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馬祖島旅行 ③ 歩く南竿
5月14日 月曜日

昨晩は耳栓をして寝ていたたし、寝室もドミトリーという二段ベッドの並ぶ大部屋だったので、目が覚めてもガサゴソさせずに静かにしていた。

7時半に民宿のサンダルをつっかけたまま津沙の集落を歩いて回る。
防波堤の脇に防空壕だろうか、塹壕だろうか、半地下にもぐる入り口があった。
白日章が描かれ、鉄血とある。
そして、反共抗俄、殺朱抜毛と入口の左右に書かれている。
抜毛とは脱毛ではなく、毛沢東のことだろう。
いったいどのくらい前に書かれたものだろう。
それとも、観光用に補修が繰り返されているのだろうか。
壕の中はあまり広くなく、ゴミが散らかっていた。

津沙の鉄血
[反共抗俄、殺朱抜毛は昔話か果たせぬ夢か]

集落の西側の斜面に石の階段が付いているので登ってみる。
古い石の民家が半分朽ち果てかけていたり、またペンションに改装した家屋があったりと、こちらもそれなりに風情がある。
石の階段の途中にはヤギがつながれていた。

津沙集落 廃屋と白ヤギ
[津沙集落の西側には廃屋が目立った]

村の広場のようなところには、大きなガジュマルの木があり、その木の脇に小さな古い茶店があった。
壁に「榕樹下休憩站」と書かれている。
これなんかも1960年代をテーマにした台湾映画のセットに出てきそうな雰囲気を持っている。

津沙 榕樹下休憩站
[そっけない建物だけど、壁にはかわいい模様が付いている]

いったん宿に戻って、朝食は昨晩コンビニで買った維力のカップ炸醤麺。
作り方は日本のカップ焼きそばとほとんど同じで、麺を茹でたお湯でスープも作れるという「焼きそば弁当」や「バゴーン」と同じスタイル。
しかし、一つのカップ麺にカップが二つ重なっており、スープ用の器付きと言うところがミソのようだ。

民宿備え付けのコーヒーメーカーでコーヒーも淹れて、少しのんびりした朝を過ごす。
みんなまだ寝ているのか、ほとんどだれも起き出してこない。
それとも、もうとっくに出かけていってしまっているのだろうか。

民宿の共用キッチン
[カップ麺ではなくパンでも買っとけばよかったかもしれない]

この馬祖南竿島の主だった観光地は昨日のうちに回ってしまった。
どこも景色はいいが、観光地とはほとんどが軍事施設に関するものばかり、あとは青の涙くらいだろうか。
それにスクーターで回ったので、点から点をホッピングしながらの見学で、なんとなく地に足が付いた感じがしない。
そこで、本日はなるべく歩いて島めぐりをしてみようと思う。

さきほど歩いた石の階段を進めば勝天路へ出れそうだったので、勝天路を通って馬港へ出て、そのまま島最北端の夫人澳あたりまで行ってみることにする。

津沙集落 石の階段
[この荒涼とした感じなかなか雰囲気がいい]

階段の足元にイチジクが黒くなったような実がたくさん落ちている。
昨日も牛角の路地や馬港の民家の脇にたくさん散らばっていた。
黒く腐った果皮の中にはたくさんの種が入っている。
果肉のようなものはほとんどなくて、食べられそうにない感じ。

黒くなったイチジクのような実
[石段には黒く変色した実がたくさん落ちている]

上を見上げると、石壁に這いつくように伸びている植物が緑色の実をたくさんつけている。
これは何という植物なのだろうか。

石壁をつたう植物の実らしい
[石壁には青くて丸い実がたくさんなっている]

昨日はスクーターで往復した勝天路も歩いてみると、いろいろなものに出会える。
やはり軍関係の施設が多く、それも目立たないものは現役の施設のようだ。
そうした施設で飼っているのか、ここにもヤギがいた。

勝天路のヤギ
[ヤギの世話をする当番兵とかもいるのだろうか]

今朝は少し霧か靄が出ているらしく、視界が白っぽくかすんでいる。
海上は波も穏やかで、海面には何かを養殖でもしているのか、浮きにつながれた綱が伸びている。

もやった海
[とても亜熱帯の海とは思えない]

