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台湾中央山脈越え 前編
5月11日水曜日
これから台湾へ遊びに出かける。
今回の旅行ルートは、台湾到着後、台中、埔里を経由して蘆山温泉に宿泊。
翌日、翠峰、大禹嶺を途中の徒歩行程を含めて花蓮まで進んで宿泊。
最後は東海岸線沿いに台東へ、さらに高雄経由で夜行列車で空港へといったものを予定している。

ここ数日、今回利用する午前3時過ぎにドンムアン空港を出発する飛行機に乗るために、どのようにしてドンムアン空港へ行くべきかと悩んでいた。
我がアパートからだとドンムアン空港へ行くのはかなり不便。
もちろんタクシーに乗ってしまえば面倒などないのだが、せっかく格安の飛行機の切符を取って、タクシーなんかにお金を使うのは気が引ける。
ケチな根性を出して路線バスを乗り継いでいこうとも考えたが、Webで調べてみたら、アパート近くを走る路線バスは夜10時が最終らしい。
悩んだ挙句に、考えついたのは、いったんスワナプーム空港まで行き、そこから空港間連絡バスに乗るというプラン。
連絡バスの最終便が午前0時なのも好都合。

ネコは留守番
[今回もネコは留守番です]

と言うことで、ギリギリまでネコとゴロゴロして、夜11時前にアパートを出る。
スワナプーム空港までならエアポートリンクですぐだから余裕たっぷりのはずだった。
しかし、ラムカムヘンの駅でエアポートリンクの切符を買おうとしたら、販売機がすべて停止していた。
そうこうしているうちに一本乗り過ごしてしまった。
さらに15分後にやってきた電車は途中で故障して、しばらく立ち往生、挙句の果てはスワナプーム空港駅に到着してもホームドアが開かないというトラブル続き。
結局、ゆとりなどまったくなく、空港連絡バス乗り場(2階3番出口前)へ急ぐことになった。
このバスに乗るには、ドンムアン空港発の飛行機の切符を提示することになっているようで、プリントアウトした予約確認書を見せたら、チェック済みとしてスタンプを押された。
そのスタンプは「ドラえもん」のスタンプであった。

ドラえもんスタンプ
[航空券所持確認済みスタンプはドラえもん]

<hr>

5月12日木曜日
午前0時発の空港連絡バス最終便の乗客は私一人であった。
我がアパート前の高速道路を走り、45分でドンムアン空港到着。

ノックスクート チェックインカウンター
[ノックスクート台北行きのチェックインカウンター]

今回乗るのは昨年11月に利用した格安航空ノックスクート。
前回利用したときは、ガラガラだったけれど、今回はチェックインカウンターに長い列がとぐろを巻いていた。
行列すること45分。
ようやくチェックイン手続きの順番が回ってきた。
「なるべく楽な席にしてよ」とお願いしたら、「足元の広い通路席にしましたよ」とのこと。
さて、どんな席だろうか、前回と違って横になれるほどの空席があるとも思えない。

搭乗口前のベンチに座って、小さなビンに100ccほど詰めてきたタイウイスキーをチビチビやる。
チェックイン後にコンビニで買ったピーナッツもポリポリ。
この便が今夜の最終便らしく、次の出発便は早朝5時台。
そのためかエアコンを切っているようで、床に置かれた扇風機が回っている。
そしてアルコールも回ってきたのか、待合室は蒸し暑い。
いつもならもうとっくに寝ている時間なので、早く乗り込んで寝てしまいたい。

ドラえもんスタンプ
[タイウイスキーとピーナッツ]

午前3時にノックスクートXW182便に乗り込む。
チェックインカウンター氏は確かに良い席を用意してくれていた。
31Dと言うシートはドアのすぐ横で、前方は壁なので、足元が十分広い。
しかも4席並びのシートに私一人である。
搭乗率は80%くらいのようなのに、これはラッキーである。
欲を言えば、最前列の席はひじ掛けが固定されており、せっかく4席とも空いていても、横になることができない。

足元と広々
[足元広々いい座席をもらった]

