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蘭英旅行 その1
9月7日より9月15日までオランダとイギリスへ旅行へ行ってました。
そのことを書きたいのですが、たぶん書きたいことがたくさんあるので、かなり長くなりそうです。
連載のような形で書き進めて行きます。

そもそも、事は2020年の3月に行く予定で計画されていたものでした。
その時は、全体で7日間の予定で航空券やホテルなどの手配をすべて済ませていた。
コロナがそろそろ世界中で感染爆発を起こして、会社から渡航禁止を命じられて泣く泣くキャンセルをしたのだけれど、旅行を計画していた1月ごろはまだそんなことになるなどと、ちっとも考えていなかった。

そのころ気になっていたのは、7日間も旅行に出てしまったら留守中、ネコをどうするかということだった。
5日間くらいなら私が日本へ一時帰国するたびごと、ネコに下宿の部屋で留守番していてもらうのは、毎度のことだったし、一度は日本からの戻りの飛行機が台風で欠航となって、6日も留守にしたかことがあった。
しかし、7日間はまだ未経験。
どうしたものか、動物病院へ預けることも考えたけれど、ネコは動物病院が大嫌い。
ストレスで病気になってしまいかねず、かわいそうなのであんまり考えたくなかった。
誰かに頼んで、留守中に毎日様子を見に来てほしいところだけれど、頼める人もいないし、ネコも他人にはなつかない。
そんなことを悩んでいたら、2月6日にネコを、私が3日間バンコクへ行って留守にしている間に死なせてしまった。
ネコの死は全く私の落ち度によるものだけれど、私は「ネコが私が後顧の憂いなく旅行に行けるよう旅立ってしまった」とも感じていた。

そんな環境下にあって、結局は出発間際に渡航禁止となり、すべてキャンセル。
当座は切符などの払い込み済み予約のキャンセルはできず、半年以内の別の日に振り替えられるとの連絡があり、一部追加料金(夏のシーズンなので割増料)を払い込んで同じ2020年の9月に行くべく手配の変更をした。
変更をかけたその時はまだコロナが半年以上も続くなどとは考えていなかったが、4月以降は会社からの渡航命令でなくても、どこへも出られなくなってしまった。
そしてそのまま9月の旅行もキャンセルせざるを得なくなった。
もっとも、ほとんどの予約は払い戻しに応じてもらえた。

それからが長かった。
当時、海外旅行の計画はこれだけではなく、中国の青島へも行こうと航空券を手配していたが、こちらの方は、払い戻しを受ける前に航空会社の方が先に倒産してしまい、全くの泣き寝入りとなった。
そして、今年8月になりタイから海外へ行くのも、海外からタイへ入るのもほとんど面倒な手続きが不要になった。
旅行の計画を復活させたのが8月下旬。
急いで飛行機の手配などをして、出発を迎えることになった。
2年半遅れの旅行となったわけ。

もともとは7日間の予定であったけれど、コロナは収束し始めても、ロシアのウクライナ侵攻にともなっての飛行機の飛行ルート変更などで、往復に時間がかかるなどして、旅行期間は9日間と長くなってしまった。

旅行の行先はオランダとイギリスだけれど、本来の目的地はイギリス中北部の湖水地方。
30年ほど前に、母親を案内して連れて行き、その風光明媚さに母がとても感動し、喜んでいたので、母の没後10年の節目にもあたっていたから、遺影を抱いて再訪しようと考えてのことだった。
それが結局13回忌も過ぎてしまい、今回の旅行には母の遺影だけではなく、ネコの遺影まで抱いていくことになってしまった。

遺影は2つ、宿の窓辺に
[遺影は2つ、宿の窓辺に]

いつもながら前置きが長くなってしまった。
9月7日、朝8時前にアパートを出る。
中ぐらいのキャリーバッグ一つを転がしてエアポートリンクのフアマーク駅まで歩く。
このキャリーバッグは何年か前に息子の優泰が買ってくれたもの。
もともと使っていたものは、これより少し大きかったが、それも妻からのおさがり品で、20年以上使いこんできて、あちこちヒビ割れが生じ、補修に補修を重ねてきている、
それだけに愛着もあるけれど、老体なので酷使には向かない。
駅までは3キロ近い道のりだけれど、今回の旅行はとにかく歩くことにしているので、雨上がりで水たまりの多い道をキャリーバッグ転がして歩く。

