5月13日 (金)
汽車旅に出る。
目的地へ行って何をするという目的があったわけではなく、長距離列車に長時間乗っているというちょっと自虐じみた目的から、タイ南部へ行くことにした。
タイで最も長時間を要する長距離列車は、バンコク発スンガイコロク行きで、23時間ほどかかる。
しかし、タイ深南部の治安の悪さから、旅行自粛が求められているので今回は見送って、次に長時間の汽車はガンタン行きとなる。
ガンタンはタイの鉄道で唯一アンダマン海側に位置する終着駅。
しかも、ガンタンには一日一往復の列車しか発着しない辺鄙な駅。
さらに、長らくコロナで列車の運行が止まっていたのが、つい先日から運行再開したばかり。
所要時間も約18時間で、長時間乗車の目的にかなっている。
乗車するのは二等普通寝台車。
エアコンの付いていない旧式の寝台車。
二週間くらい前から、ガンタン行きの計画を立て始めていたのだけれど、実際に週末に休みがとれるかどうか、不安要素があり、切符の手配をしたのは数日前。
間際まで実現できるのか、わからなかったのだけれど、なんとか往復の切符を手に入れることができた。
タイ国鉄の二等普通寝台は、現在絶滅危惧種と言っても良いような存在になって来ている。
1980年代にはエアコン付きの寝台車はわずかしかなく、寝台車の大半がこの普通寝台だった。
そのため現存する車体はまだまだたくさん残っているようだけれど、営業用に連結して運行している列車は少ない。
タイの北部チェンマイ行きの列車からは数年前から消えていたし、東北方面もなさそうである。
それが南部行きだけはまだ健在で、このガンタン行もスンガイコロク行きにも二等普通寝台車が連結されているらしい。
[このバンコク中央駅も昨年末で終了のはずが、現在も使われています]
18:30、ホアランポーンのバンコク中央駅をほぼ定刻に出発。
ディーゼル機関車を先頭に、鉄道職員用の三等車、荷物車と続き、そのあと番号が飛び飛びながら、2号車、3号車、6号車が三等座席車、8号車は二等座席車、9号車、10号車は二等普通寝台車、11号車、12号車は二等エアコン付き寝台車。
一等車と食堂車はない。
[先頭のディーゼル機関車]
[三等座席車]
[二等座席車は車内中央にトイレがある変わった構造]
[二等普通寝台も旧型の客車]
[冷房付二等寝台車は最後尾に二両のステンレス車両]
一等車がないのは、ロットレオと言う快速列車で、特急列車とかではないからだけれども、食堂車がないのは、どうもコロナが影響しているように思われる。
特急や急行を含めて、食堂車を連結している列車を全く見かけなくなった。
[列車に連結されなくなった食堂車もバンコク駅のはずれで見ることができる]
そんなわけで、ガンタンまでのひもじい思いをしないようにと、チャーハンを事前に仕入れておいた。
また、タイの列車は車内でお酒を飲むことが数年前から禁じられてしまっているので、ホアランポン脇の運河沿いで、事前にビールの大瓶を一本飲み干してから乗車した。
[駅の隣りの運河は以前はドブ以下だったのが、きれいに整備されていた]
私の席と通路を挟んだ反対側に西洋人女性が座っている。
この女性に限らず、この車両の中には西洋人旅行者が随分とたくさん乗り込んでいる。
タイは観光客の受け入れを本格化して、こうしたバックパッカー風の旅行者をバンコクの街中でも随分と見かけるようになった。
このガンタン行きは列車はタオ島への船が出るチュンポンやサムイ島とパンガン島への船が出るスラタニを通るので、西洋人旅行者の利用が多いのだろう。
15日は満月でパンガン島ではフルムーンパーティーも行われるはず。
[隣の席は西洋人女性]
その西洋人女性が「英語はわかるか」と聞いてきた。
少しはねと答えたところ、隣の車両に連れがいるのだが、席を替わってくれないかと言う。
なんとなく厚かましい気もしたけれど、意地悪しても角が立つだけだろうから、検札が終わったら、隣の車両にいるという連れと交代してあげることにした。
[この運河の周りにはスラムが続いている、初めて見たときは少し衝撃的だった]
センセープ運河を渡り、北へ向かう線と別れるバンスー駅に着いた頃には外は暗くなっていた。
