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北部イサーン、ドライブ旅行
12月4日から4日間ほど東北タイのブンカーン県というところへ行ってきた。
東北タイへ行くのも久しぶりだし、前回メコン川沿いにドライブしたころはまだブンカーン県など存在していなかった気がする。

今回の旅行は、仕事と遊びが半分ずつ合わさった様なもの。
同行は、バンコクのスタッフ2人と、ピサヌロークのタイ人スタッフ1名。
しかし、タイ人スタッフは2日目と3日目の前半はウドンタニで仕事があるので、ブンカーン県には行かない。
そのかわり、バンコクから合流してくる知人が1名加わり、入れ替わりがあっても、全行程とも4名で回ることになっている。
足は、私の車。
私が運転手兼案内役。

何で、ブンカーン県かと言うと、最近ブンカーン県へ行くツアーの問い合わせが増えている。
特にクジラ岩とワットプートックに関する問い合わせ。
となれば、一度は行っておくべきということで、仕事半分というより、ほぼ仕事みたいなもの。

4日の朝一番の飛行機でやってくるバンコクの2人をピサヌロークの空港に迎える。
せっかくピサヌロークに来てくれたのだから、まずは案内すべき場所として「ワットヤイ」が浮かんでくるのだけれど、まだ30歳前後の2人には、お寺はあんまり興味がないらしく、希望は「おやゆび姫の池」と呼んでいるオニ蓮のある蓮園。
いままでツアーで数えきれないほどこの蓮園には来ているけれど、おやゆび姫のように蓮の葉に乗ったことがなかった。
私は常に案内役に徹していたわけだけれど、今回は蓮の葉に乗ってみることにする。

ハスの葉乗り
[蓮の葉初体験]

今年は水不足で、蓮たちが元気がなく、蓮に乗るにも体重制限が厳しくなっている。
先月くらいまでは体重60kgまでと言われていたが、今月になって少しは蓮も元気になってきたのか、体重制限が65kgに緩和された。
現在の私の体重が62kg前後だから、ギリギリでセーフ。
今年の2月にネコが死んで、それから体重がずいぶんと減った。
血圧を下げるために食事制限をしたこともあるが、かなりガリガリ体形になっている。

で、蓮に乗ってみた。
身長が187cmあるので、水の上に浮かぶ蓮の葉に立つと、安定が悪く、フラフラユラユラ。
おやゆび姫どころではない。
そして、少しずつ浸水してくる。
それでも、何枚もの写真を撮ってもらった。

ハスの葉乗り
[蓮の葉に乗ってポーズ]

蓮園だけで、ピサヌロークを出発。
今日は夕方4時にウドンタニのプープラバット歴史公園で知人と合流する予定にしているので、先を急がなくてはならない。
国道12号線を東に向かい、さらにナコンタイからルーイ県のダンサイ村に入る。
ダンサイ村は奇祭として知られるピーターコン祭りの村。
村のお寺にあるピーターコン博物館を見学。
博物館そのものは、あんまりおもしろくないけれど、博物館周辺と言うかお寺の境内にはピーターコンのお面がたくさん飾られていて、それは見ていても楽しいし、仮面を被ることもできる。
今年のピーターコン祭りはコロナの影響で中止となってしまったけれど、来年は6月12~14日と早々と決まっているようだ。
ルーイ県はイサーンと呼ばれるタイの東北地方に属するそうだけれど、ピサヌロークのすぐ隣なので、イサーンという印象は薄いのだけれど、ここのお寺の建築様式を見ると、屋根の庇が広がったイサーン北部からラオスの寺院建築の特徴を持つている、仏塔もまた然り。
自撮りピーターコン
[ピーターコンの面をかぶって自撮りしてみました]

ダンサイ村で昼食。
ダンサイ村での昼食に使えそうな食堂を探していて、見つけたのが村の中心から少し外れたリゾート風の食堂。
食べさせるものはイサーン料理。
ソムタムが売りらしい。
そして、イサーン料理と言ったらガイヤーン。
こうなればビールかタイウイスキーでも飲みたくなるところだけれど、一応仕事モードだし、運転もあるしで自重する。
他にもイサーン料理を少し注文し、カオニャオも食べる。
気に入ったのは、パームカイという料理で、玉子焼きなのだけれど、バナナの上で油を使わずじっくり焼いた玉子焼きで、中に何種類ものハーブが入っているので、見た目も美しい。
味の方は、クセのあるハーブも入っているから、好き嫌いが別れるかもしれないけれど、私は気にいった。

パームカイ
[バナナの葉で焼いた玉子焼き、彩もきれい]

ダンサイから園芸農園の続くプールアを抜ける。
車内の皆様、お昼も食べて、すっかりお休みモード。
一人ハンドルを握る。
クリスマスが近いからかポインセチアが目立つ。