海岸線からすこし離れ、奥まったところへ回っていくとダムがあった。
この島の水を貯えるダムのようで、ダムの下は小さな植物園になっていた。

勝天路のダム
[ダムの上は車も通れる道になっている]

木々には植物の名前を記された札の付いているものもある。
「海桐」という植物は別名「七里香」とも言うそうで、華南から日本にかけて分布しているそうだ。
日本にあるとしても、いままで注意していたことがなかったので見た記憶がないが、七里香については、台湾で出版された同名の小説をもらって読んだことが昔ある。

海桐 別名七里香
[七里も香るというのは白髪三千丈とおなじかな]

海桐のつぼみ

このダムの周辺の遊歩道は桜並木になっているようだ。
花が咲いているわけではないので、ほんとうに桜並木かどうかは確信が持てないが、ちいさなサクランボが無数に道端に散らばっていた。
もしこれが本当に桜並木だったとしたら、花の時期はとてもきれいだったのだろうと思うが、観光案内には特別ここの並木のことなど書かれていなかったから、違うのかもしれない。

勝天路の桜並木
[並木はまだ若い木ばかり]

馬港の手前で中央大道に出て、急な下り坂を降りていくと、右手と左手にそれぞれ海が見える。交差点で右手の海の方へ伸びる道に入る。
この道の名前は観海路と言うらしく、道の右側には湾が見えるが左手には何か研究所のような建物が立っている。
施設の説明を見ると第三セクター方式で運営されている海水淡水化施設らしい。
やはりさっきのダムにしろ、島は水の確保に苦労するらしい。

海水淡水化施設
[南竿三期海水淡化廠]

この観海路も臨海道路で、波打ち際は岩場ばかりになっているため、道は崖の上を走っている。
今朝は視界が霧に霞んではいるけれど、眺めの良いところが続く。
そんな観海路からの転落防止用に道端にはガードレールの代わりに大砲の弾が使われているのが最前線の島らしい。

砲弾の再利用
[同じ最前線の島、金門島では砲弾から包丁を作っているそうだ]

この観海路沿いにも貯水ダムがあった。
とても規模の大きなダムで、見晴らしの良いところに休憩のできる東屋があった。
その東屋の名前は秋桂亭と言い、案内板が中国語、日本語、英語、ハングルで書かれていた。
景色は良いが、こんな四か国語で案内するほどの国際的観光地と言うにはほど遠い。
この案内板にはピンク色をした桜の花の写真が付いていた。
先ほどの勝天路のダム周辺には桜並木があったが、このあたりには桜の木を見かけないが、ダムの周りをよく探せば隠れた桜の名所もあるのかもしれない。

秋佳亭案内板
[四ヶ国語の説明はあるがサクラに関することは書かれていなかった]

11時、夫人村に到着。
既に廃村になっているようなことを読んだように思うけれど、人が住んでいる家屋もあり、小さな入り江に面して、小さな祠があり、香炉からは線香の煙が上がっていた。

この夫人村にも子ヤギがいた
[きょうはやたらとヤギに出会う]

岬はやはり軍事施設になっていて、ここは立ち入りが認められていないようだ。
岬の先にある岩礁には小さな灯台が建てられていた。

夫人村の岬
[とてもさびしそうな世界だ]

この夫人村にもカフェがあった。
赤いポインセチア木の向こうに庭へパラソルを立てた伝統建築の家がカフェになっている。
タイでもそうだけれど、世の中どうしてこんなにカフェブームなんだろう。
こんなにカフェがたくさんあるということは、コーヒーの需要が世界的に高まっているはず。

夫人村のカフェ
[このカフェは人気があるらしく、表に車やバイクが何台も止まっていた]

夫人村からさらに観海路を進むと、まるで北海道のはずれでも歩いているような荒涼とした景色になってきた。
そう、適当に起伏があって、霧がかかっていて、納沙布岬へ続く道に似ている気がする。

島の北西端にある西尾村のはずれで、四維路と言う道に出たので、左折して馬港方向へ戻る。
ほとんど集落も民家もない道ばかり歩いてきたが、霧のため遠くはあまり見えず、またときどき小雨もチラついたりする。

