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長時間列車の旅、ガンタンへ(後編)
5月15日 (日)

朝早くから起きだして、ひとり散策にでかける。
昨日ガンタンに到着したときは、駅から宿へと直行してしまったが、アンダマン海側のタイ国鉄終着駅をもう少しよく見ておきたい。

昨日のガンタン歴史資料館の学芸員さんの話では、もともとはもっとトラン川岸まで線路が続いていたのだそうだ。
しかし、旅客列車の駅としての機能は、現在の場所だったのだろう。
宿から歩いて、すぐの交差点に立てば、蒸気機関車時代の給水タンクが立っているのが見える。
タイの鉄道では、この手の赤さびた給水タンクがまだあちこちに残っている。
どれも現役をとっくに引退しているはずだけど、撤去されていない。

給水タンク
[一日一本の列車しか走らないのに、レールと枕木は幹線並みの上物]

給水タンクの西側にはやはり蒸気機関車時代の遺物である転車台が残っていた。
転車台の上には、機関車のオブジェをのっけて雰囲気を出している。
転車台の周りには柵があり、記念物のように手入れしてありそうに見えるけれど、転車台の中は水たまりになっていた。

転車台
[ここまで作ったなら、もう少し維持管理もしっかりしてほしい]

この転車台はイギリスからの舶来品のようで、ガンタン駅開業当時のものとしたらもう100年以上も前のものということになる。
転車台はあまり大きくないので、そこで方向転換できる機関車のサイズも中型以下のものとなるだろう。1920年代のタイの機関車はこのサイズで十分だったのかもしれない。

転車台のプレート
[Ransomes & Rapier Ipswich, Englandと刻まれている]

かつてはガンタン駅も貨物の取り扱いがあったはずで、そのために現在も構内は広い敷地があり、その一部は公園になっている。
その中にディーゼル機関車を先頭に紫色に塗られた車両が置かれてある。

紫色のディーゼル機関車
[できればオリジナルな色のまま保存してほしかった]

案内板があり、鉄道図書館と書かれている。
それもどうやらシリントーン王女が寄贈したか何かの廃車となった鉄道車両を使った図書館のようだ。
これと似たものをタイ国鉄の本社横やノンカーイ駅前で見たことがあり、車両の内部に書架があり児童図書館のようになっていた。
私が子供のころはバスを改装した移動図書館なんてものが回ってきていたけれど、これらの鉄道車両は移動するわけではなく、据え置きされている。

鉄道図書館
[シリントーン王女とは書かれずに称号であるソムデットプラ・テープラッタナラーチャスダーサヤームボーロムラーチャクマーリー(สมเด็จพระเทพรัตนราชสุดาสยามบรมราชกุมารี)となっている]

しかし、ここの図書館は案内板こそ立派にできているが、図書館たるべき車両は朽ち果てていて、全く図書館の役をなしていない。
車内に本など一冊もなく、立ち入りもできない。
タイ王室の中で国民から最も尊敬されているシリントーン王女の名前が泣いている。

ちなみにディーゼル機関車はドイツのヘンシェル社で1964年に作られたもの。
運転室をのぞいてみたらば、運転台には大きな丸いハンドルが付いていた。
このハンドルはいったい何のハンドルだったのだろうか?
ブレーキか、それともアクセルか?

機関車のハンドル
[もともとこんなハンドルが付いていたのだろうか]

このディーゼル機関車の後ろにつながっているのは日本から渡った中古ディーゼルカーが2両。
塗装はともかくとして、外観は日本のディーゼルカーと一目でわかる。
車両の端には「日本国有鉄道」「新潟鉄工所昭和43年」と刻まれたプレートも付いている。
20年位前に日本の中古車両がたくさんタイへ渡ったけど、たぶんもう現役で使われているものなどないのではないだろうか。

キハ58
[日本の中古ディーゼルカー]

駅舎へ回ってみる。
駅舎内もレトロなイメージを演出している。
荷物の重さを測る古くて巨大な台貫が置かれていたり、タブレット閉塞器など、現役ではなく、レトロの演出のためのオブジェとして置かれているようだ。

1912年開業
[レトロがおしゃれ]

ホームは花壇のようになっており、とても綺麗に整備されている。
1日1往復の列車しか発着しないローカル線の駅としては、もったいないくらい。
これだけ手の込んだことをしているんだから、ここの駅にはいったい何人くらいの駅員がいるのだろうか。

出発ベル

駅そのものは鉄道利用者向けとしての機能よりも、観光スポットとしてガンタンの街に貢献しているようだ。
駅舎のはずれには、やはりレトロなイメージのカフェなんかもあったりする。
昨日も見たけれども、ここへやってくる観光客の数は少なく無いようだ。
駅舎の中では、南部の特産品であるカシューナッツの袋詰めとか、ラベルにヤギの絵が描いてある醤油なんかが売られていたけれど、いまひとつ商売っ気が足りない。
これだけ観光客が来るのなら、もっといろんな土産物を売っていてもいいのではないだろうか。

駅前ネコ
[早朝の駅前は、観光客の代わりにネコ一匹]

駅の隣りが木の茂った丘になっており、そのわきに古い井戸があった。
"บ่อน้ำรถไฟ(鉄道井戸)"と書かれている。
その下がタイ暦になっていて、2456とあるから西暦に直して1913年ということになる。
ちょうどバンコクからマレーシアへ向かって伸びる鉄道の建設真っただ中に掘られた井戸なんだろう。

鉄道井戸
[ここから給水塔までどうやって水を運んだんだろう]

現在は水を必要とする蒸気機関車もないけれど、井戸の底には水が溜まっていて、ポンプもあるから、何かに用途には使われているのだろう。

駅周辺から、昨晩歩いたところをもう一度歩いてみる。
亭仔脚のある棟割り長屋。
アーケードの部分はアーチ形をしていてレトロ感がある。
しかし、その下にはパイプが通っていたり、植木鉢が置かれていたりで、歩くにはあんまり便利になっていない。
亭仔脚は実用面より雰囲気だけなので、こうした古い町屋を利用したカフェになっている店もあるようだが、まだ朝が早いこともありどの店も古めかしい木戸を閉め切っている。

亭仔脚
[亭仔脚]

昨晩歩いた道端の食堂では、夜の時間なのに飲茶を食べさせている店が何軒もあったが、朝の時間も飲茶屋は店開きして、蒸籠を蒸している。
飲茶をディムサムと呼んでおり、たぶん漢字では点心とでも書くのだろう。
あとで岩さんと一緒に飲茶で朝食をとることになっているので、その下見を兼ねて一軒一軒のぞいてみる。

ディムサム
[点心の種類も多い]

タイ南部なのでモスリムの人も多く、緑色をしたモスクなんかもあったけれど、飲茶を食べさせる食堂にも三日月と星のモスリムマークを付けた店がある。
この食堂ではモスリム向けに豚肉を使わない点心を出しているのだろうか。

モスリム系
[食材は何を使っているのか興味がある]

どの飲茶屋も繁盛していて、美味しそうなのだけれど、どうせ入るのなら、プラスチック製の蒸籠の店よりも竹を編んだ蒸籠を使っている店の方が良さそうに思える。

トラン川の岸沿いで、漁船が係留されているところまできたけれど、やはりここでは魚のセリなどたっておらず、人影もなかった。

じゅごん
[トラン県のシンボル的ジュゴン]

ガンタンの街はストリートアートと言うのか、建物の壁面に大きな絵を描いてあるものが多い。
最近の流行で、観光スポットにもなっているのだろう。
華僑の多い街だからか、昔の中国女性を木戸に描いたものがある。
その絵の隣に、「江東」と書かれている。
江東と言うのは、どうやらガンタンの漢字名らしい。
確かにトラン川の東側だから江東と言うのは正しい。

江東
[奥の緑色の建物はモスク]

8時に宿の1階で岩さんと合流して、再び飲茶屋の並ぶ通りへ向かって歩く。
その通りまで行かなくても、宿の周りにも何軒も点心を食べさせる店がある。
現に宿の隣も点心を蒸かして、路上にイスとテーブルを並べている。
しかし、ガンタンまで来たからには、飲茶のメッカみたいなところで食べたいので、先ほど物色した店へと向かう。
途中で、大福もちのようなものを売っていた。
2つで10バーツと言う。
見た目は大福にそっくりで、名前を聞いたら「モーチ」だそうだ。
大福によく似ているが、中身は小豆餡ではなくて、ピーナツ餡だそうだ。
「早く食べないと味化落ちるよ」と言われる。

