ピサヌロークで一番好きな場所は、たぶん「空飛ぶ空芯菜食堂」だったと思う。
タイ語ではラーン・カオトム・パクブンビンといい、ナーン川沿いナイトマーケットの外れに位置していた。
このように過去形で書いているのは、その食堂が先日廃業してしまったから。
[もう、椅子やテーブルも片付けられてしまった]
空芯菜を中華鍋から放り投げてキャッチするというパフォーマンスで有名な店で、日本のテレビなどでも過去に何度か紹介されているらしい。
パフォーマンスだけでなく、料理の味も良かったし、料金も手ごろだった。
なので、毎週のようにここへ来てはテラスのテーブルでビールを飲みながら、夕食に利用していた。
自分自身の食事だけでなく、ツアーでも利用することの多い食堂だった。
この食堂に始めてきた日付は、はっきり記憶していないけど、残っている最も古い写真の日付が2018年3月になっている。
[ひょっとしたら初めて来たときの写真かも]
ここでは空芯菜を飛ばすだけではなく、料理を作るときに大きな炎をあげながら手際よく作っていくのも感心させられた。
バンコクやチェンマイなどからバスでやってくる西洋人団体観光客は、ピサヌロークでサムローに乗ってこの食堂で空芯菜キャッチをするのが人気で、毎晩のように西洋人団体客でにぎわっていた。
もっとも、彼らはここで夕食を食べるのではなく、あくまでもアトラクションとして空芯菜キャッチをして、それを試食。
また嵐のようにサムローで走り去っていっていた。
彼ら西洋人団体を運んでくるサムロー引きたちも心得たもので、空芯菜を飛ばす段になるとサムロー引きは即興の楽団になり、太鼓をたたいたりして雰囲気を盛り上げていた。
キャッチする西洋人も頭に派手な色のかつらをかぶり、腰の周りにはビニール製のやはり派手な腰蓑を巻かされていた。
このころが空飛ぶ空芯菜食堂がもっとも活気があったころではないかと思う。
[背丈よりも高く立ち上る炎]
その年の8月くらいから私はピサヌロークに住み着くようになり、毎週のようにこの空飛ぶ空芯菜食堂に通い始める。
つまり常連ということになる。
そのころよく注文していたのはヤムという酸っぱ辛い料理と、空芯菜炒めにライスが定番であった。
看板メニューの空芯菜だけあって、空芯菜は味付けも食感も抜群に美味しかった。
[空芯菜炒め]
タイ語でパックブーンファイデーンと言って、もともとは中国料理の一品だったものがタイに定着して、タイ料理みたいになっている料理。
トゥウジアオという発酵させた大豆から作った調味料で味付けしたもので、歯触りがシャリシャリしてご飯にもビールにもよく合う。
値段も一皿40バーツと安かった。
私はネコを連れても何度か食事に来ていた。
ネコは私が食事中に、一緒に食事をするわけでもなく、紐でつながられ、テーブルの周りをウロウロするだけであったけれど、残念ながらその時のネコを撮った写真がない。
それと、ここで私はいつもビールを飲むので、ネコを連れて車を運転してくるのは、ちょっとはばかられて、ネコは常連にはなれなかった。
[野良猫?]
