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馬祖島旅行 ➁ スクーターで回る南竿
5月13日 日曜日

夜中に何度か目を覚ました。
ベッドから抜け出して船内の廊下を歩いてみたりもした。
しかし、途中の寄港地に寄ったことは記憶にない。
この船では馬祖の南竿まで行くことになっているが、途中の東引という島を経由することになっている。
東引も馬祖諸島の1つらしいが、少し離れたところにある。
なにやら下船する人のガサゴソと言う物音は寝ぼけながらも聞こえたような気がするが、私はベッドから起き出すことはなく、海上の朝日を見ることも、台湾領最北端の島影も見ることなく、7時半頃までベッドの中にいた。

船内のインフォメーション
[船内のインフォメーションも無人]

この船室には窓がないので、時計を見ないと朝になったのかどうかもわからない。
ようやくベッドから抜け出してみると、出港時は満員だった船室の中はほとんど空になっていた。
どうやら途中の寄港地でほとんど下船してしまったらしい。
船首側の"餐庁展望室"へ行ってみると、前方の窓からは眩しい光が差し込んできている。
確かに朝になっている。
そして、昨晩はあまり人のいなかった餐庁内はほぼ満員で、荷物を持った人たちがリクライニングシートを倒して眠り込んでいる。
どうせ寝るなら船室の2段ベッドで休めば良さそうだけれど、たぶんベッドの予約のない途中の東引から南竿までの短区間の利用者たちなのだろう。
早朝の船に乗るため、そうとう早くから起き出していて、ぐったりしているところだろうと想像する。
しかし、テーブルを囲んでジャラジャラやっているグループもいる。
麻雀だろうかと思ったが、パイは四角くなく、丸いパイであったから、何か別のゲームなのだろう。
朝食は餐庁で販売していなかったけれど、仮に販売していても、どのテーブルも塞がっていて餐庁では食べられそうにない。

満員の展望餐庁
[途中の東引から乗船してきたのだろうかほぼ満席の餐庁]

後部のデッキに出てみる。
すこし靄がかかっているようで、島影などはまるで見えない。
あと1時間くらいで到着するはずだし、携帯電話のGPSを見ると中国大陸がすぐ近くになっている。

携帯電話のGPS
[携帯電話の位置情報]

8時半、薄ぼんやりと島影が見えてくる。
小型のタンカーだろうか、船が航行しているのも見える。
やがてぼんやりとだけれど、船の右舷側にも、左舷側にも島影が見えてくる。
右舷側が北竿で左舷が南竿だろう。

馬祖の島影見え始める
[薄く靄がかかっていてはっきりしないが、島までの距離は近いはず]

いったん見え始めると、みるみると近づいてきて、島影もくっきりしてくる。
島の港からオレンジ色と白の大きな船が出てくるのも見える。
今乗船しているこの台馬之星号が就航する以前に台湾本島と馬祖諸島を結んでいた台馬輪のようだ。

台馬輪
[台馬輪はこれから東引へ向かうのだろう]

そろそろ接岸だから、下船の準備をしに船室へ戻る。
船室内はもうすでに清掃作業が始まっていた。
急いで荷物をまとめて船室を出る。

福澳港
[埋め立てで拡張したような福澳港]

下船は車両甲板へ誘導され、船首の車両搬入口から外に出された。
この船はこれからまたすぐに基隆へ向かうので、このような下船のさせ方が時間がかからず都合がよいのだろう。
午前10時ちょうどに馬祖南竿島へ上陸。

車両搬入ゲート
[車両搬入ゲートが開き光が差し込んでくる]

馬祖南竿島上陸第一歩
[上陸第一歩、天気も穏やかで晴れがましい気分]

この島では馬祖青年民宿という宿に世話になることになっている。
この宿、名前は青年民宿だけれども、特別若者専用と言うわけでもないらしい。
しかし、宿泊料金は格安で、ドミトリーの部屋ながら1泊900元。
しかも、この料金にはスクーターのレンタル料金まで含まれている。
島でスクーターのレンタル料金がいくらが相場かわからないが、これはとてもお得な料金であることは間違いない。

枕戈待旦
[港を見下ろす丘の上に「枕戈待旦」、鉾(戈)を枕に暁(旦)を待つ]