3時過ぎ、プープラバット歴史公園で落ち合う予定の知人に電話を入れると、もうとっくにプープラバット歴史公園に到着しているという。
あんまり待たしちゃ悪いと、急ぐけれど田舎道でスピードはあんまり出せない。
15:45にこちらもプープラバット歴史公園へ到着。
お待たせしてしまった、お詫びもそこそこに歴史公園内を案内する。
ウサの塔など、巨大キノコのような奇岩を見物し、1000年前のドゥヴァラヴァディ王国時代のものとされる寺院跡や磨崖仏を見る。
しかし、磨崖仏は補修されていたりして、本当にこれが1000年前のものかどうかは俄かに信じられない気がする。
他にも岩陰に描かれた古代人の壁画も、人や牛の姿がはっきり見えるのだけれど、古代人とはいったいいつ頃の人たちのことかと思えてしまう。
有史以前としても、このあたりの有史とは、いったい何年くらい前からを指すのだろうか。
単に古文書が残っていないだけのような気もしてしまう。

プープラバットとは仏様の足跡と言う意味で、この歴史公園のすぐ隣に仏足石のあるお寺がある。
このお寺の仏塔もラオス風の徳利を思わせる形をしている。
このお寺には巨大なブタが2頭いた。
お寺だから殺生はしないはずで、ブタも人間に食べられてしまう心配はないのだろう。
そして、お寺の中ではブタのエサを売っている。
タイのお寺の池などで良く売っている魚のエサとよく似たようなエサ。
私も一袋買って、ブタに与えてみる。
ブタは地面に撒かれたエサを夢中でむさぼる。
と、携帯電話のベルが鳴り、また仕事モードに引き戻される。
今日の最終便でピサヌロークに来るはずのお客さんが、飛行機に乗り遅れたとのこと。
その対応をしていたら、エサを食べ終えたブタが、「もっと食わせろ」と催促する。
そして、私のズボンに鼻先を押し付けてきた。
こちらは電話対応中で防御もできず、ズボンにはブタの鼻型に汚れが付いてしまった。

巨大ブタ
[巨大な豚公]

夕食はウドンタニの有名レストラン、クルアクンニットでまたまたイサーン料理。
ガイヤーン、ソムタム、そしてプラーソムトートという発酵魚の炒め物など。
もう運転しなくていいのでビールをおいしくいただく。
ここは有名且つ高級イサーン料理ということだったけれど、昼の田舎食堂の方が、ガイヤーンもソムタムも美味しかったような気がする。
イサーン料理などは、野趣味も味のうちなのかもしれない。

ソムタム・ラーオ
[ラオス風ソムタム、プラーラーという発行した魚の汁がかかっているそうです]

しかし、ビールを飲んでる最中にも電話がしばしば入ってくる。
携帯電話は便利だけれど、発明した人を恨みたくなる。

12月5日
朝7時前、タイスタッフと別れる。
まずは、ウドンタニ市内で「うどん」の朝食にする。
うどんと言うのは、このあたりでカオピヤックと呼ばれる米から作ったヌードルのこと。
しかし、それが如何にもうどんそっくり。
なのでウドンタニのうどんと洒落たつもり。
カオピヤック・ウドンタニという有名店があるらしく、そこへ行く。

このうどん、太さも艶もうどんそっくり。
讃岐うどんほどの腰はないけど、関西うどんみたいな感じかな。
スープはとろみのある豚骨。
いや、うまい。
うどんのノドごしもいいし、スープとの相性もいい。
これ、日本で食べさせたら人気が出るんじゃないだろうか?
でも、こんなに旨いのに、私はいままでタイの中でも、こんなカオピヤックを食べたことがない。
この店が特別に旨いのかもしれない。

カオピヤク
[とろみのある豚骨スープにツルツルうどんのカオピヤック]

朝食後、ピンク色の睡蓮が咲く、タレーブアデーンへ向かう。
もうちょっとでタレーブアデーンの船着き場というところで、道を間違えてしまった。
言い訳がましいが、Google Mapのナビの案内に従っていたら、田んぼの中のあぜ道の中に迷い込んでしまった。
乾季なのであぜ道もぬかるんでいないのだけれど、すごい土埃を巻き上げる。
こんな道で果たして行きつけるのかと心配になったら、案の定、これ以上先は車では進めない状態となり、なんとか引き返す。

タイは4連休なので、タレーブアデーンにはたくさんの観光客が押し寄せて、ボートに乗るにはずいぶんと待たされるのではないかと心配したけれど、チェーレー村の船着き場は拍子抜けするほど、観光客の姿が見当たらない。
チェーレー村の船着き場は、ウドンタニの町から遠くて、観光客がもともと少ないのだけれど、駐車場にも見事なくらい車が止まっていなかった。
そんなわけで、待つことなくすぐにボートへ案内される。
ボートは500バーツで、前のシーズンよりも100バーツ値上がりした感じ。
が、船着き場周辺には、全然睡蓮が咲いてない。
ちょっと不安になる。
私の不安な気持ちなど気にしないかのようにボートは進む。
寒い。
タイとは思えないくらい寒い。
気温は15度くらいだろうか。

ボートは進む
[出し惜しみしているのか、ピンクの蓮はなかなか見えてこない]