歩いていれば、そのうちに靴下に穴が開く可能性がある。
靴下など消耗品みたいなものかもしれないが、私は穴が開けば補修して耐久品とみなしている。
そのため、靴下の補修(裁縫)用に針と糸を持って来るのを忘れたことを歩き出して気づく。
針と糸など、雑貨屋で買えるだろうと思って歩いていたが、駅までの道には雑貨屋などなかなか出てこなかった。
ようやくカンボジア国境へ続くタイ国鉄の踏切を越えたところに雑貨屋を見つけたので、店の主人に「針と糸が欲しい」と伝えたのだけれど、ぶっきらぼうに「ない」と一言。
ときどきタイではこの手の対応を受ける。
針と糸ぐらいあって当然なのに、面倒だから「ない」といって追い払おうとする。

フアマーク駅で空港までの切符を自動券売機で買おうとして、コインがないことに気づく。
少しでも身軽になろうと、財布の中は紙幣だけにしてコインを置いてきたのだけれど、紙幣も100バーツ以上のものしかない。
空港まで30バーツ。
100バーツ札でも使えるのだけれど、おつりは20バーツや50バーツなどの紙幣では出てこない。
全部10バーツのコイン。
この10バーツコインは日本の500円玉以上に重いコインで、財布の中に3枚もあると財布がかさばってしまうのだけれど、癪に障ることに自動券売機は切符のお釣りとして10バーツコインを7枚も、チャリン、チャリンと吐き出した。

ホームに上がって、電車を待つ間、ネコのことを思い出した。
このホームで電車に乗るのは、いつも日本へ一時帰国するために空港へ向かうときぐらいで、ネコはアパートの部屋でお留守番。
そのなネコの待つアパートにはパソコンにカメラをつなげて、部屋の中の様子を出先からも見えるようにしていた。
そして、以前はこのホームに上がってくるとまずはネコがどうしているだろうかとスマホで部屋からの映像を確認したものだった。
しばしば部屋のネット環境が悪くて映像確認ができなかったり、パソコンが落ちていたりとトラブルもあったものだ。
しかし、もう今は部屋の中にネコはいないので、パソコンも棚にしまってしまったし、カメラも中空を剥いたまま放置されている。

スワンナプーム空港の中は、以前と比べたら全然人が少ない。
出国審査の行列もほとんどなく、2年半ぶりにパスポートに出国印が押された。
台北経由アムステルダム行きの中華航空往復航空券代は31,865バーツ。
バンコクからアムステルダムなど直行便も飛んでいるけれど、自分は中華航空好きなので、遠回りでも運賃が割高にさえならなければ気にしない。
それに、今回の旅行を思いついたのも、長らく台北空港でのトランジットがコロナで禁止され、台湾自体も入国禁止されていたものが、やっと先月から第三国へ向かうならトランジットが可能になったので、やっと中華航空に乗れるようになったからでもある。
なんで中華航空が良いかと言えば、マイレージ会員の特典が利用でき、空港のラウンジが利用できるから。
バンコクも成田も中華航空専用ラウンジがあって、小さいけれど食べ物も美味しいしサービスも良いのでものすごく気に入っている。
乗り継ぎの台北空港も大きなラウンジがある。
しかし、中華航空の専用ラウンジは閉まっていた。
これはとても残念。
代わりに案内されたのがミラクルビジネスラウンジという有料ラウンジ。
コロナでまだ多くの航空会社の専用ラウンジは再開していないようで、みんなこうした有料ラウンジへまとめられているようだ。
そのためラウンジ内のソファーは半分以上が埋まっている。
そして、食べ物はタイの田舎にある三流ホテルの朝食会場にも劣るような品ぞろえでバイキング。
サンドウィッチも機内食の残りみたいなラップに包まれた小さなものを置いてあるだけ。
空港ラウンジでの食事を楽しみにして朝食を抜いてきたけれど、当てが外れた。
ビールなどのお酒類は充実していて、こちらは申し分ない。
ビールをいただき、大好きなカンパリソーダも飲ませてもらう。
ウイスキーはジョニーウォーカーがあったけれど赤ラベルだけ。