その民宿の主人とは港の入り口にあるコンビニの前で待ち合わせとなっている。
私の方が先に来てしまったようで、しばらく待つことになる。
都合よく無料のWiFiもキャッチでき、民宿の主人に電話をかけようと電話番号を探しているところへ主人はやってきた。

台馬之星
[こうして見ると台馬之星も堂々とした船に見える]

迎えに出てきてくれているが、民宿まで車で送ってくれるというものではなく、民宿までの行き方を地図を見ながら説明をしてくれる。
民宿までは貸し出してくれるスクーターで向かうことになっており、荷物だけは車で運んでくれる。

スクーターの程度はまずまずと言ったところで、スピードメーターが動かないこと以外は問題なさそうである。
燃料はあまり入っていないので、途中のガソリンスタンドに立ち寄って、80元だけ給油をする。
ガソリン代も台湾本島と同じようでリッター28元程度になっていた。

島の小さな給油所
[輸送コストもかかるだろうにガソリン代は台湾本島と変わらないようだ]

民宿までの道は完全舗装され、とてもよく整備されているが、起伏がやたらときつい。
上り坂を登ったかと思うと、急な下りとなる。
ラビットスクーター以外ほとんどスクーターに乗ったことがないので、どうも運転していて違和感を感じてしまう。
自転車のようにハンドルの両側にブレーキレバーが付いているし、急な下り坂でのエンジンブレーキが効いてほしい時に効かず、緩やかな下りではエンジンブレーキがかかってしまうので、スロットル回してエンジンをふかさないと適当なスピードが出ない。

中央大道からの眺め
[島のメイン通り中央大道は山の稜線を走っているようだ]

港から30分くらいかかって、民宿のある津沙村が見えてくる。
ちいさな入り江に面して、明るい黄土色に統一された家並が集まっているなかなかいい感じの集落だ。

津沙村入口
[いい天気でいい季節に来たようだ]

海岸と集落の間には大きな防波堤で仕切られているが、防波堤の壁面いっぱいに海の絵が描かれていることもあり、閉塞感は感じない。
バイク置き場の前には、ムール貝と浅利が大きな笊に入れられて干されていた。

防波堤の壁画
[津沙村で漁業が盛んだったころの絵だろうか]

天日干しされる貝
[この浜で捕れた貝だろうかなかなか上モノの感じがする]

この村の家屋の外壁は花崗岩の石組で、堅牢そうに見えるし、色彩的にも統一されて、台湾本島のゴチャゴチャしたところがない。
それに目障りな看板などもほとんど目立たない。

津沙の路地裏
[集落の中には細い路地が走っている]

これから二晩お世話になる青年民宿はすぐに見つかった。
若いアルバイトのような男の子が留守番をしていた。
外壁は石組ながら、建物内部は木造で、窓が小さいため屋内は昼間でも少し薄暗く感じる。
宿賃二泊分1,800元を支払い、宿の注意事項を読まされているうちに、主人たちも民宿に帰ってきた。

馬祖青年民宿
[この村、絵になる建物が多い、これから泊まる民宿もいい感じ]

この民宿の部屋はドミトリーで、二段ベッドが並んでいる。
午後3時までにはベッドを整えておくが、それまではベッドに入れないとのこと。
トイレは中庭にある別棟で、シャワーは建物の外、路地を少し行ったところにある別の建物内で、24時間使えるとのこと。
門限は夜10時だけれど、裏口からは出入り可能。
キッチンは自由に使っていいし、コーヒーや紅茶もセルフサービス。

民宿の受付台
[受付台には宿泊料が掲示されている]

WiFiも使えるのでパソコンを取り出して、メールのチェックなどをしていたら、民宿の奥さんが台中銘菓「太陽餅」とお茶を出してくれた。
太陽餅なんて食べるのは何十年ぶりだろうか。
餅とはいっても、パイ生地のようで、かじるとパラパラと剥がれ落ちてしまい、床にこぼしてしまった。

民宿の黒板にいくつかの食堂と料理名が書き出されていた。
そういえば、朝食もまだ食べていないし、お腹もすいている。
書かれているリストの中に「三六九炸醤面ー介壽路」というのがあった。
三六九と言うのが食堂の名前で、炸醤面とはジャージャー麺に間違いない。
介壽路は店のある通りの名前だろう。
炸醤麺は大好きである。
是非ともこれを食べたい。
介壽路はさっき船を降りた港の少し先にある馬祖随一の繁華街の通りの名前であることは知っていた。

