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ウドンタニ滞在記
12月はウドンタニへ毎週行くことになっていた。
ピサヌロークからウドンタニ、距離はバンコクへ行くのとさして変わらないのだけれど、ウドンタニまでのルートはいくつもの峠越えがある山道続き。
バンコクへ行くようにまっすぐで、真っ平らなハイウェイを走り抜けるのとは全然違う。
それに連日、休みなしで働きづめなので、少々お疲れ気味。
体調もベストとは言えない状態なので、車の運転は事故を起こしそうなので敬遠して、バスで行くことが多くなった。

ウドンタニ行バス
[ピサヌローク発ウドンタニ行のバス]

そのバスも、新型コロナウイルスの影響で、バスの本数が大幅に減っている。
昼間走るバスは、一本しかなく、あとはチェンマイやチェンライ方面からピサヌロークを経由してイサーン方面へ向かう夜行バスだけ。

夜行バスにはなんどか乗ったけれど、夜中寒すぎて風邪をひきそうになってしまう。
そして、山道を走る夜行バスなので、よく眠れず、寝不足になってしまいそう。

未明のウドンタニ
[夜行バスは夜中すぎ、未明にウドンタニに到着]

それだけではなく、始発がチェンマイやチェンライからなので、ピサヌロークから乗ろうとすると満席で切符が買えなかったこともあり、その時はコンケーン行きのバスに乗って、コンケーンで乗り合いバンに乗り換えてウドンタニへ向かったこともある。

バンコクへ行ったついでに、そのまま鉄道でウドンタニへ入ったことも一度ある。

行くだけで苦労させられるウドンタニだったけれど、ウドンタニでの滞在自体は嫌いではなかった。
ウドンタニで定宿にしていた宿屋は二軒あり、そのうちの一軒はV1ホテルという安宿。
ここが気にいった理由は、受付にネコがいること。
黒いメス。
よくなつくというタイプのネコではないけれど、それがイイ。

V1ホテルの黒猫
[V1ホテルの黒猫]

また、ホテルの周辺にもネコたちが何匹かいて、宿周辺を徘徊している。
一度は、深夜二時ころにホテルへ到着したら、入り口の前で、黒い子猫がいたことがある。
どうやら捨て猫らしく、さかんに足にまとわりついてくる。
この時は、とても心が痛くなった。

いてネコと言えば、暮れ近くにバンコクでも捨て猫に出会ってしまった。
朝のジョギング中にため池近くにいた。
シャムネコが混ざっているような白いネコ。
犬にでもいたずらされたのか、少しケガもしていた。
このネコも、連れて行ってくれとせがむように足にまとわりついてきた。

捨て猫と知りながら、そのまま立ち去るのは、とても辛い。
飼ってやれるものなら、連れ帰りたいけど、もういつ日本へ引き上げなければならない状況になるかもわからないので、ネコを飼うわけにはいかない。

ときどき思うことがある。
戦時中、インパール作戦で道端に置き去りにされた傷病兵、
彼らもきっと通りすがりに「連れてってくれよ」と足にすがりついたりしたんではないだろうか。
もし、その場を通りかかったのが、私だとしたら、捨て猫と同じように、少しの食べ物を与えて、「あとで誰かきっと助けてくれるから」と置き去りにして、後ろも振り向かずに先へ進んだんだろう。

話が横道にそれたけれど、もう一軒の定宿はコテージホテルという新しいホテル。
部屋は広くはないけれど、清潔で快適。
プロモーションで料金も安い。
そして、気にいったのは24時間無料でトーストが食べられること。

こうしてピサヌロークとウドンタニの間を行ったり来たり続けていたわけだけれど、12月下旬になってトラブルが発生。
長らくタイでは新型コロナウイルスの国内感染がなかったのに、サムットサコン県の水産市場で働く出稼ぎミャンマー人の間で感染爆発が発覚してしまった。

その影響で、ツアーのキャンセルが続出してしまう。
ウドンタニのツアーも、間際で取消が出たりして、滅茶苦茶になる。
一度はピサヌロークからウドンタニへ向かうバスの中でキャンセルの連絡を受けたりした。