この四維路にも街路樹が植えられており、まだ若い木だけれど、実を付けている。
見ると桃のようだ。
果樹園で栽培している桃ではないので、実は小さくてレモンくらいの大きさ。
色はちゃんと桃色をしていて、そろそろ食べごろのように見えるのだが、どれも手に取ってみると虫食いになっている。

街路樹の桃に似た実
[見た目はおいしそうな桃なんだけど食べれそうにない]

この四維路も歩道がよく整備されており、歩道の愛称は「落日歩道」というらしい。
桃の並木だけではなく、ところどころ花壇も整備されていて、ベコニアが花盛りであった。
こんなにたくさんのベコニアを見たのは久しぶりである。

ベコニアの花壇
[こうした道端の花壇の維持管理は大変だろうと思う]

馬港の丘に建つ巨大媽祖像が見えてくる。
しばらくいくと四維路と別れて巨大像のある丘の方へ伸びるハイキングコースのような歩道が現れた。
その道の入り口には観光バスも止まっている。

布袋像と巨大媽祖像
[中国系の人はこの手の布袋さんが大好きらしい]

いままでずっと人気のないところを歩いてきたが、急に俗っぽくなってきた。
そのハイキングコース風の歩道で丘を少し登りかけたところ、左手の斜面に迷彩色を施された壕の入り口のようなものがあった。

山前門
[坑道の入り口は迷彩色]

「山前門」と書かれたその入り口は、衛兵が立っているわけでもなく、扉も閉まっていない。
内部に照明も点いており、特に何も表示がないけれど、観光客でも立ち入りが認められているようなので入ってみる。

壕の中は幅二メートルほどの通路が上りで続いており、階段もある。
照明はLEDでなんだか遊園地の施設のような感じがするが、なかなか深い。
そのうち前方から声が響いてきて、中国語のその声がだんだん大きくなったところで団体観光客とすれ違った。
この団体客はさっきの観光バスに乗る一行なのかもしれない。

LED照明のある坑道内
[ここも元は軍の坑道だったのだろうか]

壕の中は途中で別れ道があり、左の道を進んだらば外に出ることができた。
出たところは巨大な媽祖像の足元近くであった。
媽祖は台湾だけではなく、中国南部から東南アジア一帯の華僑たちに広く信仰を集めているから、このような巨大な媽祖像をこしらえて、媽祖の聖地と言うことにすれば観光客を集めやすいのだろう。

坑道の出口
[坑道の出口は迷彩色ではなかった]

ここの媽祖像は昨日天后宮で祭られていた媽祖像と比べると、かなり現代的な美人顔になっており、スタイルも良くなっている。
この媽祖像の下に展望台風のガラス張りの建物があったのだが、工事中のようで中に入ることができなかった。

巨大な媽祖像
[巨大な媽祖像はなかなかの美人顔でスタイルもよい]

巨大な媽祖像から見た馬港
[ここは見晴らしもよい]

媽祖像を後に、丘の斜面を取り巻くような舗装道路を下って、馬港側へ降りてみることにする。
途中に「媽祖宗教文化園区」というのがあった。
なんだか、入り口の石塀の上に腰かけた媽祖像は、やたらとカラフルで瞳は青く、あんまり御利益を授かれそうにない感じ。
しかし、今の台湾ではこの方が若者受けして、信者獲得に効果があるのかもしれない。

媽祖宗教文化園区
[媽祖にもさまざまなバリエーションがあるものだ]

丘のふもとまで降りてきたが、昨晩夕食を食べた馬港の商店街まであと100メートルと言ったところで、道は左に大きく迂回してしまっていて、かなり遠回りをしてこないと商店街へたどり着けそうにない。
この100メートルの間には、畑と民家があって、人が自由に歩けるようにはなっていないが、回り道をしたくないので、畑の中の畔を突っ切り、民家の裏庭を抜けて、狭い民家と民家の建物の隙間をくぐって馬港観光夜市に出た。

馬港の犬
[この犬、なかなか人懐っこかった]

