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2020-2021 年末年始
今日はもう1月29日、今さらと言う気もするのだけれど、年末年始のことを書いておきます。

2020年という年は、ほんとうにひどい一年だった。
こんな年は、さっさと過ぎ去ってしまえば良いとも思えるのだけれど、時計の針を巻き戻して、あのときああしておけばよかったみたいなことがたくさんあって、2020年が終わてしまう前に、もう一度振り出しからやり直してみたい気持ちの方がもっと強い。

しかし、それでも過ぎてしまった過去は取り戻せないので、そのまま2020年も最終日を迎えてしまった。

12月31日 木曜日
前日からツアーの仕事でウドンタニに滞在。
午前5時前にザ・コテージ・ホテルという宿を出発して、鉄道駅へ向かう。
今回のお客様はバンコクから夜行列車でやってくるご家族。

夜明け前で、まだ真っ暗な駅頭で列車の到着を待つ。
駅前には、列車から降りてきた客を捕まえようと、バイクを改造したと思われる三輪タクシーがズラリと並んでいる。
こんな早朝から、客待ちして、いったいどれだけのお客が取れるというのだろうか?
ウドンタニにはこの手の三輪タクシーがやたらとたくさんいる。
供給過剰と言った感じで、お客を乗せて走っているのを見かけることより、道端でたむろして客待ちしている姿ばかりが目立つ。
たぶん、30年くらい前までは人力の自転車サムロー引きだった人たちが、バイク改造三輪タクシーに昇格したのだろうけれど、それまでのサムロー利用者たちも、自前のバイクや自家用車を乗り回す様になってしまい、結果として利用者が減ってしまっているのだろう。
それでも、三輪タクシーの運転手を続けていくしか、働き方を知らない人たちなのではないだろうか。
そして、この三輪タクシー、いたるところで客待ちしていて、オンボロだし、下層階級庶民の乗り物と言ったイメージなのだけれど、運賃は決して安くない。
ウドンタニの中心部から、バイパス沿いにあるピサヌロークをはじめとした周辺近隣県へのバスが発着するバスターミナルまでの三輪タクシーの運賃が100バーツもする。
運転手たちの言い分としては、お客が少ないから、100バーツでも苦しいという。
しかし、利用者からすると、100バーツはやっぱり高すぎるのである。

ウドンタニ駅
[夜明け前のウドンタニ駅]

バンコクからの寝台特急は、ほぼ定刻にウドンタニへ到着した。
まだ真っ暗だけれど、今日1日のツアーをスタートさせる前に、朝食へ案内する。
行先はカオピヤック・ウドンタニ、私がウドンタニ・うどんと呼んでいるカオピヤックの名店。
カオピヤックという艶があって、うどんそっくりのヌードルが濃厚でとろみのある豚骨スープの中で泳いでいる。
これがやたらと美味しいので、お勧めしたもの。

しかし、このカオピヤック、つい先日まで一杯50バーツだったのが、60バーツに値上げされている。
確かにここのカオピヤックは美味しいのだけれど、60バーツと言うのは、ちょっと高すぎるような気もする。
老舗の人気店だけれど、店自体はごく庶民的なあけっぴろげな大衆食堂に過ぎない。

カオピヤック料金表
[メニューの金額が書き直されている]

タレーブアデーンで定番の赤い蓮見学遊覧船に乗る。
はじめてタレーブアデーンへ来たのは6年前、2015年1月2日であった。
正月明け早々ということで、ボート乗り場は、ボート待ちの人でとても混雑していた。
ボートに乗る順番が回ってくるまでにずいぶんと待たされた記憶があるが、今回は大みそかと言うのに、ボート乗り場にはほとんど人がいない。
バンコク周辺で先日発覚した新型コロナの感染者の拡大で、旅行する人がばったりと減ってしまったようだ。
ここでもコロナで一変した世界が広がっている。
しかし、観光客を乗せた遊覧ボートが少ないので、赤い蓮の海を観賞するには、好都合でもある。