台北までの飛行時間は3時間15分と機長アナウンスがある。
上手く行けば、朝8時の台中行きのバスに乗れるかもしれない。

離陸は予定時刻の3時半を回っていた。
「さぁ、眠ろう!」と思う。
横にはなれないが、斜めくらいにはなれる。
足も延ばせる。
でも、なかなか寝付けない。

「台北まであと300マイル、着陸態勢に入る」とのアナウンスがあって起こされる。
時刻は台湾時刻で7時、これは早く到着できるかなと、期待が湧く。
台北への着陸は7時45分。
雲が厚い。
着陸したのは良いが、再び機長アナウンス「ゲートの準備が整わないので、このまま20分ほど待機する」とのこと。
なんだ、やぱり8時のバスはダメかぁ、とあきらめたら、ものの数分でゲートへ向かって動き出した。

大急ぎてバス乗り場へ向かったが、タッチの差で台中行きのバスに乗り遅れてしまった。
次のバスは一時間後。
待ち時間を利用して台湾滞在中にネット接続するためのフリーWiFiスポットサービスのiTaiwanの設定をしようとする。
しかし、うまく設定できず案内カウンターの人に手伝ってもらう。
トイレに行ってしゃがむこともできた。
機内のトイレは2箇所が壊れていたので、しゃがむのは遠慮していたが、これですっきりした。

台中行きUバス
[台中行きUバス この時間帯は桃園空港から台中まで230元と割引対象]

9時5分に台中行きバスは出発。
足元も横幅も広いソファのような座席で座り心地が良い。
USBの電源もあるが、通電しておらず使い物にならない。
座席のポケットには車内でのWiFi接続方法の説明が入っていた。
手順通りにやってWiFi接続はできたのだが、通信は不安定でネットが途切れがち、バッテリーばかりが減っていくのでストレスがたまる。

車内WiFi利用説明書
[バス車内での無料WiFi利用説明書 しかし接続は不安定]

台中には11時15分に到着。
ここでも埔里行きのバスは出たばかりのようで、次のバスまで30分待ちのようだ。
待ち時間を利用して少し近くを歩いてみる。
宮原眼科と言う名の菓子店は前回同様に、平日の昼にもかかわらず繁盛している。
特にアイスクリーム売り場は行列ができて、オジサンおばさんたちまで路上でアイスクリームを舐めている。
この人たちはなんとなく中国大陸からの観光客のようにも見える。

台中駅前ロータリー
[台中駅前ロータリー]

路地には昔ながらの旅社がまだ何軒か残っていた。
宿泊料を書き出してあるところもあり、一泊300元代からあるようだ。
いずれも老朽化して、メンテナンスも良くなさそうだが、とにかく安い。
旅社の看板にはタイ語やベトナム語で書かれているものもあり、そうしたところは時間貸しの表記もある。

埔里行きバス時刻表
[埔里行きバス時刻表]

バスターミナルの時刻表には11時45分発と書かれていた埔里行きバスは11時55分に台中を出発した。
古い車体のバスだが、座席は3列シートのソファー仕様で座り心地は悪くない。
バスの中ではウトウトしたり、景色を眺めたり。
途中、国道6号線と言う高速道路を走ったが、料金所のようなものは見かけなかった。
見落としていただけかもしれないけれど、台中では市内バスも近距離は無料など、このあたりではこうした公共面での無料化が進んでるのかもしれない。

埔里には午後1時少し前に到着した。
次の蘆山温泉行きのバスは、1時発だから今度は上手い具合に乗り継ぎできそうだが、わざと一本見送ることにした。
まだ、台湾に来て食事をしていないので、埔里で昼食を食べておきたい。
炸醤麺が食べたいと思い、市場周辺を歩き回るが、見つけられない。
麻醤麺というゴマダレのモノならあちこちにあるのだが、気分は炸醤麺だから仕方がない。
しかし、そんな気分も「手工水餃子」の看板をみたら、「やっぱり台湾は餃子だな」と思えてきて、そのままその店に入ってしまった。
注文したのはニラの水餃子5個とキャベツの水餃子5個の計10個。
それに牛肉湯麺。
ところが「牛肉湯麺」と注文したら店の人が「牛肉はないよ」と言う。
ないなら仕方がないし、他のモノを注文する気にもならないので「なら要らない」と答えたところ、
「牛肉麺なら牛肉があるよ」と言う。
どうやら、品切れとかではなく、牛肉湯麺には牛肉が入っておらず、牛肉を食べたければ牛肉麺を注文しろと言っているらしい。
が、私は牛肉を食べたくないので「牛肉要らないから、牛肉湯麺を」と注文した。