おすすめ食堂一覧
[青年民宿がお勧めするのだから値段もお手頃なんだろう]

宿から外へ出て、すぐにスクーターに乗らずに、この津沙の集落の雰囲気が良いので、フラフラと路地裏を歩いていたら、宿の主人に「おーい、日本人の朋友が来たぞー」と呼び戻された。
宿の主人が言うところの日本人の朋友とは、私と面識があるわけではなく、ただたまたま日本人だというだけのことであるが、女性の一人旅のようである。
以後Sさんと言うことにしておきます。
中国語はあまり得意ではないようで、また主人も日本語はチンプンカンプンのため、主人に変わって宿の注意事項を彼女に説明するよう申し付かる。
彼女はブッキングドットコムというオンラインサイトで予約をしていたようで、スクーターなしの素泊まりと言うことだった。

隣の木造建築も民宿らしい
[青年民宿の隣も民宿でカフェを兼ねてるようだ]

宿に関する諸注意事項を説明し、今後のスケジュールに関する相談のお手伝いを終えてから一人でスクーターで介壽の町へ向かう。
宿に来る時とは別のルートで、津板路と言う臨海道路を使ってみる。

津沙の物産販売店
[特産品販売店もどっしりした木造建築]

こちらもアップダウンが激しい道路だが、自動車道と言うよりハイキングコースのような道で、岩場が続く海岸線よりも少し高いところを通っているので景色も良い。
少し行くと鉄堡という小さな岬に作られた要塞が現れた。

鉄堡要塞
[迷彩色でなければただの景勝地になっていただろう]

もともと軍事施設であるが、観光用に開放されており、道から階段を下って行けばたどり着けるようになっている。
壕の中は通路の幅が1メートル弱ほどで、高さは2メートル少々あり、湿度が100%なのか、コンクリートの壁面は湿気で汗をかいている。
壕の中の通路に並行してコンクリートの2段ベッドがあり、兵隊たちの生活空間にもなっていたようだ。
また、窓のように四角く外が見える空間があり、機銃があった場所のようだ。
岩場にはガラス片がたくさん埋め込まれている。
かつては大陸側から共産党軍の兵士が島へ侵入してきたのだろうけど、渡ってくる方も迎え撃つ方も、辛いことだろう。

コンクリートの二段ベッド
[いまは白いペンキをきれいに塗られているが、兵隊さんたちがいた頃はどんなだったのだろう]

鉄堡から見た鉄板の集落
[ガラス片を埋め込まれた岩場の先に鉄板の集落が見える]

介壽の町に着いたらば11時半になっていた。
お目当ての三六九という食堂はすぐに見つかったが、なんだか入りづらい印象の店である。
食堂なのはわかるが、木のドアで、なんとなく「一見さんお断り」のような雰囲気も漂う。
勇を奮ってドアを開けてみたら、団体客なのだろうか、大きな長テーブルが並ぶ店内は満席であった。
店員さんも私が入ってきたことなど気にもかけていないようだ。
「うーむ」もう少しこのあたり歩き回ってみるとするか、、、。

三六九食堂
[台湾本島の安食堂のような開放感はあまりない]

すぐ近くに県庁があり、そこにスクーターを止めさせてもらう。
このあたりがこの馬祖島の中心地、つまり馬祖銀座とも言えそうなところなのだが、なんと県庁の真ん前は広々とした畑で、「蔬菜公園」となっている。
公園と言っても、野菜畑なのだが、たぶん傾斜地ばかりで平地の少ない馬祖では貴重な平地はこうして銀座のど真ん中でも畑にしてしまうのだろう。
この野菜畑公園を囲むようにして商店や食堂が取り巻いている。

連江県庁前の蔬菜公園(野菜公園)
[連江県庁前に広がる蔬菜公園]

馬祖の銀座通り介壽路
[島一番の繁華街、静かな介壽路は坂道になっている]

この馬祖の食堂は、どうも台湾本島の安食堂と違って、どこも入りにくい雰囲気があるようで、先ほどの三六九食堂が特別と言うわけではなさそうだ。
台湾本島の安食堂は大体が通りに面して調理場があり、大きな中華鍋で料理をしているのが丸見えなのだが、ここは調理場は外から見えない。
しかも、営業しているのかいないのかわからないような食堂も多いので、ますます入りにくい。
営業していないのかと思われるような食堂に、大陸からの団体客だろうかガイドに先導された一団がゾロゾロと吸い込まれていったりもしてる。

