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伊豆下田温泉一泊旅行
12月11日 日曜日 ~ 12月12日 月曜日

一泊二日で妻と伊豆下田温泉へ行ってきた。
宿泊先は伊東ホテルチェーンの「はな岬」。
このホテル、以前は随分とお世話になったホテルで、仕事でもプライベートでも何度も利用させてもらった。
もっとも20年も前の話で、当時はなかなかいい温泉ホテルだった。

かつてのはな岬での夕食
[結婚直前の妻と母とで宿泊したときの夕食 当時は上げ膳据え膳だった]

確か夕食には女将御自慢のビーフシチューが出て、なんとなく磯料理中心のメニューにチグハグな感じもあったが、私は好きだった。

仕事ではドイツの自動車会社の社員旅行を受注手配させてもらった時、その自動車会社系列のバス以外使うことは好ましくないと指定されたことがある。
当時、東京都内にそのメーカーのバスは何台もなく、社員さん全員を乗せきれそうになかったし、値段の随分と高いことを言われた。
しかし、他社のバスは好ましくないなら、バスそのものを使わない方法を考えてみた。
JRに交渉して、団体専用の急行電車で車内の座席をすべてグリーン車のシートに交換したものを借りることができた。
臨時特急用のスケジュールも割り当ててもらった。
ただし、東海道線を走るので、8両編成で買い取りしなくてはならないとの条件を付けられたが、その分割引料金も出してもらった。
下田駅から宿までは、ぞろぞろと歩いてもらった。

ホテルの館内で羽毛布団の販売を始めたころから、なんとなく変な感じになってきて、疎遠になってしまっていた。
そして、伊東ホテルチェーンになっているということは、倒産でもしてしまったのだろう。

かつてのはな岬 外観
[平成3年3月のビデオから]

そして、なぜ今頃になって下田温泉へ行こうという気になったかと言うと、昭和初期の映画で上原謙さんがバス運転手役で主演した「有りがたうさん」を見たからで、映画の冒頭で下田の風景が出てくる。
その風景が20年以上前に何度か眺めた景色と重なり、郷愁を呼び起こした。
映画そのものも、昭和初期の不況で苦しい時代にありながら、軍国主義一色になる前の日本の良心が感じられてとてもよかった。

昭和初期の下田の風景
["有りがたうさん"からのキャプチャー]

現在の下田
[現在の下田温泉ホテルはな岬より見た河口側]

下田温泉までは伊東ホテルチェーンで用意してくれてる送迎バスを利用。
新宿の工学院大学前08:45集合とのことで早起きして向かう。
乗客の平均年齢が高い。
もっとも日曜日の泊りだから、勤め人は利用が難しいから、必然的に老人会的な乗客構成になるのだろう。
中に一組、2人だけ30歳前後の女性がいた。
バス車内でも大きな声でおしゃべりをしていたが、話している言葉は中国語であった。

多摩川を越えるあたりから正面に富士山が見えてきた。
小田原の休憩所に入った時には、箱根の山々を前山にして、半分雲に隠れた富士山を望めた。
今回の一泊旅行の目的地として下田温泉以外に、箱根の強羅も候補に挙げていた。
これも昭和初期の映画で、少女時代の高峰秀子が出てくる「虹立つ丘」を見て、舞台が強羅ホテルと言うものがあった。
強羅には小学生だったころ、何度か家族で来たことがあり、宿の近くの強羅駅で出入りする登山電車を飽きずに眺めていた記憶がある。
そこで「強羅ホテルもありかな」と思っていたら、こちらは倒産どころか、建物自体がとっくに取り壊されて、この世から消えていた。

小田原から真鶴、熱海を過ぎて、伊豆半島の東海岸線沿いに南下する。
稲取あたりからは大島も見えてくる。
大島にも妻と一緒に調布飛行場から小さなプロペラ機に乗って行ったことがある。
港に近い小さな古い旅館で、"明日葉"の天ぷらを食べさせてもらった。

ホテルはな岬には午後2時に到着。
まだお風呂には入れないとのことだが、部屋には入ることができた。
伊東ホテルチェーンのお定まりで、部屋には既に布団が敷かれている。
部屋の清掃はされているが、補修までは手が回っていないようで、壁のシミや家具の傷が目立ち、かなり老朽化している。
それとトイレの掃除が不十分なのかちょっとおしっこ臭かった。
思い出の旅館だけれど、思い出とともに確実に時間が流れ去っていることを実感した。

お風呂は3時すぎからと言うことなので、下田の街を散歩してみる。
宿の周辺ではアロエの花があちこちで咲いていた。
バンコクでもアロエなどどこにでも生えているが、赤い花を咲かしている姿は記憶にない。