水餃子は前回台北で食べた又一村の丸まっこい水餃子と異なり、ここのは三日月型に近い。
サイズは又一村より少し小さい感じだ。
台湾で水餃子を注文しておけば、まずどこへ行ってもハズレはない。
それにとても安い。
ここでも1個が4元。

水餃子と牛肉湯麺
[水餃子と牛肉湯麺 90元也]

1時40分のバスに乗る。
このバスは蘆山温泉へは行かず、途中の霧社から別方向へ行ってしまうのだが、それで構わない。
霧社へ行く途中の眉溪と言うところの天主堂バス停で降りてしまうつもりでいる。
30年前、この天主堂バス停近くに住む同世代の山地民青年(当時)に声をかけられ、そのまま彼の家に泊めてもらった。
彼のお父さんが教会関係の仕事をしており、仕事で日本へ行ったときに土産にバイクを買ってきてもらったと、バイクをとても自慢していた。
お父さんたちの世代は日本教育世代で、日本名は加藤だと言っていたように記憶する。
中国名は覚えていないし、顔も忘れてしまったが、なんだか当時の思い出が懐かしくて途中下車する気になった。

天主堂前バス停
[天主堂前バス停]

家々の表札には中国名と山地名の2つの名前が書かれているが、当然日本名はない。
坂道を登ったところに天主堂がそびえている。

天主堂
[集落の規模に比べて大きな天主堂]

バス通りに面した土間の家だった記憶があるが、似たような家は何軒もある。
そうした家の庭で食事をしている家族があり、私が通りかかったら会釈を受けた。
あるいはその人たちに聞けば彼のことが分かるかもしれないけれど、再会できたところでどうなるというものでもない。
私も会釈をして通り過ぎる。

天主堂バス停近くの民家
[こんな感じの土間の民家だったはず]

次の温泉行きバスまで1時間ほど時間があるので、眉渓から霧社の方向へ歩くことにする。
眉溪のすぐ先には「人止関」と言う急峻な崖に挟まれた峡谷があり、昔から平地と山地を分ける天然の要衝になっている。
いまでも道路は拡幅されて車が走れるようになっているが、道は崖に張り付くように、また落石防止のため大半がシェルターに覆われているような構造になっている。
この人止関の入り口近くに、姿の良い松が生えており、これには見覚えがある。

人止関入り口の松
[人止関入り口]

人止関の落石防止シェルター
[道は崖に食い込んでいるような作りで、シェルターがかぶさる]

午後3時近くまで歩き、仁愛橋と言うバス停でバス待つ。
昔はこの仁愛橋を渡った崖の巨大な岩肌に赤い大きな文字で「反攻大陸」と大きく書かれていた。
今では橋も架け替えられ、当時の国民党の反共スローガンは全く見られなくなった。

仁愛橋
[仁愛橋 この橋を渡ると仁愛郷に入る]

旧仁愛橋
[現在は使われていない古い方の橋]

仁愛橋バス停
[仁愛橋バス停 探偵社の広告だが、台湾では偵探となっている]

3時すぎに蘆山温泉行のバスに乗り込み、霧社から先は乗客は私一人だった。
蘆山温泉到着は3時40分。

蘆山温泉到着
[蘆山温泉入り口の吊り橋 平日なので閑散としている]

出発前にネットで調べていたら蘆山園大飯店と言う温泉宿が安そうだということが分かった。
30年前もこのホテルはあり、当時ここと天蘆大飯店にはプールがあって、山の子供たちとプールで遊んだ記憶がある。
当時は専ら碧華荘に泊まっていたので、宿泊したことはない。

蘆山温泉街のメインストリートで昼寝中のネコ
[蘆山温泉街のメインストリートで昼寝中のネコ]

ネット予約サイトのagodaにも登録されており、一番安い部屋で2000元ほどであったが、他のブログなどを見ると直接交渉して1500元で止まったというものもあった。
それに朝食と夕食が付く一泊二食付きの料金である。
私も1500~1600元くらいで泊まれればと思っていたが、実際ホテルのレセプションで値段を確認したら、交渉するまでもなく「食事付きで1200元」と言う。
これは超お得である。
一応「部屋を見てから決めたい」と言ったら、鍵を渡され「いまここは私一人しかいなくて外せないから、自分で行ってみてきてよ」と言われる。

蘆山園大飯店
[蘆山園大飯店]