タレーブアデーン
[写真好きの人には、邪魔なボートがウロウロしていないので都合が良いかも]

2月にネコが死んでしまってから、ネコの供養を兼ねて、朝は托鉢僧に喜捨を続けている。
その托鉢僧が回ってくるのが、だいたい6時半ころ。
こちらは、その喜捨をする前に、朝のジョギングをするので、ジョギングの開始時刻は5時45分くらいとなる。
今の時期は、まだそのくらいの時間だと、夜明け前で真っ暗だけど、托鉢への喜捨を終えるころになると、だいぶ明るくなって、朝らしくなる。
つまり、この1年、太陽が昇ってくるより早くから活動を開始してきたわけだけど、その今年の太陽も今日が見納め。
チェンカーンのサンセットクルーズの船上から、今年最後の夕日を見送った。

サンセット
[メコン川に沈んでいくチェンカーンの夕日]

メコン川沿いの小さな町、パークチョムというところに宿を取っており、その町へ入る手前、道路沿いの小さな食堂に入って夕食をドライバーと一緒に食べる。
田舎なので、日没後に営業している食堂を見つけることは、困難だけれど、運よく開いている食堂があった。
店には他にもお客がいて、酒盛りをしているように見えたのだけれど、実際に店に入って、テーブルに着いてみたらば、酒盛りをしているのはお客ではなく、店の人たちであった。
つまり、まだ営業を続けていたのではなく、たんに自分の店で年末のパーティーをしていたにすぎないということらしい。
それでも、追い返されるでもなく、快く注文を受けてくれた。

店は川沿いの道から少し斜面を上がったところにあり、周辺には全く灯りがない。
ときどき道を走る車のヘッドライトが通り過ぎていくだけである。
料理はタイ料理だけだったけれど、スパゲッティー・パッキーマオというタイ風の唐辛子や胡椒をやたらと効かせたスパゲティーもあった。
しかし、料理を作っている人も既にしこたま飲んでいて、味覚が麻痺しているのか、出てくる料理の辛いことと言ったらもう大変であった。
テーブルを囲んだドライバーも「こりゃ無理だ」とギブアップするくらいの辛さであったけれども、1年の最後の夕食を残したんでは、また来年もロクなことが起きないだろうと、ビールで口内の火事を鎮火させながら食べ尽した。

ヤムタクライ
[半端じゃない辛さのヤムタクライ]

2020年最後の寝床は、パークチョムにあるバンガローでドライバーさんと同衾である。
年末ということもあり、人気観光地のチェンカーンに部屋はなく、チェンカーンから40キロ近く離れたところまで流れてきた訳だ。
しかも、夜も更けてからの到着で、明日は夜明け前に出発しなくてはならない。
木賃宿同然のバンガローで、今年を締めくくるとは、なんとも2020年らしい終わり方とも思える。
さっき辛い辛いと言いながらビールを飲んだのだけれども、まだ飲み足りないが、バンガローの中で続きを飲むと、明日もハンドルを握ってくれるドライバーさんがゆっくり休めないだろうと思い、バンガローから抜け出し、ベンチでラオカーオというタイの米焼酎を舐め始める。
ちょっと肌寒いけれど、夜空を見上げたら、満月のようにまん丸い月が照っていた。

月夜
[パークチョムのバンガローを照らす月]

わびしい大みそかになることは、最初から予想されていたので、あらかじめ「年越しそば」を持参してきていた。
カップ麺でお湯を入れるだけ。
日本のカップ麺なので、カップの中にはフォークも入っていない。
それも事前に予想されていたので、割り箸も持参。

静まり返った、屋外で、カップ麺の年越しそば、カウントダウンとか、ガラパーティーなどとは全く無縁。
ただ、月だけは丸く明るかった。

カップ麺
[年越しそば]