昨晩も歩いているので、大体どんな店があるのかわかっているつもり。
団体客が入っている店もあるし、営業していないのではないかと思えるような店もある。
昨晩も感じたのだけれど、一人客向けの食堂はあんまりないようだ。
何を食べようかと考えたが、馬祖の名物に「馬祖漢堡(馬祖バーガー)」というのがあるそうだ。
これは馬祖の伝統的な「継光餅」というベーグルに似たパンをハンバーガーに仕立てたものだそうで、馬祖の人たちはこれにカキ野菜などを入れて食べると案内に書いてあった。

馬港の民家と白百合
[商店街のすぐ裏は民家になっている]

商店街の中の食堂でもこの「継光餅」をメニューに載せている店がいくつかあったけれど、メニューとともに貼りだされている写真を見ると、大皿に海産物などの炒め物を盛り付け、その周りに継光餅をぐるりと並べているようなもので、大人数で食べるための料理のようだ。
食べてみたいが、とても食べきれそうにない。
商店街の周りを行ったり来たりしているうちに、馬祖漢堡を食べさせてくれるローカルなハンバーガーショップを発見。
店の前にも馬祖漢堡や継光餅の紹介がデカデカと張り出されている。

馬祖バーガーショップ
[台湾では朝食屋にこのスタイルの店が多い]

早速一つ注文してみる。
馬祖バーガーはひとつ45元であったので、台湾の街中にあるローカルなハンバーガーなどとだいたい同じくらいの価格帯のようだ。

さて、その馬祖バーガーだけれども、カキや野菜炒めなどは入っておらず、薄い豚肉のパテと玉子が挟んであった。
つまり街中にあるローカルなハンバーガーと同じで、ただバンズが継光餅になっているというものであった。

馬祖バーガー
[これが名物の馬祖バーガー]

味の方は、もともとハンバーガーなどほとんど食べたことがないので比較できないが、継光餅は素朴な小麦粉の味がして、朝食用に豆乳と食べたらおいしそうな感じがした。

食べかけ馬祖バーガー

民宿への帰り道は天后宮裏の天后宮歩道と言うの歩いてみる。
これもハイキングコースのようによく整備されており、途中から勝天路に合流した。
この勝天路、ところどころに植物を紹介する札がある。
朝歩いた時にイチジクのような実が落ちていて気になったが、たぶんその植物のことだろうと思われる案内板もあった。
「薜荔」という名の桑科の植物だそうで、果実は飲料になるという。
別名が石壁蓮というらしく、確かに民家の石壁に這っていた。

薜荔
[黒い実の正体判明]

午後1時少し前に津沙の集落に戻って来た。
昨日は防波堤のところでむき身の貝を干していたけれど、今日は細くて白い麺を干していた。
麺線と呼ばれるこの麺は、島の名物の「老酒麺」にも使われているもののようで、今晩あたり老酒麺とやらを食べてみようかと言う気になる。

手作り麺線
[土産用だろうか自家用だろうか]

シャワーを浴びて、一休みしたところで、こんどはスクーターに乗って出かけてみる。
これまで海沿いばかりだったので、こんどは山を巡ってみようと思う。
一番最初に港から民宿へ来る時に通った津沙路を行く。
坂道が続く途中にコスモスが咲き乱れているところがあった。
日本なら秋の花だけれども、亜熱帯の馬祖では今の季節が盛りのようだ。
このコスモスは自然に群生しているわけではなく、花壇のように整備されたもののようで、コスモスの花畑の先には軍の施設があった。

5月のコスモス
[コスモスが秋しか咲かなくなるのは北緯何度からだろう]

中央大路に出てすぐに標高250メートルの「雲台山」へ登る脇道があったのでスクーターを進めてみる。
ほどなく到着してみると山頂は当然ながら軍の施設となっており、軍用車両なども止まっている。
しかし、立ち入り禁止と言うわけではなく、観光客向けの案内看板が用意されている。
ここも日本語を含めた四か国語の説明であった。

雲台山の案内板

それによると馬祖南竿島で一番高いところだそうで、中国大陸の半島まで見えるとのことであったが、展望台から眺めたが海と空の境目あたりは霧に霞んでいるのか、見えるという方角に陸地を目にすることはできなかった。