アロエの赤い花
[アロエの赤い花 後ろは現在のホテルはな岬]

下田の街は、しっとりとして落ち着きのあるいい街並みだった。
蔵造の建物も多く、古い建物を利用したカフェがあったり、ただ古いだけの民家であったり。
足湯もあちこちに用意されている。
「牛乳あんパン」と書かれたパン屋があり、覗いてみる。
牛乳あんパンと言うものの断面図があり、アンコの上にクリームが載っているらしい。
妻が欲しがり、牛乳あんパンと大粒栗入りアンパンを購入。
普通のアンパンが、今いくらするのかわからないけど、2つで500円くらいだった。

街中のあちこちに空色や白の風車がたくさん飾られていた。
それもたくさんの小さな風車を壁や柱などに付けている。
下田は風車の街なのだろうか。

また、生垣にブーゲンビリアを植えているところも多かった。
日本でもブーゲンビリアが育つとは知らなかった。
下田はそれだけ温暖な土地と言うことなのだろう。
しかし、タイでいつも見ているブーゲンビリアと比べると、緑の葉っぱや紫の花(葉)も、なんだか椿のように寒さに震えているような感じがする。

下田のブーゲンビリア
[ブーゲンビリア ここにも足湯の設備があった]

ペリーロードと言う小川沿いの道に出る。
黒船のペリーの名前を付けた遊歩道のような道なのだが、両脇の建物は随分と古い建物で、大正時代にタイムスリップしたような感じがする。
民家もあるが、カフェなどに改装されている建物もある。
ここは観光地らしく、自撮り棒を付けた携帯電話で写真を撮っている人が何組も見られた。
台湾人のカップルらしい観光客もいた。

ペリーロードの小川
[ペリーロードの小川]

小川沿いには古い建物だけではなく、柳の並木が情緒を一層盛り上げている。
歩道にはベンチもあって、ちょっと一休み。
妻ももの雰囲気が気に入ったようで、携帯電話でパチパチと写真を撮っていた。

柳並木
[小川沿いの柳並木]

クロネコの看板
["パスタと雑貨"看板にはクロネコの後ろ姿]

民家の2階ベランダからは柴犬だろうか、犬が顔を出していた。
前足をチョコンと揃えたりして、ポーズもなかなか決まっている。

アイドル犬
[2階から顔を出してるの犬]

犬に気づいた観光客は足を止めて、何組かが「可愛い」「かわいい」と言いながら写真を撮っていた。
犬もちょっとしたアイドル気取りなのだろうか。

犬の写真を撮る人たち
[犬の写真を撮る人たち]

ペリーロードから宿まで、ひざの関節が痛むという妻をおんぶしたりしながら、たくさんの漁船が係留されている河口沿いを歩く。
"有りがたうさん"のバスの発着場所はこんな感じのところだったのではないかと思いめぐらしていたら、「伊豆の踊子別れの汽船のりば跡」と言う看板があった。
"伊豆の踊子"の作者は川端康成だったし、"有りがたうさん"の原作も川端康成だった。

宿に戻って、温泉に浸かる。
少しぬるいくらいに感じるが、露天風呂にのんびりと入っているには好都合。
陰っていく太陽光線で裏山が少しずつ色を変えていくのをじっくりと眺めていることができた。
お風呂も補修が手薄気味なのが少し残念。
20年前と比べて、宿泊料金が半額以下になっているのはうれしいけれど、このまま補修を施さずにいると、やがては修繕不能になって、本当に廃業することになるのではないかと心配になる。

が、1泊2食付きが8,000円ほどで、飲み放題付きは魅力で、そのお楽しみのバイキングの夕食時間となる。
宿泊客の入りは半分くらいなのだろうか、正直なところ大した料理は並んでいないが、バンコクに暮らす私としては、どれもこれも美味しそうに見えて、ついついあれもこれもと手を伸ばしてしまう。
ちょっと小さく刻みすぎと思えるお刺身もあるし、郷土料理風の鍋もある。
それから地酒も何種類か用意されてて、大変ハッピー、上機嫌になる。
しかし、以前なら酩酊するくらいお酒を飲んだものだが、どうも最近はホロ酔い程度までしか飲めなくなった。
食べる方も、以前のようなバカ喰いができなくなっている。
でも、けっこう食べましたよ。
ひとしきりバイキングの料理を妻加太最後には、かつて女将御自慢のビーフシチューはなかったけれど、シェフ自慢のカレーライスまで食べてしまった。