部屋は広くはないが、さして狭くもない。内風呂も温泉だし、谷川に面した部屋で悪くない。
あまり大きくはないが、大浴場もあるし、昔の通りプールもある。
エアコンはないが、標高1000メートルを超える蘆山温泉ならエアコンなど必要ない。
窓を開ければ谷川からの涼しい風も入ってくる。

谷川に面した部屋
[谷川に面した部屋]

チェックインして散歩に出る。
まずは元の碧華荘へ。
立ち入り禁止のテープをくぐって、潜り込む。

碧華荘入り口は封鎖されている
[碧華荘入り口は封鎖されている]

昨年は南投県政府差し押さえみたいなことが書かれている警告書面を初めて見て何が起きたのだろうかとショックを受けたのだが、その後調べてみると、このあたりの地盤が弱く、温泉集落全体が山崩れによって埋まってしまう危険があり、温泉集落ごとの移転を県政府が命令しているらしい。
移転を了承した温泉宿は、営業を中止し、建物は県政府の管理下に置かれて廃墟然としているというところらしい。
iPhoneを懐中電灯代わりに、真っ暗な建物内へ進入。
オーナーの高さんたちの部屋は、まるで今でも高さんたち家族が住んでいるのではないかと思えるほど、生活感のある部屋のまんまだった。
壁には先代のピホワリス、オビンタダオ夫妻の大きく引き伸ばした写真が飾られ、本棚には日本の書籍や雑誌も置かれたままだ。
前回も発見したオビンさん(初子さん)が亡くなる直前に撮影された結婚式の写真も、玄関わきに打ち捨てられたままになっていた。

旧碧華荘全景
[旧碧華荘全景]

碧華荘横のマヘボ渓
[碧華荘横のマヘボ渓]

碧華荘をあとにマヘボ溪を渡って、裏山からマヘボ古戦場へ向かって坂道を歩く。
登っていくと眼下に蘆山温泉街が見えてくる。

蘆山温泉全景
[蘆山温泉全景]

この道は12年前にもチェンマイから引き上げる際に、台湾に立ち寄り、当時小学生の優泰と歩いた道である。
30年前には何もないところだったのに、キャンプ場ができていたり、史跡として整備されていたりと、随分と観光地化していたのに驚いたものだったが、今はキャンプ場なども営業していないようで、再び廃墟のようになり始めていた。

マヘボ古戦場近くにて
[マヘボ古戦場近くで原住民の家屋を再現したものだが、朽ち始めていた]

山から下りてきて、温泉入り口の吊り橋を渡ったところにある雑貨屋で紹興酒を買う。
180元也。

雑貨屋
[昔のままの雰囲気を残している雑貨屋]

昔も良くこの店でお酒を買った記憶がある。
確か当時紹興酒が一本105元で、学生の貧乏旅行には高くてなかなか買えず、70元の「米酒頭」と言う米焼酎を買っていた。
これがアルコール度数も高く、なかなか旨かった。
さらに安い赤いラベルの米酒もあった。
これは料理用の酒らしいのだが、山の人たちとよく飲んだ。
碧華荘の夕食でも鍋で烏骨鶏をこの米酒で煮て食べさせてくれた。
蒸発するアルコールに火が付くと、鍋の表面を青い炎が包んだ。

紹興酒は宿には置いてないそうなので、飲みたければ外で買えようにと言われていた。
つまり、持ち込みもOKと言うこととみなし、部屋のバスタブにお湯を張って、お燗を付ける。
夕食の晩酌が楽しみだ。

汗をかいたので、宿のプールでひと泳ぎする。
もともとは温泉プールのはずだったが、利用者がなく温泉も冷めてしまったようで、プールの水はとても冷たかったが火照った体には、この冷たい水が気持ちよかった。

冷たい温泉プール
[冷たい温泉プール]

鳥肌が立って、歯の根がガチガチ言い始めたころを見計らってそのまま大浴場へ向かう。
大浴場には先客が二人あり、二人とも水着を着用して入浴している。
浴室の壁には「裸湯、水着着用禁止」と書かれてあるのだが、台湾の人にとって丸裸で他人と一緒に風呂に入るのには抵抗を感じる人もまだ多いのだろう。
私が海水パンツを脱ぎ捨てて、湯船に浸かっていたら、「水着を着てるままでも構わないか?」と先客が聞いてきた。
もちろん、こちらは気にしないが、むしろ彼らの方が私の裸体など見せられて気分を悪くしないかと気になった。