しばらくボートは睡蓮など咲いていない中を、進んでいたが、やがて遠く、水平線上にうっすらとピンク色の筋が見えてきた。
湖の中央部分にはピンクの睡蓮の群生があった。
どうしてここだけと思うくらい、群生してピンクの花を咲かせている。
ここには周辺からのボートもたくさん集まっている。
ボートの上で記念写真を撮っている人が多い。
モデルみたいにポーズを決めている。

タレーブアデーン
[湖の中心部にきて群生を見る]

前回来た時は、船着き場からすぐのところから群生が見られたので、これからこの群生はどんどん広がっていくのだろう。
今日もきれいではあったけれど、やっぱりこのとんでもなく広い湖が、ピンク色の睡蓮で埋め尽くされている景観を見たいと思う。

タレーブアデーンの次はワットプートック。
ワットプートックはブンカーン県で、約200kmほどの距離がある。
ちょっと遠い。
そして、田舎の国道を走ることになる。
途中の町の食堂でランチ。
こんな田舎に良くもあってくれましたと思えるようにエアコンの効いた喫茶店風の食堂。
タイの田舎では、ちゃんとした食堂を探すのに、毎度苦労しているけど、今回は簡単に見つかってよかった。
簡単な洋食も出すようだけれど、カーオクルックカピを注文。
エピの塩辛て味付けしたライスの周りに、ちょこちょこッとおかずが囲んでいる。
豚肉の甘辛煮、青マンゴー、干しエビ、プリッキーヌー、、。
なんとなくお子様ランチ風なのだけれど、こんな感じのものが好きなのである。
これらをビビンバのようにかき混ぜていただく。
これも美味しい。

さらに田舎道を進む。
真正面から水牛の群れが道幅いっぱいに広がって歩いてくる。
このまま進んだら水牛たちと正面衝突してしまいそう。
しかし、水牛たちは顔の表情を少しも変えることなく進んでくる。
まったくチキンレースだ。
そばにいた牛追いの顔は引きつっているのが見えた。
この勝負、私の負け。
水牛たちの3メートルほど手前で、急停車して水牛たちをやり過ごす。
イサーンの大地は水牛優先の様だ。

さて、正面にワットプートックが見えてきた。
巨大な岩山が聳えており、そこに貼りつくように足場が見える。
うーむ、思わず唸ってしまうような景観。

ブートック・ノイ
[村の向こうにブートックが見えてきた]

ワットプートックというのはお寺であるのだけれど、お寺への参拝目的よりも、ここの巨大な岩山に張り付いた木製の桟道や階段でスリリングに山へ登るのアトラクションを目的に来る人が圧倒的なのだろう。
お寺の入り口も、なんとなく動物園の入り口に似ている。
そういえば、バンコクのドゥシット動物園はどうなっているのだろうか?
2年前に移転するので閉園したけれど、その後どうなっているんだ?

ワットブートック入口
[入り口はまるで動物園]

境内に入ると、きれいな緑色すぎる池があった。
その向こうにこれから登る岩山が聳えたっている。
反対側は仏塔がある。
仏塔も完成したばかりで、まだ新しい。
このお寺そのものが新しいものかどうかよくわからない。
でも、なんとなくこの岩山目的にやってくる観光客が急増して、羽振りが良くなり、いろいろと新築している感じがする。
現にあちこちが工事の最中。

緑の池

こうしたお寺の良いところは、特に入場料を取らないこと。
たぶん、入場料など設定しなくても、来場者の多くが十分な賽銭を置いていくのだろう。
不信心な私は無料と喜んでるが、それは罰当たりなんだろう。

さて、岩山に取り掛かる。
聞いていた通り、木製の階段と桟道が、岩山にへばりついている。
ここが完成して10年ほどらしいが、踏み板に腐蝕などはほとんど見られないから、頻繁にメンテナンスをしているのだろう。
登りの初めは、いきなり階段の連続なので息が切れたけれど、登っているうちに安定してきた。
毎朝のジョギングでも、走り始めが一番苦しく、そのうちに身体がペースを覚えて、楽になってくる。

登山ルートマップ
[岩山は7つの階層に分かれているようだ]

階段なのでグングンと高度を稼ぐことができる。
すぐに下界を見張らせるところまで登ってくることができた。
ふだんタイの人たちはほとんど階段の上り下りをしない人たちだけれども、ここはもう人気の観光地、しかもこの木製階段が人気なので、みんな記念写真を撮りながら嬉々として大勢登っている。
この岩山、砂岩でできているそうで、下界からの高さは140メートルらしい。
だいたい40階建てくらいのタワーマンションに相当するのだろうか。
その岩山へ登る階段は7つの階層に分かれているが、階層を増していくたびに観光客の姿が減ってい行く。
やっぱりみんな日頃から歩きなれていないので、バテテ脱落していっているのだろう。

木製の桟道
[見晴らしがイイ]

第5階層くらいだっただろうか、岩山からちょっと飛び出した突起がある。
これも岩なのだが、突起のてっぺんに丸い巨岩が乗った形をしており、そこがお堂になっている。
飛び出しているので、本体の岩山から少し離れているのだけれど、そこにはちゃんと渡れるよう空中に橋が渡してある。
神聖な場所らしく、橋は靴を脱いで渡らなくてはならない。
そして、この橋は木製ではなく、金属製の橋になっている。

団子のような岩
[本体との間には橋が架かっている]

この岩山の隣にも同じように大きな岩山があり、その頂上付近にもお寺らしきものが見えるが、そちらの壁面には階段の様なものが見えない。
お寺があるなら登れそうなはずだけれども、実際のところ登れるものなのだろうか?