物色しておいた飲茶屋は大きな店で、エアコンはない。
店の入り口で食べたい蒸籠を選ぶと蒸しあげてくれる。
どれもひとつ15バーツだという。
とても安い。
嬉しくなって、エビ餃子やシューマイなど、あれこれと頼んでしまう。
岩さんと二人だから、ちょっとぐらい多めに頼んでも心配ない。
ひとりだったら蒸籠も3つか4つで打ち止めになっているだろう。
点心類を食べるときに使うタレは、このあたりではスイートチリソースが好まれているようで、テーブルにはそのボトルが置かれている。
しかし、私としてはスイートチリソースよりも黒酢で食べたいので、店のオヤジに頼んだら、奥から持ってきてくれた。
マスタードや辣椒醤は置いていないらしい。

飲茶屋
[数ある中から選ばれた飲茶屋]

パトンコーもあった。
バンコクのなんかよりずっと巨大で、台湾や中国の油条に似ている。
しかし、味の方は変わっていて、普通のパトンコーや油条とも違う。
ちょっと甘い味がする。
それもシナモンか何かが入っているような感じで、なんか洋風のお菓子のように感じる。

ガンタン風パートンコー
[ガンタン風パートンコー]

香港あたりにある本場の飲茶は、飲茶と言われるだけあって、点心だけでなくお茶にもこだわりがあって、いろんな中国茶を取り揃えてあったりするが、この店では「チャー・ヂーン(中国のお茶)」が1種類あるだけ。
他のテーブルの人たちは、だいたい水で点心を食べている。
カラフルな色の冷たいドリンクを飲んでいる人もいる。
冷たい中国茶を注文したつもりだったけれど、ステンレスポットに入った熱い中国茶が出てきた。

ガンタンの朝食

飲茶はどの蒸籠も美味しかった。
中華饅頭も胡麻餡があったり、揚げ饅頭があって美味しい。
一つ失敗したのは、肉団子を中華麺でくるんで油で揚げた点心があったので注文したのだが、私としては点心として一つ食べれば十分と思っていたのに、皿に山盛り持ってこられた。
この揚げ点心は、これが最小単位とのことで、朝食の後半戦は、この中華麺包み揚げばかりを処理しなくてはならなくなった。

ヌードル巻
[揚げ物コーナー]

これだけ食べて二人で240バーツ。
満腹かつ大満足。
とてもさっき買ったモーチを食べられる状態ではない。

岩さんは、町の裏手にある丘に戦争中に日本軍が掘ったトンネルがあるらしいから一緒に見に行こうという。
岩さんはこの手のものが大好きだ。
先日もハジャイ周辺の日本軍上陸ポイントを探しに行ってきたばかりだそうだ。

飲茶屋からトラン方面への道路を1キロほど歩いた道路の右手にその丘はあった。
丘の場所そのものは、昨日の博物館で学芸員さんから、丘全体がタムナックチャンと言う公園になっていて、ガンタン市民の憩いの場になっていて、日本軍のトンネルがあると説明を受けていた。

タムナックチャン公園
[タムナックチャン公園]

丘の上までは車でも登れるように舗装道路が付いていた。
その道の終点まで行くと展望台になっており、遠くにリボン島も見える。
もう数日ガンタンに滞在するようならば、リボン島など海辺へも足を延ばしてみたいところだった。

展望台
[奥に見えるのがリボン島らしい]

ここでは三毛猫にあった。
なつっこい可愛いネコだけれど、きょうはネコにプレゼントするようなものを何も持ってきていない。
いつもならキャットフードの入った小袋をカバンに入れているのだが、それも持ってこなかった。
人家のないこんな丘の上のネコなので、特定の飼い主がいるわけではなく、公園に来た人に食べ物をねだっているのだろう。
撫でてやったりして、期待だけさせて、ゲンコツではネコに悪いことをしてしまった。

三毛猫
[ジュゴンとネコ]

日本軍のトンネルはすぐに見つかった。
セメントでできた日本兵の人形2体がトンネルの‐入り口に歩哨として立っている。
トンネルの中には入ることができる。
トンネル内の通路は1メートルほどで、高さも十分あるので、かがむことなく歩いて奥へ入っていける。
内部は上り坂になっていて、ちゃんと照明も付いている。
防空壕のような目的で掘られたトンネルなのだろうか。
トンネル内に部屋はなく、通路だけで、その通路の先まで進むと丘の裏側へ抜けることができた。

日本軍のトンネル
[このほかに古い大砲も二門置かれていた]

丘の周りの遊歩道を一回りして、丘を降りた。
まだ時刻は10時前。
バンコクへ戻る汽車はガンタン発が12:55だし、宿のチェックアウト時間までもまだ2時間以上ある。

昨日もらった観光案内には、この近くにタイで最初に植えられたゴムの木と言うのがあるらしいので、それを探しに宿とは反対方向へ歩き出す。

観光案内の簡易地図が頼りだけど、この手の簡易地図と言うのは、曖昧過ぎて、距離感とかわからないのだけれど、数百メートルほど歩いたところで「最初のパーラーゴムの木」と書かれた看板があり、左へ入れと矢印も付いている。

ゴムの木への案内板
[最初のゴムの木へは左へ・・・]

迷うことなく矢印に従って、脇道へ曲がり進んでみた。
一般の住宅が並んでいる。
庶民の長屋風もあれば、ベルサイユ宮殿風にコテコテの成金趣味邸宅もある。
しかし、脇道を行き止まりまで歩いても、ゴムの木などは見当たらない。
建設用の砂山があるだけ。

砂山に登って、周囲を見回してみる。
ため池があり、その池の向こうに多重の屋根を載せた建物が見える。
ミャンマー風の寺院のようにも見えるけど、お寺ではなさそうだ。
椰子の木は見えるけれど、ゴムの木は見当たらない。

ゴムの木なんかない
[ゴムの木が見つからない]

そうしてキョロキョロしていたら、向こうで手を振る人がいる。
椰子畑の中から何か呼びかけている。
どうやら私のことを呼んでいるようなので、砂山を越えて進んでみる。

そばまで行ってみた。
なんと驚いたことと言うか、なんとも偶然と言うか、手を振って、私を呼び寄せた人は、昨日ガンタンの巨大露天風呂で隣り合わせになった夫婦連れであった。
向こうも、こんなところで私を見つけてびっくりしたようだ。

ちょうど椰子畑でココナツの収穫をしていたところだったそうで、私も岩さんもココナツをご馳走になった。
私は青いココナツは青臭くてあんまり好きではなく、ココナツの周りの繊維を剥いて、核だけにして焼いたものが、青臭くなく、甘さが乗って好きだったのだけれど、ここで収穫したばかりのココナツに鉈で穴をあけてもらって飲んだところ、苦手だった青臭さがなくて、とても美味しい。
ちょうど、丘へ登ったりして汗をかいていたので、ココナツジュースが身体に染み込んでいくのがわかる。

ココナツの収穫
[収穫したばかりのココナツ]

奥さんはバイクに乗って家へ戻り、スプーンを持ってきてくれた。
「スプーンでこそぎ取って、果肉も食べろ」と言う。
果肉も良く熟していて、甘みがあるし、歯触りも良い。
いままで食べてたココナッツは何だったんだろう。

思い返せば、インドで食べた青いココナッツが印象を悪くしていたような気がする。
長いこと青ココナッツを敬遠していたけれど、損をしていたかもしれない。

それにしても大変なもてなしようで、次々にココナツを割ってくれる。
喉の渇きも収まったし、果肉を食べるにも、朝食の飲茶でまだ腹が膨れたまま。
ココナツは二つでギブアップしてしまった。

矮性ココナツ
[背が伸びすぎないよう品種改良した矮性種ココナツ]

「なんでこんなところへ迷い込んできたのか?」と質問され、正直に最初のゴムの木を探してたと答えた。
どうも、ゴムの木は脇道に入らず、本通り沿いにあるらしい。
そして、そこまで送っていくという。

偶然の再会
[偶然の再会だった]

小さなバイクに私と岩さんも後部座席にしがみついて、三人乗りで最初のゴムの木まで連れて行ってもらう。

何のことはない、さっき入った脇道ではなく、本道をもう少し先まで行ったところに最初のゴムの木はあった。
いったい、あの看板はなんだったのだろう。

タイ最初のゴムの木
[タイ最初のゴムの木]