そんなこんなで、ウドンタニ通いしているうちに、街中を歩く機会も少しはあった。
大きな池のあるブラチャック公園と言うのがあり、公園には巨大な黄色いアヒルのオブジェが浮かんでいる。
これがウドンタニのシンボルらしい。
公園の周りはとても良く整備されていて、ジョギングなどにも良さそうだけれど、ウドンタニへ行くときはいつも革靴だったので、走る機会がなかった。

ブラチャック公園
[黄色い巨大なアヒル]

ウドンタニはイサーン地方の中心的な街で、イサーンの食べ物と言ったら、カオニャオ、ソムタム、ガイヤーンと相場が決まっている。
俄かベジタリアンのためガイヤーンはそれほど食べたいと思っていないのだけれど、カオニャオとソムタムはよく食べた。
やっぱり本場は美味しいといえるほど、味覚が発達しているわけではないけれど、街中あちこちにソムタムを食べさせる店があるので、必然的に食べる機会が増えてくる。
ソムタムにも色々と種類があるようだけれど、注文するのはもっぱらタムタイと呼ばれる干しエビが入ったソムタム。
これが一番癖がない気がする。

ソムタム
[タムタイと呼ばれる干しエビ入りのソムタム]

そして、酒。
タイは酒税法の厳しい土地なので、地酒文化があるようには思えず、どこへ行ってもおんなじ銘柄のビールやタイウイスキー(スピリッツ)しか見当たらないが、たぶん外国人やまっとうなタイ人にはほとんど縁がないと思われるラオカーオという米焼酎には、ちょっと地酒に似たローカルな面白さがあることに気が付いた。

ラオカーオとは米の酒という意味だと思うけど、原料はタイ米なので泡盛と同じなのだろう。
でも泡盛とは香りが違って、ずっと安っぽいアルコール臭。
しかし、このラオカーオにはまってしまった。
二合くらいの小瓶に入って、60-70バーツ程度。
度数は40度とウイスキー並み。
ウドンタニで飲んだラオカーオは「タワンデーン」とブランド名も付いている。
ウドンタニのとなりノーンカーイ県の蒸留所作っている。
これが最初こそ鼻にツンとくるのだけれど、オンザロックで飲みだすと飲み口がいい。
ソムタムとの相性も良い。

タワンデーン焼酎
[タワンデーンとは赤い太陽]

これに味をしめて、ピサヌロークでもラオカーオを探したけれどタワンデーンという銘柄は見つからなかった。
ピサヌロークで度数40度のラオカーオは、お隣のウータラディット県の蒸留所のものであった。
しかも、けしからんことに、キャップがスクリュー式になっていない、プルトップ。
これだと飲みきりと言うことになってしまう。

ウータラディットの米焼酎
[ピサヌロークで入手できる米焼酎はスクリューキャップになってない]

メコン川を挟んでラオスの首都ビエンチャンの対岸にあるのがシーチェンマイの町。
小さな田舎町であるけど、ビエンチャンの街にすぐそこに見える、コロナ禍で国外に簡単に出かけれらない昨今、隣国の首都を眺められるなんてのは、ここシーチェンマイくらいではないだろうか。

ビエンチャン1キロ
[メコン川沿いの巨大な里程標、ビエンチャン1キロ]

ビルとか大きな建物が見えるだけではなく、走っている車まではっきり見える。
ここシーチェンマイへは昼食で何度か立ち寄った。
川沿いにマヨンという食堂があり、テラス席でビエンチャンを眺めながら食事をすると何ともいい気分。
この食堂の入り口には、タイ語でマファーンと呼ばれるスターフルーツの木があり、小ぶりながらたくさんの実を付けている。
完熟して地面に落ちている実もたくさんある。
この完熟スターフルーツがエグミもなく、とても美味しい。
落ちてしまう直前の実は、手で触れるとそのまま枝から離れるので、摘み取りやすい。

スターフルーツ
[完熟のスターフルーツ]