うちのネコはほとんど来ることがなかったけれども、この食堂周辺に住み着いているネコがいた。
三毛猫でなかなかの美ネコ。
何軒か並んだ食堂を徘徊しては、気の良いお客さんからおすそ分けをもらったりしているらしい。
ナーン川沿いということもあり、ここ空飛ぶ空芯菜食堂も、並びの食堂も、淡水魚の料理を売りにしている。
ここでの淡水魚とは、ナマズ、ライギョ、プラーニンやプラータプティムと呼ばれるティラピアなどである。
残念ながら、私はだいたい一人で来ているので、この手の大きな魚き食べきれないし、値段も張るので注文していない。
しかし、こうして足元にネコがやってきても、私の注文する料理には、ネコが食べたがるようなものは少しも含まれていない。
ネコも「こりゃダメだ」と判断すると、さっさと次のテーブルへ愛想を振りまきに行ってしまう。
私は魚を注文しないし、肉類もほとんど注文しない。
肉は鶏肉を少し程度。
そのため、食堂側も気をつかって私専用のメニューを作ってくれた。
[特性ヤムタクライ]
この料理は、ヤムタクライといって、レモングラスのヤム。
本来、刻んだレモングラスやハーブ類と一緒に豚ひき肉を入れるのが一般的なのだけれど、私のために挽肉の代わりとして揚げ出汁豆腐風に豆腐に小麦粉をまぶして揚げたもので作ってくれる。
この揚げ出汁豆腐風がヤムの汁を吸って、それがまた美味しかった。
他にも、秋になると華僑の風習でギンジェー週間というのがあり、これは菜食週間のようなもので、この時期になるとチャプチャイという野菜を煮込んだスープが特別メニューに加わる。
塩味のスープで、味はしっかりしており、ビールを飲んだ後のシメにぴったりの料理だった。
[華僑風の野菜煮込みスープ]
他にも、私がよく好んで注文したものに、ナマズのヤムであるヤムプラドックフーや空心菜を天ぷらにしたもので作ったヤム、ヤムパクブーントートクロープなどがある。
ヤムパクブーントートクロープはいわば空芯菜のヤムなのだけれど、私が初めてこの料理を食べたのは、チェンマイのレモンツリーで。
レモンツリーでは、空芯菜天ぷらに空芯菜だけではなく、カイダーオと呼ばれる一種の目玉焼きを混ぜ込んであり、合わせる方のヤムのタレにもエビやイカなどが入っている豪華版。
これが私の好物。
これと同じように、空芯菜天ぷらにカイダーオを和えてほしいと食堂のシェフに頼んだのだけれど、「そんなのはないよ」と断られたこともある。
エビやイカを入れるのは追加料金でOK。
[ヤムパクブーントートクロープ]
ヤムプラドックフーの適当な写真が残っておらず、残念なのだけれど、この料理はナマズをフレーク状にしたものを油で揚げ、それをヤムのタレで和えるのだけれど、ナマズと言われなければ、何の料理かほからないような変わった料理。
悪い言い方をすれば、天かすのヤムみたいな感じだけど、この天かすみたいなのがやはりヤムの汁を吸ってておいしい。
この料理を始めて食べたのは、今から30年以上前、当時のバンコクにヤオハンがあったころ、ジャスコの隣あったタムナックタイという巨大レストラン。
ここは現在のロイヤルドラゴンの原型みたいな感じで、ウェイターがローラースケート履いて料理を運んでいた。
川に面しているし、日没の頃に川風に吹かれながら旨い料理をつまみながらビールを飲むのは、至福の時間で、ピサヌロークと言う土地で日々繰り返される頭の痛くなるような事柄を忘れさせてくれた。
[テラスから眺めた黄昏]
2020年、コロナが発生して、西洋人団体観光客が来なくなった。
2月、私のネコが死んでしまった。
しばらくは、私もふさぎ込んでしまい、空飛ぶ空芯菜食堂で開放感を感じるのに罪悪感を感じて、しばらく立ち寄らなくなった。
しかし、それからちょうど1か月、ここにもネコと一緒に来たことを思い出し、思い出を手繰るように、ネコの遺影をテーブルに立てて食事をした。
[ネコの遺影を前に空芯菜のヤムでビールを飲む]
そのコロナもますます深刻となり、タイ国内での感染も増えてきて、とうとうタイ政府の命令で外食が禁止されてしまった。
空芯菜食堂も休業せざるを得なくなってしまう。
ピサヌローク市内の他の食堂は料理のデリバリーサービスなどで営業を続けていたけれど、ここはデリバリー向きの食堂でもなく、結局5月まで店を閉じていた。
2020年5月に制限付きながら営業再開。
ソーシャルディスタンスということで、テーブル囲んで大皿の料理を大人数で突きあうことは禁止されて、食堂では個人向けの新メニューも開発して売り出した。
[個人用セットメニュー]
私もその初日にこのメニューを試食してみた。
私のようなひとり者には適当なボリュームで何品も賞味できるし、盛り付けもきれいで良さそうなのだけれど、作る側からするとチマチマと少量ずつ何品も作るのは手間がかかるから、まとめて作って、その作り置きをお膳に盛り付けるだけにしてしまったようで、せっかくの料理なのに冷めてしまっている。
タイの人は猫舌が多くて、熱い料理にこだわらない人も多いようだけれど、でもやはりこのスタイルは定着しなかった。
[こんな写真に写るなら半ズボンなど履くんじゃなかった]
【後編へつづく】