プートック・ヤイ
[後で確認したら、向かいの山はプートック・ヤイと言うそうだ]

当方の一行の中に、熱心に撮影をしているT君がいるのだが、たぶん写真に夢中になっている間にはぐれてしまったのだろう。見失ってしまった。
それでも、頂上を目指せば、頂上で合流するはずと思っていたが、登っていくと、木の階段や桟道はなくなり、獣道のような登山道だけになっている。
木も茂って、人気もなくなった。
この道でいいのだろうか?
それは遭難かと思えてくるほど、森の奥を彷徨った。

獣道
[森の中をさまよう]

いったいどこが頂上なんだ?
獣道は登ったり、下ったり、そしてまた同じ場所に戻ったり。
ところどころ見晴らしの良い場所もある。
しかし、これが頂上だと確信できる場所に出くわさない。
でも、この獣道しかない森がこの岩山の頂上なのだろう。
で、結局T君には出会えなかった。
ここまでには幾筋もの獣道があり、どこかちがう獣道に別れてしまったのだろう。
ということで、下山開始。
往復2時間ということだったけれど、上りは写真を撮りながらだったり、第7階層で彷徨ったりしたので、1時間近く時間がかかったけれど、下りは30分ほどで降りてきてしまった。
T君とは下山したところで再会を果たす。

下山
[下りは楽勝]

今夜の宿はブンカーンの街中に予約した。
電話で予約したところ全額前払いを要求されすぐに銀行振り込みしたのだけれど、宿に到着してみるとトラブル発生。
こちらは男4人なので、4部屋を予約したのに、二部屋しかないという。
「2泊で二部屋での予約になっている」という。
「そんなわけはない、これこれ見てみろよ」とスマホで宿から届いた予約確認のショートメッセージを見せるが、
「あとで、女の人から日本人は二部屋2泊と電話があった」と言い張る。
受付で私たちが交渉している後ろを日本人の男女(女性はタイ人かもしれない)が通り過ぎていった。
どうやら、日本人4人ということで、ここのスタッフが混同してしまっていたようだ。
しかし、あくまで自分たちの非は認めない。
二部屋しかもう空いてないから、二部屋に2泊すればよいではないかみたいな提案をしてくる。
このスタッフでは埒があきそうにないので、責任者を呼び出す。
スクーターに乗ってやって来たマネージャーと称する女性も、自分のスマホで私とのメッセージを確認した。
そして、そのスマホの待ち受け画面に使っている自分の写真を見せて「スワイ(きれい)でしょ」とか聞いてくる。
何考えてんだ、このおばさんはと絶句する。

結局、部屋はなくこのマネージャーがあちこち電話をして、ようやくちっぽけなアパート風簡易宿泊施設に4部屋を見つけて、我々はそこに収まった。

ラオスの街並み
[メコン川を挟んでラオスの街並みが見える]

夕食にはメコン川沿いの夜市をひやかしたが、夕食として食べられそうなものがない。
食堂を探すうち、ムーガタ屋を見つける。
同行の若い二人は、肉食系なので、ムーガタを食べたそうにしている。
知人で、私より少し年上のI氏は駐在員ということもあり、我々とは生活空間の次元が異なり、ムーガタそのものをご存知なく、初体験ということでムーガタ屋に入る。
私は俄かベジタリアンなので、豚焼き肉などを遠慮したいところだけれど、ここはバイキングスタイルではなかったので、キノコとか野菜の盛り合わせなどを注文することができた。
しかも、I氏から差し入れの焼酎「悟空」を持ち込んでいるので、私はもっぱら飲み係。
シャンパンゴールドを思わせるような色をした焼酎で、氷で割ってクイクイと飲めてしまう。
I氏、ムーガタ初体験ながら、気にいられた模様。
さらに、私が追加注文したプラードーリーというナマズの切り身も「これがナマズか」と驚かれていた。
氏は中国駐在が長く、ナマズは泥臭いという先入観を持たれていたが、プラードーリーの淡白な味も気にいったらしい。

12月6日
朝食にはカイガタというベトナム風の朝食を食べたいと思っていたが、朝のブンカーンでは、朝食を食べさせる食堂が見当たらなかった。
一応は県庁所在地たけれど、とにかく田舎。
タイの田舎の人は外食をほとんどしないので、朝食を食べさせる食堂もないらしい。
市場にも入ったが、見つけられず、そのままクジラ岩へ向かうことにした。