しかし、こうして三六九食堂が特別「一見さんお断り」をしているわけではないことが理解できたので、ふたたび三六九食堂へ行ってみる。
30分ほど時間が経過したからか、店内にも空席が目立ち始めている。
席に着いたらメニューが運ばれてきた。
郷土料理風のものが多数並んでいるが、どれも一人で食べるには向いていないような感じ。
それにお目当ては炸醤麺である。
メニューのなかから炸醤麺を探し出して注文をする。

三六九小館店内
[店内は台湾本島の安食堂と大差なしかな]

出てきた炸醤麺は日本の味噌を使っているかのように茶色い色の肉味噌餡がかかっている。
台湾本島では一般的に黒い色をしているので、違いがあるようだ。
黒い大きめの丼に、麺は白く、うどん風で、チンゲン菜が添えてあり、色彩的にも美しい。
味の方も裏切らず、なんとなく日本のジャージャー麵に近いような感じがした。

三六九の炸醤麺
[炸醤麺に豆板醬をたっぷり入れていただきました]

お値段はこれで70元也。
まずまずリーズナブルな価格帯で、心配していた食べ物が観光客料金ではないかと言う不安は払しょくされた。

馬祖の銀座通りとも言うべき介壽路の坂道を登りつめたところに、小さなロータリー式の交差点があり、馬祖酒廠と言う酒造工場がある。
ここは工場見学ができるということだったので、入り口の守衛さんに見学許可を取ろうとしたら、見学時間は1時40分からと言われる。
まだ1時間少々ある。

馬祖酒廠
[午後の見学は1時40分から、守衛さんは昼の弁当を食べていた]

ロータリー交差点の介壽路とは反対側へ下っていくと「牛角」という集落になっている。
この集落も馬祖の伝統的な家屋が多いようなので、そちらへ向かって歩き出してみる。

馬祖南竿島の牛角
[牛角村の入り口]

宿のある津沙の集落よりも少し大きいようで、建物が密集しているが、すべての建物が伝統建築と言うわけではなく、新しい建物やコンクリート打ちっぱなしの家屋もあったりする。
また、ちょっと雰囲気の良いカフェのような食堂もあったりした。

牛角の洒落た食堂
[石造りの伝統建築ながら大きなガラス窓のカフェのような食堂]

牛角の集落も小さな入り江に面しており、海岸沿いに左手へ進むと少し大きな廟があった。
台湾本島の廟と同じように、石でできた丸い柱はレリーフの龍が巻き付いている。
廟の中庭にはたくさんの赤い提灯がぶら下げられており、青空の下でコントラストが映えていた。

牛角村全景
[入り江の斜面に伝統建築が並んでいる]

廟中庭の赤い提灯

牛角村の廟
[牛峰境五霊公の額、右の入り口には国泰、左は民安]

廟の先にも岬へ続く歩道が伸びており、そのまま歩いて行ってみる。
少し離れたところから眺めた牛角の集落もなかなか被写体として様になっている。
集落とは反対側を眺めると海を隔てて北竿島が見える。
北竿島の方が石造りの伝統建築がより多く残っているそうで、台湾のエーゲ海などとも称されているそうである。

牛角村の砂浜
[夏には海水浴もできそうな素敵な入り江]

この岬の突端は刺鳥と言う場所で、やはり軍の要塞になっていたようなのだが、おしゃれなカフェになっていた。
海にせり出し、眺めも良さそうだが、カフェにはあんまり興味がないので素通りする。

要塞改装のカフェ
[迷彩色のカフェ、やはり眺めは抜群]

牛角からもどっても酒造見学までにはまだ少し時間がある。
ロータリー交差点から山手へ伸びる道を少し進んだところにある八八坑道を先に見学してみることにする。
この八八坑道と言うのは、もともとは戦車を隠すために山の斜面に掘られたトンネルだったものを、酒を熟成させるための貯蔵庫として使っているものだそうだ。
ここも無料で開放しているそうなのだが、見学時間はやはり午後1時40分からで、トンネル入り口の扉は閉じられていた。
しかし、あと十分ほどなので、トンネル前で扉が開くのを待つ。