夕食後にもう一度お風呂に浸かる。
今度は月を眺めながらの露天風呂。
もう何日かしたら満月になりそうな明るい月夜だ。

風呂の入り口の額に漢詩が書かれていた。
李白の"山中与幽人対酌"のようだ。
高校生の時の漢文で習った記憶があるし、中国・安徽省馬鞍山の詩吟大会ツアーへ同行して行ったときにもなんども接している。

李白の漢詩
[風呂場の入り口に飾られた李白の"山中与幽人対酌"]

しかし、漢字で書かれた漢文を眺めて、少し文字の意味がわからないところがある。
ちょうど、その風呂の入り口に「東洋整体・マッサージコーナー」があり、整体師の女性が暇そうに座っていた。
たぶん中国の方だろうと思って声をかけたら正解で、早速意味の分からない部分を質問させてもらった。
「卿」と言うのは"あなた"と言う意味だそうだ。
なるほど、なるほどと、ちょっと声を出して漢詩を読んでみる。
整体師さんに中国語の発音をところどころ直してもらったりするが、しかしどうにも出だしのところがおかしい。
両人対山花開
一杯一杯復一杯
我酔欲眠卿且去
明朝有意抱琴来
七言絶句のはずなのに、最初の部分が6文字しかない。
"両人対酌"の酌が抜けている。

<hr>

翌朝、夜明け前に目を覚まし、そっと布団から抜け出して温泉に入りに行く。
早朝ではあるが、宿泊者に年配者が多いからか、浴場には先客が何人も来ていた。
小グループで来ている入浴者もあり、温泉に浸かりながら、ゴルフの話題で盛り上がっていた。

露天風呂に浸かり名から、日の出を待つ。
空の色が濃い紫から、だんだん明るい色に変わっていく。
もうだいぶ明るくなってしまっても、なかなかお日様は顔を見せてくれない。
さらにしばらく待つと海上からの日の出ではなく、入り江の先の岬のようなところから太陽は昇って来た。
「妻の足が早く良くなりますように」とお日様に願をかける。
部屋に戻ると妻も目を覚ましていた。

部屋からの眺め
[部屋の窓から朝の静かな海が見えるというのは気分の良いものだ]

朝食もバイキング。
朝食にも小さく刻まれたお刺身が出ていた。
小鯵の干物もあるし、ワサビ漬けもある。
お粥もあればお茶漬けもある。
炭水化物の大好きな私としては、大変満足のできる内容だ。

朝食後、宿の前の魚河岸を覗いてみる。
ちょうど入港した漁船から赤くて目の大きな魚の入った氷詰めケースを降ろしている。
どうやら金目鯛らしい。
大きくて立派な金目鯛だ。
ホテルでも1000円の追加代金で金目鯛の煮物が注文できるが、この河岸の金目鯛とは比べものにならないくらい小さかった。

金目鯛
[大きな金目鯛]

温泉に入り、11時過ぎにチェックアウト。
帰りのバスは午後2時集合とのことだったので、昨日行ったペリーロードまで散歩に出る。
ペリーロードの突き当りには庭のきれいなお寺があった。

了仙寺
[了仙寺]

ペリーロードには雰囲気の店が多い。
観光客目当ての店であっても、派手だったり、やたらゴチャゴチャと土産物を並べたりせず、散策には最適だ。
会社のタイ人スタッフを連れてきてあげたら、きっと感動するのではないだろうか。
壁にブーゲンビリアが這っているスナックがあり、店の入り口には足湯(手湯かな)の桶を置いていた。
しかも、お金を取るわけでもないのに、桶の横の棚にはハンドタオルが用意されていた。

ペリーロードのスナック
[入り口横に温泉桶があるスナック]

お昼時だけど、朝ごはんを食べすぎたのでおなかも空いていない。
古い建物の、こちらはちっとも改装していない、やたらと古い雑貨屋の店先にミカンがビニール袋に詰められて売られていた。
一袋300円也で、かなり高齢のお婆さんが店番をしていた。
ちょっと耳が遠いようだったが、帰りのバスの中ででも食べようと思いミカンを一袋買う。

もっとたくさん時間があればカフェにでも入ってのんびりしたいところだった。

寒そうなネコ
[黄色い壁のカフェの前にいたネコ 寒そうにしていた]

午後2時に帰りのバスに乗り込む。
来る時と同じ運転席のすぐ後ろの席であったが、来る時とはバスの車種が違うのか少し狭いシートだった。

東名高速道路で事故渋滞に巻き込まれ、新宿に着いたのは夜7時半を回っていた。

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