【前編よりつづく】
ナーン川沿いのマイトマーケットはずれには、空飛ぶ空芯菜食堂以外にも、夜食を食べさせる食堂が数軒連なっている。
出すメニューもどこもだいたい同じで、これといった特徴はないけれど、空芯菜が飛ぶのはこの一軒だけであった。
そのため、西洋人団体観光客も立ち寄ってお祭り騒ぎをしていったのであるけれど、タイがコロナで鎖国状態になったため、むしろそれが仇となってしまったようだ。
空飛ぶ空芯菜食堂は、テーブル数が多い。
しかし、厨房で包丁と中華鍋を振るうのはシェフ一人だけ。
団体客に空芯菜を投げているだけなら特に問題もなかったけれど、地元タイ人の家族連れがテーブルごとに好き勝手な注文をし始めると、厨房は手が回らない。
注文した料理が一時間近く待っても出てこないなんてこともある。
地元客相手に商売しなくてはならないのに、それではお客さんが定着しない。
それに、景気もとても悪くなってきていて、地元の人たちは外食そのものをしなくなってきた。
[ピンさん]
この写真の女性の名前はピンさんと言って、空芯菜食堂でウエイトレスのようなことをしていた。
とても気が利く女性で、こちらの注文を的確に厨房へ伝えてくれるし、料理が出てくるのが遅いと感じたら、厨房へ催促に走ってくた。
ピンさんは空芯菜食堂に雇われているわけではないようだった。
彼女は、空芯菜食堂の中でビールなどの飲み物を扱っている。
その飲み物の売り上げからの利益が彼女の取り分らしい。
もっとも、コンビニで55バーツほどのビールを70バーツで売っているのだから、大した利益にはならないだろう。
しかし、飲物の注文だけでなく、先に書いたように料理の注文取りから、会計、食後のテーブルの片づけまでよく働いていた。
それもやはり西洋人団体客があればこそである。
彼らはビールをよく飲んでいた。
それに引き換え、タイ人の家族連れはビールをほとんど飲まない。
ちょっと呑み助の人は、ウイスキーやタイ製のブランデーなどを持ち込んで飲んでいる。
ピンさんも、結局は食べていけなくなってしまい空芯菜食堂を辞めてしまいました。
そのあと、ウエイトレスのようなことができるスタッフがいなくなったので、急遽採用したようなんだけれど、今一つ動きが悪く、短期間で何人か入れ替わったりしていた。
女性オーナーとその息子が注文取りなど慣れない業務をしながら、なんとかやりくりしていたようなのだけれど、そのうちに女性オーナーは息子を連れてイギリスへ行ったきりになってしまった。
どのような事情でイギリスへ行ったのかわからないけど、店の方は厨房で料理を作るシェフと、注文を取って料理を運ぶ動きの良くないウエイトレス、そして洗い場の婆さんだけとなっていた。
とにかく、コロナでお客さんがさっぱり来ないわけだから、これでも店を回せてしまう。
回せると言っても、経営が成り立つという意味ではないけれど、なんとかシェフを中心にやりくりをしていたようだ。
このシェフは料理をする時に、炎を何メートルにも巻き上げたりするパフォーマンスもさることながら、料理が上手かった。
手抜きをしないで、調理をする。
旨い料理は色々とあったけれど、今考えて、もう一度食べたいと思うのはカーオパット・ガイという鶏肉の入ったチャーハン。
[ここのカーオパット・ガイは旨い]
ふつうカーオパット・ガイと言ったらば、チャーハンと一緒に鶏肉も炒めるものなのだけれど、ここのは違う。
チャーハンには玉子と刻んだワケギくらいだけでシンプル。
そのチャーハンの上に鶏天ぷら風の揚げた鶏肉がのっかっている。
氷を入れた冷水で小麦粉を鶏肉にまぶして油で揚げるので、フライドチキンなんかよりもカラッと軽く揚がっている。
鶏肉には軽くナンプラーで味付けしてあるようなのだけれど、私はここのチャーハンの上にのっかっている鶏の揚物を、プリック・ナンプラーという唐辛子入りのナンプラーにちょっと浸して食べるのが好きだった。
ビールと一緒に食べると、ふだん肉を食べないのだけれど、こればかりはベジタリアン返上も致し方なしとなってしまう。