八八坑道
[ここも見学は1時40分からでまだ入れない]

このトンネルの扉の隙間からはヒンヤリした空気が出てくる。
そして、甘い酒の香りも漂ってくる。

予定時刻より数分早く扉が開かれる。
トンネル内部はエアコンが効いているかのように涼しい。
またやはりとても湿度が高い。
トンネル側面に沿って古い酒甕が無数に並んでいるが、甕は苔でも生えているようだ。
じっかり栓がしてあるから、甕の中の酒は問題なのだろう。

八八坑道内部
[壁面に並んだ酒の甕は年季が入っているように見える きっとすごい酒になっているんだろう]

苔だらけの甕だけではなく、銀色に光る巨大なステンレス製貯蔵タンクも並んでいる。
タンク一つに4千リットルの酒が入っているそうで、高粱酒は20年以上ここで寝かせるらしい。
台湾の空港免税店でも、透明な瓶に白いラベルを付けた八八坑道という高粱酒を売っていたことを思い出した。

坑道内のステンレスタンク
[入桶日期88.7とあるのは中華民国88年(西暦1999年)7月からで、そろそろ出荷かな]

13時50分に馬祖酒廠に戻って工場見学をさせてもらう。
酒造工場見学と言っても、別に案内人が付いて説明させてくれるわけではなく、また今日は日曜日だからか、生産ラインも止まっていて、工場内は無人の状態。
他に見学に来ている人もいない。
工場の建物も設備も古めかしく、しかも稼働していないため、まるで閉鎖された工場へ迷い込んでしまったかのような印象を受ける。
しかし、敷地内はお酒の発酵臭が漂っていることから、きっと平日は稼働しているのだろうと想像がつく。

無人の馬祖酒廠構内
[1960年代の映画に出てきそうな古めかしい工場]

ここでは高粱酒を造っているのか、麹で赤く染まった高粱の搾りかすが大きな容器に入れられている。
発酵槽が並ぶ部屋もあったが、すぐ横で作業着が干してあったりして、どこもあんまり清潔な感じは受けなかった。
ここにもお酒の入った大きな甕がたくさんあったが、酒瓶にお酒を詰める工程もここでやっているのかわからないが、見学できなかった。
たぶん出荷用の段ボールは山積みされていたので、ここでボトリングまでしているだろうとは思う。

工場内の酒甕と作業着
[あんまり見せない方が良いところも丸見えになっています]

ふたたびスクーターに乗って、次は北海坑道を目指す。
先ほどの八八坑道が戦車を隠すために山の斜面に掘られたトンネルならば、北海坑道は船を隠すために、海に面した崖に掘られたトンネルと言うことらしい。
この北海坑道も観光客に開放されており、周辺は公園のように整備されている。
立派なビジターセンターもあった。
現在でも駐屯地にはなっているようなのだが、張り詰めた雰囲気はない。

北海坑道入り口の遊歩道
[とても最前線の軍事施設とは思えない明るい雰囲気]

北海坑道も入場料を取られるわけでもなかった。
入り口には古い高射砲が二基設置されていた。
案内板があり、12センチ砲だそうで、日本海軍の工廠で昭和18年に作られたものとある。
戦前は台湾にあったものを、国共戦争で前線基地へ運んできたものだろうとは思う。
が、製造年は台湾の使っている中華民国暦でもなければ、西暦でもなく、「昭和」の元号で記されている。
どうして日本の元号を使っているのかよくわからない。

旧日本海軍の高射砲
[昭和十八年製造の高射砲]

この高射砲の周りで団体の観光客たちが大声で話しながら、記念写真を撮り合っている。
引率しているガイドも拡声器を使っている。
たぶん対岸の中国大陸からの団体観光客たちなのだろう。

北海坑道入口
[なんだかトンネルの迷彩色も遊園地のように感じてしまう]

巨大なトンネルである北海坑道の中は、船を引き入れるために海水が満ちており、素掘りの壁面に張り付くように通路が設置されている。
通路を伝わって坑道内を見学できるようになっており、また有料で中国語のガイド付きボートも用意されている。

坑道内案内用ボート
[夜間は「青の涙」見学ボートツアーも用意されている]