最初のゴムの木とされるものは、見慣れたゴム林にのゴムの木のようにまっすぐ伸びているものではなく、くねっていて、幹の表皮もクヌギの木のようにカサ状になっているので、これがゴムの木とは思えなかった。

しかし、ちゃんと説明版も用意されており、これがタイで最初のゴムの木らしい。
時代から言うと20世紀の初頭のようだ。
そしてこのゴムを植えたのも、昨日の資料館で最初にお目にかかったパヤー・ラッサダーヌプラデッィトと言う人物らしい。

最初のゴムの木案内板

いまでこそゴムはタイ全土で植林され、天然ゴムはタイを代表する輸出作物になっているが、最初のゴムからまだ100年少々の歴史しかないようだ。
大正時代には英領マレーや蘭領ジャワにたくさんの日本人経営ゴム園があったというから、タイでのゴム植林は後発ということになるんではないだろうか。

ゴムの木のところからは、私と岩さんの二人でまだ歩いて宿へ戻ることにした。
バイクで送ってくれるというが、あんまり親切を受けすぎるのも精神的に負担を感じるので固辞する。

宿のチェックアウト時間は12時だし、時刻はまだ10時半。
のんびり歩いて帰っても、宿でシャワーを浴びるくらいの時間はある。
暑いのには閉口するが、初めて来た町を歩くのは悪くない。

しかし、どこまでも人が良い方だったようで、すぐに今度は車で追いかけてきた。
「いいから乗りなさい」と言われて、車に乗り込む。
彼は学校で体育の先生をしているのだそうだ。
名前は、ウィスット。
奥さんも同じく先生で、教えているのは算数とのこと。
子供が3人いて、3人とも女の子。
一人はまだ学生でチュラ大に通っているそうだ。

ウィスットさんが教鞭をとっているという学校の前を通り抜ける。
学校はさっき訪れたタムナックチャン公園の隣にあった。
大きな学校で、公立のハイスクール。
自慢気に話していたところを見ると、このあたりでは有名校なのかもしれない。

まっすぐ宿へ送ってくれるのかと思ったら、また別の丘の方へ車を回し、「よかった、今日は休みじゃないかと思ったが、ちゃんと開いてた」と言って、丘の方へ案内してくれる。
そこにはパヤー・ラッサダーヌプラデッィトが100年前に住んでいた家があり、博物館になっているそうだ。

ラッサダー邸
[ラッサダー邸博物館]

岩さんは、「あぁ、よかった時間がなくて、この博物館へ寄れないかと思っていた」という。
私は、もともと博物館には興味を持っていなかったのだけれど、ウィスットさんはどんどん先へ進む。

瀟洒な木造2階建て、テラスやバルコニーを擁したコロニアル風の建物が博物館として開放されていた。
中に入ると、女学生が案内役として館内の説明をしてくれる。
この女学生さん、ウィスットさんの教え子なんだそうだ。

中に入ると、パヤー・ラッサダーヌプラデッィトが使っていた家具類や写真パネルが展示されている。
天蓋付きのベッドがあったり、いまでも快適に暮らせそうな建物である。

ベッド
[このベッドはラッサダーの娘さん用だそうだ]

しかし、このパヤー・ラッサダーヌプラデッィトという人物、どうもまだよくわかっていない。
女学生さんは熱心に、家具や写真パネルなどを案内してくれるが、パヤー・ラッサダーヌプラデッィトそのものについては、あんまり説明がなかった気がする。
娘さんがいると言っていたのは聞き取れたが、私のタイ語聞き取り能力不足もある。
でも、たぶんパヤー・ラッサダーヌプラデッィトと言う人は、今更説明するまでもない有名人なのかもしれない。

ラッサダー肖像写真
[右上の肖像写真がラッサダー]

ということで、ウェブで調べてみたところ、先ほどの最初のゴムをはじめ、トラン県、特にガンタンの発展にものすごく貢献した人らしい。
パヤー・ラッサダーヌプラデッィトは福建系の華僑で、代々ラノーンの知事を務めるナ・ラノーン家の出自だそうで、中国名は許心美。
ラマ5世、チュラロンコーン王からの信任も厚く、このあたり一帯を統治するモントン・プーケット省長に任命され、絶大な権力を誇っていたらしい。
1901年に英領マレーから禁輸品であるゴムの種子を持ち帰ったのが、タイでのゴム栽培の始まりらしい。
当時はガンタンがトラン県の中心だったようで、鉄道建設もガンタンから東進する形で進められ、ガンタンからの最初の鉄道が開通したのが1913年。
翌1914年には、シャム湾側のナコンシータマラートまで開通させている。
つまりアンダマン海とシャム湾を結ぶ鉄道が、バンコクから南へ伸びる鉄道よりも先に開通させている。
20世紀の初頭は、ガンタンの最盛期でもあったようだ。
パヤー・ラッサダーヌプラデッィトは、その中心人物なので、ガンタンのヒーローということになりそうだ。

ラッサダーファリミー
[庭に置かれたラッサダー一家の像]

また、パヤー・ラッサダーヌプラデッィトが福建系ということもあって、ガンタンには福建系の移民も多かったのかもしれず、それが福建風の建物を作らせたのだろうと思う。

ここまで案内してきてくれたウィスットさんも、お母さんは福建で、お父さんは潮州だといっていた。
しかし、中国語はわからないそうだ。

パヤー・ラッサダーヌプラデッィトの旧宅博物館から、そのまま車で宿へと送ってもらった。
その途中、「ちょっと待ってて」と言ってウィスットさんはひとり車から降りて、道路脇の店に入っていった。
店の前には紙箱が山のように積み上げられている。
老舗のケーキ屋さんらしい。
岩さんによると、トランはトランケーキが名物なのだそうだ。
と言われても、トランケーキがどんなものかよく解っていない。
店の名前は、ケーキ・ロート・ガンタン(เค้กเลิศรสกันตัง)となっており、ニワトリの絵が看板に描かれている。

「汽車の中で食べなさい」とウィスットさんに箱入りのケーキを押し付けられる。
まったく、どうしてこんなにももてなしてくれるのだろう。
このへんが福建系の人のホスピタリティーなのかもしれない。

宿の前で、車を降りる際に、ウィスットさんの電話番号だけうかがっておく。
電話番号さえわかれば、LineやFacebookを確認できるだろう。

宿へ戻って、シャワーと荷造り。
ネットで調べると12:55のバンコク行きの汽車は、出発が遅れそうだ。
昨日乗ってきたものと同じバンコクからガンタンへ来る列車が、ガンタンで折り返してバンコクへ戻ることになっているが、そのバンコクからの列車が4時間以上も遅れていることが確認できた。
とりあえず、チェックアウトの時間になったので、バンコクへの汽車が出発前まで宿に荷物を預かってもらうこととした。

チェックアウトの際に宿の人と話したら、ウィスットさんを知っているという。
どうやらウィスットさんはガンタンの有名人なのかもしれない。

列車の状況を確認しに駅へ行ってみる。
駅員さんに聞いてみると、大幅な遅れが出ているので、バンコクからの列車はガンタンまで来ないで、途中のトランで折り返すと教えてくれた。
そして、トランまではワゴン車で送ってくれるという。

列車代行バン
[トランまでのバンは駅前で待機中]

岩さんはトランから翌日の飛行機でバンコクへ戻る予定にされていたが、ガンタンからトランまでだけでも汽車に乗ってみたかったと残念そう。
しかし、今日はガンタンからのトランへの列車の代わりに振り替えられるのは、ワゴン車が一台だけ。
私のように事前にバンコク行きの切符を購入しているならいざ知らず、今からトランまでの切符を買おうとしている岩さんまで代行バンに乗せてくれるものだろうか?