また、チャーハン自体も、例の炎で一気に炒めてくれるので、べとつかずパラリと仕上がっている。
出来立ての熱々のチャーハンが美味いのは当たり前だけれど、私はビールを飲み終わってからチャーハンを食べ始めるので、チャーハンはもう冷めかかった状態になっている。
しかし、米粒は団子にならず、一粒一粒がパラパラの状態で、スプーンを入れるとパラパラと崩れている感じを維持している。
[飛ぶのは空芯菜だけでなく、チャーハンは中華鍋から跳ね上げながら調理される]
シェフがチャーハンを作っている姿もカッコよかった。
中華鍋を振るって、米や卵をかき回し、抵当な塩梅で中華鍋の回転運動は、上下運動に変わって、チャーハンを中華鍋から跳ね上げる。
跳ね上がった製作途上のチャーハンをコンロからのガスの火が包んだかと思うと、また中華鍋の中にパラパラと落ちて、おおきな金属製のお玉でかき混ぜられ、また跳ね上げる。
調味料も大きなお玉で、手際よく掬い取られて、中華鍋に放り込まれる。
白い調味料を少し入れたので、化学調味料かと質問したら、砂糖だという。
このほんの少しの砂糖が隠し味なのだそうだ。
最後は、高く跳ね上げたチャーハンをお玉でキャッチしてそのまま皿に盛ってくれる。
[チャーハンに添えられているのはワケギとキュウリ、これにマナオを絞って食べると旨い]
他にも、シェフに教えてもらったものがある。
タイの料理法にヤムと言うのがあり、唐辛子にナンプラーそしてライムのようなマナオの絞り汁で味付けしたものを、ハーブやタイ野菜などと和えたもので、それに春雨を入れればヤム・ウンセンとなる。
私もタイの味の素で作っているロット・ディーという粉末ヤムの素を使ってヤムウンセン程度ならば自分でも作れるのだけれど、トゥア・プルーという四角マメを使ったヤムを自作して失敗した。
空飛ぶ空芯菜食堂で何度も食べて、気に入っていたので、市場でトゥア・プルーを見つけて、挑戦したのだけれど、店のヤムはちょっとこってりしてて美味しいのに、自分で作ったのはサラサラし過ぎで、しかもトゥア・プルーの青臭さが気になってしまう。
[ヤム・トゥア・プルー、豆の切り口が資格になるので四角マメと呼ばれる]
シェフによれば、ナッツを砕いたものを入れることと、ヤムの汁にはココナツミルクをたっぷり入れるのだそうだ。
そして、ゆで卵を添えると、ゆで卵が良い働きをしてくれるのだとか。
さっそく、自分でも教えられたとおりに実践してみたら、前回の失敗作とはまるで違った、まずまず食べれるものができた。
でも、やっぱり店で作ってもらったヤム・トゥア・プルーの方が断然美味しい。
[料理のメニュー 英語で書かれたメニューもちゃんとある]
2021年のソンクラーン前、ずっとイギリスへ行ったままであった女性オーナーが戻ってきた。
オーナーも閑古鳥の鳴いている現状を何とかしようと、幟を新調したり、厨房のレイアウトを変更したり、色々と工夫を始めたのだけれど、折あしくタイはコロナ第三波に見舞われてしまう。
飲食店でのアルコール飲料提供禁止など、夜食専門の空芯菜食堂としては痛い規制が次々と発せられてしまう。
お客が一人も入らないような夜も随分とあった。
6月の中旬も過ぎたころ、ピサヌロークはコロナ感染者ももとんど発生せず、飲食店でのアルコール提供ができるようになった。
私もさっそく6月25日金曜日、仕事帰りに立ち寄った。
[6月25日のメニュー]
注文したのは、空芯菜天ぷらのヤム(ヤム・パックブーン・トートクロープ)と鶏肉のチャーハン(カーオパット・ガイ)の2品にチャーンビール。
私にとってまさしく黄金メニュー。
アルコール解禁後初の週末ということで、久しぶりにお客さんの入りが良いようで、注文した料理が出てくるまでに30分くらい待たされた。
待っている間も、グラスに氷を入れたビールを飲みながら川風に当たって、リラックスできる。
そう、リラックスって解放感って意味なんだな、でも今の感じは「開放感」かななどと思ったりする。