車内販売の弁当売りが乗り込んできて、鶏ひき肉のガパオライスを購入する。
[新しいバンコクの始発駅となっているはずのバンスーグランドステーション]
持参のチャーハンもあるけれど、夜食用に取っておくことにして、先にガパオライスを食べる。
値段は50バーツで、ピサヌロークへ向かう列車の車内販売の弁当類が20~30バーツくらいなのと比べると倍くらい高い。
量は少し多めに入っているようだけれど、西洋人観光客が多く乗っている列車なので、車内販売の弁当も観光客向け料金になっているのかもしれない。
値段だけではなく、味の方も唐辛子控えめで、ちょっと間が抜けた味になっているのも外国人向けなのかもしれない。
[車内で売りに来た弁当はこの一種類だけ]
弁当を食べ終わったころに検札が回ってきたので、隣の車両へ引っ越すことにする。
引っ越してしばらくしたら、夜8時前ながら寝台係が回ってきて、シートを2段ベッドに作り替えてくれる。
[各寝台車両には一人ずつ寝台係が乗り込んでいる]
エアコンのない車両なので、窓は開けたまま。
窓にカーテンはないけれど、金属製の鎧戸があり、その鎧戸は網戸も兼ねている。
そのため鎧戸を閉めても、窓からの風は少しは入ってくる構造になっているが、車窓を流れる夜景を楽しむことができない。
そのため、鎧戸は半分開けたままにして、外を見れるようにした。
[珍しく読書灯のランプが点いた]
ナコンパトムを過ぎて、バーンポーンあたりで、夜食用のチャーハンを食べ始める。
ベッドのシーツの上で、こぼさないように注意しながら食べる。
チャーハンはやたらとニンニクが入っていて、私がちょっと苦手とするタイプのチャーハンであった。
こうして寝台の上であぐらをかきながら、通路との仕切りのカーテンに隠れて食べるというのも、ちょっと貧乏くさいけれど、なんとなく旅の情緒は感じられる。
ウイスキーの小瓶でも忍ばせてきて、チビチビやりたい気がする。
[職場近くターミナル21のフードコートで買った40バーツのチャーハン]
この普通寝台は旧式で定員が32名と少ない。
新型は40名だから、きっと車体の長さが2メートルくらい短いのではないかと思う。
乗降口は車体の片側1か所で、トイレは両端にあって計2か所。
洗面台は乗降口とは反対側の車端、トイレの向かい側に3つ並んでいる。
このあたり、昔の日本の寝台車の構造とよく似ている。
[洗面台はステンレス製]
この洗面所のある側のトイレは少し広めで、シャワーが付いている。
お湯は出ないし、ちょっと錆くさい匂いのする水がチョロチョロとしか出ないけれど、汽車の中でシャワーが使えるのはありがたい。
就寝前に、シャワーを浴びておく。
[シャワーの水圧はとても低くて、チョロチョロとしか出ない]
11時半、ホアヒン着。
タイの寝台車は盗難防止のため、夜中でも車内の照明を落とさない。
車内ではほとんどの人が寝静まっている。
通路側のカーテンを開けたまま、寝姿丸見えの人もいる。
2段ベッドの上段は、窓もなく、風は天井で回る扇風機だけだから、カーテンだって開けなければ寝苦しくてたまらないのだろう。
逆にエアコン付きは、天井の冷気吹き出し口から直接冷やされるので、寒くて仕方がない。
[ホアヒンの王族用待合室]
このあたりで、私も眠り込んだのだけれど、どうも時々目が覚める。
うつらうつらしていると、どうも列車は動いていないようだ。
どこかの駅にでも止まっているらしい。
駅じゃないかもしれないが、とにかく動いていない。
扇風機が回る音だけが聞こえる。
開けたままの窓から、蚊が入ってきているようで、あちこち刺されてカユイ。
[どこかの駅に止まっているなと思っていると、しばらくしてディーゼル機関車の爆音が通り過ぎていく、そしてまた動きだす]
午前4時半、チャムアンと言う駅に停車している。
時刻表と照らし合わせると1時間くらい遅れているらしい。
このガンタン行きの列車、運行の遅れが常態化しているタイの列車の中でも、特に遅れがひどい列車のようで、連日のように2時間くらい遅れている。
こちらは長時間列車に乗っているのを楽しみに来ているのだから、遅れなどは問題ないのだけれど、ガンタンまではできればあまり遅れてほしくない。