雲台山の展望台より
[この方角に大陸が見えるらしいのだけど、、]

ここの軍事施設も観光客に開放されているようだけれど、建物内にはなんとなく入りづらい雰囲気があり、展望台からの景色を眺めただけにとどめる。

この蒋介石はまだ若い
[施設の壁には巨大なレリーフ]

次に清水と言う集落方向へ進む。
下り坂が続く道で、その途中に中国宮殿風の堂々とした建物が二棟並んでいた。
ひとつは経国紀念堂で、もう一つは民族文物館となっていた。
建物は立派だけれども、あんまり関心がないので素通りしてしまう。
案内もなしで下勉強もしないで見学したところで、なんのことやらさっぱり理解できないだろうと最初から匙を投げてしまった。
しかし、あとになって考えると経国紀念堂は見ておいても良かったかもしれない。
この島はどこへ行っても蒋介石ばかりで、蒋経国の影がとても薄く感じた。
その蒋経国の紀念堂ではどのような取り扱いをしていたのかと島を離れてから興味を持ち始めた。

清水の集落は津沙や牛角のような伝統家屋はあまりないようで、ここも素通りして、最初にフェリーから降りた時に見えた「枕戈待旦」の丘へ上がってみる。

枕戈待旦

この巨大な碑は蒋介石の死後だいぶたった1988年に作られたもののようで、1968年に蒋介石がこの地を訪れて「枕戈待旦」と軍民に檄を飛ばしたことを記念するものらしい。
なお1988年と言ったらば蒋経国が死んだ年でもある。

枕戈待旦の裏面

この碑の下は建物になっていて、島の特産品などを売っている。
海産物の加工品や老酒などが売られており、老酒は試飲もさせてくれるらしい。
しかしスクーターを運転しているので、試飲は遠慮させてもらう。
この建物内で「これは収蔵品で販売品ではない」と書かれた棚に紹興酒の瓶が並んでいた。
なんの変哲もない紹興酒にすぎず、何のための収蔵品か理解できないのだけれど、販売対象でないのに、値札が付いていて、それがやたらと高い。
普通の紹興酒800元、陳年紹興酒900元、花雕は1000元。
通常の市販価格の五倍ほどになっている。
どういう意図なのかますますもって理解できない。

紹興酒コレクション?
[なぞの紹興酒コレクション]

ここの売店の一角で軽食を売っていた。
伝統点心とあり、郷土のおやつみたいなものだろう。
ちょうどお好み焼き風に捏ねたものを大きな油鍋で揚げていた。
ひとつ40元と言う。

ティーピンの材料
[捏ねるまではお好み焼きとよく似ている]

刻んだキャベツ、カキや豚肉を水溶きした小麦粉で捏ねたものを油で揚げたもののようで、ここの郷土料理なのだそうだ。

ティーピンを揚げる
[こうなるとかき揚げにも似ている]

名前を「ティーピン」と言うそうで、漢字は"虫"偏に旁は"弟"でティー、ピンは"餅"て゜ある。
これを一つ購入して食べてみる。
40元也。
具材がお好み焼きに似ていることもあり、味はお好み焼きをフライにしたような感じで、齧るとキャベツの甘みとカキや豚肉のうまみがジュワジュワと出てきて美味しい。
高い温度の油で揚げているのか表面はかなり固くて煎餅をかじるような食感もある。

ティーピン完成品
[ティーピン]

このティーピン以外に、他の見学客たちは陳年老酒冰沙と言うものを注文していた。
これはジューサーに凍った老酒を入れてかき回したもので、出来上がって蓋を開けたらあたりに老酒の香りが漂ってきた。

陳年老酒冰沙
[陳年老酒冰沙は老酒入りのシェイク]

明日の基隆行きの船は、今日の午後からチェックインができると案内されていたので、福澳港のターミナルへ行ってみる。
この時間は船の発着がないからか、船会社のカウンターには誰もいなかった。
ターミナル内を清掃している係の人にチェックインのことを尋ねたら、二階にある船会社の事務所で受け付けているとのこと。