クジラ岩の入り口で、4WDの専用トラックに乗り換えることになるのだけれど、入場者が多く、順番待ちで20分くらいかかるらしい。
その間に体温などのチェックを受けるが、その係が日本語を話す30歳くらいのタイ人女性。
話をしてみると、バンコクで働いていたけれど、仕事にあぶれたので、故郷のブンカーンへ帰ってきているのだそうだ。
バンコクではフリーランスのガイドをしていたとのことだけれど、彼女の話す日本語から推察するに、どうもガイドというよりは水商売系ではないだろうかと感じられた。
でも、やたらと陽気で明るい女性であったので、ガイドの資格があれば、採用したいくらいだったけれど、残念ながら資格は無いとのこと。

クジラ岩へのルートマップ
[クジラ岩の部分が切れて映ってなかった]

トラックの荷台に乗って、土埃を舞いあげながらクジラ岩へ向かって進んでいく。
ここも昨日のワットプートックと同様に砂岩の巨大な岩山のようで、一番奥に目指すクジラ岩があり、二時間ほどかけて案内してくれるらしい。
連休ということあり、観光客が多く、クジラ岩から戻ってくるトラックに何台も行き交え。

4WDトラック
[こんなトラックで登っていきます]

クジラ岩は、上から見たら細長い砂岩の巨石が大、中、小と三本並んでいる場所で、大は100メートルくらいはあるのではないかと思われるくらい長く、幅は20メートルもないのではないだろうか。
この三本の巨石を上から見ると、親子クジラ3頭が泳いでいるように見えるから、クジラ岩と言うそうな。
こちらは上から眺めることはできないけれど、クジラの背に乗って絶景を眺めることはできる。
クジラの背は平らなのだけれど、端は垂直に近いくらいの絶壁となっている。
足がすくんで、どのくらいの落差があるか確認できないが、足を滑らせたらただでは済まないくらいの高さなのは間違えにい。
その絶壁には柵などなく、ただ地下鉄のホームのように、「ここから先危険」と黄色い破線が記されているだけ。

黄色の点線
[この黄色い破線の外へ出てはいけません]

ここでもタイの人たちの写真を撮るポーズが面白い。
人気はジャンプをしている写真の様だ。
また、女性を中心にした中年のグループは横一列に広がって写真を撮っている。
私も、クジラの背の上で寝転がっている写真を撮ってもらった。

クジラの背で横になる
[クジラの背で横になる]

親子クジラで、左で一番大きいのがお父さんクジラ、真ん中がお母さんクジラ、そして右の小さいのが子供のクジラということになっていて、お父さんクジラの上でポーズを決めているのをお母さんクジラの背から写真に撮るのが人気らしい。
そうすることによって、クジラの背に乗っているイメージが写真に写せるようだ。
また、いるだろうなと思っていたら、やっぱりドローンを飛ばして上から撮っている人もいる。
ここのクジラたち、おでこの形からするとマッコウクジラのようだ。

マッコウクジラ
[転落防止の柵がないので、傍で見ていてハラハラする]

クジラ岩の次にゾウ岩というところへ連れて行ってもらった。
ここは、鼻の長いゾウのような岩があるところで、眺めるだけ。
ゾウの背中に乗るとかはできないので、ちょっと写真を撮ってすぐ出発。

象岩
[いわれて見りゃ、なるほど象ですね]

最後に門の岩があり、巨石によってできた狭い門のようなところがある。
門の先には展望が開ける。
さらにトラックで少し進んだところでは、足元の岩にはたくさんの丸くて大きな穴が空いている。
100の穴の岩(サーンローイボー)という名前だそうだ。

100穴の池

[サーンローイボー]

以上でクジラ岩のツアー終了。
そしてブンカーンの見学もお終い。
他にもブンカーンには有名な滝があるらしいのだけれど、タイの滝は、滝を見慣れている日本人からすると、落差もあまりなく、水の色も茶色いので、わざわざ見に行くほどでもないかなと思われる。
ウドンタニから午後の飛行機でI氏がバンコクへ戻られるので、ウドンタニへと向かう。

メコン川沿いの国道を走るが、メコン川の流れはほとんど見られない。
しかし、道は快調で走りやすい。
たまに集落を通り抜けるが、そろそろ昼時なのに、めぼしい食堂を見かけない。
できればメコン川沿いで、川風に吹かれ、対岸のラオスでも眺めながら食事をしたいと思っているのだが、なかなかチャンスが巡ってこない。
そうこうするうちに国境の街ノンカーイが近づいてくる。

ままよと、国道から右にハンドルを切り、国道より一本メコン川沿いの田舎道に入る。
しばらく行くと、ちょっといい感じの店がある。
ヨシこれにしようとちょっと行き過ぎたところからUターンして戻る。
カフェのような店であったが、料理も食べさせるらしい。
隣には世界のビールを飲ませる店も並んで、生ビールのタンクが転がっている。
こんな感じのところで、昼からビールを飲んだらうまいだろう。
私たちは、川に向かって並んだカウンターせきのようなところに腰を落ち着けた。
絶景を見飽きるほどに見てきたので、いまさら景色がすごいとかないのだけれど、対岸のラオスがすぐ目の前。
そして川では、漁をしている細長い小舟が行き交う。
ラオス側では砂利を砕石しているのか川砂を集めているのかショベルカーが動いている。
鶏肉のバジル炒めライスをいただく。