タイにはお寺はたくさんあるけれど、除夜の鐘と言うのは叩かないようで、どこからも鐘の音は聞こえてこなかった。
トッケーというお化けヤモリの声は聞こえてきたし、カウントダウンだろうか、盛大ではないけれど、花火の上がる音も聞こえてきて、年は明けて、2021年が始まった。

2021年1月1日
年末から引き続いてのツアーを担当しているけど、年が改まったので、これが仕事始めということになるのだろうか?
今朝は近くの山の上から初日の出を拝んでいただくスケジュールが組まれているので、夜明け前から業務開始。

近くの山と言うのは、プーラムドゥアンという山と言うよりも丘で、麓からロットイーテックと呼ばれる農業用の耕運機を改造した荷車に乗って登っていく。
前回ここに来た時は、雲海と言うか、朝靄にすっぽり包まれて、すべてが真っ白で、視界ゼロの状況であったけれど、今朝は雲海も朝霧も発生していない。
しかし、空は晴れてもおらず、曇りがち。
これでは、ご来光も無理ではないかと危惧したけれど、雲の切れ間からほんの少し、そして短時間であったけれど、ご来光を拝むことができた。

初日の出
[プーラムドゥアンでのご来光]

今年は少しはいいことがあるのだろうか、、、。
一瞬のご来光の後、山から下りて、お客様はリゾートホテルでご朝食。
その間、広いリゾートの敷地の中を散歩していたら、ネコが2匹いた。
2021年の最初に出会ったネコということになる。
2匹いて、黒猫の方は、人見知りして、近くに行くと警戒して逃げてしまったが、三毛猫は、人懐っこくて寄ってきた。
リゾートの人にここで飼っているのかと聞いてみたら、飼い猫ではなく、誰かがこの辺に捨てていったネコだろうという。
このネコたちにも、今年は良いことがありますように。

三毛猫
[ちゃんと食べ物にありつけているのだろうか]

午後にカオコーにあるワットパーソンゲーオという最近人気のお寺へ初詣。
ここはインスタ映えするとのことで、去年のお正月休みは大渋滞を巻き起こしたりしたが、ここでもやはりコロナによる旅行自粛で、観光客が減って、大した渋滞に巻き込まれることなく、行くことができた。
それでも、寺院の境内は、参拝者と言うより観光客で埋め尽くされていた。

ワットパーソンゲーオ
[元旦のワットパーソンゲーオ]

夕刻、日没時にはピサヌローク県、ヌーンマプラーンのバーンムンで夕焼け空を煙がたなびくように飛んでいくコウモリを眺めた。
2020年は新型コロナウイルスの感染源との汚名もかぶせられたコウモリだけど、もともとコウモリとは「幸守」と当て字をしたり、古来中国では"蝙蝠"の発音が"福に変ずる"という変福に似ていると言われ、縁起良しとされていたらしい。
年の初めに無数のコウモリを見ることができたので、新しい1年こそは、なんとしても良い年になってほしい。

夕焼けに飛ぶコウモリ
[バーンムンの洞窟から飛び立つ無数のコウモリ]

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ウドンタニ滞在記
12月はウドンタニへ毎週行くことになっていた。
ピサヌロークからウドンタニ、距離はバンコクへ行くのとさして変わらないのだけれど、ウドンタニまでのルートはいくつもの峠越えがある山道続き。
バンコクへ行くようにまっすぐで、真っ平らなハイウェイを走り抜けるのとは全然違う。
それに連日、休みなしで働きづめなので、少々お疲れ気味。
体調もベストとは言えない状態なので、車の運転は事故を起こしそうなので敬遠して、バスで行くことが多くなった。

ウドンタニ行バス
[ピサヌローク発ウドンタニ行のバス]

そのバスも、新型コロナウイルスの影響で、バスの本数が大幅に減っている。
昼間走るバスは、一本しかなく、あとはチェンマイやチェンライ方面からピサヌロークを経由してイサーン方面へ向かう夜行バスだけ。