チェックインは簡単で、予約確認書を見せるだけですぐに乗船券を出してもらった。
帰りはCデッキ1号室2番寝台となっていた。
復路は昼間の航行なので寝台など不要なのだが、寝台が満員にならない限りイス席は販売しないシステムらしい。

港でも眺めようかとターミナルから歩き出したところ、前方から同宿のSさんが歩いてきた。
今日は朝から北竿島へ行っていたそうなのだが、楽しみにしていた石造りの伝統建築群がすごい霧でほとんど見えなかったとこぼしていた。

南竿も午前中は霧がかかっていたが、午後からは良く晴れてくれた。
まだ午後3時でもう少し島めぐりを楽しもうと、馬祖酒廠前のロータリーへ行く。
このロータリーから「摩天嶺歩道」という山道があり、そこを登ると南竿で2番目に高い山へ登れるらしい。
その登山道の入り口に「毎天運動三十分」と書かれた立札があり、それによるとこの摩天嶺歩道の所要時間は20~30分、消費カロリーは90~115カロリーとある。
急な石の階段が続く坂道であるが、よく整備されてて、歩きやすい。

毎天運動三十分
[摩天嶺歩道の立て札]

摩天嶺歩道

しかし、この摩天嶺歩道は全長400メートルにも満たず、10分とかからず登ることができた。摩天嶺歩道の終点近くからは牛角の集落が一望できた。

摩天嶺歩道からの牛角
[木々の間から牛角の集落が見える]

摩天嶺歩道は途中から車の走れる道と合流した。
この道を進むと軍の施設になっており、ここは観光客にはまだ開放されていない施設のようで門は閉じられたままであった。

丘の上の軍施設
[民間人は入れないようだけど衛兵が監視しているわけでもない]

あんまりにもあっけなく南竿第二の山を登ってしまったので、下りは摩天嶺歩道ではなく車の走れる道を歩いてみようと思う。
この道もさっきの馬祖酒廠前のロータリーへ出るように地図に示されている。

下り始めてしばらくすると、南側の海の方へ飛行機が飛んでいくのが見えた。
南側の麓は飛行場になっているようで、またしばらくすると飛行機のプロペラが唸る音が聞こえてきた。
台湾本島との間に船は毎日一往復だけれど、飛行機は頻繁に飛んでいるようだ。

島を飛び立つ飛行機
[飛行機なら台北まで1時間とかからない]

最前線の島で、どこもかしこも軍事施設ばかりであるけれど、この飛行場には軍用機の姿は見られないようだ。飛行場は山を下りて来る道から丸見えだし、それに写真撮影を禁止する警告も見当たらない。
監視する兵隊の姿も見当たらない。
この道で出会ったのはヤギ一匹だけである。

ヤギ

飛行機と並んでヘリコプターも飛来してきた。
軍のものではなく、民間のヘリコプターでお客を乗せているようだ。
この馬祖諸島で飛行場があるのは南竿と北竿の二つの島だけで、それ以外の島へはヘリコプターが飛んでいると案内に書かれていた。

民間のヘリコプター
[飛行機の隣に降りてきたヘリコプター]

やがて飛行場の正面に道は出た。
飛んでる飛行機は小さなプロペラ機だけれど、空港ターミナルは堂々としたものである。

馬祖南竿航空站

この飛行場を過ぎるとまた道は少し上り坂となり、昨日訪れた八八坑道の前を通って馬祖酒廠前のロータリーへ戻ってくることができた。
全行程1時間と言うことになる。

介壽沃口公園と言うのが島の繁華街介壽路のはずれにあり、海に面している。
芝生に覆われたグランドのような公園で、一角に児童公園があって遊具が並んでいた。
公園近くの商店で「老酒冰棒」なるアイスキャンディーを売っていた。
これも老酒の入ったアイスキャンディーなのだろう。
汗もかいたし、食べたくなるが、スクーターで宿へ戻れなくなるので、ペットボトルのぬるい水で我慢する。

老酒アイスキャンディー
[老酒冰棒]