メコン川を眺めながらのセンチ
[男の背中]

午後2時過ぎにウドンタニの空港へ到着。
ここでお別れしたI氏に代わって、うちのタイ人スタッフを拾う。
こんどはこれからルーイ県のチェンカーンへ向かう。
これも200キロほどの道のりで、3時間ほどかかりそう。
でも、少し飛ばせは夕方5時に出るサンセットクルーズに間に合うかもしれない。

グーグルの地図によると、ウドンタニから西に向かう国道からノーンブアランプー県内で北西に伸びる田舎道が表示されて、その道を走った方が距離が短くて済みそうである。
このあたり、山も多いので田舎道はクネクネとカーブが連続する。
対向車もほとんどないのだけれど、集落の中を抜けるときはスピードを落とさなくては危険だし、ときどきこのあたりで産するタピオカを満載したダンプカーが前を走っていたりすると、道が狭いので抜かすのに一苦労する。
走行しているうちに、タイ人スタッフの様子がおかしいから車を止めた方が良いと後部座席からご注進がはいる。
集落の中で車を止めたら、スタッフは何も言わずに車から飛び降りて、民家の前の軒先で嘔吐を始めた。

燃料メーターが点滅し始めた。
こんな田舎ではガソリンを入れたくない。
ちゃんとした国道沿いのスタンドで入れたい。
このあたりで売っているガソリンは雑貨屋の軒先で、味の素や洗剤なんかと一緒に、タイウイスキーの瓶に詰めて売っているもので、バイク用である。
点滅し始めても70kmくらいは走り続けられるだろうし、それだけ走れば国道に出れるだろうと楽観していた。
しかし、どこまで走っても延々と田舎道。
しかも、集落さえほとんど途絶えてしまった。
道の状態は悪くないけど、アップダウンがあるので、燃料消費に影響しそう。

そろそろ本気でまずいかなと思うところで国道に出ることができたけれど、国道沿いにもスタンドも集落も見当たらない。
燃料切れで止まっても、4人もいるから押してもらおうかなどと考えているうちにとうとうチェンカーンまで来てしまった。
点滅が始まて100キロほど走ったことになる。
チェンカーンはちょっとした町だけあって、ガソリンスタンドも並んでいる。

メコン川の船着き場に到着したのは5時半。
既にサンセットクルーズは出港してしまっていた。
しかし、20人くらい乗れるボートを雇えるというので、600バーツ払ってボートに乗り込む。
本当はメコン川に沈む夕日を見たかったのだけれど、サンセット・ビューポイントにたどり着いた時には、既に太陽は沈み切ってしまっていた。
それでもまた夕焼けは残っており、船の上から何枚も夕焼けの写真を何枚も撮った。

メコン川の夕焼け
[夕日は見れなかったけど、夕焼け空は綺麗だった]

30分程度の舟遊びではあったけれど、岸に戻ったらもうすっかり真っ暗になっていた。
岸では、ロイクラトン祭りで浮かべるクラトンを川に流そうとしている家族連れがいた。
あとで調べて知ったことだけれど、チェンカーンではパサート・ロイ・クラウといって、お祭りに限らず、浮き灯篭を川に流す風習があるそうだ。

パサート・ロイ・クラウ
[パサート・ロイ・クラウ]

今夜の宿はバンコクから来た二人とは別宿。
ケチケチな私はチェンカーンでも一番安い宿屋を探して予約しておいた。
チェンカーンで人気なのは、ウォーキングストリート沿いのペンション風で、バンコクの2人はそっちへ。
私はタイスタッフは路地奥の民泊のような木造簡易宿泊施設。
でも、駐車場があるのはありがたい。

夕食にはまた二人と合流して、ウォーキングストリートの夜店をひやかしながら、めぼしそうなところを探す。
夜店は多いけれど、夕食になりそうなものはあまり売っていない。
食堂も少なく、少ない食堂は観光客であふれている。
チェンカーンはノスタルジックな街で、タイ人に人気が高いらしいが、これにしてもバンコクの人混みをそのまま持ってきたのではないかと思うくらいの状況になっている。

ウォーキングストリート
[観光客でにぎわうウォーキングストリート]

ようやくありつけたのはソムタム屋。
つまりイサーン料理屋。
ビールがうまい。
隣のテーブルの男性は、タイでは禁止されている電子タバコを吸っている。
電子タバコが禁止なだけではなく、食堂での喫煙も禁止されているにみかかわらず、マナーの薄い客のようである。
が、彼なりのマナーのつもりなのか、吸った煙は自分のシャツの中、首のところを広げて、中に吐いている。
しかし、そんなことをしたってシャツがフィルターになるわけでもなく、タバコの煙はすぐに漏れ出してくる。
たぶん何か勘違いしてるんだろうな。

ウォーキングストリート
[夜9時を過ぎると人通りも減ってくる]

