいなかった。
日本行きの機内と違うのは、ビールなんて飲まない客層なのかもしれないけど、トイレに立つのも大変な夜のフライト、ビールなんて飲んだら苦しい思いをしたくないだけか。
私は通路席なので、トイレの心配なく深夜のビールを美味しくいただく。

昆明上空
[ロシア上空は飛べなくても台湾を威嚇する中国上空は飛べるらしい]

海南島から中国内陸部へ入り、昆明の近くまで来たところで機内は消灯となった。
薄暗い機内の中で、座席の液晶モニターだけが青白くチラチラと光を発している。
長いフライトなので映画を見ている人が多いようだ。
私はなんとか寝てしまおうと、ピンク色の小さな錠剤を飲み下し、耳栓をし、アイマスクを付ける。
ゴロ寝ができないのはとても残念。
私は横にならないと寝付けない体質、特に足を下に降ろしていると、落ち着かないので、`足をなんとか上に上げようと、ヒザを前の座席の背もたれに寄りかからせるようらしたりと工夫したけれど、なかなかうまくいかない。

それでも、トイレに立ったついでにモニターを見て、インドの上あたりだなと確認をしたところで記憶が途切れて、途中何度か目を覚ましたようだけれど、睡眠剤か効いて、また寝込み、結局トルコ上空あたりで朝食の機内サービスが始まった。
既に台北を飛び立って10時間くらい過ぎているはずで、台湾の時間では午前9時過ぎのはず。
しかし、まだそとは真っ暗で、深夜なのだろう。
朝食の時にもまたビールをいただく。

迂回ルート
[ぐるりと半円を描くように飛んできています]

つづく

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8月回想
8月仕事でもプライベートでもタイの中を飛び回ていた。
まずは7月下旬のことから。
早朝のジョギングがいまだに継続で来ているのは、もともと運動嫌いの私だけどジョギングコースの中でネコたちに遭えるからと言うのは以前にも書いたはずだけど、そのネコたちの顔ぶれも変わってくる。
飼い猫として飼われているネコは変わらないけれど、特定の飼い主のいないネコは、いつの間にか姿を見せなくなって、そのうちにまた別のネコが現れてくる。
そんな中でも気になっていたのは、お腹に大きな瘤を持ったネコで、いつも私が走ってくるのを待ち構えていて、駆け寄ってきたのだけれど、6月の末に1週間ほど留守にしていたら、その後姿を見せなくなってしまっていた。
そんなネコだけど、1か月後の7月末にまた以前と同じ場所に姿を見せた。
ネコも私を見て喜んだが、私もうれしかった。
でも、またそれきり姿を見せなくなっている。

コブのあるネコ
[このネコのお腹に大きなコブがある]

※その後、8月21日にもまたネコは現れた。
私からキャットフードを少しもらって食べたが、途中で「もういいや」って感じで、居なくなってしまった。
以前は言い方は悪いがちょっと食い意地が張っている感じだったけれど、いまは誰かパトロンでも見つけたのだろうか。

7月末にスコータイへ行ってきた。
スコータイ遺跡ではライトアップが行われていた。
赤や青い明かりを当てて、幻想的な情景を演出しており、一見の価値があると思えるのだけど、今年のロイクラトンでのスコータイ・ナイトの情報を得られずにいる。

ライトアップ
[スコータイでも以前は毎週末にライトアップをしていたけど、今回のライトアップは7月限定]

スコータイはロイクラトンの発祥地とされ、ここで行われるスコータイ・ナイトというイベントは時代絵巻風のステージショーが呼び物で、毎年たくさんの観客を集めている。
タイではコロナもほぼ終息したことになって、海外からの観光客も受け入れはじめ、国内の移動制限も撤廃されたので、今年は盛大なイベントが開催されるものと期待としているのだけれど、そのショーに関する発表が依然として行われていない。
スコータイ・ナイトそのものは10月末から10日間で開催されると発表されているのに、メインイベントのショーの情報がさっぱり聞こえてこない。

ワットマハタート
[ワットマハタート]