大浴場
[少しぬるめだが、泉質は良い のんびり入浴するのに向いている]

ここの温泉のお湯は源泉で92℃の高温。
しかし、この大浴場の湯は、それほど熱くない。
熱くないどころか少しぬるいくらいだ。
長湯するにはちょうど良いのだろうが、私はどちらかと言うと熱い湯に我慢してはいるくらいが好きなので、ちょっと物足りない。
そういえばネットの書き込みにも「湯がぬるい」と言うものがあったことを思い出した。

ぬるい湯でも、ゆっくり浸かっていたのでまた汗をかく。
宿の前庭にパラソルが差しかけてあり、イスとテーブルもあるのでフロントで缶ビールを買って飲む。
湯上りに夕涼みがてら飲むビールは格別に美味しい。
もともと薄味の台湾ビールだが、スーッとさわやかに喉を流れ下って、あっという間に飲み干してしまった。

ホテルの前庭
[ホテルの前庭]

部屋に戻り、温泉で燗を付けておいた紹興酒もちょうどよい人肌になった。
それを持って夕食会場へ。
夕食の献立は、青菜の炒め物、三枚肉の煮込み、豆腐の詰め物、肉団子とタケノコの煮つけ、アヒルの燻製に蒲鉾の入ったスープ。
これらが一つのプレートに盛られている。
デザートにはオレンジが付き、ご飯は各自が炊飯器からよそるセルフサービス。

蘆山園大飯店の夕食
[豪華ではなく、素朴だけど味は良い蘆山園大飯店の夕食]

ネットのクチコミには「兵隊飯」「学食並」などと書いているものがあったが、味付けもいいし、ボリュームもある。
どうやら台湾の兵隊や学生たちは普段相当なグルメらしい。
他の人たちはグループで来ているので、中華らしく惣菜は大皿によそられ、とりわけながら食べているが。私はプレートでも一向にかまわない。
まぁ、なんとなく社員食堂みたいだけど、紹興酒を飲みながらいただけるので、大いに満足である。
それにタケノコの煮込みは昔もそうだったけれど、蘆山温泉のモノは特に美味しい。

紹興酒
[紹興酒といただくと味わいもまた格別]

夕食後、再び大浴場で入浴。
こんどは誰も入っていないのを良いことに洗い場でパンツをゴシゴシと洗ってしまう。

夜の温泉街メインストリート
[夜の温泉街メインストリート]

寝るにはまだ早いので、夜の温泉街を散歩する。
土産物屋で声をかけられ、粟酒(小米酒)の試飲を勧められる。
嫌いな口ではないので、3種類ほど飲ませていただき、さっきの紹興酒の酔いも手伝ってか、粟酒それぞれの批評までやらかしてしまったものだから、そのまま買わずに済ませることができなくなり、莫那魯道(モーナルーダオ)と言う銘柄のを一本買いこむことになる。
度数は8度で、白濁しており、少し甘酸っぱい。
こちら一本250元也。
ちょっと高い気もしたが、昔は山の人の部落で自家製の粟酒をよくごちそうになった。
酔ってくると、意気投合した者同士で、肩を組み、ほほを未着させ、一つの盃に酒を入れ、一緒に飲み干すという習慣があった。
男同士でやるので、ヒゲがジョリジョリとほほに当たった感覚を覚えている。
当時の粟酒はもっと濃厚な味で匂いもキツかったような気もする。
この土産物屋のおばあさんは少し日本語がわかり、日本語と中国語のチャンポンで話し込む。
碧華荘の高さんたちのことも覚えていた。
昔、碧華荘前の土産物屋で山の人が織った毛糸のガウンを買ったことがある。
ひょっとしたら、この店だったかもしれない。

モーナルーダオと言う名の粟酒(小米酒)
[モーナルーダオと言う名の粟酒(小米酒)]

部屋に戻ってもしばらく粟酒を舐め続けた。
明日はかなり歩く覚悟でいるのに、まだ紹興酒も残っているのに、粟酒まで買ってしまい、荷物が重くなってしまった。
バックパックではなく、肩掛けカバンでから、重いと方に負担が大きい。
頑張ってみたが、飲みきれず、結局ベッドに入った頃には夜11時になっていた。

蘆山園大飯店の犬たち
[蘆山園大飯店の犬たち]

番頭ネコ
[小さな旅館の入り口でお客様を待っているネコの番頭さん]

=>中編へ つづく





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