そのことを駅員さんに聞いたところ、「うーん」と腕組みしてしばし考えた末、「事前に切符を買っている人は9人で、バンには10人乗れるからいいだろう」と許可が出て、岩さんはトランまで5バーツ払って切符を購入した。

切符売り場
[ガンタン駅の切符売り場]

バンは遅延せずに12:55に出発するというので、急いで宿へ荷物を取りに帰り、満員のバンに乗り込む。
鉄道でも、ガンタンとトランの間は20kmも離れているが、途中駅がない。
なので、この代替バンも途中停車することなく30分ほどでトラン駅前へ運んでくれた。

トランは現在のトラン県県庁所在地なので、ガンタンと比べるとずっと大きな町だった。
私の知識では、水産加工業、冷凍食品や缶詰のメーカーがある町と記憶している。
ピサヌロークへ行くときに時々利用するディーゼル特急の車内で配られるレトルト食品も、プンプイというブランドで、トランのメーカーだった気がする。
しかし、水産加工工場があったり、その製品が鉄道車内で使われていても、製品の出荷に鉄道は利用されていないようで、駅構内では私が乗ろうとするバンコク行き快速列車の後発となる急行列車が一本側線に入っているだけで、貨物輸送ための設備などは見当たらなかった。
ホームも一面しかない。

駅で私が乗ろうとする列車がどうなっているか確認したところ、4時間くらい遅れてて、トランへは3時ころに到着する見込みだから、それまでは自由にしていてよいとのこと。

トラン駅前
[トラン駅、駅としてはガンタンの方が風情がある]

岩さんは今晩トランに泊まるというので、岩さんの泊まる駅近くの宿屋まで一緒に行く。
岩さんはこの年末年始もトランやその周辺で過ごしていて、トランの街はよく知っているから案内するという。
しかし、どうもこれと言った名所とかはなさそうで、「トランの名物に、ムーヤーン・トランがあるから一緒に買いに行かないか」という。
歩いていくには遠すぎるけどトゥクトゥクに乗ればすぐだからとも言う。
しかし、私は最近は豚肉をあんまり食べない。
牛肉も食べない。
俄かベジタリアンであろうとしているので、ムーヤーンなどと言う焼き豚など、土産に買いつもりはない。

時刻は昼を過ぎているが、朝の飲茶の食べ過ぎと、2つのココナツで空腹はちっとも覚えない。
岩さんは「トランは食い物がうまい町なんですよ」と言う。
しからば、空腹でなくてもモノは試しと、昼食にその旨い飯を食べさせるという店まで歩いてみる。

ストリートアート
[トランの街もストリートアートの壁画が多い]

しかし、もう時刻は2時を回っており、うまい飯屋はすでに閉店していた。
それからシャッターが閉まっている店が並ぶトランの中心部と思しきあたりを散策し、ちょっと小奇麗なでモダン・レトロなカフェ風食堂に入る。

店の入り口にある看板のメニューにはバミー・キオと書かれていた。
トランも華僑の多い町。
バミーは中華麺で、キオはワンタン。
つまり華僑の街でワンタンメンをすするというのならば、いくら満腹でも別腹に収まりそうだ。
ワンタンには豚肉も入っているはずだけど、俄かベジタリアンとしては、ドーンと肉が盛られていなければOKしてしまう。

が、店の雰囲気は悪くなかったが、ワンタンメンは小奇麗な店で食べるべきではなかった。
寸胴鍋にじっくりとトロ火でスープをとっていて、ちょっと薄汚れた感じの店が旨いと信じていた。
しかし、若い女性が調理場に立って、寸胴ではなく小さな手鍋をガスコンロにかけてスープを温めている。

私が注文したのは、中華麺を使ったワンタンメン、バミーキオであったけれど、しゃれた丼で出てきたのは、中華麺ではなく、米を使った極細ヌードルで、見た目は春雨そっくりのビーフン、センミーであった。
懸念されたスープにしても、濁りはなくて、全体としても味は悪くなかったけれど、やっぱり華僑の店では中華麺が食べたかった。

そろそろ駅に戻る時間の3時が近付き、岩さんを送って宿屋まで一緒に歩く。
そして宿屋の入り口の冷蔵庫にビールがあるのを発見。
今日は仏誕で禁酒日。
しかも、通常でも酒類販売禁止時刻となっているが、やっぱり飲みたい。

宿の女主人に、ビールを売ってくれと頼んだら、「この場ですぐ飲むならいいよ」とお許しが出た。
しかも一本60バーツと言う安値。
宿の受付前のベンチで大瓶ごとラッパ飲みする。
満腹であっても、やっぱり歩き回って汗をかいた後のビールは旨い。

岩さんとは宿屋で別れて、ひとりトラン駅へ歩く。
3時になってもまだバンコクからの汽車は到着していなかった。
そのまま駅の待合室で、時間をつぶす。
ガンタンから私たちを乗せてきたバンの運転手も手持無沙汰にしている。
ここ止まりとなった列車からトラン行きの乗客を乗せてガンタンへ戻るのだろう。

結局、遅れに遅れたバンコク行きの快速列車は16:15にトラン駅を出発した。
もともとのトラン発は13:14と時刻表にあるので、途中で運転を打ち切ったことで、遅れは3時間に縮まったことになる。
これで明日のバンコク到着は朝10時過ぎということで、明日も汽車の寝台で寝坊ができそうだ。

トラン出発
[駅長さんが出発の鐘を鳴らず]

トランを出発した寝台車の車内は、ガラガラでほとんど乗客が乗っていない。
当然このあたりから寝台車に乗るということは、この汽車で夜明かしして、明日のバンコクまで長い汽車旅をする我が同志ということになる。
そのごく少数しかいない同志の顔ぶれを確認したら、犬が2匹含まれていた。

我が同志
[我が同志]

タイの列車では、冷房車へ動物を連れて乗ることは禁止されている。
なので犬や猫は乗れないのであるが、冷房がなければ寝台車でも乗ることができるらしい。
小型犬ではあるけれど、これらのワンコも長いバンコクまでの長征を共にする同志ということになるらしい。

ワンコ
[トイレとかどうするんだろ]

残念ながらネコの同志はいないようだと思ったのだけれど、どうやらネコも途中から合流していたようで、バンコクで下車するときは、ケージに入れられて降りていくところを目撃した。

ネコのケージ
[このケージにネコはいたらしい]

なお、トランから乗車時に3時間遅れであったものが、その後トランを出てすぐに機関車のエンジントラブルで止まったり、冷房付寝台車の床下から煙が出たりして、遅れはどんどん拡大していった。

煙発生
[隣の冷房車から煙発生中]

日没は4時間半遅れのトンソン駅で、その少し先で後からトランを出発したバンコク行き急行列車に追い抜かれた。

夕暮れのトンソン駅
[夕暮れのトンソン駅構内]

行く時と同じで、帰りも夜中にどこかの駅に停車しては、後から来る列車に追い抜かれたり、またバンコクから下ってくる列車の通過を待ったりして、遅れはどんどん拡大していたようだ。
414分の遅延
[午前4時半ころには約7時間の遅れを記録]

そして日の出はプラチュアップキリカン。
本来なら前夜の11時過ぎに通過している地点で、一晩遅れということになる。
もう、バンコクに到着するのはいつになることやら、長時間旅行冥利に尽きるとはこのことで、思う存分に寝台に転がって、汽車旅を楽しんだ。

朝焼け
[プラチュアップキリカンの朝焼け]

最終的にバンコクへ到着したのは、5月16日の午後1時過ぎ。
ガンタンを代行バンで出発して24時間以上もかかったわけで大満足。
バンコクのアパートへ戻って、ひとりビールで祝杯を挙げる。

クイティアオ弁当
[ラチャブリで買ったクイティアオ弁当、ひとつ10バーツ也]

なお、トランで一泊してから飛行機でバンコクへ戻る予定だった岩さんは、私がバンコクへ到着する数時間前には、自宅帰りついていたとのこと。

終点バンコク

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長時間列車の旅、ガンタンへ(中編)
5月14日 (土)
バンコクからの19時間かかってガンタン駅に降り立つ。
ガンタンはタイ国鉄で唯一のアンダマン海に面している。
もともとはタイ国鉄南本線建設のために、資材を陸揚げする目的があったようだ。
資材はイギリスからインド洋を越えてやってくるのだから、アンダマン海側に陸揚げ基地を設けるのは理にかなっている。

そんなガンタン駅も、どうして21世紀になっても存在し続けているのかと思うほど、鉄道利用者は少ない。
貨物輸送も行われていない。
発着するのは、バンコクとを結ぶ一往復だけ。

パステルカラー
[ガンタン駅近くの交差点]

しかし、ガンタンの街はかわいらしい街だった。
宿へ向かって歩き出してすぐの交差点に、パステルカラーで塗られた古い棟割り長屋が続いている。
その長屋は亭仔脚という二階部分に対して、一階部分が奥に引っ込んだ構造で、この引っ込んだ部分がアーケードの通路のような役割を果たしているもので、台湾の古い建築でよく見かけるもの。
バンコクの中華街にある古い長屋は、二階の部分ではなく、二階に取り付けられた庇がアーケードを構成するような形になっている。
亭仔脚は台湾以外でも、シンガポールやマレーシアでも見たような気がする。
もともとは福建系の建築なんだと思う。