宿へは少し遠回りをして、濵海大道を使って戻ることにした。
先ほどの清水の集落を過ぎると大きな発電所があった。
この道もあちこちに迷彩色の建物があったが、発電所にしても飛行場にしても、最前線にありながら、まったく無防備で驚いてしまう。
大陸からたくさんの観光客が訪れ、重要な防衛拠点をさらけ出していて、まるでもう開き直っているかのような印象を受ける。
もうここまで来ると丘の上の「枕戈待旦」などはなんだかパロディーのような感じがする。

右には発電所
[写真には写っていないけれど右手側に大きな火力発電所]

馬港の入り口から中央大路に入り、山側から津沙へ戻る。
中山門と言うバス停の前に中山服を着た蒋介石の銅像が立っていた。
台座には「永懐領袖」とある。
いま台湾本島ではあちこちで蒋介石像が撤去されているという。
台湾本島の人にとっての蒋介石と、この馬祖の人たちにとっての蒋介石では、印象がだいぶ違うのだろう。

蒋介石像
[ここの蒋介石像はまだまだ健在だろう]

中山門のバス停前には若い兵隊がバスを待っているのか、数人たむろっていた。
馬祖の路線バスは夕方6時には終バスとなってしまうようだ。
島の人たちは日が暮れたら出歩いたりできない時代からの名残であろうか。

5時、宿に戻って、ビールが無性に飲みたい。
冷蔵庫に冷やしておいた缶ビールを手にして、津板路を鉄板村方向に向かって歩く。
55拠点と言う要塞を改装した民宿を過ぎ、昨晩青の涙を見に来た崖の上で缶ビールのプルトップを引く。

台湾ビールクラシック
[欄干には何匹もの毛虫が行き交っていた]

海を眺めながらベンチに腰かけてビールを飲む。
まだ夕日が沈むまでは時間がありそうだけれど、ビールを飲み干したら、そのまま鉄板の集落まで歩いて、そこで夕食を食べてくることにしよう。

そんなことを考えていたらまたまたSさんが鉄板村の方角から歩いてきた。
足を蚊に刺されて痒いとぼやいていた。
缶ビールをもう一本持ってきていたら分けてあげたいところだったけれど、この一本もほとんど飲み干していたので、まったく失礼をしてしまった。

この津板路の終点、鉄板の集落入口に「海龍蛙兵」というフロッグマン部隊の駐屯地がある。
たぶん台湾でもっとも強い兵隊たちの集団のはず。
心なしかこの駐屯地の衛兵にはオーラが出ているように感じた。

海龍蛙兵の像
[駐屯地前には海龍蛙兵の像が建っていた]

そんなフロッグマン部隊のすぐわきの鉄板海岸はのどかで、犬の散歩をさせている人などもいる。
鉄板の集落は津沙よりも少し大きいくらいで、期待していたほど店がない。
民家は伝統家屋も半分くらい。

鉄板の集落
[静かで平和な浜辺]

最初に見つけた食堂はすでに「完売」してしまったようで店じまいをしていた。
図書室のようなカフェがあった。
白い室内の壁一面に本棚があり、たくさんの本が並んでいて、なかなか上品そうに店であったが、カフェなんかで夕食を食べる気にはならないので他を探してみる。

図書室風のカフェ
[どんな本を並べているのか覗いてみたかったが、扉を開けるには気恥ずかしかった]

黒猫とポンプ
[このポンプはまだ現役のようだ]

「黒熊&猫の店」と書かれた食堂があった。
この名前にひかれて店に入る。
壁には「古早味老酒麺線好吃」と貼りだされている。
ちょうど島の名物と言いう老酒麺線も一度は食べてみようと思っていたので好都合。
家族三代で経営しているような店内は私のほかにお客さんはいなかったが、途中から若い女性が二人入ってきて、名物料理について主人に質問をしていた。

老酒麺線

出てきた老酒麺線はスープに老酒でも入っているのか、老酒の香りがプーンとしてきた。
丼の中には、玉子のフライが入っていて、ネギが散らしてある。
玉子はかき揚げ風に見えたが、とき卵を油で揚げただけのようだった。
他にスープをすくってみると、小粒のカキや野菜が少し入っていた。
麺線はビーフンくらいに細い麺で、老酒でも浸みこんでいるのか茶色い色をしていた。
カキも入っているし、老酒で香りとコクをだしているが、パンチの利いた味ではない。