スコータイへ行き、夜はピサヌロークで泊まった。
いつもリタイ・ゲストハウスに泊まっているのだけれど、今回は前日になってリタイ・ゲストハウスから電話が入り、従業員にコロナ感染者が発生したので宿泊を受け入れられなくなったと言ってきた。
タイではこのところ毎日二千人くらいの新規感染者と発表されているけれど、私の周りでも随分とコロナ感染者が出ている。
こんなに身近で次々と‐コロナ感染で自主隔離する人がいるのに、新規感染者が毎日二千人くらいと言うのは、どうも数字が合わないように思う。
その夜、夕食にはナーン川沿いのSab Barという屋外飲み屋へ入った。
空飛ぶ空芯菜の食堂が閉店してしまって以来、ピサヌロークでの夕食で気に入ったところがなくなり、だいたい駅前市場で出来合いの総菜を買って夕食にすることが多かったのだけれど、これも味気なくて、今更ながら空飛ぶ空芯菜食堂が恋しくなってくる。
そんな空飛ぶ空芯菜食堂と同じナーン河沿いのテラスで見つけたのがSab Bar。
ピサヌロークなど田舎によくある飾り気もセンスも感じさせない、安っぽい飲み屋なのだけど、ここは安っぽいだけではなく、実際にとても安くて気に入った。
何てったて、小皿の料理がだいたいどれも一品20バーツ、ビールも60バーツ。
味に関しては、旨いと感動することはできないけれど、値段だけはこのご時世にあって、確実に「安い」と感動できる。
私はやっぱり安いということに絶対的な価値観を持てるようだ。

Sub Bar
[川沿いと言うのも気に入っている]

8月11日から三回目のガンタンへ旅行してきた。
またまた16時間かけて汽車に乗っていってきた。
ガンタンがこのところ気に入っている。
ちょっと遠いというのはあるけれど、汽車賃は安いので、長時間の汽車旅が苦にならない私にとっては、ガンタンは数日の連休をこさえて行きたくなる場所になっている。
今まで2回のガンタン滞在では、ガンタンでは一泊しかしてこなかったけれど、今回は2泊で、いつもの倍もガンタンでの滞在時間がある。
そのガンタンでの滞在中は、朝夕に森林温泉へ行くことしか目的がない。
なので、もうこのブログに書くようなことも何もないのだけれど、食事だけは毎度同じものを食べているわけではないので、前回まで食べてきていないものを食べることになる。
そんな中で、警察署横の路地で茣蓙を敷いてムーガタを食べさせている食堂がある。
ここには、前回も来て、ムーガタではなく丼に入ったタイスキを食べたのだけれど、その時のタイスキが美味しかったこともあるけれど、それ以上に路上の茣蓙の上に胡坐をかいて飯を食い、酒を飲む雰囲気がとっても気に入った。
今回はムーガタ鍋を食べたのだけれど、豚肉を注文せず、鶏肉とドーリーと呼ばれるナマズの切り身でムーガタにした。
ここはバンコクなどによくある食べ放題式のムーガタと違って食べたいもの一つずつ注文し、お勘定に付くので、品質は悪くない、

路上のムーガタ屋
[満席の好況]

そして、ここガンタンは飲茶が名物の土地ということでなのか、メニューの中に蝦餃(ハカオ)と呼ばれるエビ蒸餃子まである。
これもムーガタ鍋に放り込んで、食べてしまう。

この路上のムーガタ屋が気に入った理由として、近くに酒屋がありビールなどはそこで買ってきて持ち込みOKなこと。
その酒屋がコンビニなどよりちょっと安い。
ピールなど温泉帰りなので、軽く飲み干してしまい、もう少しアルコール度の高いものを求めて再び酒屋を物色したら米焼酎ラオカオでムエタイボクサーのシルエットをラベルにしたボトルがあったので、それを購入。
労働者の酒であるラオカオはラベルの印刷も安っぽいものが多く、このラベルも安っぽいがムエタイと言うのが気に入った。
いかにもガツンときそうな感じがする。

ムエタイ焼酎
[ラオカオのラベルはどれも安っぽい]