12月7日
朝6時前に出発して、チェンカーンの街はずれにあるプートーク山に登る。
ここは雲海とご来光が見られるスポットとして人気があり、まだ暗いうちから山に向かう車が多い。
プートーク山も麓でトラックに乗り換えて登らなくてはならない。
乗り合いトラックは往復で一人25バーツ。
朝靄が立ち込める中をトラックの荷台に乗り込んで山を登っていく。
それにしても寒い。
トラックの荷台は吹きさらしだし、薄着では凍えてしまう。
あとで確認したらこの朝のチェンカーンの気温は11度だったとのこと。
プートークへのトラック
[霧の降る暗い道をトラックで登る]

プートーク山の山頂は観光客でいっぱい。
まだ暗いけれど、下界を見ると真っ白く雲海が出ているのがわかる。
寒さに凍えながら日の出を待つ。
空から星が消え、紫色からオレンジ色に東の方で色が変わっていく。

夜明け前のプートーク山頂
[凍えながらご来光を待つ]

6時半、無事にご来光を拝むことができました。
そして、下界は一面の雲海。
前回来た時は、雲海が見られなかったけれど、これで満足。
あれはタイの山なのか、ラオスの山なのかはっきりわからないけど、たぶんタイ側のように思えるのだが、その稜線の一部の峰が飛び出している部分があり、そこから太陽が顔を出してきた。
やっぱりご来光をバックに写真を撮っている人が多いけれど、ご来光をバックにしたら、顔が真っ黒になってしまうだろう。

ご来光
[太陽が見えてきました]

いまここに何百人か、それ以上の観光客がいるかわからないけれど、この人たちももうご来光を拝んだので、一斉に下山を開始するはず。
出遅れたら、下山のトラックの順番待ちでどのくらい待たされるかわからないので大急ぎで、トラック乗り場へ向かう。

観光客
[この人たちより先に下山しなくては]

プートーク山を下りたら、チェンカーンの街で朝食でも食べようかと思っていたが、年末タイ人スタッフに行かせるツアーで、チェンカーンから北に行ったところのプーラムドゥアンというやはり丘の上からご来光、しかも初日の出を見せるというものがある。
事前に下見をさせておくことが得策と考えて、チェンカーンでの朝食を諦めてプーラムドゥアンへ向かう。
霧が深くて、前が良く見えない道を走る。
左手にはメコン川。
乾季で水が少ないからか、水深が浅くて、岩が露出して、瀬のようになっている箇所が多くみられる。
これでは船の航行ができないだろう。
25年も前に初めてラオスへ行ったとき、ビエンチャンからルアンブラバーンへ行くには、山賊が出る国道を走るバスは危険ということで、飛行機に乗ったが、時間がかかるけど船便もあると聞いたけれど、現在はもう船は航行していないのだろう。

プーラムドゥアンは、徒歩で登るものとばかり思っていたけれど、到着してみたら、登山専用の車があった。
車と行っても、耕運機を改造したような車で、なんともユニーク。
これに乗らないといけないらしいが、なんとも鈍い乗り物で、歩くスピードと変わりない。
まぁ、アトラクションの一つみたいなものか。
運賃は一人60バーツと遊園地の乗り物と同じくらい。
しかし、こんな土地が余ってる場所でもしっかりと駐車料金を取られたのには驚き。

耕運機カー
[耕運機カーと名付けました]

耕運機カーの乗り心地はあんまり良くない。
そして、やっぱり寒い。
プートークのトラックのように風を切って走り、寒風で凍えることはないけれど、冷たい霧が骨に浸み込んでくるような寒さを感じる。

20分くらいゴトゴトと登ってプーラムドゥアンの頂上に到着。
ここはプートークと比べると標高が低いせいか、雲海の上に出ることなく、霧の海の中。
周りを見回しても、真っ白で何にも見えない。
そんな山頂でキャンプをしているグループがあり、カップ麺などをすすっている。
耕運機カーを運転してきたおじさんは、もう少ししたら雲海が見えるという。
たしかに展望台のような施設はあるのだけれど、空を見ても太陽さえ見えないくらい霧が深い。

展望台への桟道
[白い霧に包まれた景色もタイ人は好きみたいです]

30分ばかり山頂で凍えながら待っていたら、雲海が見えたというので、山の西側を見に行くと、なるほど規模は大きくないが、西側は霧が晴れて青空が見え、遠くに山並みも確認できる。
そして、下界には白い雲海。
でも、さっきプートークで凄すぎる雲海を見てきてしまった目には、迫力を感じない。

プーラムドゥアンの雲海
[プーラムドゥアンからの雲海]

耕運機カー

今日は、チェンカーン郊外に新しくオープンしたスカイウォークを見学し、バンコクから来た二人を11:30くらいまでにルーイ空港まで送り届けなくてはならない。
プーラムドゥアンで時間を食ってしまったので、時間が切迫している。
もともとチェンカーンで朝食を食べてから行動するつもりだったので、宿もチェックアウトしていない。

大急ぎでチェンカーンへも戻り、チェックアウトを済ませて9時過ぎに再出発。
スカイウォークは新しい観光名所ということもあり、スカイウォークへ向かう車が多い。
バンコクナンバーなど遠くから連休で行楽に来ている車たちをどんどん追い越して行く。
スカイウォークもお寺の境内の施設で、メコン川とフェーン川の合流地点の丘の上にある。
ここはもともと大きな直立仏(遊行仏)が聳えていて、観光地のようになっていた様なのだけれど、このスカイウォークはここの人気を一気にスターのようにしてしまった。