夜行バスにはなんどか乗ったけれど、夜中寒すぎて風邪をひきそうになってしまう。
そして、山道を走る夜行バスなので、よく眠れず、寝不足になってしまいそう。

未明のウドンタニ
[夜行バスは夜中すぎ、未明にウドンタニに到着]

それだけではなく、始発がチェンマイやチェンライからなので、ピサヌロークから乗ろうとすると満席で切符が買えなかったこともあり、その時はコンケーン行きのバスに乗って、コンケーンで乗り合いバンに乗り換えてウドンタニへ向かったこともある。

バンコクへ行ったついでに、そのまま鉄道でウドンタニへ入ったことも一度ある。

行くだけで苦労させられるウドンタニだったけれど、ウドンタニでの滞在自体は嫌いではなかった。
ウドンタニで定宿にしていた宿屋は二軒あり、そのうちの一軒はV1ホテルという安宿。
ここが気にいった理由は、受付にネコがいること。
黒いメス。
よくなつくというタイプのネコではないけれど、それがイイ。

V1ホテルの黒猫
[V1ホテルの黒猫]

また、ホテルの周辺にもネコたちが何匹かいて、宿周辺を徘徊している。
一度は、深夜二時ころにホテルへ到着したら、入り口の前で、黒い子猫がいたことがある。
どうやら捨て猫らしく、さかんに足にまとわりついてくる。
この時は、とても心が痛くなった。

いてネコと言えば、暮れ近くにバンコクでも捨て猫に出会ってしまった。
朝のジョギング中にため池近くにいた。
シャムネコが混ざっているような白いネコ。
犬にでもいたずらされたのか、少しケガもしていた。
このネコも、連れて行ってくれとせがむように足にまとわりついてきた。

捨て猫と知りながら、そのまま立ち去るのは、とても辛い。
飼ってやれるものなら、連れ帰りたいけど、もういつ日本へ引き上げなければならない状況になるかもわからないので、ネコを飼うわけにはいかない。

ときどき思うことがある。
戦時中、インパール作戦で道端に置き去りにされた傷病兵、
彼らもきっと通りすがりに「連れてってくれよ」と足にすがりついたりしたんではないだろうか。
もし、その場を通りかかったのが、私だとしたら、捨て猫と同じように、少しの食べ物を与えて、「あとで誰かきっと助けてくれるから」と置き去りにして、後ろも振り向かずに先へ進んだんだろう。

話が横道にそれたけれど、もう一軒の定宿はコテージホテルという新しいホテル。
部屋は広くはないけれど、清潔で快適。
プロモーションで料金も安い。
そして、気にいったのは24時間無料でトーストが食べられること。

こうしてピサヌロークとウドンタニの間を行ったり来たり続けていたわけだけれど、12月下旬になってトラブルが発生。
長らくタイでは新型コロナウイルスの国内感染がなかったのに、サムットサコン県の水産市場で働く出稼ぎミャンマー人の間で感染爆発が発覚してしまった。

その影響で、ツアーのキャンセルが続出してしまう。
ウドンタニのツアーも、間際で取消が出たりして、滅茶苦茶になる。
一度はピサヌロークからウドンタニへ向かうバスの中でキャンセルの連絡を受けたりした。

そんなこんなで、ウドンタニ通いしているうちに、街中を歩く機会も少しはあった。
大きな池のあるブラチャック公園と言うのがあり、公園には巨大な黄色いアヒルのオブジェが浮かんでいる。
これがウドンタニのシンボルらしい。
公園の周りはとても良く整備されていて、ジョギングなどにも良さそうだけれど、ウドンタニへ行くときはいつも革靴だったので、走る機会がなかった。

ブラチャック公園
[黄色い巨大なアヒル]