私はボートではなく、通路を歩いた。
ここでも団体客が何組も入っており、トンネル内で声がずっと反響していた。

北海坑道内部
[満潮になると壁面の通路は水没し見学できないそうだ]

ほとんど機械を使わずに兵隊たちが岩盤を砕きながら掘ったと言う言うことだけれど、そうした若い兵隊たちの苦労した北海坑道に、共産中国側の観光客が押し寄せてきているとは、まったく皮肉なものに感じる。

坑道を掘る作業
[当時の作業風景を人形で再現していた]

北海坑道のすぐ近くに大漢拠点という午前中に見学した鉄堡の要塞よりも大規模な要塞があり、そこも観光客に開放されていた。

大漢拠点
[この島の岬と言う岬はほとんどが要塞になっているようだ]

岩をくりぬいて坑道が続き、またいくつもの部屋があり、軍務施設などになっていた。
海に向って開かれた小部屋には機銃だけではなく、90ミリ砲も設置されており、ここでも大陸側の観光客が大勢詰めかけていた。

90ミリ砲
[敵艦識別と壁に描かれているが、この砲で敵艦を沈めたことはあるのだろうか]

中山室や作戦室、通信室などは資料展示に使われており、抗戦当時の写真などを展示していたが、そのなかの写真を思わず見入ってしまった。
「小女子献身報国」と書かれ地下壕の前にジープが止まっている写真である。
その壕の入り口には「特約茶室」と書かれており、その隣の写真にはノースリーブのワンピースを着た若い女性が入り口の扉の前で微笑みながら立っている。
その女性の上には「侍応生」とあり、つまり軍の慰安所とその慰安婦の写真であることがわかる。
そしてこれが「小女子献身報国」なんですね。

小女子献身報国特約茶室
[何年に撮影したものかわからないが、この写真の女性はいまはどうされているのだろうか]

5時にいったん宿へ引き上げ、東京へ電話を入れる。
今日は母の日でもあり、しゃぶしゃぶを食べに雨の中出かけたが、満席で順番待ちをしているところだとのこと。

さて、夕食は何を食べようか?
この津沙の集落ただ一軒の食堂は本日営業をしていないようなので、どこか他の集落へ行って夕食を食べてこなくてはならない。
宿で食事の提供はしていない。
宿の主人から、夜8時に「青の涙を見に行くから、それまでに戻って来るんだぞ」と声を掛けられて外へ出る。

静かな夕方の津沙
[この集落、とても情緒がある]

この津沙から勝天路と言う遊歩道のような臨海道路を北へ向かうと、馬港という大きな村があり、そこへ行けば食堂も複数あるらしい。
スクーターに乗って、進むと海沿いの崖の上から夕日が見えた。

勝天路から眺めた夕日
[海に沈む夕日を見るとついつい写真に撮ってしまうが、写った写真の色がいつも実物と違う]

馬港はもともとこの島の玄関口だったそうで、村の名前を馬祖村というらしい。
ここは台湾をはじめ、南洋華僑たちの侵攻を集める「媽祖信仰」の聖地のようで、海で死んだ媽祖の遺体が流れ着いた場所とされている。
馬祖の名前の由来も媽祖から来ているのかもしれない。
この媽祖信仰はなかなか深く浸透しており、海の守り神のようにしてあがめられている。
その媽祖が巨大な観音像のように馬港の村を見下ろす丘の上に聳えているのが見える。

丘の上の媽祖像
[媽祖が夕日を見下ろしている構図になった]

村に入ると、「天后宮」という大きな廟があった。
この廟の前にスクーターを止めさせてもらう。
この廟もやはり媽祖を祭っている廟であった。
そしてやはり龍の彫刻が石板や石柱に彫られている。
廟のご本尊様は媽祖であり、女神である。
豪華な着物を何重にも重ね着して、着ぶくれされている。
化粧っ気のない丸顔をされており、頭上には龍の飾り物を載せられている。

天后宮の媽祖像
[祭壇前に囲まれているのは媽祖の遺体を安置した石棺だそうです]

廟の前は砂浜になっており何隻もの上陸用舟艇が並んでいる。
これらは観光客に開放されている施設ではなく、現役の防衛戦力らしい。
この島の兵隊さんたちは、大陸からの侵攻に備えて、日夜訓練に励まれているのだろうけれど、あまりに観光開放しすぎて、兵隊さんたちはどんな気持ちでいるのだろうか。