巨大な遊行仏
[これは丘の上にそびえる遊行仏の後ろ姿]

麓の駐車場は急造で切り開いた土地に車を停めさせるだけの場所で、土埃が舞っているが、それでもすごい数の車が来ている。大型バスも何台も止まっている。
ここから丘の上まで、大した距離ではないのだけれど、ここでもやはり専用のトラックの荷台に乗らなくてはならない。
観光客の数がものすごいので、トラックも次々とやってきては、観光客を満載して登っていく。

スカイウォークへのソンテオ
[スカイウォークへのソンテオ]

丘の上では、スカイウォークを見学するための番号札をもらうことになっており、観光客急造のために大急ぎで作った感じで殴り書きの数字が書かれた札をもらう。
そして、スカイウォークは一度に登れる人数が制限されていて、この番号順に呼び出しされるシステム。

スカイウォークの人気はすごいが、スカイウォークのある丘からの眺めも悪くない。
景観だけから言ったら、スカイウォークからでも、丘の上の展望台からでも、大差ないように思えるのだけれど、やっぱり物珍しさは、景観に大きなアドバンテージを与えるようだ。
タイとラオスの国境は、メコン川と言うことになっているが、ここから上流はフェーン川が国境となり、メコン川はラオスの国内の内陸河川となる。
もっとも、18世紀ころまでは、ルーイ県そのものも、ラオスのランシャン王国の領土であったわけだから、メコン川が国境になったのも、そんなに古い話ではないのだろう。

フェーン川とメコン川の合流地点
[フェーン川とメコン川の合流地点]

空港へ向かう時間が迫っていて呼び出し番号の進み具合がじれったく感じる。
それでも、待つこと20分ほどで、呼び出しがかかる。
このスカイウォーク自体は、お寺の客寄せ施設のためか、これだけの施設だけれと入場料はかからない。
ただし、スカイウォークを歩くには専用の靴カバーをかけなくてはならない。
これが30バーツ也。

スカイウォーク
[観光客でいっぱいのスカイウォーク]

また、スカイウォークには飲食物の持ち込みも禁止されている。
スカイウォーク内での滞在時間は数分間と制限されているから、スカイウォークからの眺めを楽しみながら食事をしようなんて人はいないだろうけれど、飲食物をこぼして、ガラスの床が汚れたり滑ったりするのを防ぐためなのだろう。

呼び出された同じ番号の札を持つ一団の一人としてスカイウォークへ進む。
タイの人たちの記念写真の撮り合い合戦。
ソーシャルディスタンスも関係なく、お団子のようになって押し出されながら、それでもみんな必死で写真撮影、セルフィー撮影。
ここでは時間制限があるので、何カットものポーズを決めるのは難しそうだ。
スカイウォークからの景色を楽しんでいる人はほぼ皆無。
このスカイオーク、床も柵も透明なガラス張り。
しかし、ガラスの床下を覗いても、特別景色が良いわけではなく、ただ空中の高いところいることを実感できるだけでしかない。
柵そのものも、ガラスであってもなくても、景観には影響を与えていない。

足元
[足元を見ると、ガラス越しに樹上高く空中にいることがわかる]

それでも、数分間の滞在を、私もほとんど写真を撮ることだけに使って、スカイウォークから押し出されて、地上へ戻った。
そぁ、また大急ぎで空港へ戻らなくては。

観光客
[ガラスの床に座り込んで写真撮影する観光客]

山の中の裏道を走る。
これが空港への最短ルートらしい。
T君にナビゲーターになってもらい、ひたすらハンドルさばきに専念する。
遠回りでも国道の方が道が走りやすいかもしれないけれど、連休なので渋滞とかの心配もある。
山道と国道のどっちが早いかは神のみが知る。
昨日ガソリンを満タンにしてあるので、今日は山の中でガス欠を心配する必要もない。

なんとか11時過ぎにルーイ郊外の国道に交流する。
これなら楽勝かと思ったが、国道は交通量も多く、交差点ごとに赤信号に引っかかって、予想外に時間がかかる。
ルーイ空港に到着したのは、11時半を回っていた。
もっとも、空港で別れたバンコクからの2人によると、車から降りて30秒後には搭乗口にたどり着けるほど小さな空港だったとのこと。

ルーイ空港ターミナルビル入口
[ルーイ空港ターミナルビル入口]

ルーイからピサヌロークまでタイ人スタッフと二人きりとなる。
ルーイの町はずれで、朝食抜きで腹をすかしていたこともあり、道端の食堂ですぐにランチとする。
それ以降、スタッフはピサヌロークに到着するまでずっと助手席で居眠りをしていた。
彼はこの4日間勤務扱いになっているのに、これは勤務中に居眠りをしているのと一緒ではないか。
しかも、上司たる私に運転をさせておいて、、。

ピサヌロークには4時過ぎに到着。
走った距離は1400kmにもなっていた。

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