ウドンタニはイサーン地方の中心的な街で、イサーンの食べ物と言ったら、カオニャオ、ソムタム、ガイヤーンと相場が決まっている。
俄かベジタリアンのためガイヤーンはそれほど食べたいと思っていないのだけれど、カオニャオとソムタムはよく食べた。
やっぱり本場は美味しいといえるほど、味覚が発達しているわけではないけれど、街中あちこちにソムタムを食べさせる店があるので、必然的に食べる機会が増えてくる。
ソムタムにも色々と種類があるようだけれど、注文するのはもっぱらタムタイと呼ばれる干しエビが入ったソムタム。
これが一番癖がない気がする。

ソムタム
[タムタイと呼ばれる干しエビ入りのソムタム]

そして、酒。
タイは酒税法の厳しい土地なので、地酒文化があるようには思えず、どこへ行ってもおんなじ銘柄のビールやタイウイスキー(スピリッツ)しか見当たらないが、たぶん外国人やまっとうなタイ人にはほとんど縁がないと思われるラオカーオという米焼酎には、ちょっと地酒に似たローカルな面白さがあることに気が付いた。

ラオカーオとは米の酒という意味だと思うけど、原料はタイ米なので泡盛と同じなのだろう。
でも泡盛とは香りが違って、ずっと安っぽいアルコール臭。
しかし、このラオカーオにはまってしまった。
二合くらいの小瓶に入って、60-70バーツ程度。
度数は40度とウイスキー並み。
ウドンタニで飲んだラオカーオは「タワンデーン」とブランド名も付いている。
ウドンタニのとなりノーンカーイ県の蒸留所作っている。
これが最初こそ鼻にツンとくるのだけれど、オンザロックで飲みだすと飲み口がいい。
ソムタムとの相性も良い。

タワンデーン焼酎
[タワンデーンとは赤い太陽]

これに味をしめて、ピサヌロークでもラオカーオを探したけれどタワンデーンという銘柄は見つからなかった。
ピサヌロークで度数40度のラオカーオは、お隣のウータラディット県の蒸留所のものであった。
しかも、けしからんことに、キャップがスクリュー式になっていない、プルトップ。
これだと飲みきりと言うことになってしまう。

ウータラディットの米焼酎
[ピサヌロークで入手できる米焼酎はスクリューキャップになってない]

メコン川を挟んでラオスの首都ビエンチャンの対岸にあるのがシーチェンマイの町。
小さな田舎町であるけど、ビエンチャンの街にすぐそこに見える、コロナ禍で国外に簡単に出かけれらない昨今、隣国の首都を眺められるなんてのは、ここシーチェンマイくらいではないだろうか。

ビエンチャン1キロ
[メコン川沿いの巨大な里程標、ビエンチャン1キロ]

ビルとか大きな建物が見えるだけではなく、走っている車まではっきり見える。
ここシーチェンマイへは昼食で何度か立ち寄った。
川沿いにマヨンという食堂があり、テラス席でビエンチャンを眺めながら食事をすると何ともいい気分。
この食堂の入り口には、タイ語でマファーンと呼ばれるスターフルーツの木があり、小ぶりながらたくさんの実を付けている。
完熟して地面に落ちている実もたくさんある。
この完熟スターフルーツがエグミもなく、とても美味しい。
落ちてしまう直前の実は、手で触れるとそのまま枝から離れるので、摘み取りやすい。

スターフルーツ
[完熟のスターフルーツ]

ここは基本的にはタイ料理しか作らないが、別にパン屋もやっておりフランスパンを焼いているという。
ならば、バゲットサンドウィッチを作ってもらってランチに食べてみようと思い、食堂へ特注を入れた。
しかし、食堂の女主人はフランスパンでサンドウィッチを作るということが理解できないらしい。
「ここのパンは堅いフランスパンだから、サンドウィッチにはならない」と言い張る。
そこで携帯電話のメッセージ機能を使ってバゲットサンドウィッチのイメージ写真を送って、とにかく作ってもらうことにした。
もちろん、ちゃんとしたバゲットサンドウィッチ、私が食べたかったものができていた。
送ったイメージ写真が日本のものだったので、サンドウィッチの具はサニーレタスとスライスチーズ、そしてハムにトマトとおとなしい内容。
これが川一つ渡った対岸のラオスでは、サンドウィッチと言ったらバゲットサンド(パインミー)が常識で、その具はラオスのハーブ類とレバーパテだったりするのだから、たかが川一本と言えども、そこは厳然として国境なわけで、食べ物でもはっきりと差が出てしまうようだ。