ガンタンでの宿はシリチャイホテルというもともと古い建物を、最近全面改装してモダンにしてある。
とてもきれいにしてあって、スタッフ含めて感じが良い。
モダンだけではなく、レトロな部分もオブジェとして多用している。
たとえばサムローと呼ばれる輪タクが展示されている。
このサムローもタイのほかの地域で見かけるタイプと形が違う。
タイのサムローは漕ぎ手の後ろに客席をつなげて、後輪が二輪となっているが、ガンタンのものはサンドカー式になっている。

部屋も狭いながらきれいで、ベッドはまた二段ベッドであった。
シャワーブースが狭すぎるのは気になったけれど、清潔なのは気持ちがイイ。
さっそくシャワーを浴びて、全身にこびりついた埃や鉄粉の臭いを洗い流す。

しばらくして岩さんと合流。
岩さんはすでにガンタンの街を一回り歩いてきたそうで、私を連れて案内したがっている様子。
私はこのガンタンでやりたいことは、郊外にあるという温泉行きくらい。
宿で自転車を二台借り出して、岩さんと二人でまずはトラン川の対岸へ渡ることにする。
ガンタンはトラン川の河口近くに位置しており、川岸には渡河いるためのフェリーが運航している。
フェリー乗り場の近くには灯台のような形をした資料館が立っていた。
岩さんはすでに見学済みだそうだけれど、私にも見学を勧める。

ガンタン歴史博物館
[灯台のような形をした資料館]

資料館へ入って最初のホールでは銅像が立っていて、隣にはこの銅像となった男性が移った白黒写真のパネルがかかっていた。
この男性はパヤー・ラッサダーヌプラディットと言う人物で、どうやらこの土地の発展に貢献した県知事のような人物らしいということがわかった。
建物内には古い写真パネルが展示されていて、かつてのガンタンの賑わいなどが説明されている。
岩さんは上に登ると景色がイイですよと言ってさっさと上に登っていってしまったが、私には学芸員さんが付いて、一つ一つ説明してくれるので時間がかかる。
二階のスペースには先代のラマ九世国王が若かりし頃の写真がたくさん展示されていたので、「王様もガンタンへ行幸されたのか」と学芸員さんに質問したらば、王様は来ていないとのことだった。

ようやく上に登って、外へ出てみると、すぐ南側に漁船が係留されている。
「揚がった魚はここでセリにかけられるのか」と質問したが、ここは市場ではなく、魚はここから生鮮市場へ運ばれて売られるとのこと。
そして、近年リゾートとして人気のリボン島やクラダン島にムック島になどへ渡る船も、昔はここから出ていたんだそうだ。
現在は海岸沿いのハートヤオと言うところへ港は移っているらしい。
ここからリボン島まで船だと2時間かかるそうだ。
いまでは道路が発達したので、リボン島対岸のハートヤオ港まで車で行く方が便利になったので、港が移ったらしい。

漁船
[トラン川もタイの川なので茶色い]

そういえば昔はサムイ島へ渡る船もスラタニ市内のタピー川岸から出ていたけど、いまでは車で1時間も行った先にあるドンサク港へ移っている。

市内の方へ目をやると、廃墟かと思うような巨大なコンクリート製の建物がいくつも見える。
マンションか住宅団地のような巨大で長方形の建物の壁面には窓のようなものもほとんどなく、明り取りか通風孔のような小さな穴が少し開いているだけで、倉庫のような印象を受ける。
こんな大きくて、背の高い倉庫に、何を入れておくのだろうかと学芸員さんに質問したら、へんてこな答えが返ってきた。
「鳥の巣だよ」
鳥の巣?
ここらへんでは鳥の巣が特産品なのだそうだ。
よく意味が解らなかったが、説明を受けてようやく納得できた。
鳥の巣と言うのは、アナツバメの巣のことで、これは高級中華食材として高値で取引される。
天然物は海岸沿いの岩山の崖に作られたイワツバメの巣を使うが、普及品はこうした建物の中に、アナツバメたちに巣を作ってもらい、その巣を回収しているのだそうだ。
つまり「ツバメの巣(燕窩)」の人口養殖場ということになる。
先日、バンコクのヤワラート中華街の屋台で、燕窩スープが手ごろな金額で売られているのを見て、アナツバメの巣を採るのは命がけの作業で、だから珍味として高値で取引されるはずのものが、どうしてこんなに安いのだろうかと疑問に思っていたけれど、こうして大量廉価生産されていたことを初めて知った。

ガンタン市街
[真ん中の無粋な建物がツバメの巣量産施設]

トラン川を渡すフェリーは甲板上に車や人を載せて運ぶ簡易的な船。
対岸までの運賃は一人2バーツと安い。
自転車を載せる追加料金はかからなかった。
ガンタンよりももう少し上流には橋もかかっているそうだけれど、地元の人にはフェリーが便利らしく、車もバイクも次々に乗り込んでくる。
運行している船は一艘だけのようで、それがひっきりなしに両岸を行ったり来たりしている。
対岸までの所要時間は3分もかからない。

フェリー
[小さな航空母艦みたい]

対岸に渡って、温泉までは約6キロほどらしい。
事前にグーグルマップで道順を見ておいたのだけれど、アップダウンについては確認していなかった。
船着き場の近くに少し集落がある程度で、ほんの数百メートルも進むと、ヤシ園やゴム園が続く。
このあたりのヤシ園はパームオイルを採るためのヤシで、ココナッツや砂糖椰子はちらほら程度。
そうしたプランテーションの中を細い田舎道が続いているが、南部タイらしく丘が多い。
そうした丘のためちょっとした坂道が連続していて、自転車をこいでいると、汗が噴き出してくる。
民家が所々に点在していて、そうした民家の近くには犬がいる。
そうして自転車に向かって吠えかかってくる。
これはタイの犬の悪い習慣。
民家の飼い主から、犬は怒鳴られているが、吠えながら自転車を追ってくる。
鼻面を足で蹴とばしてやりたくなる。

2キロほど走ったところで、ハイウェイにでる。
多少のアップダウンもあるけれど、路肩も広く取られていて、自転車でも走りやすい。
車の交通量も多くない。
犬も追いかけてこない。

Hot Water Well
[温泉への道]

さらに2キロほど進むと"HOT WATER WELL➡"との看板が出てきた。
温泉の英文表記でこんな書き方もあることを初めて知った。
通常は"Hot Spring"となるかと思うが、タイ語ではบ่อ(Well)น้ำ(Water)ร้อน(Hot)の各単語を直訳しただけのものかもしれない。

ハイウェイから温泉へのわき道に入ってからは、なだらかながら上り坂が連続するようになる。
温泉公園まであと少しと言うところからは、坂が急になって自転車を押して上る羽目になった。
それでも、船着き場から20分ほどで到着できたのだから、まずまずのサイクリング。
帰りは下り坂が多くなるはずだから、少しは楽ができそう。

温泉森林公園
[温泉森林公園入口(裏口)]

ここの温泉の名称は、"Kantang Hot Spring Forest Park"となっている。
(やっぱり、温泉はHot Springだよな)
公園の入り口に自転車を止めて、早速中に入る。
Forest Parkとなっているので入場料がかかるのではないかと思っていたが、無料の公園らしい。
しかも、園内もよく整備されている。
タイでは国立公園とか、入場料を取るところが多い。
たいして整備もしていないのに、外国人には破廉恥な金額をー請求するので、うんざりするが、ここは無料とわかって嬉しい。

フォレストパークと言うだけあって、公園全体が深い森の中にある。
広さは500ライと案内されている。
1ライが1600平米なので、相当の広さの公園らしい。
2006年にフォレストパークになったとある看板に案内されているが、肝心の温泉の効能のようなものは見当たらなかった。

温泉公園の案内板
[タイ語、英語、中国語で書かれている]

園内には小川のようなものが流れていて、それが温泉水となっている。
その小川で足湯をすることもできるし、淀みになっているところでは、そのまま入浴もできてしまうようだ。
観光客と言うより、地元の人と言った感じの人たちが、温泉の小川に浸かっている。

公衆天然露天風呂
[和気あいあいの入浴シーン]