今回ガンタンでは都合4回ほど温泉へ入ってきた。
いつ来ても自然の中で大きな露天風呂と言うのは気分がイイ。
そして、このあたりはタイ南部と言うこともあり、モスリムの人も多い。
ガンタンの街は華僑も多数派、温泉周辺の農家は皆タイ人。
そんな民族も宗教も越えて、この露天温泉では、それがあたり前みたいにして入浴している。
これは感動もの。
ニュースなどで報道される宗教や民族の対立も、そもそもなんで対立してるんだろうと思われる光景がこの大きな露天温泉では見られる。
一緒に温泉に入り、世間話をして、まったく平和そのもの。
世界各国が動じている軍事費を、世界各地に露天風呂を作ることに転用すれば、世の中丸く収まるのではないだろうかと思われてくる。
紛争が絶えなてタイ最南部からでも始めてほしいものだ。
モスリムの女性が頭にベールを巻いたままで、温泉の中を泳ぐ姿を見たとき、そんなことを考えていた。

本当の混浴
[これが本当の混浴かな]

ガンタンも三回も訪問していれば、いろいろと見なけりゃ良かったと思われるような事柄まで見えてきてしまう。
その最たるものが当地名物の飲茶。
最初に来たときは蒸籠一つが15バーツってこともあり、安くて最高なんて喜んでいたが、その後20パーツに値上がり。
そんなに安いとは感じなくなっていた。
しかし、今回は値段とは別の次元。
朝の温泉から戻りそろそろ店じまいを始めている飲茶屋で朝食を食べよう手した際、当地の飲茶は自分が食べたい蒸籠を指さして、それぞれ蒸かしてもらうシステムなのだけれど、私が好きな蝦餃(ハカウ)がなくなっていた。
売り切れかと思い店員さんに聞いたところ、「ある」という。
やれ嬉しやと思ったのもつかの間、店員さん冷凍庫から私も毎度御用達のスーパーマクロのプライベートブランドaroのロゴが入ったビニール袋から冷凍の蝦餃を2個取り出して蒸籠に入れて蒸し始めた。
それで一気にガンタン愛は冷め始めてしまった。

冷凍飲茶とは
[冷凍と知ってしまった]

これまでご当地名物だと思ってウヒウヒ言いながら食べてきた飲茶が、手作りとかではないばかりか、タイのどこにでもある量販店のプライベートブランドの冷食だったとは、、なんとも情けない。
そのことに気づかなかった私の味覚も輪をかけて情けない。

8月13日、ガンタンからオンライン・ライブの中継放送を担当してそのまま汽車に乗ってバンコクへ戻る。
オンライン・ライブはまずまずの出来だったけれど、バンコクへ到着したその晩担当したオンライン・ライブは失敗だった。
チャオプラヤー川の夕景から始めて、ワットポーのライトアップをメインにするつもりだったのが、ワットポーでは閉館時間を理由に入場を拒否されてしまい、中途半端な映像しか送れなかった。
有料のプログラムなのに、こんなことでは視聴者に申し訳ないと反省しきり。

ワットポー
[夜のワットポー]

8月下旬にまたチェンライへ行く。
現地での足を考えて車で行くが、日中は支店で事務仕事をこなし、夕刻から夜中にドライブしていくのは、なかなか体に堪えた。
5日間ほど走り回ってバンコクへ戻ってきたらフラフラになってしまった。
その帰路、チェンライを出てすぐ、国道沿いの休憩所案内の看板に温泉マークを見つけた。
なんだろうかとその休憩所へ立ち寄ってみたら、本物の温泉があった。
足湯もあり、そして入浴できる温泉小屋まであった。
せっかくなので温泉で入浴していくことにした。

この先休憩所
[温泉付き休憩所あり]

まだ新しい施設らしく、きれい。
そして、利用料と言うものは規定がなく、お気持ち次第を箱に入れるシステム。
この中の大半は20バーツ札で、ピンク色した100バーツ札もちらほら見える。
湯温は高く、源泉だけだと熱すぎるので、水で埋めながら浴槽を満たしていく。
お湯は無色透明の単純泉のようで、やさしいお湯。
この施設、チェンライからの上り線にあるのが玉にきず。
チェンマイを出て運転始めたばかりで、温泉だと、これから先のロングドライブで湯疲れしそう。
下り線にあれば、長距離の疲れを癒すのに最適と思われる。
だが、ここは公共施設。
運営しているのも公務員だからなのか、タイの公務員の勤務時間に準じて、閉館時間は16:00となっている。
これもまた中途半端な時間。
温泉浸かって星空眺めるくらいの情緒が欲しい。

浴室
[タイでよくある丸い浴槽]

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| 日常 | 12:16 AM | comments (0) | trackback (0) |
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