搭乗時刻となりターミナルのはずれ近くにあるゲートから11時発の台北行きの飛行機に乗り込んだら、これがほとんどガラガラ。
エコノミークラス全体でいったい何人待っているのだろうかといったレベル。
私の席(10H)があるブロックには10人と乗っていない。
※あとで確認したら後方のブロックには出稼ぎ労働者のような人たちが50人くらい乗っていたみたい。
台湾はまだ入国制限しているし、トランジットが再開したといっても、やっぱりこんなものなんだろう。
今晩乗り継ぐアムステルダム行きもどうせガラガラだから3人掛けのシートを占有して、横になっていけるんじゃないかと期待してしまった。

エコノミー
[乗客より乗務員の方が多そう]

機内ではマスクの着用が義務となっているということだったし、機内食など以前のようにサービスされるのだろうか、お酒類は無理かもしれないなくらいに思ったりしたけれど、飛んでしまえばサービスは以前のとおり。
スチュワーデスさんたちは、マスクを着け、制服の上に薄いビニール製の防護服のようなものをかぶっているが、機内食もちゃんと配ってくれた。
機内でもビールをいただく。
銘柄は台湾ビール金牌。
これも2年半ぶり。
ちょっと残念だったのは、イヤホンで聴いた機内音楽サービス。
中華航空の機内音楽プログラムで「日本ゴールド」というのがあり、以前は1970年代から最近までの歌謡曲を集めたもので、ときどき大好きなキャンディーズの歌が聞こえたり、懐かしい歌謡曲があったりと、楽しみにしていたけれど、「日本ゴールド」というプログラムは残っていたけれど、1970年代からの・・というくくりがなくなり、ほとんどが最近の歌謡曲になっていた。
つまり全然知らない歌ばかり。
唯一古い曲が由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」。
この曲、古いし、知っているけど、懐かしいという感じではない。
1960年代(1969年らしい)の大ヒット曲なので、思い出が伴わない。

機内食
[ミートソース風だけどたぶん炸醤麺で大人の味]

台北の空港ではそのまま中華航空のラウンジへ直行。
バンコクの空港も人が少なかったけれど、台北の空港は全然乗客の姿を見かけない。
ラウンジもとても大きいのだけれど、ほとんど誰もいない無人状態。
入ってすぐに係の人がメニューを持って食事はどれがイイかと聞いてくる。
こちらは機内食を食べているので、空腹ではないので、後でほしくなったら注文するということにした。
なんたって、乗り継ぎ時間が7時間もあるのだから。

ラウンジ
[貸し切り状態のラウンジ]

このラウンジで食べ物の注文を取りに来ると言っても、食べられるものはお弁当のようなものらしい。
本来ならばバイキングながらオープン・キッチンもあり、東京の駅にある立ち食いソバのようなカウンターもあったりしてとても楽しいのだけれど、すべて閉鎖。
飲み物の冷蔵庫だけは開放されていたけれど、ビールの銘柄は台湾ビールのみ。
台湾だから台湾ビールで問題ないのだけれど、いつもはここにサッポロビールがあって、久々に日本銘柄のビールが飲めると楽しみにしていたのにこれも残念。

7時間と長い乗り継ぎ時間だけれど、ここのラウンジにはシャワールームも個室の仮眠室もあるから楽勝と考えていたけれど、これも甘かった。
シャワー室、仮眠室いずれもコロナのためサービス中止。
結局大きなソファーで過ごすことになる。
さらに、平日水曜ということもあり、会社からのメールやメッセージはどんどん入ってくる。
さっきのフライト中に貯まっていたものが、一時に配信されてきた。
バンコクの業務時間が終わるまでは、ノートパソコンにー向かう。
ウェブを使ったインタビューまでこなしてしまうが、ラウンジ内にはほかに乗客がいないから、周囲を気にしなくても済むので助かる。