この温泉にも個室浴室があり、タイの温泉で一般的な直径2メートル半くらいある丸い浴槽を備えた小屋がいくつかあり、100バーツで入浴できるとなっている。
カンペーンペットの温泉なんかとおんなじスタイル。
当初は、この個室浴室を利用しようと思っていた。

個室浴室入浴受付
[公園正面入り口にある案内所]

しかし、この森の中の温泉で、狭い小屋の中に閉じこもって、外の景色も見えず、ただ温泉に浸かっているのはもったいないと感じた。
そう感じさせたのは、巨大な露天風呂に入浴している人たちを見つけたからだ。

巨大露天風呂
[巨大な露天風呂]

露天風呂と言うレベルではなく、温泉水が溜まっている大きな池かプールのようだ。
そんな感じで、少し楕円形をしているが、直径は15メートルくらいはあるだろうか。
脇には湯温が表示されており、午前08:30の測定で45.1℃となっている。
外気温も上がっているので、現在はもう少し熱いと思われる。
試しに手を入れてみると、かなり熱い。
しかし、ちゃんと入浴している人がいる。

45℃
[45℃といったら、結構熱い湯だ]

早速短パン1枚になる。
まずは、足だけ浸けてみる。
この巨大露天風呂は、広いだけではなく、深さもあるようだ。
足だけ入れて、ものの数分で足の皮膚が赤くなる。
結構な熱さだ。

しかし、隣の夫婦連れは、この温泉の中にドブンと頭までもぐったりしている。
私の一般的イメージでは、タイ人は猫舌であるとともに、もともと風呂の習慣がなく、熱いお湯には入れないと思っていた。
事実、カンペーンペットの大浴場も、温水プールかと思うくらいぬるいお湯。
私が少しお湯の栓を開けて、湯温を上げると、たちまちクレームがついてしまう状態だった。
それが、私が熱いと感じる湯温に、タイ人が浸っているのに、私は足先を赤くしているんじゃ情けない。
意を決して、全身浴に切り替える。

森の中での入浴
[お湯は熱いが、気温も暑いので湯気は立っていない]

しかし、ちょっと怖い。
ここの浴槽、やたらと深い。
足先から徐々に湯の中へ沈めていくが、なかなか足裏が底に届かない。
熱いお湯の中で、どのくらいの深さがあるのかわからないところへ、入るのは勇気がいる。
よくやく、足の指先に触れるものがあった。
底に到達。
深さは120~140cmくらいあるだろうか。

底は小石が多いようで、また泥の部分もある。
そうした底から、熱い湯が染み出してくるところがあるので、そうしたところを踏むと、足裏を火傷しそうだ。
こんな熱い温泉は、台湾の北投温泉の瀧乃湯以来かもしれない。
あそこも熱くて、身体を動かせず、そおっとお湯に浸かって我慢比べをしてなければならなかった。
ここの湯温も似たようなものらしい。
露天風呂の底に高温の湯が出るところがあるので、足を底につけず、泳ぐなどして浮いていればよいのだが、身体を動かすと熱水があたって痛い。

入浴シーン
[深いので中腰で入浴]

だいたい3分も入っていたら、茹であがってしまい、湯から上がって、淵に倒れこむように休憩する。
水を飲む。
小さなペットボトルの水を一本しか持ってみなかったことを後悔する。

なんどか、湯に浸かり、淵で休むを繰り返すうちに、湯温の熱さに少しずつ慣れてきたようだ。
少しくらいなら、泳ぐこともできるくらいにまでなった。

隣の夫婦連れだけではなく、やはり地元の家族連れのような人たちもやってきては、露天風呂に入っていく。
このあたりの人は、温泉慣れしているのだろう。

隣の夫婦連れに話しかけられた。
いつもの定番で、どこから来た、何の仕事している、何年タイに住んでいる、嫁さんはタイ人か、、、と質問をうけ、ひとつひとつ答えていく。
そして、「この温泉に初めてきたというのに、熱い温泉に浸かっても平気でいられるなぁ」と感心されてしまった。
平気でいられるわけではないが、もともと熱い湯に、我慢しながらでも入るのは嫌いじゃない。
「よそから観光に来て、この温泉に入れる人は珍しい」ともいう。

やっばり、ここの温泉に入ることができるのは、地元の人だけなんだろう。
この夫婦も毎日この温泉に入浴しに来ているそうだ。
そしてタイの人も熱い湯に入る習慣さえついてしまえば、この程度の温泉など何ともなくなってしまうのだろう。

なお、岩さんはこの露天風呂は熱すぎて無理ということだった。
足湯も熱くてダメだったので、水のシャワーだけ浴びて、自転車でかいた汗を流したそうだ。

この温泉、泉質はよくわからないが、無色で無臭だったので、単純泉なんだと思われる。
タイの南部はガンタンに限らず、温泉が湧いているところが多いようだ。
まだ行ったことのないところも多いけれど、いままでの経験上から、露天風呂としてはガンタンの温泉が一番のような気がする。

露天風呂の湯温は45℃だったけれど、足湯となる源泉の温度は69℃となっていた。
この温度はさすがに手を付けることさえできないだろうから、この周りには誰もいなかった。

69℃
[69℃の熱湯が流れる小川]

1時間ほど温泉を満喫して、再び自転車でガンタンの街へ戻る。
時刻は夕方6時少し前。
まだ外は明るいが、ペットボトルの水も飲み干してしまっており、もうビールを飲みたくて仕方がない。
ガンタンの街の老舗らしい食堂へ入って、早めの夕食とする。
店の名前はロークンで、エアコンもない大衆食堂風。
宿でシーフードが美味しい店だと紹介されてきたが、シーフード店のような派手さはない。
それとシーフードも出すけれど、店の看板メニューはラートナーという餡かけ麺でもあるようだ。

戻りのフェリー

まずは「チャーンビール」と注文したのだけれど、チャーンはないとのことで、シンハビールとなる。
辛いものが食べられない岩さんには悪いけれど、ヤムウンセンも注文。
岩さんは辛いものだけでなく、アルコールも受け付けない体質。
私は辛いものとビールはウエルカム。

しかし、出てきたヤムウンセンはちっとも辛くない。
どうやら、外国人ということで、唐辛子をほとんど入れずに作ったらしい。
辛くなくてはビールがうまくないので、生の唐辛子を刻んでもらってヤムウンセンに混ぜ合わせる。

ここの看板メニューはラートナーだけできなく、ホイジョーというカニのほぐし身を湯葉に包んで揚げたものがある。
これは辛くないので岩さんも食べられる。
私がヤムウンセンを食べている間、岩さんはホイジョーやソフトシェルクラブのニンニク揚げなどを食べられ、「なかなか旨いですよ」とオレンジジュースを飲みながら言われる。

シーフードの店として紹介されたのだけれど、大きなエビはないとのことで、プラーカポンというスズキの醤油煮も注文したのだけれど、スズキがなかったということでカマスの醤油煮が出てきた。

他にイカとかの料理も注文したはずで、ビールを2本飲んで、会計は1,060バーツ。
恐縮ながら、割り勘ということで、私はだいぶ得をしてしまった。

まだ8時前で、腹ごなしにガンタンの街の中心部を一周歩いてみる。
ガンタンでは、夜にも飲茶を食べる習慣があるようで、夜食として飲茶を出している食堂があった。


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長時間列車の旅、ガンタンへ(前編)
5月13日 (金)
汽車旅に出る。
目的地へ行って何をするという目的があったわけではなく、長距離列車に長時間乗っているというちょっと自虐じみた目的から、タイ南部へ行くことにした。
タイで最も長時間を要する長距離列車は、バンコク発スンガイコロク行きで、23時間ほどかかる。
しかし、タイ深南部の治安の悪さから、旅行自粛が求められているので今回は見送って、次に長時間の汽車はガンタン行きとなる。
ガンタンはタイの鉄道で唯一アンダマン海側に位置する終着駅。
しかも、ガンタンには一日一往復の列車しか発着しない辺鄙な駅。
さらに、長らくコロナで列車の運行が止まっていたのが、つい先日から運行再開したばかり。
所要時間も約18時間で、長時間乗車の目的にかなっている。
乗車するのは二等普通寝台車。
エアコンの付いていない旧式の寝台車。

二週間くらい前から、ガンタン行きの計画を立て始めていたのだけれど、実際に週末に休みがとれるかどうか、不安要素があり、切符の手配をしたのは数日前。
間際まで実現できるのか、わからなかったのだけれど、なんとか往復の切符を手に入れることができた。