馬港の上陸用舟艇
[軍船があっても民間人の立ち入りが禁止されているわけではないようです]

馬港観光夜市という食堂をはじめとした店舗が並ぶ商店街があった。
夕食はその中の「大衆飲食店」という名の大衆食堂風の店に入った。
ここも観光客でほぼ満席であったが、小さなテーブルに席を見つけることができた。

大衆飲食店
[店の名前が大衆飲食店と言うのも少し変わっている]

この店の名物は「老酒麺」と宿の黒板に出ていたような気がするが、昼も麺を食べているので、ご飯ものが食べたい。
馬祖名物に「紅糟炒飯」という発酵されてお酒を造るときに出る赤い粕を入れて作ったチャーハンがあると聞いていたので、その紅糟炒飯と炒青菜を注文する。
なるほど紅糟炒飯は赤い酒粕が入っているからか赤い色をしており、独特のコクがあるように感じた。
具はネギと玉子くらいだけで、豚肉は入っていないシンプルな炒飯であった。
炒青菜はキャベツ炒めであった。
この2品で今夜の夕食は150元也。

紅糟炒飯
[馬祖名物の紅糟炒飯]

他のテーブルは小グループの観光客で、ムール貝や魚のスープなど海産物をテーブル一杯に並べて盛大に食べていた。

大衆飲食店の店内
[台湾の人は一人旅をしないのか一人で食べている人は見かけなかった]

時刻は7時を過ぎており、そろそろ宿に戻らなくては。
ここの商店街の中にあるコンビニに立ち寄って缶ビールを3本とカップ緬(維力炸醤麺)を購入する。
これで107元。
台湾ビールは三本買うと85折、つまり15%割引となっていたので、まとめ買い。
カップ麺は明日の朝食用である。

馬港のコンビニ
[コンビニは便利だけと周囲に溶け込んでない]

さて、急いで戻らねばと思っていたら、このコンビニで宿の主人一家と遭遇。
主人たちも買い物らしい。
青の涙見学へ引率してくれる宿の主人がまだここにいるのなら、なにもそんなに慌てる必要もなさそうだ。

宿に戻ってからカメラの準備。
今回のためにバンコクのパンティーププラザで三脚も買ってある。
もっとも、本格的なカメラ用三脚ではなく、スマートフォン用の三脚で、おもちゃのようなものを350バーツで買ってきた。
これに一眼レフカメラを固定して青の涙を撮影しようというのだから無理がある。
まず、カメラを固定して三脚の足を延ばすと、カメラの重さに三脚の足が耐えきれない。
また、カメラの固定そのものも、重さに耐えられず、下を向いてしまうので、手で支えてやらなくてはならないようだ。
つまりほとんど三脚としての役に立ちそうにない代物。

また、夜間の撮影をどうしたらよいかわからなかったので、本格的な一眼レフカメラを持っている同宿者に教えてもらった。
「まず、絞りはオートを外してf1.4にする。」
「それからシャッタースピードはなるべく遅く。」
とのことで、昨晩撮ったという写真を見せてもらう。
おぉっ、すごい。
青さが際立っている。
「これはシャッタースピードを6分にしたもの」という。
6分?
私のカメラには最大2秒までしかシャッタースピードがない。
どうしたら6分になるのかまた質問。
「シャッタースピードのメモリを"B"に合わせて、そのままシャッターを開いたままにするんだよ」
なるほど、"B"でシャッターボタンを押し続けるのかぁ、でも手振れが心配。
本格的一眼の同宿者は頑丈そうな三脚だけではなく、シャッターにつなぐケーブルまで用意していた。

8時過ぎに宿の主人に引率されて青の涙見学に出発。
夜道をスクーター連ねて走る。
私の後ろには日本人のSさん。

目的地は津板路の崖の上。
「さぁここだ、どうだい青く光っているのが見えるだろ」
と宿の主人。
え?
どこに光っているんだろ、眼下に広がるのは夜の暗い海に、岩場に砕ける波が白く見える程度。
Sさんは、「はぁ、そういえばなんとなくぅ」と言っている。
歳をとると夜目が効かなくなるから、プランクトンが放つかすかな光など見えなくなってしまっているのだろう。
一眼レフ氏がいま撮ったばかりの写真を見せてくれた。
うん、確かに青く光っている。
肉眼でははっきり見えなくても、カメラなら写せるらしい。
私も一眼レフカメラを用意して、不安定な三脚を取り付けて、長いシャッターを押す。
1,2,3,4,・・・・98.99,100と数えてシャッターから指を離す。
100まででは2分くらいにしかならないか、よし次は200まで。
と、時間ばかりかけて何度もシャッターを押す。
しかし、悲しいかな私のフィルム式カメラでは、ちゃんと映っているのかその場で確認できない。
現像に出してみたら、真っ黒な写真ばからりプリントされてくるかもしれない。