というのも、ときどき一緒に旅行する岩さんに、今回の旅行の話をしたらば、「自分もガンタンへ行ってみたい」と言い出した。
しかし、片道18時間もの汽車旅であると知って、同道は無理と判断されて、自分は飛行機で飛んでいくという。
そのため、汽車がガンタンに到着するのが14日の正午過ぎの予定なのに、同じ日の朝の飛行機に乗る岩さんが、午前中のうちにガンタンへ到着してしまい、私のことを待つという。
なので、往路はなるべく汽車には遅れてほしくない。
6時前、空が明るくなってきた。
まだ黒いシルエットになっている椰子畑が見える。
タイならどこでも椰子くらいあるのだけれど、やっぱり椰子の木を見ると南国に来たといった印象が強くなる。
窓から吹き込む朝の風がさわやかに感じられる。
乾いた風ではなく、しっとりとした湿り気を含んだ風である。
6時半、チュンポン到着。
1時間半の遅れ。
バックパックを担いだ西洋人旅行者が何組か列車から降りてホームを歩いていくのが見える。
その西洋人へタオ島行きの船が出る港までの車の案内をしているタイ人男性がいる。
この手のタイ人が話す独特の英語で、8時の船が出る港へ行く車の説明をしている。
[バンコク出てもう12時間なのに、まだチュンポン]
バンコクからチュンポンまで、鉄道路線の改修工事を大規模に行っている。
駅をすべて新しくしているし、線路も新しく敷きなおしたり、橋の架け替えなども行われている。
駅のホームなどは、いままでの低いものから、日本の電車のホームのように嵩の高いものになるようだ。
駅舎も新しくコンクリートで作っている。
新しく便利になるのはよいことだけど、古いものがなくなってしまうのは、少し旅情がそがれる気がする。
そんな工事の関係だろうか、南へ向かう列車は遅れがちになっている。
[99分遅れと表示されている]
7時過ぎ、サウィという小さな駅に停車。
駅前の通りにパトンコーの屋台が出ている。
窓から呼んでパトンコーと豆乳を買う。
汽車の窓から買えるというのは、昔話みたいになってしまったけれど、ここではまだまだ商売の形態として現役らしい。
パトンコーは4つで10バーツ、豆乳も一袋10バーツ。
併せて20バーツが今朝の朝食ということになる。
パトンコーは少し小ぶり、豆乳もビニール袋に入れてくれているが、マグカップ一杯分くらいの量。
これらも以前と比べると、随分と高くなってきた。
[車窓越しに屋台から朝食を取り寄せる]
ベッドの上で20バーツの朝食。
こんみみっちい贅沢、ベッド脇の窓から朝食を取り寄せて、それをそのままベッドで食べるなんて、考えようによっては、随分横着なはなしだ。
テーブルはないので、ビニール袋入りの豆乳は、窓の取っ手に吊るしておく。
[これぞタイスタイル]
ランスワンあたりからおおきな石灰岩の山が見え始めてくる。
にょきにょきとした山を見るとマレー半島部に入ったなと感じる。
こんな景色もベッドでゴロ寝しながら眺められる。
エアコン付きでも、窓からの景色を楽しめないわけではないけれど、エアコン車は窓が開かない。
その窓ガラスにはスモークが入っているので、外の景色がどんよりとして見える。
さらに窓ガラスが汚れているので、よけい綺麗に見えない。
車窓を楽しむなら、エアコンがなく、窓の開けられるのが一番。
ただし、窓から景色を楽しめる代わりに、窓から埃もたくさん入ってくる。
白いシーツに埃や煤の吹き溜まりができてしまっている。
[埃や煤以外にも、タイの車窓から入ってくる不快物質はいろいろある]
9時過ぎ、スラタニ到着。
車内の西洋人が全員降りる。
タイ人もここで下車する人が多い。
昨晩席を交代した西洋人女性二人もスラタニで下車してホームを歩いているのが見える。
西洋人女性二人が下車したのを確認したので、もともとの席へ戻ることにする。
すでにベッドはシートに組みなおされている。
[スラタニ駅のホームや駅舎はこれと反対側]
もともとの席へ戻ったのには理由がある。
昨晩交替した席は、南下する汽車の進行方向に向かって左側に位置している。
つまり、東向き。
当然ながら太陽は東から昇って、西に沈むので、東に面した席は日が差し込んで暑い。