タイ国鉄の二等普通寝台は、現在絶滅危惧種と言っても良いような存在になって来ている。
1980年代にはエアコン付きの寝台車はわずかしかなく、寝台車の大半がこの普通寝台だった。
そのため現存する車体はまだまだたくさん残っているようだけれど、営業用に連結して運行している列車は少ない。
タイの北部チェンマイ行きの列車からは数年前から消えていたし、東北方面もなさそうである。
それが南部行きだけはまだ健在で、このガンタン行もスンガイコロク行きにも二等普通寝台車が連結されているらしい。

バンコク駅コンコース
[このバンコク中央駅も昨年末で終了のはずが、現在も使われています]

18:30、ホアランポーンのバンコク中央駅をほぼ定刻に出発。
ディーゼル機関車を先頭に、鉄道職員用の三等車、荷物車と続き、そのあと番号が飛び飛びながら、2号車、3号車、6号車が三等座席車、8号車は二等座席車、9号車、10号車は二等普通寝台車、11号車、12号車は二等エアコン付き寝台車。
一等車と食堂車はない。
先頭のディーゼル機関車
[先頭のディーゼル機関車]
三等座席車
[三等座席車]
二等座席車
[二等座席車は車内中央にトイレがある変わった構造]
二等普通寝台
[二等普通寝台も旧型の客車]
最後尾
[冷房付二等寝台車は最後尾に二両のステンレス車両]
一等車がないのは、ロットレオと言う快速列車で、特急列車とかではないからだけれども、食堂車がないのは、どうもコロナが影響しているように思われる。
特急や急行を含めて、食堂車を連結している列車を全く見かけなくなった。
食堂車
[列車に連結されなくなった食堂車もバンコク駅のはずれで見ることができる]
そんなわけで、ガンタンまでのひもじい思いをしないようにと、チャーハンを事前に仕入れておいた。
また、タイの列車は車内でお酒を飲むことが数年前から禁じられてしまっているので、ホアランポン脇の運河沿いで、事前にビールの大瓶を一本飲み干してから乗車した。
バンコク駅
[駅の隣りの運河は以前はドブ以下だったのが、きれいに整備されていた]

私の席と通路を挟んだ反対側に西洋人女性が座っている。
この女性に限らず、この車両の中には西洋人旅行者が随分とたくさん乗り込んでいる。
タイは観光客の受け入れを本格化して、こうしたバックパッカー風の旅行者をバンコクの街中でも随分と見かけるようになった。
このガンタン行きは列車はタオ島への船が出るチュンポンやサムイ島とパンガン島への船が出るスラタニを通るので、西洋人旅行者の利用が多いのだろう。
15日は満月でパンガン島ではフルムーンパーティーも行われるはず。
お隣り
[隣の席は西洋人女性]

その西洋人女性が「英語はわかるか」と聞いてきた。
少しはねと答えたところ、隣の車両に連れがいるのだが、席を替わってくれないかと言う。
なんとなく厚かましい気もしたけれど、意地悪しても角が立つだけだろうから、検札が終わったら、隣の車両にいるという連れと交代してあげることにした。

センセープ運河の橋
[この運河の周りにはスラムが続いている、初めて見たときは少し衝撃的だった]

センセープ運河を渡り、北へ向かう線と別れるバンスー駅に着いた頃には外は暗くなっていた。
車内販売の弁当売りが乗り込んできて、鶏ひき肉のガパオライスを購入する。

バンスーグランドステーション
[新しいバンコクの始発駅となっているはずのバンスーグランドステーション]

持参のチャーハンもあるけれど、夜食用に取っておくことにして、先にガパオライスを食べる。
値段は50バーツで、ピサヌロークへ向かう列車の車内販売の弁当類が20~30バーツくらいなのと比べると倍くらい高い。
量は少し多めに入っているようだけれど、西洋人観光客が多く乗っている列車なので、車内販売の弁当も観光客向け料金になっているのかもしれない。
値段だけではなく、味の方も唐辛子控えめで、ちょっと間が抜けた味になっているのも外国人向けなのかもしれない。
ガパオライス
[車内で売りに来た弁当はこの一種類だけ]

弁当を食べ終わったころに検札が回ってきたので、隣の車両へ引っ越すことにする。
引っ越してしばらくしたら、夜8時前ながら寝台係が回ってきて、シートを2段ベッドに作り替えてくれる。
寝台準備
[各寝台車両には一人ずつ寝台係が乗り込んでいる]

エアコンのない車両なので、窓は開けたまま。
窓にカーテンはないけれど、金属製の鎧戸があり、その鎧戸は網戸も兼ねている。
そのため鎧戸を閉めても、窓からの風は少しは入ってくる構造になっているが、車窓を流れる夜景を楽しむことができない。
そのため、鎧戸は半分開けたままにして、外を見れるようにした。
寝台
[珍しく読書灯のランプが点いた]

ナコンパトムを過ぎて、バーンポーンあたりで、夜食用のチャーハンを食べ始める。
ベッドのシーツの上で、こぼさないように注意しながら食べる。
チャーハンはやたらとニンニクが入っていて、私がちょっと苦手とするタイプのチャーハンであった。
こうして寝台の上であぐらをかきながら、通路との仕切りのカーテンに隠れて食べるというのも、ちょっと貧乏くさいけれど、なんとなく旅の情緒は感じられる。
ウイスキーの小瓶でも忍ばせてきて、チビチビやりたい気がする。
チャーハン
[職場近くターミナル21のフードコートで買った40バーツのチャーハン]

この普通寝台は旧式で定員が32名と少ない。
新型は40名だから、きっと車体の長さが2メートルくらい短いのではないかと思う。
乗降口は車体の片側1か所で、トイレは両端にあって計2か所。
洗面台は乗降口とは反対側の車端、トイレの向かい側に3つ並んでいる。
このあたり、昔の日本の寝台車の構造とよく似ている。
三つ並んだ洗面台
[洗面台はステンレス製]
この洗面所のある側のトイレは少し広めで、シャワーが付いている。
お湯は出ないし、ちょっと錆くさい匂いのする水がチョロチョロとしか出ないけれど、汽車の中でシャワーが使えるのはありがたい。
就寝前に、シャワーを浴びておく。
車内シャワー
[シャワーの水圧はとても低くて、チョロチョロとしか出ない]

11時半、ホアヒン着。
タイの寝台車は盗難防止のため、夜中でも車内の照明を落とさない。
車内ではほとんどの人が寝静まっている。
通路側のカーテンを開けたまま、寝姿丸見えの人もいる。
2段ベッドの上段は、窓もなく、風は天井で回る扇風機だけだから、カーテンだって開けなければ寝苦しくてたまらないのだろう。
逆にエアコン付きは、天井の冷気吹き出し口から直接冷やされるので、寒くて仕方がない。
ホアヒン
[ホアヒンの王族用待合室]

このあたりで、私も眠り込んだのだけれど、どうも時々目が覚める。
うつらうつらしていると、どうも列車は動いていないようだ。
どこかの駅にでも止まっているらしい。
駅じゃないかもしれないが、とにかく動いていない。
扇風機が回る音だけが聞こえる。
開けたままの窓から、蚊が入ってきているようで、あちこち刺されてカユイ。

夜中のチャムアン駅
[どこかの駅に止まっているなと思っていると、しばらくしてディーゼル機関車の爆音が通り過ぎていく、そしてまた動きだす]
午前4時半、チャムアンと言う駅に停車している。
時刻表と照らし合わせると1時間くらい遅れているらしい。
このガンタン行きの列車、運行の遅れが常態化しているタイの列車の中でも、特に遅れがひどい列車のようで、連日のように2時間くらい遅れている。
こちらは長時間列車に乗っているのを楽しみに来ているのだから、遅れなどは問題ないのだけれど、ガンタンまではできればあまり遅れてほしくない。

というのも、ときどき一緒に旅行する岩さんに、今回の旅行の話をしたらば、「自分もガンタンへ行ってみたい」と言い出した。
しかし、片道18時間もの汽車旅であると知って、同道は無理と判断されて、自分は飛行機で飛んでいくという。
そのため、汽車がガンタンに到着するのが14日の正午過ぎの予定なのに、同じ日の朝の飛行機に乗る岩さんが、午前中のうちにガンタンへ到着してしまい、私のことを待つという。
なので、往路はなるべく汽車には遅れてほしくない。