携帯電話でも写真を撮ってみる。
こちらは絞りもシャッタースピードも自動なのだけれど、何枚か撮影してみたが、どれも真っ黒で何にも写っていない。

携帯で撮った夜の海
[なんにも写っていない]

この馬祖島の観光宣伝で青の涙の写真を随分と見てきた。
そして、大勢の人が青の涙のために島へやってきている。
しかし、実態としては肉眼ではほとんど見えないもののようだ。
午後に立ち寄った北海坑道でも、夜間はボートに乗って青の涙見学をさせているそうだけれど、揺れるボートでは本格的カメラでもとらえられないのではないだろうか。

スクーターで鉄堡まで進んでみる。
ここにはたくさんの人が青の涙を見に来ていた。
海面や波打ち際に近いせいか、さっきの崖の上よりかは、なんとなく海面が青く光っているのが分かった。

1時間ほどで宿へ戻る。
しかし、どうにも悔しい。
私はもっとはっきりと海が青く光っているものと思っていたし、それにフィルムカメラなので写っているかもすぐわからず、フラストレーションが溜まってしまう。
なんとかデジカメで撮れないかと考えたが、マニュアル設定機能のないカメラなので無理の様だった。
しかし、スマートフォンならば、こんな夜間でも撮影できるアプリがあるのではないかと、ネットで検索してみる。
あった、いろいろとありました。
そのなかから「星撮りくん」という無料アプリをダウンロードして敗者復活戦に臨もうと思う。
このアプリを使えば携帯電話でも最大30秒までシャッタースピードを調節できるらしい。

さっそく津沙の集落前の防波堤へ登ってみて、試し撮りをしてみる。
まずは無難な集落の夜景から。
うん、一応三脚で固定もしてあるので、結構きれいに写っている。

続いて海岸線。
これはほとんどダメであった。
よくみると確かにほんのりと青く光っている部分も写って入るけど、指摘されなければわからないくらいだ。
もともと肉眼で見てもほとんど青く光って見えていないのに、シャッタースピードを30秒くらいにしたところで、ちゃんと写っているわけもないだろう。

微かに青く光っている
[よく見れば黒い中でもほのかに青くなっているところがあるのがわかる]

夜11時になり「今夜は特別なものを見せてあげよう」と集落前の砂浜へ連れ出してくれた。
ちょうど満潮から潮が引き始めたところであった。
波打ち際近くを歩いていると足元がキラキラと小さな光が点滅している。
水たまりの水面を手でパシャパシャと叩くと、やはり無数のキラキラが。
これはなかなかすごい。
ちゃんとはっきりと肉眼でも見えている。
よし、さっそくさっきのアプリを使って写真を撮ってみよう。

深夜の津沙の浜辺
[プランクトンがキラキラと光を放っている?]

うおぅ!
凄いじゃないか。
真っ黒な画面にキラキラが散らばっている。
そう、こんな写真を撮りたかったんだ。
それから何枚もの写真を撮ったのだけれども、なんか変な感じがする。
携帯電話をあちこちに向けて様々な角度から撮影しているのに、表示される画像に映っているキラキラはどれもほとんど同じ位置で、同じように光っている。
これって、ひょっとして光るフランクトンがはなく、単なるデジタルノイズか、携帯電話かレンズに付着した埃のようである。
まったくの興覚めである。
しかし、波打ち際で光るプランクトンたちはとてもきれいであった。
海水と一緒に手ですくい上げても光っているし、大きさは1ミリ前後だろうか、こんなちっさなプランクトンのどこにこんなに光を放つ力を秘めているのだろうか。
写真の方は残念だったけれど、良いものを見せてもらった。

津沙の浜辺にて
[夜の浜辺に立つ宿の主人と女性客二名]

つづく

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