バゲットサンドウィッチ
[特注バゲットサンド]
同じタイでも、バンコクのレストランでは、バゲットサンドウィッチ(パインミー)も珍しくはない。この手の旧仏印食文化は、シーチェンマイよりバンコクの方がより浸透し、身近になっているようだ。

国境と接しているわけではないけれど、ウドンタニはベトナム戦争を通じてベトナム人のコミュニティーができている街になっている。
既にベトナム戦争が終結して半世紀近くになり、ベトナム人たちもタイ人に同化して、言葉も着るものもタイと同じになってしまったけれど、食べ物屋だけはベトナム風の食べ物を食べさせる店が目立った。
VTレストランはタイ全土に支店を持つ大きなベトナム料理レストランチェーンで、本店はウドンタニ。
市内にもいくつかの支店があるようだし、他にも小さなベトナム料理屋がある。
前回ちょっと書いたカオピヤックもベトナム料理屋のメニューだし、タイでカイカタと呼ばれるベトナム風ソーセージエッグを食べさせる朝食屋はよく目に付く。

カイカタ
[カイカタ、ベトナム朝食屋では中国茶のサービスがうれしい]

しかし、シーチェンマイのバゲットは本格的だったのに対して、ウドンタニのベトナム食堂で出すバゲットはお粗末なものであった。
まず、硬くなくてフニャフニャ。
表面こそ少し焼いてあって、パリッとした感じが少しはあるけど、たぶん砂糖の入れすぎでフニャフニャの小さなコッペパンみたいで、期待を大きく裏切られる。
同じようにピサヌロークのナーン川沿いにあるベトナム朝食屋台の方が、もうちょっと気が利いてる感じがするね。

ベトナムパン
[バゲットというより小さなコッペパン、具は中国ソーセージ]

鉄道でウドンタニへ一回入ったけれど、いくつかの発見をした。
コンケーン周辺の駅が近代的な駅になっていた。
しかも立体交差になっていたりする。
身分不相応と言った感じなんだけど、もっと不相応なのは列車に乗り降りするホーム。
タイの鉄道は、もともとホームなんてあってないくらいのもので、高さがせいぜい30センチくらいしかないのではないかと思う。
その低いホームから列車に乗り込むときは、出入り口の階段を登ることになるわけだけど、新しいホームは日本の駅と同じように、ホームが地面から1メートル以上もの高さになっている。
なので、従来の階段の付いたドアーは使わないよう塞がれていた。

ピサヌローク周辺を走るディーゼルカーとウドンタニ周辺を走るディーゼルカーは見た目も違っていた。
ピサヌロークのは、ちょっと角ばって、少しは現代風っぽく感じるけど、ウドンタニ周辺のは昭和40年ころの面影を残したノスタルジックな見た目であった。
キハ20型とそっくりな面構えをしている。

イサーンのディーゼルカー
[ウドンタニのホームは低いまま]

そして、ピサヌロークのディーゼルカーは、各車両にエンジンが付いているけど、ウドンタニのは、一両ごとにしかエンジンが付いていない。
山がなくて平坦な大地を走るローカル列車だから、エンジンの数はそれほど必要ないのだろう。
同様にタイを走る大型トラックは、後ろにトレーラーをつなげたものが多い。
日本ではまず見かけない。
ドライバー不足の日本の物流業界に、こうしたトレーラー付き大型トラックを普及させたら、人手不足も少しは解消されるのではないだろうか?

12月は結局ウドンタニへ5回も行くことになった。

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| 日常 | 09:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
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