老酒麺線
[極細の麺は老酒色]

ちょっと豆板醬でも入れて味を引き締めようと思って店の人に豆板醬を所望したらば、「これには豆板醬なんか入れないんだよ」と女主人に叱られてしまった。
老酒が島の名物なのはわかるが、島の人たちの日常生活に老酒が溶け込んでいるようにはあまり感じられなかった。
むしろ「老酒なんとか」とあるのは観光客向けの名物に多いような気がした。

この老酒麺線、お代は150元也。
昨晩の大衆飲食店のメニューでは老酒麺線は100元だったので、これで150元と言うのは、ちょっと高い気がする。
値段を確認しないで注文した私のミスのようだ。

なお、「店には黒熊もネコもいなかったなぁ」と思いながら店を出て、もう一度店の看板をよく見たらば、「黒熊&"猫"の店」ではなく「黒熊&"喵"の店」となっていた。

黒熊&喵の店
[喵とは猫の鳴き声の"ニャー"を意味するのではあるが、、、]

すっかり日が暮れた夜道をとぼとぼと歩いて民宿へ戻る。
鉄堡の要塞入り口には、青の涙を写真に撮ろうと大きなカメラをセットしている人たちがたくさんいた。

夜の鉄板村

今夜も主人と青の涙の見学ツアーに出かける。
昨晩より多少は海が青白くなっているところが見えた。
昨日入れたアプリの「星撮りくん」を使って撮影したら、ほんの少しだけだけれど、真っ暗な画像の中に青白くなっている部分が映っていた。

星撮りくんでの青の涙
[よく見れば崖下の波打ち際が青白くなっている]

一眼レフカメラでも、写ってくれるかどうかわからないけど、何枚かシャッターを切ったらフィルムが終わってしまった。
二晩続けて参加しながらちょっとも期待通りの写真が取れない私を憐れんで、宿の主人が一眼レフの大型デジカメで私と青の涙の写真を撮ってくれた。
ただ、超スロー撮影で、3分間くらい動かないようにと言われ、ポーズをとっているのがなかなか大変だった。

藍眼涙
[民宿主人のカメラで撮影してもらいました]

見学ツアーから宿に戻り、まだ基隆で買った紹興酒が残っていたので、それを持って防波堤の上へ登ってみる。
夜の海風に吹かれながら、紹興酒を飲む。
老酒の本場である馬祖に来て、老酒を飲まず紹興酒を飲むというのも興のない話であるが、それでも紹興酒は美味しい。

この防波堤の上にも青の涙を見に来ている観光客がたくさんいた。
写真が趣味で、カメラの先生から指導を受けている人もいる。
私も防波堤下の岩場を覗き込んでみたらば、青の涙を結構はっきり見ることができた。
携帯電話で撮影してみたら、いままでとは違って青さがはっきり写ってくれた。

津沙の防波堤から
[だいぶ青く写せました]

それでも写真好きの人には、さっきの断崖と夜の海で光る青の涙の方が構図として面白いと思うのだろう。
私の撮った青の涙は、景色にはまり込んだものではなく、ただ黒い画像の一部が青くなっているだけに過ぎない。

津沙の岩場
[多少青くても、説明なしではなんだかわからないだろう]

空には星もたくさんでていた。
アプリの名前が「星撮りくん」と言うくらいだから、星空の撮影にも挑戦してみる。
画像を確認してみると北斗七星らしきものが写っている。
しかし、昨晩もそうだったが、本当の星明り以外に、デジタルノイズや埃で光っているものも含まれていそうだ。

北斗七星
[さてどれが星で、どれがノイズでしょうか]

昨晩のように砂浜で光るプランクトンをもう一度見てみたかったけれど、今夜は満潮の終わりの時刻が遅くなっているのか、砂浜はすっかり潮に埋まっていた。
昨晩より青の涙が見やすかったのは、今夜の方が潮が大きかったからだろうか。

夜11時過ぎ、紹興酒も飲み干し、いい気分となったので民宿へ引き上げて寝ることとする。

つづく

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