ここは基本的にはタイ料理しか作らないが、別にパン屋もやっておりフランスパンを焼いているという。
ならば、バゲットサンドウィッチを作ってもらってランチに食べてみようと思い、食堂へ特注を入れた。
しかし、食堂の女主人はフランスパンでサンドウィッチを作るということが理解できないらしい。
「ここのパンは堅いフランスパンだから、サンドウィッチにはならない」と言い張る。
そこで携帯電話のメッセージ機能を使ってバゲットサンドウィッチのイメージ写真を送って、とにかく作ってもらうことにした。
もちろん、ちゃんとしたバゲットサンドウィッチ、私が食べたかったものができていた。
送ったイメージ写真が日本のものだったので、サンドウィッチの具はサニーレタスとスライスチーズ、そしてハムにトマトとおとなしい内容。
これが川一つ渡った対岸のラオスでは、サンドウィッチと言ったらバゲットサンド(パインミー)が常識で、その具はラオスのハーブ類とレバーパテだったりするのだから、たかが川一本と言えども、そこは厳然として国境なわけで、食べ物でもはっきりと差が出てしまうようだ。

バゲットサンドウィッチ
[特注バゲットサンド]
同じタイでも、バンコクのレストランでは、バゲットサンドウィッチ(パインミー)も珍しくはない。この手の旧仏印食文化は、シーチェンマイよりバンコクの方がより浸透し、身近になっているようだ。

国境と接しているわけではないけれど、ウドンタニはベトナム戦争を通じてベトナム人のコミュニティーができている街になっている。
既にベトナム戦争が終結して半世紀近くになり、ベトナム人たちもタイ人に同化して、言葉も着るものもタイと同じになってしまったけれど、食べ物屋だけはベトナム風の食べ物を食べさせる店が目立った。
VTレストランはタイ全土に支店を持つ大きなベトナム料理レストランチェーンで、本店はウドンタニ。
市内にもいくつかの支店があるようだし、他にも小さなベトナム料理屋がある。
前回ちょっと書いたカオピヤックもベトナム料理屋のメニューだし、タイでカイカタと呼ばれるベトナム風ソーセージエッグを食べさせる朝食屋はよく目に付く。

カイカタ
[カイカタ、ベトナム朝食屋では中国茶のサービスがうれしい]

しかし、シーチェンマイのバゲットは本格的だったのに対して、ウドンタニのベトナム食堂で出すバゲットはお粗末なものであった。
まず、硬くなくてフニャフニャ。
表面こそ少し焼いてあって、パリッとした感じが少しはあるけど、たぶん砂糖の入れすぎでフニャフニャの小さなコッペパンみたいで、期待を大きく裏切られる。
同じようにピサヌロークのナーン川沿いにあるベトナム朝食屋台の方が、もうちょっと気が利いてる感じがするね。

ベトナムパン
[バゲットというより小さなコッペパン、具は中国ソーセージ]

鉄道でウドンタニへ一回入ったけれど、いくつかの発見をした。
コンケーン周辺の駅が近代的な駅になっていた。
しかも立体交差になっていたりする。
身分不相応と言った感じなんだけど、もっと不相応なのは列車に乗り降りするホーム。
タイの鉄道は、もともとホームなんてあってないくらいのもので、高さがせいぜい30センチくらいしかないのではないかと思う。
その低いホームから列車に乗り込むときは、出入り口の階段を登ることになるわけだけど、新しいホームは日本の駅と同じように、ホームが地面から1メートル以上もの高さになっている。
なので、従来の階段の付いたドアーは使わないよう塞がれていた。

ピサヌローク周辺を走るディーゼルカーとウドンタニ周辺を走るディーゼルカーは見た目も違っていた。
ピサヌロークのは、ちょっと角ばって、少しは現代風っぽく感じるけど、ウドンタニ周辺のは昭和40年ころの面影を残したノスタルジックな見た目であった。
キハ20型とそっくりな面構えをしている。

イサーンのディーゼルカー
[ウドンタニのホームは低いまま]

そして、ピサヌロークのディーゼルカーは、各車両にエンジンが付いているけど、ウドンタニのは、一両ごとにしかエンジンが付いていない。
山がなくて平坦な大地を走るローカル列車だから、エンジンの数はそれほど必要ないのだろう。
同様にタイを走る大型トラックは、後ろにトレーラーをつなげたものが多い。
日本ではまず見かけない。
ドライバー不足の日本の物流業界に、こうしたトレーラー付き大型トラックを普及させたら、人手不足も少しは解消されるのではないだろうか?

12月は結局ウドンタニへ5回も行くことになった。

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| 日常 | 09:17 AM | comments (0) | trackback (0) |

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