これでまた、少しずつ良くなっていくのかなと期待も持った。
タイ政府は7月からプーケットを外国人観光客に開放し、順次タイ国内の観光地を中心に外国人の受け入れを始めて、10月にはタイ全国を開放すると宣言していた。
[通り側から眺めた空芯菜食堂]
しかし、この日の夕食が空飛ぶ空芯菜食堂での最後の食事となってしまった。
7月に入って、仕事帰りに店の前を通ると、店に明かりが点いていない。
臨時休業かと思った。
私はまた川風に当たりながらビールを飲もうと思っていたのだけれど、休みなら仕方ないかと思った。
しかし、よく見ると店の中に女性オーナーとシェフがいるのが見えた。
そして、オーナーの息子が出てきた。
「もう閉めたよ」という。
まだ時刻は7時で、閉店時刻には早すぎるので、いぶかしく思った。
「じゃ、また明日来るよ」と自転車のペダルに力を入れようとしたら
「もうやめたんだよ」という。
オーナーやシェフにもっと詳しく話を聞こうと思ったのだけれど、奥で話し込んでいるので遠慮した。
私は知らなかったのだけれど、ピサヌローク県知事は7月1日アルコール飲料販売禁止条例を発令していた。
[雑貨屋の冷蔵庫にも酒類販売禁止の張り紙]
数日後、空芯菜食堂でシェフが片付けものをしていたので、話を聞く機会があった。
「もう限界なんだよ」
「家賃や電気代にもならない」
「政府は締め付けるばかりで、なんにも救済してくれない」
シェフがこんな弱音を吐くのは初めて。
しかし、確かにそうだと思う。
タイの国の中には、この食堂と同じようなところがどれほどあることだろう。
いま、ピサヌロークの街を歩いてもシャッター通り。
シャッターには「売ります」の張り紙。
シャッターだけではなく、いままで道路に路上駐車していた車のリアウインドウにも「至急売りたし」の張り紙。
[空芯菜キャッチ台]
これは空芯菜キャッチ台。
この台から7~8メートルほど離れた厨房前からシェフは中華鍋を振るって空芯菜を投げる。
その空芯菜を高さ2メートル以上もあるこの台の上でキャッチするのである。
台の前に貼られた写真。
この写真のモデルは私の働く会社のスタッフ。
どこで手に入れたのか、無断で広告に使っていたが、ご愛敬程度に受け流していた。
これも一年前、コロナ第一波が終わった時、女性オーナーが心機一転しようと、張ったもの。
いまはもうこの台の上に立つ人もいない。
いや、この写真を掲載した後、この台の上に立った人はいったい何人いたことだろう。
あれほど賑わっていた西洋人団体観光客はもうずっと来ていないのだから。
モデルとなった社員もいまは退職して移籍していない。
[キャッチ台の上]
キャッチ台の上に登ってみる。
向かい側に厨房があり、シェフは後ろ向きに空芯菜を放り投げる。
以前は、キャッチに失敗した空芯菜が台のあちこちに干からびてくっ付いていたものだけれど、もう空芯菜はどこにも見当たらない。
サムロー引きの楽団の奏でる調子っぱずれのメロディーももう聞こえてくることもない。
[厨房からテラスまでテーブルが並んでいた場所]
川沿いのテラス席は、人気があってすぐに埋まってしまうことが多かった。
そうすると、厨房からテラスに向かう部分にあったテーブルに着くことも多かった。
テーブルは古い足踏み式シンガーミシンの台を再利用したもので、足元に踏板やはずみ車があった。
もう、テーブルは全て片付けられてしまっている。
テーブルの横の手すりには、ニワトリの形をした鉢植えケースが置かれていた。
[ネコが顔を出してた]
この手すりの先は、茂みになっており、日没頃になるとたくさんのツバメが飛び交っていた。
テーブルも椅子もすっかり取り払われてしまった食堂内で、手すりに括りつけられたニワトリの形をした鉢植えケースだけが、残されていた。
木製ケースの中の鉢植えの中には、小さなポトスが黄緑色の葉っぱを広げ、ツルを伸ばそうとしていた。
シェフは今後ピサヌロークの町はずれにある大きなホームセンターの店員として働くことにしたそうだ。