もともとの席は、進行方向右側、西に面しているので、日は差し込まない。
そして景色も逆光にならない。
スラタニを過ぎると車内は空席が目立つ。
岩さんからメッセージが入る。
ガンタン最寄りのトラン空港へ着陸する予定が、急遽ハジャイ空港へ降りてしまったそうだ。
理由は天候と説明があったらしい。
この時期に悪天候で、ハジャイへダイパードするなんて考えにくいけど、岩さんはハジャイの空港から再びトランへ向けて飛び立つのを待っているらしい。
[ガランとした車内はのんびりムード、遅れにいら立っている人はいないみたい]
11時半、トンソン駅到着。
ここで南本線と別れて、トランそしてガンタンへと続く支線に入る。
[日立製の旧式機関車は現役ではなさそう]
私の40年近い昔の記憶では、トンソン駅は大きな駅で、広い操車場には無数の貨車が並んでいて、また側線には廃車となって赤さびた蒸気機関車が何両も並んでいた。
その廃車となった蒸気機関車の群れは、ちょうどその数か月前に台湾の宜蘭で見た蒸気機関車の廃車群を彷彿とさせるものがあった。
しかし、当時の記憶と違い、トンソン駅は、構内こそ広いが、駅自体は大きな駅ではなかった。
操車場はあるけれど、当時見た無数の灰色をした2軸の小さな貨車の代わりに、コンテナ車が並んでいる。
灰色の小さな貨車たちは、廃車となって駅のはずれに長々と連なって放置されていた。
[タイでも貨物列車はコンテナと石油タンクだけになったようで、こうした有蓋貨車は引退したらしい]
トンソンの駅でフライドチキンともち米を買う。
35バーツだったけれど、もち米の量は少なく、チキンも大きくない。
ちょっと高いなと思ったけれど、仕方がない。
他に売っている弁当はガパオライスしかない。
ガパオライスは昨晩も食べたし、そんなに続けて食べたいとは思わない。
しかし、タイの人たちは毎食ガパオライスでも問題ないのだろうか。
[トンソン駅のフライドチキン売り、売り物は頭の上に乗せるスタイル]
岩さんはすでにガンタンのホテルへチェックインを済ませたとメッセージが届く。
こちらは1時間遅れで、ガンタン到着は1時くらいの見込み。
携帯電話のバッテリー残量がほぼゼロになってしまった。
いつも予備のバッテリーを持ち歩いているのだけれど、今回は持っていない。
忘れたわけではない。
旅行に備えて予備バッテリーを職場で充電させていた。
そして、いざ持っていこうとしたら、USBに差し込んでいた予備バッテリーが見当たらない。
どうも誰かに盗られたらしい。
1か月前も、USBと携帯をつなぐケーブル、それも5種類くらいの携帯電話のタイプに適用するようなケーブルが、盗まれたばかり。
最近職場内の消毒と称して夜間業者が入ってくるので、その時にやられたのかもしれないが、USBに差し込んだまま放置していた私も迂闊であった。
[トランのシンボルはジュゴンとストリートアート]
冷房なしの普通寝台は車内に電源がない。
隣の冷房付寝台は、通路に2か所の電源がある。
トランを出てから荷物をまとめて隣の冷房車へ移って、携帯電話の充電をさせてもらう。
隣の冷房車にも乗客はほとんどおらず、乗務員が眠りこけていた。
[トランを出るともう車内に乗客は乗っていない]
午後1時半、バンコクを出てから19時間かかってガンタン駅に到着。
車内はガラガラだったけれど、ホームでは記念写真を撮る人たちであふれていた。
この人たちはどこから湧いてきたのだろうか、、。
[ガンタン駅到着]
ノスタルジックな木造の駅舎は柱は茶色に塗られ、壁はマスタード色。
[ペンキを厚塗りした木造駅舎]
記念写真用のオブジェが置かれていたりして、車でやってきて、記念写真を撮ろうとしていた人たちは、遅れてきた列車の到着を今か今かと待っていたのだろう。
ホームの端には、"Kantang. The end of the Andaman route railway"との碑まで建てられていた。
つまり、この駅はかつての北海道、帯広からの支線、広尾線にあった「幸福駅」みたいな観光スポットということらしい。
[折り返しバンコク行きとなるので、すぐに機関車の付け替えが行われていた]