メールもひと段落したころからビールを飲みはじめ、ワインも飲ませてもらう。
そうしているうちに、少しお腹もすいてきたので弁当を注文。
メニューを見せてもらったが、当然ながらどれも台湾風の弁当で、台湾風の内容になっている。
つまり、ドカベン風にご飯の上にドーンと大きなお肉が乗っかている。

弁当のメニュー
[左はチキンのホワイトソースかけパスタ、右は排骨飯]

昔の私だったら喜んで食べただろうけど、いまは俄かベジタリアンなので、そんな弁当は遠慮させていただきたい。
そこで「これなら」と提示された弁当の写真は、パッケージは日本のお弁当みたいで、なかなか良い。
実際に運ばれてきた弁当も期待を裏切らなかった。
中は小さなマスに仕切られて、松花堂風に惣菜が入っている。
しかもすべて精進料理。

おぺんとう
[パッケージのプリントもイイ感じ]

味付けも100%和風かと言うと、そうでもなく、台湾風味のものもある。
片隅に小さな焼き芋が入っているのも台湾らしい。
大正解の弁当で、ますますビールが美味しい。
精進料理にはあっさりした台湾ビールがよく合うようだ。

菜食弁当
[俄かベジタリアンであることに感謝したくなねような内容]

夜になってくると無人だったラウンジにも乗客が増えてきた。
以前のように満席になるわけではないけれど、あちこちのボックスに西洋人が座り込んで、弁当を食べたりパソコンで仕事をしたりしている。
壁のモニターに表示されている出発案内を見てみると、たくさんの出発便が表示されているが、よく見ると「客機載貨 Cargo Only」と書かれており、お客を載せないで飛ぶ便ばかりのようだ。

出発案内
[欠航になっている便もある]

この中で、ヒトを載せるのはトロント行き、パリ行きそしてバンクーバー行きのエバーグリーン航空、中華航空は私の乗るアムステルダム行き以外にブリスベン行きがあるだけ。
あとエミレーツのアブダビ行きがあった。
中華航空のラウンジ利用の対象便がたった2便しかないのに、このラウンジには30人以上人がいる感じになっている。
ということは、乗客はビジネスマンたちばかりだから、ビジネスクラスはそこそこ乗客が乗っているけれど、エコノミーはガラガラなんだろうとの確信してしまう。
実は飛行機の切符を買うとき、プレミアムエコノミーに片道5000バーツ程度でアップグレードできるとなっていた。
マイルもエコノミーの倍付で、随分と心が動いた。
しかし、切符を買い時点でエコノミーの座席表を見たところ、埋まっている席は10%もなかった。
ということは、ひじ掛けが邪魔になってゴロ寝に不便なプレミアムエコノミーより、3席占有してゴロ寝ができるエコノミーの方が絶対に快適と解釈して、そのままアップグレードしなかった。

搭乗開始時刻が近付いたので、ゲートへ向かって歩き始める。
A9番ゲートと遠い道のりだけれども、ターミナルの通路に人影がない。
時間が遅いこともあるだろうけど、店もほとんど閉まっている。
アムステルダムまで約15時間もかかるロングフライト。
メールもメッセージも届かないから、今夜はぐっすりと眠って日頃の寝不足解消をしたいと思う。
一度にそんな長く眠れないだろうから、強制的に眠ってしまおうと先日病院へ行ったときにお医者さんから睡眠薬をもらって来てある。
こいつを飲めば朝までぐっすり、なんたってアムステルダム到着は朝7時半過ぎの予定。
ほんとうに長い夜になるわけで、ここで眠っておくかどうかで、時差ボケへの順応力にも差が出るだろうと、適当なことを考えているうちにゲート前にの入り口へ到着。

しかし、ゲートへ降りる階段から搭乗待合室を見て愕然としてしまった。
広い待合室が人でいっぱいになっている。
いくつものゲートで共通の待合室を使っているので、ほかの便の乗客と言う可能性もあるけれど、、、それにしても、この人たちはどこから湧いてきて、いったい何でここにいるだろう?
が、私が乗るCI073便の搭乗開始の案内が流れると、改札口には長蛇の列が瞬時に形成されたのが確認された。
いったい、ジャンボでもない飛行機にこんなに人が乗れるものだろうか?