6時前、空が明るくなってきた。
まだ黒いシルエットになっている椰子畑が見える。
タイならどこでも椰子くらいあるのだけれど、やっぱり椰子の木を見ると南国に来たといった印象が強くなる。
窓から吹き込む朝の風がさわやかに感じられる。
乾いた風ではなく、しっとりとした湿り気を含んだ風である。
夜明け

6時半、チュンポン到着。
1時間半の遅れ。
バックパックを担いだ西洋人旅行者が何組か列車から降りてホームを歩いていくのが見える。
その西洋人へタオ島行きの船が出る港までの車の案内をしているタイ人男性がいる。
この手のタイ人が話す独特の英語で、8時の船が出る港へ行く車の説明をしている。
チュンポン駅
[バンコク出てもう12時間なのに、まだチュンポン]

バンコクからチュンポンまで、鉄道路線の改修工事を大規模に行っている。
駅をすべて新しくしているし、線路も新しく敷きなおしたり、橋の架け替えなども行われている。
駅のホームなどは、いままでの低いものから、日本の電車のホームのように嵩の高いものになるようだ。
駅舎も新しくコンクリートで作っている。
新しく便利になるのはよいことだけど、古いものがなくなってしまうのは、少し旅情がそがれる気がする。
そんな工事の関係だろうか、南へ向かう列車は遅れがちになっている。
99分遅れ
[99分遅れと表示されている]

7時過ぎ、サウィという小さな駅に停車。
駅前の通りにパトンコーの屋台が出ている。
窓から呼んでパトンコーと豆乳を買う。
汽車の窓から買えるというのは、昔話みたいになってしまったけれど、ここではまだまだ商売の形態として現役らしい。
パトンコーは4つで10バーツ、豆乳も一袋10バーツ。
併せて20バーツが今朝の朝食ということになる。
パトンコーは少し小ぶり、豆乳もビニール袋に入れてくれているが、マグカップ一杯分くらいの量。
これらも以前と比べると、随分と高くなってきた。
パトンコーの屋台
[車窓越しに屋台から朝食を取り寄せる]

ベッドの上で20バーツの朝食。
こんみみっちい贅沢、ベッド脇の窓から朝食を取り寄せて、それをそのままベッドで食べるなんて、考えようによっては、随分横着なはなしだ。
テーブルはないので、ビニール袋入りの豆乳は、窓の取っ手に吊るしておく。
豆乳
[これぞタイスタイル]

ランスワンあたりからおおきな石灰岩の山が見え始めてくる。
にょきにょきとした山を見るとマレー半島部に入ったなと感じる。
こんな景色もベッドでゴロ寝しながら眺められる。
エアコン付きでも、窓からの景色を楽しめないわけではないけれど、エアコン車は窓が開かない。
その窓ガラスにはスモークが入っているので、外の景色がどんよりとして見える。
さらに窓ガラスが汚れているので、よけい綺麗に見えない。
車窓を楽しむなら、エアコンがなく、窓の開けられるのが一番。
ただし、窓から景色を楽しめる代わりに、窓から埃もたくさん入ってくる。
白いシーツに埃や煤の吹き溜まりができてしまっている。
石灰の山
[埃や煤以外にも、タイの車窓から入ってくる不快物質はいろいろある]

9時過ぎ、スラタニ到着。
車内の西洋人が全員降りる。
タイ人もここで下車する人が多い。
昨晩席を交代した西洋人女性二人もスラタニで下車してホームを歩いているのが見える。
西洋人女性二人が下車したのを確認したので、もともとの席へ戻ることにする。
すでにベッドはシートに組みなおされている。
スラタニ駅
[スラタニ駅のホームや駅舎はこれと反対側]

もともとの席へ戻ったのには理由がある。
昨晩交替した席は、南下する汽車の進行方向に向かって左側に位置している。
つまり、東向き。
当然ながら太陽は東から昇って、西に沈むので、東に面した席は日が差し込んで暑い。
もともとの席は、進行方向右側、西に面しているので、日は差し込まない。
そして景色も逆光にならない。

スラタニを過ぎると車内は空席が目立つ。
岩さんからメッセージが入る。
ガンタン最寄りのトラン空港へ着陸する予定が、急遽ハジャイ空港へ降りてしまったそうだ。
理由は天候と説明があったらしい。
この時期に悪天候で、ハジャイへダイパードするなんて考えにくいけど、岩さんはハジャイの空港から再びトランへ向けて飛び立つのを待っているらしい。
座席
[ガランとした車内はのんびりムード、遅れにいら立っている人はいないみたい]

11時半、トンソン駅到着。
ここで南本線と別れて、トランそしてガンタンへと続く支線に入る。
日立製ディーゼル機関車
[日立製の旧式機関車は現役ではなさそう]
私の40年近い昔の記憶では、トンソン駅は大きな駅で、広い操車場には無数の貨車が並んでいて、また側線には廃車となって赤さびた蒸気機関車が何両も並んでいた。
その廃車となった蒸気機関車の群れは、ちょうどその数か月前に台湾の宜蘭で見た蒸気機関車の廃車群を彷彿とさせるものがあった。
しかし、当時の記憶と違い、トンソン駅は、構内こそ広いが、駅自体は大きな駅ではなかった。
操車場はあるけれど、当時見た無数の灰色をした2軸の小さな貨車の代わりに、コンテナ車が並んでいる。
灰色の小さな貨車たちは、廃車となって駅のはずれに長々と連なって放置されていた。
貨車の廃車群
[タイでも貨物列車はコンテナと石油タンクだけになったようで、こうした有蓋貨車は引退したらしい]
トンソンの駅でフライドチキンともち米を買う。
35バーツだったけれど、もち米の量は少なく、チキンも大きくない。
ちょっと高いなと思ったけれど、仕方がない。
他に売っている弁当はガパオライスしかない。
ガパオライスは昨晩も食べたし、そんなに続けて食べたいとは思わない。
しかし、タイの人たちは毎食ガパオライスでも問題ないのだろうか。
フライドチキン売り
[トンソン駅のフライドチキン売り、売り物は頭の上に乗せるスタイル]

岩さんはすでにガンタンのホテルへチェックインを済ませたとメッセージが届く。
こちらは1時間遅れで、ガンタン到着は1時くらいの見込み。
携帯電話のバッテリー残量がほぼゼロになってしまった。
いつも予備のバッテリーを持ち歩いているのだけれど、今回は持っていない。
忘れたわけではない。
旅行に備えて予備バッテリーを職場で充電させていた。
そして、いざ持っていこうとしたら、USBに差し込んでいた予備バッテリーが見当たらない。
どうも誰かに盗られたらしい。

1か月前も、USBと携帯をつなぐケーブル、それも5種類くらいの携帯電話のタイプに適用するようなケーブルが、盗まれたばかり。
最近職場内の消毒と称して夜間業者が入ってくるので、その時にやられたのかもしれないが、USBに差し込んだまま放置していた私も迂闊であった。

トラン駅
[トランのシンボルはジュゴンとストリートアート]

冷房なしの普通寝台は車内に電源がない。
隣の冷房付寝台は、通路に2か所の電源がある。
トランを出てから荷物をまとめて隣の冷房車へ移って、携帯電話の充電をさせてもらう。
隣の冷房車にも乗客はほとんどおらず、乗務員が眠りこけていた。

ガンタンまで乗り通す客は皆無
[トランを出るともう車内に乗客は乗っていない]

午後1時半、バンコクを出てから19時間かかってガンタン駅に到着。
車内はガラガラだったけれど、ホームでは記念写真を撮る人たちであふれていた。
この人たちはどこから湧いてきたのだろうか、、。
ガンタン駅
[ガンタン駅到着]

ノスタルジックな木造の駅舎は柱は茶色に塗られ、壁はマスタード色。
木造駅舎
[ペンキを厚塗りした木造駅舎]
記念写真用のオブジェが置かれていたりして、車でやってきて、記念写真を撮ろうとしていた人たちは、遅れてきた列車の到着を今か今かと待っていたのだろう。
撮影用オブジェ
ホームの端には、"Kantang. The end of the Andaman route railway"との碑まで建てられていた。
アンダマン海の終着駅
つまり、この駅はかつての北海道、帯広からの支線、広尾線にあった「幸福駅」みたいな観光スポットということらしい。
機関車付け替え
[折り返しバンコク行きとなるので、すぐに機関車の付け替えが行われていた]

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