搭乗ゲート前
[搭乗ゲート前の様子]

機内に入って、私の目論見が完全に失敗したことを理解した。
満席。
ゴロ寝をしていくはずの15時間など、霧散してしまった。
アムステルダム行きだから当然だろうけど、乗客の多くが身体の大きい西洋人。
なんで、こんなことになってしまったのだろう。
私の隣りの中間席も西洋人男性。
狭いエコノミーでしかも両側から挟まれた中間席、15時間なんて乗っていたらさぞ苦しいだろう。
私は通路席を事前指定したいたからまだ救われた。
いや、これも地獄と紙一重だったようで、実は座席を指定する際に、3列席の中間席などをわざわざ選ぶ人は普通いないはず。
特にたいていは長いフライトなど特に通路席が選ばれる傾向がある。
窓側を選ぶ人もいるだろう。
また、できれば隣りに人がいない席に座りたいというのもよくあることで、座席表から選ぶときに、なるべく隣りが空席のところを探すもの。
私は逆転の発想で、私が中間席を抑えてしまえば、通路側にも窓側にも誰も来ない確率は高まるのではないかと理論を立てた。
しかし、自分の理論を自分をモルモットにして立証する勇気がなくて、通路席を選んでいたが、結局これがせめてもの救いとなった。
私の理論は満席だったら通用しない。

満席
[機内は満席]

本来、台北からアムステルダムまで15時間なんてかからないはずだが、今年の初めにロシアがウクライナへ侵攻してから、シベリア上空を飛ばなくなり、南ルートで飛ぶようになっている。
昔は、日本からもヨーロッパへ行くのに南周りが良く使われて、バンコクからインドから中東を経由して、アテネなどへ抜けていたもので、24時間くらい時間がかかっていた。
ジェット機のスピードなど`昔も今も大して変わらないけれど、一度に飛べる航続距離が大幅に伸びているので、途中どこにも降りることないから15時間に時間が縮まったのだろう。

座席のモニターで確認すると、台北を飛び立った飛行機は、南西に向かっていた。
香港近くまで来たところで、機内食になる。
台湾の時間だともう深夜12時過ぎだけれど、夕食ということらしい。
私はまたビールを注文。
またまた台湾ビール。
他の乗客たちでビールを注文している人はほとんどいなかった。
日本行きの機内と違うのは、ビールなんて飲まない客層なのかもしれないけど、トイレに立つのも大変な夜のフライト、ビールなんて飲んだら苦しい思いをしたくないだけか。
私は通路席なので、トイレの心配なく深夜のビールを美味しくいただく。

昆明上空
[ロシア上空は飛べなくても台湾を威嚇する中国上空は飛べるらしい]

海南島から中国内陸部へ入り、昆明の近くまで来たところで機内は消灯となった。
薄暗い機内の中で、座席の液晶モニターだけが青白くチラチラと光を発している。
長いフライトなので映画を見ている人が多いようだ。
私はなんとか寝てしまおうと、ピンク色の小さな錠剤を飲み下し、耳栓をし、アイマスクを付ける。
ゴロ寝ができないのはとても残念。
私は横にならないと寝付けない体質、特に足を下に降ろしていると、落ち着かないので、`足をなんとか上に上げようと、ヒザを前の座席の背もたれに寄りかからせるようらしたりと工夫したけれど、なかなかうまくいかない。

それでも、トイレに立ったついでにモニターを見て、インドの上あたりだなと確認をしたところで記憶が途切れて、途中何度か目を覚ましたようだけれど、睡眠剤か効いて、また寝込み、結局トルコ上空あたりで朝食の機内サービスが始まった。
既に台北を飛び立って10時間くらい過ぎているはずで、台湾の時間では午前9時過ぎのはず。
しかし、まだそとは真っ暗で、深夜なのだろう。
朝食の時にもまたビールをいただく。

迂回ルート
[ぐるりと半円を描くように飛んできています]

つづく

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